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おきらく主婦のたわごと
社会人になってから
また私はあの逃げ出した家に戻ることになった。
これで自分で稼ぐようになれば父も母も私にかかるお金は必要なくなる。
前のようにケンカはなくなるかもしれないと秘かに思っていた。
新入社員として入った会社。
電子部品を作る工場だった。
一年間は現場に出て、その後他の課にふりわけられるようだった。
現場の先輩達はそれは気を遣ってくれた。
選別の仕事で目は疲れたが座っての仕事だったので筋肉痛などになることもなかった。
会社が終わって週末ともなれば、若いと言うだけでちやほやされた。
私は垢抜けないイモネーちゃんだった。
同期で入った女の子達は、それはそれは可愛い子たちで彼氏のいない子はいなかった。
高校生の頃くらいから人と話すことはそれほど苦ではなかった。
むしろ人を笑わせられるくらいになっていた。
いつも私は元気なキャラになってしまっていたようだ。
でもそれはうわべだけ。
ひとりになれば気持ちは沈んでいた。
金曜日の晩に家にいれば、かならず会社の誰かが飲みの誘いをしてきた。
家にいてもクサクサする私は車を走らせた。
子どもの頃は家の中でじっと耐えるしかなかったが、仲間が誘ってくれる。
家に帰らなければならないので、ほとんど飲まないでカラオケで盛り上げた。
飲まないでも飲んだテンションでつきあえた。
当時はバブルでよく飲みに連れて行ってもらった。
遅く家に帰ると母が起きてきた。
「父ちゃんが怒っていたぞ!」
言葉はでなかった。
段々、父との会話がなくなっていった。
母との距離はずっと感じていたが、父とはそうではなかった。
でも父とも距離はできてしまっていた。
2年目には違う課に移動した。
今度は事務仕事だった。
とてもそこは静かな課で息苦しかった。
環境がちがいすぎた。
そして私が事務仕事をこなせないことで、自己嫌悪におちいった。
課長からも怒られたが、まずいことに私の直接の上司が怒られることもあって申し訳ないきもちになった。
「ひとつ辞めてしまうと、どこも続かないぞ!
辞め癖がつくぞ。」
母はいつもそう言っていた。
母はそう自分に言い聞かせながら仕事に行っていたのだろう。
学のない母にはそこで堪えるしかない、自分に次があるとは思っていなかったのだと思う。
そういう生真面目なところが母にはあった。
しかし私にはやりたい仕事とは違っていたという思いは早くからあった。
そこを辞めると言ってしまうとどうなるのか・・・
自分も気まずい。
同僚とのつきあいも楽しい。
やさしくしてくれた人たちもたくさんいる。
だけど、何かがしっくりこない。
でも他に何が自分にできるのだろう・・・
毎日毎日そんなことを考えていた。
辞めるときがあるとすれば結婚するときかな。
新入社員で入った女の子が何人か寿退社をした。
可愛い子は周りが放っておかないのだと実感した。
私は完全に男の人達の中にいても異性には思われていなかったようだ。
高校を卒業してからの変化と言えば化粧をすることだった。
ニキビの赤身が消えることでかなりの厚塗りをしていた。
なんだか別人になったようで嬉しかった。
いつも顔を見られるのがいやで人と目をあわせられないところがあった。
久々にあった高校時代の友人達は私だと分からないくらい塗りたくっていた。
近所のおばちゃんも黙っていれば私とは分からないようだった。
それが私には心地よかった。
昔の自分を知っている人にはできれば会いたくなかった。
そんな暗い子どもだと言うことを知られたくない。
あの普通でない育ち方をした自分のことなど誰にも言いたくない。
自分のことは言いたくなかった。
心を誰にも開くことができなかった。
自分が昔の私だと分からないくらい見た目も変わりたいと願った。
母お墨付きの不細工な私だったので化粧をして着飾れば少しはまともに見られるようになった(ように思う)
ある時、仕事の悩みもあって胃が痛くなってご飯をあまり食べられなくなった。
ご飯をたべると胃が痛かった。
病院に行ったところ、ストレスによるものだろうと診断されたがたいしたことはなかった。
当時は私の直接の上司の胃がひどかった。
私のせいもあるのかもしれないと、責任を感じてしまった。
そうなると私もため息だ。
ご飯もあんまり食べたくなくて気がついたら7,8キロ痩せていた。
その頃から着るものも変わっていった。
今まで着られなかったような服が着られるようになった。
それまでは体型を隠すような服装だったが短いスカートだってはけるようになった。
お金を洋服につぎこむようになった。
もう太りたくないと思ってなるべく食べないように心がけた。
もっと・・・
もっと痩せたい!
