聖徳太子の時代「ワッソ、ワッソ」(韓国語で「来た」)とやってきた古代朝鮮半島の人々。この故事に源を発する「四天王寺ワッソ」は当時の様子を巡行で再現する。
鳥取県中部の中核都市・倉吉市が、住民たちのエネルギーで燃え上がる時だ。毎年八月の夏祭り「倉吉打吹まつり」に、二〇〇〇年から女性みこし踊り隊「飛天WASSO(ワッソ)」が登場。同市は羅州(ナジュ)市と国際都市間姉妹結縁協約を結んでおり、韓国との縁も深い。
「みこしの“ワッショイ”の掛け声は、韓国語の語源の“ワッソ”が日本語的に変化したと考えて名付けたんです」 初めて「飛天WASSO」を導入した同市湊町の建築設計士、大前拓也さん(51)はそう説明する。
呉善花・崔吉城『これでは困る韓国』(1997年,三交社)
「とんでないまちがいが本気で信じられているいい例の一つに、日本でお祭りなんかで使われる「ワッショイ」という言葉が、韓国語の「ワッソ」(来た)からきたものだというのがあります。
いったい、なにを根拠にそういうことになっているのかわかりませんが、これはまったくまちがっているんです。だれが最初にそう言ったか調べてみたら、この前亡くなられた在日の文学者の金達寿さんでした。それ以後、韓国の学者や在日の学者が堂々と本に書いたりしているんですね。 しかし国語学者では、日本人でも韓国人でも認める人はだれもいません。そもそも、15世紀にハングルが作られる以前、朝鮮では漢字漢文で全てが書かれていたわけだから、その当時(高麗時代以前)の朝鮮語がどんなものであったかは、ほとんど解明されていない。(中略)高麗時代の朝鮮語でさえ曇りガラスを通して見ているようなものなのに、古代朝鮮語の姿などは、月も出ていない闇夜で物を見ているのに等しいくらいに分かっていないのある」
ワッショイの語源は、明治期の「東京風俗志」という書物に書かれており、それによると、ワッショイとは、「和を背負う」、和をもって平和を担ぐ。「和一処」、皆がひとつになって、力を合わせる。 ひとつの目的を達成するということだという。また、
現在各地で主流になっている「ソイヤ」の語源は、「ワッショイ」の逆さ言葉ではないかとも言われている。「ワッショイ」→「ショイワッ」→「セイヤ、ソイヤ」と大雑把であるが、変化してきたとのこと。
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