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11月の3.4日に、今年も皆さんのご協力と思いやりのお気持ちで、京セラドーム大阪に、社会人野球の日本選手権を観戦しに、大阪に行って来ました。 前年同様、車での移動で、宿泊施設はアミティ舞洲に。(去年教えて頂いたとよこさんはじめ皆さんどうもありがとうございました。) 先ずはメインの野球観戦から・・・。 我チームの先発投手は、エースのベテラン選手。このK選手には、特別な思いがあります。私と元監督のIさんが、都市対抗予選2コロ(2連敗)という最低最悪、正にドン底のチーム状態の中、現役生活に別れを告げる余韻に浸っている暇もなく、チームの立て直しのために先ず獲得した選手だからです。真夏の太陽がサンサンと降り注ぐとある夏の日、監督と視察に行って、移籍をしてもらってから早いものでもう10年・・・。環境の変化等々の色々な問題を乗り越えてくれ、未だに現役生活を送ってくれているのは、素直に来てもらって良かったと思いました。本当に獲得してよかったのか?と、彼が移籍した当初、本当に苦しんでいる姿をみて、自問自答を繰り返していました。 しかし、いつまでも彼に頼ってばかりもいかず、若手を育てることもチームの課題だよなーと監督と話をしていたところです。 いよいよ試合開始。基本的に余程の実力差がない限り、エース同士の投げ合う初戦は、投手戦になることが多く、この試合も多分に漏れず、その模様でした。 どの球場でも、車椅子の観戦スペースは、上で端が定位置なので、配球までは分かりませんが、序盤はどちらもランナーは出すものの、要所を押さえて無得点で進行しました。 続く・・・。
November 8, 2012
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夏の甲子園、東東京代表の成立学園の監督さんは、学生時代の先輩でした。 よく飲みに連れて行ってもらいました。 その球歴は、本当に素晴らしいもので、また指導者としても新たな功績を作られることを信じて疑いません。 敗れはしましたが、基本に忠実な野球をしていたので、今後も期待出来ると思います。 各打者共に、しっかり引きつけてストレートを引っ張ることのないように、逆方向へ打ち返していました。 勝つためには、チーム一丸となって徹底する。といったことを教育されている証でしょう。 来年も楽しみにしています。 低迷している我が母校にも頑張って欲しいものです。
August 13, 2012
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先日、我が後輩のヤクルトスワローズの宮本選手が、 2000本安打を達成する快挙を成し遂げました。 彼は高校時代、毎日私の打撃投手をつとめてくれました。 当時から、守備力が抜群で、特にスローイングは安定しており、打撃投手をつとめてくれている時も、殆どボール球がなく、本当に助けてもらいました。 彼らしく、コツコツ頑張って積み上げたこの数字は、自分のの事のように・・・。とまではいきませんが、よかったです。 人間的にも素晴らしい人物なので、野球界を背負っていくことでしょう。 おめでとう!宮もっちゃん!
May 6, 2012
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土曜日は、無事に野球観戦に行ってきました。 久しぶりに、グラウンドの雰囲気を味わう事が出来、やっぱり物心ついた時から慣れ親しんだ環境に、身を置くことは居心地よく感じました。 試合は、かつて私が所属していた社会人チーム対大学生のOP戦で、私も10年以上通った自チームのグラウンドで行いました。 後輩達のプレーする姿を見る事が出来、また、試合の流れを久しぶりに体感し、楽しい時間を過ごすことが出来ました。 運転をしてくださった先輩、わざわざ大阪から駆けつけてくれた後輩、そしていつもお世話になっている兄さん、どうもありがとうございます。 同行してくれたヘルパーさん、どうもありがとうございます。 そして色々な手配をしてくださったスタッフの皆さん、ありがとう。 新監督が、私のコーチ時代付けていた背番号を見せてくれました。どうか暴れてくださいね。 娘も連れて行ってあげることができました。記憶の片隅でも、父親の昔の職場として残ってくれると嬉しい限りです。 芝生が青く色づき、焼けた芝生の匂いのする頃にまた行けるといいなー。 やっぱり、もう一度グラウンドに立ちてぇな。という思いが込み上げてきた。 往生際が悪い、良い傾向だ! 後輩諸君に1つだけアドバイスを「見逃し三振は、今の俺でも出来る!」 振らないと何も起きない。