痩せても私は顔がポッチャリしているのとソフトボールで鍛えた足は少し太めだった。
骨格もしっかりしているので、周りの人はあまり気がつかなかった。
気がついたら40キロを切っていた。
あばら骨がでていても何も思わなかった。
まだ太い・・・もっと他の人は痩せている・・・
私の目にはそう映っていた。
「少し、痩せすぎじゃないのかい?」
前にいっしょに働いていたおばちゃんが見かねて言ってくれた。
「前の時の方がぽっちゃりしていて可愛かったよ。」
それは痩せた私が羨ましいんだね?!
「そう?!」
笑いながら答えている自分がいた。
だめだよ・・・
私はもっとやせるんだから。
そして体重計に乗って減る度に嬉しく思っていた。
成人式の着付けはバスタオルをまいて補正された。
「細いわねぇ~。」
美容師さんに言われて嬉しかった。
今、写真をみるとこわくなる。
頭でっかち、厚化粧、ギスギスした顔の自分がいた。
そんな自分をきれいになったと思っていた。
いつも自分が嫌いだった。
他の誰かになれるものならなりたかった。
人が羨ましかった。
しばらく体重計にのらなくなって、あれ?!と思うことがあった。
服がきつい?!
あわてて体重計に乗ると7キロくらい増えていた。
リバウンドだった。
胃の痛みもなくなって食べ歩くことが多くなっていた。
太らないわけがなかった。
食べることもやめられなくなっていた。
食べては罪悪感を感じ、また自己嫌悪に陥った。
そして思いついたのは・・・
寝る前に吐くことだった。
毎日毎日吐いた。
食べる量ははんぱではなかった。
とにかく食べて水分をとって吐いた。
時には喉の中が切れて血が混じった。
指をつかうので吐きダコができた。
これをみられたら・・・
見る人が見ればわかる。
左手は人前に出さないようにしていた。
自分は死んでしまうかもしれないな・・・
そう思うと恐くなった。
そして昼に仕事に行けばいつもの自分を作り上げる。
私はかなり毒を吐いた。
特に男の人には言いたい放題だった。
言ってしまったあとで、言わなければよかったと後悔もしていた。
なんと自分は残酷な人なのだろうと思った。
「あんたみたいに言いたいことを言えたらいいわな。」
そう思われていたようだ。
そう。
それでいい。
うじうじした私を見せたくないと私は必死で仮面をかぶった。
家に帰れば、家の後を継げとばかりに責める両親がいた。
「見合いをしてみないか・・・?」
姉の時を思いだした。
お嫁に行く話しの見合いはできたけど、お婿さんもらいの見合いは成立しなかったじゃないか!
また自分たちで盛りあがっていたのだろう。
「こんな家には誰も来ないよ!」
「いや、ここに住まなければ誰か来てくれる。」
父は信じていた。
その自信はなんなんだよ!
