Pすけ☆の気まま日記

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舞台『ピーター・パン』
ダーリング(Darling)家は典型的なエドワード調のロンドン家族。だが乳母として飼っている犬のナナは歯でベッドメークをする。ウェンディー(Wendy)、ジョン(John)、マイケル(Michael)の3兄弟は、ブルームベリーのアパートに、なんとも奇妙な訪問者を迎える。なくしてしまった自分の影を探していて、自分は大人にならないのだというピーター・パン(Peter Pan)という名前の少年だった。連れている妖精のティンカー・ベル(Tinker Bell)と同じように、ピーターも空を飛ぶことが出来た。不可能を信じることを学んだ子供達は、ピーター・パンと一緒に空を飛んで、楽園の島「ネバーランド」に向かう。

ネバーランドでダーリング家の子ども達は、子どもの戦士ロストボーイズ、インディアン、冷酷な海賊キャプテン・フック(Captain Hook)と出会う。ウェンディーがロストボーイズの母親の役を引き受けると、フックはウェンディーらを捕まえてしまう。この劇で最も有名なのは、ウェンディーがピーターの勇気で救われ、時計を飲み込んだためにチクタク音のするワニにフックが食べられてしまうシーンだろう。余談だが私が一番気にいているシーンは、ピーターの身代わりに死んでしまったティンカー・ベルが観客の力によって息を吹き返すシーンだ。

さて。ダーリング家の両親は、いなくなった子ども達を探している。ピーターは子供達が家に帰るのを止めるが、結局、子供達は家に帰ってしまう。そして、ピーター・パンが警告した通り、子供達は大人になり年を取ることになるが、自分達が経験した不思議な出来事や魔法は永遠に持ち続けようとする。

舞台の反響

1904年の12月27日のデューク・オブ・ヨーク劇場での初演から、『ピーター・パン』は社会現象になり、革新的で前代未聞の演出が絶賛された。観客はほとんど大人だったが、大人も妖精を信じているのだと実感できるほど盛大な拍手に、ピーター・パンを演じた女優は泣き出してしまった。カーテンコールを求める声は、夜遅くまで続いたという。初めてピーター・パンを演じたのは、演出家の娘で37歳の女優ニーナ・ブーシコー(註30)だったが、この性別を超えたキャスティングが流行を生んだ。その後、イギリスではピーター・パンを初めて男性が演じたのは1982年のことである。この役には、現在でも男女両方の俳優がキャスティングされている。
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図7(註31)
図8(註32) INCLUDEPICTURE "http://www.sonypictures.jp/movies/peterpan/site/special/img/history_ph02_1.jpg" ?* MERGEFORMATINET
「ウェンディー」という名前は、知人の娘マーガレット・ヘンリー(Margaret Henry, 生没年月日不明)が“R”の発音が出来ないために、バリを「マイ・フウェンディー(my fwendy)」と呼んでいたことから付けられたものである。マーガレットは6歳で亡くなっているが、ウェンディーという役柄の中に生きており、たくさんの親達がこの名前を娘に付けている。

ジェームズ・バリによって創りだされると同時に、「ピーター・パン」には生命が吹き込まれ、人気の舞台から小説化され『ピーターとウェンディー』として1911年に出版され、私達が想像力で創り出す世界の一部として愛されてきた。世代を超えて伝えられてきた物語は、ヨーロッパ、アメリカなどの子供達の意識に織り込まれてきた。

舞台から始まった『ピーター・パン』世界は、小説、ブロードウェイ・ミュージカル、数々の映画やテレビ番組、アニメーション、ディズニーのテーマパークの乗り物、ケンジントン公園のピーター・パンの像などさまざまに形を変えて広がっていったのである。

1929年、バリの遺言で『ピーター・パン』の全権利をロンドンのグレートオーマンド通り小児科専門病院(Great Ormand Street Children’s Hospital)、に寄贈した。『ピーター・パン』に対する著作権料は、数え切れないほどの貧しい子どもたちの治療に使われている。最初10床だったベッド数は、今日(2004年10月現在)では350床となり、22の専門科をもつ大病院となった。



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