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ぴかろんの日常
リレー企画 253
かんばせーしょん2 オリーさん
「君が現れるとあまりいい気分ではないのだが」
「そう嫌わないでくださいよ」
「ルームサービスでお茶でも取ろうか」
「いえ、結構。話はすぐ済みます」
「用件とは?」
「昨日ボストンのベイバンクからの手紙が届いたかと思いますが」
「…」
「読んでらっしゃいますよね?」
「どうして知っている?」
「失礼ながら教授はまだ監視下にありますので」
「郵便物を検閲してるのか?」
「まあ、そういうことです」
「相変わらずのロングハンドだね」
「仕事ですから」
「仕事熱心で頭が下がるよ」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
「皮肉のつもりだがね。それで?」
「ボストンに行っていただきたい」
「そこまで指図される覚えはないと思うが」
「早い方がいいですね。勝手ですが明日の飛行機押えました」
「君の指図は受けないと言ってる」
「困るんです」
「こちらは困らない」
「砂漠の鷹はリーダーが死んでとりあえず壊滅しました」
「…」
「ただ、彼らの活動資金が行方不明でして」
「活動資金…」
「バルガティは金集めの天才でした。どうやったのか、かなりの資金を貯めこんでいたらしい
彼らのテロ行為より、むしろその資金の方が脅威でね。金があればどんな事もできますから」
「それがあのベイバンクにあると?」
「可能性はあります」
「考えられない。アーメッドとはもうずっと会ってなかったんだ」
「教授がどうお考えになろうと、可能性がある限り私達は探さなければならない」
「断れないわけか」
「ご協力いただけると信じています」
「断ると言ったら?」
「断る?」
「もし資金が隠されていたとしても、法的には私の物だと思うが」
「教授、野暮なことは言わないでください」
「違うかね?」
「元名門大学の教授をテロ組織の仲間だとして逮捕などしたくない。おわかりでしょう?」
「あの後の取調べで嫌疑は晴れたと思っていたが」
「まあ一応は。でも取り調べに不備があったかもしれない」
「…」
「その証拠が今になって出てきた…としたら?」
「まさか脅されるとは思わなかったね」
「脅すなんて、とんでもありません」
「どっちがテロリストだかわからんな」
「奴らと一緒にしてもらっては困りますね。僕たちは善良なる者の味方です」
「その味方が人の郵便物を勝手に開き、貸金庫を覗こうとしている」
「大の前の小と考えていただきたい」
「弱い立場にはおかれたくないね。法も守ってくれそうもない」
「だてにイリーガルなどと呼ばれているわけではありません
必要ならば何でもします。大のためにね」
「選択の余地なしということらしいな」
「大学の方はお休みできますか?急ですからね」
「明日か…」
「何なら休暇を取れるようお手伝いしましょうか?」
「いや、結構だ。これ以上のお手伝いは無用にしてくれ」
「そうですか。あと付き添いは手配しましたので」
「付き添い?君が来るんじゃないのか?」
「いえ、僕は別件で忙しくて。代わりにBHCのミンを頼みました」
「ミン君?」
「兄の方です。あの兄弟は使えますが、こういうのは兄貴の方が向いてる
場数踏んでますからね、安心してください」
「…」
「弟の方がよかった?」
「どういう意味かね?」
「いや、別に」
「それで、もしその資金とやらが貸金庫にあったら?」
「適切に処理します。ミンにすべて言ってあります。従ってください」
「適切にね…もし大金が入っているのなら、どこかに寄付でもしたいものだね」
「弟の方と気が合いますね」
「え?」
「いや、何でもありません。それではよろしく」
「とんだ里帰りだな」
「そうそう、教授のご実家はボストンでしたね。宿はどうします?ご実家にお帰りになりますか?」
「ホテルにしよう。こんな用件で帰っても母が心配するだけだ」
「わかりました。コプリーのマリオットを取っておきます」
「豪勢だね」
「せめてもの気持ちです」
「ありがたくて涙が出そうだ」
