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高傳寺墓所種別:佐賀市史跡名称:高伝寺墓所指定年月日:昭和42年2月11日 この墓所は、明治4年(1871年)に鍋島家当主直大が各地に散在していた龍造寺家並びに鍋島家の墓を改装し、整備したものである。 龍造寺家の墓塔10基が東側に、鍋島家の墓塔16基が西に整然と並んでいる。墓域は明るくて広く、独特の雰囲気と調和の美を表していて、一種の墓地公園の様である。ここは、近世の墓塔の返還や佐賀の近世史を研究する上からも資料的価値が高い。(現地説明板より)整然と並ぶ灯篭と数々の墓、そして咲きほころぶ梅の花。ここで一句「梅と墓 凛と整列 歴史知る」得子高傳寺墓所入口
2009.02.28

高傳禅寺 八重枝垂紅梅八重の枝垂れ紅梅は華やかでゴージャスですね。
2009.02.28

高伝寺 ピンクの八重形の梅まるっこくて、優しいピンクで可愛い梅の花でした。
2009.02.28

高伝寺 緑萼梅(りょくがくばい)普通の梅は萼(がく)が赤みを帯びているのですが、この梅は、萼が黄緑で、ちょっと離れてみると、薄緑の梅の花が咲いているようにみえます。爽やかな早春の香りが漂っていました。
2009.02.28

高伝寺の白梅
2009.02.28

高伝寺の枝垂れ紅梅
2009.02.28

西行法師の叔父 李慶公宿阿の墓龍造寺家初代の遠祖 李慶公宿阿と号す宿阿常榮大禪定門 年齢不詳西行法師の叔父に当たるといわれています。
2009.02.28

鍋島七代藩主信濃守重茂公の墓大弘院道聡良廓大居士明和7年(1770年)庚寅閏6月10日卒淡いピンクの梅がとってもキュートでした
2009.02.28

高傳寺 御霊屋風景高傳寺の仏殿西裏に約1800坪(6000平方メートル)の御墓所があります。ここは、佐賀市指定史跡で「御霊屋風景(おたまやふうけい)」と呼ばれています。墓前に立ち並ぶ数百基の石燈篭をはじめ、その雄大なデザインは藩政時代の面影を偲ばせます。多数の石燈篭と紅白の梅が立ち並ぶ景色は壮観です。
2009.02.28

曹洞宗の古刹であり、肥前佐賀の歴史を刻んだ龍造寺・鍋島両家の「祖霊の里」として知られている高伝寺。その歴史の舞台は我が国のすぐれた文化遺産として広く愛されている「葉隠」の風光として伝えられています。本堂の裏手には御霊屋(おたまや)へと続く石畳があり、梅の花が満開でした。
2009.02.27

鍋島・龍造寺両家のお位牌堂 明治27年、鍋島家11代直代(なおひろ)は、佐賀の諸寺より主だった鍋島・龍造寺両家の位牌を納めるための位牌所の建立に先立ち、明治4年、両家の墓石を高伝寺(高傳禅寺)墓所に整備した。廃物という明治の風潮を考える時、高伝寺の再建という直代(なおひろ)の行った事業の意義は歴史的に評価されるべきであろう。 ○戦国より幕末に至る位牌の数202霊は最多である。 (高傳禅寺パンフレットより)お位牌堂の窓
2009.02.27

高傳禅寺 本堂高伝禅寺(高伝寺)では、毎年お釈迦様がお生まれになられた日、4月8日を「花まつり」として祝います。また、4月19日と20日の両日は、高伝寺釈迦堂御開扉が行われます。本堂中央の本尊薬師如来の御前に「御花堂」を設けて、お生まれになられたばかりの小さなお釈迦様の像「誕生仏」を安置し、多くの老若男女が、お釈迦差のお体に甘茶をかけて祝い、賑わいます。また、本堂の右大間には、お釈迦様がお亡くなりになられる時のお姿が描かれた大涅槃像が掲げられます。(高傳禅寺 パンフレットより)寺号額 「高傳禅寺」本堂に向かって右横からの本堂
2009.02.27

