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明日が父の命日で、3回忌です。歳月が経つのは、早いものですね。よって、午後から有給をもらって、昼頃から実家に行きます。早く寝ないといけないのですが、明日の準備をしていたら、この時間になってしまいました。分かってたことなので、早くから仕度をすればいいのにね・・・。PS:”日記を書く”の画面が新しくなりましたね。写真の画像が入れやすくなったようです。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいネ。
2009年09月04日
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アテネオリンピックからもう4年経ったのですね。本当に月日の経つのは早いものです。4年前の時は、父の咽頭癌手術で迎えたオリンピック。長い手術を終えたあくる日、日本男子体操の復活で、団体で金メダルを取ったのが昨日のように鮮明に覚えています。残念ながら父は、北京までもたなかったのですが、私の中ではオリンピックと父がリンクします。で、先ほどまで北京大会の開会式を、そんな思いで観てました。長い、長~い行進の様子には、多少うんざりもしたけど。日本と中国の時差は1時間です。今回は、寝不足にならずに済みそうです・・・。(毎日新聞より)↓1964年東京、88年ソウルに続く、アジアで3度目の夏季五輪、北京大会が8日夜に開幕。メーンスタジアムの国家体育場(愛称・鳥の巣)で華やかな式典が行われた。1896年にギリシャで開催された第1回大会から数えて29回目(戦争で中止の大会を含む)の今回は、過去最多の204カ国・地域から選手1万1193人(大会組織委員会発表)が参加。イラクの参加が直前に決まったが、この日、ブルネイが選手団を派遣しないことが明らかになり、国際オリンピック委員会(IOC)の加盟国・地域すべてがそろうことはなかった。28競技302の実施種目数も過去最多で、開催国・中国の国家を挙げた巨大なスポーツの祭典となった。日本も過去最多となる576人の選手・役員を派遣した。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2008年08月09日
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1時間前に、妹から電話があった。ちょうど出かけていた為、出先で驚きました。詳しい事は、母に確認したが、もう駄目みたいです。来週の月曜日に行こうと思ってましたが、本当に突然様態が急変したようです。急で色々と準備があり、出かけるのは夜の8時ぐらいになりそうです・・・。
2007年09月05日
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寝たきり状態の父の介護に、疲れたという母の電話があった。あれから2週間経つが、年老いた母には、堪えるらしい・・・。色んな愚痴が出た。気持は解る。父は気難しいというか我儘な傾向にあるから、精神的な疲れもあるのでしょう。介護は、性格にもよるのだろが、手抜きが出来ない人というか生真面目な人は、疲れるのかもしれない。声が掠れていたので、尋ねたら風邪をひいているとの事。介護疲れが体調に現れたようです。病状も良くなるどころか、日増しに弱っていってるらしい。こんな状態で介護なんてと思うが、病院という施設は、病状を治すのが目的である以上、今の治療法なら自宅介護が望ましいのだろう。だけど、このままで良いのだろうかという疑問もある。何もせず、ただ弱っていくのを見守るのか?父が入院してくれたらと思うが、どうなるのやら・・・。元気な頃は、「お前達の世話にはならない」って強がりを言っていたが、この有様です。車で4~5時間ぐらいの距離だが、出来るだけ近いうちに母の手助けをする為に、実家に行こうと思っています。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年09月01日
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昨日の夕方37度7分あって、少し心配でしたが、朝方には36度7分になっていたので、少し安心しました。熱が出た時の対処法を、病院に電話して尋ねたら、何も無かったのです。ただ、「このまま熱が出たら、病院に来てください。」と、言われただけ。普通だったら、頭を冷やす事とか、言われるかと思ったら・・・それはしなくても良いと。汚い話ですが、退院後、今朝方、初めての便が出たのですが、下痢状でした。寝たきりの状態での下痢で、介護するのに大変でした。介護って、こういうのが付きまとうのですよね。もう起きようとしません。寝たきりで良いと思ってるみたい・・・。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年08月12日
