| 妊娠? | 体重コントロール・・・ | 横位がなおらない |
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て、帝王切開するの?!
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帝王切開のお金 | いざ、帝王切開へ! |
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初めてみる我が子
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帝王切開手術後(入院中)の経過 | 面会はどうしたか? |
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入院中の母乳、母子同室は?
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義理家族との付き合い | オットの役割 |
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どうする?里帰り
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産後の経過(一ヶ月) | 産後の経過(二ヶ月) |
わたしの帝王切開
| 妊娠? | ドラマにありがちな、ぅえっ!と、トイレに駆け込む、そういうものではなく、単純に生理が遅れていたので、妊娠が分かった。とはいえ、妊娠判定薬を試したときには、ドラマティック。命が宿ったのか!と。 2ヶ月目くらいで、とりあえず産婦人科に行ってみる。当時、保育士として動き回っていたので、少量の出血が続き心配になったからで。流産防止用の注射を一本打たれて、あとは安静にしていた。 すぐに退職をし、その後、専業主婦として妊娠生活を送る。 |
| 体重コントロール・・・ | 困ったことに、妊娠5ヶ月目くらいで、母子手帳に「塩分・食事制限しましょう」との判子が押されてしまう・・・。幸いといえば幸いなのだが、つわりが全くなかったため、食欲も落ちず、昔から言う「二人分食べなさい」の言葉に素直に従っていたら食欲倍増。どんどん太っていった。 ずっとこれは、産むまで悩むところで、体重コントロールのために苦労した。産院で行っているマタニティビクス・ヨガに通うが、股関節がすぐにいたくなり、断念。動いて痩せるのにも限度があるな、と思い、素直に食事制限することにした。妊婦なのに食事制限って、、、胎児に悪影響なイメージがあるが、至ってシンプルな食事をし、穀物を少し減らし、野菜をよく食べ、特に甘い物は控えた。 本当はよくないんだろうが、体重測定のある検診日の朝食はもちろん抜いて、少しでも太っていないようにし、また、着ていく服も200g以内で収まるようなコーディネート(夏だったので薄着でOKだった)にしたり、産院まで30分かけてあるいたり、涙ぐましい努力をした。そのかいあってか、判子が押されたのは一度だけ。8,9,10ヶ月通して1.5キロくらいの増え幅で抑えることができた。ちゃんと胎児は育っているのが不思議。 あんまり増えると妊娠中毒症も心配になるから、太らないようにするのが、やっぱり正しいのかも。標準体重よりも太めの妊婦だったので、特に気をつけてた。 |
| 横位がなおらない | 8ヶ月目くらいから、医者が、横位ですね」というように。 でもまだ小さいから、戻るかな~と楽観的なコメントをいってくれたのも9ヶ月まで。そろそろ正産期にはいるぞ、というころになると、「このままで破水すると、逆子よりも危険な体位をとってます」と、命の危険を示唆する言葉が出てくる。日常生活で、破水しないように、無理のない動きをとったり、一応は気をつけていたが、結局なおらないまま臨月へ突入。 |
