わんにゃんに危険な食べ物・植物他 0
唄の力 0
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初日にウオルマートで自分の品はチャッカリ買ったけれど・・ハテ?他はどうしよう?旦那とロンと・・んっと・・アレコレ考えながらペットショップを訪ねた。まぁ 派手な鳥が(インコの仲間)止まり木にチョコン 逃げもせず。爬虫類のコーナーは通り抜け猫もパス・・目指すはブルドッグ・・コレが無い!涙が出そうになるのを我慢 暫くさまよって・・見つけた! ブルドッグカードは少ない ベッドは白いクッションが45cm角なので大きさ判ります?ベッドは箱に詰める事にして4ドルでダンボールを購入。やれやれ。うげ!旦那の品が無い。ミントキャンデーだけでは叱られそう。「何も要らないよ」と言ってたけど当てにして待ってるに違いない。何せ長い付き合い・・送り出してくれた時の顔でチャンと判る。困ったな・・んっと・・去年はどうしたっけ???忍び寄るアルツの頭で思い出す事 約10分!そうだ!レッドホース!あの店に行けば何か見つかる筈。ホッと一息。レッドホースは空港内のお店。飛び込んでお皿と壷はゲット出来たけど・・今一つインパクトに欠ける。顔馴染みの店員さんに図々しく尋ねてみた。「それならペンデルトンが良いわよ」教えて貰い すっ飛んでゆく。見つけた! でへ!旦那のジーンズジャケットより私のトートバッグの方が10ドル高かった!半額セールだったのでラッキー!(この時1ドル100円切っていたとは知らず)レッドホースに戻り御礼を言い又来年ね~♪とご挨拶。友人に別れを告げ又ね~と約束行きは良い良い帰りは・・何とやら・・帰国時はアゲインスト(向かい風)なので10時間45分掛かった。オマケにセントレア近辺は乱気流で荒れ模様・頭クラクラしながら無事帰国。時差ぼけは2日遅れでやって来ました。来年 又 行けるかな?其れまでにコレから取り掛かる訴訟を乗り切っておかねばならない。人間長く生きてると嫌な事も時には有るけど契約解除申し入れしたら居直ってヤーサンが出てくるって変じゃ無いの?どうも常習犯の様ですな。あくまでも合法的に闘って私は勝つ!其の為の気分転換旅行。 英気を一杯大自然から貰って来た。アリガトー♪帰ったらロンが豹変!留守中「借りてきた猫状態」だったとか!「ママの声聞いたら途端に態度がデカクなったよ♪」と旦那が笑った。帰ったヨ~私のおうち・・青畳の匂いがする・ん?女房も新しい方が?あの・チョイトお尋ねしますが交換しなかったの?チャンスだったのに~♪イヒヒ~ 待っててくれる旦那が居て・私って・・らっき~!