「またまた。では明日はミンを迎えによこしますから」
「わかった」
「では、お邪魔しました」
「最後に言っていいかな?」
「何か?」
「Fuck you!」
「It’s not like your style, sir」
「Get out!」
「Aye-aye, sir!」
*****
「ラブ君、ちょっといい?」
「何?」
「兄さんのことだけど」
「もしかしてボストンのこと?」
「うん、ごめん。僕が行けばいいんだけど」
「いいよ、別に。あいつが志願したんだろ?」
「志願ていうか、僕を行かせたくないんだ」
「心配なんだよね」
「この前、イギリスであんなことになっちゃったから…」
「俺は別に平気だよ」
「危ないことはないし、すぐ帰ってこれるから」
「ロジャースさんもそう言ってた」
「彼が?そう言ったの?」
「うん、昨日店でこそっとね。僕と一緒にいい子でお留守番してようねって」
「用件は言ってた?」
「あの先生とボストンに行くってことだけ。用件は企業秘密みたいなもんでしょ」
「企業秘密って…まあそうなのかな」
「でもさ、あいつ、まだ俺に言わないんだよね」
「え?」
「あいつ、俺に言わないんだよ」
「ボストン行くって?」
「うん。何だかそわそわしてるんだけど、言い出せないみたいよ」
「そんな…」
「ギョンビンの代わりに行くってことでちょっと後ろめたいんじゃん」
「なら僕が行ったのに」
「まあ、あいつらしいっちゃ、らしいけどさ」
「だって、もう明日なんだから隠しても仕方ないっていうか、隠せないでしょ」
「そう思うけどねえ…」
「店も休むし、荷造りもあるし、信じられない…」
「くふっ、どうするんだろう…」
「まさか、このまま黙って行く気じゃ」
「かもねえ」
「どういうつもりか聞いてくるっ」
「あっと、いいよいいよ」
「でも…」
「これからどうするんのか、ちょっと楽しみ」
「でも、言わないなんておかしいよ」
「ギョンビンのこと心配するのを、俺がヤキモチやくと思ってるんだよ」
「だったらあんなに突っ張らなくたってよかったのに」
「ま、突っ張るとこのはお互いさまじゃん」
「…」
「やっぱり兄弟だよねえ」
「え?」
「別に俺は気にしてないよ。ただちょっと羨ましいってかさ
ほら、兄弟のつながりみたいの、何かいいかなあって」
「もうあんまり関係ないよ」
「でもさ、いざと言うときは頼りになんでしょ
あいつもギョンビンのこと、心の中ではすんごく頼ってると思うよ」
「そうかな、それにしちゃちょっとトンチンカンだけど」
「くはっ、だよね」
「ねえ、そうしたら今夜も泊まりに来てくれないかな
そしたら荷造りとかしなくちゃいけないから白状すると思うんだ」
「そうだなあ。店では言い出しづらいかもね」
「後でそれとなく兄さんにはプッシュしておくからさ」
「それとなくねえ」
「何?」
「もう目が釣りあがってるからさ、くくっ」
「けほっ」
「やっぱさあ、言わないでよ。あいつがどうやって言い出すか、結構楽しんでるからさ」
「わかった。でも泊まりには来てくれる?」
「うん、店が終わったら、RRHに行くわ」
「ありがと」
「あーい」
「あ、そうだ」
「何?」
「兄さんさ…」
「ん?」
「君のこと、すんごく大事にしてるって」
「え?」
「いつも大事にしてるから、ちょっと留守したって大丈夫って見栄張ってた」
「ぷっ、ばっかじゃん」
「そうなんだけどさ、兄さんにしたら、目一杯だと思う」
「ん…」
「うっとおしい襟巻きだけど」
「確かに…くくっ」
「くふっ…」
「んじゃね、ありがと、ギョンビン」
「こっちもだよ」
*****
「先生…僕です」
「ミン君」
「今日ロジャースさんが行ったでしょう?」
「ああ」
「ボストン行き、OKしたんですか?」
「お兄さんが来てくれるそうだね」
「僕が一緒に行けばよかったんですけど」
「いや、いいんだ」
「…」
「どうかしたかな?」
「兄は僕よりしっかりしていますから」
「聞いてるよ、君たち兄弟のことは」
「学校の方は?」
「急な里帰りということにしておいた」
「ご実家がありましたね」
「こんな用件じゃ立ち寄れないがね」
「いい街でしたね、ボストンは」
「行ったことがあるの?」