| て、帝王切開するの?! | 予感はしていた。 でも、どっかで、ギリギリで横位がなおってくれるんじゃないか、というミラクルを期待していたが、それも虚しく。 帝王切開。予定帝王切開、となることに。 手術の説明を一通り受ける。旦那のサインを求められる。 11月15日が手術の日となります。 ここで、我が子の誕生日、確定。 自分で生まれる日、決めてこられなかったな~と、少しだけ、ナーバスになったりもしたが、頑張って良い方向に考えた。生まれる日が分かっている、ということは、色んな準備が前もって進められる。色んな帝王切開に関するサイトを見て、少しでも安心材料を見つけていた気がする。 また、臨月に入り、お腹も重くなり、精神的にも、さらにナーバスに。 |
| 帝王切開のお金 | 妊娠が分かってからだが、都民共済に入った。某大手生命保険会社の商品にも入っていたが、割安の物に切り替えたのだ。それが早速役に立ってくれるとは思わなかった。 都民共済の場合、医療保障の特約でプラス1000円付けていれば、手術の保険が効く。点数でいえば、15000点で20万支払われる。予定帝王切開は15000点なので、私もそのくらい貰えた。本当に助かった。 産院は普通の個人病院であったが、トータル50万かからないくらい(個室)で済んだ。 |
| いざ、帝王切開へ! | さて。 タクシーを呼び、大きいお腹と荷物をもって、病院へ。 最後の最後で、もう一度胎児の位置を確認してみる。ここで、正常の位置だったら、荷物もって家に引き返し、陣痛をまつばかり・・・となる予定だったが、そんなこともなく、お腹をさわれば、相変わらず、頭が横にあるかんじ。願いも虚しく、入院へ。 手術日の一日前からの入院で、採尿をしたり、NSTをとったり、色々前日ならではの検査をした。夕飯を食べる。食べ終えたら、1日絶食(点滴のみ)なので、味わって食べた。 手術当日 手術がおせおせだったようで、看護師もあわただしい。 私も、妙に緊張していたが、手術台に上がればまな板の鯉 半身麻酔の予定が、私が痛がり、結局全身麻酔。気持ち悪くなるわ、おぉっ!もう二度と帝王切開はやらねぇ!と誓いながらの手術でありました。終ってしまえば、そこまでとは思わないんだけど・・・ でも、不思議な体験しました。 麻酔で苦しくなったので、酸素マスク付けられた後、意識は、黄色いタイムワープのような映像の中へ。あれは今考えても、子供の意識と覚醒していたにちがいありませぬ。 黄色い世界から、手のような物体がもごもご動いているのです。子宮からの景色に違いない。黄色いのは、きっと、手術のライト。ほいで、内臓がえぐられるというか、障られている感触が、多分映像となって、手が動き回って、何かを取ろうとしているのであります。きっと、医者の手なんです。 旦那も手術中から立ち会ったのですが、すでに私は意識は無く、手だけを握っていたみたい。2,30分の出来事だったようですが、結局、私は産声もきくことなく、取り上げられた後、旦那の手の感触で、あれ?終ったのか?と半目で気が付いた様子。旦那いわく、産まれた瞬間(子供が泣いた瞬間)今まで反応がなかった、私の手が、強く握り替えされたらしいのですが、全く記憶無し。その後、まだ気が付かず、しばらくして、看護師と旦那が「保育器がどうのこうの」と会話しているのが聞こえ、気が付いて、しきりに「子供は大丈夫?」ばかりを言っていたみたい。その辺からはおぼえているんだけどね。それで、近くに看護師さんが赤ちゃんを連れてきてくれたんだけど、感動で泣くとかも全くなく(苦笑)ひたすら、ぐったりしていた様子。なんだか、今思っても、自分ばっかが必死で、赤ちゃんに気が回らずで申し訳なかったなぁ、なんて。 2450gの男の子でした。 ぐったり・・・ 気が付くと、ベッドの中。足には、血流を促す器具がつけられ、点滴と自動血圧計みたいのも付けられ、寝返りも打てないわ、なんだか、傷も痛い気もするわで、「終ったのね・・・」と感慨に浸っておりました。 どうも、呼吸をするのがへたっぴだったようで、しばらくこの子も酸素マスク付けていて、一過性の物か、病気があるのか、1,2時間様子をみましょうと言われてて旦那も心配だったみたい。でも、帝王切開では良くある事なので一過性を信じ待っていた所、無事の様子。とりあえず、酸素マスクはハズされ、一日保育器にはいっていました。翌日には、小さいけど元気なので、保育器から出れますよ、と言って頂き、無事、私も初抱っこが出来ました(でもベッドより起きあがれず)。嬉しかったなぁ・・・思った以上に小さくて。 |
