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ようやくパリの某ホテル側が、自らのミスを認めました。某予約サイトとVISAカードと二つの会社から手配させたので、どちらが取り持ったのかは定かではありませんが、某予約サイトからのメールで、解決したと報告がありました。すでに6月4日に、カードから引き落とされたので、同じカードに入金という形になりました。それが行われるのが、7月4日という事になりました。 私には落ち度がない為、諦めずに某予約サイトとカード会社に、連絡をして実行したので良かったです。今後の為にも戦わなければと思いました。個人的には、某予約サイトへの対応も勉強になりました。 後は、パリ空港での免税手続き(税関印を押して、ポストに投函したので)が、間違いなく行われる事を祈るばかりです。ランキングにご協力お願いします
2011年06月07日
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某大手予約サイトから、4日ぶりに連絡がありました。メールですけど・・・。相手がフランスで時差もあり、難航してるとか・・・。1~2ケ月はかかりそうだと。サイトさんからは、重要案件で、解決に向けて頑張ってますという返事をいただけました。 それで、一応カード会社に相談したところ、システムの関係で、6月4日の引き落としは決行されるといわれました。もう少し早かったらと言われました。その後、そのホテルからカード会社に入金という形になるそうですが、ホテル側との交渉にサイト同様、時間はかかると言われました。 何年か前にもそういったトラブルがあって、カード会社に相談したら、すぐ解決した経験があったので、差し止められると思ったのですが・・・。その時はチェコのホテルでしたけど、パリが本当に嫌いになりそうです。パリ自体ではなく、人そのものなんでしょうが、全部が全部そう関連付けしてしまいそうな、今の心境です。 パリでは、今まで出来た空港での免税還付も、「カードで購入したから、税関の封書を郵便ポストに投函」と言われ、お金がもらえませんでした。2~3ケ月後に、きちんと小切手が送付されることを、願ってやみません。そういう事なら、お店で現金って言わず、カードに送金と言えば良かったと後悔しています。皆さん、パリ空港が欧州最後の空港なら、用心しましょう!そういう事もあり、パリが本当に嫌いになってきました。ランキングにご協力お願いします
2011年05月20日
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フランスのパリが嫌いになりそう・・・。 大手予約サイトで予約したホテルを、予定が変わり、キャンセル料が発生しない時点で、キャンセルしたにもかかわらず、1泊分がカードに課金されていました。そのことに気づいたのは、旅行の最中で、日本に帰ってからトラブルを解決しようと思ってました。すぐに解決するだろうと・・・。 その大手予約サイトに電話して、上記のような内容を伝え、今週の月曜日に電話しました。そして今の時点で、何も解決していません。私の考えでは、なんの落ち度もないので、翌日には解決できる案件だと思っていましたが、なんでこんなに日にちを要するのか?パリのホテルの陰謀としか思えません。そして、その大手予約サイトにも誠意が見えず、そこを通じて予約したのを後悔していますし、ひいてはパリが嫌いになってきました。 K君に言わせると、焦りすぎ。もう少し待ってみようとか・・・。このままだと、6月4日の引き落とし日には、引き落とされそうです。最終的には、カード会社に相談するしかなさそうです。ランキングにご協力お願いします
2011年05月19日
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昨日無事に帰国しました。福岡に到着したのは、正午前だったのですが、疲れていて(睡眠不足)UPする気力もなく、本日に至りました。 昨日は、帰ってからお昼ご飯を食べたら、睡魔に襲われてきて、少し仮眠してから、お風呂に入り夕ご飯を食べながらTVを見ていたら、また眠っていたみたいで・・・。今日も起きたのは、10時頃でした。。。時差ボケがこんなに酷いのも初めてでした。 落ち着いてから画像整理をして、おいおいUPしていきたいと思います。ランキングにご協力お願いします
2011年05月16日
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おはようございます。こちらは、朝の6時50分です。今回は天気に恵まれて、今日も晴れです。8時37分発のタリスに乗ってパリを目指します。その後、エールフランスにて成田へ・・・。ランキングにご協力お願いします
2011年05月14日
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こんにちは!今午後5時40分、ブリュセルのホテルです。 今日は、予定を変更して、午前中アントワープ観光、午後移動してブルージュ観光をしました。ベルギーは小さな国なので、移動が短い時間で済みます。この旅、初めて日本人団体さんに会いました。日本経済の発展の為、旅行するべきだと思うのですが・・・。 旅行会社・航空会社の為にね。 明日は、パリに移動して、帰国します。税関手続きがスムーズにいけばいいのですが。。。ランキングにご協力お願いします
2011年05月13日
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昨日の寝台車は、初めにウエルカムドリンクがあり、スパークリングワインか赤ワインです。私たちは、赤ワインを選びました。その前に、ビール(500ml)を持ち込んでいたので、かなりほろ酔い気分で、眠りました。車内にトイレとシャワーがあるのは、かなり快適でした。朝食もホテル並みに充実してました。 アムステルダムには定刻に到着しました。荷物を預けたのですが、わずか2~3時間で7.6EUとかなり割高になってしまいました。今までで1番高かったです。 今度は、アントワープに寄って観光するつもりでしたが、25分遅れたので、直接ブリュセルに行き、ホテルにチェックインして市内を観光しました。よって、アントワープは明日になりました。 早いもので、明日で観光も終わります。複雑な気分です・・・。ランキングにご協力お願いします
2011年05月12日
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おはようございます。ツエルマットは、現在7時30分です。今日は、9時20分にホテルをチェックアウトして、モントルーへ行きます。ここでは、シヨン城観光が主です。後、時間までのんびり市内散策を・・・。 その後、チューリッヒに移動して、チューリッヒ発の寝台車に乗って、アムステルダムに行きます。今回は、客室にシャワー・トイレ付(ダブル)の寝台車なので、ちゃんと眠れそうです。ランキングにご協力お願いします
2011年05月11日
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ゴルナーグラート鉄道は、前回利用したし、ケーブルカーは5月下旬からと思っていたので、今日は1日のんびりとツエルマット散策をするつもりで、マッターホルンが良く見える村はずれまで歩いていきました。1時間かけてのんびり歩いて、ベンチでゆっくりしてたら、動いてるケーブルカーが目に飛び込んできました。 ケーブルカー乗り場で料金を聞けば、一人往復90SFとか。。。見たくもない氷上のアトラクションも込みですけどね。ちょっと高かったけど、自分の足で登ることを考えれば、安いものかもと思い、またせっかくここまで来たし、思い切って行くことにしました。 ケーブルカーはちょっとしたアトラクションで、2回乗り換えていきます。頂上まで登りつめれば、マッターホルンが真横に見えて、興奮しましたが、ちょっとした高山病にも・・・。 今日も、今回もマッターホルンとは相性がいいみたいで、良く見えました。画像は帰ってからUPします。ランキングにご協力お願いします
2011年05月10日
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今夜の9時15分です。昨日はリクライニングだったものの、寝台車は座席しかなく、しかたなく移動しました。ああいう席は、鼾がうるさくて、ましてや海外の為、熟睡できませんでした。おかげで少し頭痛気味です。今日は、早めに就寝します。ランキングにご協力お願いします
2011年05月09日
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おはようございます。こちらは、プラハの朝、8時10分です。昨日は疲れていて、UP出来ませんでした。 今日の予定は、8時半朝食、9時半チェックアウトをして、ドレスデン経由ライプツィヒ観光をします。その後、寝台車にてバーゼルへ移動なのですが、生憎の満席の為、座席しか取れませんでした。リクライニング機能があればいいのですが・・・。ランキングにご協力お願いします
