おきらく主婦のたわごと

おきらく主婦のたわごと

高校時代



私と母は学校近くのお店に入ってみて聞いてみた。

この辺りに下宿をしているような家はないかと尋ねるが、皆知らないと言う。

何のアテもなく探そうなんて今になって思えば無謀な事だと思う。

空気を読まないのも時にはいいものだと思った。

母は、よくバス停で隣り合った人や病院の待合いにいる人に気軽に声をかける人だった。

声をかけられた人は一瞬知り合いかと思って怪訝な顔をしていることもあるが話し好きの人なら会話が続くというパターンもあった。

ちょっと顔見知りになれば母はすぐに友達だと言ったものだ。

相手にすればちょっとした顔見知りなのかもしれない。

母は友達が少なかった。

感覚がずれていることもあったし、母の言葉で傷つく人も少なくなかったのだと思う。

話しにくいようなこともズバズバ言う母の性格が、この時は生かされたような気がする。

私たちが聞き込みに民家をあたっていた。

学校のすぐ近くの家を訪ねたところ、ひとりの元気な老人が現れた。

「このあたりに下宿をさせてくれるようなお宅はありませんかねぇ。

 この子が高校に上がるようになったのですが、家が遠くて学校の近くに住めるところはないかと思いまして・・・」


「さ~、そんなところは聞いたことがないねぇ・・・」

やっぱりね・・・

もうダメそうだから家に帰ってまた父と相談することになるのかな・・・

私はもう疲れていた。

自分が望んだことだがもうないな、そう思っていたときに母が言った。

「こちらさんで、あずかってもらえないですかね?」

相手のお婆さんは目を見開いて驚いたような顔をした。


中に通されてお茶をだしてもらった。

そして、そのお婆ちゃんは自分の事を話し出した。

自分は今ひとり暮らしをしているのだと。

娘は4人いたんだけど皆お嫁にいってしまったと。

1人は車で10分くらのところに住んでいて次の子が大阪に嫁いで・・・

三女は県内に嫁いでいて毎週末に家族でこの家にやってきていると・・・

話しを聞いている時に目にはいってきたものがあった。

女の子の写真が飾ってあった。

それはお婆さんの末の娘さんだった。

若くして病気でこの世を去ったとのことだった。

このお婆さんはダンナさんを戦争で亡くして女手ひとつで子どもを育ててきたそうだ。

家はとても立派だった。

「そのお姉ちゃんを預かると言ってもねぇ・・・」

あ~、断られるな。

そう思っていたのだが、何かを決心したようにお婆さんは言った。


「よし、あずかろう。ただし、私は厳しいよ。ごはんも一緒、勝手なことは許さないよ。」


私も母も、まさかの言葉に驚いてしまった。

困った様子の私たちを見すてられなかったのだろう。

まさかの展開だった。

こんなどこの馬の骨ともわからない私たちを信じてくれたのだ。

「ただ、娘達が何と言うか・・・

 うちはお客さんもよく来るいえだからね。」

この迫力あるお婆さんを前に私は愛想笑いをするのが精一杯だった。

もともとお婆さんは言い出したらきかないタイプのようだった。

娘さん達にも

「高校生の子を預かることにしたから。」

事後報告であった。

やはりひとりで生き抜いてきた人は強かった。


入学式には父が来てくれた。

母の姿はそこにはなかった。

会社を休む選択など母にはあるわけもなかった。

どの親子をみても父親というのは稀だった。

父は人混みが苦手な人だったが、さすがに放ってもおけなかったのだろう。

もしくは母にきつく言われたのかも知れない。

「運動会にも顔出ししないで!」

そう言って母は父をなじったものだったが、あんたもそんなに偉く言える立場じゃないよ、と心の中で思っていた。

家を離れて、私は開放感でいっぱいだった。

入った当初は何かがかわる!