October 16, 2008
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メートル法では1マイルは約1,609メートルとなる。有名なコロンビア・ジョージ・ヒストリック・ハイウェイ(Columbia Gorge Historic Highway) コロンビアリバーはカナダのロッキー山脈から太平洋に流れ込むとてつもなく大きなビッグリバーで長さは1930キロ以上 そして其処は昔ネイテイブアメリカン(インデイアン)の居住地域であった。1913年から2年の歳月を費やしてサミュエルランカスターをチーフエンジニアとして有名なコロンビアヒストリックハイウエイが完成した。其の頂上にはクラウンポイントが今も健在。パンフレットの白い小さな点も上まで上っていったら結構大きかった!そして観光客も一杯!平日なのにスクールバスが列を作っていた。 直ぐ近くでのスナップ後ろはワシントン 左奥 斜めに上がって行くとカナダバンクーバー おなかが空いて近くで食事 ハロウインで車の上にタランチュラ!あはは!と撮ってたらMr.Mに「一体 何歳だ?」とからかわれる。 高い所まで上った為アチコチに滝がある。寒い!生半可な寒さじゃない!へ・へへ~~っくしょん!滅多に車の中で眠らない私が帰り道はグースカピーでした。帰ってから散らし寿司を作り半分をお稲荷さんにする。友人は大喜び! 旦那の方は酸っぱい物一切駄目でポークチャップに例のスクワッシュ!やはり南瓜に見える・半分に切り 種を出し皿に乗せて(皮を上にして)チン!完全に火が通ったらひっくり返しナント 其処にバターとブラウンシュガーを入れた!スプーンで削ってバターや砂糖を混ぜて食べると日本のスイートポテトケーキの味!うぎゃ!美味しい!Mr.Mの晩御飯はポークチャップにもブラウンシュガーが乗ってた!そんなに甘党で大丈夫なのかしら?今に糖尿病になるよ!と言いたいのを我慢する。何せ彼の一日の行動範囲は凄い・正に尊敬に値する。ジッとしていない。働きずめ・・日本のわが亭主殿にチョイト送りたい気分・・にゃはは!其の頃 我が家ではロンにメロメロのパパが楽しげに遊んでいましたとサ!もしもし・・鬼の居ぬ間の洗濯でしょか?
October 15, 2008
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翌日 鳥の声で目覚める Mr.Mが去年作った鳥小屋に毎日20羽以上の鳥のお客様・青いのが「ブルージェイ」大きさは30cm弱 塀の上のが雄だと思う雌は茶色で一回り小さい。それと鶉(うずら)の小型が数羽。ドアを開けると即 飛び立ってしまうので随分遠くからの撮影。友人の家は2エーカー半なのだ。彼らは毎朝餌を与えた後 珈琲を飲みながら望遠鏡で「今日のお客様 何羽?」と来訪を楽しんでいる。又 画像が無いけど母屋の屋根の先にハチドリ(ハミングバード)が一杯来る!近くの公園へ行けばコンナに可愛いリスさんのお出迎えもある。警戒心は無いが逃げ足は速い!結構大き目のリス頭の先から尻尾まで約40cm位はありそう・・。お目当てのウオルマートへ買い物・去年と同じコーナーは在るかな?あった!キッズコーナーの14歳用のジーンズが私のジャストサイズ。なんです・・うふふ♪と回って3本ゲット♪ 純白のコットンのブラウスも2枚コレも14歳用サイズ私のポリシー 白いブラウスはコットンに限る・漂白可能だから!5点買って7千円弱 らっきー! 友人はスクワッシュと言う野菜を買った。一見緑色で南瓜のようだ。でもパンプキンじゃ無いと言う。一体どんな味でどう料理するのかな?スクワッシュは明日で本日はステーキを頂いた。食後 驚いた事に食洗機は横に置いてあったトップが調理用のタイプ中は二段になってて日本の食洗機の3倍は入る。其れを移動して蛇口を繋ぎコンセント差し込んでガガー!ご主人によると最初はビ゙ルトイン(嵌め込み式)だったけれどコレに変えたとの事。近い将来我が家もそうなるかも知れないなと思いつつ・・見てると米国人旦那は実によく動きますなぁ 家中の掃除は彼が担当で趣味は庭から絨毯まであらゆる場所に使える掃除機集め と来た。ぐは!其の日もネットで購入したらしい庭専用のキットが届いていて彼はニッコニコ♪そしてテレビは大統領選の討論会を毎日のように放送している。「アラスカなんて何も無いトコだよ ソンナノが副大統領なんて!」と ご立腹!かと言ってオバマが良いのかと言うとそうでも無いらしい。優れた政治家が少ないのは日本だけじゃないなと実感する外国人と話す時は宗教・政治・に付いて話すのは本当に親友になってから。其れまでは横っチョに置いておいた方が無難です。私は政治なんて興味ないのと友人は相変わらずピアスを集めていた。こう言う飾り方があるのね!グッドアイディアです。刺繍用のワッカを利用。ピアスは引っ掛けるだけだからこう言う手もあり・とひとしきり感心♪明日はコロンビアリバーへ連れて行ってくれるという・・どんな所かな?