2011年05月08日
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昨日は、寝台車ではなくクシェットだったので、他人と同じ空間で寝ました。ただ1等クラスだったので、4人部屋でした。同じ部屋の外人さんは、お年寄りだったので、早く寝てくれて良かったです。それと、クシェットでも朝食があったので、驚きました。 リンツに6時半頃到着したので、朝の観光となりました。朝が早いためか?気温の8度にびっくりです。思わずスーツケースを預ける前に、トレーナーを出して、着服しました。 リンツ市内の朝の風景が楽しめました。普段、9時ぐらいに観光するため、広場が出来上がった状態にいくので、店を組み立てる人や、掃除をする人などを垣間見ることが出来ました。ただし、画像的には車が広場にあって、雑然としてたけど。。。 午前中で観光も終わって、リンツからプラハへ移動しました。そして今プラハのホテルにいます。こちらは、夕方の5時50分です。時差が-7時間ですね。ランキングにご協力お願いします
2011年05月06日
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おはようございます。こちらは、朝の7時50分です。ローマもそうだったけど、ベニスも朝食が8時からです。イタリアって時間にルーズなくせして、こういう時間は大事に守ります。まぁ、8時からっていうのも結構な時間ですが・・・。ランキングにご協力お願いします
2011年05月05日
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ローマテルミニ駅8時45分発のユーロスター(イタリアの新幹線)で、ベニスに到着したのが、12時33分。その後、ホテルにチェックインして、約4時間ベニスを観光しました。 5回目なんですが、相変わらずベニスの街は、独特の雰囲気があります。前回行ったのは、1999年なので、12年ぶりです。サンマルコ広場も雑然としていて、昔の方が趣があったような・・・。 水上船(ヴァポレット)も、馬鹿に高く感じて、ワンウエイチケットでサンマルコまで行って、帰りはホテルまで歩きながら、観光しました。確実に感じたことは、地盤沈下が進んでいると思いました。 明日は、トリエステ(海洋都市の一つ)日帰り観光をして、寝台車でリンツを目指します。ランキングにご協力お願いします
2011年05月04日
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ミュンヘン発ローマ行の寝台車は、予定時刻を20分おして到着した。時間にルーズな国だ・・・。 荷物をホテルに預けようとしたら、部屋に入れてくれた。少し休憩して、終点のピア広場で降りて、バチカン市国とサンタンジェロ城を観光した。その後、べネツイア共和国広場にて降りて、ナツオーレ通りのイタリア銀行を目指し、リラをユーロに変えてと言ったら、なんと9月20日通りのイタリア銀行だと言われた。しかも後、20分ぐらいで銀行が閉まるとか・・・・・。8時半から13時半までの営業だそうです。あわててバスで共和国広場まで行き、銀行に向けて走りました。どうにか5分前に到着したので、交換できました。バスがタイミングよく来て、迷わず行けたので良かったです。 それから、ポポロ広場で軽くお昼を食べて、スペイン広場とトレヴィの泉を観光しました。相変わらず観光の街で、人が多い。怪しげな人も多い。 暫く休憩したのち、コロッセオを観光して、今ホテルでのんびりしています。時刻は午後5時50分です。こちらは真夏のように暑いです。 明日は、イタリアが誇る新幹線で、ベニスへ行きます。ランキングにご協力お願いします
2011年05月03日
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今、朝の7時37分です。本日の予定は、8時朝食、9時チェックアウトし、ヴュルツブルグを観光します。ここは歴史があって、世界一美しいといわれている場所とか・・・。ロマンチック街道の一都市だから、そうかもしれませんね。 その後、ミュンヘンへ行き、寝台車に乗って、ローマに行きます。切符が取れて良かった!PS:ここドイツでもウサマ・ビンラディンの暗殺ニュースでもちきりです。ランキングにご協力お願いします
2011年05月02日
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こちらは、5月1日、メーデーの日曜日、午後7時15分です。21時まで明るいため、観光はできるかもしれませんが、体がもちません。私たちは、遅くとも7時にはホテルにいます。 <4月29日> パリの残りを観光しました。サクレクール寺院で並び、ノートルダム大聖堂で並びました。いつもはスイスイいくのにね。。。アンバリッド・バスティーユ・サンシュルピス教会・リュクサンブール公園など、etcを回りました。パリ市内は大きいので、足が棒状態です。。。 <4月30日> この日は、例のごとくザールブリュッケン経由での切符が取れなかったので、ケルン経由でコブレッツへ向かいました。ケルン駅で、寝台車を4件予約しましたが、一つは座席しかなく、もう一つはクシェットのみで、2件だけ寝台車が取れました。座席のルートは、1番乗ってる時間が短いので、まぁ、不幸中の幸いなのかもしれません。前回取れなかった思いをすれば、良かったと思います。 コブレッツでは、フーガというイベントがあり、見たくなかったけど、必然的にみる羽目になりました。園芸フェスティバルとい感じです。 <5月1日> そして本日、コブレッツからリューデスハイムまで、約6時間の優雅な船旅をしました。有名なライン河下りです。このライン河に沿って、数々の城が立ち並びます。到着したら、リューデスハイム観光とニーダヴァルトの丘へ行ってきました。画像は帰ってからUPします。ランキングにご協力お願いします
2011年05月01日
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パリの地下鉄は、網の目のように便利ですが、乗り換えでかなり歩きます。しかも階段を下りたり上がったりで、歴史があるのか?エレベータやエスカレータが少ないので、最後には足が疲れてきます。 オペラ座・バンドーム広場・コンコルド広場・マドレーヌ寺院・チュイルリー公園・ルーブル美術館・エッフェル塔は、観光しました。(画像は帰ってからUPします)予定してたノートルダム寺院は明日にしましたが、明日も今日のような天気で、曇り時々雨模様です。 今までのレンヌに比べ、肌寒いパリでした。 ホテルの部屋は、9階(日本では10階)の最上階で見晴らしがいいのですが、生憎の天気で遠くが霞んでいます。到着した時、撮れば良かったかな?と、少し後悔しています。ランキングにご協力お願いします
2011年04月28日
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こちらは、只今朝の5時15分です。昨日は疲れていたせいか?朝の7時までぐっすりでしたが、今日は5時に目が覚めてしまいました。やる事がないので、本日の予定をUPしてるところです。 これから、7時に朝食を食べて、7時40分頃ホテルを出て、8時5分発のTGVでパリに向かいます。ホテルは駅の正面に位置するので、5分もかかりません。 パリは久しぶりですが、少しは変わっているのでしょうか?また、母からヴィトンのバッグを頼まれていたので、忘れず買わないといけません。今日の予定は、そんなところです。。。ランキングにご協力お願いします
2011年04月28日
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成田空港を後にして、予定時間より早くパリシャルルドゴール空港に到着しました。昨日の朝4時頃です。ビジネスクラスだったので、機内は快適でした。画像は帰ってからUPします。 ユーレイルグローバルパスを持っていたので、空港駅でコントルマルクド・パッサージュをもらってから、RERに乗ろうと思ってたけど、5時を過ぎても空港駅は開かず、20分過ぎても来る気配がないので、仕方なく機械でチケットを買って、北駅に向かいました。 その後、北駅からパリモンパルナス駅に移動して、座席の予約をしましたが、パリ~レンヌ間の往復は取れたけど、30日のザールブリュッケン行のTGVが一杯ということで取れませんでした。仕方なくケルン経由でコブレッツに向かうことにしました。図らずも高級列車のタリスを満喫したいと思います。早くも予定通りにはいきませんね・・・。 パリ7時35分のTGVで、レンヌに向かいました。 < レンヌ駅 > ホテルに荷物を置いて、レンヌ市内を観光しました。レンヌ市庁舎前広場では、自転車チームがいっぱいいて、何かイベントをやっていました。これが昨日までのお話です。 < 市庁舎前広場 > そして今日、前回いけなかったモンサンミッシェルへ行ってきました。レンヌ駅前の9時半発のバスは満員状態で、モンサンミッシェルを目指します。運転手のせいなのか?バスは、1時間半のところを、1時間10分で到着しました。 < モンサンミッシェル > 僧院は高台にあり、かなり階段を上ります。足の運動にはいいかも。。。 < 塔より望む風景 > お昼のレストランは、どこも盛況で、人が多くて、15分ぐらい待ちました。観光地のせいか?値段が若干高めですが、入ったレストランは当たりで、とても美味しかったです。 < ランチ > 帰りは14時半発のバスで、1時間20分で到着しました。バスから降りる時に、足がつってしまい驚きました。後ろに人がいたので、我慢して降りました。日頃の運動不足が足にきたのかも・・・。 夜のモンサンミッシェルも経験してみたいと思いました。ランキングにご協力お願いします