「以前仕事で一度だけ」
「そうか…」
「例の学生はどうしました?」
「ああ、話はしてみた」
「どうでした?」
「理解しあえたとは言えないが、もう大丈夫だろう」
「ほんとですか?」
「授業にはもう出てくるなと言っておいた。たぶんもう来ないだろう」
「そうですか」
「ちょっと変わった子だが、たまにあの手はいる」
「気をつけてください」
「色々と迷惑をかけたね」
「いいんです。それより先生…」
「ん?」
「何か僕にできることがあれば言ってください」
「ありがとう」
「僕は…」
「いいんだ、その気持ちだけで十分だ」
「すみません」
「謝ることはない」
「先生…」
「…」
「この間は…申しわけありませんでした」
「何の…ことだろう」
「先生に甘えてしまって…」
「私は…気にしてない。いつでも君を見ていたいというのは本当だ」
「僕は…」
「無理しなくていい」
「僕は自分がこんなに貪欲だとは思いませんでした…恥ずかしいです」
「人は欲のかたまりだよ。それをどう扱うかだ」
「そうかもしれません…」
「明日はお兄さんが迎えに来てくれるらしい」
「僕が行きます。兄を連れてそちらにお寄りします」
「空港まで来てくれるのか?」
「はい」
「わかった。よろしく頼む」
「はい」
「じゃあ明日」
「先生…」
「何か?」
「先生の教えてくれた言葉、とても難しいです」
「あれを実践できる人間がいたらお目にかかりたい
私も格闘しているよ。それで少しは安心したかな?」
「…ありがとうございます」
「じゃあ、明日待ってるから」
「おやすみなさい」
*****
「兄さん?兄さん、何してるの、こんな時間に」
「ぐしん…」
「どうしたの?」
「ラブが…ラブが…」
「ラブ君がどうしたの?」
「ラブがいなくなっちゃった」
「え?」
「さっきスースーして目が覚めたら、ラブがいないの」
「…」
「どこ行ったのかな…帰っちゃったのかな、こんな夜遅く…」
「兄さん、明日じゃなくて、もう今日だけど、ボストンのこと言ったの?」
「へ?」
「ラブ君に仕事でボストン行くってちゃんと言った?」
「…」
「何、黙ってるの?まさか、今夜も言ってないの?」
「だって…」
「荷造りは?」
「まだしてない…」
「ぶぁかっ!」
「夜中に大声出すなよ」
「もう、何やってるのよっ」
「だって…」
「ラブ君、とっくに知ってるよ」
「へ?」
「もうあの日にロジャースさんから聞いたって言ってたよ」
「ぴーに?あんの野郎っ!」
「あの野郎じゃないでしょ。兄さんからも言うべきでしょ」
「ぐしん」
「だから、今夜一緒に荷造りしてもらってラブ君にちゃんと言えるようにって、わざわざ来てもらったんだよ」
「そうなの?じゃあちゃんと教えてくれなきゃだめじゃぁぁぁん」
「そこまでばかだと思わなかったもん」
「ばかだなんてひどいじゃん」
「だってほんとじゃん」
「ダーリン怒って帰っちゃったのかなあ、ぐしん」
「たぶんね」
「どぉーしよぉー、ぐしん」
「あんなに偉そうに僕に行くなとか言っておいて」
「お前は…ぐしん…いぐな、いぐなぁぁぁ」
「まだ言うかっ!」
「ぐすぐす…」
「もう…ったくしょうがないなあ」
「ダーリンってばご機嫌ななめになるとごわいもんぐしん…」
「携帯、かけてみたの?」
「携帯っ?あっそうかっ!携帯、携帯♪」
「マジで腕利きの諜報部員?」
「うっさい、携帯、携帯♪」
「どう?」
「ちゅ、ちゅながらない。電波の届かない場所か、電源が切ってあるって…」
「ラブ君相当怒ってるよ」
「ぐしん…」
「何で言わなかったの?」
「だって、留守したらさ、スケベなあいつがさ、またさ、変な気を起こしてさ
僕のダーリンにちょっかい出すかなとかいろいろ心配でさ…」
「あいつって?」
「背と指の長いエロじじいっ」
「もしかしてテジュンさん?でもイナさんと仲直りしたじゃない」
「油断できなぃぃぃぃぃ、あいつはすぐラブとぉぉぉぉぉ
ごの間だってえれべーだーの中でぇぇぇぇぇ」
「兄さんだってイナさんと寝てたじゃない」
「あればぞんなんじゃないもんっ」
「でも、イナさんとテジュンさん旅行にいくはずだよ」
「え?」
「イヌ先生に休みもらいに行った時、言ってたじゃない。覚えてない?
