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憧れだったんです。 其処へ行くの。某本で、延々と続く朱色の鳥居を潜るうちに、トランスが訪れる、とあったのに興味があったのもあります。そう、日本国中のお稲荷さんのホーム、伏見稲荷大社であります。楼門をくぐり、本殿を横切り、稲荷山に入ると、もう最高峰233mまで、鳥居鳥居鳥居・・・の鳥居まみれで、確かになんというか、・・・心が、あさっての方向へ飛びます。一つ一つの鳥居に、思いや念がこめられていると思えば。この無数の鳥居のある山は、明らかにパワースポットの一つ、なんでしょう。お茶屋さんが途中、いくつもあって、ここは一つ、本場のきつねうどんを、と思うのですが、歩みを止めると、全ての動きが止まりそうで、結局、自分を奮立たせながら『帰りに食べよう!』と、歩みを進めたのでした。お山の上にも自販機はあるのです。しかし、当然ですが、標高が上がるごとに値段も上がっていきます。・・・そりゃそうだよねえ、こんな山道を商品持って上がる手段は、人の足しかないもの。付加価値が付くのは当然です。・・・だけど、なんとなく悔しくて、手が出せない。うう、喉渇く・・・。ところが、お山のトップを究め、一ノ宮で参拝も済ませ、さて、うどんを食べるぞー、と言うところで、脇道に入ってしまい、そのまま何故か、トレイルコースを突き進むことになり・・・・・・二度と稲荷駅には戻れませんでした。orzああ、きつねうどんが・・・。;; 喉も渇いたのに・・・。(下界は遠い・・・)思いがけない事態こそが、遠出の醍醐味、下山した時に、かなり朽ち果てた稲荷の社を見たのも私的には良かったのですが・・・イヤ、一緒に山の中を歩き回らせた友人には、本当に申し訳ないと思っています。役に立たないナビゲーターでごめん。『ここどこ?』的な、不安さえなきゃ、ああいう旅も楽しいのだけど・・・地図持ってくりゃ良かった。そして、本殿に戻れなかったので、行きに撮影できなかった本殿の写真はありません。編集していて驚いた。鳥居しか撮ってない!・・・なんてこった・・・。すきっ腹を抱えて入った、東福寺駅近くの御寿司屋さん。この日のお昼は、きつね転じて鯖寿司。・・・でも、とても美味しかったです。末広大神近くで見た、季節はずれの山吹。思わぬ修行?をしたようなもんだし・・・願いが叶うといいな、なんてね。^^
2011.08.05
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う~~~~~~む。同じ距離でないのは解るけど、大阪ー名古屋が、ざっくりと50分かかるのと2時間弱かかるとじゃぁ、大分印象が違うなぁ。時は金なり、で、かかる費用も結構違う訳だけど。やっぱりほぼ直線コースだと早いのね。・・・・・・あ、JR新幹線と、近畿鉄道特急車の話。***ゴッホ展行ってきました。・・・会場は名古屋に。 遠い!!・・・偶に、こういう事をしたくなるんです・・・。平日前売り特別チケット購入、会場とほぼ同時に入りました。お陰で、盛況ではあったけど、入場待ちも、人いきれに酔うことも無く、じっくり二巡、頭ン中、パンパンになった・・・。展示や構成しだいで、色々な印象を持てるのが美術館。今回はとてもよく出来ていて、大満足。ゴッホは気性の激しさが指摘されるけれど・・・陳腐な言葉だけど、とても純粋で傷付き易かったのだろう・・・な。口に出した言葉が、千の槍になって己に戻ってくる様な・・・反省と苦悩ばかりの日々だったのだろうか。ついで、カンディンスキー展にも。うあー。念願だった!念願だった!・・・のですが、興味のなかった友人は、途中で寝てしまったらしい。(こんなことは例が無いですが)・・・んー、ごめん・・・。しかも、図録を買おうと、サンプル本を手にとってがっくり、なんて事だ・・・数ヵ月後に兵庫県に展示巡回来るではないか・・・。orz公式サイトで何処にも公表されてなかったじゃないか!あんまりだ!彼(カンディンスキー)の、コンポジションシリーズは好きだけれど・・・少し勉強すると、彼が非常~に悪い男だと言う事がよく判る。良心の呵責があろうとなんだろうと、何人もの女を不幸にして口を拭っているとは・・・彼女と作品を置いて一方的に去ったくせに、彼を慕ったガブリエレ・ミュンターは、退廃芸術の烙印を押されたカンディンスキーの作品群を、戦時中ナチスから守り抜きます。(私なら、そんな不実な男の作品、即刻一枚残らず焼き捨てるがな・・・。)愛したから捨てられなかった、愛したから許せなかった、誰よりもカンディンスキーの作品の価値を知っていたから、売り抜く事もしなかった・・・。・・・まぁ、道義的責任を言うなら、彼女の想いもまた『略奪愛』になる訳ですが・・・。それは言いますまい。全く、知れば知るほど勝手な男なのに、どうしてこうも惹かれるんだろうな・・・このインテリめ。きっと兵庫県に来た時も会いに行くんだろうな、この女の敵が!最後はお弁当を買って、もうぎりぎりでホームに駆け込んで、特急電車で帰宅の途につきました。名古屋は天むす。
2011.03.04
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立て看板には「棚田」とあった。へぇ、これを棚田と言うのか。手前の雪には踏みしだかれた足跡。考える事は同じだね、誰の足跡も無い雪は、踏んでみたいんだ・・・。電線が無い。ゲリラカイトを揚げてみたいなぁ・・・。
2011.02.05
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実は、大原に来たのはもう一つ目的があり、草木染体験をする為でした。・・・ずっと興味があって。大原工房さんご主人が、とても面白い方で、話を聞いていて全く飽きませんでした。尽きせぬ泉みたいに、染色に関する話題が涌くんだもの・・・経験ってすごい。・・・少なくとも私は、もう○○製薬の某ドリンクは飲まないし、100円均一のアイシャドウは使わない・・・決して。(笑)世の中の染色原材料って、突き詰めるとすごい事になんのね・・・。(汗)アトリエの中は、カラフルだけど優しい色で溢れてる。・・・草木染に憧れる理由はこれ。色がもう、優しい。 ・・・これを身に纏いたい。『何色に染めたいの?』スカーフを染める事になって、緑色を希望しました。まずインディゴ色に染めます。 原料は藍。 染料の入った壷に入れて暫くしゃばしゃばし、引き上げて洗う。 これを二回。『柄、入れてみる?』そう言われたので、ビニール紐で三箇所ほど結び目を作ります。次に、エンジュの木の枝を煮出した鍋に明礬を溶かし、ぐらぐら火にかけた状態で、同じように鍋に浸けてしゃばしゃば。エンジュから黄色が出ます。 青に重ねる事で、緑色に染めるわけです。鍋から引き上げて洗います。 これも二回。最後にシャンプーをたらした湯で洗い、濯ぎます。洗う時は洗濯用洗剤じゃなく、シャンプーを使うんですって。ナルホド・・・洗髪のたびに、カラーリングが激しく落ちたらたまらないもんねえ・・・シャンプーは上手く出来てる。同じことが布の染色でも言えるわけだ・・・。お湯が出るんですよ。・・・冷たい水も覚悟してましたが・・・。・・・だから特に苦にならない(苦笑)。おお、いい色!結んだ紐を外すと、先に染めた青色がラインになって残っていました。なるほどねえ、こうなるんだ・・・。・・・ご主人は、こちらの知識を試して来られます。 例えばお茶の木から何色が出る?とか、赤色は何の木から採ってると思う?とか。そのご主人が、窓の外の畑を指差して、『あそこに植わってるのなんだと思う?』と尋ねました。 ・・・寒さで傷みかかった葉っぱだけが見えます。『・・・? 大根でしょう?』質問の意図が読めずに答えると、『ああ、良かった!解ってくれてた!』ご主人は笑いました。『こないだ、某有名企業のお嬢さん方が染色体験に来られたんだけど、あれを見て、「大原のタンポポは大きいんですねえ」って言われたんでねぇ・・・。(笑)』うーん、まぁ、染色のアトリエだし、畑で染色できる植物を育てていると考えても不思議じゃないよ。何か、タンポポで染色出来る事を前以て勉強した人が、つい、フライングしちゃったんでしょう。(笑)それに、仮に知らなかったとしても、仕方ないよ、街のスーパーで売ってる大根は、葉っぱ付いてる事ないんだよ、ご主人・・・。ストーブの上に、スカーフを干させてもらいます。(余り広げると、シャリ感が無くなっちゃうみたい)乾かして完成です。こちらでは、糸を染めて、機織もしています。出来上がった帽子やマフラーなどが、商品として陳列してあります。 どれも良い色・・・。季節が良ければ、染色する植物の採集から始められます。*^^*昔は、染色に使う木枝はご自分で採りに行ったけれども、今は、庭師さんや、山で木を切る人から貰い受けることが多いのだそうです。スカーフ染色体験、約2時間で3150円。 ・・・簡単です。 でも楽しい♪草木染って奥が深いです。・・・もっとやりたいや。この工房では、マフラーや、ハンカチーフなども染色出来ます。 ご興味のある方、お値段はお問い合わせください。大原工房さん、ありがとうございました。
2011.02.03