期待でいっぱいだったのだが、段々それは失望にかわっていった。

まずは下宿をするのは中学時代のようにクラブをがんばることだった。

バレー部を希望していたのだが、中学時代からバリバリやってきた子達が多く、県内ではレベルも高いクラブだった。

コーチも厳しそうだった。

1日体験したが、これはとても私には無理だ・・・

簡単に私はあきらめてしまっていた。

なんとも情けない話しである。


部活のための下宿生活だったが下宿のための部活探しになっていた。

部活にも入らず下宿というのではつじつまが合わない。


後ろめたさでいっぱいになった。

どうしても家が嫌で家を出たとは世間から思われたくなかったのだ。

私も母同様、世間の目を気にして生きていたのだ。

自意識過剰なので、自分が何をしていても見られているのだと思うと緊張した。

おかしく思われていないだろうか・・・

私は普通にできているのだろうか・・・

目立たぬように、普通に。

それが私の理想だった。

部活動はなんとなく見学に行ってそのまま剣道部に入部となった。


大人数でもないし、ちょっとおもしろそうだと思った。

入部して間もない頃、恐ろしいことが待ち受けていた。


なんとルールもろくろく知らない私が試合に出されることになった。

なんという恐ろしいところだ!

1年生女子は他に2人いて2人とも経験者だった。その2人は試合に出るのもわかるが、

初心者の私がなんで~?!

もちろん試合では攻撃することもなく、逃げて終わった。

だれも私に期待などしていなかった。

そのまま上達することなくしまいには幽霊部員となっていた。

嫌なことから逃げることが普通になっていった。

そんな自分に嫌気がさしてきた。

教室でも何となく浮いていたようだった。

教室ではアイドルの話でキャーキャー盛りあがる子達を見て、幸せそうだなぁと冷めた目で見ていた。

部活動にあけくれている人は眩しかった。

自分はそこから逃げたんだ。

授業もちっとも楽しくなかった。

専門の商業科目が好きになれなかった。

5教科で点数をとっても商業科目で平均点がおちる。

悪い成績ではなかったが特別優秀なわけでもない中途半端な自分がいた。

学校から帰ると下宿のSさんが家にいた。

「おばあちゃん」と呼ぶつもりだったが、本人が「Sさんって呼んで!」そう言った。

確かに私くらいの娘さんもいたんだから、今思えば失礼な話しだ。

私の親と10歳くらいしか変わらなかったのだし。


Sさんは着物も縫える人で家で針仕事をしていたり畑にでていることもあった。

時にはお友達とお茶をしているときがあって、私もそこにいることが多かった。

部屋に篭もりそうになると、かならず声をかけてくれた。

お友達といっしょにお茶もした。

私は老人と話しをするのは苦ではなかった。

むしろ若者よりも話しがあった。

いわゆる若さのない落ち着いた印象、ばばくさい子だった。

Sさんの娘さん達は毎週やってきて私を気遣ってくれた。

赤ちゃんを抱えて毎週だんなさんと顔出す。

「大事な婿取り娘を出したのだから!」

それがSさんの口癖だった。


学校から帰ると私は大半をSさんとともに過ごした。

寝る時間になって部屋に帰っていく。

時にはテレビでを見ながら、うたた寝するSさんを起こして自分も部屋に寝に帰る事もしばしばだった。

「好きなだけ、ここにおられ。」

よく他人の私を置いてくれたものだと思う。

また、食事の量がはんぱではなかった。

「これも食べて!あれもね!」

残すと悪いと思って嫌いな物も我慢して食べた結果、私の体重はものすごい勢いで増えていった。

その頃から顔にニキビがでて、容姿は本当にコンプレックスになっていた。

天パーで顔中にニキビのあるデブ。ほっぺはいつもまっ赤。完璧ないなかっぺだった。

時々週末に家に帰るたびに私の容姿のことで母にチクチク言われた。

あいかわらず、どこどこの誰々ちゃんは女の子らしいとか言っていた。

「お前ももう少し、女の子らしくしたらどうだ?」

何を言っているのだと思った。ずっとボーイッシュな私を喜んでいたのではなかったのか?!