2011年04月27日
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いつもは、福岡発の朝一番の便で行くけど、今日は午後からの便で成田へ行くので、とても余裕があります。これから福岡空港へ向けて、旅立ちます。その後、成田空港から、パリ行の飛行機に乗ります。 今回は、本当に予定通りに旅の計画が遂行できますように・・・。 それでは、行ってきます!ランキングにご協力お願いします、
2011年04月25日
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社会全体が自粛ムードなんですが、再来週の月曜日(25日)から、欧州に旅行してきます。こんな時なんですが、去年から航空券を予約していたし、ましてや今回は、今まで貯めていたマイレージを使用しての無料ビジネスクラスなので、予定通りに実行に移したいと思います。 今回の旅は、何事も起らず、スムーズに予定通りに列車が予約できることを願ってやみません。2年前は、ローマ~パリ間の寝台車が、全て埋まっていて取れなかった為、モンサンミッシェルを断念しました。急遽、予定変更をして、インターラーケンに行ったのが懐かしいけど。。。とにかく今回は、ハプニングが起こらいよう、お守りを持参したいと思います。 旅の予定は、下記のようになっています。4/25(月)福岡~成田~パリ 4/26(火)パリ~レンヌ 4/27(水)モンサンミッシェル 4/28(木)レンヌ~パリ 4/29(金)パリ滞在 4/30(土)パリ~コブレンツ 5/ 1(日)コブレンツ~リューデスハイム 5/ 2(月)リューデスハイム~ミュンヘン~ローマ 5/ 3(火)ローマ滞在 5/ 4(水)ローマ~ベニス 5/ 5(木)トリエステ日帰り後、ベニス~リンツ 5/ 6(金)リンツ~プラハ 5/ 7(土)プラハ滞在 5/ 8(日)プラハ~ライプツヒ~バーゼル 5/ 9(月)バーゼル~インターラーケン~ツエルマット 5/10(火)ツエルマット滞在 5/11(水)ツエルマット~モントルー~アムステルダム 5/12(木)アムステルダム~アントワープ~ブリュッセル 5/13(金)ブリュッセル滞在 5/14(土)ブリュッセル~パリ~成田 5/15(日)成田~福岡 レンヌとモンサンミッシェル以外は、行ったことがあるので、今回の欧州旅行は、王道ルートという所かも・・・。 ちょっとした記念旅行でもあるので、思い出の地を訪ねる旅でもあるのかもしれません。ランキングにご協力お願いします、
2011年04月17日
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なんと、2007年以来のこのテーマです。今回は、ニュールンベルグの中央広場です。中央広場に面して、フラウエン教会が経ち、広場を彩るのは、「美しの泉」です。 <フラウエン教会と美しの泉> 泉と言っても、40の像が飾られた高さ17mの塔です。塔の鉄柵には、金色の輪がはめ込まれていて、職人さんの技術の高さを誇るシンボルとなっています。また、輪を3回、回す間に願い事をして、誰にも言わなければ、それが叶うという言い伝えがある、ロマンチックな泉でもあります。<美しの泉の金色の輪>ただ、この輪は、目印も何もないので、ちゃんと綺麗に3回回すことが出来たのか?疑問なんですが、一応キチンと願い事をしてきました。ランキングにご協力お願いします
2010年06月03日
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今日で最終日、どうにか無事に掲載する事が出来て、ホッとしています。フリーページの方の「エーゲ海と欧州の旅」を、完成する事が出来ました。ブログ日記と重複しますが、そちらの方も覗いて観てください。10日目 1992年1月18日(土曜日)晴れ 飛行機は、定刻通り11:25分に、成田空港に到着しました。帰りは呆気なく、早く着くものですね。その後、入国手続きを終えて、リムジンバスに乗り、羽田空港に向かいました。羽田空港で、懐かしい和食(うどん)を食べました。うどんを食べてると、やっぱ日本人だな~と、痛感します。羽田発15:30(NH259)に乗り、時間通りに17:15分に福岡空港に到着しました。到着後、ツアー仲間と別れを惜しみ、解散となりました。今回は、前回の旅コースと似ていますが、スペインは行ってなかったので、マドリッドが思い出になっています。歩き疲れたのもあるし、自由時間もあったので、余計に思うのでしょうね。旅はいつも人を豊かにしてくれるし、文化・自然・人とのふれあいが、人生に彩りを添えてくれるような気がします。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月24日
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9日目 1992年1月17日(金曜日)曇り 午後からの飛行機なので、朝食をのんびり食べて、ホテルで時間を過ごしました。その後、12時10分発のロンドン行き(BA307)に乗り、12時20分に到着しました。パリとロンドンは、1時間の時差があります。ヒースロー空港では、約2時間の時間があったので、最後の買い物を楽しみました。14時30分ロンドン発(BA1021)の成田空港行きの、飛行機に乗りました。約12時間の飛行で、機内泊となります。エコノミー症候群に気をつけて、水分を飲み、トイレに何回も行きました。昔ゆえ何の画像もありません。空港の様子を撮ってたら良かったのですが。今だったら、デジカメで撮るんでしょうけどね・・・。機内食をデジカメに撮っても、写真に撮る人っているんだろうか?と、ふと思ってしまいました。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月23日
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8日目 1992年1月16日(木曜日)曇り 午前中は、昨日行くはずだった、パリ市内を観光しました。まず最初に、ノートルダム寺院に行きました。 <ノートルダム寺院の正面>ノートルダムとは、フランス語で「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指しています。1163年パリ司教シュリーによって着工し、1345年に完成した初期ゴシック建築です。寺院には、3つのバラ窓といわれるステンドグラスがあり、とても有名です。内部は高さ33mで、ステンドグラスも相当大きく、一見の価値ありです。 <ノートルダム寺院の後ろ>バックシャンと言われてるほど、後ろ姿が綺麗です。その後、ルーブル美術館に行きました。 <ルーブル美術館>レオナルド・ダ・ヴィンチの”モナリザ”がある事で有名な美術館です。ここでは、長時間いる事ができず、並んで観るという感じでした。12世紀末に誕生して以来、ルーヴルは常にパリの中心的存在でした。当初町の西端に位置していたルーヴルは、町が広がるにつれて、次第にその中心へと呑み込まれていきます。それと同時に、うす暗い城塞は、フランソワ1世の近代的な邸宅へ、さらには太陽王の豪奢な宮殿へと変貌を遂げていきました。そして、1793年に美術館となりました。それから、パリのシンボル的存在の、エッフェル塔に行きました。 <エッフェル塔>フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造されました。エッフェルが著作権者となり、この塔の名前の由来になりました。建設は万博に間に合わせるため、2年2ヶ月という驚異的な速さで行われたが、1人の死者も出さなかったそうです。建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっています。展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mです。あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれました。反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と言っていました。ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、エッフェル塔に行け」ということわざも生まれたそう・・・。