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さて、つるつる滑る雪の上を、靴底の磨り減ったブーツで歩く愚か者は、やっとの思いで三千院近くまで戻り、まだ開いている寺院の木戸をくぐりました。鎌倉時代に建立された、ここも天台声明の修行道場の一つで『来迎院』。雪布団だぁ・・・。表舞台の三千院と違い、人の往来も少なく、又、ちょっとした日当たりの加減からか、雪が違う!本堂は正面扉が閉めきられ、ほの明るいくらいの光量の照明しかなく、正直、少し怖いほどでした。(警報装置は動いています)目の前に居られるのは、鎌倉時代作の重要文化財なんですが・・・。古いので、お地蔵さんの凹凸も、立て札の説明書きも消えかかり、三千院の威光の影で、少し可哀相な気も。(逆に、昔ながらの雰囲気は、良いです)三千院の朱雀門。昔、三千院境内の、往生極楽院が本堂だった頃の正門だそうです。・・・今は開かない。これが来迎院の近くにあるため、来迎院の素朴さ、と申しますか、なんと申しますか色みの無さ・・・が、逆に引き立ちます。さて、三千院の近くまで戻ってきて、4:40。お土産物でも、と思いましたら、土産物屋さんは軒並み店仕舞い。さっきまで客引きで響いていた声もなく・・・あれぇ??そりゃそうだ、三千院は4:30で拝観時間が終ってる。この時間に残ってる観光客は、どこぞへの泊り客で、そろそろチェックインしているもの。気がつきゃ、通りに誰もいないし・・・。^^;
2011.02.01
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次に向かいましたのは、周辺のお寺、宝泉院。この、樹齢500年になる五葉松を見たかったのです。(天然記念物)私は、15センチくらいの、正月飾り用の苗木しか見た事がないので・・・^^;いやぁ、大きくなるものです。 ・・・近江富士を象ったものだそうです。戦場となった城の、その床板をお寺の天井板に使うのは、よく聞く話ですが・・・。間近に見ると、やはり、えもいわれぬ空気が漂います・・・。年月と共に血痕は薄くなり、あるいはそうと知らなければ、ただの汚れた天井板だ、と思うだけかもしれない。しかし、人の手足の痕跡は、なんとなく判るものです・・・。ここは、かつて戦国時代、伏見城(秀吉が建てたが、今はもう模擬天守しかない)で自決した武将の魂を慰める為に、その床板を天井板に使っています。その下で、お茶とお菓子を戴きます・・・(汗)。・・・いえ、本来の趣向は又別で。本来、書院の中ほどから庭を見ると、柱によって囲われた様に見立てられる額縁庭園が見えます。(盤桓園)(お客さんが一杯なので、無粋な撮影はしませんでした。)血天井の下は縁側で、其処から美しい庭園を眺めながら、お茶を戴く趣向です。(宜しければ、上のリンクから額縁庭園をご覧下さい)天台声明発祥の地、勝林寺。1188年、法然が、諸派の学僧に浄土念仏の教理を説き、問答した上で信服させた場所です。ここに着いた時点で、3時過ぎ。 ココにきみが入ったら、一時間は出てこないでしょ!(時間ナイよ)と、主張するだんなさんに引きずられて、次の目的地へ。(実光院も見たかった・・・シクシク。)中国山東省の聖地だという、魚山に似ているとして、名付けられた魚山を上ること20分。(いや、雪がなけりゃ、15分ほどで行ける筈ですが、何しろ踏み固められた雪は滑る滑る)・・・上る、といっても、なだらかな斜面で、昔はもっと多くの寺院があり、天台声明の修行の場であったそうです。お目当ての音無の滝。修行僧は、この滝に向かって声明の練習をしたのだそうで、最初は、滝の音にかき消された声明の声も、稽古を重ねるにつれて滝の音に打ち勝ち、最後は、声明の声だけが響いたところから、「音無」と名付けられたそうです。・・・私は声明なぞやりませんから、滝周辺に積もった綺麗な雪に夢中になりまして。それで、作ったのが、先日アップした、あの不細工な雪だるまであります。(笑)・・・雪だるまを作っている間が、今旅行中、一番イイ顔していた、とは、だんなさんの言です。(苦笑)・・・まぁ、私は俗人ですから・・・。
2011.01.31
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雪に縁のない人生でしたから・・・雪が怖いものと知って尚、雪に憧れる気持ちがありました。高校の修学旅行の無理やリスキーは、楽しみなど論外ですし(私にとっちゃ)、兵庫県の南部地方に降る雪は、いつも泥や埃にまみれていて美しくない。***♪きょうと~、おおはら、さんぜんいん~といやぁ、母がよく口ずさんでいたフレーズでした。だから、私はこのイントロしか知りません。(ご存知です?)デューク・エイセスという人たちの歌謡曲だったのですね、何かこう、JRのCM的雰囲気がありますが・・・知らなかった。切欠は覚えていませんが、子供の頃、家族で大原に来た事があります。侘び寂、神社仏閣のの大ッ嫌いな父が、よくまぁ旅行に同意したものだと思いますが、・・・おそらく、母のたっての願いだったのでしょう。 曲が流行った'60年代、母が独身だった頃の歌なので、京都大原には憧れがあったのかもしれません。JR京都駅からバスで約一時間。バスを降りると、肌を刺すような寒さが手首に感じられました。・・・雪だ。コケてるんじゃないです。 足跡のついていない綺麗な雪を見ると、触らずにいられない。(笑)寂光院。聖徳太子の創建、平家の建礼門院様が隠棲なさったと有名な寺です。約10年前、放火によって本堂が全焼、その時のニュースを知ったときの衝撃は、今も覚えています。ご本尊も痛ましいお姿になっていました・・・憎むべき犯人は不明のまま。・・・5年後、見事に復興を遂げ、今日に至っています。平家敗北を知り、母御が我が子を抱いて入水したのを見届けた建礼門院様、後を追って水に入ったところを源氏によって救われ、現し世に戻されました。仏門に入られ、夫や愛息の菩提を弔いながら余生を過ごされたそうです。三千院これは平成に入って建て直された門だそうです。・・・アレ?ああっ、金色不動堂の写真撮り忘れました・・・今回、ケータイ、コンデジ、デジ一と、三台で撮影に臨んだのに。(涙)ですが、往生極楽院はこれに。大和座り、といって、立像ではなく、正座をされている珍しい仏様がおわします。有清園のお地蔵様。 寒そうですが、笑顔を絶やさないいいお顔をしておられます。(近代のもの)三千院のマスコットともいえる御方です。
2011.01.30
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※ 今日の画像は大きいです。この時期の京都は、関西はもとより、日本全国に聞こえる紅葉の名所、ということらしいですね。先日、友人と早めに家を出て行って来たのですが・・・人出が半端ナイ!!!もう、駅からしてすごい人口密度な訳です。酔います。酔いそうですが・・・ここでへこたれる訳には!ご覧頂けるでしょうか、東福寺は有名な『通天橋』。そりゃもう、紅葉にけぶる中を歩く気分は最高・・・・最高ですがこの人出!警備員の声:『写真はご遠慮願いますー』『立ち止まらないで下さい~』『危険です~!』・・・侘び寂は遠く・・・落ち着けない・・・。orz東山の園徳院南庭。園徳院は、秀吉の妻、北政所ねね様の終焉の地です。国名勝指定北庭東福寺の天得院の枯山水を眺めながら。『お口で、紅葉を味わっていただけましたか?』給仕して下さる、にこやかな方の言葉が嬉しい。ここは、あの方広寺の梵鐘の有名な、『国家安康』を鐘銘として選んだ学僧の居た場所で、あの『家康』の文字を切り離した、との、家康のつけたいちゃもんにより、一時取り壊されてしまったかわいそうな寺だといいます。今は四季折々の花の寺として有名です。 塀べりにツワブキの花が見えますね。しかし、この時私は友人と、夢中になって日本の現状について語り合っていたわけで、多分通りがかりの人は、『セン○ク、あれは駄目だ』とか、某紛争地の話など、実に不穏な会話に目を剥いた事でしょう。・・・仏様すみません。でも、ま、それが一番楽しかったんですけどね。^^
2010.11.30
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私は、今の大河ドラマを見ていません。知っているのは、司馬遼太郎が書いた坂本龍馬だけ。だから、ノベライズされた姿を追うばかりで、本当の龍馬を知りはしません。龍馬のファンである、と豪語も出来ません。私に出来るのは、あちこちに残るかれの足跡を僅かに辿る事だけ・・・。ここは、酢屋。 創業280年を誇る、河原町の材木商さんです。此処の六代目嘉兵衛さんが、龍馬と海援隊隊士を匿ったそうです。龍馬は、ここの二階から舟入に向かってピストルの試し撃ちをし、(近くに高瀬川がある)皆をビックリさせたと言う、やんちゃな龍馬らしい逸話が残っています。ここは海援隊の京都本部にもなっていたそうで、多くの志士が集ったと言います。ここは、その酢屋から移動、龍馬が寓居とした醤油屋の近江屋があった場所。言わずと知れた、龍馬が、盟友中岡慎太郎と切られた場所です。(世話役だった藤吉も切られ、一日後に死亡)龍馬は此処で額を割られて絶命します。中岡慎太郎は、襲撃による重傷を負った数日後、命を落とします。今は、コンビニが建っており、当時の痕跡は全くうかがえません。霊山護国神社へ至る道を、『維新の道』と呼びます。霊山護国神社は、近代日本の礎を築いた人々の御霊が祀られているところです。左が坂本龍馬、右が中岡慎太郎の墓です。(龍馬の墓の隣に、藤吉の墓もあります)ひっきりなしに人が訪れ、皆写真を撮っています。