October 13, 2008
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10月7日出発 荷物は旅行かばん一個と機内持ち込みのバッグだけセントレアは既にハロウイーンアレンジメント 西海岸へ飛ぶ時は追い風なので東京から8時間チョイで到着する。海外旅行は辛いという方が結構いらっしゃるけど たったの8時間ですよ!8時間も!と言われれば もう其処でギブアップですが。フロリダやアリゾナなんてトランジットの所為も有るけど24時間覚悟ですよ!着陸時に丁度 雨が止み 迎えに来てくれた友人がYou are a Lucky woman!と笑った。ほら 見てご覧と言われ わーお!虹を七色と感じるのは日本人で米国人は違うらしく3-4色止まり。虹なんて久しぶり。この前見たのは何処だったっけ?思い出せない。ととろ と一緒で虹も幼い頃の純粋さを無くすと気が付かないのかな?荷物を家に入れて マズは一休み。熱々の珈琲が嬉しい。フレンチクリーマー(画像 撮り忘れた!)を入れると凄くいい香り!無事友人宅に着いたことだけ日本に電話をいれる。そうか 判った 楽しんで来いよ と旦那・・有り難いね新鮮な果物だけは買いたい・例のバナナダイエットの余波で日本じゃバナナにありつけない日もあった。バナナで痩せようなんて変じゃないの?行ってみたらバナナ5本で56セント!有機栽培モノのバナナ5本で1ドル30セント他にも一杯の果物 ザラついてた心が時間の経過と共にゆったりと平静さを取り戻してゆく。旅っていいな・・特に何が在ったかなんて詮索しない友人がいいな・・日本に居てもYes/Noがハッキリしてる私だから米国人の友人は有り難い。ベッドに飛び込むと もう 翌日から何しようとか考えずに眠る・・「明日はアレとアレとコレと其れから・」等と言うスケジュールが無い嬉しさ!日本とは時差16時間 でも遠くに居るという感覚は何故か無く・・今頃 家じゃ パパがロンと格闘してるかも・・ムニャムニャ・・コンナのも旅のありがたさ・・ふぁ~・・明日に続く・・
October 13, 2008
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一人旅・・3泊5日で強行スケジュール・・・ゆったりと大自然に癒されて 溜息はデッカイ袋に詰めて捨ててきた。綺麗な虹に希望を繋ぎ 庭に来る鳥達に幸あれと祈り友の手作りの味を堪能して 今年もヤハリ14歳用のジーンズを3本も買った。留守中 シッカリ頑張って呉れた主人に感謝。明日から 又 頑張るぞ~・・と気持ちだけは元気だけれど・・頭の中は時差ぼけ真っ最中。写真もデジカメの中。ちょいと お待ちになって 下しゃんせ~のせっせっせ~♪
October 12, 2008
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海外じゃ株が全面安でアジアもトバッチリ・・米国がこけるのは判ってたのに。個人投資家達は右往左往している。我が家は株は一切手を出さない。殆どがカードで済むけれどキャッシュもある程度は必要・・所が昔はOKだったのに統合後のUFJ銀行は米ドル交換OK支店が限られて。。ナンじゃこりゃ?統合と言うのは便利にならなきゃ意味が無いのに。仕方が無いので此処数年は三井〇友銀行で現ナマを・・昭和6年の建築物天井が高い!77年前と言う事は・・アールデコ様式か?