こんな弱い私に誰が来てくれるというのか・・・・
もういい加減にして欲しかった。
早く私のことをあきらめてほしかった・・・・
「お前の好きなようにしろ。」
そう言ってほしかった。
でもそうは言ってはくれない。
どうやったら私をあきらめてくれるのだろうか・・・
当時、父と母は私のことで頭を痛めていたのだと思う。
食べては吐いていることは気がついていなかったようだ。
ただ母は私の言動が少しおかしいと思ったようでお寺に行っていた。
私に猫がついていると言われたらしい。
お経をよんでもらってきたという。
母が私の異変に気がついたということで、やばいと思った。
もう我慢ならない。
会社を辞める決意をした。
入社して5年経とうとしていた頃だった。
良くしてもらった人たちには悪いと思った。
人間関係の難しさもあった。
ずっと歳をとるまでここにはいられないと思っていた。
自分にもっとも向いていない仕事だとわかった。
私はまったく自分がわかっていなかった。
5年近くいたんだからがんばったよね。
そう言って自分を納得させていた。
春から美容学校に行くと母に告げた。
父も無言だった。
2人の夢はもう叶わないと思ったのだろう。
それでいい。
とにかく私をあきらめて欲しかった。
母は人様に恥ずかしいと言っていた。
誰にも言えないと・・・
そう言われると申し訳ない気持ちはなくなった。
春から私は電車で通った。
朝7時の電車にのって乗り継いで1時間。
家から駅まで車で30分。6時過ぎには家を出なければならなかった。
通学が同じだった子が4人いた。
皆高卒でピチピチしていた。1人は高校中退だったが、どの子もやりたい道を見つけていた子ばかり。
すごいなぁと思った。
久々に机に向かうことが嬉しかった。
そこでは成績は優秀だった。
クラスでは2番目におばさんだった。
30代の人がひとりいた。
お店をもちたいという夢を持っていた。
中学を卒業して行き先がなくて来ているような子も多かった。
一学期が終わる頃すでに辞めている子も少なくなかった。
そして夏休みは美容院で働くようにと言われた。
バイトで入れば、夏が終わったから、はいさよなら!ってわけにはいかない。
そこでしばらくは働く覚悟で行かなければならなかった。
なんとなく募集のあったお店に決めた。
地元ではなく、乗り継ぎの駅の近くだった。
夫婦で経営しているお店だった。
ここでも夫婦げんかを目の当たりにした。
そんな時は困ってしまった。
シャンプーやカラーやブロウをする程度だった。
いつも、そこそこ忙しく私が学校から帰ると洗濯物や洗い物がドッサリたまっていた。
雑用に終われていたので、そこで勉強会などはなかった。
困ったことはお金が何かと必要になったことだった。
車も買いかえていたのでローンがあった。
そんなときに美容学校の友達がスナックのバイトをはじめていて私を誘ってきた。
週に2,3回だけ。
魅力があった。働く自信もなかったが、このままでは生活も出来ない。
なかなか勇気がいったが面接に行くことにした。
その時の私はショートカットで茶髪。美容学校では地味なほうだった。
印象では健全なお店でマスターは元銀行員。
ママはマスターと同じ歳で子どもはいなかった。
時にはケンカもするけど仲が良かった。
考えてみれば、こちらでも夫婦の間に入ってのバイトだった。
とにかく私は気が利かないのでマスターに叱られた。
「ほら!水出して!」
ひとり2人のお客さんなら良いが団体客は苦手だった。
小さいお店ですぐに満席になってしまうお店だった。
マスターに会いたくて来るお客さんが多かった。
私を紹介するときは必ずこういった。
「この子ね、美容師のたまご!新しいバイトの子だから、よろしく~!」
お客のいないときには、よく怒られた。
私はおもしろくない顔をしていたのかもしれない。
自分でもお金のためだと割り切っていた。
いつも時計をみて時間になったら帰っていった。
朝5時半に起きて、美容学校にいって、毎日美容院で2,3時間働く。
その後8時から12時までスナックでバイト、そこから1時間かけて家に帰る。
数時間だけ寝て出掛ける生活だった。
さすがにスナックでバイトとは言えず、喫茶でバイトだと親には言っていた。
そんな生活が1年続いた。
自分が決めたことだからがんばれた。
とにかく学校を卒業して国家試験をパスすることが目標だった。
あっという間に楽しい学校生活は終わってしまった。
インターンとして一年間、お勤めをして国家試験を受けることになる。
結局通勤のことも考えて近場にした。
車で30分。
給料はさすがに安いのでスナックのバイトも週に2回ほど続けていた。
もうひとり普通のOLさんもいた。私と交代で入っていた。
素人の寄せ集めだった。
ただ、国家試験をとったら辞めるつもりでいた。
マスターもママもよくしてくれた。
私はどんなにお客さんに食事に誘われても皆で遊びに行こうと誘われても頑なに断った。
マスターやママのことは信頼していた。
だから家に呼ばれて
「おまえ、練習台になるから俺の髪染めてくれ!」
そんなこともあった。
おもしろいおっさんだと思った。
叱るけど、この人には素直になれた。
「でも~。」なんて口答えもできるようになった。
夜の世界のひとなんて・・・
バイトまでして言えるセリフではないかもしれないが偏見をもっていた。
でも、暇なときにマスターが窓の外をみながらつぶやいた。
「もどれるものなら、銀行員にもどりたいな。
