普通ってすばらしい!!

普通ってすばらしい!!

光の射す方へ 中編


「めずらしいな」
和矢が笑う。
「ああ・・・。思いのほか学会がおもしろくてね」
シャルルは透明だけれども、10代のあのときよりも幾分低くなった声。
少女と見紛う愛らしさも影を潜め、美しさそのままに、スーツを着ていても
逞しくなった、とわかる男性らしさを感じた。
つい、
『前から魅力的だったけど、輪をかけてステキになったわねぇ』
と言いそうになった。
あたしはそんな感情をシャルルに気付かれまいと、きわめて元気に言う。
「久しぶりね。シャルル、元気でやってる?」
青灰色の物憂げな瞳で、あたし達を見るシャルルに極上の笑顔を見せた。
「まあ・・ね」
え・・・?
会話を遮る不自然な感覚。あたしは拒否はされていないけど、歓迎も
されていないことを直感した。
「そう・・・」
あたしも会話を続けることができない。
だって、この5年間のシャルルをあたしは全く知らないもの。
話をしたくないと思っている相手に話しかけるって、ホント難しい。
ましてやシャルルを相手に何を話していいか、見当もつかない。

シャルルの知っている以前のあたしなら、シャルルの背中をバンバン
叩いて「ガッハッハ」とか笑いながら食事をしていただろう。
でも、もうそんなマリナはいないし、シャルルの前ではできない。
何故?何のために今日会うことになっちゃったのかしら。



オードブルが運ばれてきた。
フレッシュオマール海老とフルーツのサラダ柑橘風味のドレッシングと
フレッシュフォアグラのソテー 赤米添え。
見事な盛り合わせにあたしは目が釘付けになり、手がフォークを握り
しめようとしたときだった。
不意に和矢があたしの手を取り、指先にキスをした。
そして3年前まではそれが普通だった情熱的で優しい眼差しをあたしに
向けた。
な、何なの?何で今更そんな目であたしを見るの?
あまりにも突然の出来事で、真っ赤になっているあたしを見て、和矢は
クスっ、と笑って、シャルルに向き直って言った。
「シャルル、俺達結婚するんだ」
へ?結婚???あたし達が?????
「な、なに突然言い出すのよ!」
あたしは思い余って、椅子を倒して立ち上がった。
「こういうことは早く言っておいた方がいいだろ?」
和矢はあたしの手を取ったまま、ウインクをした。
「そうか・・・それはおめでとう、お幸せに」
祝福とは言いがたい冷ややかな声でシャルルは言う。
バカップルの相手なんかしてられない、という態度でもある。
「サンキュ」
和矢が短く答えた。

あたしは胸が痛んだ。チクってする痛みじゃない。もっともっと深い、
ナイフで切られたような痛み。シャルルは和矢の嘘を本気と取っている
ようだった。
あたしはいたたまれなくなって下を向いて座った。

それからは何を話したのかよくわからない。
ただ、『和矢と付き合っている』という嘘をつきたくなかった。
胸の痛みは人を・・・シャルルを騙すことへの罪悪感なのだと思った。

その後は、もうどうしていいのかわからず、適当にしゃべった。
まだ「売れる」とは言いがたいけど、なんとか漫画で生活している
こととか、ボロアパートがついに雨漏りするようになったこと。
あ、身長が伸びたことや少し痩せたことも話したっけ。
全部和矢に関係ないことばかり。でもあたしがしゃべると、和矢が
もっともな調子で相槌を打つ。内心それがガマンできなくなってきた頃に、
シャルルが言った。

「のろけは他でやってくれ」

あたしはその場で固まった。


さっきはナイフで切られた痛みだったけれど、今度は更にえぐられた痛み。
すぐには返せない。思考が定まらない・・・。
あたしを拒否している・・・?だって。あたしの口から和矢の話題なんて
ひとつも出してない。
思考と体はフリーズ状態だったのに、目からは涙が零れ落ちた。
どうしちゃったの?あたし。
「「マリナ?」」
和矢の声とシャルルの硬質で冷たい声がユニゾンで耳に届く。
でも。返事ができない。