高傳禅寺 山門から本堂へ山門から本堂へと続く道には両脇に梅の花が咲き、燈篭が立ち並び、槙の木が生い茂っていました。本堂
2009.02.27

高傳禅寺 方生地・観音堂方生地の中に観音堂があります。そして方生地にかかる石造りの太鼓橋を渡ると山門です。
2009.02.27

高傳寺の山門折りしも梅が満開でした。山門の前の太鼓橋肥前の歴史を刻んだ龍造寺、鍋島両家の祖霊を祀る高傳寺。両家の「縁」をその「始め」とする『葉隠』の「葉隠四誓願」には、「大慈悲を起こして人のためになるべき事」と書かれています。「葉隠」(はがくれ)というと、「は~がくれ、どん!う、ど~んでござる♪」といううどんのCMを思い出してしまいます
2009.02.27

高傳寺の鐘楼堂鍋島藩祖直茂公日峯宗智大居士の350回大遠忌を祈念して昭和41年に建立されたものです。高傳寺の梵鐘仏教では、鐘そのものが仏の姿と言われています。鐘の上部にある突起物は、「乳」と呼ばれ、仏様の螺髪(らほつ)を表しているそうです。
2009.02.27

旧藩主鍋島家菩提寺 曹洞宗 高傳禅寺※ほんとうは高伝寺の「高」という字は旧字を使いますが、機種依存文字のため表記できず、「高」で表記しています。あしからず。住所:佐賀県佐賀市本荘町本庄肥前佐賀の旧藩主鍋島家の菩提寺であり、武士道の心「葉隠(はがくれ)」の原点でもある由緒あるお寺です。高傳寺(高伝寺・こうでんじ)案内(現地説明板より) 当山は旧藩主鍋島家菩提寺で山号を恵日山といい曹洞禅宗 開祖は鍋島駿河守清房公(藩祖直茂の父君・剛意善金大居士) 天文21年(1552年)の創建・境内総地積一万余坪・本尊は、薬師如来・仏殿の西裏約六反歩にわたる龍造寺・鍋島両家の、御墓所に立ち並ぶ数百基に上る石燈篭、雄大な構築規模と結構な諸堂宇の佇まいは、往時の藩政時代の雄図を偲ばせるのに十分。 中世戦国時代から幕末期に於ける精神性は「武士道」に代表されるものであるが、当山に象徴される龍造寺、鍋島両家の伝統に支えられた「葉隠(はがくれ)」は武士道思想の白眉として知られている。 陽春四月に公開される「釈迦堂御開扉法要」はこのような肥前佐賀の歴史を彷彿とさせるものである。同時に公開される、本邦最大を誇る大涅槃像(縦:八間 15.4m / 幅:三間半 8m)は三代綱茂公御寄進 (以上現地説明板より)
2009.02.27

時津港の恵比須大明神 恵比須(えびす) 石座像2体北泊(きたどまり)の清風館の庭先に祀ってあったものである。今は4体に増えている。場所も埋め立てが進むにつれて3回移されたものでここは4度目の場所である。 零細は正月廿日で、浦郷の漁師たちが大漁を祈願したものである。恵比須様は七福神の一つで、唯一日本の神で他はインド・中国の福神集合体である。 恵比須様は、えびす三郎とも言い、事代主神又はえびす尊をさすとも言われており、本来農漁商の神様であるが、ここでは釣竿に鯛の姿で漁業の神となっている。時津町教育委員会 (現地説明板より)時津港朝の景色
2009.02.26