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いやぁ~~~大変です。”自分で出来る”と言うけど、ほとんどが介助を必要とします。おまけに順番もうろ覚えで・・・。今は私がいるので母も助かってるでしょうが、帰ってから母一人でやるかと思えば、本当に大変です。よく介護してる人の方が、疲れるという話を聞きますが、そうなる可能性は無きにしも非ず・・・。父は、トイレに立つことさえもしません。筋肉が無いため、疲れるのでしょうが、1日にせめて1回ぐらい立ってしないと、これでは病院と同じで、寝たきり状態です。それにトイレに立つのは、本人のリハビリにもなるのですけど・・・そのうち立ってしてくれるのか?希望を持ちたいです。病人は、自分が辛いのでしょうが、どうも我侭になる傾向があるようです。昨日も寝たのは、午前2時。私は、7時半に起きたけど、母は6時に起きて介護をしてました。朝の鼻からチューブの時間は、約2時間半かかりますが、本人は寝てるし・・・。初日1日目で、大変と思うようでは、いけないですね。介護保険を適用して、介護士のお世話になる手段もあると、病院でアドバイスされました。どうか体力をつけて、一人で出来る日が来れば、回りも助かるのでしょうが・・・どうなるのか?本当に初日で疲れました。(正確にはまだ1日経ってないけど)↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年08月11日
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昨日の夕方、病院から電話がありました。出来れば本日、いつでもいいので先生からの話があると・・・。よって、午後7時ごろ病院に行きました。先生は他の病室に行っていて、待たされること30分。先生からの話は、退院に向けての機械操作の説明と今後の治療方針でした。やっぱ、自動調整期が無いと無理なようです。1ヶ所だけ、どうしても父の力では無理な場所があって、そこを手伝う形になりました。また本人が理解してても病人なので、周りの人も機械を知ってる方が良いとの判断でもあるのでしょうね。たぶん・・・。先生の話を聞いていて、一つ疑問になった点が・・・。先生の話だと病院は治療専門の機関で、治療を必要としてる人が入院をする場所。父の場合は、もう治療とかの段階ではない?ってことなのか・・・。今現在は、鼻からのチューブのみで、治療する方向性が出来ないような事を言われました。最悪、危険な場合は、再入院しての治療をするけどと。今は、本人が退院できる喜びでいっぱいなので、それはそれでOKなのかな・・・。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年08月09日
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今日は、少し安心なお知らせが出来そうです。鼻からの栄養補給に、随分慣れた感じです。薬も鼻から、同じチューブからの投入です。薬の中に、一つだけ油分性があり、それだけはチューブがドロドロになる為、口から入れての服用です。たかだか小さい錠剤なんですが、飲み込むのも一苦労なようです。1日1日、経つにつれて、顔色が良くなっていくのが、救いです。このまま、うまくいけば、今週の金曜日には退院できそうです。PS:田舎なので、蚊が大変です。すでに手足に合計8ヶ所も、血を吸われてしまいました。これぞ、日本の夏?↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年08月06日
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今日も父の病院に行って来ました。鼻からの栄養補給は、時間がかかり、僅かずつしか注入できません。点滴というような感じです。少し顔色がマシになってきたので、安心しました。PS:昨日の台風は、思ったよりもアッけなく過ぎ去ってくれたので、良かったです。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年08月03日
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昨日、父を説得出来て、即日入院させました。口から直接、胃の方へチューブにて栄養点滴をしましたが、痛がって思うようにいかず、今は鼻からしています。こちらの方が幾分かはましだそうですが、若干の痛みと違和感が伴うそうです。これで栄養補給が出来れば、最悪、手術をしなくても良いそうです。今は、手術するような体力もないので、今の状態では最善の策かもしれませんね。この鼻からの栄養補給は、退院後も自分で出来るように、入院中にマスターしなければなりませんが、幸い頭のほうはしっかりしてる為、大丈夫でしょう・・・。父は、母からの電話状態から判断すると、相当弱ってる?って思っていましたが、痩せてる状態意外は、思いの外元気でした。私の手前、空元気をしてるのかもしれませんけど、早くマスターして退院したがっています。とりあえず様子を見る事が出来て、ホッとしました。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年08月02日