風葬の地、化野念仏寺へ行って、西院の河原を前にした時は、とても、カメラを構える気になりませんでした。それは、禍々しくは無いにしても、確かに其処に人の魂を感じ、足元から昇ってくる空気が、まるで、生き物のように、粘着質を帯びたもののように思えたからです。ところが、龍馬の墓は、墓所に鳥居が建っている事を見ても分るように、既に神化していて、全くそういう空気が無い。・・・まぁ、此処は、太平洋戦争で命を落とされた方を含め、73000柱が、祭神であるとされている神社ですから、もはや、人やその魂の存在を思うことの方が、不遜であるかもしれません。だから、ひょっとしたら、龍馬はもう、ここにはいないのかもしれない。墓の横に立つ木の表皮が、剥げて赤くなっているのは、訪れる人が、それぞれの思いを抱いて撫で擦るからですね。生きている樹に、思わず思いを託したのでしょう。「ここへ来て分った事、俺は小さい!」「赤ちゃんが生まれたよ、ありがとう龍馬!」墓所の其処此処にある、そんなコメントを見ながら、龍馬は、生きていれば何を思うのだろうと考えていました。龍馬さん、日本が危機的状況にあります。見方によっては、日露戦争よりもずっと悪い状況にあります。なのに貴方は、誰の夢枕にも立っては下さいませんか。今の日本を・・・誰が洗濯してくれるのでしょうね。護国神社・・・つまり、国の管理下にあると思っていましたが、戦後は、国家の手を離れているようです。 今は何処が管理しているのか。だからでしょうか、急な山の斜面に立てられた墓や顕彰碑は、どれも寂しげで、風雨に晒されて、土砂が流され、墓石が傾いたり、足場が崩れているところもありました。此処はまた、木戸孝允の墓所もあります。大雲院祇園閣より墓地方面を望む最後に、自衛隊殉職者慰霊碑に手を合わせて、神社を後にしました。
2010.09.22
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白い馬は晴を呼び、黒い馬は雨を呼ぶ。8月の終わりに、貴船神社に行きました。父と母を連れて。当初、叡山電鉄貴船駅から2キロほど歩いていくつもりでしたが、母が、疲れるから嫌だと。ああ、身体の何処が痛いだとか辛いだとか、聞くことがなくたって、年齢と共に確実に体力が落ちているんだ、と実感。送迎バスを使いました。この日は川床を予約していて、そのお店が送迎バスを出してくれるのです。ご神木の桂の木。妹や、妹のだんなさん、私のだんなさんも快く乗ってくれて、総勢6人の日帰りの旅。まぁ、それぞれに色々と、思惑が無いでもないのでしょうけれど、こんな機会もそうそう無い筈。・・・だから。鮎の塩焼き。うん、大好物、って訳ではないけど、焼きたては美味しい。川床って嫌いじゃない。 川の上でご飯を食べるのは涼しくて良い。・・・蚊が一匹もいないのです。 清い流れの近くにはいないのか?に、したって、裏は直ぐに山だから、はらぺらしのやぶ蚊が下りて来たって、不思議は無いのに。・・・川床料理はねえ・・・お値段がお高いのが疵。(苦笑)仕方ないですけど。 川の上にお座敷を作るのに、毎年何百万とかかると聞きましたし。さすがというか、此処にお勤めの人達は、気持良いほど接客お給仕のプロです。***どーん。此処の狛犬は、犬ではなく虎。 狛トラ、というのか?可愛い。鞍馬寺までは歩けない、と父母に言われたので、手前の由岐神社まで。ここも、大きな木の多い、立派な神社です。神社仏閣嫌いの父が、黙って付いて来るのが一寸可笑しい。やっぱり和を尊んで、気を遣っているようです。鞍馬の駅前にある、大きな天狗様の顔。妹とそのだんなさんとを一緒に、写真を撮ってやりました。『二人で写ってる写真なんて、殆どないよ、ありがとう。』まぁ、それは何よりで。(笑)***帰りに出町柳で甘味を食べようと計画していて、5人を先導して歩いていくと、「何処に行くというんだ?」と、父のバテた声。「もうちょっとしたら、美味しい氷食べられるから頑張れ!」そう、激励し、着いたお店は、猛暑の中満席。席が空いたと見るや、テーブルも片付いていないのに、父と母はちゃっかり席についています。片付くまで待てば良いのに。・・・やっぱり遠出は少し疲れたようです。此処の甘味は、友人に教えられたんだけど、また食べたいと絶対思わせるのよね~!茶房いせはんこだわりに、こだわりぬいた甘味ぞろいで。今日は一日、ご馳走するつもりだったんだけど・・・。食べ終わったら、会計伝票を離さない父。・・・では、ま、ご馳走様でした。帰りの電車の中では、席が離れたという事もあるけど、父母は、妹夫婦と良く喋ってて、私は気持ち良く爆睡・・・てか、疲れた。良い一日でした。実行に協力してくれた皆、ありがとう。
2010.09.11
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奈良の、室生龍穴神社の龍穴です。祈雨の神として崇敬を集めた神社の、神の「鎮ります」場所。昔から、雨乞い神事を執り行った場所だそうです。断崖絶壁に開いた穴は、何かの存在を意識するのに抜群のロケーションでした。室生寺の鎮守社が龍穴神社ですが、かなり山の中にあること、そして、あまり親切な標識が無いために、人もあまり訪れません。16日、訪れた私と友人は、迷い迷って、やっとで辿り着きました。訪れて良かったと思う、幽玄の場所でした。沢の水は凍っていて、まるで写真を見ているようです。有名な、室生神社五重塔。平安時代初頭の国宝の建物です。
2010.01.17
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雪が見たいと思っていた。はからずも、希望は叶う事になった。・・・寒い寒い土地で。私が住む、暖地に降る雪は、地に落ちた途端に消えてゆく。だから、どんどん積もって行く様を見るなんて、思いもよらなかった。積もった雪は、天然のレフ板。世界が白く、明るく見える。帰りのバスを待つ間、冷え切った身体を温めようと、一軒だけ開いていた喫茶店に入り、田舎ぜんざいを頼んだ。「餅は好きかい?」オヤジさんが笑顔で訊ねる。「いっぱい入れとくわな」熱いぜんざいを頬張ると、頬が火照って熱くなった。胃に落ちたぜんざいから、身体に熱が広がっていく。2時間以上歩き続けて、すっかり疲れていたが、熱くて甘くて美味しくて、力が出た。オヤジさんに礼を言って店を出た。バス停に向かうまでの数十メートルの間に、身体はすぐ冷えてしまったが、温かい心を抱えたまま、帰路に着いた。
2010.01.16
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江ノ島について、もうちょっとだけ。^^江ノ島は、なぜか猫が多かったです。可愛がられているのか、毛並みもよく、あちらこちらにネコが居て、観光客を眺めていました。まるで、そうしていたら、そのうちシラス(ご褒美)が出て来ると解っているように・・・。観光客の通る方向に、お尻を向けているネコも居ました。しかし、尻尾は8の字に振られていました。尻尾の揺れに応じて、観光客はきゃあきゃあ言います。恐るべし、尻尾だけで人を翻弄するネコ・・・!このネコは、中でもクールなコでした。江ノ島の、有名な裸弁天様のお社の近くに居り、立派な石碑の前で身繕いに余念がない様子。『こっち向いてよ』と、言ってみましたが、聞いてもらえませんでした。ご褒美が無い事を知っていたのでしょうか。ここで有名な、裸弁天様は見ませんでした。お金を出して裸を見ることは、多分、弁天様の意に沿わないだろうと思って・・・。なにか、・・・見世物っぽくて気が進まなかったし。諸星大二郎が、行水の様子を盗み見た!と怒っている弁天様を描いていたのを思い出し、(でも、通常の裸を見られるのは怒りの対象ではなかったらしい・・・)社の外からご挨拶して離れました。江ノ島から駅方面への展望。・・・そして、今回思わぬ収穫だったのは、観光コースには乗っていない地味な神社。兒玉神社。日露戦争で活躍した明治時代の軍人・児玉源太郎を祀った神社です。ここにお祀りされていると言うことも知らなかった・・・。(読んだのかもしれませんが、覚えていませんでした)建立に当たっては、台湾人の方の出資が90%を占めただなんて・・・。帰ってきて調べて、驚きました。 児玉さんの故郷、周南市に江ノ島に建っていた社殿を移築した理由について、頑張って調べようとしたのですが、どうしても、解りませんでした・・・。(「兒玉神社」は、江ノ島と、児玉源太郎氏の故郷と、二箇所あるのです)だけど、戦勝に関わるひとだから、やっぱり華々しい喧伝は出来ないのですね・・・。寂れた雰囲気があるのは否めませんでした・・・。この秋にはNHKで、司馬遼太郎の「坂之上の雲」をやるというし、観てみようかな・・・。
2009.09.01
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答えは、江ノ島電鉄でした。^^お墓参りに行く予定で東へ、そして、そのまま海へやってきたのです。『今年は八月上旬まで天気が悪くて、海のお客は例年に比べ、サッパリです・・・』宿のご主人が嘆いていました。***立秋もとうに過ぎ、気が付いたら、冷たさを含んだ秋の風も感じました。・・・関東は、関西に比べやっぱり気温が低い。でも、この日(23日)の日差しは、痛いくらい暑かったです・・・。
2009.08.29