日本二十六聖人上陸の地の碑 天象15年(1587年)6月、豊臣秀吉は筑前の箱崎で、九州各大名の封域を決めたが、その折に長崎の地がイエズス会に寄進されているのを聞き激怒して、はじめてヤソ教(キリスト教)の布教を禁止した。 その後、慶長元年(1596年)9月、イスパニヤ船サン=フェリベ号が土佐に漂着し、キリスト教の布教はその地を植民地化する前触れであると伝えた。 それを聞いた秀吉は、キリシタン禁令をさらに厳しくし、同年11月に京都、大阪にいた宣教師・信者24人を捕らえ、耳をそぎ、大阪、堺の町中を引き回した。 処刑は長崎で行うことになった。信者が多いとされていたからであろう。 翌1597年1月9日、堺を出港させ、岡山で行を共にしたいという信者2名が加わった。 26人の一行は、首、両手をしばられ、山陽道から唐津をへて、2月4日彼杵(そのぎ)に着いた。 小舟で大村湾を渡り、時津に着いたのは夜中の11時頃であった。雪の夜の寒さ、それに飢え疲れに耐えながら、舟の中で一夜をすごし、翌2月5日(旧暦12月19日で慶長元年は未だ明けていない)早朝長崎に向かい、午後5時刑場の西坂に着き、十字架に架けられた。 その様子は今、西坂の壁面に刻まれている。 殉教者の内訳は、フランシスコ会宣教師6人、イエズス会のパウロ三木ら3人、信者17人で、1862年聖人の列に加えられた。時津町教育委員会(現地説明板より)時津港の朝
2009.02.26

時津港夕景時津港では、昭和47年から毎年、時津町ペーロン大会が開催されています。時津港内で夏の一大イベントとして町内の10地区対抗で行われます。 橋にペーロンの絵が描かれていました。長崎県時津町のホームページ内時津ペーロン大会の記事のページ
2009.02.26

時津ヤスダオーシャンホテル住所:長崎県西彼杵郡時津町浦郷新地542時津港のすぐそばにあります、時津ヤスダオーシャンホテルは、大村湾を望む海辺のホテルです。時津ヤスダオーシャンホテル
2009.02.26

時津港木村湾の箕島に造られた長崎空港と時津港・大村港を結ぶ安田産業汽船の航路です。時津⇔長崎空港⇔大村港間を高速艇が往来します。時津港までは長崎市内からは車で20分位です。
2009.02.26

女神大橋(めがみおおはし)●横長:1289m 斜張橋:880m 取付部:409m●桁下高:海面上65m●主塔高:170m●ケーブル段数:13段●完成年月:平成17年(2005年)12月
2009.02.26

MEGAMI BRIDGEヴィーナスウイング 長崎女神大橋ふ~ん、色々な名前があるんですね。「女神大橋で写真を撮っていた人が写真を撮るのに夢中になって、海に落ちた」なんて、都市伝説?があります。ほんとかな?
2009.02.26

女神大橋走行中速度制限50km/h
2009.02.26

女神大橋(めがみおおはし)MEGAMI BRIDGE現地説明板(上記写真の説明文)より 女神大橋は、長崎港によって分かれている長崎市の南部と西部を結ぶ橋として平成17年12月に完成しました。 橋の下は長崎港へ出入りする大型船の通り道として、広く高く空けられています。橋の形式は斜張橋と呼ばれるもので、2本の柱塔から細いワイヤーでケーブルを張り、橋を吊り上げる形式です。 翼を広げた様な美しい姿は長崎港の周辺景観として、魅力的なランドマークになっています。
2009.02.26

式見漁港長崎の漁港では、お正月の三日間、船のマストには竹竿と日章旗と大漁旗を飾り、今年一年の海上安全祈願と船霊様(ふなだまさま)祀りをする、「船祝い」という行事があるそうです。海の仕事は自然が相手だし、危険がつきものなので、こうして、お正月にきちんと安全祈願をするそうです。外海地区から長崎市内へと移動中に大漁旗が目に止まったので、ちょこっとだけ立ち寄ってみました。
2009.02.26

