ボクの音盤武者修行

ボクの音盤武者修行

ノヴェンバーステップス(武満徹)


 オケ:トロント響
 録音年月:1967年12月8日
 録音場所:マッシーホール
新録音
 オケ:サイトウキネンオケ
 録音年月:1989年9月15日
 録音場所:イエス・キリスト教会(ベルリン)



 1996年2月20日、世界で最もよく知られた日本の作曲家武満徹が65歳で亡くなった。私はこのときかなりショックを受けた。単に1ファンというだけではない。何かとても大事な人を失った感じがした。

 今年は亡くなって10年。武満は果たして正しく評価されているだろうか。確かに演奏回数は増えているように思う。若手演奏家は武満を必ずレパトリーに入れているし(あの五島龍も!)、N響の海外公演でも武満は入っている。日本の演奏家なら武満を、という要請もあるのだろうし、演奏家にとっては名刺代わりなのかもしれない。

 武満を世界に知らしめたのは間違いなく小澤である。武満をニューヨーク・フィルの創立125周年の委嘱作曲家に推薦したのも小澤だった。バーンスタイインは邦楽器とオケの協奏曲風な曲を望んでいた。小澤は武満の「エクリプス(尺八と琵琶のための)」を聞かせ、武満へ委嘱先が決まる。

 だが、できあがった曲は「協奏曲」などではなかった。むしろオケと邦楽器、そして尺八と琵琶どうしも対峙している。これは共同で曲を仕上げる類の曲ではなく、真剣勝負の、切った張ったの曲なのだ。

 実際、このレコーディングのとき、1回目のテイクを琵琶の鶴田錦史は録り直しを要求したが尺八の横山勝也は乗り気ではなかったという。小澤の決断で2回目を録ると横山はプレイバックに姿を現さなかった。鶴田は愛器の琵琶を忘れて皆を飲みに誘ったほど機嫌が良かった。このときのプレイバックを聞いていた林光によると全く別物だったという。1回目は尺八が勝っており、2回目は琵琶が主導権を握った演奏だったらしい。(結局1回目のテイクを採用した?)

 初演間もないこのレコーディングは当時の熱気を捉えている。皆が命がけで真剣だった。心のすべてを吐ききっているかのような横山の、また厳しく激しい撥捌きでオケをリードしようとする鶴田の、魂魄傾けた演奏に小澤は時に二人を優しく包むように、時に厳しく対立するかのように自在な表情をトロント響から引き出している。

 曲の中ほどで、尺八から琵琶のかき鳴らしへ移り、ヴァイオリンの最高音でffで切り込んでいく気合とそれに続く後年のタケミツトーンを思わせる弦楽の甘い響き。このダイナミックに移り変わる箇所は何度聴いてもすばらしい。


 サイトウキネンとの新録音はベルリン公演後の録音。オケはうまいし、1音1音が美しい。小澤は楽譜を超えてほとんど能の所作のように全てが完璧に決まっていく。独奏のふたりも初演から何十回何百回と弾いてきただろう。お互いに手の内を知り尽くした感があり、初演時の興奮も熱気もすでに無い。ただひたすらに美しい音と時間の流れしかないように思われる。これを「円熟」というのだろうか。

 それにしてもあまりにお二人は円くなってしまった。トロント盤で聞かれた真剣勝負はない。横山は楽譜のSfzをmfにしか吹かないし、ffをpに変更するなどした結果、激しい感情の吐露が失われ、代わりに静寂の美学を聴くことになった。鶴田はコンセプトを変えず琵琶をかき鳴らす。だがタイミングがそここで合ってないようだ。私は鶴田の左指が動いてないんじゃないかと思う。(若杉盤でも同じなのでこれはふたりの長い年月をかけた「解釈」なのだろう)
 それまでひたすら静かに舞っていた横山がカデンツァの後半でやっと重い腰を上げ、二人で激しい舞を踊る。が、なんともやりきれない、フラストレーションが溜まるやり方だ。まるでケンカの絶えない夫婦が年月を経て、お互いに円くなり、たまのケンカもどちらが勝つのか予めわかり切っているかのような。この曲は初期のコンセプトから離れ、二人の至芸を聞く舞台になってしまったのだ。

 初演時のコンセプトや熱気を聴くならトロント盤、美しいオケの響きと年月かけた熟成の芸を聞くならサイトウキネン盤といったところか。

 鶴田もすでに鬼籍に入り(1995.4.4)、もうこの曲を聴くこともあるまい。仮に若手が出てきても、鶴田=横山コンビを越すことなどできない。ともに邦楽器に命をかけ、斜陽だった2楽器をこの曲で世界に知らしめることに全身全霊を傾けた戦友だからこそ成せる芸の世界だったからだ。

 同様に、小澤=武満も世界の楽壇へ挑んだ戦友であり、同志であった。


トロント響との旧録音。気迫の両雄に若き小澤が挑む。



こちらは新録音のCDジャケット。全てが過去の美しい思い出になってしまったようですね。


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