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青春18切符を使って、和歌山の湯浅町へやって来ました。醤油の発祥の地、です。暑い暑い日でした。白壁や、道路が陽光強くを照り返し、写真を撮ってもうまく色が出ません。とおりに面した、家々の格子窓に、蒸篭で作った、こういう展示物が取り付けてあります。湯浅の生活や文化を示してくれています。 沢山あって面白いですよ。^^せいろ(熊野古道)ミュージアム、ですって。若き日の紀伊国屋文左衛門(幼名:文平)。 ・・・伊達男ですな。お昼ごはんは、名物しらす丼。 シンプルだけど、美味しいんです。癖になりそうな美味しさ・・・でも、スーパーのしらす干では、きっと再現できないなぁ。先にも書きましたが、湯浅は醤油で有名です。ここは、大仙堀といって、江戸時代から明治にかけて、醤油やその原料の積み下ろしをした船の停泊所。この時は潮が引いていた時だったのか、堀に水がありませんでした。弁財天と、紀伊国屋文左衛門の記念オブジェを見に行こうとしたのですが、途中で迷いまして。近くまで行ったと思うんだけど・・・どうしても行き着けなかった。暑さでくらくらしましたので、偶然行き会った戎神社で手を合わせ、それ以上の道行きは、諦めました。このあたり、醤油醸造が現在も続いており、醤油のいい香りが漂っています。(重要伝統的建造物群保存地区)お土産はお醤油と、ここ湯浅の名産品、三宝柑を買おうと思って、フルーツショップに入ったら、「シーズンが終っちゃった」・・・リサーチ不足だった・・・残念。 でも、ちっちゃな有田みかんを6個買って帰りました。^^有名な有田みかん。 規格外れ品で、6個100円だったけど、甘かった~・・・熊野古道って、木々の鬱蒼と茂った山道だけだと思っていました。普通の往来を指す所もあると知って、少しびっくり。江戸時代に立てられた、「立石道標」。熊野古道沿いに立てられて、東西南北を示します。
2009.08.08
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さて、筆の乗ったところで、続きを。今回の高知訪問は、クジラを食べる目的もありました。実は、私はずっと、・・・学校給食に出てた、クジラの竜田揚げが食べたいんだよう~。><と、言ってて。(笑)私:「・・・小学校で食べたのと、なんか味が違うよ・・・」だんなさん:「学校給食で出たのと、同じクオリティのが出るわけないでしょ?」・・・それもそうか。給食のは、こう、カリカリしてて、甘くって、いつまでも噛んでて、でもジューシーで。・・・いや、この肉厚で辛口のクジラもいけましたが。やっぱ、さすが、土佐のカツオは美味しかったですねー!^^粗塩で食べました。^^「土佐巻き」ってのもあるんですよー。カツオとにんにくを巻いたもので、これが又美味しかった・・・。はりまや橋。あれですよ、あの、「よさこい節」に出てくる橋ですよ。 「純信」坊さんが、「お馬さん」にカンザシ買うの見たよー!ってヤツです。(・・・諸説あるようですが、結局、悲恋話なんですよね?これ。)大学生の卒業旅行で来た時には、絵に描いたような『ガッカリ名所』でしたが、(確か、橋の下に水流れてなかった・・・)綺麗に整備されていて、ビックリしました。板垣退助in高知城。 確か、城内に一豊の妻、お千代さんの銅像がどこかにあるんだよな・・・。学生の時、友達と一緒に来て、お千代さんのポーズを真似して、写真撮った覚えがある・・・。(笑)高知二日目、日曜市の様子。数百メートルに渡って、露天が出ています。安いし楽しいし・・・。^^蘭のナーセリーがお店を出していて、思わずお買い上げしてしまうところを、だんなさんに引っ立てられて帰ってきました。^^;でも、大判焼きは食べました。「柚子餡入りはココにしかないよー!」と、言われて。(笑)この後、市場に夢中になっていてバスに乗り遅れ、タクシーを飛ばして再び植物園へ。(バスは一時間に一本しかありません。)二日続けて植物園を満喫し、・・・さて。この後に行ったのが桂浜です。(私が、後日新撰組の屯所を訪れようと思ったのは、ここへ来たからというのもあるのです。(笑))・・・有名な龍馬像を撮っていると、何人も写真を撮って欲しいと声をかけられます。皆さん龍馬さんと一緒に写りたいのですが、・・・これがなんとも難しい。陽が高いのでかなりの逆光になる上に、至近距離の人物と、龍馬像を頭を切らずにフレームに入れるのは、なかなか。学生の時も友人と撮るの、苦労したっけ・・・。それでも、桂浜と太平洋を望む坂本龍馬は、カッコいいです・・・。そういや、学生時代に来た時は、空が泣いていたなぁ・・・。この日は暑い! とにかく日差しが熱い!学生時代の私は、もっと波打ち際に寄って写真を撮りましたが、・・・今はもう、そんな度胸ありません。とにかく、波が荒い。 時として恐怖を覚えるほど、・・・荒い。 帰りの特急は、アンパンマン列車。 列車内も天井もアンパンマンだらけなら、車内アナウンスもアンパンマンが(録音音声)。(笑) 岡山で乗り換えた新幹線。500系の「こだま」さんなのですが・・・見た目、すっごくカッコいいんですけどねえ・・・(私好み)。「車内が狭くて、人が余り乗せられないんで、早々に「のぞみ」を引退させられたんだ。」(だんなさん談)岡山で7分、姫路で6分、(数字はいい加減)、と言う按配で停車させられ、後輩が通り過ぎるのを待つ、可哀相な新幹線をお見送りして、今回の旅は終わりました。
2009.07.08
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高知へ行ってから、早くも数週間経ってしまいました・・・。(6月27,28日訪問)記憶装置のリミッターが外れてしまわないうちに・・・***今回、高知を目指しましたのは、高知県立牧野植物園へ行くためでした。それはもう、偉大な業績を遺した、故牧野富太郎博士の足跡を見るためです。(牧野富太郎博士像)素晴らしい場所でした・・・。しかし、これを言い表すほどの文章は書けません・・・。私が高知市民なら、間違いなく毎週訪れるでしょう。しかし、残念ながら路線バスは試験運用のようで、今はともかく、マイカーを持たないものには、なかなかアクセスが厳しい場所です。(私は自動車免許すら持っていません。 ウチには車はありません。^^;)・・・山の中ですから!(サギ、・・・見えます?^^;)(バラはもう盛りを過ぎていました。)(樹も綺麗です・・・)(鳥より、虫が沢山いました・・・あ、この時既にセミが鳴いていました。)牧野富太郎博士(←wiki)は、「日本の植物分類学の父」とされています。旺盛な知識欲と情熱で、日本の植物を命名、世界に知らしめました。ここは、博士の功績を顕彰する意味もあってオープンした施設です。博士が好きだったバイカオウレンが、ここのシンボルです。(園のスタッフは、なかなかお茶目なようです。(笑))氏の功績は、讃えて余りあるものなのですが、如何せん、その経歴の裏で、後先を考えずに行動し、周囲の人を振り回し、かなり迷惑千万な人だったことは、否めません。給金に対し、研究に使う費用は膨大で、転居を繰り返し、生家は没落、奥様は子供を抱えながら金策に走り回りました。それでも、採集旅行で帰らぬ夫に心配をかけぬよう、常に夫の身を案じ、奥様は、それはそれは細やかな配慮をしています。13人も子供をもうけながら、確か、6人は夭折しています・・・。・・・博士自身、後年、自らの破天荒ぶりは認めておられます。高名な博士の、名と裏腹の行状とのギャップに、多少引っかかるものを覚えながら・・・(彼を助けた人々の名前が、あまり残らない事に、多少、首を捻っていたのです。小学校中退で、ここまで素晴らしい業績を培うには、本人の労苦も、半端で無いことが伺えますが、周囲の助けがなければ、まず、成功しなかったはずなのです。)単なる叩き台、では、納得いかない方だっていたでしょう・・・。それでも、晩年の氏の笑顔を見ると、氏が、自らを植物の精であるとした理由が、解る様な気がしたのです。氏を、「子供のようなもの」と評した、奥様の気持ちが解るような気がするのです。当時の日本で、偉業を達成するには、周囲を省みていては不可能だったかもしれない。感謝はするが、感謝だけ・・・そういうものかもしれない・・・。氏は、植物(の精)だったんだと。だから自然に人が集まって、手を差し伸べようとしたのだと。私は今回の植物園訪問で、そう、理解する事にしました・・・。これは、氏が命名した「スエコザサ」。実は、これに付いても、私はずっと不思議で、不満でした。献身的に尽くした奥様の名を、こんな地味な植物に冠さなくても、と。・・・そうじゃない、そうじゃなかった。博士にとって見目など、どうでも良かった。「家守りし妻の恵みやわが学び、世の中のあらん限りやスエコザサ」奥様の墓碑に刻まれた言葉に、この地味な植物に対する愛情と、奥様への哀惜の念が見て取れます。(少年の日の博士像。)
2009.07.07