カトリック黒崎教会にてステンドグラスそのものはもちろん美しいのですが、床に映った光は更に幻想的で印象的です。このステンドグラスの光に包まれ、祈りを捧げると、心が洗われた様な気持ちになります。遠藤周作の「沈黙」の舞台にもなったカトリック黒崎教会。海も山もみえ、外観も内部も美しい教会。そしてこの教会は、敬虔なカトリック信者によって建てられた信仰と奉仕の証でもあります。美しい教会を拝見させて下さり、素晴らしいひと時をプレゼントして下さった黒崎教会の方々、関係者の方々、信者の方々、代々の神父様、イエス様、マリア様、どちら様にも感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
2009.02.25

カトリック黒崎教会のステンドグラス教会のステンドグラスには聖書のワンシーンを描いているものが数多くあります。黒崎教会にも何枚かあります。文字を読めない人でも、ステンドグラスに描かれた聖書のワンシーンで聖書を勉強できるという意味もあるそうです。こうして、美しいステンドグラスに描かれたイエス様やマリア様は、とっても身近に感じ、また優しさや癒しを感じます。
2009.02.25

カトリック黒崎教会のステンドグラスは、赤・青・緑・水色とカラフルな色使いです。正面入口のステンドグラスは、赤・青・緑・水色・黄色・オレンジと更にカラフルで鮮やかです。
2009.02.25

カトリック黒崎教会の聖堂内鳩を抱く可愛い子供カトリック黒崎教会の聖堂内部は、中央と左右の三廊式リブ・ヴォールトになっていて、柱には、ひとつひとつ細かな装飾が施されています。細部に至るまで、細工が施されています。カトリック黒崎教会の施工は、地元の大工棟梁、川原忠蔵父子が行ったそうです。いい仕事していますね~
2009.02.25

ステンドグラスに光が差し込み、聖堂内の机、椅子、天井、床などにカラフルな光が映っていました。ステンドグラスってそのものも美しいのですが、こうして、床や机に映りこむ光の絵もまた美しく好きです。
2009.02.25

カトリック黒崎教会 聖堂内部三廊式で、こうもり天井の聖堂内は、荘厳で、自ずと厳かな気分になります。内部は、リブ・ヴォールト天井(こうもり天井又は柳天井)と呼ばれる美しい天井にステンドグラスの光が映っていました。聖堂内のステンドグラスは、赤・緑・青の色彩が大変美しいです。
2009.02.25

外から観た カトリック黒崎教会のステンドグラスマリア様やイエス様が描かれています。外から窓ガラスを通して中のステンドグラスをみると光が屈折して、揺らぎ、幻想的です。
2009.02.25

カトリック黒崎教会のアンジェラスの鐘昭和21年(1946年)に、アンジェラスの鐘が新に設置されました。カトリック黒崎教会は、明治30年(1897年)に信徒が増えたことにより、ド・ロ神父の指導により、聖堂建設を計画しました。その時に、海からも山からも見える現在地に、信徒総出で3年がかりで敷地を造成しました。カトリック黒崎教会や出津教会、出津文化村、遠藤周作文学館などがある外海地区は、町ぐるみ博物館としての活動が行われています。
2009.02.25

カトリック黒崎教会のマリア様純白のドレスに爽やかで美しい水色のマントをお召しになった優しい表情のマリア様です。「さあ 眠りなさい 疲れきった 体を投げ出して~♪」とまるでマドンナ達のララバイを歌っているかのようです。黒崎教会の裏側屋根の形と屋根の上の突起物の形が面白いです。
2009.02.25

聖堂は、ロマネスク様式赤煉瓦造りです。信徒がひとつひとつ煉瓦を積み上げて完成したそうです。これだけの煉瓦をひとつひとつ積み上げていくのは、本当に大変な作業だったと思います。強く揺るがない信仰があったからできたことなのでしょうね。
2009.02.25

カトリック黒崎教会住所:長崎市上黒崎町26明治30年(1897年)に、ド・ロ神父の指導で敷地が造成され、教会の建設計画が進行し、大正9年(1920年)12月18日に完成した煉瓦造りの教会です。
2009.02.25