イナさんがその次の日から休むから、僕に絶対休まないでねって念押したの」
「そ、そうだっけ?うひひん」
「うん、チェジュドだって」
「チェジュドかあ、そうかあ、勝った!」
「何が?」
「飛行時間♪」
「ーー;」
「とにかくもう寝ようよ。ラブ君には素敵なお土産でも買ってくれば?」
「何を?」
「そうだなあ、大好きな時計とか」
「バリバリ最新型かあ」
「アンティークショップでも覗いて珍しいものの方がいいかも」
「あんてぃーくしょっぷだね」
「自分で決めなさい」
「わがった…ぐしん…」
「荷造りもしないと」
「着の身着のままで行く」
「え?」
「どうせジジイの付き添いだ、それで十分…」
すぱこーーんっ!
「先生はね、目立たないけどお洒落なんだから、釣り合いのとれた格好しなさいよっ
銀行にも行くでしょ、足元見られるよ」
「ジジイには興味ないし…」
「そういう問題じゃないって」
「ぐしん…ラブぅぅぅ」
「んもうっ、わかったからもう寝なよ。荷造りは僕がやっておいてあげるから」
「ほんとに♪」
「ああ」
「それとね、ラブのこと頼むぅ」
「わかった、よおく謝っておくから」
「違うっ!首輪つけて紐つけて、ずっと監視しててよ」
すぱこーーんっ!
「やっぱり僕が行くっ!」
「あああ、いぐなぁぁ…」
「泣かないでよっ、うるさいよっ」
「だーりぃぃぃん…いぐなぁぁぁ…だーりぃぃぃん…」
「ーー#」
かくして、さまざまな会話があちこちでなされたようなのだった…
撮影ー 流の闇 2 足バンさん
鏡の中のジン
控え室の、過ぎた照明の明るさにはもう慣れたスヒョンだが
そうして人工の光の中に自分の隅々までを曝け出すのは嫌なものだった
次のシーンのためにメイクで入れた陰影のせいだろうか
いつもとずいぶん違うジンがそこにいる
ヒョンジュを失った顔
大事なものを失った男の顔
僕の大事な…
気持ちの切り替えは、思ったほど難しいものではなさそうだった
先ほど抱きしめたヒョンジュの体温の余韻は
悔いを足枷に生きるジンの生々しさを煽ってくれるような気さえする
台本から離れ
あのヒョンジュの目を思い出し
全てをその想いで満たす
…
そこに紗がかかった何か別のものが重なるのは
何だろうか…
真っ直ぐ続く道と柔らかい陽の光
遠くにぽつりと立っている…
「スヒョンさーん、時間です、お願いしまーす」
手の中の紙コップの珈琲はもう冷めてしまっている
「スヒョンは…大丈夫だろうか」
セットを見渡せる場所に無造作に並べられたパイプ椅子に腰掛け
ミンチョルは隣のジホに聞くともなくつぶやいた
スヒョンは、院長との次のシーンを前に控え室に籠ったままだ
「大丈夫、撮影には付きものの光景だもの、平然とされてても困るしぃ」
「それはそうですけど…」
「あそこまで入ってくれたらこっちのもんだ、予想以上だったけどね」
「…」
「元チーフも充分入ってるように見えるけど?」
「僕は…ジンと向き合うと自然に…と言うか…」
「それをこの業界では『入ってる』って言うわけですよぉ~」
先ほどのあのシーンを思い返す
あんなスヒョンを見たのは初めてだった
全身から熱いものが迸るような、怖いほどの抱擁
わかっていても…
抱きしめられた腕に何もかもを持っていかれそうだった
息もできないほどのくちづけは…初めてではない
でも違う…あのヴィラの夜とは…
そう、確かにジンなのだろうけれど…
しかしスヒョンのどこかにああいうものが潜んでいるのではないかと
穏やかな目の奥に誰にも見せぬうねりが隠れているのではないかと
そんなことを思わずにはいられない
「でもね…大丈夫、入ったものはいずれ出るから」
思いがけない言葉に、ミンチョルは思わずジホの横顔を見た
「自分たちが心配?」
「え?」
「変わっちゃうみたいで心配?」
こちらを向いたジホの目はいつもの調子のように見える
「僕は是非そうであってほしいんだけど…変わるってことは素晴らしいことだから」
「…」
「でもねぇ、気づいてもらいたいんだなぁ、皆さんに
変われるってことは、一番奥に変わらないものがひとつあるからだってこと」
「え…」
「あるでしょ?元チーフにだって」
「…」
ー撮影3日目にしてやっと言ったね、自分が何してるか
「シン監督は、賞味期限切れの”永遠”なんてものを表現したいんじゃないんだもの
