G4 (青) 【社交的な、紳士然】


日常編 (青) 【社交的な、紳士然】


___01

「ないですねー、どこにも」
「もっと手を動かしてくれ。俺の半分しか動いてないだろう」
ドライ詰め所中の書類を忙しなく掻き集めては移動させ、あちこちに紙の山を作り続ける。
ナーバスがちな俺は、やる気のない不破犬君を叱責せずにはいられなかった。
とは言え今回の件。不破は無関係であり落ち度もない。
とある1枚の名刺を探しているのは俺で、必要としているのも俺だ。そして紛失させてしまったのも俺。
つまりすべて己の所為なのだから不破に当たるのは八つ当たりというもので、それは重々承知なのだが、何分猫の手も借りたい緊急事態。
借りてきた猫……いや、わんこ? はちっとも動こうとしなかったので、つい悪態をつきたくなってしまうのだった。許せ、不破。
「おかしいな……どこへ行ったんだ? これだけ探しても見付からないなんて、そんな馬鹿な……」
隣りで不破は、くぁと大きな欠伸。すかさず俺は、その後頭部をはたく。
「痛いじゃないですか、チーフ」
「ハエがいたんだ、感謝しろ」
「青柳? 私服で何やってんだ」
背後から声を掛けられ振り返れば、カッターシャツ姿の麻生さんが立っていた。
「あ、急用で、ちょっと」
ふぅんと短い返答をした麻生さんは、特に急いでいるようでもない。
ふと、彼が小脇に抱えたユナイソンのロゴ入り黒封筒が視界に入った。
そう言えば、事務所に掲げられている出勤ボードの麻生さんの欄。
日付までは覚えていないが、今週のどこかで『本部』と書かれていた気もする。今日がその日だったのだろうか。
「お帰りなさい、麻生さん。鬼無里三姉妹には会いました?」
どうやら不破は今日だと知っていたようだ。
「あぁ、三女にな。お茶を淹れて貰った」
やはり本部帰りだったようだ。その麻生さんが俺を見つめる。
「取り込み中だったか?」
「青柳チーフが名刺を失くしてしまって、てんやわんやなんです」
やれやれと大仰に溜息をついてみせる不肖の部下の頭に、俺はもう1度軽い鉄槌を食らわせる。
「痛いですってば」
「ハチが止まってた」
「なぁ、分からないなら代表番号に電話すればいいんじゃないか?」
「急を要するので、できれば担当者本人の方が……」
引き続き手を動かしながら俺は答える。
「担当者? 誰なんだ?」
「新見さんです」
名前を告げたところで麻生さんからすれば「誰だそれ?」とハテナに違いない。俺は「美日(びび)の」と付け加えた。
コーヒーをメインに事業展開を図った『美日カンパニー(BBC)』は食事の時間帯にCMを打つことが多いため、国民の認知度は高い。
当然麻生さんもご存知で、「BBCか」と呟いた。
「新見さんは苦手です」
滅多に人の評価など口にしない不破が、珍しくぽそりと呟いた。麻生さんもそんな不破が意外だったようで、「へぇ?」と目を丸くする。
「強引なんですよ」
取引の手腕が、と不破は嘆いた。不破には何度か新見さんとやり取りをして貰っている。相当やりにくい相手だったのだろう。
まぁ、新見さんに苦手意識を持っているのは不破だけじゃない。かくいう俺も同じだった。
必死に名刺を探しているのは、新見さんがBBC経由の連絡を嫌がるタイプだからだ。
『用があれば自分宛てにかけてください』
過去にそんなお達しがあったので、同じ轍を踏むまいと誓い、いま現在足掻いている最中の俺である。
「それは大変だな」
麻生さんは同情してくれているが、スーツの内ポケットからスマートフォンを取り出して操作を始めてしまった。
そうだ、麻生さんにだって仕事がある。このまま引き留めてしまっては申し訳ない。
スマートフォンの画面に視線を落とし、指を動かす麻生さんをそっとしておく。
相変わらず俺の半分以下の動作で動く不破と二人三脚で再び名刺を捜していると、
「麻生、なんの用だ」
柾さんが部屋に入って来た。


___02

どうやら麻生さんが柾さんを呼んだらしい。
さきほどのスマートフォン操作がそれだったのかと思い至ったが、召喚理由が分からない。
私服姿の俺を見て不思議に思ったのだろう。柾さんは「今日は休みなのか?」と俺に尋ねる。
「午後からなんですよ。千早事務長に見付かったらアウトです」
「BBCの新見さんと連絡を取りたいのに、肝心の名刺を失くしちまったんだと」
俺と不破があちこち移動する中、麻生さんが簡潔にまとめ、柾さんに説明してくれた。
尊敬する2人の先輩に己の失態を晒すことほど恥ずかしい失態はない。こんなミスは金輪際しないと心に誓う。
「新見さんか……厄介だな」と柾さんが腕を組み、ひとこと。俺は「そうなんですよ」と生返事。
……いやいや、今の柾さんの言葉をスルーすべきじゃない! 待て待て、柾さんは新見さんを知ってるのか???
「言われた通り、持って来たぞ」
まさかこれも麻生さんの指示だったのだろうか。柾さんは名刺フォルダを携えてきており、その中から1枚の名刺を取り出してみせる。
さながら、意地悪く堰き止めていた8や6を、『今だ!』とばかりに差し出す『七並べ』のように。
「美日カンパニー営業部営業三課・新見清子……って、これ! 何で柾さんが!? すごい人脈ですね!?」
「人脈、ね。まぁ、あながち間違っちゃいないか……」
完全に呆れ返った声で麻生さん。
「失敬だな、麻生は。人脈以外のなにものでもないだろう」
そう言いつつ、柾さんはふふんと笑っている。不破は柾さんの分厚い名刺入れを“失敬”して、順繰りに捲っていた。
「……うわー。なんですか、この女性だらけの名刺……」
「『女性だらけ』じゃなく『女性専用ホルダー』な、不破。背表紙見てみろよ。No.3って書いてあるだろ」
「100枚用って書いてありますよ。しかも全部埋まってるじゃないですか」
「ちなみに男性版は1冊だけときた」
「……麻生、お前はそれ以上何も言うな」
世の中には、知らなくていい事もある。
男性の名刺は捨てているのか? とか、女性の名刺ホルダーは現在Vol.いくつまであるのか? ――などということは。


___03

かくして柾さんのお陰で新見さんとの商談に漕ぎ着けたわけだが、しかし彼女は俺からの連絡を大層不思議がっていた。
「前回の商談の時に紙類がなくてさ、青柳くんが持ってた私の名刺しかなくて、裏側に原価とかメモしちゃったじゃない?
その名刺さ、ほら、そのまま私が持って帰ってしまったから、連絡先分かんなかったでしょ。それなのによく分かったねぇ」
そう……だったか? しくった、完全に失念していた。 
名刺は彼女の手に戻されていたのか。道理でどこをどれだけ探しても見付からなかったわけだ。
「実は、柾さんに伺った次第で……」
「え? あぁ、彼もいまネオナゴヤなんだっけ。なるほど、納得だわ」
……怖くてどちらにも訊けやしない。
片やコーヒーをメインに扱う会社の新見さん。もう片方はコスメ売場の柾さん。接点などないではないか。
いったい、いつ、どんな経緯で彼女の名刺を柾さんは得たのだろう?
いやしかし、世の中には知らなくていい事もある。これもまたグレーのままにしておいた方がいいのだろう。
かなり気にはなったものの、新見さんの気分を損なわずに済み、胸を撫で下ろす俺だった。


2013.10.23
2026.05.12


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