March 12, 2012
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ようやくスタンドに着いた時には1回が終了していた。事前に、監督さんから、あまり会社の人達に病気の姿を見られたくないのなら、別室を用意するとの温かいご配慮の言葉を頂いたのだが、気持ちだけ有り難く頂戴した。変わり果てた私の姿を見て、皆さんはどう思うのだろう?必死で頑張っているな。と思う人もいれば、可哀想にと憐れむ人もいるだろう。はたまたバチが当たったと思う人もいるかもしれない。ただ私はどんな姿になろうとも、隠れるような行動だけは取りたくない。と決めている。大体、原因さえ解らない得体の知れない病気が、ALSを含めてこの世の中にはゴマンとある。先ずは一人でも多くの人達に認知してもらわないと、今、多くの問題が山積している障害者への社会保障制度の改善には繋がらないと、勝手に思っている。なんて・・イッチョ前の御託は置いておいて、実に多くの皆さんが声を掛けに来てくださった。。本社の社長、副社長をはじめ、私の出向先の社長、副社長、野球部のOBの皆さん、高校の先輩、会社の様々な人達、等々。お陰で試合中盤あたりまでは観戦どころではない状態だったが・・・。皆さん声を掛けに来てくださるのは本当に有り難く、幾度となく涙が溢れてきたが、病気の特長まで理解されていない方が多く、「○○だけど解るか?」という質問がやたらと多く、その度に文字盤で「俺はボケとらん」と伝えるのに、多少疲れた。試合の方は、先取点を取り、幾度となく訪れるピンチも凌いで、リードを保ったまま終盤を迎えた。5回終了時には、試合中にも関わらず、選手達が私の方を見て手を振ってくれた。私もヘルパーさんに手を持って貰って、手を振り返した。心の中では思い切り両手を上げて手を振っていた。途中、体の痛みがどうにも耐え難くなってきたので、胃瘻から安定剤を流し込んでその場を凌いだ。ついでにラコールも注入してやろうかとも思ったが、スタンドでその行為をするのは、周りの人への刺激が強いと思い自重した。久しぶりの観戦で、試合の流れが解るか心配したが、思いのほか展開が予測出来た。後輩達の頑張りで、見事勝利の瞬間を見ることが出来た。その後、監督さんの粋な計らいで、グラウンドレベルで、選手達と一緒に記念撮影を撮って頂けるという幸運にも恵まれた。もう2度とグラウンドに立つことはないだろうと思っていただけに、万感の思いだった。いつも気遣ってくれるミスター社会人は目をマッカにしながら笑顔で迎えてくれた。他の選手達も試合後で疲れているのに、笑顔で迎えてくれた。その後、運転手を快く引き受けてくれた後輩が、、私にとって一番景色の良い場所へ連れて行ってくれた。小さい頃からの様々な思い出が走馬灯の様に、頭の中を駆け巡った。ふと見るとその後輩も目に光るものが見えた。なんという素晴らしい人達に巡り会えたのだろう・・・。心が満ち溢れ、涙となって流れ落ちた。後輩がポツリと言った「ページさんにもう一度ここからの景色を見せたかった・・・。」そう、捕手のポジションからの眺めである。しかし病気の影響があるにせよどんだけ泣いとんねん・・・。と思って球場を後にした。
November 3, 2011
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道中は殆ど高速道路を利用するルートで運転してもらった。一般道は、信号や、右左折の度に頭が前後左右にグラグラ状態になってしまい、筋力の殆ど無くなった私の首は、ちぎれてしまいそうになる。それに加えて、舗装状態の悪い道路を通ると、モロにその状態が全身に伝わり、自分の意志では動かすことの出来ない体が、操り人形のように動き大変なことによくなる。高速道路はそれらの懸案事項が回避されるため、そちらを利用するほうが有り難い。時間には十分余裕を持って出発したつもりだったが、案の定、夕方の渋滞に巻き込まれ、予定より遅れての到着となった。メジャーな球場には、恐らく何処でも車椅子用観覧席が用意されていると思うが、京セラドーム大阪も多分にもれずそういった席が用意されており、私もそこでの観戦となった。球場に行ったのは何年ぶりだろうか・・・。スタンドに入った途端、自分の中の眠っていたものが、一斉に目を覚ましたように、全身の毛穴が開き、何かが吹き出してきて、猛烈に体が痒くなり、その後熱くなってきた。グラウンドで躍動する選手達、それを応援するスタンドを目の当たりにした時、涙が溢れてきた。この感情は一体何なんだろう・・・。嬉しさなのか、懐かしさなのか、悔しさなのか、はたまた感謝なのか・・・。ただ間違いないのが、自分がそれなりに人生をかけて打ち込んできた野球というものへの熱い思いが蘇ってきたことである。「たかが野球されど野球」である。病気になり、正直野球なんてもうイイや。と、自分の心に蓋をして生きてきた。野球の神様がきっと導いてくれたのだと思った。不思議なことに、激痛が走っていた体の痛みが緩和されていった。次回へと続く・・・。
