Going My Way♪~気まぐれkaaの日記

「体育会が終わって」



次にクラス一丸となって盛り上がるのが、合唱コンクール。
1学期の終わり(息子はほとんど休んでいた頃)に指揮者と伴奏者が決められた。
友だちの「指揮者に決まったら頑張って学校へ来れるから」というありがたい(泣)言葉で息子に決まってしまっていた。
というのも、2年の時にもなぜかノリでなってしまって(母に似ず?音楽的センスもないのに)、その頃から体調も悪くて休みがちながら、何とか頑張った実績(?)があったから。

で、「いやや~」と言いながらも体育会よりは本人もやる気があったので、何とか行けるはずと思っていた。
それでもやっぱり行けない。
少し行っては休む、を繰り返す。

みんなに迷惑掛けるやん。
甘えたらあかんよ。
わかってるけど・・
しんどいのはわかるけど、がんばらなあかん時にはがんばらな。
どこがどうしんどいん?
自分に負けたらあかんよ。
頑張るって約束したやん。

何も言ってないようで、結構言って責めてたみたい(^-^;)

結局、半分くらい休みながらも何とか指揮者という大役をこなした。
そして、その後は緊張の糸が切れたようにほとんど行けなくなった。

その頃には、受験のことも具体的に決めなくてはいけなくなっていた。
我が家の経済状態では私立は無理だし、最後まで公立への望みは捨てていなかったけど、出席が足りず、はっきり無理と言われた。
で、泣く泣く私立で行けそうな所を探し、受験を決めた。

選択の幅は非常に狭かったし、それまでに情報を集めることもしてなかった為、もうここしかないという感じだった。
その頃、ある方から
「どうして無理をしてまで高校に行かせたいのか。進路は何本もある。進学も一つ。就職も一つ。ニートも一つ。親が経済的に苦しいときは進学させないことも選択肢の一つの材料になる。世間体のためなら意味はないし本人にとって人生の時間の無駄になる。真に〇君のために彼が楽に生きられる道を選んであげて。」というアドバイスをもらった。

でも、そうは言っても、やっぱり本人も高校くらいは行きたいと思ってたし、行けるんじゃないかという望みはあった。
だから、無理をした。
(でも、そのアドバイスは結果的に高校を辞める時の決断材料のひとつになった)

そして、冬休みも終わりの1月7日(運命の日!)
新聞で「不登校の陰に起立性調節障害 神戸の女性HPで呼びかけ」という記事!!
息子を休ませることに自信が持てた(笑)私は、担任に「無理させないことにしました。行ける時に行かせます。毎日の連絡もしません。」と伝えた。
(PTAでしょっちゅう学校へ行っていた母の出席をカウントして欲しい、とマジで思った。)

このHPで悩む母たちとの交流により、随分助けられた。
その後、卒業式(これもちょっともめた)や受験関係など必要最低限のみ出席で中学校生活を終えた。

(疲れたから続く・・多分)




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