| 初めてみる我が子 | 産毛が凄く、サルのよう。顔もなんだか、サル。 産まれて4時間くらいたつと、またなんだか顔が人間っぽく変わっているのも面白い。一日たつと、また何となく違うような気すらしてきて。 不思議でした。 実際に抱いたのは、産後一日経ってから。すぐに抱けなかったのは彼に悪かったなと思う。 |
| 帝王切開手術後(入院中)の経過 | ★産後一日目 産後一日は絶食。2日目の朝食から、紅茶とプリン、で食事が始まりました。その間、点滴8本。おしっこも管付けて、何リットルも出していた様子。 手術当日は金曜日で、旦那が会社をやすんでくれました。土曜日~月曜日までカレンダーで連休だったので、4日間病院に泊まり込んでくれましたが、それが本当にありがたかった。精神的な安心感はもとより、本当に手術後は縫合したお腹が痛く、咳はできないわ、笑えないわ、動きも鈍いわ、で、ちょっとした物を取るのもやっと。そういうときに、あれとって、これとって、と、私の手と足となってくれる人が近くにいると、体も心も安まるのです。さすがに忙しい看護師さんに言えないし。できれば、一人、夫でも実母でも、気兼ねなくお願いできる人が手術後2,3日付き添って貰えるとありがたいとおもう。帝王切開はおそらく優先的に個室に入れてくれるので、泊まり込み可能なスペースがあれば、泊って貰うのもよいかも。 ★産後二日目 2日目から歩行練習がはじまるものの、いてぇ、いてぇ!!!! でも、産んだ日の夜、痛み止めを打つことなく夜を過ごし、医者に「良く耐えましたね」と関心された。これでも痛みに強いんだろうか、と変に自信をもったものの、起きあがると、やっぱり痛い。へっぴりごし。 ★産後三日目 大分自分で歩けるようになった。でもへっぴり腰。 もともと便秘気味ではないのだが、2日うんちを出していなかったので、さすがに下剤をもらおうかと思ったが、おかゆを食べ続けていたら、2日前のうんちもでて、今日は初めて3回もうんちが。量は少ないが、良かった良かった。お腹の変な張りも減った。 しかし、子宮のしぼみ具合は時間がかかるので、まだ妊娠5ヶ月くらいのかんじのおなか。でも、子供がお腹からでていったんだなぁ、と思うと少し寂しい。 本日より、授乳開始 初乳、出るのかと思いきや、痛いマッサージのおかげで、黄色い初乳はでた、と。でも、彼は、ゴム乳首でもう3日もミルクを飲んでいるので大丈夫だろうか、とおもいきや、とりあえず、吸うことはしてくれている。でも、まだまだ、母乳は出ず、ってかんじ。 あきらめず、やらねば。 病院内の美容院で、洗髪してもらう。気持ちよい。 子宮収縮剤を飲み始める。 ★産後四日目 大分痛みも和らいだ。日ごとに体調が良くなるのが分かって、それが励みとなる。 ★産後五日目 母子同室を申し出るが、子供の体重がまだ少ないので断わられる・・・ ★産後六日目 夕方、母子同室可能に。体重は微妙に満たっていないのだが、ミルクをごくごくのまないので、母親がこまめにあげる方がいい、となったようだ。新生児室の時間刻みでのミルク授乳管理でのみきれないのだそうな。夜中も張り切って見たものの、、、大変であった。初の同室、、、。 ★産後七日目 半抜糸。医療用ホチキスの針を抜く。全然痛くない。 同室も二日目。でも、ミルクをあんまり飲まないので、常に機嫌が悪い状態。母乳もまだあまり出ないので、子供も私も辛い時期。乳首に慣れてしまい、ゴム乳首を拒否して水分をとらないので、おさじでミルクを与え、うんちも出てないので、綿棒で刺激してみたり、試行錯誤。大変だが、我が子はやはり泣き顔も愛おしい。 ★産後八日目 全抜糸。同じく痛くない。退院後の説明を病院から受ける。 ★産後九日目 退院!! |