母はいつも誰かをうらやんでいた。

自分の同級生の誰々ちゃんは良いとこに嫁に行って楽をしている、とか、私が幼なじみの誰々と結婚していたら今幸せだったかも、など。


もう聞き飽きたような話しばかりだった。

母はいつも、もしも、の話しをしていた。

自分は親に決められてた結婚だった。親に逆らうことはできなかったと言っていた。


そして必ず父のことでグチをこぼしていた。

父は母のことで私に愚痴ることはなかったが、相変わらず夕方になるとケンカが始まった。

やっぱり、ここは居心地がわるい、早く向こうに帰ろうと思った。

Sさんの家に「ただいま~。」と言って帰るとニコニコSさんが迎えてくれた。

「たた(女の子のこと、私の愛称)、そんなに毎週帰らなくてもいいんだよ。

 バス代もかかるし、うちはいてくれてもいいんだよ。

 遠慮せんとおられ。」

ありがたい言葉だった。

遠慮していたこともあったが、やはり家も気になっていた。

私の目がなくなったことで父と母は遠慮なくケンカをするであろう。

私は分かっていて帰っていった。

時には姉の嫁ぎ先に泊めてもらうこともあった。

姉とポンポン会話するのは楽しかった。

でも姉も結婚してこどももいて、義兄と仲良くやっている姿をみると昔のようにはなれないと寂しくかんじることもあった。

姉には姉の生活がある。

もうここの家の人なんだと思った。

姉も他人の家で苦労したようだが、実家で過ごすよりは良かったのだと思う。


Sさんの娘さん達のSさんを思う気持ちが伝わってきた。

長女は毎週掃除をしにやってきた。

「hossyちゃんが来てくれて、私、安心してるのよ。」

そう言われたことがあった。

「ひとり暮らしだと心配なこともあるんだけど、今は安心してるの。」

母を思う娘の気持ちがわかった。

私の存在も少しは人のためになっているのかな?!