November 2, 2011
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今回は大阪までの道程を、自家用車(ウェルキャブ車)で行くと決めて各種準備を進めていった。何しろ私のような重度障害者は、あれやこれやと下準備も大変だし、持参品もやたらと多い。まず、宿泊先の手配。大阪在住の高校の先輩や、このブログに参考のコメントをくださった、とよこさんや、takekoさんから頂いた情報を元に、アミティ舞洲に決定し、そこでの貸出可能品のチェック。今回は同行しなかったが、信頼出来る姉さんヘルパーさんが、卒なく確認してくれた。ベットのマットはエアマットの貸出は可能か?吸引器はあるのか?等々事細かく聞いてくれた。それから、やたらと多い持参品の用意。命を繋ぐ相棒のBIPAPから、何やかんやと沢山の介護道具をせっせと用意してもらってようやく出発となった。忘れてはならない物が、障害者手帳と、医師に書いてもらった書面。もし何かあってからではおそいので、事前に用意しておいた。手帳は、各種割引を受けるにあたっての必需品。会社を休職している身にとって、財政的に恩恵を受けることが出来るものは、出来るだけ利用しない手はない。先ずはここ迄として、次回へと続く・・・。
November 1, 2011
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本日は、あいにくの雨模様。久しぶりに湿度が70%を超えて、ジメジメ感があり、体調も今ひとつ。まぁ日々が体調の変化との戦いみたいなものなので、仕方がないこと。自然の力には、どうあがいても勝ち目ないことなので、成り行きに任せることに。今日は、忙しい中、後輩の「ミスター社会人」が顔を見に来てくれた。今度の全国大会での健闘を約束してくれ、私の大阪遠征が、野球観戦になるように約束してくれた。いつも事ある事に、メールをくれ、顔を出してくれる。本当に有り難う。大活躍を祈っています。色々話しているうちに、野球がやりたくなった。往生際悪いことだが、何歳になっても、病気が進行しようとも、夢は持っていたいと思う。来てくれて有り難うな。
October 15, 2011
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前回書いた野球部の監督さんと、マネージャーが、忙しい中顔を出してくださった。私も応援に行きたい旨と、懸案事項を伝えると、頑張って初戦突破することと、運転手をOBの皆さんに聞いてくださるとのことを、約束してくださった。有り難いご厚意に感謝します。いつも定期的に顔を出してくださるので本当に有り難いし、嬉しい限りです。気がついたら、グラウンドを走りまくっていたのは遠い昔の事になり、すっかり中年の親父になってしまった。おまけに、途轍もない病気も背負い込んでしまったが、共に頑張ってきた先輩、後輩がまたユニホームを着て戦っているのを想像すると、熱いものが込み上げてくる。この病気になり、つくづく感じる事は、今を精一杯生きる方が、悔いは残らないということ。将来設計も勿論大切ではあるが、今やりたい事は今やったほうが結果的に後悔しない場合が多い。体は動かずとも心は動く。(尊敬する同病の先輩の言葉)熱い思いを持ち続けたいものだ。もう一度あの頃のように。と、思わせてくれた訪問だった。どうもありがとうございます。
October 10, 2011
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私が以前に所属していた野球部が、今日、全国大会の出場権を獲得することができました。何年振り?監督をはじめ、スッタッフの皆さん本当にお疲れ様です。選手の皆さん、本当におめでとう!最後に、傷だらけのミスター社会人、よく耐えたな。おめでとう!本大会は晩秋に、大阪で開催されます。頑張って行ったろかいな・・・。
September 14, 2011
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高校野球が終わると時を同じくして、都市対抗の東海地区予選が始まる。どうか、頑張って代表権を勝ち取ることを願っています。皆さん期待してますよ・・・。