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朝起きたのは4:30。今日は始発の飛行機に乗らなきゃ・・・。(出来るビジネスウーマンみたい?)窓の外は、昨日までの好天と打って変わり、雷が鳴っている。今日の行き先は・・・トーキョー。***ヨハネス・フェルメール←wiki(1632-1675)の、遺した作品は36点。その知名度から考えても、余りにも少ない。今回、日本に、そのうちの7点が来るという。 こんな事はもう無いかも知れない。来たのは・・・やっぱり東京だった。・・・ええーっ!!!国内巡回が無いことを知った私は、友人の誘いに乗って、フェルメール探訪:日帰り往復飛行機の旅の決行に踏み切ったのだった。スカイマーク利用、早割で往復¥22,000。 決して安くは無い。(新幹線利用より安い)けど、フェルメールを観に、アメリカやヨーロッパに行く事を思えば、安いのだ!悔いは無い!雨の神戸空港。 スカイマークの始発といえ、JAL、ANAの搭乗客も居るので、空港は結構な人出。8:45には羽田空港到着。 10:00前には上野到着で、目指すは東京都美術館。「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」展。私達は喜ぶ。美術館の待ち時間ゼロ分!(一時間待ちも覚悟の上だった)東京は青天、上野公園はミンミンゼミがまだ元気だ。***結局、今回、残念ながら一点は公開が止められたらしく、フェルメールは六点観られた。何年も前に、「真珠の首飾りの少女」を観た時のように観客が多過ぎる混乱もなく、じっくりと時間をかけて観た。ああ、写真技術が如何に良かろうと、この印象は、どうしたって生で観ないと伝わらない・・・。デルフトスタイルの画家は、画の中にすっと入ってゆける、美しいものばかり。豪華絢爛で、観終わった後、胸焼けする事も無い。フェルメールの描く、光の当たる人の肌、陰影、色彩の絶妙な調和・・・私は決して忘れない。 14:00前。友人は、お腹が背中にくっつきそうだと告白する。私達は音声ガイドを借り、一枚一枚丹念に見て、再び最初に戻って観て回ったのだった。美術館の内部のレストランで、オムライスを食べる。友人はカツカレー。 もう一杯位いけそうだ、と言われて、思わず笑う。美術鑑賞は体力勝負。しかし、もう次の美術館に移動しなければ。 間に合わない!***次の目的は東京。ブリジストン美術館の、「美術散歩(印象派から抽象絵画まで)」展。「デルフトの巨匠たち」と、纏められていた上野と違い、こちらは彫刻あり、古代美術あり、セザンヌ○点、マティスが○点、ローランサン○点・・・という出展で、一応美術の本流を辿る形はとっていたが、時代やテーマに開きがあり、最初の美術館に慣れた頭では、若干入りにくい。それでも、美術鑑賞入門には最適かと。幾つか、発見も出来た。それにしても、街中にこんな立派な美術館があり、ここは閉館時間も20:00までと長い。そして美術館の多い東京は、ちょっと羨ましい。17:00過ぎ。 何度目かのユトリロ(一枚だけ)を眺めた後、私達はロビーでお茶をご馳走になり(自由に淹れられる)、美術館を後にする。空港に着いて、お土産など物色。お目当てだった、マキシム・ド・パリのナポレオン・パイは品切れ。ブールミッシュの、空港限定チーズケーキなど試食させてもらって、思わず購入。そして友人が、浅草の芋金つばを買ったついでに、私も焼き芋ソフトクリームを買って食べる。これがもンの凄く美味しかった!(あ、この画像、彼女に送る約束をしてたんだった・・・。)空港ロビーで夕食を。空弁・・・焼き鯖寿司。 ・・・仕方が無いけど、ラップ巻きで食べにくい・・・(汗)空弁とはいえ、機内で食べたら、匂いすごいんじゃないかなぁ、と・・・。帰りは飛行機が20分ほど遅れたが、それでも21:30には、神戸空港に帰着。***・・・帰ったら、なかなか眠れなかった昨晩と違い、よく、眠れました。・・・私の夏は、終わりです・・・。
2008.09.04
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これまで、旅の半分を書いてきました。長々とお付き合いいただいてすみません。後はちゃっちゃとまとめよう・・・まとめるぞ!!***お宿三好屋さんにて・・・。夕食(・・・の一部)です。但馬牛出たー! *^^*「この頃は、お料理を写真に撮る人多いでしょう?」準備をして下さる仲居さんに尋ねますと、「そうですね・・・証拠写真ですね」・・・・・・いや、いやいや、仲居さん、そこは記念写真と言って下さい。「この辺りは、『弁当忘れても傘忘れるな』と言われています。」仲居さんが言いました。思わず顔を見合わせてしまいました。あの雨の中、大活躍した折り畳み傘は、見事に「ロッジかどま」に忘れて来てしまいました。「明日はお天気良くなるみたいで」それでも、仲居さんのお言葉どおり、翌日はピーカンでした。朝食。 よく見えませんが、湯豆腐付きです。ご飯を、御ひつにたっぷり入れてくれた上、とても食べきれないお代り分まで持って来てくれたので、洗面所でオニギリをつくり、朝食に付いていた梅干を押し込んで、ジップロックに格納しました。帰りのバスの中で食べるぞ~。お宿三好屋さんの外観。 良いところでしたよー。部屋風呂にも温泉のお湯が出るそうで。 部屋中気持ちよく掃除されてて。夜は普通の大浴場、朝に気持ちの良い露天風呂に入り、スッキリして出発です。足湯だ足湯ー。 川向こうに、足湯を楽しむ観光客が見えます。川の中には大きな鯉が・・・。私も足湯に漬かりに行かなくちゃ・・・。荒湯。熱いお湯で、お芋を茹でたり、温泉たまごを作ったりします。紐に結わえた網の中に卵を入れて、この中に入れている所です。えーーと、・・・11分、だったかな?温泉卵?ゆでたまご?卵を買うと、紙に包んだお塩もくれます。美味しい・・・。湯村は「夢千代の里」。 夢千代の像です。私は観た事が無いのですが、NHKのドラマで、湯村温泉を舞台に、白血病の薄倖の芸者、夢千代を、吉永小百合が好演して人気だったそうです。サユリストの聖地ですね。夢千代記念館。 夢千代が被爆二世という設定上、平和への啓蒙活動、大戦中の遺物や、昭和の懐かしい文物が再現展示されていました。但馬牛串、一本500円。焼き立て最高に美味しい。 高いけど、食べる価値あり!商売繁盛の荒湯天狗様。 鼻を触ると夢を叶えてくれるとか。^^参拝客によるものか、お酒を一杯抱えていました。 呑兵衛さんなのかな。ぐわっ! 迫力の但馬牛。・・・ごめん、美味しく食べちゃった。八幡神社にお参りもし、15:00、帰りのバスに乗り込みました。湯村に着いてからのご紹介は駆け足になってしまいましたが、如何でしたでしょうか。連続しての、こういうブログの書き方は初めてだったので・・・ちょっと慌てて筆を滑らせました、書き方に不足がありましたらご指摘&ご容赦下さい。村岡も、湯村もいいところでした。同じ兵庫県なのに、全く知らなかったな・・・前日祟られた雨が嘘のように晴れて、良かった・・・!天狗様ありがとうー!(そうなのか?)そして、長々とお付き合い下さった皆様にも、心から『ありがとう』を!^^又、行きたいな。^^
2008.05.22
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さて、フロントに向かってお辞儀をし、タクシーに走り寄りました。ナニを焦っていたのか判りませんが、・・・ついさっきまで活躍してくれていた傘を、傘立てに残したまま・・・。orz***「よく歩いてきたね」運転手さんが言います。「はぁ。・・・で、途中までバス停を目指してたんですけど、挫折しました。」「よく降ったからね・・・でもバスあるの?」「ええ、まだこの17時54分てのが」「・・・この後すること無いし、湯村まで行こうか? 安くしておくよ」疲れていた私たちは、もうお願いすることにしてしまいました。他で、しまつすれば良いでしょう。・・・それまで土砂降りだった雨が止んで、外が明るくなってきました。運転手さんの話は、なかなか奥の深いものでした。このタクシーは、村岡で一台しかないタクシーなのです。いつもは、ご高齢者の方の通院のお手伝いなどをしていると仰っていました。そして、こうして観光の為に呼び出しがあると、其処へ向かうのだと。「一台でお仕事されてるんじゃ、お休みの日とか、どうされるんです?」「湯村温泉タクシーに代わりに行って貰います。(他に人を雇うと、自治体に提出する書類などが難しいと言う話をし、)月三万円でタクシー業務出来る人はおらんでしょう・・・。」どうも、いつも流してらっしゃる訳ではなく、お呼びが掛かったら出動する、と言う態勢を取ってらっしゃるようでした。「この車、4WDですよ。 何処へでも上って行きます。」ちょっと誇らしげに運転手さんは言いました。雪が深いこの地方では、その方が便利なのでしょう。「4WDの文字、車から取ってもらおうと思ったんですけど、取ると、表面が汚くなるて言われましてん」いえいえ、カッコイイですよ、4WDのタクシー。「この辺りはスキー場がある位ですから、雪深いんでしょうねえ」「延べ5mは積もりますね。大体2~3m。」5m!!! 「道路はお国が除雪してくれます。 一般の家は若いもんがボランティアとかで」「時々ね、外国から安藤忠雄の設計した「木の殿堂」を観に来る人が居るんですね。そういう方の観光のお手伝いもします。お国に戻ってから、お礼の手紙を寄越してくれるんですけど、英語読めんでね・・・。」・・・そう言う運転手さんの顔は嬉しそうです。「猿尾滝、行きましょう」と言って、日本の滝百選にも選ばれた滝を見せてくれました。(こちらも写真失敗しました。 orz)湯村まで着くと、そのままあちこち案内してくれました。「ここはね、湯村でも一番美味しい但馬牛のレストランですわ、でも、予約無しでは食べられないですねえ」「ここは、今年に入ってオープンした温泉施設で」そして、最後にホテルの前まで連れて行ってくれました。何度もお礼を言ってお別れしました。「うちから、無料でお迎えに上がりましたのに(近くのバスターミナルまで)」迎えに飛び出してきたホテルマンさんが驚いて言いました。・・・いえいえ。・・・ここで料金を記すことは差し控えますが、村岡タクシーさん、とても良心的だったんです。この方のお陰で、今回の旅が、又違う奥行きのあるものになった事は間違いがありません。ありがとうございました。^^ホテルの窓から湯村の市街地を望む
