不登校・ひきこもり・ニートを考える

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餓鬼(がき)と依存症


2008.10.30 Thursday 周辺事態 10:14 comments(0) trackbacks(0) by 巨椋修(おぐらおさむ)
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『餓鬼(がき)』という言葉をご存知でしょうか?

ここでいう『餓鬼』とは、いわゆるオコチャマのことではございません。仏教用語としての『餓鬼』でございます。


仏教における餓鬼とは【生前の悪業の報いで、餓鬼道に落ちた亡者(もうじや)。体はやせ細り、のどは針のように細く、また、手にとった食物が火に変わってしまうため常に飢えに苦しんでいるとされる】

餓鬼道とは【飲食が自由にならず、飢えに苦しむ世界】


いまの時代、生きながら『餓鬼』になり『餓鬼道』に堕ちて苦しんでいる人たちがいます。


それは、依存症という病(やまい)です。


依存症の対象は、アルコール、薬物、食べ物、買い物、ギャンブル、仕事、SEXと、なんでも構わないといわれています。

最初は、何でもないことからはじまります。

一杯のアルコールが気持ちよかった……

やけ食いしたら、つらいことが忘れられた……

そんなことが最初で、これ事態は誰にでもあることです。

そのうち、一杯が二杯に、夜だけだったのが、昼間にも朝にも……となってきます。

やがて、最初に感じていた気持ちの良さもなくなり、苦しく気分が悪くなっても、止められなくなってしまいます。

自分だけではなく周囲にも迷惑をかけるようになってきます。

これが『依存症』です。

『餓鬼』は食べようとしても食べられず、あるいは食べても食べても飢えの苦しみから逃れれられないそうです。


依存症者は、何に飢えているのでしょうか?

何に飢えて鬼のようになっているのでしょうか?



それは【母の愛】です。



乳児は、100%母親に依存して生きています。

乳幼児のときに、母親を求め、それが十分に受け入れられていれば、

「母はわたしを愛している」

と、実感でき、また

「わたしは愛されて当然、人に受け入れられて当然」

と、情緒の安定した大人に育つことができます。

成長しているとき、周囲の人が、その人を愛さなかったとしても

「あの人は変」

で、終わってしまいます。


一方、母に受け入れられずに育った場合……、あるいは受け入れられていないと感じて育ってしまうと、赤ちゃんや子どもは、生き残るために母に愛やおっぱいを「ねだって、ねだって」要求を続けなければならなくなります。

やがて、母親がそのことに気が付いて後になっても、過去から学習していますから、この母親は、このおっぱいは、いつまたなくなるか不安でしかたなくなります。

そうなってから、母の愛を貰っても、あるいはふんだんにおっぱいを貰っても『餓鬼道』に堕ちた『餓鬼』のごとく、貰っても貰っても満足するということはできなくなります。

いくら貰っても、満足できませんから、やがてその心は、怒りにたぎるようになり、満足させてくれなかった親、特に母親に、暴力としてむかうようになります。

母親にむかえない場合、その怒りは、結婚後の妻に暴力として爆発したり、場合よっては、リストカットなどの自傷行為で自分にむかったりすることもあります。


しかし『餓鬼道』に堕ちている状態ですから、何度怒りを爆発させても、それでおさまるということがありません。


依存症患者が、体に悪い、周囲に迷惑をかけていると知っていながら、やめることができないように、同じ過ちを繰り返してしまいます。

彼らは、

「自分が母親に受け入れられなかった」

と思っているわけで、さらに

「そんな自分は、生きている価値なんかない」

と、思っているわけで、大変自己否定感、自己評価が低いのです。

ですから、彼らが【餓鬼道】から救われるためには、自己肯定感を高め、自己評価を高める必要があります。


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