時々過敏症な生活へようこそ

時々過敏症な生活へようこそ

過敏症が発症した日の事


過敏症になったのは2004年
子供が先に発症、その後私も発症した

アトピーの息子は水遊びが大好きだった。
その日は朝からご機嫌が悪く、私も心底疲れきっていた
「そうだ!水遊びをさせよう!」
そう思って窓を開けたら息子は暴れだした
プールにいれるとご機嫌がなおると思った私は、半分無理やりのようにプールに(といってもベビーバスに水をはっただけなのだが)いれると全身小さな発疹がばーっと、凄い勢いででた。

外で何かが起こってる!

そう感じた私はすぐに息子を家の中に連れ戻し、窓を閉めてふろ場でシャワーを浴びさせたら幸いにして発疹はすぐに消えた

けれど、この日から息子は過敏症になった
連日のように気が狂ったように暴れる息子
夜になると叫び声をあげてなく息子
床や壁に凄い勢いで頭をぶつけ、げらげらと力なく笑う息子・・・・
大人しくて、のんびりしてる今までの息子の姿はなかった。
気のくるう息子になす術もなく、私は毎日泣きながら息子を抱き締めることしかできなかった

このときはまだ、息子が過敏症だなんて思いもよらなかった
けれど、数日後この日、水田の農薬散布が行われたことを知った
がくぜんとした・・・・水に流せばすぐ消えた発疹
その日入れたプールは朝早くから水をはっておいて、息子後はいる頃には温水に、適温になるようにしていたものだった(太陽であたたまってぬるま湯になるから)
何もかも一致する。息子は 農薬アレルギー?
そういえば、離乳の進まない息子に無農薬の食材にしたら離乳が進んだ。それまでは絶対に口に入れようとしなかったっけ・・・

しかし、数日後、またしても今度は近隣で除草剤がまかれた。
息子が発症して以来、連日眠れず、心身ともに限界が近付いていた私に今度は異変が起こった
除草剤がまかれたところを歩いていると近所の人が青ざめた顔をして
「奥さん・・・手・・・」
と、私を指差していった。
除草剤がまかれた空き地の方だけの手が、息子のときと同じ赤い小さな発疹が広がっていた
このときにはじめて頭をよぎる。『化学物質過敏症』の文字が。

このときかかっていたのは食物アレルギーの医師だった。
無理やりのように予約を取り、私達の身におこったことを説明した

先生はちょっと困惑した表情を見せたが、いたって優しく、落ちついた口調でこういった
「・・・・化学物質過敏症ですね・・・・苦しかったでしょう、辛かったでしょう。精神病になったと思われた日もなかったですか?・・・大丈夫ですよ、必ず治ります」
今でもこの言葉は私の耳にはっきりと残って、辛いときに思い出す
そうだ、治るんだと・・・

家路につくまで、付き添った夫は無言だった
そしてやっと口を開いたときには
「僕は自分のことじゃないから(病気に対して)何も思わない」
と言い出した。主人には受け入れられなかったようだ。

この日から毎日のように離婚話も出始める。
今では理解してくれている主人だがはじめはこうだった。
おまけに、現実逃避して会社を勝手に休み、家出までするんだから男の人の方が弱いんだろうなあ
もし、このブログを読んでいる方で、家族が過敏症の方、
どうか支えてあげて下さい
いらついて、八つ当たりされても、自殺未遂を繰り返すようなことになっても
それは本人の意思ではないのです。
どうにもとまらないイライラ。
死にたくてどうしようもない日
毎日断続的に続くのです。本人は気のくるいそうな毎日を過ごします

ちなみに私が過敏症になってから、あれこれ反応物を撤去していったら息子はみるみる回復
大人しい息子ちゃんに戻りました
今いる多動症状を持つ子達をテレビで見ましたが、過敏症のおこった息子そっくり!
もしかしたら・・・・と思われる方がいたら、過敏症外来を受診してください
もう、私は息子のように過敏症になる子をみたくありません。

連日鼻血をだし、足下がふらふら

毎年初夏になると過敏症になった日を思い出します
どうか皆様、他人事だと思わないで予防して下さいね
過敏症発症者の祈りです




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