俺は大きな借金もあるしな・・・時々つらくなるわ・・・」
お客がきたことで、いつものはしゃいでるマスターにもどった。
1年の美容院のお勤めが終わって国家試験をパスした。
慣れて楽しくなりかけてきたのだがスナックのバイトは終わりにしようと思った。
「そうか・・・最初からお前、そう言ってたもんな。」
ふたりは、快く承諾してくれた。
「今度はお客さんで来いよ!」
そう言って別れた。
その数ヶ月後に信じられないことがおこった。
マスターの訃報だった。
あの言葉が頭をよぎった。
なんで・・・
でもママをおいてはいけないはず。
心筋梗塞だったそうだ。
初めて身近な死だった。
まだ40歳になっていなかった。
もう会えない別れだった。
何とも言えない気持ちになった。
兄のような、父のような人だった。
子どものようなところもあって魅力的な人だった。
今の私はマスターの年齢を超えてしまったが今でもそれが信じられない。
ステキな出逢いのひとつだった。
この人に逢うことがなければ、今の私はなかった。
それほど大きい存在だった。
マスターは私の影の部分を見抜いていたように思う。
叱られて小さくなっていく私に叱った後は必ず慰めてくれた。
大人になっていても扱いにくい子だと思っていただろう。
私が美容師の道に進むようになってから母は私の存在をますます恥ずかしく感じていたようだった。
近所の人に聞かれても
「しらない。」って答えていたそうだ。
子どものことなのに知らないなんて自分の神経を疑われるぞと思った。
母はそこまで考えるような人ではなかった。
ひとたび、この人が嫌いだと思ったらかかわらないような人だ。
まるでこども。
それでいて人のことが気になってしょうがない。
誰かが家の近くで立ち話をしていると、そっと隙間からのぞき見るようなところもあった。
そして夜になると、さっさとカーテンをひいて家の中を見られないようにガードする。
それは異様な光景だった。
自分が人を気になるように、人も自分が気になっていると思っていたらしい。
悲しいかな母を真剣に相手にしてくれる人などいなかったと思う。
母はコミュニケーションのとれる人ではなかった。
友達と言える人は昔の幼なじみくらいのものだった。
病院の待合いで会話をする人を勝手に友達と思いこんでいた。
母の話の内容はほとんど父の悪口であった。
自分はこんなにひどい目にあっている!
それでも自分より悲惨な人の話を聞いて、自分はまだマシな方なのかと自分を慰めていたようだ。
母が退職した頃、なんどか病院につれていったことがあった。
母を待っていると相変わらず通りかかった人に気軽に声をかけ、内容のない話しを誰とでもしていた。
病院の待合いはサロン化しているなと思ったものだ。
母の話の中で父はいつも悪人だった。
黙って聞いていたが、そこまで父はひどいことをするのだろうか?!
そんな疑問もあった。
その頃は深く考えてはいなかった。
ただ父も母も私を思い通りにコントロールするムシの良い親だとしか思っていなかった。
時々会社の人から男の声で電話がかかってくれば
「長男か?!次男か?!」と聞いてくる。
単なる会社の上司であっても聞いてきたのでウンザリした。
会社に勤めていた頃、二十歳くらいの頃につきあった人がいた。
自分はまだ若いし結婚などするつもりもない。
家に数回車で迎えに来たことがあったのだが、驚いたことに相手は私の気持ちなどおかまいなく私を嫁にくれと親に言った。
信じられなかった。
自分は結婚などに良いイメージをもっているわけでもない。
一度もそんな話しをしたことがないのに。
「うちの子は嫁にはだせないから、あんたが来てくれないか?」
父は図々しくもそんなことを言った。
相手は長男なのに。
こんな過疎地に?!
誰が来るかいな。
私の気持ちを確認せずに暴走した相手に対しても腹がたっていた。
「自分が婿にくるならいいんですか?」
「そうだ。」
その展開に驚いた。
何か、勢いで家を出てしまいそうな感じだな。
自分の親に了解をとると言っていたが、私はこれでお終いにしたいと思った。
向こうの親御さんにも悪いと思った。
何より自分には結婚願望がなかったこと。
それも相手に悪いことをしたと思った。
結局、親を説き伏せることもできなかったようでそれっきりだった。
「俺は絶体、結婚しない!」
そう言って別れたが数年のうちに誰かと結婚したのを風の噂に聞いた。
少しほっとした。
私などと結婚しなくて正解だと思った。
もう嫁に行こうにも手遅れだというくらいの年齢に早くなればいいと思った。
そしたら親もあきらめるだろうと思っていた。
どこまでも卑屈になっていた。
25歳をすぎてフラフラしている娘が家にいることで、私は母の悩みの種になっていたようだ。
もう浮いた話しもない。
自分の中で親を困らせたいと思っている私には気味がよかった。
父との会話はなくなっていった。
私も必要最低限の話ししかしなくなっていた。
会話になればすぐに家の跡取りの話になる。
私は完全に親を避けだしていた。
美容関係の仕事になると休みは会社にいた頃のように休みはなかった。
どうせ遊びに行くでもないからちょうどいいと私には好都合だった。
ある時母がしんみりして私に言った。
「おまえ、誰か好きな人はおらんのか・・・?」
「おらんよ。」
「誰かおったら、お前嫁にいってくれ・・・」
念願の言葉が母の口からでた。
嬉しくなかった。
あんなに望んでいた言葉だったがちっともうれしくなかった。
母が涙ながらに言っていたからか?!
