大家族ですワン

大家族ですワン

誕生死・我家の場合

我が家に春ちゃんが生まれるまで、と言うか子供たちが私の所に生まれてくるまでの道のりを書いてみたいと思います。

7年間のなが~い交際を経て私は結婚したわけでごじゃいますが、初めての子供は昭和64年9月に生まれでくるはずでした・・・
初めての妊娠、出産なので判らない事だらけ、不安だらけみんなそうですよね!


妊娠6ヶ月 男の子と判明!主人は大喜び、名前も主人の大好きな坂本竜馬にあやかって龍馬と決めていました。

妊娠7ヶ月 を過ぎたあたりから妊娠中毒気味になってきて、むくみ・タンパク尿などが出てきました。

妊娠8ヶ月 その当時は仕事をしていたのですが、むくみがひどい為立ち仕事がきつくなってきていました。

妊娠9ヶ月 産休まであと1週間と言う所で会社で具合が悪くなり、この時会社にいつも居る保健婦さんがたまたま外出中だったので、タクシーで急遽かかりつけの産院へ。
急患扱いで診察してもらうと先生が険しい顔になり
「家族の方をすぐ呼んで!あと救急車!」との声・・・(もう病院にいるのに何で?)って思ったのですが、実は個人病院にかかっていたので、すぐ大きい総合病院へ移すと言う事でした。
主人は夜勤の明けで休みだったのですが、健康診断でひっかかていて心臓の再検査に行って自宅にいなかった為実家の母に付き添ってもらい救急車で総合病院へいきました。
後日談ですが・・・この時の主人の心臓の再検査はとんでもない波形になっていたそうです。再々検査をしましたが・・・なんでもなかったそうです。

悪夢の出産 総合病院へ行きすぐに診察「赤ちゃんは亡くなっています、すぐに出産の準備をします」と先生が看護婦さんたちに指示を出していましたが私には理解できませんでした。(理解しようにも意識が半分無かった)
後で聞いたのですが、実家の母も「自然分娩で出産ですか?」と聞いたら、「娘さんを殺す気ですか」と怒られてしまったそうです。
ばたばたと帝王切開出産のために準備が進められ、腰椎に部分麻酔がかけられました。
その時の気持ちは今でも忘れられません。「痛くなくなった!」というほっとした気持ちだったのです。あまりのお腹の痛さに子供のことを心配する気力も
理性もほとんど無かったんだと思います。
手術が始まって程なくして出産・・・でも産声はありませんでした。看護婦さんの「1700グラム男の子」と言う声を最後に全身麻酔に切り替えられ記憶がなくなりました。

その後  気が付いたのは手術後2時間ぐらい過ぎた頃でしょうか、横を見ると主人が座っていてじっとこちらを見ていました。よくやったでもなくご苦労様でもなく、ただじっとこちらを見ていました。忘れもしない昭和64年9月21日のことです。

術後はとても経過が悪くて、熱は下がらず、下血は止まらず、むくみで点滴を打つ血管さえ無くなり、担当の先生が「再手術をして子宮を取り除きましょう」と言う話さえ出たそうですが5日目でようやく熱が下がり再手術をしなくて済むようになったのです。その後も痙攣が起きたり、お腹のチューブが癒着してしまったり、貧血がひどくて輸血を大量にしたりとなんだか大変でしたが1ヶ月後無事退院しました。

龍馬は術後2日目に火葬にされ幻露水子となり小さな位牌になって私の元に返ってきました。





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