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いよいよ最終的な段階に入っているようです。アテネオリンピックから、3年が経とうとしています。父の病との闘いも3年です。明日は、実家に行きます。父の説得です。3月末に会って以来、最近は連絡もないので、元気だとばかり思っていました。忙しさにかまけて連絡を取っていませんでした。言い訳ですね。自分の人生なので、父の好きなように生きるのがいいとは思いますが、残された家族にとってみれば、精一杯の事をしてあげたいのもあり・・・。なかなか難かしい問題です。父は、入院を嫌がっています。自分なりの考えがあるのかも知れませんが、最近では食事も逆流する感じで、栄養がなかなか思うように摂れない現状です。体重も35Kgぐらいだそうで・・・。出来る事なら、私の体重を分けてあげたいくらいです。父は、最後を家で迎えたいのでしょう・・・。でも残された家族は、最善を尽くしたい。「このまま手をこまねいて見てるのが辛い」という母の言葉が、胸に響きました。私は、好きなようにさせたいというのが根底にありますが、それぞれの気持はそれぞれにあり・・・。最終的な段階で、改善策があるのなら、私もそれをやってみたいとも思うし・・・。栄養さえ摂れたら、まだまだ生きられるのです。人間にとって食事は、本当に大切ですね。↑ランキングにご協力お願いしますポチッと押してやって下さいませ。(パポピンが大喜びします)
2007年07月31日
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今年も無事に誕生日を迎える事が出来て良かったです。癌になってから、3回目の誕生日を迎える事が出来たなんて、私の中では思いもよらなかった出来事です。今では、じょうずに病気と寄り添って、生きてるようです。ただリンパ腺にあるガン細胞は、全部取れた訳ではないので、いつガン細胞が命を狙うのか?は、もう父の持って生まれた運命だと思います。これからも4回目、5回目と長生きしてもらいたいと思っています。お父さん!お誕生日おめでとうございます♪ー 閑話休題 ー9月からコメントの返事を書いていませんでしたが、今日まとめて載せることが出来たので、気になってる方は、お読み下さいませ。ただ、タイムリーではないので、可笑しい部分も多々ありますので、ご了承下さい。↑ポチッと何気に押してやって下さい。(^3^)-☆Chu!(パポピンが大喜びします)
2006年10月06日
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父の顔を久しぶりに見ました。正月以来ですが、体重は変化しておらず、少し安心しました。でも39Kgです。(羨ましい)元気な頃は、58~60Kgあったけど、病気してからは38~40Kgの間のようです。これがベスト体重ではないけど、自分を維持できる体重なんだろう・・・。病の方は、リンパ線にある癌細胞を、ある程度放射線で焼いて取り除くのですが、全てを取り除く事は不可能なようで、まだ体の中にあるそうです。それが別の場所に転移するのか?はたまた転移せずに過ごせるかは、父の運命次第という所です。年齢から癌の進行は遅いと思うけど、良くなる事はなくて、まさに一進二退って感じですね。今は、自宅療養で、月に1回検査をしてる状態です。医者も好きにさせて、生きる方が良いでしょう・・・という感じです。正月にあった時と変わらず、夏バテもしておらず、元気な様子だったので安心しました。次回会うのは、また正月かな・・・?↑ポチッと何気に押してやって下さい。(^3^)-☆Chu!(パポピンが大喜びします)
2006年07月23日
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パソコンが出来なかったので、事後報告状態になりますが、父のリンパ線治療は、順調に経過してるようです。月曜日から金曜日まで、1日15分~20分のレーザー治療で癌を焼いてるようで、今のところ副作用も無く安心しました。それが約1ヶ月続きます。本人も大変ですが、周りも大変で、姉にはお世話になりますって感じです。病室では、窓際に移ってて、本人も喜んでいました。景色が見えるだけでも、気分転換になるし・・・。「今年の年末は、家に帰るから」って、言ったらかなり喜んでいました。これで、少しは治療に貢献できたのかな?去年も一昨年も、帰らなかったので(親不孝ですね)、道中大変ですが今年は帰って、来年の正月を迎えたいと思います。↑ポチッと何気に押してやって下さい。(^3^)-☆Chu!(パポピンが大喜びします!)
2005年11月14日
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昨日、久しぶりに病院に見舞いに行きました。父は、疲れからか?眠っていました。起こすのも可哀想だったので、1時間後にまた病室に行きました。父は、前に会った時よりは、かなり痩せていました。レーザー治療が応えてるのか?はたまた胃が小さくなって食べれないのか?まあ、両方だろうし・・・痩せた=体力は落ちています。元気な人も、病気になったらお終いですね。昔の面影が無いのです。気力は充分あるので、安心しましたが・・・。父の体調とかもあるので、病室では1時間ぐらい筆談して、退室しました。待合室もホテルのロビーみたいで、テレビは勿論、無料のお茶がありました。母とも久しぶりに会いました。なんだか・・・認めたくないけど、随分年をとったな~って思いました。年齢よりは若く見えるのですが、私はそう感じました。と言う事は、私も老けたのかな~~~。(認めたくない)今日も昼過ぎに病室に行きます。取り急ぎ、ご報告まで。。。↑ポチッと何気に押してやって下さい。(^3^)-☆Chu!(パポピンが大喜びします!)