「父ちゃんもあやまってたよ。
学校にも行かせんで・・・もう好きにさせてやらんかって言ってたよ。」
自由になる許しを得たのに何でかちっとも嬉しくなかった。
私は親を困らせたかった。
「ふん、今さら誰ももらってくれないよ!」
泣きながらそう答えた。
歳をとって家を継げそうにもないから嫁に行け!なんてムシのいい話だ。
そんな事を言われても私の心はちっともスッキリ出来なかった。
「お嫁にいく」
行きたいと思ったことが実は一度も思ったことがなかった。
人を本当に好きだと思ったことがなかったのかもしれない。
片思いがいちばん心地よいものだった。
いったん振り向いてくれたら、なんだか失望してしまう自分がいた。
結婚に対するイメージが悪すぎた。
その意味も分からなかった。
私は欠陥人間なんだ。
そう思っていた。
そんな頃、知り合いがある人を紹介したいと言ってきた。
私が跡取りで相手は次男というだけで・・・
第一印象ではありえん~
どう見ても歳がはなれすぎているやろ~と思った。
実際は3つちがいであった。
あまりの落ち着いた風貌。
そして私は当時まっ赤な髪をしていた。
相手もそうとう驚いたようだった。
お互いにこの話はないものと思った。
違いすぎる。
この組み合わせはまずありえん。
言葉を交わしてもお互いに良く見せたいと思わないのでぶっきらぼう対決のようだった。
知り合いを疑った。
その時から半年以上も過ぎて忘れた頃・・・
スキーがしたくないかと誘われたのがきっかけでつきあうようになった。
私は純粋にスキーがしたかっただけだったのだ。
第一印象が最悪同士なので逆によかったのかもしれない。
お互いに休みがあわず、忙しいので毎日電話をしていた。
つきあいだして1年たつかたたないかの頃、まさかの結婚の話しが浮上。
そこでも親の顔がちらついた。
前と違っていたのは結婚は悪くないかもしれないと思っていたことだった。
いくら次男と言っても・・・あの親と引き合わせるのがこわかった。
また突拍子もないことを言い出すはずだ。
だいたいのことは話してあった。
今度はありのままを言って去っていけばそれはそれでいいやと思って子ども時代のことも話した。
それでも驚かないで聞いていた。
それくらいで驚くような人ではなかった。
もしかしたら、この人に逢うために自分は今まで人を好きになれなかったのかと思った。
これが縁というものなのか・・・?!