2008.05.19
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3時間ほど乗った特急バスを降りると、其処は何の変哲も無い一般的なバス停でした。辛うじて雨露の凌げる小屋と、誰かが持ってきたのか、潰れた座布団が幾枚か。空は曇天、午後からの降水確率は80%。 問題は、一時間に一本、あるかなしかのここに来るバスは、目的地一切行ってくれない事・・・。私もだんなさんも、揃って思いました。・・・こんなところで降りて大丈夫か・・・?***今までは、ゴールデンウィークに連休が取れるなんて事、ありませんでした。だんなさんとも休みが合いました。迷わず、何処かへ行こうということになり、私が強く主張したのが、「但馬高原植物園」。マイカー無しでは、アプローチの難しい場所です。 そしてうちは、車も無ければ免許もない。実は、ずっと行きたかった場所で、数年前から植物園に直接問い合わせをしたり、JTBに問い合わせたりを繰り返しつつ、(バスツアーでもあれば、参加したかった)なかなか難しい、と、断念を繰り返していた場所でした。数年前より、行くには更に事情が難しくなったようで、・・・自治体の統合が進んでいました。バス停の統廃合もなされていました。数年前、バスを降りたら公衆電話があるので、其処からタクシーを呼んで下さい、と、植物園の方に案内されましたが、上記の寂れたバス停、世間でただでさえ減っている公衆電話が、あろう筈もありません。勿論、流しのタクシーなど望めるべくもなく。携帯電話から、調べてきた村岡タクシーの番号にかけると繋がりません。だんなさんが「湯村観光タクシー」に電話をかけると、あからさまに、「(其処へ行くには)遠いからちょっと・・・」と言う反応。(実は、これは当然の反応でした・・・;;)村岡タクシーさんの‘ケータイ番号’を教えてもらい、かけるてみるとつながり、10分ほどで行くから、と返事を貰います。来てくれたタクシーに乗って、植物園を目指します。運転手さん: 「植物園で何するの?」なに、て・・・植物園で歌歌ったりしませんよ・・・。^^;私: 「植物鑑賞、ですね。」運転手さん:「今から5時間も(次に乗るバスが来るまでの時間)何するの? 研究?」私: 「いや(汗)、丹念に見て回りたいんですよー。」運転手さん: 「そんなに見るとこないよー。 せいぜい一時間で充分だね。」この時だんなさんは、「『いや、うちの奥さん、閉園まで居ても足りないと言うと思う』と、言おうかと思った」・・・そうです。空は今にも泣き出しそう・・・。こうして、但馬への旅は始まりました。既に、帰ってきてから10日経ってしまいましたが、記録として残しておきたい為、植物園→湯村行きの顛末を書こうと思います。今暫く、お付き合い下さいませ。園内にて発見。身を寄せ合う姿が可愛らしいザゼンソウ。
2008.05.14
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先日、京都の街を歩いていたら、鴨川にこんなに鳥が来ていました。何となく大きな鳥・・・鷺が陣頭指揮をとっているみたいで可愛い。寒くないのでしょうか。 何となく楽しそうにさえ見えます。三十三間堂にて。木の下にポリゴナムが一杯咲いていました。ピンクのじゅうたんみたいで、遠目で見るとなかなか可愛い。京都は紅葉が綺麗です。寒いけど・・・。縮み上がった私と裏腹に、長く伸びた私の影。そりゃあもう、12月ですから!***着物を着ていた二人のお嬢さんが、建物をバックに記念写真を撮ろうと苦心していましたので、「良ければお撮りしましょうか?」と、声を掛けました。喜んだお嬢さんたち、小首をかしげて可愛くファインダーの中に納まりました。「きゃー、私、女中さんみたいやー」「アタシおかみさんー?」デジカメだったので、撮ったものをその場で見て嬌声を上げているお嬢さんたちを残して、私はその場を離れました。寒くて、マフラーに顔を埋めて歩きました。でも、ちょっと楽しい一日でした。お昼に食べた茶そば。
2007.12.03
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「・・・京都に行こう」数日前、全く急に思い立ちました。 何故そんな気持ちになったのかは、良く判らないのですが。・・・先日会った友人が京都ファンなので、感化されたかな。一人きりで、『お一人様』で、ふらりと行ってみようと。*** 阪急電車で河原町下車。 其処からてくてく歩いて八坂神社。道すがら、土産物屋さんなどをひやかしつつ歩くのも、楽しい。八坂神社西楼門は、老朽化に伴う改修工事中で、その姿が見えませんでした。 円山公園の龍馬さんと慎太郎さん。噂に聞く京都の夏(暦では夏じゃないけど)、・・・やっぱり暑い!カラスが、公園内の小川で水浴びをしていました。しかし、地元の人の話では、この日はまだまだマシ、なのだそうで・・・。有名な枝垂桜も、暑さでか、元気なさげに見えました。セミはツクツクホーシの声が残るのみで、池の上を赤とんぼが舞っている・・・、確実に秋の気配はあるのですが。高台寺へ向かう坂の下より。ここの道は、何時来ても涼しげで、空気が静謐で、好き。気が付いたら、思っていたよりのんびりしてしまい、切り上げて、慌てて駅に向かいました。お、期間限定「八ツ橋」めっけ。 ・・・やっぱ、京都に来たらこれだね。聖護院の栗餡入り八ツ橋お土産に、京都を後にしました。去り往く夏を惜しむ京都のぶらり歩き・・・。 焼けましたけど、中々楽しかった。(日傘はさすのですが、参拝中は礼儀と思って傘を畳むので・・・、その間の直射日光が、半端で無く痛い!)学生時代はサークルで、合宿と言うか、小旅行宜しくユースホステルに泊まって、遊んだりもしたものでした。当時は、ふらりと行って帰ってくるような場所では、なかったのにな・・・。便利さを喜ぶ反面・・・なんだろう、この気持ち。・・・あ、しまった、結局、「お一人様」で食事する時間が無かった・・・。
2007.09.03
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これは、二週間前の写真。妹と、電車に揺られてブルーベリー狩りに行きました。暑い暑い日で、確実に、一日でメラニン濃度が十数パーセント上がったような気がします。食べ放題ではないので、ちょっとがっかりながら、(まぁ、小さなブルーベリーなんぞ食べ放題にしたら、商売あがったりのような気も、します。)青い空、たわわに実るブルーベリーに、夢中になって炎天下の二時間を、ブルーベリー狩りに費やしました。***この後、ポルトガルギターとマンドリンのデュオ、「マリオネット」の、屋外ライブも観に行き、予定では、満足して一日を終え、早速この日、ブログに画像アップするところだったのですが、・・・。恥ずかしながらこの日、些細な事で私は妹と大喧嘩しまして。・・・ええ、喧嘩。この歳になっても喧嘩は致します。私と妹は、年に一度は大きな喧嘩をするのです。 原因など、まさに些細な事ですが。大人気なく言い合うのもイヤだったので、各々別車両で帰りました。・・・それで、すっかり嫌な気分になってしまって、書けなかったのでございます。しかし何をしようと、時間が経てばケロリと出来るのが兄弟喧嘩の習い。というか、逆に時間を経る事でしか、解決の糸口は見つけられないのでございます。と言う訳で、今も冷戦状態。 まぁ、来月一緒に舞台を観に行く事になってますから、イヤでも顔を合わせるでしょう。そン時も冷戦状態だったら、ヤだなぁ・・・。・・・小さい頃は、クリソツと言われ、成人したら、姉妹と言っても似ていない、と言われるようになりました。お互いの歩む道は180度異なり、考え方もかなり違います。これからも付かず離れず、時々大きく衝突、を繰り返しながら、生きて行くんだろうな・・・。
2007.08.29
