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gildong氏、「獨生女」解説お疲れさまでした?!
gildong2「 TM独生女論は祝福家庭共同体の伝統になり得るのか(1) 」、そして、今回も(2)(3)とシリーズで骨折りをされるのだろうか。
その中からの引用(以下)について、私の背後の「奇知外」の言からだ。11/18 03:20受。
2. お父様は堕落した血統から来られ、韓鶴子独生女(真のお母様)は母胎から原罪のない血統から来た。
上記は一見真のお母様の独善的な発想のように捉えられがちだが、「奇知外」の話を聞いてみれば意外なというよりはごく当たり前の回答が出てきた。
男女の生理的な違いというだけだ。
真のお父様は神様の種(精子)を、真のお母様は畑(子宮)を、というのがお父様のみ言だ。お母様は「卵子」からではない。生まれながらにその「子宮」を持ち合わせて生まれてきた。
- お父様は16歳の時にイエスから使命を引き継がれた瞬間が血統転換の瞬間であり、韓鶴子お母様は母胎から復帰された純血として生まれた。
これに異論を唱えられる方も多いと思う。
イエス様が救世主・メシヤ・独生子であるかどうかについて意見が未だに分かれており、キリスト教の信仰によるものだ。また、文鮮明総裁が再臨主・メシヤ・独生子であるかについても、同じである。
まして、韓鶴子総裁が「独生女」であるかどうかの論議自体が私たちの思考を遥かに超えたものともいえる。
御言の中には 「
血統転換=心情転換」
とも語られている。
お父様が召命を受けたときのことが自叙伝(P.62~)では次のように書かれている。
祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然と現れたイエス様は、
「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」
と語られたのです。
その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、その声をはっきりと聴きました。イエス様が現れた時、私の体はヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。その場で今すぐ死んでしまうのではないかと思われるほどの恐れ、そして胸が張り裂けるような感情が一度に襲いました。イエス様は、私がやるべきことをはっきりとお話しになりました。苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてあげなさい、という驚くべきみ言でした。
「私にはできません。どうやってそれをするのでしょうか。そんなにも重大な任務を私に下されるのですか」
本当に恐ろしくてたまらず、何とか辞退しようとして、私はイエス様の服の裾をつかんで泣き続けました。
原理講論の 予定論・第三節 人間に対する予定 からは、
つぎに、 神の予定において、復帰摂理の中心人物となり得る条件はいかなるものであるか ということについて調べてみることにしよう。神の救いの摂理の目的は、堕落した被造世界を、創造本然の世界へと完全に復帰することにある。ゆえに、その時機の差はあっても、堕落人間はだれでもみな、救いを受けるように予定されているのである(ペテロ第二・三・9)。ところが、 神の創造がそうであるように、神の再創造摂理である救いの摂理も、一時に成し遂げるわけにはいかない。一つから始まって、次第に、全体的に広められていくのである。神の摂理が、すべてこのようになっているので、救いの摂理のための予定においても、まず、その中心人物を予定して召命されるのである。
それでは、このように、召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである。
ペテロの第二の手紙/ 03章 09節
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
新約聖書・マタイ伝1章の家系図があったとしても父親がヨセフではなく、イエス様は私生児として生まれてきた。処女懐胎が神秘化され、生まれた時から「独生子」の印象を受けるがそれがどうであったかの結論をハッキリといえる人がいるであろうか? 東方の三博士の訪問や様々な奇跡があっても、ヨセフ・マリヤはそれを悟ることができなかった。イエス様の幼少期においても、最初からそのようには育ってはこなかったということだ。
では、真のお父様は? お母様は?
訪問ありがとうございます
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追記:『真の父母経』(P.161~)から
私は、十六歳(数え)になった年、イエス様と出会い、深い霊的な体験をしたことがあります。それが啓示の始まりでした。その特別な出会いがあって以来、今まで、生きていらっしゃる神様と、イエス様を含めた霊界の聖賢たちと、絶え間なく対話をしてきました。その内容は、言葉では表現しきれません。 神様は、ご自身の摂理の時に従って私を選択されたのです。
……
追記2:真の御父母様の生涯路程(1)(P.126)
三 召命と内的な準備(一九三五・四~一九四五・八)
神様の実存と原理の探求
神様は御自分の時刻表に従って私を選択し、任命されたのです。
救いの歴史に多くの事情を残しながら、今まで歴史の峠を越えに越えて、解決できないまま、門前まで神様が訪ねてきたというのです。すなわちレバレンド・ムーンが少年の時、神様が門前まで訪ねてきて通告しました。それがレバレンド・ムーンがこのみ旨を知り、出発した時だったのです。
道を歩いていて、偶然誰かの話を聞いてこの道を出発したのではありません。ある牧師から感動を受けて、このことを始めたのでもありません。誰かに伝道されて、この道を行っているのでもありません。それでは、その動機の出発点はどこですか。それは神様です。
私がこの道に進む時にも、「神様いますか」と最後まで探し求め、神様がいらっしゃることをはっきり知って出発しました。次には「神様に願いがありますか」と尋ねて、神様に願いがあることを知りました。また、「神様、私が必要ですか」とお尋ねして、私が必要なことを知りました。「それではどれくらい必要ですか」と問い詰めました。
このように私が一度尋ね求めると、神様は、答えてくださるか、でなければふろしきを包んで他の所に行くか、しなければなりませんでした。
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