天井が高い建物は圧迫感が無いから気持ちが良い。77年経って良い味。外は石造りだし こう言うのは後世に残して欲しいね 何時までも。我が家も各階 普通より30cmは高くしてある。 出発前に間に合った主人の部屋の畳と障子の張替え。業者さんに感謝 昔から京畳です。我が家は全室フローリングですが主人の部屋だけ和室。畳が好きですね。南向きの為 熟睡できる様に遮光カーテンも取り付けた。え?私がです。我が家じゃドライバーやトンカチは私の道具箱に入っています。真新しい畳の香りが何だかホッとする懐かしさ・・・日本人だなと思う時です。え?女房も新しいのが良い?ニョホホ♪ この際だから携帯も海外何処でもOKのタイプを追加しました。 では チョイト 脱獄して心をジャブジャブ洗って参ります。皆々様 お風邪をお召しになりませぬ様・留守にしますが御免なさいね。ちょっくら・・行ってきますε=ε=ε=(o- -)oびゅ~~ん!♪
October 7, 2008
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帰国する頃には真っ黒だったアザも青色や緑色になりつつあり痛みも日毎に軽くなって行き・痛み止めは必要だったが兎に角自宅に帰り着いた。荷物を受け取りに迎えに降りてきた主人とエレベーター内で・・・「実は・・一つ 隠してる事が。。」え?二人同時の発言で!「何があったの!」も異口同音。「実はBrondyが昨夜亡くなった。先生が今日帰国なら逢わせて上げてと。だからBronは部屋に安置してあるよ・出発前から若しかしたら・・と獣医さんに連絡しておいたけれど。吃驚仰天 猫部屋に駆け込んだ。17歳だったけど丸い塊になってた。聞くと私が事故に遭った頃から体調が崩れた模様。身代わりか?と不憫になって涙が溢れた何時もどの子を見送る時も私は傍に居た。私の留守中にお星様になったのはBrondy ただ一頭だけである。荷物を放り出し1階の花屋へ駆け込み蘭の花で一杯にして送り出した。4歳頃のBrondy大阪から我が家の一員に。モノレール事故の事を主人に報告したのは彼女を見送ってから。翌日心配なので病院で再検査を受け湿布薬と痛み止めを貰う。1週間が過ぎた頃 米国からメールが届いた。Dr.エドからだった!「998ドル(当時約12万円)の請求書?何じゃ こりゃ!」即 電話した。「私は被害者ですよ・患者と言う欄を丸で囲み下にA Vectim(被害者)と記入した箇所を見て下さい」Dr.Edoは吃驚した様子・・米国へボーディングパスをFAXして下さいと言われ私は常に半券を記録として保管するタイプなので即FAX。 フライトナンバー到着時刻 ゲート#他 勿論私の座席ナンバーも氏名も半券にはプリントされている。機内で乗務員の言っていた2週間前の事故は報告済みだったが私の事故は結局 シカゴ空港の保安担当官等によって隠蔽されていた事が判明。シカゴ空港内の施設内の事故はキャピタル保険会社が担当で調査が始まり結果 私には支払い義務が無い事が証明された。皆さん 海外で使ったボーディングパスの半券は直ぐには捨てないでね。何事も無ければ良い思い出になるし必要な時には役立つからです。1996年からは何時も着物・着物って便利です。 母が誂えて呉れた帯。フロリダにて大好きな青色の紗の着物に帯は絽です。あ~・・私も若かったなぁ と ふと呟いたりして・・あと 何年生きなきゃならないのかなぁ??