2005年11月10日
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明日、久しぶりに父の病院にお見舞いにいきます。熊本の大学病院に入院しています。懸念していたリンパ線に癌が転移していました。その癌をレーザー治療で焼くそうですが、約一月ほど入院するみたいです。順調ならば・・・。その前に、暫く経過報告をしていませんでしたが、今年の6月に胃の方にも癌が転移していたので、約三分の1ほど切除しました。胃を摘出したせいか?一時はかなり衰弱していました。徐々に回復して、ようやく退院できました。9月ごろには、気道が狭くなり、体力も落ちていたようで再入院をしました。それは3週間ほどで退院できたので安心してましたが、今回の入院は月2回の検診で、リンパ線への転移が発覚したようです。父は私が言うのもなんですが、とても気丈な人で、病気に前向きに取り組んでいます。頑固な性格でもありますが。。。(そこが良いのでしょうか?)負けないぞ!って思うのかな~?そういうところは、見習いたいですね。6月の手術以来なので、かなり親不幸をしています。姉に任せきりで。。。明日は、親孝行をしたいと思います。↑ポチッと何気に押してやって下さい。(^3^)-☆Chu!(パポピンが大喜びします!)
2005年11月08日
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父の大手術は、アテネオリッピックの真っ最中に行われた。(忘れようのない出来事と共に記憶されています)取り除かれた部分(癌細胞)を術後に見せられて、説明を受けました。癌細胞をすべて取り除かれた訳ではなく、転移の可能性もあるとの事です。喉仏がかなり腫れていて、言葉が悪いけど、かなり気持ち悪かったです。初めて見たその物体(あえてそう言いたい)は、映画に出てくるような感じではなく、かなりグロテスクで異臭を放っていました。私はその時に、父の記憶として、「デジカメに収めていいですか?」と尋ねたら、医師はバツが悪そうな雰囲気で、すぐさま形を崩して、バットに放り込みました。その放り込まれた物体を撮るしかありませんでした。術後の父は、かなり痛々しく、これで回復するのだろうか?とぼんやり考えていました。喉の下がぽっかりと丸い穴が開いていて、そこから詰まった痰を取り除きます。少し血の混じった痰を取り除くとき、痛そうにした父が可愛そうでした。お酒とタバコが大好きだった父が、今はどちらも取り上げられてしまいました。手術後、約一月半(10月末)で、無事に退院をする事が出来ました。退院してから1週間後に、快気祝いという事で家に帰りました。退院してからの父は、生き生きしてて、とてもあの状態からは、想像がつかないぐらい回復していました。それとも空元気だったのだろうか?この続きは、また次回に・・・。人気blogランキング↑よろしかったらクリックをお願いします。
2005年06月13日
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父の体内で、燻っていた病原菌が顔を出し始めたのは、去年のゴールデンウィーク明でした。唾を飲み込む際、まるで大きなカプセルが、喉を通過する感覚だったそうです。何かがひっかかる感覚、喉に異変を感じる感覚、その時はもう手遅れでした。最初は近くの病院に行きました。その病院で貰った薬を、指示通り飲んでも一向に回復せず、また違う病院に行きました。ちょっと大きな病院です。そこでも同じ事の繰り返しで、一進一退の繰り返し・・・。いや、徐々に後退していくから、一進二退かも・・・。それが一ヶ月半ぐらい続きました。3度目の病院で、検査をしたら、病原菌が網に引っ掛かりました。ようやく顔をみせたのです。その後、その病院の紹介で、県内で一番大きな大学病院に入院しました。検査の結果解った事、父の病名は、咽頭癌でした。母からの電話で癌と聞いた時、なんだかピンときませんでした。誰か他の人の話のような感覚で、聞いていた事を今更のように思い出します。現実に自分の身に振りかかるなんて、夢にも思っていませんでした。でも、起こるんですね。こういう話は、全然不思議じゃないけど、ドラマの中のワンシーンというか、自分には関係ないと思っていました。それからは、週に1~2回ほど連絡を取り合いました。本人は、病名を知っています。父は、「なるようにしかならない」って言いました。もうその頃は、父の声は擦れていて、思うように声も出ていません。まるで別人のような感じです。開き直っているのか?この人は本当に強いのか?父を解っているようで、解ってない部分もあるんだと痛感しました。父の声が聞こえなくなる。漠然と考えていました。それが現実のものとなったのは、去年の8月17日でした。そう、世間がアテネ・オリンピックで、盛り上がってる最中です。その日、父は約8時間の大手術をしました。続きは又今度にします。人気blogランキング↑よろしかったらクリックをお願いします。
2005年06月10日
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