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2006.11.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
http://www.osho.com/Main.cfm?Area=Magazine&Language=Japanese    より

 新しい集団の形態が生まれなければならないだろう。私は、ただ言葉の混同を避けるために、それを「社会」とは呼びたくない。私は、その新しい集団を「コミューン--共同体」と呼ぶ。その言葉は意味深い。それは、人びとがただ共に暮らしている場所というだけでなく、人びとが深い合一の中にある場所、という意味だ。

 いっしょに住むということが、ひとつある--私たちはそれをやっている。あらゆる都市、あらゆる町で、何千もの人びとがいっしょに暮らしている。しかし、どんな連帯感がそこにある? 人びとは隣人さえ知らない。彼らは、同じ超高層ビルに住んでいる。何千もの人びとだ。そして彼らは、自分たちが同じ家に住んでいるとは決して気づかない。それは連帯性ではない。そこにはどんな親しい交わりもないからだ。それは単なる群集であって、共同体ではない。だから私は、「社会」という言葉を「コミューン」という言葉で置きかえたい。

 社会は、ある一定の基本原則のもとに存在してきた。あなたはそれを取り除かなければならない。さもなければ、社会は消え去らないだろう。最初で、そしてもっとも重要な社会の単位は、これまで家族だった。もし家族が今のようなあり方にとどまるなら、社会が消えることはないし、宗教が消えることはない。そうなれば、私たちはひとつの世界、ひとつの人類を創りだすことはできない。

 家族は、無数の病弊の根本原因だ。それによって国家が作られ、民族が作られ、宗教組織が作られている基本的な煉瓦だ。

 しかも家族は、全人類の男性と女性の至福を破壊してしまった。

 今日西洋では、3組にひとつの結婚が、子供たちと財産に関するあらゆるひどい法的な争いをともなう離婚に終わっている。世界中のあらゆる暴力犯罪と殺人の大多数は、家族内で、その構成員同士で起こっている。

 家族の基本的構造は、所有性だ。夫は妻を所有し、そして彼ら両方が子供を所有している。そして人間を所有するやいなや、あなたはその人の尊厳を、自由を、人間性そのものを奪い去ってしまう。美しいものすべてを取り去り、ただ手錠だけを与えることになる。それは金でできているかもしれない--翼の代わりに美しい檻を与えるかもしれない--しかし金の檻は、大空と大空の自由を与えることはできない。

 家族は、国家があなたをほかの国家から分かつのと同じように、社会全体からあなたを切り離そうとする。それは、分割のための同じ策略だ。

 ひとたび家族がなくなれば、心理的な病気のほとんどはなくなるだろう。政治的な狂気のほとんどはなくなるだろう。

 だからまず第一に、モデルコミューンには家族というものがない。

 その意味するところは明らかだ。そこには結婚がないということだ。

 愛に対して、何世紀にもわたって当然払われるべきだった尊重が、今、初めて払われるべきだ。愛が、ふたりの人間の間でのただひとつの法であるべきだ。もし彼らがいっしょに暮らそうと決めるのなら、ただ喜びだけがふたりを結びつける力であるべきだ。そして覚えておきなさい。あらゆる本物のものと同様に、愛もまた変化するということを。ただ、真実でないもの、プラスティックのものだけが、不変にとどまる。

 結婚は不変だ。しかしそれは、愛を殺すことによって不変性を得る。

 結婚が築くその家は、愛の墓の上に建っている。当然、それはただ、苦悩、苦悶、苦痛、隷属、そして人間の精神性の完全な破壊をもたらすだけだ。

 モデルコミューンは、交感に、自由な魂の集まりになるだろう。

 子供たちは、両親にではなくコミューンに属すべきだ。両親は、充分な害を及ぼして来た。彼らがこれ以上子供たちをだめにすることは、許されるべきではない--たとえそれが、すべて善意から出たものだとしてもだ。それに、その善意で何ができるというのかね? その結果はすべて醜い。

 親は子供たちに、ほかの子と競い合うことを教える。そして、競争は嫉妬をもたらす。親は子供たちに、世の中で何者かになるように、自分たちのために「名を成す」ようにと教える。それは生を闘争にし、喜びではなく絶え間ない戦いにしてしまう。それはあまりに破壊的なので、あなたのすべての喜び、すべての活力、すべての開花を奪い去り、あとには権力のために、金のために、地位のために戦う骸骨だけしか残さない。生は戦場になる。

 責任のすべては親にある。彼らは野心的な存在として生き、自分たち自身を破壊して来た。今では、その満たされなかった欲望や、未完結の野心を、遺産として子供たちに与え続ける。このようにして、世代から世代へと病気が受け継がれていく。

 私たちは、子供たちを過去から守らなければならない。

 コミューンに属することだけが、子供たちにとっての唯一の方法だ。子供たちは、両親と暮らすべきではない。両親が彼らの精神を毒することがないように、コミューンの宿泊所で暮らすべきだ。両親は彼らに会い、週末をいっしょに過ごすことはできる。しかし、子供たちは基本的には独立して成長する。そしてコミューンは、人間を分け隔てるあらゆるもの--宗教、政治的イデオロギー、国籍、人種、階級といったものがまったく入り込まないよう、気を配るべきだ。これが、過去との断絶をはかる唯一の方法だ。子供たちが、異なった光のもとでものごとを見ることができれば、それは途方もない助けになるだろう。