もうすぐデザートの3種盛りとコーヒーが運ばれてくるけど、
この重たい空気の中にいられない。辛くてまともにシャルルの顔が
見られない。
「ごめん、あたし用事を思い出しちゃった。もう時間なの、失礼するわ。
シャルル、今日は会えてよかった。元気でね、幸せになるのよ。じゃあ、
和矢も・・・またね」
シャルルに気付かれないように和矢を睨み、あたしは逃げるように
レストランを飛び出した。



履きなれないハイヒールだったけど、走って走って、走って、転んだ。
1着しか持っていないドレスが、泥だらけになって、少し破れた。
でもそんなことは全く気にならなかった。
シャルルの冷たく鋭い無機質な視線や言葉、態度の方が心に深く刺さって
いた。
起き上がり、路上に座った。
「痛いよぉ・・・」
また、涙が溢れてきた。
通り過ぎる人たちが皆幸せそうに見えて、今一人でいる自分が辛い。
喧騒の中にいるからか、孤独が一層身に沁みる。

シャルルはいつもこんな孤独を感じていたの?
今、ちゃんと幸せなの?
あんたを心から癒してくれた女性はいた?
何気ない想像がまたあたしの胸を締め付ける。

あたしの知らないシャルルの5年間が気になって仕方がない。
今日、あたしのことをどう思ったのか、それもとても気になる。
・・・あたし、シャルルのことが好きだったんだわ。
和矢とのことを勘違いされたことがショックで、騙すことが後ろめたくて。
どうして気がつかなかったんだろう。胸の痛みはいつもあったのに。
テレビに映った彼を、一瞬で確信するくらい鮮やかに覚えているのに。

「ふぇぇ・・・ん・・・」

もう、声を押し殺して泣くのは限界だった。










そんな時、自分の前に誰かが立ち止った。
都会のど真ん中だもの。知り合いの一人は歩いているかもしれない。
・・・こんな時には誰にも会いたくないのに。
「全く世話の焼ける」
絶え間なくクラクションが鳴っているのに、高潔で透明な声だけが
あたしの耳に浮き立って響く・・・シャルル?!
体が堅くなる。顔が上げられない。
「泣くぐらいなら、なぜ断わらない」
「・・・」
あんたに会いたかったのよ、とも言えず、あたしは黙って
下を向き続けた。
「ほら」
シャルルがため息交じりに片膝をつき、あたしに手を差し伸べた。
シャルルの手を取るべきか、胸の前で戸惑っている手をシャルルは
強引につかむ。
「立てるか?」
思いのほか、優しい声に驚いて顔を上げる。
「なんて顔しているんだ」
顔も、さっきの冷酷さとは打って変わった緩んだ表情。
シャルルに手をつかまれて・・・鼓動がどんどん早くなっていく。
「カズヤに聞いた」
「え?」
「君たちの事。まさかと思ったよ」
「ごめんなさい・・・」
「どうしてこうなったのか、君の口から聞きたい」
「・・・そうね。小菅のこともあるし、あたしにはシャルルに伝える
義務があるわね」
あたしは3年前のことを話そうとした。
「後からでいい」
「え?」
「今はマリナ、君の手当てが先だ」
心の痛みで感じていなかったけれど、ストッキングは破れ、膝や肘には
血が滲んでいた。靴のヒールも折れていて、どれだけひどく転倒した
のかを物語っていた。
「オレの部屋に行こう。処置してやる」
シャルルはいとも簡単にあたしを抱き上げ、流しのタクシ-を止める。
運転手に日本最高級のホテルの名を告げた。
タクシーの中でもずっとシャルルの膝の上に抱きとめられ、逞しく
なったシャルルの胸の感触や、額や頬にかかる彼の呼吸、鼻空を
くすぐる彼らしい香水のラストノートに心臓が耐えられず、息が
止まりそうになる。

そしてそのまま意識を手放してしまった。








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思いのほか、長くなっちゃったので中編です。
シャルル、無口ですね・・・。
この年齢のシャルルは鑑定医なんですよね。
だからこんな感じ?

シャルルはマリナと和矢の恋を絶対と思っているから、
きっと疑わないんじゃないのかな?なんて思うけど・・・
だって
「たとえ太陽が西から昇ってもオレに間違いはない」
から。
でもいつもいつも心の中にいるから、違和感があれば
すぐに確かめる気もする・・・。

IQ269恐るべし。
天才の考えていることはわかりません



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