March 5, 2008
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シカゴからピッツバーグへさぁ 出発・ん?出発しない。アナウンスでピッツバーグが豪雨で着陸不能と・待つ事になる。ボーディングパスはシッカリとバッグに(後でこれが役に立った!)1時間・2時間・4時間・未だ閉じ込められて・とうとう乗客の内の4名が機外へ出た。母親が危篤だと言うのに待っちゃ居られないと言う。その内ピッツバーグは天候が回復したが今度はシカゴが豪雨で飛べない。ひたすら我慢の私も湿布薬(モーラステープ)が底をついた。短時間のフライトなので機内食は無し。空腹の乗客が騒ぎ始める。私は常に機内に持ち込むバッグに薬一式とチョコとカロリーメイトあり!隣のオチビちゃんに上げる。ニカッとそばかす顔が緩んだ。然し 打撲の痛みは徐々に酷くなり機内後尾座席の方へ移動する。乗務員に「アイスキューブ プリーズ~!」彼女達は惜しげも無く袋に一杯の氷を詰めて次から次へ用意してくれた。感謝。其の時に2週間前にもモノレール事故が在ったと聞き吃驚。何じゃこりゃ?結局「離陸します!」と言うアナウンスが流れたのは8時間後。乗客の中から歓声が上がる!ふ~ これでようやく飛べる!やた!ピッツバーグは「鉄の街」である。兎に角ホテルに辿り着き日本へ連絡「天候不順で遅れた」とだけ伝え事故の事は内緒にして置いた。日本を出てから実に27時間後に到着だなんて・我慢強い方だけど疲れたよバスタブに湯を張り足だけ暖め様と鏡を見て吃驚仰天!あっちゃ~ 左胸から斜めに大きなアザ直径20cm ウエストから右太股にかけて同じく真っ黒なアザ 胃の辺りにも 左足にも!身体中まだら模様。 べこの子 牛の子 まだらの子ぉ~♪唄ってる場合じゃ無いが見事にペイントされた我が身を見て吹き出した!お陰でピッツバーグ滞在中は会議だけ出て殆どルームサービス。晩餐会は全員フォーマルウエア・私は着物なので中身は見えない。あ~着物で良かった!中身はまだら模様! この綸子の反物は忘れ去られて10年箪笥の中で眠っていた品 晩餐会の2時間だけ首輪?は外してた。ふ~イテテ・・トホホ 結局ホテルから一歩も出かけられず・お土産もホテルで購入。怪我を隠して青息途息で帰国したら 主人も一つ隠してた事が。ぎょ!明日につづく・・・あ~・・
March 3, 2008
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恐怖の体験は2005年 その年に初めてペインテッドホースを知った。高校時代から大学も乗馬が好きで馬術部に居た夫には絶好のお土産ペインテッドホース上の2頭がアトランティックのお土産手前は2007年に買った品特に黒い馬は「サンライズ」と言うタイトルで最後の一頭で以後絶版。2001年は試練の年でした。NYテロの在った年。3月頃から右手が痛くなり包丁を持つ手に力が入らない。痛い!日毎に鉛筆も持てなくなって検査を受けたら・何?知らぬ間に頚椎の5ー6番目の間に骨棘(こっきょく)がニョキ!シャウカステンに挟まれた画像では丁度 猫の爪状態のお月様?それが右手の神経にブスリと刺さって・「コリャ痛いわな」と先生。マズ引っ張ろうと牽引・痛み止めはボルタレン。当然血圧下降。ステロイド注入術を2回 コレは部分麻酔で首に直接太い注射針をブスリ!目は見えてるからコレは遠慮したかったけれど・仕方が無い一番デカイ注射器でヤラレル・首の骨の間を注射針がゴリゴリと!不気味な音を立てながら進んで行くのが目を閉じていても判る。一回の注入術は10分位かけてステロイドを局所に注入するのだ。途中で唾液を飲み込もうとして・・諦める・痛くて飲めない。いいモンね。手術室だから涎出してても・と開き直った。くしょ~! 