善妙と義湘


朝鮮半島の新羅の国から、ひとりの優秀な修行僧が、唐の国に留学して、修行を積んでいました。
その修行僧に一目惚れした、高貴な身分の女性が、勇気を出して、
『私はあなたを、愛しています。』と告白しますが、その修行僧は、
『私は仏に仕える僧侶です。しかも留学中で、女性を愛することは出来ないのです。』と、丁寧に断ります。
そこで、その女性は、『私に出来る限りのことをさせて下さい。』と言って、修行僧が唐の国に滞在中、経済的な援助を十二分にするのです。

やがて時を経て、その修行僧はその女性に別れを告げずに、新羅に帰って行きます。
それを知った彼女は、大切な経典や仏具を持って、港まで追いかけて行くのですが、港に就いたら、すでに修行僧の乗った船は、沖合まで出て行ってしまっています。
そこで、その女性は嘆き哀しんで、持ってきた大切な経典や仏具は海に投げ捨て、海の中に身を投げて、空飛ぶ龍になって、その修行僧が乗っている船を背にして、安全に新羅の国まで送り届けるのです。




この一連のお話の場面場面を、絵巻物に描かれたのが、鎌倉時代の絵巻物、『華厳縁起』です。その絵巻物は素晴らしい芸術の世界を、産み出しているのです。そこには、絵画の世界と文学の世界がほんとにダイナミックに描かれていて、まるで登場人物や龍が、生きて動いているようにみえるのです。これは鎌倉時代の日本人の創作物語で、実話ではありません。いかにも万国共通の女性の恋愛感情を、表わしているように思われます。




話は変わって、琵琶湖周辺の地方には、古くから琵琶湖にまつわる多くの興味深い民話が、語り継がれてきました。そのうちのひとつが、琵琶湖に棲む龍王の娘の恩返しの民話です――――




むかし、子どもにいじめられていた蛇を助けた若い漁師に、その夜、若く美しい女が訪ねてきました。その女は実は、恩返しにと人間に姿を変えた琵琶湖に住む龍王の娘だったのです。やがて二人は夫婦になり、赤ん坊も産まれました。ところが、龍王の娘であることの秘密が夫に知られ、止む無く湖に帰った女は、母親のお乳を求めて泣くひもじい赤ん坊に、自分の右眼を刳り抜いて、お乳だといってなめさせ、その右眼のお乳が無くなると、今度は左眼を刳り抜いて、お乳としてなめさせるのです。
こうして両眼を失って、盲目となった龍女は、子どもと夫の無事を知るために、毎夕、三井寺の鐘を撞いてください、と夫に頼んだという物語です。
この種の民話は日本各地にあり、海岸地方では龍女が『浦島伝説』になり、田園地帯では『羽衣伝説』になって、『鶴の恩返し』となるのです。この物語を絵にした三橋節子の絵、『三井の晩鐘』は、癌に侵された右腕を離断後もなお、迫りくる死の予感と戦いながら、節子は自分の心象を、この龍王の女の思いに託して描いたのだろう、と解説されています(『三橋節子画集』より)。




この、なんの脈絡もない二つの物語。一方は鎌倉時代の絵巻物、『華厳縁起』。そしてもう一方は三橋節子の『三井の晩鐘』。この二つの絵画と物語を、ほぼ同じ時期にテレビで観たものですから、私の頭の記憶の中で、ごちゃまぜになってしまっていたのです。それが今日、すっきりした、というわけです。


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