その後、コンコルド広場に行きました。 <コンコルド広場>この広場は、フランス・パリにある有名な広場で、パリの中心部、チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置しています。1755年、Ange-Jacques Gabrielによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていました。その後、フランス革命の勃発により、騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められました。革命期には、ルイ16世やマリー・アントワネットの処刑が行われた場所でもあり、なんとも皮肉です。1830年にコンコルド広場と呼ばれるようになりました。ランチを食べた後、午後から自由行動になりました。私は、高校生の頃から行きたかった、ミラボー橋を目指しました。 <ミラボー橋>なぜミラボー橋に行きたかったのか?それは、アポリネールの「ミラボー橋の下をセーヌは流れる」を読んで、どんな感じなんだろうと体感したかったからです。意外に川の流れは速いです。 1895年から1897年にかけて造られたミラボー橋は、左岸の15区、コンヴァンシオン通りと右岸の16区、レミュザ通りを結んでいます。中央のアーチは径間93m、それを挟むアーチが径間32.4mです。橋脚の上方に、ジャン-アントワーヌ・アンジャルベールによる像が、4体取り付けられています。 <ミラボー橋とエッフェル塔>次に行ったのは、サン・シュルピス教会です。<サン・シュルピス広場>このライオンの口から水を吐き出す噴水には、ルイ14世時代のもっとも有名な説教師の像が彫られています。ボシュエ(1627-1704)、フェヌロン(1651-1715)、フレシエ(1632-1710)、マシヨン(1663-1742)の四人です。 <サン・シュルピス教会>1646年から工事が始まり1749年に完成しました。17世紀の典型的なクラシック様式で、両塔の高さは70メートル、長さ約140メートル、幅56メートルあります。この教会で有名なのは、パイプオルガンです。また、小説『ダ・ヴィンチ・コード』でも、この教会が登場します。それは、この教会が、パリの建造物のなかでも、とりわけ数奇な歴史を持つと言われている由縁でしょうか?エジプトの女神イシスを祭る、古代の寺院の跡に建てられたもので、建物の床面の形はノートル・ダム大聖堂とほぼ一致します。その後、リュクサンブール公園に行きました。 <リュクサンブール公園>224,500 m² (22.5 ヘクタール)の広さを持つ公園で、庭園のあちこちに、合計100以上の彫像、記念碑、噴水があり、パリで最も美しい公園です。リュクサンブール宮殿が建ち、フランス元老院が入っています。歩き疲れたので、ここで暫し休憩しました。日が落ちるのは早いもので、夕方なのに、夜みたいです・・・。 <夜のコンコルド広場>遠くに見えるのは、ライトアップしたマドレーヌ寺院です。その後、凱旋門に行きました。 <凱旋門>エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まりました。ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成しました。ナポレオンは、凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時でした。 <無名戦士の墓>エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓があります。第二次世界大戦ではナチス・ドイツのパリ占領に際して、ナチス・ドイツ国旗が掲げられ、ヒトラーが戦車で凱旋したこともありました。夕ご飯は、ホテルのレストランで食べました。昨日に引き続き、今日もよく歩きました。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月22日
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7日目 1992年1月15日(水曜日)曇りロンドン経由(トラレスワールド航空807便)にて、芸術の都パリへ行きました。朝1番の飛行機の為、朝食は軽めにいただきました。機内食もあったけど・・・。本来なら、着後市内観光だったのですが、明日のオプションコースになっていたベルサイユ宮殿を観光する事になったので、前回見てたから、パスして自由行動を選びました。最初に行ったのは、観光コースに入っていない場所、オペラ座です。 <オペラ座>ガルニエ宮(Palais Garnier)は、フランスの首都パリにある歌劇場で、オペラ座とも呼ばれています。15年の歳月を費やし1875年に完成しました。幅125m、奥行73m、ファサードはコリント様式の列柱とアーチで、豪壮にして華麗な作りとなっています。 <パリの一画にて>オペラ座近くの何処かと思いますが、記憶が定かではないです。ただ単に、気に入ったので撮ったのでしょう。パリは、何処を歩いても、絵になるようです・・・。次に目指したのは、サント・トリニテ教会です。 <サント・トリニテ教会>サントトリニテとは、聖三位一体を意味します。建築家テオドール・バリュの設計。ジョルジュ・オスマン男爵の命により、1861年着工し、6年間で立てられました。豪華な装飾にもかかわらず、当時の貨幣で4百万フラン弱と非常に経済的に建てられたが、建物はその印象を損なっていません。 <サント・トリニテ教会にて> <サント・トリニテ教会内部>作曲家アレクサンドル・ギルマンは、ここの教会のオルガンで作曲してたらしいです。低予算とは思えない作りでした。最後に目指したのは、モンマルトルです。途中で、ハトに餌をあげているおばさんに、出会いました。 <パリならではの景色>凄いハトの数ですね。毎日獲ずけしてるのでしょうか? <モンマルトル>モンマルトルの丘へ向かう途中の階段風景です。 <サクレクール寺院>サクレ・クール寺院 は、フランスおよびフランス語圏に多く存在する教会堂です。「聖なる心臓」(聖心)を意味し、イエス・キリストに捧げ、守護として祀っていることを意味します。モンマルトルのサクレ・クール寺院は、フランスのパリ市内、モンマルトルの丘の頂にそびえる教会堂です。ロマネスク様式・ビザンティン様式のバジリカ大聖堂。ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当しました。1889年にいち早く完成していたエッフェル塔と共に、パリ市内を見晴らせる観光名所で、両建造物とも19世紀後半に構想された比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっています。 <モンマルトルの画家>名もなき画家に描いてもらってます。出来上がった絵を見ると、フランス風の顔になってました。今も描いてるのか?それとも有名になったのか?その後、ホテルに戻り、添乗員さんと一緒に、お勧めのレストランに行きました。パリは、牡蠣が美味しいという事で、前菜に生牡蠣を食べました。レモンを絞って食べたのですが、身が大きくて、とても美味しかったです。美味でした。エスカルゴよりもこちらがいいみたい。冬なら尚更。オプションのパリナイトツアーに参加しなくて、良かったかも。。。レストランは、エッフェル塔の近くでした。 <エッフェル塔>今日は、歩き疲れました・・・。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月21日
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6日目 1992年1月14日(火曜日)曇り時々晴れ今日は、終日エーゲ海クルーズです。朝早くホテルを出て、ピレウス港に8時頃、到着しました。船は、ほどなくして、港を離れました。と、そこまでは良かったのですが、出向する前にウェルカムドリンクを飲んだのが祟ったのか?20~30分もしないうちに気持悪くなり、トイレに駆け込むや否や、もの凄い勢いで逆流してきました。朝食と先ほど飲んだトロピカルジュースの入り混じったものが。。。全て出てきた感じです。 冬の海は荒れるのね・・・。(TT)9月の海は最高だったのにね。 最初に到着したのは、エギナ島です。 <エギナ島> ここは、アフェア神殿がオプションとなっていましたが、前回行った場所なのでパスしました。約一時間半、ぶらり散策と買い物を、楽しみました。船から降りたことで、気分もすっきりしてきました。 <エギナ島のネコ達> その後、ポロス島へ行きました。その間に、バイキングスタイルのランチを食べました。腹八分にしました。 <ポロス港> 丘の上まで続く白壁の家、何処を見ても絵になる景色です。 <港より望む時計塔> 丘の上に建つ時計塔が可愛らしく、なんとも印象的です。 <時計塔より望むポロス港> 「イルカに乗った少年」と云う映画のロケ地が、この美しいポロス島を舞台というのも、うなずけますね。1月ではないみたい・・・。 最後に寄港したのは、イドラ島でした。その間に、昨日観たグリークダンスショー(民族ダンス)が、行われました。客を持てなすショーは、楽しく参加型形式もあって、アッという間に時間が過ぎて行きました。 <イドラ島と港> イドラという島の名前の由来は、古代ここに泉があったので、その「水」(ローマ字Hydrea)からきています。現在は干上がってしまい、飲料水はボートで本土から運ばれていますが・・・。 <修道院> 島内には荒涼とした丘陵地帯が広がり、その中に空き家となった農家や、ギリシャ正教の修道院があります。 <イドラ島の家並み> 島は自動車乗り入れ禁止となっており、観光客は徒歩かロバに乗るかして島を回ります。どこかノスタルジックな感じがします。のんびりと何もせず、1泊してみたいですね。 最初、イドラ島は省くかどうするか?となってましたが、波も安定してきて、クルーズが出来て良かったです。港に着く頃は、もう日が暮れかけていました。 <ピレウス港> 夕食は、ホテルレストランで食べました。明日は、朝が早いので、お風呂に入ってすぐ就寝しました。 ↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月20日