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ふ~、昨日はあまりの暑さにパソコンが落ちました。熱暴走、とかいうのだそうで、電源切ろうにも全く切れなくて、ちょっと途方に暮れました。いつまでこの暑さが続くんでしょうねえ・・・。職場には桔梗が入荷しているというのに・・・。***18日、大和ミュージアムを出たら、もう3時になってました。ちょっとゆっくりし過ぎたか、と急いでお好み焼き屋さんに飛び込み、広島風お好み焼きに舌鼓を打って、・・・しかし、熱々のお好み焼きを15分以内に完食、というのは、この炎暑の中、甚だ苦行に等しい。何とか食べ終わると、体中から汗が噴出しました。 デトックス効果?抜群です・・・。^^;てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)は、大和から道一本隔てたところにあります。渡り廊下を使って移動しても、5分とかかりません。外からも見える展示用潜水艦あきしお(平成16年退役)が、大迫力です。てつのくじら、とはよく言ったものだと思います。潜水艦の内部にも入れるんですよ。狭い棚のようですが、これはれっきとしたベッドなんです・・・。私だったら確実に、起き抜けに頭を打つ・・・・。兎に角大きいけど、居住スペースの狭い事! 仕方ないですけど、乗務される方はストレス値高いでしょうね・・・。潜望鏡を覗く事も出来、ちょっとした体験になりました。(撮影不可)機雷です。 不気味に光ってます。展示スペースでは、海上自衛隊の歴史、掃海艇の活躍、潜水艦の活躍、の三点に絞って構成されていました。掃海艇が、海で機雷を除去する手順などが判り易く示されていて、中々興味深いものです。機雷に触れて、損傷したフロート。処理の仕方は様々ですが、人が直接機雷に接近する方法もあり、命がけである事が良く判ります。ペルシャ湾に、初めて自衛隊が掃海の為に派遣された時、国内世論は、とても冷たかったようです。どんなに寂しい思いで向かわれたのか・・・想像の域を出ることはありませんが・・・、無事に職務を全うして帰ってこられた自衛隊の方々には、心より拍手を贈りたいと思います。無人ヘリコプター。 (対潜水艦用らしい)盛り沢山で一日はあっという間に過ぎ、気が付けば、駅に向かわなければならない刻限。しかし、残照も厳しく、暑さで体が飲み物を要求し、急ぎ、駅近くで飛び込んだ喫茶店でオーダーしたのは、「海軍さんの(アイス)珈琲」。・・・しかしこれは、なんと言う事もない、フツーのボトルタイプのコーヒーのよう・・・。がっかり・・・。ま、考えてみれば戦時中、そんな極上のコーヒーもないということで。(笑)お土産。「潜れ!僕らの潜水艦ケーキ」というのが、中々面白いでしょう?(描いてある「!」が、潜望鏡のかたちなんですよ。笑)中は普通のフィナンシェなんですけど、包み紙一つ一つにサブマリナーの絵が描いてあります。箱の内部は、潜水艦内部の省略図が。^^アイデアに◎^^そして、藤本仁著「佐久間艇長の遺書と現代」。佐久間勉。 明治43年、沈没した第六潜水艇の艇長。 試験航行中に通風塔より浸水、潜水艇は沈没、15人のクルーと共に亡くなりました。助からないと知って、艇長は遺書をしたためます。艇員一同、沈着で最後まで職務を全うした事、今後も潜水艇の開発に尽力してもらいたい事、沈没までの状況、死んでゆく艇員の家族が困る事のないよう、取り計らってもらいたい事・・・(神聖にして不可侵であるとされた、時の明治天皇に直訴しています)・・・。残念な事に、第二次世界大戦中は、精神主義を唱える一部のものに都合よく流用され、国家、天皇に対する忠誠の手本、殉死への美化に使われました。彼が軍人である事を考えれば、彼を賞賛する事で、眉を顰める人もいるでしょう。でも、一個人としての彼を知ると、私は彼を否定できない。・・・単なる軍国美談でない、と思うからです。佐久間勉氏享年三十歳五ヶ月。 ・・・時代は大きく変わりました。潜水艦「あきしお」の、マッシュルームアンカー。
2007.08.22
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おひいさま@文鳥を散歩させていたら、かりっ☆という音が聞こえてきました。きゅうりを齧るような、いい音でした。・・・おひいさまメ、胡蝶蘭の葉っぱに、又してもパンチを入れおった・・・。TTがんとして薬を飲まないくせに、どうしてこんな美味しくないものを、わざわざ齧るのよ~~~っ!><。***さて、18日の日帰り広島ー呉旅行の顛末です。 今日は大和ミュージアムまでを書こうと思います。広島駅に降り立ったのは8:30前。そこから路面電車に乗って、ひろしま美術館へ。 規模は小さいなりに、とても充実した展示内容でした。第一から第四の展示室があり、それぞれに、「ロマン主義から印象派まで」「新印象派と後期印象派」「フォーヴィズムとピカソ」「エコール・ド・パリ」という様に、展示をまとめてあります。今回、+「山岡コレクション」として、日本洋画のあゆみを簡単に追えたのが面白かった。^^約束通り、ここは、開館から1時間がタイムリミット。後ろ髪を引かれつつ、泣く泣く後にしました・・・。(幾ら規模が小さいとはいえ、行く人はもっと時間をかけてね!) 路面電車でのんびり1時間ほど。 広島港。ここからフェリーに乗り、呉へ向かいます。今は、「軍港」とは言わないですが、沖から見た呉の景色は、クレーンが立ち並び、やはり重工業を担う地域の景色として、迫力があります。沖に、護衛艦のシルエットが見えたし。 大和ミュージアム前。 遠くにてつのくじら館の潜水艦が見えます。展示はかなり充実していました。かなりデリケェトな内容にも関わらず、視点が中立で良い構成だったと思います。人が多かったので叶いませんでしたが、平日ならばパネルだけでなく、流れているビデオも全て観て帰りたかった。・・・観客の皆さん、お願いだから、ホームビデオや、フラッシュ撮影はやめて欲しい・・・。(ぼそっ)大和上面の様子と、零戦。 でもね、展示を見ている間、眉間にずっとシワが寄っていましたよ。鼻の奥もつんとしてて・・・。 何しろ、散っていった沢山の命の軌跡を垣間見ている訳ですから・・・。現政権、現内閣の方々には、頭を垂れてこの展示を観て欲しい。15日、尻をまくって靖国から逃げた大臣へ。 かなり頑張って集中して見ましたが、全て理解できたか、と問われれば、否と応えるしかありません。奥に小さく見えるのは、特攻兵器「回天」十型(試作型)。平均年齢21歳という若さで、敵艦に向かって散っていった100人を超える兵士を思う時、彼らの無念を思う時、今の世の中を鑑みると、少し後ろめたく、切ない気持ちになるのは私だけでしょうか・・・。ミュージアムの趣旨として、「楽しむ場となる」とあり、理解出来なくないのですが、(どころか、そうあるべきだ、とも思うのですが、)宇宙戦艦ヤマトの特別スペースや、子供たちが歓声を上げて遊ぶスペースでは、少し違和感を感じた私でした。
2007.08.20
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呉日帰り旅行より,戻って参りました~。いや、暑かった、暑かった~。兎に角、暑かった~。(画像は、大和ミュージアム内の10分の1スケールの潜水艦大和大和模型)書き込んだ時、「潜水艦」などと書いてしまいました!「戦艦」ですね!これは、今一度ミュージアムに行って修行してこないとッ!(笑)蒼火さんありがとーーー!!!お昼にお好み焼きを食べました。まぁまぁ美味しかったんですけど、鉄板から立ち上る熱気と、熱いお好みを頬張るエネルギーとお好み焼きのボリュームと、デカお好み焼きを、限られた時間内で食べようと焦った結果、(余り時間に余裕がなかったので)ちょっとクラクラ・・・。 (クーラー効いてないし・・・。TT)あんなにしっかり塗りたくった日焼け止めにも拘らず、左半身ヒリヒリするのは、やっぱりフェリーの甲板でか!?はふー、盛り沢山で充実していましたが、疲れましたー。今日は、取り合えず寝る事に致します。帰り着いて、水やお茶をいっぱい飲んで、フゥ、と一息付いたら、何だか疲れて動けナイ。 ・・・おやすみなさ~い。
2007.08.18
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奇跡の星の植物館に行きました。(8/4)もう、以前ここでも一度書きましたけど、私の大の気に入りの場所でして。明石海峡大橋が出来たお陰で、淡路島にも簡単に行ける様になりました。・・・舞子からバス500円で行けるのが嬉しい・・・丁度、トロピカルフラワーショー、‘水と花と生きる島・バリ’というテーマで展示がなされていて、オープニングイベントの真っ最中。(中央にダンサーがいます)トロピカルムードがあって良かった。しかし、折角のイベントなのに、週末なのに、この人の入りの寂しさは・・・。本気で広報活動したのか・・・?(独り言)メディニラ・マグニフィカ。 いつ見ても綺麗ですねぇ・・・。お店にも良く入ってますけど、ちっぽけな鉢に植わったものより、地に根を下ろしている方が、格段に見事。ユウギリソウ。 これまた葉鶏頭とのコンビネーションが斬新で素敵。お店で見る苗には、当然ながらこんな迫力はありません。比較的年配の方がとても好まれる花ですが、こうしてみると、色んなシーンに似合いそうな花です。ちょっと頭が重いので、俯いちゃうのよね・・・。和のテイストを盛り込んだコーナーもあり。手前にある白のクルクマの透明感がたまらない。後ろの、無骨だけどカラフルなクロトンと、良いカップルだと思いませんか?あー、可愛い小さな白いコンロンカが又、涼やかさを添えるのです写真、一杯撮ったのですが・・・ここで全部紹介する訳に行かないのが残念。台風一過の暑い日でした。カンカン照りではなかったゆえ・・・ああ曇天を侮る事なかれ・・・。陽に焼けた~~、焼けたァァァ~~家に帰ってから、付け焼刃の日焼け対策。腕が赤い・・・顔も・・・おおぉ・・・・!最後は園内で食べた、明石の穴子を使った卵どんぶりご飯すごいボリューム・・・。良いのだ! 暑い夏だからこそどんぶり飯よゥ!(ああ、こんな事言ってるから痩せられない・・・)ともあれ・・・うーん、美味しかった。 ご馳走様~~!