| 面会はどうしたか? | 手術後は特に、尿道にカテーテルがささっているし、点滴だらけだし、髪の毛はぼさぼさだし、とにかく心許せる人しかあう気にならないので、無理にあわない方が良いと思う。 義理の家族には、そういう状態だから、ということで、退院前にちょっと顔見に来てもらうだけにしてもらった。旦那に伝えてもらう。中には張り切って孫の顔見たさに来る義理家族も居るようだが、結構疲れるようである(ネットでそういう意見多し)。 |
| 入院中の母乳、母子同室は? | 母乳育児するぞ!と張り切っていた私。 初乳を絞り出すようにして飲ませたものの、オッパイの上に飾りようの鏡餅が二つのせているかのような、重い張りを覚える。初乳を出した夜は痛くて、睡眠不足になった。かなり熱を持っていたので、病院で教わった裏技でのりきる(紙おむつ二つに水分を含ませ、冷蔵庫で冷やす。それを胸に当てる。)。3日くらい、殆ど何もでなかった。他のママは結構スムーズで、みたところ、皆さん2人目とか、そういう感じだったのもあってか、乳首も柔らかく、スムーズな様子。とても羨ましく感じた。助産士さんに相談したり、持ってきた母乳育児の本を読んだりしたものの、今振り返れば、焦ってはいけない、その一言につきる。今(生後2ヶ月)は、まだ混合だけれど、でも、大分母乳の量は増えて、世間で言う3ヶ月すれば母乳も軌道に乗る、という言葉通り、あと少しで完全母乳に移行できるのではないか、と思うからだ。 母子同室については、結構傷も痛まなくなった4日目くらいからやりたかったが、2500gに彼が満たっていなかったため、結局6日まで母子別室であった。 初めての子供だし、里帰りの予定もなかったので、なるべくなら一緒に入院中から過ごしたかった。病院のタイムスケジュールで授乳タイムが3時間おきにあるけど、タイミングも合わず、新生児室のガラス越しに彼が泣きじゃくっているのは本当に可哀想で・・・。 2人目のお母さんは、私みたいに焦らず、余裕があるせいか、母子別室でゆっくり休むわ、と言っていた。確かに、私が2人目を産む、となれば、ゆっくり母子別室でやすむ、、、かも。 |
| 義理家族との付き合い | 結婚して、同居をしていたのだが、妊娠9ヶ月目にして、同居を一時取りやめた。 残念ながら、妊娠すると神経が過敏になり、性格が自分でも変わってしまったような気がする。マタニティブルーといえばそうなのかもしれないが、何でもネガティブな側面にばかり敏感になり、精神的にもかなりキテしまっていた。毎日泣いて2階にこもる私をみて、旦那は別居を決意してくれた。 特に意地悪をされたわけでもなく、変わってしまったのは私だと思う。 ここに嫁ぐ人が、「人にしてもらう」事に抵抗が無い人だったら、どんなに相性が良かったろうかと思う。夫の家族はみんな世話好きの”良い人”達なのだ。 要は、相性の問題だったのかな、とも思えるし、私がどれだけ”自分を殺して、周りの人々の意見にゆだねる”事ができるか、その問題だけだったようにも思える。あの家族において、夫以外に、特に必要とされていない自分が寂しかったし、私にとって他人の集団の中で生活することがこんなにも苦痛を要するものだったのか、と、最初から理解できていれば、夫をどんなに好きでも、この結婚は最初から諦めたのかもしれない、と思う。結果的に、今一番迷惑をかけたのは夫やその家族だし。 もちろん、妊娠するまでは、同居は大丈夫であった。まぁ、時間の問題だったかもしれないが。 そんな風に大丈夫だった生活そのものが、突然我慢できなくなる、つわりみたいなものなんだと。一過性のものだったら、、、と思って9ヶ月くらいまで我慢してみたが、駄目であった。お腹にも変な湿疹もできてきたし(おそらくストレス)、限界であった。