そう『うるりと動かぬふりをして、水面の影は色を変える』んだものぉ」
ーエレベーターに乗るまでは…僕のテリトリーだ
「ん?…ここ、そんな目が潤むとこじゃないんだけど」
「あ…すみません、ええ…わかる気がします」
「だから大丈夫なんですよ、何かに引きずられて今まで見えなかったものが見えても
変わらないものが根を張ってりゃ怖いもんナシ子さん」
「…」
「でもまぁ…うふふ…簡単じゃないことは経験上認めマス!」
勢いよく、さて、と言って立ち上がったジホは
全てを見透かすようにニコリと笑いかけて眉を上げる
「次のシーンどうします?明日は丸々海ロケだし、監督が無理せず上がってもいいって言ってるけど」
「いえ…最後まで」
見なければいけないような気がする
撮影は、自分の意思と違うところで進んでいる
まだ僕は何もしていないような気さえするのに
…しかしもう…今さら半端な関わり方などできない
既に僕もメッセージの一部になっているのだろう
監督たちが…スヒョンがやろうとしていることを潰すわけにはいかない
ミン…これでいいんだろうか
そう聞いたら…何と答えてくれる?
・・・・・・・・・・
久しぶりに出向いたカウンセリングルームは
もう既に同僚の場所となっており
ジンの荷物はまとめられ隅にひっそりと置かれていた
中から適当なものを見つくろっているジンの後方で
居心地悪そうに立っている院長のことは無視している
「あんなことになるとは思わなかったね、残念だよ」
「次の当てはあるのか?…その…何かできることがあるかと思うんだが」
だったらもう何も話しかけるなと、喉まで上がるものを押さえて
ジンはひたすら口を閉ざしていた
今まで世話になったことは事実、このまま礼の言葉を述べ
暫くはそっとしておいてくれと言って出て行くつもりだった
しかしその沈黙に、院長の罪の意識は勝手に反応する
何かを言わなくてはと思うあまりに口をついた言葉は
恐ろしいほどの常套句だった
「悪気は…なかったんだ…全て君のためだったんだ」
書類の束をまとめようとしていたジンの手が止まる
背中の声は何か大事なことを意味したような気がしたが、直ぐには飲み込めなかった
「何のことです?」
部屋の隅にしゃがみ、顔だけを横に向けたジンのシルエットは
自分を正統化したい者にとってひどく冷たいものに映る
「その…彼に…転院を勧めたことがあって…」
「…」
「つまりその…君はもうここで治療を受けることはないと…」
「何ですって?」
立ち上がり振り向いたジンの顔はかつて見たことのないものだった
血の気の失せた顔には相手への情の欠片もない
「いや…あのままではその…」
「それだけですか?」
「いや…あ…いや…そうだ」
・・・・・・・・・・
「この後のジンの怒りは自分にも向いたものだから、注意して」
「わかってます」
「あ、院長はもうただ狼狽の図ね、でもまだ自分を庇おうとする感じ」
「ジンの叫びには少し反応するんですよね?」
「そう、ちょっと複雑な表情…あの男がここまでと、ジンの言葉にね、このアホな院長にも
1ミクロンでも何かが伝わったって感じを出したい」
「でも理解じゃないでしょ?」
「勿論、感覚的なもの」
院長役と同僚役の俳優が細かい立ち位置を確認しながら
動きの段取りをつけている
院長は僕の肩を軽く叩いて片目を瞑る
「俺を思いきり締め上げていいから…ここ見せ場だから遠慮しないでネ」
・・・・・・・・・・
ジンは両手で院長の襟を掴んだ
院長の身体はデスクの淵にぶつかり行き場を無くしている
「何を言ったんですか」
「いや…」
「何を言ったんですか!」
地の底から湧くような低い声に院長は口を解かざるを得ない
ヒョンジュへの残酷な申し渡しの一部始終は、実際よりも矮小化されてはいたが
それでもジンの胸をえぐるには充分な衝撃だった
院長が保身を計り「彼はただ穏やかに聞いていたので」と繰り返すほどに
ジンの内臓は焼土のように悲鳴をあげる
腕は院長の襟を絞め上げていた
赤く濁った瞳にはもう枯れたはずのものが潤み
乾いた唇は怒りに小さく震える
「言ったはずだ…そんなことをしたら許さないと」
「ジ…ジン君…」
「言ったはずだっ!」
「ジ…」
「彼はあなたたちとは違うんだ!そんな俗な言葉が通用するような人間じゃない!