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5日目 1992年1月13日(月曜日)晴れ午前中、オリンピア航空にて、アテネ空港を目指しました。いつもながら、飛行機が着陸する時、拍手がどこからともなく始まりました。ギリシャ人の国民性なんでしょうか?ランチは機内食となりました。着後、アテネ市内を観光しました。最初にオリンピック競技場へ行きました。 <オリンピック競技場>1896年クーベルタン男爵の提唱によりに近代オリンピックの第1回大会が開催された競技場で、収容人員は5万人、観客席は白い大理石で作られています。その後、フィロパポスの丘へ行きました。ここでは、アテネのシンボル、”パルテノン神殿”が良く見えます。 夜景が綺麗そう・・・。 <フィロパポスの丘>その後、大統領官邸に行きました。 <大統領官邸の衛兵>民族衣装を身につけた二人の衛兵が、一時間交代で立っています。衛兵の採用基準は、背が高くハンサムで高学歴とか・・・。次は、ディオニス劇場です。 <ディオニス劇場>ギリシア最古の劇場跡(紀元前6世紀)で、酒と演劇の神・ディオニスにちなんでこう呼ばれました。1万5000人の観客が収容でき、観客席の最前列は来賓席で、今でも背もたれのある大理石の席が残っています。最後は、本日の観光のメイン、アクロポリスへ行きました。アクロポリスは 高さ70mほどの丘の上に広がる古代ギリシアの聖域、紀元前5世紀頃に パルテノン神殿を始めとする、神殿や劇場が建てられた場所です。 <パルテノン神殿>パルテノン神殿は、建築とアートが一体となり、数学的な計算に基づいた究極の構造美と、破風や柱梁を飾るみごとな彫刻美が、今現在もモニュメントして、君臨しています。あの時代、どこよりも発達していて、今はその遺跡の財産で生きている街だと思います。 <エレクティオン神殿>パルテノン神殿の北側に位置していて、カリアティード(柱)となっているエレクティオンの少女像は6体、実物の4体はアクロポリス博物館にあり、1体は大英博物館にあります。アクロポリスの神殿の中で最も神聖な場所とされ、多くの神々の住む家であり、伝説上の王達のお墓でもあったとのこと。複数の神々を祭っているのでこのように複雑な構造となっているようです。 <ヘロド・アティクス音楽堂>大富豪のヘロド・アティクスが建てたこの音楽堂は、西暦161年に建てられたもので、観客席は1951年に修復され、現在では毎年開催されるアテネ・フェスティバルの会場として使用されています。音響設備もない頃、声が響くよう設計されているそうで、ここでオペラを聞いたら、どんなにかいいでしょうね・・・。その後、一旦ホテルで休んだ後、オプションに参加しました。 <ホテルにて>ギリシャは、シエスタがあります。シエスタとは、お昼を3時間ぐらい休みます。よって、男性は、自宅に帰って昼ご飯を食べて、お昼寝という習慣があります。必然的に夜ご飯も、8時過ぎが平均みたいです。タベルナ(居酒屋)で、食べながら飲みながら、ダンスショー(民族)を観ました。 <ダンスショー>ウゾという飲み物は、透明ですが水を入れると白くなり、とても不思議な飲み物です。焼酎みたいな感じなんですが、飲みやすいので飲みすぎ注意です。ホテルに帰ったのは、夜も11時を過ぎていました。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月19日
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4日目 1992年1月12日(日曜日)晴れ 午前中、アリタリア航空で、マドリッドを後にして、ローマへ向かいました。着後市内のレストランにて、パスタランチを食べた後、観光しました。 最初に向かったのは、バチカン市国のサンピエトロ大聖堂です。聖堂に入って右側には、、弱冠23歳のミケランジェロが制作した、ピエタ像があります。死せる息子キリストを抱える、聖母マリアの悲しみに満ちた表情や筋肉や衣服の細密な描写など、彫刻された”ピエタ”は、必見です。 <ピエタ (Pieta) 1499年> カトリック教会の総本山。サン・ピエトロ大聖堂は、もともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさです。床面積2万3,000m²。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。 <サンピエトロ大聖堂広場>中央には、オベリスクがあり、クリスマスツリーが残っていました。 その後、コロッセオとフォロロマーノに行きました。 <コロッセオ> コロッセオは、ローマ帝政期に造られた円形闘技場です。ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)の庭園にあった、人工池の跡地に建設されたものです。長径188m短径156mの楕円形で、高さは48m、45,000人を収容できたそうです。かつて多くの殺人(公開処刑を含む)が行われた場所であることから、現在では死刑廃止のイベントのために使用されています。 <フォロロマーノ> フォロ・ロマーノは、道を挟んで、コロッセオの前に位置します。コロッセオより、フォロロマーノをバックに撮ってみました。東西約300m、南北約100mに渡って存在する古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡です。 古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルム(英:フォーラムの語源)と呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在でした。ローマでは、後に諸皇帝によっていくつかのフォルムが建設されたが、3基のバシリカと元老院議事堂を備えたフォロ・ロマーノは、そのなかでも中心的存在として機能し続けました。かなり広く、まともに見れば、半日かかるそうです。 その後、トレビの泉と真実の口を観光しました。トレビの泉は、バロック時代の泉で、ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインです。 <トレビの泉> 後ろ向きにコインを泉へ投げ入れると願いが叶うという言い伝えがあり、投げるコインの枚数によって願いが異なります。コイン1枚だと再びローマに来ることができ、2枚では大切な人と永遠に一緒にいることができ、3枚になると恋人や夫・妻と別れることができると言われています。このコインは、半分がカトリック系チャリティ団体に寄付されています。残りの半分は???泉の清掃代でしょうか?ちなみに私は、いつも1枚です。 <サンタ・マリア・イン・コスメディン教会> サンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)の外壁、教会の正面柱廊の奥に飾られています。元々は下水溝のマンホールの蓋であったらしいとの事。海神トリトーネの顔が刻まれています。 <真実の口> 手を口に入れると、偽りの心がある者はその手首を切り落とされる、あるいは手が抜けなくなるという伝説がありますが、裏に神父さんがいたとか・・・。 <サンタ・マリア・イン・コスメディン教会前広場> 夕食は、オプションだったので、参加しませんでした。個人的に観光がてら、スペイン広場に行き、近くのレストランで食べました。午後6時頃だったのですが、欧州の冬は暗いです。 <バルカッチャの噴水> スペイン広場とは、スペイン大使館にちなんで命名されました。広場の中央には、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「バルカッチャの噴水」があります。とても綺麗で、落ち着く雰囲気が好きです。そこで休んでいたら、薔薇売りの少年が来ました。ローマ人は、一輪買って、女の人に渡すみたいですよ・・・。 <スペイン広場> 暗すぎてよく解りませんね。東には、有名な大階段があり、西側はコンドッティ通りとなっています。この通りは、ブランド好きには堪らないストリートですね。 <地下鉄スパーニャ駅> お土産を買って、地下鉄に乗って、ホテルへ戻りました。ちなみに地下鉄は、当時1回券1200リラ(75分有効)で、日本円で約85円でした。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月17日
