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こんばんは。このたびのことでは、皆さんにお心をお掛け頂き、とても嬉しかったです。本当に有難うございました。もう、あまり考えないようにしていこうと思います。さて、嫌な事があれば良いこともアル。先日もとの職場で写真を撮りました。私の元の職場はホテルの美容室です。本当は恥ずかしくて写真を撮るのいやだったんですが。。。相方に私が事あるごとに「式もしてないし、旅行も行ってない、写真も撮ってないやん」と言うので相方が「写真くらいいつでも撮るでぇ~」「いつでも、っていつ?」「いつでもはいつでもやん」とコレは毎回の会話以前から決まっていたんですが、元の職場の店長が3月で辞められます。ご主人と故郷の佐賀県に帰られるんです。どうせ撮るなら元の職場で撮るし、店長にメイクしてもらいたい。辞められるまでに写真を撮らないと!ということで、2月2日私の誕生日に写真をとることになりました。誕生日に、というのは偶然でみなの都合をあわせると2日になったのです。でも、よい記念になりました。それまでに、衣装を合わせないといけないのです。前はホテルに衣装部があったのですが、なくなってしまい安いプランの衣装合わせは美容室と写真室ですることになっていました。合わせに行った日、みんな忙しそうで衣装合わせどころじゃない。私は母がディの日にいったから、母が帰るまでに家に帰らないといけないのです。仕方ないので自分であわせることにしました。勝手しったる我が職場、自分でこれかな~というドレス4点を選びうんしょうんしょ、と運んで「あ、パニエ忘れた!」パニエはドレスを膨らませるためにドレスの下に履くものです。1人でドレスにパニエを入れて、着てみて鏡の前に立ってみて・・・でも、後ろは止められない、開いたまま・・・またパニエを入れて着てみて・・・2点選んで後は当日 皆に見てもらうことにして帰りました。あのドレスが着られないと、次はFサイズ、つまりフリーサイズですね。フリーサイズのドレスも何点かあって、どれもとっても綺麗なドレスです。でも、高砂(出来ちゃった婚)が大半だったから人が着てるのを散々見たドレスばかり、出来ればFサイズじゃないのを着たい。後ろを止められなかった分、心配で仕方ない。毎日チョビの散歩の時はクリクリと腰をひねりながら散歩。長めのジャケットで良かった。家事をしながらタヒチアンダンスを見よう見まねでやりました。顔は以前紹介した「アミノ酸パック」2週間に一回でよいものを二日続けて自分で施術したけど・・・マッサージもしたけど・・・お正月からずっと瞼が荒れて腫れてたんです。でも、精一杯頑張ったし、後は店長にお願いすることにして・・・店長ゴメンなさい。ドレスもなんとか着られてホッ。よかった~相方は当日決めました。写真室の方が(写真室は男性の衣装合わせ)「やっぱり年齢的に黒でしょう」と言うのに私が「黒は、お父さん、って言う感じですやんグレーは?」「グレーは若い人の色です」「そうですか~ほんならベージュは?」「ベージュも若い人の色やね」「白は?」「白も若い人やし、今は寒いから白はちょっと・・・」「ええ~い、白!白にします!!」メイクとセットは店長があらゆる引き出しから持てる限りの技術を出してくださり、かさかさの乾燥肌もなんとか見られるようになりました。当日は娘達も振袖を着て母も一緒の家族写真も撮りました。で、二人写しの写真がコレ。。。恥ずかしいけど載せます~但し顔は・・・ごめんなさいです~。
2008.02.14