全てを真っ直ぐ受け止めて全てを…」
大きなドアの音をさせて同僚が部屋に飛び込み
ジンの名を呼びながら背中から拘束した
「なぜわからない!なぜ彼が自分をなくしたのか!」
「先生!しっかりして下さい」
「何のための線引きだ!異常なのかっ?どこが異常なんだっ!彼がっ?僕がっ?
患者だからっ?男っ?女っ?いったい何のための区別だっ!」
「先生!」
「何をしたかわかってるのかっ!」
・・・・・・・・・・
ナニヲシタカワカッテルノカ
真っ直ぐ続く道と柔らかい陽の光
遠くにぽつりと立っている…
なくしてはならない
黒い目の…
背中をそっと押す微笑み…
・・・・・・・・・・
「どんな魂をなくしたかわかってるのかっ!」
「先生っ!もう…もうよして下さい!」
「何をしたかっわかってるのかーっ!」
ジンは叫び、泣いていた
全力でその身体を抱えながら、同僚も涙を堪えていた
彼にとっても心痛む出来事だったのだ
全てが自らに還るジンの慟哭は次第にかすれ
「彼が…どうして僕の…」
嗚咽に途切れていった
ヒョンジュと出会ったその部屋の
初夏の美しい記憶とともに
・・・・・・・・・・
OKが出て暫く、スタジオは静まり返っていた
涙を溜めている女の子さえいた
シーンの余韻がおさまらずうずくまるスヒョンの背中を
院長がとんとんとなだめるように叩き
ジホ監督が覗き込んで何か言っている
モニターの後方で見ていたミンチョルは動けずにいた
ジンが…スヒョンが泣いている
これはジンなのだからとわかっていて尚、動悸がおさまらず
離れた場所でぐしぐしと鼻をかんでいるチョンマンと目が合って
ようやく息をついた
「とてもよかった、ほんとに」
シン監督の静かな声とともに抱きしめられたスヒョンが微笑むと
スタジオの空気が、待っていたかのようにふわりと明るいものになる
「スヒョンさん、最後、何て言いたかったの?」
「え…?」
「”彼がどうして僕の”」
「…あ」
「げーっ!シン監督!撮り直しとか言わないでしょうねっっ」
「そこまでバーカじゃない」
「うひー助かった~もう1回やられたら酸素吸入もんだものっ」
ジホの言葉に笑いが広がれば、現場は更にいつもの雰囲気を戻し
スタッフたちはそれぞれの仕事の続きを思い出す
「まぁいいんだ、何かとても強く伝わるものがあったからさ」
「すみません」
「いや、アドリブってのは生き物だから、それ生かすのが私の仕事だし」
何を言いたかったのだろう…僕は
ふと上げた視線の向こうにミンチョルの目があった
スヒョンが微笑めばその目も柔らかくなる
スタジオのざわめきの外は
既に澄んだ夜気に包まれている
ごさいじのだんどり ぴかろん
「おはよー♪」
「にゃんにゃ~ん♪」
「はるみちゃん。大顔面仮面いる?」
「にゃ!」
「怒ってる?」
「あんにゃ!」
「そか。よかった」
「いつから猫語ができるようになった!」
ドアの向こうから低音が響いた
はるみちゃんと俺は顔を見合わせ一滴の汗をたらした
「…にゃにゃにゃんにゃ。んにゃんにゃ♪」
「ん…わかった♪」
はるみちゃんを床に下ろし、工房に入っていく
「手洗いうがい実行!」
「あい」
「ったく!」
「あれ?チェミさん、ちょっと顔が小さくなった?」
「ふぬっ!」
言われた通り手洗いうがいを実行して、粉を捏ね始めた
「あのぉ…」
「なんだ!」
「テスいる?」
「上だ!」
「あのぉ…」
「なんじゃっ!」
「…。明日から二泊三日で…」
「また休むのかっ!ふぬっ!」
「…だめ?」
「このサボリごさいじがっ」
脳天にグリグリと攻撃を受ける
かなり痛いが我慢する
「どこか行くのか?濃顔さんとか?」
「うん…それと…ヨンナムさんも」