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3日目 1992年1月11日(土曜日)晴れ時々曇り 午前中マドリッド市内観光で、午後から自由行動でした。プラド美術館・プエルタデルソル・スペイン広場・王宮などを巡りました。 まず最初にスペイン広場に行きました。周りをビルが囲み、王宮の北に位置しています。広場と言っても、そう大きくなく、ローマのスペイン広場の方が有名かも。。。「ドンキホーテとサンチョ・パンサの像」などセルバンテスを記念した像がいくつも建てられています。 <スペイン広場> その後、王宮に、歩いて行きました。王宮前にあるオリエンテ広場に、フェリペ4世の騎馬銅像がありました。王宮は、フランスのブルボン家出身のフェリペ5世という王様の命令で建築がはじまり、30年を費やして完成しました。 <王宮と騎馬像> 次は、絶対行きたかったプラド美術館です。<プラド美術館> スペインの三大巨匠ゴヤ・エルグレコ・ベラスケスの作品展示が充実しています。エルグレコはギリシャ出身なんですけどね・・・。ツアーの為、自由には観賞できませんが、コンパクトに見所を観ました。1番有名なのは、「裸のマヤ」と「着衣のマヤ」ではないでしょうか?その二つ、並べて展示してありました。今もそうなのか、定かではないけどね。 <ラス・メニーナス(女官たち)1656-57年 318×276cm > 画面中央には、豪奢な衣服に身を包んだ皇女マルガリータと、その女官であるドーニャ・マリア・アウグスティーニャ・デ・サルミエントが描かれています。さらに画面左側には、ベラスケス本人と推測される画家が、筆を手にしながら、大画面のカンバスへ、国王夫妻の肖像画を描いている姿が配されています。スペイン独自の厳しい明暗対比(陰影法)による、写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活の情景を、見事に計算された構図といえます。 その後マドーリードのへそ(中心地)、プエルタデルソルへ行きました。そこのレストランで、ランチを食べた後、自由行動となりました。 <プエルタ・デル・ソルにて> プエルタ・デル・ソルとは『太陽の門』を意味し、15世紀にはマドリードを取り巻く城壁の門の一つでした。広場北側には、クマとイワナシの像があります。これは、マドリード市の紋章を表しています。 まずは地図を見ながら、レティーロ公園を目指しました。 <レティーロ公園入口> 緑豊かな公園で、118ヘクタールもの広さがあり、ビル群の中にあるのは、世界でも稀だとか・・・。17世紀にフェリペ4世の命により建設され、1868年までは貴族だけしか立ち入ることができなかったのですが、現在は市民の憩いの場となっています。 <公園の噴水> 歩き疲れたのもあり、トイレにも行きたいので、ファーストフード店に入りました。けど、そんなにお腹も空いてないので、ベジタブルサラダを頼みましたが、人参の千切りのみが出てきました。私の常識とスペインの常識のギャップに驚きました。キャロットサラダと明記してよ!今では、人参サラダも有りかと思いますが、あの時はカルチャーショックでした。 店を覗いて、買い物をしたら、歩き疲れてきたので、ホテルに帰ることにしました。ホテルは、ノルテ駅近くのフロリダノルテなんですが、道に迷って、川を挟んで対岸にある、行くはずではなかった、カサ・デ・カンポに結果的に行ってました。ここも広大な公園で、遊園地・動物園・レストランなどがあります。 <公園風景> 高台にあり、景色が一望できます。そこから市街と王宮が見えました。迷って歩き疲れましたが、素晴らしい景色に出会えて、結果的に良かったかも。。。 <王宮を望む景色> どうにかホテルまでたどり着く事ができました。この日は、無計画だったので歩きましたが、今なら絶対、地下鉄に乗ったと思います。 夕食は、ホテルで一旦休んで、近くのバル(居酒屋)で済ませました。地元民が入ってる店なので、味は悪くなかったです。帰りにショートケーキを買って帰りました。疲れてると甘いものが欲しくなりますが、この甘さには辟易しました。半分も食べれませんでした。 バスタブで疲れた足を揉みほぐし、寝床に着きました。万歩計があったなら、どれぐらい歩いたのだろう?↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月15日
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2日目 1992年1月10日(金曜日)曇のち晴れ 朝食をロンドンのホテルで食べました。観光には時間が早いため、ホテルで時間を潰すことになりました。私達はホテルを出て、その周辺を散策しました。 <ノボテルロンドンホテル周辺にて> そして、ホテルのトイレに行って、ロビーに戻る時、入ってはいけない場所に迷い込み、叱られた事を思い出しました。とても怖かったです。 外が白み始めるころ、観光バスが出発しました。国会議事堂・ビッグベン・タワーブリッジ・ロンドン塔・バッキンガム宮殿・ウェストミンスター寺院などを約4時間観光しました。 <タワーブリッジ>タワー・ブリッジ (Tower Bridge) は、イギリスのロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋。1886年に着工、1894年に完成した。可動部分は、初期の頃水力を利用して開閉していたが、現在は電力を利用しています。 <第二次大戦にも活躍した軍艦ベルファウスト号HMS Belfast>戦争とか歴史好きには、堪らないんでしょうね。海軍国イギリスが誇る軍艦が、停泊して佇んでいます。 <ビッグベン>ビッグ・ベン (Big Ben) とは、英国の首都ロンドンにある国会議事堂に付属する時計台 (Clock Tower) の大時鐘の愛称です。 <ロンドン塔>テムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞です。血塗られたロンドン塔とか、今も首なし王妃の亡霊や無数の幽霊の渦巻く恐ろしい城とか、怖いうわさが囁かれたりしています。 また、ロンドン塔には地下75メートルにあって、全く闇だけの小部屋があり、ここに入れられると、どんな意志の強い人間でも発狂したと言われていますが・・・。 <ウェストミンスター寺院>生憎、修復中でした。イギリス国教会で、聖ペテロ修道教会。戴冠式などの王室行事が執り行われ、内部の壁と床には歴代の王や女王、政治家などが多数埋葬されています。 <ウィンストン・チャーチル(1874~1965)の銅像>元英国首相で第二次世界大戦の折、イギリスを勝利に導いた人物として現代の英国社会でも偉大な人とされています。一方では、セムシ男の愛称もあるが・・・。バスは、再びロンドン空港に到着しました。空港で、ロンドン名物のフィシュ&チップスのランチを食べました。チップスと言っても、日本ではフライドポテトと呼んでいますけど・・・。その後、14時10分発の英国航空(BA-460便)に乗り、スペインの首都マドリードに、17時25分(定刻通り)無事到着しました。冬の欧州は、日が短く、午後6時頃だというのに、夜みたいに暗かったです。 またバスでホテルに向かう途中、どうしようもなく睡魔が襲ってきました。ちゃんと機内で寝てなかったせいでしょうね。ホテルまでは、約1時間ぐらいかかり、7時頃到着しました。疲れていたので、お風呂に入ったら、夕食も食べずにすぐ寝ました。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月13日
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フリーページの編集です。ボチボチになると思いますが、今日から少しずつアップしていきたいと思います。1日目 1992年1月9日(木曜日)快晴今回は、近畿日本ツーリストの旅に、参加しました。2度目の海外旅行です。福岡空港第3ターミナル(国際線)に、午後3時50分集合。30分後に搭乗開始が始まり、16時50分発の英国航空006便で、ロンドンに向かいました。この頃は、英国航空も乗り入れてたんですね・・・驚き。ただ、飛行機は、直行便ではなく、北回りアンカレッジ経由でした。アンカレッジでは、燃料補給とアンカレッジから乗り込むお客もあり、約45分の待ち時間があったので、一旦降りて空港を散策しました。まだ暗い外を見やると、雪があり、路面は凍結してました。どんなもんなのか、外に出てみたら、かなり寒かったという記憶があります。 <アンカレッジ空港>飛行機は、午前5時にロンドンに到着しました。朝が早いので、外はまだ真っ暗でした。機内で夜を過ごしたせいか、アンカレッジ経由のせいか、かなり長時間乗ったせいで、時間の感覚が麻痺していました。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいマセ。