たろちゃん饅頭1個¥39-.(消費税込み)10個入り¥390-.(消費税込み)飯塚に行ったついでに、飯塚井筒屋に寄り、たろちゃん饅頭を買ってきました。「地元飯塚から総理大臣を!」という願いを込めて、平成19年(2007年)9月に誕生した「たろちゃん饅頭」甘さ控えめのあっさりした白餡をバニラ風味の薄い生地で包んでいます。毎日飯塚井筒屋の1階で焼き上げられています。こういってはなんですが、特別美味しいというものでありませんが、あっさりしていて普通に美味しいので、パクパク食べられます。たろちゃん饅頭も発売当初は30分待ちするほどの行列ができていたそうですが、今は・・・・すぐ買えます。安いし、ちょっとした手土産にも便利ですね。麻生総理、大変だと思いますが、なんとか頑張ってください。お体にはくれぐれも気をつけてください。と祈るのみです。
2009.02.24

女楽の夜製作者:古賀 和子さんいいしん(飯塚信用金庫)のギャラリーに展示されていました。源氏物語の一幕を鮮やかに、雅に表現していました。素敵な作品に目を奪われました。
2009.02.24

奈良一刀彫雛観音寺住職所蔵いいしんのギャラリーに展示されていました。大胆で力強い鑿跡を残し、繊細で緻密な極彩色の絵付けが施され、それらの絶妙な調和が雅さを醸し出しています。コンパクトですが、目をひくお雛様でした。
2009.02.24

紙で出来た筒型の雛人形手書きの顔の表情がひとつひとつ違います。作者の気持ちが表れるのかな?
2009.02.24

さげもん背中合わせでボボンボ~ンと揺れていました。
2009.02.24

紙でできた雛人形卵のからとか、繭玉とか、粘土とか、和紙とか、雛人形って様々な材料で作られるものがありますね。そういえば、いつぞや、米粒に描いた雛人形をみたことがあります。虫眼鏡で見ないとよくみえない。それくらいちっちゃなちっちゃな雛人形でした。
2009.02.23

お手玉みたいな雛人形手のひらにころんとのる、ちっちゃなお手玉みたいな雛人形。かわいいな~
2009.02.23

飯塚の商店街に飾っていた手作りのひな人形ちょっと大きめサイズの手作り感たっぷりのお人形でした。飾り物のお布団も大きい
2009.02.23

巾着のさげもんお金持ちになりますように!って願いを込めて?それにしてもさげもんって、手作りだから、ひとつひとつ全部違う。同じものがないのです。りりしいお顔
2009.02.23

お内裏様のさげもんちっちゃいけど、気品があります。お雛様のさげもん桜の模様の着物が可愛いはい!今日はいつもよりたくさん回っていますさげもんって、くるくる回って可愛いですね。
2009.02.23

赤い着物の女の子のさげもん着物の端切れで作ったのかな?健やかに育てと願いを込めて
2009.02.23

筑前いいづかひいなのまつり いいしん会場にてマンションや広くないおうちでも、こんな雛人形だったら毎年飾るのも苦にならないかも?段飾りのお雛様は豪華だけど、毎年出したりしまったりが大変だし、保管場所もとるもんね~。このお雛様の姿が前にも後ろにも映っていました。なんだかそこに惹かれた~そうそう、夕べお友達から教えてもらったお友達の好きな歌。今までも聞いたことがあったのに、あらためて歌詞を読んだらなんだかいいの。歌詞だけじっくり読むと、またもっと好きになる歌ってあるんだね。全部抱きしめて夜空ノムコウここに歌詞書きたいけど、著作権がなんちゃらとかにひっかりそうだから、歌詞が載っていたページのリンクを下記に貼っておきます全部抱きしめての歌詞夜空のムコウの歌詞
2009.02.23
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