痛みは暫く取れるけれど副作用が!服は7号から11号へ 涙!聞けば頚椎のオペは2ヶ月間入院が必要との事。春は仕事休めない。首に厚さ2.5cm 縦8cmの首輪嵌められて我慢の毎日渡米して帰国後は弊社の決算があるので9月にオペのスケジュールとした。目的地はピッツバーグ・シカゴで国際線から国内線に乗り継ぐには一旦荷物を受け取り遠いターミナルまでモノレール(無人)に乗る。シカゴエアポートは兎に角 広いから下手すると迷子になる。走り出し30秒後位で時速マックス60km位になった途端!事故は起きた。モノレールの急停止・乗客は吹っ飛ばされて気が付いたら女の子が鼻血を出してる・膝を擦り剥いた人も居る・たんこぶ出来た人も・・然し一番酷かったのは私。5m位飛ばされて金属製のポールに激突。旅行鞄は車両の一番前までぶっ飛んでいた。出発前から首にガードを装着したまま飛び立ったので事故時も首は保護されていた。意識は有ったが呼吸が苦しい。酷い打撲か?骨に異常は無いか?ひゅ~ひゅ~と酷い呼吸している私を見て車内の乗客が即 携帯電話で救急車を呼んだ。モノレールは牽引車でノロノロと元の駅に戻り其処には既に救急車が。「貴女は此の救急車に乗る事に同意するか?」「ひゅ~・・ふぁい」情けない声で同意を告げたら私より背の低い白人女性が 運転手?じゃコッチの2m近いアメフト選手みたいな黒人男性が看護士?車内で「救急病院は遠い?」「近くだよ」血圧を測りながら彼は答えた。米国の近いはアテにならぬ。覚悟したら「オー!ワンエイティ!」なぬ?血圧が180?「オーノー ワンエイティーン。ソリー♪」118か ホッ♪自分で脈圧を調べる・大丈夫 不整脈も無い・後はX線検査。慌てない事が大事。珍しく空港から僅か5分の所に病院が在った。ラッキー♪アレルギー体質なのでその旨を告げる。はい・コチラへと検査室へ。30分待たされDr.エドがニカッと笑って入って来た。X線検査を希望する。検査結果は打撲のみでアイシングが必要だと言う。日本から痛み止めと湿布薬は一杯持って来ていたから一切の薬を断り空港へ戻った。デルタが撤退しあの年は初めてユナイテッドエアラインを使ったのだ。空港へ戻るとヒューンと車椅子が来た!うげ?コレに乗るの?機内に入ると搭乗員達が次々に見舞いに来てくれた。其処迄は良かった。痛みが襲ってくる・その度にボルタレンで我慢 湿布も取り替える。シカゴからピッツバーグ迄は50分。1時間後には到着予定の筈が・・ソンナニ アマクナカッタノダ・涙 明日につづく
March 3, 2008
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運良く 鉄砲で撃たれる事も無く何とか辿り着いたAtlantic City街に出ると鳥が一杯・カモメの仲間の様だ。ヒッチコックを思い出すもう怖い事は総て忘れようっと・・・気を取り直す スタバの噴水で水浴びしてる空にもカモメ?かもめぇ・やがて3日間が過ぎ最後の夜は晩餐会 コンナ飾りつけは何時もの事で驚きはしないが・・ 友人と一緒にパチリ 晩餐会より前日のバイキング17ドル の方が余程美味しかった。日本人は味覚が違うものネ晩餐会の後 ニュージャージーに住むデヴィが迎えに来てくれた彼女のご主人リックは警察官・ホテルを一泊切り上げてデヴイの家に一泊。デヴイの家からニューアーク空港までは45分。帰りはスイス~イ!感謝!心配かけた分 主人に一杯お土産を買い無事帰国しました。コレは恐怖の旅で他に一度 凄く痛い旅の経験が・実はあるの。あらまぁ 何てこった!っちゅー旅が・・・ 明日に続く
March 2, 2008