2010年03月13日
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とりあえず昨日断念した、日程だけは全て終了しました。後は、海外旅行日記とメモと写真をたよりに、まとめていくだけなのですが・・・。ただ、これが思いのほか、果てしなく疲れるので?、徐々に掲載していこうと思っています。デジカメ以前の過去の写真は、スキャナーに読み込ませて、アップする事になるので、画像的には荒いと思います。これも疲れる作業となりそう・・・。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年06月11日
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昨日、やっと画像処理が、終わりました。火曜日から始めたので、3日かかりました。3000枚近くあった枚数を、どうにか取捨選択して、1761枚までにしました。もっとスリム化出来たと思うけど、K君にDVDに焼いてあげなければならないので、どうかな~?というのも残しました。感性って人それぞれだと思うんですよ。選択数が多いほうが、いいでしょ?後は、K君が取捨選択すればいいからです。たとえば一つの城にしても、2~3枚あればいいと思うのですが、いろんな角度から撮ると、10枚は容易に超えてしまいます。実質、プリントアウトする場合は、3枚ぐらいでしょう・・・。デジカメでない時代は、フイルムなんですが、そういう時は、1日1本って感じで旅してました。36枚撮りを持ってね。それから換算すると、今回の旅ならば17日間でしたから、16日×36枚で576枚で良かった訳ですから、デジカメは枚数を気にしなくていいし、出来栄えもすぐ解るし、便利な世の中になったと思います。と同時に、帰った後の画像処理が待ってるのですが・・・。(笑)↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月15日
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飛行機は定時より、30分早く到着しました。欧州便は、機内で配られた紙に記入するのみで、検疫もなく呆気なく終わりました。豚インフル自体が、そう脅威ではないからでしょうね。税関コントロールも、機内で配られた紙に、自己申告するのみで、紙に記入したものを見て、スルーでした。検疫に人員をとられて、人手不足なんでしょうか?今なら、アルコールやタバコも誤魔化されるのでは?と、チラッと思いました。勿論、私たちはまじめに守りましたよ。福岡までの乗り継ぎ時間が4時間もあるので(今現在は3時間になりました)、JCBラウンジにてパソコンをしています。若干眠いのですが、家に帰るまでは、気力で頑張りたいと思います。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月08日
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長い旅も今日と明日で終わります。本当なら、夜の便なので、フランクフルトの観光を組み込んでましたが、免税の手続きとかを考えて、中止にしました。よってホテルを11時にチェックアウトにしました。今こちらは10時です。のんびりとパソコン中です。ドレスデン11時54分発、フランクフルト空港16時57分着(IC79658)に、乗車します。空港で約4時間あるので、色々の残務処理は出来るかと思います。問題は昨日も話してました、豚インフルです。成田に到着してからが、大変そう・・・。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月07日
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今日も雨です。ケーニヒシュタイン要塞まで行きましたが、高台にあるため、物凄い風で、傘の役目が出来ない状態でした。午後からは、ピルニッツ城に行き、こちらは曇りだったので、幾分かマシです。帰るコロには晴れ間もありました。なんだかそんな旅ばかりだった気がします。明日は、フランクフルトへ移動して、夜の便で成田に行きますが、豚インフルが心配です。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月06日
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プラハは快晴だったのですが、ドレスデンに到着したとたん、曇りになりました。途中からちょこっと雨が降ったけど、それも海外特有の傘をさすまでもない、雨です。夕方から、晴れ間も除きましたが、始終寒い日でした。モーリッツブルグ城は、湖に映えてとても美しい感じでした。画像は帰ってからアップします。ブリュールのテラスからの眺めも、冬のような画像になりました。ただ、修復中だったので、多少がっかりです。この時期修復中によく出会いました。旅も明日で終わりです。バスタイ橋を予定してましたが、どうしようか?思案中です。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月05日
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今日は、プラハ連泊なので、朝の10時から、のんびりと観光とショッピングに出かけました。プラハの天気は、朝から生憎の雨で、午後に曇りで、夕方から晴れました。そのせいかかなり寒かったです。 < 王宮を望む > < 王宮の階段で出会ったパフォーマ > < カペル橋 > < お洒落なマンホール >3時ぐらいになって、旧市街広場からいざヴィトンへ向かう最中、パスポートが・・・。パスポートはナポリで一頓挫あって、ブレッドでもありました。詳しいことは帰ってから・・・。昨日の夜は、明日買い物するから、パスポートを返してもらわんとね。って、言ってたのに、あくる日コロっと忘れてました。慌ててホテルへ戻り、またヴィトンの店へ行きました。4時ぐらいでしたので、良かったです。姉から頼まれていたので、無事に買えて一安心しました。明日はドレスデンへ行きます。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月04日
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今朝、9時27分、リュブリャーナ発フランクフルト行きに乗り、フィラ(Villach) で乗り換えて、ウイーンまで行きました。(EC212)フィラでは列車が遅れて、わずか6分しかなく、駅員にウイーン行きを尋ねて、ホームに行きました。どうにか列車に乗れて、安心しました。(OIC538)ウイーン南駅から、プラハ行きの列車に乗るも、すべて予約席かと勘違いして、列車の中を空席見つけて移動しました。(EC16)でもそれは、予約席ではなく、「この列車は強制的に予約するように」と書かれた紙でした。それが解らず、車掌さんが来るまで、席に座らず待ってました。ほどなくして予約する形になって、席に座れたので良かったです。列車はすべて1等クラスだったので、電源が座席にあったので、約11時間半もの間でしたが、PSPで退屈せずにすみました。今日は観光してないので、疲れもありませんでした。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月03日
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今日は、車中泊だった予定のコースを、日中移動に切り替えたので、約12時間列車の旅となります。観光がないので、楽と思いますが、列車の中での楽しみに耽りたいと思います。スロベニアからオーストリアを経由して、チェコ(プラハ)に行きます。今日の天皇賞がもうすぐ始まりますね。スロベニアは、朝の7時です。ここスロベニアから投票しましたが、勝ち馬馬券となる事を祈りたいと思います。それでは、またプラハにて・・・。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月03日