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こんにちは、今日こちらは雪が降っています。珍しく積もっています。ベタベタの雪だから解けると思いますが、その後凍るかもしれません。寒いです~友達の家に行く約束でしたが、キャンセルしました。友達の家、高台にあるから・・・坂ばっかりで危ないです。雪に慣れてないしね。先日の息子の件ですが、あれから義母から電話がありました。話は、亡夫の法事の事。今年は十七回忌にあたります。命日は8月だけど、息子が春に彼女を連れて帰ってくるので春にする、という話でした。話をしてる間に、ガマンできなくてぶちまけてしまった。なぜ義弟夫婦がわざわざ会いに行ったのか?と。義母は全く気にしていなかったようで、驚いていました。何回か電話で話しをし、私が怒っている理由を理解してくれたようです。もちろん、勝手に会いに行くという常識はずれな事は話をしてすぐに理解していたようですが、私のこだわりが強い理由が解らなかったみたいです。それから、時々内緒で援助していたと打ち明けられました。時々義母が「私から○ちゃんに言うときますから、ちゃんとお母さんに言わなあかんって」なんか変?なんかおかしい??と思っていたんです。お金を出してるから、親がしないから助けている、と思っていたようです。だから、勝手な事してもかまわないと・・・私が何故 ここまで怒っているのか。私もじっくり考えました。普通怒るけどね、亡夫は付き合ってすぐに、義母と私を引き合わせていたんです。その時のことを今でも鮮明に覚えています。義母が着ていた服装、亡夫の実家の最寄の駅前で挨拶だけしたこと、「お母(おかぁ)にだけは先におうて(会って)ほしいねん」という亡夫の言葉。そんな時が自分にも来ると思っていたんです。それなら、何が何でも義弟夫婦に話して阻止すればよかったのにね。義母は義弟夫婦は周りの事を考えずに行動するから自分達もしんどい義父が気を使うそうです、世話になってるって義父は、一緒に暮していた時 事あるごとに「食わしてやってる!、働いてやってる!、ワシの家や!」しょっちゅう言われました。孫には言わない、私にだけ。義弟はそんな事は言わないと思うけど、気に入らないと怒るそうです。「してやってるのに、気に入らんのか・・・」義母に「親子なんやから、イヤやったら言わはったら」と言うと「ええねん、流すの慣れてるから、オムツしてぎゃーぎゃー泣いてたくせにって思うから」なんか可哀想になってしまいました。結局私が怒っていたのは義母に対して一番怒っていたのかも・・・20年という時間を共に過ごしたのに私が母親なのに、義母は止めてくれるのでは、と。私が甘えていたんですね。娘が「おばあちゃんは、おっちゃんとおばちゃんに気を使ってるのにそんなことを言わすのはかわいそうや!お母さんのことは、同士やと思ってはる。言いたかったら自分で言えばええやんか!」そう、正にそのとおり。でも、話をするのイヤなんです。まだ、感情的になるしね。私がプリプリ怒っている時、相方が「貰てきたで~」と節分のお豆を出しました。相方のお兄さんは宗教家で毎年信者さんにお豆を配ります。今年は2袋貰ってきてくれました。豆と一緒に飴やゼリー、そして見えないように裏を向けた栞がはいっています。そこには兄が手書きで書いた言葉がかかれています。誰に何が行くか、全く解らない、貰った人のためになる言葉が書かれているそうです。去年は「今を楽しむ」でした!娘や相方は「すべてに全力で」とか「人の立場を考える」「すべてに根気よく」だったのにぃ~楽しめばエエんや~いっひっひ~で、今年は というと、相方は先に取って「一つをやり抜く」でした。私は・・・「忠告は素直に」・・・なんてタイムリー、正に今その時ですわ~もう、怒るのはやめます。忠告は聞こう!でも、お兄さん、こわい・・・今のところ法事は欠席しようと考えています。忠告は(娘)「お母さんが悪者になるで」もひとつ(相方)「行きたくなかったら行かんでええやん、旦那さんの供養はこっちでしたらええ」悪者になるのも、ちょっとイヤやけど、会いたくないなぁ感情的になるのもイヤ、逃げてるのかもしれませんが、法事の席でもめるのはいやです。まだ時間はあるから考えます。肝心なことを書き忘れていました。義母は今後援助をしない事。義弟夫婦が何かしようとしたら、止める、そして私に相談する事を約束してくれました。守ってくれることを信じたいと思います。
2008.02.09
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