よく日本の戦争をモチーフにしたテレビドラマでは、全体主義の中で、戦争に行かなければならない兵士の悲劇、戦場で死ななければならない兵士の悲劇が描かれています。平和へのメッセージとしてとても大切なものだと思います。
しかし、第一次世界大戦、第二次世界大戦において、反戦活動家としての道を歩んだ方が日本には沢山居たのです。
それは、共産主義者、芸術家(作家、従軍画家、詩人、音楽家、映画監督、劇団俳優など多数)、学校の教師などでした。しかし、彼らの活動は厳しく警察に監視され、教師は職を奪われ、出版物は没収、発禁、また彼らは逮捕されたりもしました。逮捕された作家小林多喜二は、警察から暴行を受けて獄死しています。警察による反戦運動への封じ込めがあったため、彼らの活動は目立たなかっただけであり(一部の人は逮捕を恐れて潜伏活動をしていた)、本当は戦争に反対していた人も日本には多数居たのです。当時の日本では完全に全体主義だったわけではなく、本当は別の道を選択することはできたわけです。それは別の意味で実に険しい道だったわけなのですが。この辺のことは『母と子でみる8 反戦平和に生きた人びと』に詳しく載っています。
さて、戦時下において、日本の宗教家たちはどのような選択肢をとったのでしょうか。昔読んだ本に書かれてあったのですが、ほとんどの宗教家は、戦争を肯定する立場でした(大本教は反対の立場をとり、内村鑑三も反戦の立場をとりましたが)。実はこの現象は、ヒトラーの支配下にあったドイツも同じでした。ボンヘッファーやボーデルシュヴィング(『福祉の町 ベーテル― ヒトラーから障害者を守った牧師父子の物語』を参照のこと)のような偉大な聖職者を除いて、ほとんどの宗教家はヒトラーを否定するようなことはしませんでした。
付け加えておくならば、ドイツでも従軍慰安婦に匹敵する悲惨な出来事はありました。強制収容所に入れられたユダヤ人を始めとした囚人たち(900万から1100万人)の一部は、強制労働に従事させられました。その中で、ヒトラーの同性愛を禁ずる思想や、収容者たちの士気を高めるという考え方の基に、強制収容所内で女性を男性にあてがう、つまり売春婦として女性を働かせるということが行われていました。日本の(強制的に連行され、強制的に働かされた人という意味での一部の)従軍慰安婦と違うところは、彼女らが厳しい労働環境から逃れるために(強制労働で亡くなる人も多数いた)、自らその道を選択したことです。しかし、その選択肢は自分の命がかかった、狭い選択肢の中での選択でしかなかったのです(『ナチズムと強制売春』より)。
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