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ルツエルンから、また予定通りのコースに戻り、リギ山に行ってきました。下界は晴れてたけど、山は靄が出ていて、おまけに雪もあり、かなり寒かったです。折角の360度パノラマが、90度ぐらいしか開けてませんでした。残念です。 < 山頂駅風景 > < 雪と山 > < フィッツナウの景色 >この日は早めに下山して、チューリッヒを観光しました。 < 市庁舎 > < チューリッヒの教会 >チューリッヒからミュンヘンへ行き、寝台車でスロベニアに行きました。 < ボーデン湖に沈む夕日 >パスポートのスタンプもなく、何処をどう旅したのか?昔のように国境越えのスタンプが、思い出として欲しいなと思いました。昨日は、ブレッド湖湖畔のホテルに、宿泊しました。湖の周りは、遊歩道になっていて、小鳥のさえずりや森林浴で気持ちよいコースとなってます。また、妙に観光慣れしてる、ペリカンもいました。ユリアンアルプスと湖・教会を眺めながら、私たちは半周歩きました。それでも3kmあります。疲れたので、観光ミニ列車に乗りました。 < ブレッドの教会 > < ブレッド湖よりユリアンアルプスを望む >そして今日、本来ならば寝台車に乗る予定でしたが、リュブリャーナのホテルを急遽ネットで予約して、ホテルでのんびりしています。スロベニアの首都ですが、こじんまりとしていて、半日もあれば十分な街です。 < 竜の橋 > < リュブリャーナ大聖堂 > < リュブリャーナ城から街を望む >今回の旅は、途中で予定を変更をしていますが、パソコンを持参してきて良かったとつくづく思いました。旅も情報化時代ですね。今日は、リュブリャーナ泊にしたので、明日はほとんど移動です。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年05月02日
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朝起きた時は、雨も上がって喜んだのですが、ホテルをチェックアウトする頃に、また雨がチラホラ・・・。来る時は、駅からホテルまで歩いたけど、雨の為バスで駅に行くことにしました。フロントにてバスチケットを買おうとしたら、無料でくれました。そういうシステムがあるのかな~?バス乗り場を聞いたら、何処まで行くのかと聞かれ、インターラーケンウェスト駅と言うと、3つ目が駅と教えてくれました。バスは、1時間に2本しかないのですが、タイミングよく3分待ったら来ました。ラッキー♪インターラーケンウェストからオスト駅まで約5分、そこからルツエルンまで約2時間です。列車は、ゴールデンルートを走るのですが、雨の為折角のアイガー・メンヒ・ユングフラウヨッホは、恥ずかしがってか?全景を現してはくれませんでした。悔いが残る結果となりました。 < 車窓の景色 >ルツエルンについたら雨も上がって、どうにか雨にたたられずに済んだのですが、途中霰が降ってきた時は、驚きました。 < 瀕死のライオン像 > < カペル橋 > < ムーゼック城壁 >今日のホテルも、レストランが地元民に人気なので、ここで頂くことにします。今現地は、もうすぐ午後5時です。今日もホテルでのんびりできそうです。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年04月29日
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早めにシャワーして、午後7時半頃に夕食をしました。レストランが自慢だけあって、今回の旅行で1番満足出来たかも・・・。まずはサラダです。 < ソースが美味しい >サラダだけでも腹八分状態でした。その後、お肉なんですが、1番少ないのが200gで、日本人には多きすぎるかも・・・。食べ終えた時、二人ともベルトを緩めなければという、状態でした。デザートまであって、良かったです。 < 厚さ3Cmあるかと思うステーキ >食べてる最中には、雨も上がり、かすかに夕日が。そうしたら、今まで解らなかった、雪山がまじかに現れました。そういう所にいたとは思ってたけど、インターラーケンに感動です。 < 夜9時のインターラーケン >ホテル前の景色です。今回はコースではなかったけど、旅というものはそういうものかも知れませんね。明日はルツエルンですが、雨が無いことを祈ります。カペル橋は、2度目ですが、晴れが1番似合うと思うから。。。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年04月29日
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早めにシャワーして、午後7時半頃に夕食をしました。ホテルレストランが自慢だけあって、今回の旅行で1番満足出来たかも・・・。まずはサラダです。 < ソースが美味しい >サラダだけでも腹八分状態でした。その後、お肉なんですが、1番少ないのが200gで、日本人には多きすぎるかも・・・。食べ終えた時、二人ともベルトを緩めなければという、状態でした。デザートまであって、良かったです。 < 厚さ3Cmあるかと思うステーキ >食べてる最中には、雨も上がり、かすかに夕日が。そうしたら、今まで解らなかった、雪山がまじかに現れました。そういう所にいたとは思ってたけど、インターラーケンに感動です。 < 夜9時のインターラーケン >ホテル前の景色です。今回はコースではなかったけど、旅というものはそういうものかも知れませんね。明日はルツエルンですが、雨が無いことを祈ります。カペル橋は、2度目ですが、晴れが1番似合うと思うから。。。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年04月28日
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昨日、ローマから寝台車でチューリッヒへ行き、その後ベルンへ行って、雨のベルンを観光しました。雨が降ったせいか?ローマとの気温差が、約11度あり、かなり寒く感じました。 < 時計塔 > < 雨のベルン >先ほどインターラーケンのホテルで、ツエルマットの雪の映像を流してました。通りで寒かったはずだ。日本で言うところの花冷えか?ここヒルシュホテルは、山小屋風でとても綺麗なホテルです。今日は、地元にも有名なホテルレストランにて、夕食を食べます。久しぶりにゆっくり出来そうです。 < ホテルの部屋から見えた景色 >そうそう、このホテルでは、NHK衛星放送が流れています。今流れてるのは、”世界遺産への招待状”です。今日はアフリカでした。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年04月28日
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早速今日の朝、二度目のハプニングが起きました。詳しいことは、帰ってからのブログに。実は、先ほど書いてたのですが、画面が消えてしまい、パソコンを打つ気力がありません。明日は、切符(寝台車)が取れたので、夕刻までローマにいます。その後チューリッヒ経由で、ベルンに行きます。1日で観光する予定が2日がかりなので、余裕です。ベルンを観光した後、インターラーケンにて宿泊です。スイス観光が増えてしまいました。パリでヴィトンを買う予定だったけど、プラハで買うことにしました。その後は予定通りに行動が出来ますように・・・。PS:フォロロマーノで歩きつかれて、足が痛いです。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年04月26日
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旅にハプニングはつきものでしょうが、予定の行動を大幅に変更する事態が起こりました。明日のパリ行きが満席状態で、寝台車・クシェット・座席すべてフルと言われました。よって明日はローマ泊に決定。無理してパリに行くと、その後のホテルの予約が影響するので、止めました。幸いにしてパリは、2日前までのキャンセルなら無料だったので、すべてキャンセルしました。それに伴い、モンサンミッシェルも諦め、次回にしたいと思います。ローマからチューリッヒを経由して、ベルンに行く予定にしましたが、チューリッヒ行きの寝台が取れればの話です。明日ローマで予約しますが、どうなることやら・・・。今、ナポリは、土曜日の午後10時20分です。 さすがに疲れました。今からお風呂に入ります!↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年04月26日
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アマルフィは思った通り、雰囲気のある街です。こじんまりとしていて半日もあれば、観光して回れます。ドゥオモ広場前のカフェで1時間ほどのんびりしてました。K君はパスタで私はラザニア。本場のイタリアは、やはり美味しいですね。 <ランチ>連泊して何もしないで、過ごすのもいいのかも・・・。 <カフェから望むドゥオモ>↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが喜びます)
2009年04月24日
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