 また、ひとりの父親とひとりの母親を持つことは、心理的に危険だ。もしその子が男の子なら父親をまねし、その子が女の子なら母親をまねし始めるからだ。そして、重大な心理的問題が生じてくる。

 父親と母親は退くべきだ。そして、叔父たちや叔母たちがそれに代わるべきだ。そこにはとてもたくさんの叔父さんたちや叔母さんたちがいる。おそらく、母親が叔母たちの代表に、父親が叔父たちの代表になるかもしれないが、それ以上ではない。

 家族が消え去るのは良いことだ。

 もし子供たちがコミューンの手に委ねられるならば--私はそれを実験し、それがひじょうにうまく行くことを知っているが--子供たちはずっと幸せだ。なぜなら、彼らはもっとずっと自由だからだ。どんな条件づけも、彼らには刻印されない。彼らはより早く成熟する。なぜなら、誰も彼らを依存させようとはしないからだ。だから、子供たちはひとり立ちする。誰ひとり、わざわざ彼らを助けようとする者などいない。だから子供たちは、ひとに頼らずにやっていくことを学ばなければならない。これは成熟を、明晰さを、ある種の強さをもたらす。

 そして、家族が消えるとともに、国家も消えるだろう。なぜなら、家族が国家を構成している単位だからだ。

 だから私は、家族が消えていくのを見るときはいつでも、ひじょうにうれしい。なぜなら、その陰で国家が消え去っていくことを知っているからだ。それとともに、いわゆる宗教も消え去る。というのも、宗教や国家やあらゆる類のことをあなたに押しつけているのは、家族だからだ。ひとたび家族が消えれば、誰があなたにキリスト教を、あるいはヒンドゥー教を、押しつけようとするだろう?

 今の時点では、誰もが他人の考えに従うように強制されている。

 それが惨めさやひどい苦悶を引き起こし、あらゆる楽しさや喜びを生から奪い去る。誰もが自分自身であるべきだ。そして自分自身のやり方で、音楽を創ったり、絵を描いたり、詩を書いたり、よりよい果物や作物を作ったり、よりよい道路を作ったりすることで、生に貢献すべきだ。あらゆるひとが、自らの可能性を実現することを許されるべきだ。

 モデルコミューンは、すべての個人に尊厳を与える。

 モデルコミューンは、可能な限り多くの知性を創造する。そして、人びとが知性的に成長し、自らの真実を追究し、探求することを許す。なぜならそのようにして、ひとはより知性的になるからだ。

 追求し、探求することによって、知性は剣のように研ぎ澄まされる。

 ひとは無知のなかで生きてきた。というのも、世界のあらゆる宗教はただひとつのこと、信じることを強調してきたからだ。そして、信じることは知性にとっての毒だ。

 彼らは、ただひとつのこと--信仰を強調する。そして、信仰はあらゆる成長に敵対する。

 私が考える新しい人間は、どんな信条体系も、どんな信仰も持たない。

 彼は求道者、追求者、探求者になる。彼の生は、外側の世界の発見とともに内なる世界の発見という、途方もない発見の生になるだろう。

 私は、あらゆる人間に発見者であってほしい--外側の世界では、ガリレオ、コペルニクス、コロンブス、そして内側の世界では、ゴータマ・ブッダ、ツァラトゥストラ、荘子、というように。私の努力のすべては、「ゾルバ・ザ・ブッダ」のような新しい人間をつくるというひとつのことに注がれている。

 モデルコミューンでは、すべての人がゾルバの質とブッダの質の両方を持つことになる--外側の世界に途方もない関心を持ち、同様に内なる探求に途方もない愛を抱いている。その両方をともに持つ日、あなたは新人類になる。そして新人類は、人びとの救世主になるだろう。

 コミューンは、探求者たち、恋人たち、友人たち、生のあらゆる次元における創造的な人びとの集まりであるべきだ。私たちは、ここ、この地球上に楽園を築くことができる。




Copyright © 2006 Osho International Foundation


●━━━━━━━━●━━━━━━━━●

今、 家族という単位について、いろいろ勉強させられている。
愛する人のために家族をないがしろにする人。
家族のために、横領するひと。
愛しあわなければいけないとされる家族なのに、
愛というのが条件になってバラバラになってしまっている家族。
度々もの気持ちなどまったく知らなかった親。ノー天気(笑)。

家族ってなんだろ?
子供が素直に育つ、愛されてそだつには、今の法律で縛られた、
または、核家族がすすんだころの家族のあり方だけが
家族の使命ではないはずである。

愛がベースであるはずの家族は、
確かに少なくなっているのかもしれない。





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Last updated  2006.11.14 00:33:05
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Re:家族は時代遅れだ(11/13)  
tomoni60  さん
家族のあり方を思い知らされます。子供はそれしか見ていないので真似をする。おじさんおばさんには無理なので、親は子を個として尊重する意識を常に持って子に接するべきですね。自戒です (2006.11.14 08:57:38)

Re[1]:家族は時代遅れだ(11/13)  
Olive999  さん
tomoni60さん

それぞれのドラマがありますよ・・・。

ステキに生きて!
(2006.11.15 02:22:56)

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