「(@_@;)ぬぁんだと?!生意気にも3ぴ…三人でっ!(@_@;)」
「うん。三人で」
「…(@_@;)…」
「…。なんか変な事想像してないか?俺はただ済州島へ行くだけだ」
「ただ済州島へ三人で行って何をするんだっ!(@_@;)」
「ヨンナムさんを幸せに…」
「なにいっ!濃顔さんも加わって爽顔さんを幸せに…」
「テジュンはあんまり関係ないかな」
「なにっ(@_@;)」
「…見合いさせるんだ」
「はあっ?(@_@;)」
「えへへ…」
「どういうことだおお?」
「ぐ…ぐるじいっ」
粉のついた手で首を絞められた
俺はチェミさんに『済州島秘密の幸せ計画』を話した
チェミさんはふぅと溜息をついて「そううまくいくかなぁ」と言った
「絶対合うって!」
「…そぉかなぁ…」
「行っちゃだめ?」
「…だめなこたぁない。ま、お前もここんとこ色々あったから、ゆっくりしてこいや」
「やった!」
「うまく行くとは思えんがなぁ」
「なんでさ!」
「ごさいじの計画じゃあなぁ…」
「なんでだよっ!ふん!」
なんだかんだ言いながらパンを作った
発酵を待つ間、休憩がてら二階に行った
「おっす」
「あ。イナさん」ぽちゃぽちゃぽちゃ
テスの『ぽちゃぽちゃ』が心地よい
「ご飯食べる?」
「ご飯無い!」
不機嫌なテソンの声が奥から聞こえた
「なによ、テソン、喧嘩したの?」
「してないっ!」
俺はテスに小声で聞いた
「テス、テソンどうしたの?」
「ほったらかしにされてるから…」
「ん?」
「…仕事が忙しいらしくて、出たり出たり出たり入ったりで…」
「…仕事?」
「ナゾじゃん?」
「…ああ…」
「テソンシも詳しい事知らないらしいし…」
「…ああ。言わなそうだもんな…」
「ずーっとそういう状態だから…」
「うんうん」
「蝋燭見つめたり必要以上に包丁研いだりして精神統一してるんだけどさ」
「…我慢強いからな、テソン」
「限界みたいよ」
「…。テソンも乗越えないといけないってわけかぁ…」
「…(^^;;)」
「ここ!コーヒー淹れたから!飲めば?!」
「テソンシィ~」
テスはきつい目のテソンのところへ飛んでいって頬をぽちゃぽちゃしている
「ささくれだった心じゃ美味しいものは作れないんでしょ?」
「…うう…」
「どうどうどう…」
「…はぁ…」
「辛いね」
「…ふぃん…」
ぽちゃぽちゃセラピー完了
テソンも仲間に助けられてるんだなぁ…
なんだかんだ言っても、幸せそうだぞ、テソン
「イナさんどうぞ」
「さんきゅ」
「にゃっ」
テーブルについた俺の太腿にはるみちゃんが駆け上がった
クンクンとコーヒーの香りを嗅ぎ、ちょっと顔を顰め、それからキッチンの方に走っていってにゃーにゃーとテソンを呼ぶ
出てきたテソンの体によじ登り、肉球でぽよぽよとテソンのホッペを挟む
「んにゃ!にゃっにゃにゃ!」
「…ごめん…だって…つい…。香りが飛んじゃったってわかってるけど…」
「にゃ~?」
「覚悟の上だけど…でもさぁ…」
「にゃっ!」
「…わかったよ…いい修行させてもらってます…はい」
「にゃ!」
はるみちゃんに何事かお叱りを受けたテソンは、がっくり項垂れた
その頭をスリスリと撫でるはるみちゃんが可愛い
「久しぶりだね、イナさんがここに上がってくるの」
「うん」
「ご飯食べたの?」
「食べた」
「そ。よかった」
ニコニコしているテスを見つめて、俺は切り出した
「あのさ…テス…、チス叔父貴の居場所…知ってる?」
「え?」
「…連絡とか…してるか?」
「…うん。なんで?」
「俺、明日からちょっと…済州島に行くんだ」
「…済州…」
「チス叔父貴、いるだろ?」
「…」
