鳰(にお)の巣 ~ 楽天湖

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駄文



記憶と記録 (/07 22:48)

子供の頃から、消えてゆくモノに異常なほど執着してきた。
いい事でも悪い事でも、何かあった後はよく
何時何分の事なのかが気になって、電話で時報を聞いてたり
前を歩く人がどこで曲がるのか、自分が曲がる所に来ても
曲がれず、小さくなってく見知らぬ人の背中をずっと見てたり
用の済んだメモや、そもそも用のないラクガキも捨てれない。

記録しておこうと思った事が、記録してない内に
記憶から消えていくのが許せない。
日記が長くなる、とりあえずで飛ばし書きすしとくと
後で大抵、間がちゃんと埋められない。
数日前の事がもう、ハッキリと思い出せない。

これはどの日の出来事だっけ、この日はまだ何かなかったっけ
この出来事とこの出来事は、どっちが先にあったっけ
出来事自体の記録で手一杯で、感想や意見入れる余裕がない。

覚えておく必要も、ましてや記録しておく必要もない事は
スパっと切り捨てて、感想や意見をもっと書きたいのに
出来事を記録したい欲求に負ける。しかもそれも出来てない。
日記を始めると、ダレて来た頃に大抵こういう悔しい展開。

今日の午後は何をしてたっけ。真珠婦人は観たけど。
他が思い出せない。多分、ネット上を徘徊してたと思うが。

日記をつけてて、もうひとつ再確認してしまう悔しい事が
何をしてたか、当日なのに思い出せない時間が多すぎる。
何をした、と言う程の事のない時間が、かなりあるんだな。

家にいると駄目だな。なんとなくでネットしてる。
日記をつける以外、最近意味のある事をしていないみたい。

それでも得られる物は、色んな人との出会いと交流。
ただの思い出になってしまうのか、人生の財産になるのか。
それは、もう数10年経ってみないと判らないね。

小さい頃に引っ越したせいか、自分だけが覚えてなくちゃ
過ごした時間が、何も残らず消えちゃうんだって
そういう感覚があるんだと思う。記録に執着するのは。

詳細な日時や細かい内容を、忘れていくのは仕方ないから
ずっと後に同じ思い出を語れる人が、たくさんいて欲しいな。
大勢が、少しずつ残ってる記憶を持ち寄れば
記録なんかきっと、大して要らないモンなんだと思う。


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