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主人の吃驚した声に「絶対 私は大丈夫だから!」と一先ず告げた。幸いな事にMr.Pawと彼女は私と同じ便で初渡米した友人を迎えに来てた。一先ずニューアークからNYへ二駅戻り 其処から悪名高いNY地下鉄に思っていたより綺麗ワンちゃんも一緒!アトで聞いたらNYサブウェイクリーン作戦で落書きは総て消され綺麗に。其の後 地図を片手にNYからAtlantic-City迄の道のりをチェック。むむ・・3時間は掛かりそう。Pawは一晩NYに宿泊を薦めました。然し私は神経性心臓病患者だし見知らぬビジネスホテルは怖い。結局Atlantic-city迄 行く事に決定・この時に私が彼等に提案した事それはなるべく多くの人達の目が行き届く中での移動手段。タクシーに乗り決めた場所へ直行 其処はグレイハウンド乗り場。グレイハウンドは深夜バスで中産階級以下の人達が多く利用する。チケットを17ドルで購入(安!)其処でPaw達と別れなければならない。すると傍で我々の会話を聞いていた黒人女性リリーが声を掛けて来た。「私リリーよ・心配しないで終点まで彼女(私の事)は守るから」と。聞けば緊急オペで二日間ぶっ通しで病院の仕事を終えご褒美に二日間休暇を貰ったからアトランタのカジノ迄 遊びに行くとの事。荷物は此処へ座席はコッチ持ってるならルームシューズに履き替えろと。 NYからAtlantic迄3時間位らしいが運転手次第で2時間にもなる事も?残念ながらリリーの写真は無い・やはり恐怖の方が大きかったのかも。終点までノンストップだから一切心配無し(事故だけは怖いが)Paw達にお礼を述べてバスに乗ったのが夜11時45分 乗客の8割が黒人。案の定 ハイウェイは真っ暗闇。時計を見る事も出来ない。バスの中も真っ暗で一番後ろのトイレに行くには2-3人の足を踏む!通路に寝てる人間が一杯居るのだ!わーお!ルームシューズに履き替えろと言ったのはこの事だと実感 アウチ!ソリ~!この言葉が15分位間隔でやり取りされながら・・バスは走る 暗闇の中・・時々 抜ける料金所の辺りの照明で素早く時間を確認・・そしてAtlantic到着は午前3時10分。リリーにお礼を言いタクシー乗り場に。Atlanticはカジノの街で24時間フルタイムでタクシーは走っている。ひょいと見たらタクシー専門パトロールカー在り。ホッとした。警官に聞くと「カジノで儲けた人を狙う運転手がタマに居るからね」と。イエローキャブをパトカーの前で拾う。シェラトン迄と言ったらはい・奥様 でもアレ見て下さいと指をかざす・ん?と見ればホテル!然し3-4ブロックは離れている。私は大きな旅行鞄二つの身。良いから運んでと頼むのをパトカーのポリスマンに目視させ乗り込んで2分 ホテル到着。流石にベルボーイも居ない・仕方が無いのでチップ余分に渡して運ちゃんに荷物をホテル内に運んで貰った。フロントで予約番号を伝えようとした途端・フロントにバラバラっと人が集まり お神輿ワッショイ状態!?え?何これ?予約番号を伝えようとしても聞かない・ささ~どうぞ!と案内されたのは16階の部屋は~辿り着いたぁ・午前3時半だった。実はフロントに夫から「着いたか?」と3度も電話が掛かって居て心配してた!バスタブにお湯をと蛇口をひねり真っ先にMr.Pawに連絡。感謝の意を伝えこれから日本に電話すると言ったらPawは吃驚して「先に僕に連絡したの?」「当たり前でしょ?貴方達が居なかったら無事に此処まで来れなかったから」彼曰く「だから日本人が好きだ。自分の彼女が日本人なのを誇りに思う」と。さぁ 次は主人に「今 着きました。心配かけてゴメンネ」・・・電話の向こう側で主人が半分嗚咽混じりに「俺 どれだけ心配したか・・」神も仏も信じない夫が私の亡き母の写真の前で3時間以上「守って下さい」と祈り続けたと聞き 我に返った私・・心底 有り難いと思いました。彼は一番危険な頃のNYを知っていたから・私も安堵感から涙が溢れた。