嬉しい言葉だった。

「おかあさん、おかあさん。」

Sさんを呼ぶ娘さん達の関係をみて羨ましく思った。

私はそんな風に母を呼べなかった。

Sさんもよく娘さんにたちに説教をしていた。

「もう、そんな事言って!おかあさんったら!」

うちでのやりとりとは違う。

テレビ中の出来事を見るように私は黙ってみていた。

そして自分には無縁な世界だと決めつけていた。

自分は結婚などできない。

したくもない。

ずっとその気持ちはかわらなかった。

私の心は誰にも開くことはなかった。

言っても分かる人がいないのだ。

言わなければいいのだ。

言ってもどうしようもないことだと分かっていたからだ。


Sさん宅に下宿するようになって2年目の冬のことだった。

ある親子がたずねてきた。

それは中学の後輩とお母さんだった。

冬場は家が遠くて、私がここで下宿しているときいて自分の娘もお願いできないかということだった。

Sさんは、やはり断らなかった。

「ひとりも2人も一緒!」

大きな器の人だった。

困った人を追い返すことが出来ない人なのだった。

後輩のKちゃんは可愛い子だった。

容姿端麗、成績優秀で誰からも愛される子だった。

私はKちゃんをいつも羨ましく思った。

Kちゃんがいるだけで部屋が華やかな雰囲気になる。

聞けばKちゃんにも悩みがあるのだと言った。

「私の外見で私を判断する人が多いの!勝手に私のイメージを作るんだよ!」

何とも羨ましい話しだと思った。

まあ、可愛い子の苦労は私には分からなかった。

時には誘拐されそうになった事もあったという。

私のようなかわいげのない、人を寄せつけない子には想像もつかなかった。

私の場合は人を信用できなくて、いつも騙されてはいないかと疑惑の目でみていた。

どんよりした空気を背負っていたのだと思う。

ただ父親がユニークな人で冗談ばかり言っている人だった。

私もその点だけ、父に似たのか人を笑わせることも時にはあった。

人がいれば話しかける気遣いもした。

あの小学校時代の無口な私は卒業していた。

だからこそ、昔の私をしる数少ない同級生と顔を合わせるのが苦痛だった。

私の勝手な思いこみかもしれないが、昔のダメダメな自分を知られるのは嫌だった。

パッとしない高校時代ではあったが、周りからみれば私が思うほど暗さもなかったのかもしれない。

私自身が自分のイメージを作り上げていた。

自分の評価が異常に低かった。

時々私は深みに沈んでいった。

なんで、産まれてきたんだろう。

あいかわらず答えがわからないでいた。

自分がいなくなっても困る人などいないだろう。

そう信じて疑わなかった。

ただ、父と母にしんでもらいたくないと思っていた。

それがずっと不思議だった。

この人達がいなくなると自分が生きていけないと思っていたからかもしれない。

その時は心のよりどころではなく、経済的なことだったのかもしれない。

家に電話をかけて誰もでなければ、雪かきをしていて雪の下敷きになってはいないかと心配もした。

心配はしても、それを口に出すことはできなかった。

私は素直な子ではなかった。

自分の本心など誰にも話してはいけないと思っていた。

自分の本心がを知られたら嫌われてしまうと思っていた。

私は嫌なヤツなんだと自分を嫌っていた。

やっぱり産まれてくるべきではなかったのだと思っていた。

みんなに愛されているKちゃんを見る度に自分とは別世界の人だと思っていた。

ただ、Kちゃんにも大きい悩みがあった。

Kちゃんにはどうすることもできない事実だった。

それこそ誰にでも言える話しではないのだと思ったときに、人って意外なこともあるのだなぁと思った。

Kちゃんはその悩みを誰にも言えなかった。

私に言ってくれた時には驚いた。

幸せそうに見えてもわからないものだと思った。

それからKちゃんとの距離が近くなった。

その一年後の冬にはもうひとり、下宿人が増えた。

完璧下宿屋になってしまった。

Sさんもご飯つくりに気合いがはり、ますます私は身体が大きくなっていった。

Kちゃんまでぽっちゃりして春に実家に帰っていった。

自分の家にいたときには私はお菓子で生きていたようなものだった。

母があまりご飯を作るのが得意ではなかった。

たまに作るのだが、味付けが薄かったり濃かったりと安定していなかった。


父は味が薄いと機嫌の悪い人だったので、母はこれでもかというくらい味噌や醤油をつかった。

学校給食で舌がこえた私には食べたいものはなかった。

質素な食卓とは大違いでSさんは私たちが喜びそうなものをつくってくれた。

朝ご飯は私が作ることもあった。

小学校の時に味噌汁や、かんたんな物を作れるようになっていたのであまり苦ではなかった。

嫁に行く姉が心配して私を仕込んでいったのだ。

「父ちゃんも母ちゃんも遅いからお前がサラダや味噌汁くらいつくってや。」

姉も気がかりを残したまま嫁いでいったのだった。

3年は長いようで瞬く間に過ぎようとしていた。

就職しか選択の余地がない私だった。

当時はバブル全盛期で学校にも求人募集の話しがきていた。

そこに両親が希望するところがあった。


受けることも可能だったのだが担任いわく私には難しいだろうと告げた。

なぜなら、そこは縁故関係でほぼ内定が決まっているという話しだった。

自分よりも成績の悪い人がすでに決まっているのか・・・

現実を見せられた。

私がそこに入社したいという気持ちはなかったが、何ともおかしな話しだと思った。

そして両親は間違いなく入れると思っていた。

親子揃って愚かだと思った。

自分の道はどうせ親が決めてしまうのだ。

親が思うようにしか私は進んではいけないんだ。

心の底で何となくそう思っていたのだ。

自分の気持ちなど何もなかった。

親の言うようにずっと従ってきた。


今度も親の言うままに私は就職することになるんだろう・・・

就職の第一希望が通らなかったことで世の中に対して、親に対して不信感を抱くようになった。

貧しいことを憎んだ。

担任は県内でも遠くの寮のある大企業を勧めた。

そこなら間違いないだろうと言った。

就職先がないと言うなら仕方ない・・・


両親の肩がガックリおちていた。

私は近くの会社を希望した。

それには両親も意外だったらしい。

ふたりとも喜んだ。

それを見て何故か滑稽だと思ってしまった。

自分たちの思うようにはならないだろ?!

そんな目で両親を見ていた。


私自身もなぜ近くの会社を希望してしまったのか分からなかった。

あんなに家を出たいと願っていた私だったのに。

なぜだか家を離れられないでいる自分がいた。


「お前は家を継ぐんだぞ。」

ずっとそう言われていたことが大きかったのかもしれない。

私は4月からその会社に世話になることになった。

嬉しいと思った。

これで自立できる。

また私は高校入学時の様に希望に満ちあふれていた。
















































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