毎日のように夕食を一緒に食べに来る義姉+子供の存在も、少しずつストレスの素になってしまった。 産後も、出産を終えた母猫が子猫に触ろうとする飼い主にたいして威嚇するような、そんな気持ちが減らない。 それは、ちょっと乱暴に抱っこ(今思えば抱き慣れているが故の”乱暴さ”だとおもうが)する看護師さんに対しても思ったし、義理家族にもそう思ってしまう。特に女性同士である義母に対してその気持ちが今も抜けなくて、私も疲れる。 毎回、そういう思いと戦いつつ、どうして良い気分で我が子を抱かせてあげられないんだろう、と自己嫌悪に陥る。今までにない、感情の高ぶり、というか、うねりを心の中に抱えるようになり、コントロールもおぼつかない。嫌な人間になったな、とおもう。特に子供好きな姑なので、孫を見るのに積極的で、その積極さが、逆に私を遠のけてしまう。同居を続けていたら、子守りも全部取られかねないな、と思うくらい。 悪気はないのは分かるが、悪気がなければ全て良い、というわけでもないだろう。特に産後の敏感な時期だから、そっとしておいて欲しいと思っているが、しばらくその葛藤は私の中で続きそうである。 我が息子を義母に預ける、ときに感じる感情として、男性配偶者に説明するならば、以下の通りである。 「突然、妻の元彼が家にきて、『現在のあなたの妻を少しあずかります』と言われている時に感じる、ヤキモチみたいな、絶対あずけたくない、と思う気持ち・・・」 なんでそういう気持ちばかりをもってしまうのかな、、と本当に自分が嫌になるが、これも母性なんだろう。友人も、やはり、同じ気持ちだそうな。幸いその友人は、旦那の実家が遠いので、毎週のように来ることはなく、盆暮れ正月にちょろっと見せるだけでおわるのだが、それでも、我が子が抱かれている間は辛い、と言っていた。そんな気持ちを持ってしまう自分を正当化するわけでもないが、でも、やっぱり、自分を責めて、我慢し、いつか、また何らかのストレス症状がでてしまうのではないか、と思う。 私が姑になったら、嫁が産んだ孫は、自分の娘が産んだ孫とは違うものだ(まだ息子しかいないけど・・)、と思って接すると思うし、ましてや同居は絶対にしない、と心に誓っている。多分、姑は、義姉が産んだ子供3人と同じように、私が産んだ子供をみようとしているのだが、やっぱり、血のつながりがない女性が産んだ子は違う。全く関係が無い子(近所の仲良くしている友人の子とか)の方が、嫁の子より上手くいくに決まっている。私も、近所のおばちゃんに預けたほうが、まだ、気持ちが楽な気がするからだ。 同居中にちらほら見える、同居の嫁にたいして、義姉の存在を大きく認め、その姿を私に求められたのも、私の中でのトラウマになっているのかもしれない。義姉は義姉、私は私、で見て欲しかったし、嫁が来たことで、嫁の存在をもう少し認めて貰えたら、また違ったのかなと思う。私はあの家では、嫁、というより、同居人であった。主役は義姉とその家族。あの家は、私の家ではないな、と疎外感をいつも感じていた。昔だったらそんなの良くある風景で、自分は耐えないといけない立場だったかもしれないが、今の世の中、実の親でも同居はしない、というくらい、核家族が一般化しているので、私も、自分の立場がどんどん惨めに思えてきたのも一因である。 プラスして、自分自身が、何でも自分でやりたがるタイプ、人と同居とかできないタイプであるのも災いした。祖母が90歳ちかいのだが、同居を勧めた子供達の誘いを断わり、今も一人で気丈に暮らしている。多分、他人と接するのが嫌、というよりも、他人に気を遣う生活が嫌なんだと思う。それなら、自分が苦労しても、自分一人で暮らす選択をしているのだろう。私も、その血を引いてしまったようだ。 結局、私にとっても、実家が一番。どの記事よんでも、当てにしているのは実母、って書いてある。多少遠い所に住んでいても、当てにできるのは、私も実母な気がする。どんなに義母が頑張って、張り切って、あずかると言われても、孫を見るのに張り切り度が多少低い実母の方が(孫は可愛いらしいが、見る気満々ではない)、私はそっちの方が安心するんだな。