Peterborough Vision

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詩「寂しい と ひとりぼっち と」

■■■ 寂しいとひとりぼっちと ■■■

作・孤独なナナシの詩人
夕景

ひとりぼっちだから寂しいということでもない。

誰かといることで感じる孤独のほうが、
本当に寂しくて辛いのを知っている。

いつからか、

それが恐ろしくて一人を好んで閉じこもっている。

話し相手はラジオだったり、

ブロック塀だったり、

それでも誰か人間と話すよりは
ずっとマシだと思っていた。

嫌いなのは人間でなくて自分なのか、

人間が嫌いだから自分も嫌いなのか、

どちらにしても
結局のところ自分の事すらわからないし、

信用できないのも事実のような気がして

卵が先か鶏が先かという
堂々巡りに嫌気がさしていた。




天気のいい日は眩しすぎて

自分が空に溶けてしまえばいい
とさえ思っていた。

曇った空は

まるで自分の心が映し出されているみたいで
嫌な気分になる。

そんな時は土砂降りの雨が降ればいい。

雨が罪を洗い流して、
雨音が心を慰めてくれるから。

この広い宇宙が

実は人間の細胞の一部で、

その一部である地球は
更に小さな細胞のひとつに過ぎず、

その星に生息する生き物たちは
プランクトンとか細菌とかいった役割で存在しているのかもしれないーー、
なんて考えてみる。




個人の存在役割なんて、

大きな目でみればどうということなくて、

たとえば地球と太陽の関係が悪化するという影響はありつつも、

実際には、

人間の体で例えてみれば細胞のひとつが変異したに過ぎず、

正義だ悪だ、

金だ裏切りだ、なんてのは

どうでもいいことなのかもしれないと思ってみる。

宇宙飛行士が地球に帰ってくると、

価値観を揺さぶられ
人生に大きな影響を受けるという。

いや、実際に宇宙へなんか行かなくても

想像を巡らせるだけで価値観は揺らいでいく。




価値観なんてものは基準があるようでないものだ。

絶対的に正しい見解なんてありえない。

もし、そんな想像をしてみて、

改めて人生について考えてみると、

多少社会に溶け込めなくても

大した問題ではないような気がしてくる。

無理やり社会と呼ばれるものに順応して、気がねして

精神的に疲労困憊するなんて
馬鹿げているような気がしてくる。

そこから生まれる根拠のない孤独なんて、

本当は気にする必要なんかないのかもしれない。

否定することも、順応することもない。

世の中には色んな見方がある。

色んな人がいる。




それぞれがそれぞれに生きている意味。

人が寂しいと感じるとき、

悲しいと感じるとき、

嬉しいと感じるとき。

ひとりぼっちが寂しいんじゃなくて、

自分が理解されない寂しさと

理解できない寂しさが降り積もる。

いるべきところに
存在していないような気がする寂しさ。

この広い世の中で、

大きな何かに対して

存在意義を示せていないのではないかということを、

人間である私は常に恐れおののいている。







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