初めて結婚を意識した相手だった。
誰かとつきあっているということを薄々感じて両親だった。
相手が次男だとわかると大喜びだった。
浅はかな人たちだと思った。
いくら次男とはいえ、こんなどこの馬の骨ともわからない娘に
「はい、どうぞ。」
などと差し出す親などいない。
まして、結婚のことになると親が抜きでは話しがすすめられない。
何を言い出すかわからない母親と楽天的な父親を会わせる勇気など私にはなかった。
まとまる話しだってまとまらない。
相手の母上は女手ひとつで2人の男の子を育て、親の会社を継いでいた。
「その辺の男もタジタジなおふくろだ。」
とてもじゃないが、つりあわない。
私が嫁にいくなら、この話しはなんとかまとまるかもしれない。
いや、それだって気に入られるかなんてわからない。
ずっと、こんなことを考えるのが苦痛だった。
自分の親を知られたくないという思いでずっと過ごしていた。
自分の親はかなり変だとは伝えてあったのだが、まさか結婚の話しに至るなんて思ってもいなかった。
ただ今までになく自分を正直にさらけだせる相手だとは思っていた。
自分が嫁に行くとなれば、両親ががっかりするであろう。
「もう好きにしなさい。」
そう言っておきながら、交際相手が次男とわかると舞い上がる親にあきれた。
どこまで単純なのかと思った。
貧乏でこんな山奥に住んでいて、まして婿に来てくれなどと言えなかった。
あきらめよう・・・
また私は逃げる気持ちになっていた。
その方がいいんだ。
「おまえ、嫁に行けよ。。。」
姉が言った。
姉もその方が常識的だと思ったようだ。
あんなに喜んでいる両親だが、いざ嫁に出すとなると反対するだろう。
私が家を継がないとなると父は悲しむだろうなぁ。
ずっと子どもの頃から言われ続けていたせいかいざ嫁に行くとなると、どこか抵抗する自分があった。
でも相手の家のこともある。
自然消滅になるだろう。
いつもそうだ。
自分はいつも何も決めることが出来ない。
その結果、何をしてきたのか分からないようないい加減な生活になっていた。
自分が何かを言えば、誰かを悲しませてしまう。
どうしたらいいのか・・・
そんな時に父親が家に相手を呼べと行ってきた。
ああ、もうこれでお終いかもしれない。
姉もあの親にはまかせてはいられないってことで実家に帰ってきた。
相手も足取りが重かったようだ。
これで終わりなら、この人は顔を出さないだろう。
そうなってもしかたない。
割り切っていた。
「hossyさんとは結婚するつもりで交際させていただいています。」
私の心配をよそに両親はニコニコだった。
勝手に良いように想像しているのがうかがえた。
とりあえずの挨拶だった。
それからが問題だな。。。
相手の母上にもばれて、今度は自分が呼ばれた。
3人で食事をしようということになった。
緊張した。
私が跡取り娘で会社をやめて美容師をしているという話しもしっかい伝わっていた。
相手の兄はその頃、家族で海外に赴任していた。
もう、つりあう相手ではないのが歴然としていた。
あまりにも私が頼りなさそうだったので、やさしく声をかけてくれた。
緊張しているのが伝わっていたのだろう。
強いものに対しては強くあるが、おどおどしている私に攻撃などできなかったのだろう。
やさしい人だ。
実は相手の母も婿取りだった。
自分の親と、ダンナとの間で大変な思いをしたと言った。
もし、私が婿をとるとなると私が大変なのだよと言った。
「私は最終的に自分の親をとったんだけどね。。。」
何も言えなかった。
自分の息子を迎え入れたとして、私にその覚悟があるのかと言いたかったのだろう。
その時は食事をして別れた。
どう考えてもつりあわない。
私はもう半分以上あきらめていた。
もう相手がどう出るかまかせることにした。
そんなことはいつものことだ。
慣れている。
今思えばほんとに自分で動くことがなかった。
いつも人任せだった。
決断もしないから自分で責任を負うこともなかった。
自分の人生だけど、自分には決められない。
どうせ、親が決めるのだ。
いつからか、ずっと人生は思うようにはならないと感じていた。
そんなものなのだ。
そんな気持ちでいた私だったが、ある時相手が言った。
「自分が名前をかえるよ。でも同居はしない。それでどう?」
それは私にとっても私の両親にとってもありがたいことだが・・・
やっぱり相手の母上の悲しむ姿が浮かぶ。
いいんだろうか・・・甘えて・・・
最終的にはその話がでて数ヶ月後には結婚することになった。
後で聞けば、やはり母上は猛反対だったらしい。
それを説得してくれたのが義兄だったのだ。
「もし、反対して、家を飛び出したらどうするんだ?!」と。
それなりの約束事を交わした方が懸命だと説得してくれたらしい。
私の姉と義兄がいなければ、この話はまとまらなかったようだ。
義母は私の姉を気に入ってくれた。
とてもしっかりしているからと・・・
しっかりせざるを得なかったのだ。
あの両親だったから。
姉は私の母親のようだった。
いつも怒られた。
恐い存在だった。
曲がったことが大嫌いで、ずるい人が許せない。
姉もつらい人生だったと思う。
「まさか、お前が結婚するとはねぇ・・・」
姉も不思議に思ったらしい。
姉にとっては思い通りにならなくて、ギャーギャー泣きやまないやんちゃな妹としか映っていなかったのだろう。
結婚式は私の27歳の誕生日の1日前だった。
自分は幸せな家庭を築こう。
ぜったいあの親のようにはならない。
そう誓っていた私がいた。
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