入浴後3時間だけ爆睡してパカッと目覚めた。あ~ 無事だったと実感。ロビーで友人達「何時に着いたの?」と聞かれる。「今朝3時半よ」と。訳を話したら「良く 今 笑って居られるわねッ!」と吃驚仰天された。「だって過ぎた事だから」「貴女には神様が付いていらしたのよ!」皆に聞かれてルーム#を言うと冗談言うな此処は15階までだ!え?16階はシェラトンメンバー専用フロアー!道理でエレベーター使用時はカードキーを差し込むように言われたっけ。。ホテルも超特別待遇で接してくれた。感謝で一杯でした 友人の弁護士が言いました。「なるべく多くの目の中を行動したのは賢い先週も正直で有名な運転手が乗客を撃ってしまった事件があった」と!ソレがアメリカの銃社会の現実なんです。心しましょうね 皆様
March 1, 2008
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過去14回の渡米をしている私ですが一番怖かった旅を書いて置きます。まだ此のブログを始める前の体験で良くぞ頑張ったと今でも思うそれは2005年の事・出発前に色々雑用がドカンと溜まり旅行鞄に荷物を詰め込んだのは出発6時間前・既に10回以上の渡米経験があったので取り立てて慌てる必要も無く出国しました。雲海を飛んで居る最中 機内アナウンス有り・・・「機内にドクターは搭乗して居ませんか?」私の前の席の人が挙手をし治療に当たりました。患者は胃潰瘍で機内で吐血・応急処置をした後に患者を降ろす事が決まり アラスカに緊急着陸。患者の家族と荷物を降ろし2時間後に飛び立ちました。 夜明けのアラスカ空港です未だこの時点で私は行く手に困難が待って居るとは気付かず・・トランジットを経てニューアーク空港へ予定より3時間遅れで到着。さぁ 荷物も受け取った・シャトルサービスカウンターへ・・「シェラトンアトランティックシャトルサービス プリーズ♪」え?っと怪訝な顔をされ・何?(未だ私は気が付いていなかった)今迄そんな馬鹿な事は只の一度も無かった!旅行会社に手落ち着くべき空港はフィラデルフィアだったとは!空港の係員は私に「アムトラックに乗る様に」と勧めた。今なら8時21分の列車に間に合うと・・ちらりとタクシーを使おうかと言う気持ちがよぎった。然しUSAのHigh Wayは日本と違って街路灯等無い。真っ暗闇の中で突然 手を上げろ!となれば独り旅の私は一たまりも無い。これは英語が話せるとかソンナ簡単な問題じゃ無い係員の指示通りに一先ずアムトラック(列車)のチケットを購入32ドルだった。プラットホームで暫く待つ事となる。。。が・・予定の時間に列車は来ない(時刻表通りに列車が来るのは日本だけ)その時 神様が私を助けて下さった!ニューアークの見知らぬ街で思いがけない出逢いが在った!中央ミスター ポウ氏(台湾人)と その彼女と友人(日本人)この時三人に出会わなければ私は今 生きていたかどうか判らない。 Mr.Pawと彼の彼女とその友人 NYーCityは既に夜ミスターポウは私の英語を聞いてアムトラックの切符を見つめ憤慨「貴女は騙されている・32ドルだなんて!僕らが取り返してあげる」彼のお陰で28ドル戻ってきた。係員は謝罪して切符を一枚呉れた。え?たったの7ドル切符? ポウ氏はシェラトンホテルにも連絡し私の予約ナンバーをフロントに伝えニューアークまでは送迎をしていない事を確認し一番良い方法を考えようと言ってくれた。そこで日本に連絡。主人はホテルに着いたと思い「ルームナンバーは?」「今 ニューアーク 心配しないで・絶対にホテル迄辿り着くから」「なッ・何だってぇ~!」明日につづく・・
February 29, 2008
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