2007.08.06
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結局ーーー前回の台風に備えたベランダの後始末、結局2時間以上かかりました。植替えしようとしていたものを、一気にやってしまったから、と言うのもあるのですが、汗だくで掃除を済ませ、ちゃちゃっと網戸も拭いて、済んだ、綺麗になった、と悦に入っていたら、台風5号が北上中とか。・・・ううう、また、あの態勢にしないとイケナイとですか・・・?やだなぁ・・・。><。***さて。今月、私とだんなさんは呉へ行く予定です。大和ミュージアムに行くのです!場所が場所なだけに、はしゃぐのもどうかと言う気もしますが、以前から行きたかった所なので嬉しい。 てつのくじら館(海上自衛隊呉資料館)も行きますよー!(蒼火さん^^)で、これが日帰りの強行軍なんですよね・・・;;調子の良くないおひいさま@文鳥を、実家に預けていくのは可哀想なので・・・。まず、前述の二つの施設はメイン、で広島に行くのだから、お好み焼きは外せない。・・・でも、私: 「『ひろしまミュージアム行きたい。』だんなさん: 『いいよ。 じゃあ、一展示室あたり鑑賞制限時間10分ね。』私: 『やだよ、10分で観られる訳ないじゃないかー。』だんなさん: 『僕、後ろでタイム・キーパーするから。 美術館出発まで後○分~~~って。』私: 『えー、そんなのアリ~?それに私、ミュージアムショップにも行きたいよぉ~。 友達に送る絵葉書欲しい~!』だんなさん: 『じゃ、どの絵葉書買うか言っといてよ、僕が先買っておいてあげるから。』・・・そんな美術館鑑賞はイヤだ・・・。しかし仕方ない・・・。 本当に時間がない・・・。(昔八景島に行った時も、「あしか~、あしかのショー見る~(><)」と言い続ける私を、さぁさ行こうね、と帰りの船に押し込んだだんなさんでした。)うちのだんなさんの場合、こういう強行軍旅行の場合、昼ごはん抜きで計画しかねないから、まだ、お好み焼きが食べられるだけマシ・・・。どうか、美味しい店に当たりますように・・・!(私の食べ物店運の悪さは究極なので)***因みに、原爆ドームと資料館は学生時代に行きました。あの時は厳島神社にも行ったんだった・・・。(・・・その年、旅行の後、確か巨大台風で有名な大鳥居が全壊。)本当はやっぱりじっくり回れたら、いいんですけどね・・・。^^;
2007.07.31
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久し振りに師匠に会った。師: 『まだおったんかい(まだここに勤めていたのか)。』相変わらず口の悪い人だ。私: 『御無沙汰してますのに、開口一番、言うことはそれだけですか!?』師: 『・・・イヤ、ほんま(長いこと)会ってないやろ? ワシ、避けられとんか思た。』私: 『そんな訳、ありませんやんか。 我が師匠に。』ここで普通なら、『師匠ゆうな(呼ぶな)!』と、言われるところだが、今日は何も言われなかった。久し振りに会った師匠は絶好調、私は相変わらず、今日はいじられキャラとなってしまったが、・・・久し振りだと、それもちょっと楽しかった・・・かな?(苦笑)******先日、母と一緒に滋賀県石山寺へ行きました。日帰りプチ旅行です。西国巡礼13番礼所、その歴史は天平19年に遡り、参詣した紫式部が「源氏物語」の着想を得て、執筆を始めたのも、この寺と伝えられます。広く、整備された境内には、四季折々に花があり、私と母はここに来ると、ベンチに座って、花を眺めながら、家から持ってきたおむすびを食べます。園内をくまなく歩き、花を愛で、他人の手を借りず、三脚を使わずにカメラを上手く設置して、タイマーで写真を撮ったりして楽しみます。今回は花菖蒲が沢山咲いていました。見事な石は、天然記念物の石山寺硅灰石。 寺の名の由来になったものです。境内より瀬田川を臨みます。琵琶湖が見えたら、古の式部の気持ちに近づけるでしょうか。 立派なご神木です。 700年代からここに立っている樹だと思うと、神々しく感じます。下から上の方を伺い見ることが出来ません。神聖な樹を写真に撮ったりした所為で、樹が怒ったのか、急に履いていたサンダルがぱっくり口を開け、使い物にならなくなりました。 と、いうか、山手に行くのにサンダル履きはNG・・・。この日は、天気予報を大きく裏切った快晴の、暑い一日でした。見上げたら空が青く、あまりの明るさで樹が逆光に。空と樹の感じが、この間美術館で観た、マグリットの名作、『光の帝国』風?と思って撮ったのですが、そうでもないか・・・。(笑)
2007.06.25
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そういえば・・・、『淡路島』で思い出したけど、トレーニングジムのトレーナーが、言ってたなぁ・・・夏に、友達と泳ぎに行ったんですよ。海に入ったらたまねぎが一杯浮いてて、わかめも一杯ぷかぷかしてて、・・・思わず、わしゃ、味噌汁かい!と、海に向かってツッコミ入れてしまったですよ。・・・・・・まぁ、・・・海水浴にはちと時期がはずれてたような事言ってたし・・・淡路島と言えば、たまねぎだよね。 ご当地キティちゃんのキーホルダーも、たまねぎ抱えてる。小学生の頃、淡路島の海で泳いだら、やっぱりたまねぎが一杯浮いてたなぁ・・・。陸から流されたのかな・・・。あの辺の魚は、たまねぎエキスで健康かも?しれない・・・。(^^)あ、ちなみに私は味噌汁には、たまねぎより豆腐派です・・・(笑)***前置きが長くなりました。(^^;・・・だんなさんが、調子悪いPCのメモリ読み込み部分を取り替えてくれました。ひゃっほい!・・・・・・そして淡路島の写真を出してみました。と言う訳で、16日に訪れた、「淡路夢舞台」。引っ張りますが、画像です・・・。(^^;ううっ、コスモスって、一面に咲く様子でないと、なかなか、上手くその場の雰囲気を伝えられないのね・・・!(TT)ここは、『百段苑』と言って、4,5m四方の花壇が100、階段状に並んでいるのです。安藤忠雄氏の設計で、「≪100段を巡ること≫に、震災で被害に遭われた方への鎮魂の祈りをこめて」(説明原文のまま)と言う事だそうです。と、言う訳で、一面の、と言う訳ではなく、ブロックごとに並んでいる為に、遠景だと写真にしやすいのですが、近距離からはちょっと写真にしにくい・・・ような。(汗)左上: 原種のシクラメン。ネームカードには「キクラメン」となっていたけど、・・・正式な発音?右上: 海を臨む。 空が青かったら、綺麗!らしい。左下: ほおずきとイワシャジン。 ・・・釣鐘みたいな花が可愛い。温室内。 日が翳ってきて、かなり逆光。・・・・・・と、こういう感じです。お昼は園内のレストランでピザを食べました。「栗のピザ」が・・・! ただクリが乗せてあるだけのようなのに、意外なほど美味しかった・・・!だんなさん、パソのメンテ、ありがとー!!(^^)
2006.10.19
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今日は写真を。(^^)餘部橋梁です。2007年春に新橋架替工事着手予定。この橋梁は惜しまれながら、姿を消します。おまけ。JR香住駅ホームで見た、カニのハサミ。(笑)
2006.08.26
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