自分でも、こんな感情と戦うようになるなんて、思いもよらなかった。 今はまだ、息子も2ヶ月だし、季節も1月。もう少し暖かくなって、彼の生活リズムも整い始めたら、たまに義母の家に遊びにつれていこうとおもう。盆暮れ正月の間柄とまでは言わないけど、毎月みせにいくとか、今の私の状態じゃ、無理なような気がするので、もう2、3年は、なるべくならそっと見守って欲しいと思うのだが、あの赤ちゃん好きの様子をみると、私の状態など、そこまで考えずに、どんどん連れてこい、とか言うんだろうな・・・。義姉の子をたっぷり見るだけでは満たされないのかねぇ。再婚したおばちゃんの家に、夫の連れ子の娘+孫2人が毎週末夕飯を食べにくるが、実はすごく気持ち的に落ち着かないし負担になっていたそうだ。血が繋がってなければ、やっぱり負担なんだよな・・・。義母は負担でなくても、私が・・・。はぁ・・・。 ぼやきになってしまったが、 旦那には本当に感謝している。 同居をする、という覚悟を決めて、嫁いだけど、結局だめだった私。 それを責めずに、別居する方向を選んでくれた。申し訳ない気持ちで、贖罪の意味も込め、離婚もありかな、と考えたりもしたが、前向きに考えてくれた。 そんな優しい旦那を産んだ義母を、どうして同じように愛せないのか、私にとっての永遠のテーマである。 妊娠するまで同居も上手くいっていたことをおもうと、子供を産まなかったら、愛せたのかな、と思う気もするが・・・。そんなことを考えても、可愛い我が子を授かった今、仕方がないし、産まれてくれた子に失礼なのだが。 訪ねてこられると、いつも自分に言い聞かせる。 「冷静になれ、冷静になれ、夫を産んだ女性だぞ」と。呪文やらおまじないのように。 しかし、息子を連れて帰りたい、とふともらす言葉を聞いて、顔がこわばる自分に気が付く。言葉で自分に言い聞かせても、気持ちが伴なっていないからだろう。その乖離に、彼女が帰りし後、強い自己嫌悪に陥る。なんで、可愛さ余っての言葉なんだろうけど、連れて帰りたい、という姑の言葉に、過剰に体が反応してしまうんだろう。これが積み重なって、自分が上手く発散できないと、統合失調症になりやしないか、心配にもなる。あぁ、またネガティブになってしまった。産後ブルーかな・・・。 いつの日か、みんなに心からありがとう、と言える日が来ることを信じて、日々の葛藤を受け入れたり、受け流したり、できたらいい・・・。 |
| オットの役割 | うちの夫は完璧である。今の状態を見ても100点を付けたい! のろけのようかもしれないが、本当にありがたい。 里帰りをしないで新生児期を過ごせたのも旦那さんのおかげ。 夫に期待される役割、としては、、、 1)一通りの家事をこなす 2)育児もこなす 3)妻へのいたわりも忘れない こと 1)に関して 夫は綺麗好きなので、私が入院して居ない間も、週末には掃除や洗濯をしてくれた。退院したら家が荒れていることもなかった。一応、家事のやり方をメモにしておいていったが。出産前から、少しずつ家事の分担をすすめるのがよいかなぁ。 食事はあまり作れないけれど、産後あんまり凝った物が作れない私の手料理も文句言わず、ワンパターンになりがちなものでも食べてくれ、ありがたかった。 2)に関して 夫は、やはり義母に似て子供好き。 おっぱいでないとどうにもならない、事意外は、積極的にあやしたり抱っこしたりしてくれる。新生児の、少し頼りないふにゃふにゃした状態を嫌う(怖がって)夫も多いようだが、うちはそんなこともなく、うんちのついたオムツも頑張って替えてくれた。ミルクも作って、あげてくれた。積極的でないパパは、きっと子供慣れしてないからであって、褒めて褒めて褒めまくって乗せてお手伝いに参加してもらえれば、次第に慣れていって、自分から積極的になってくれるのでは、とおもう。 3)に関して 夫は優しい。誰にでも優しいが、家族にも優しくしてくれる。気の回しすぎじゃないか、と思うときもあるが、本人は気疲れはしていない様子なので、私もありがたくその優しさに甘えてしまっている。産後、本当に、体より精神が不安定(私は特に義理家族との付き合いで妙に抱え込んでしまっていたが)になるので、夫の言葉などが支えとなった。産後の奥さんはこんな風に敏感になるので、夫が積極的に妻に感心を持ち、いたわってくれたら、こんなに良い励みとなって、感謝されるに違いない。 |