August 19, 2011
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高校時代の思い出は数あれど、その中でも一番心を痛めたのが友人の死だった。高校2年の6月だったと思う。丁度その日他校との練習試合があり、友人は初めてベンチ入りし、途中から出場し高校での初ヒットを打った。嬉しそうな彼の顔を今でも思い出す。それから2時間後、食堂で同級生と食事を摂っていると、1年生が目の色を変えて食堂に飛び込んできた。「○○さんが池で溺れて、沈んだまま上がってきません・・・。」私達はその言葉を聞いてすぐに池の方へダッシュで走って行きました。既にある程度の人だかりがそこには出来ており、程なくレスキュー隊の捜索が始まりました。目の前で起こっている事が何なのか理解することを自ら拒んでいた。どれくらいの時間が経っただろうか、変わり果てた姿になった友がレスキュー隊によって運ばれていった。ついさっきまで笑顔で話していた友が、まさに一瞬にして帰らぬ人となってしまった。現実を受け入れるのに時間がかかった。ただ、色んな感情が心の中で交錯して、とめどなく涙が溢れてきた。特に覚えているのは、翌日の学校で朝礼の際、流れてきた校歌を聴いたとき、一気に涙が溢れてきた。一緒に甲子園で歌うはずだったのに・・・。3年生の最後の大会は予選から甲子園の決勝まで一枚のアンダーシャツで戦った。汚い話かもしれないが、どれだけ汗を掻いても着替えなかった。友の形見の品とともに戦い抜いた。今も事あるごとに友人の笑顔いっぱいの顔を思い出す。志半ばで他界してしまった友人に出来ることは、この世で完全燃焼することかな。
August 16, 2011
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天候にも恵まれ、甲子園は順調に試合を重ねている。しかし、最近の高校生は、平気で140キロを超える球速の投手が多くなった。食の欧米化と、トレーニングの進化、栄養学の導入等々、様々な事が、要因となっての事だろう。打者の方もそれに順応して、ストレートだけでは通用しなくなってきている。個々のレベルは間違いなく向上していると思う。反面、伸びシロの期待できる選手が少ない気がするのは私だけ?でも、今も昔も変わらない真摯に、純粋に白球を追う姿はいいもんだ。
August 13, 2011
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プロ野球は日本シリーズが開幕し、いよいよ野球のシーズンも大詰めになってます。私が在籍していた社会人野球も日本選手権の本大会に出場するチーム以外は、来シーズンを見据え、選手の入れ替えの時期になります。来春新入社の選手と、現在のチーム状態を勘案し、来季の構想から外れた選手は肩を叩かれ、引退することとなります。プロ野球と違い、社会人野球の選手の大多数は、引退後も会社に残り社業に就くことが出来、「飯の食い上げ」にはならずに済みます。昨今の厳しい雇用情勢から鑑みると、恵まれてるかもしれません。私が在籍したチームもその例外でなく、先般引退を勧告された選手がいたそうです。引退する選手の皆さん本当にお疲れ様でした。ある意味、これからの方が重要。野球では許されることも社会ではNG。その逆もあり。頑張ってください。その中に、私の高校の後輩も含まれていました。自分がコーチ時代に採用した選手で、思い入れがあったので残念ですが、これもまた人生。新天地ではレギュラーになるように頑張ってほしいものです。
October 30, 2010
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高校の先輩の方々は偉大な方が数多くいらっしゃるが、その中の一人に清水哲さんがいる。清水哲のホームページ 簡単に経歴を説明すると、甲子園春・夏の大会で準優勝、夏の決勝戦では9回裏の土壇場で同点ホームランを放ち一躍ヒーローになる。大学進学後の85年、試合中のケガで首の骨を折り、首から下が麻痺、車椅子生活となる。現在、講演活動や執筆活動など、多方面でご活躍されている。その清水さんの出版記念パーティーに、昨夏ゲストとして呼んでいただき、過分なるご厚意を頂いた。未だ衰えぬ野球への情熱、生きることに対する前向きな姿勢。そして何より「俺は清水哲や!!」という堂々とした態度に感銘した。以後事あるごとに、励ましの言葉を頂いている。かけがえのない偉大な先輩の一人である。
October 2, 2010
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