| どうする?里帰り | 里帰りしませんでした。 周囲は、里帰りを強く進めていたし、まぁ、私も無理に里帰りしない!と思ってはいませんでした。なるべくなら、新生児期から旦那とも協力して育児したいな、という思いもあったし、里帰りしないですめばいいな、というくらいで。でも、思いのほか、産後の回復がよかったし、退院前なんか、スタスタあるけるし、これは里帰りしなくて平気だな、と思ったので、退院後そのまま自宅に戻りました。 息子の体重がかるかったのも幸い。産後の体に優しい2500g。 たまに、傷が痛む(チクッとする程度)けど、掃除は週末夫にやってもらうことにし、洗濯だけはとりあえず毎日し、簡単な食事をつくったりもしましたが、あとは子供と寝てました。無理はしてません。 ただ、産後1ヶ月は、週に1度、実家の母にきてもらい、食事の差し入れをしてもらいました。食べたいものをリクエストしたりして。世間話したり、気晴しとなりました。友人も、きてくれました(同居してたら、こんなに沢山の友だち、絶対に見舞いに来てないって・・)。 いつも昼くらいに起きるので(夜中の授乳疲れ)、お昼御飯はとりあえず、時間のあるときに握っておいたおにぎりや、母の差し入れのおにぎりやおいなりさんを食べました。母乳を目指していたのでとにかく、米!米!と騒いでいました(笑)。 玄米の粉をお湯で問いで飲むのも便利でした。 夕飯は、一品料理が殆ど。丼物とか、カレーとか、焼きそば、とか。うどん、そばも。 夫は文句も言わず(この大変な時期に文句なんかいったら、家庭崩壊間違いなし)、美味しいといって食べてくれ、たまに、出来合をかったり手抜きもしました。 今振り返れば、里帰り、しなくても普通に過ごせる場合もあるな、ということ。日本では里帰りは一般的だけれど、外国では、里帰りという言葉すらないみたい(産院の医者がいってた)。そうおもうと、里帰りしないことは、産後の回復が順調なら、特別な気合いがなくては乗り切れない、とかそういうことではないんだな、と思います。夫と息子と私、3人でこの時期を乗り切れたのは、本当によかったな、とおもうし、家族の絆も、いきなり強まった気もしますし。 |
| 産後の経過(一ヶ月) | 帝王切開の傷は、たまに痛む程度。抱っこするときに、息子の足が傷に当たり続けると痛むときがあるので、避けるように抱っこしていた。 悪露は退院後、しばらくしたら、殆どなくなった。とはいえ、念のため、昼用の生理ナプキンを当てて過ごす。 オッパイは、少しずつ出てきていたが、20分の授乳で34g息子の体重が増えていた(保健士の家庭訪問で計ってもらう)。まだまだ、少ないくらいだったので、混合をつづけた。自己流だが、お風呂に入っている間におっぱいマッサージをしたり、夫の買ってくれたタンポポコーヒーを飲んだり、そういう努力をし始めたのもこのころ。 精神面はまだ不安定。たまに、途方もなく、悪い方向に物事を考えてしまう事もあり。 |
| 産後の経過(二ヶ月) | 帝王切開の傷は、痛む、というより、たまに痒くなる。カレンデュラクリームを塗るようになったら落ち着いた。傷の痛みはあんまり感じない。 オッパイは大分でてきた。一日に息子が飲むミルクの量が確実に減っている。300mlくらい。日々の努力がみのってか、良くオッパイが張る。射乳の勢いも良い。あと一ヶ月くらいしたら、きっと完全母乳になれるのでは、とおもう。 精神面は、少し落ち着いた。ニュートラルな考えを意識的に持てるよう、人知れず、努力している。でも、まだまだ、かな。 |