「…会いたいなと思って」
「…。そか」
テスはマジな顔でテーブルの上の花を見つめた
「…んと…済州市でね、お土産物屋さんしてるみたい。繁華街の中らしい」
「…。みんな…一緒に住んでるのかな…」
「んとね…。チョンエは…、中文リゾートあたりでいろんな事やってるって…」
「…いろんな…こと?」
「なんかねぇ…スポーツインストラクターだとかケーブルテレビのレポーターだとかエステの人だとか…」
「…」
「ん?なに?」
「チョンエと…連絡取り合ってるの?」
「ん。一、二度メールしたかな…」
「…そか…」
「…。えへ。チョンエにも会う?」
「…わかんない…」
「…。時々、叔父さんちに帰って来るらしいけど…」
「…もし会えたら…なんか伝言あるか?」
「…。ちょっと待ってて。叔父さんの連絡先、書いてくるから」
テスは神妙な顔をして部屋に入って行った
入れ替わりにテソンが近づいてきた
「済州島?テジュンさんと?」
「ヨンナムさんも」
「いいっ?!三人で?」
「なんで驚くんだよ」
「何しにいくの?」
「ヨンナムさんにいい相手がいるんだ」
「…」
「で、せっかく済州島に行くんだからチス叔父貴にも会ってこようかと思ってさ」
「ふぅん…」
「…悪かったかな、テスに…」
「大丈夫だよ」
テソンは柔らかく微笑んだ
「おまたせ。これ、叔父さんの住所と電話番号。それと…これが…チョンエの仕事先」
「さんきゅ…」
「あの…。もしチョンエに会えたら…これ渡して」
テスは箱を差し出した
「…。モビール?」
「うん。前に見つけたの。チョンエにと思って買っておいたの…」
「…そか…」
「…ごめんねって…言っておいて…」
「…テス…」
「僕、チョンエを辛い目にあわせたもん…」
「…あいつ、元気なんだろ?」
「メールの様子ではね…。でもメールだもん…わかんない…」
「あいつは図太いから大丈夫だよ」
「…」
「サバサバしたいい女だったろ?」
「うん…」
「いつまでもメソメソしてねぇよ。な」
「…うん…」
「…もし気になるんならさ、一度ちゃんと話しろよ」
「…うん…それも考えてる…」
少しシュンとなっているテスの肩をぽんと叩いた
「えへ…。…。あ!そうだ!」
「ん?」
「明日だよね?行くの」
「ああ」
「じゃ、僕、ケーキ作る!」
「…パウンドケーキ?」
「うん!荷物になるけど持ってって!叔父さん達にも作る。夜、BHCに届けるから」
「わかった。まかしとけ」
テスはいつもの笑顔に戻った
みんな何かしら乗越えなきゃなんない壁があるんだ
テソンの淹れてくれた、少しばかり手抜きらしいコーヒーを飲んだ
はるみちゃんが「にゃぁんm(__)m」と頭を下げるので、ごさいじには深い味などわかりませんと言ってやった
くつろいでいると、テジュンから電話があった
明日の朝、7時の便で発つという
「それ、無理」
『なぁんでぇ』
「何でってこっちが聞きたいよ!なんだってそんな早くに」
『だって向こうのホテルに9時半には来てくれって言われてるんだもぉん』
「ちょっとジャンスさんに代わって」
『なぁんでぇ』
「いいから!」
『…ちぇ』
『はい。イージャンスーです』
「キム・イナです」
『はい。なんでしょうか』
「なんでしょうかじゃねぇよ!俺達もそんな朝早くから行かなきゃなんねぇのかよ!」
『いや。べつに…』
「だったら便変えてくれよ。そーだなぁこっち9時ぐらい発のヤツ」
『はい。わかりました』
「二人分だぞ」
『存じております。いてっなんだよテジュン』
『イナ相手になんで畏まってるんだよ!おかしいぞ、なんかあるな?』
『ぶぁーか!…失礼しました。9時発ですね』
「うん。よろしくね。テジュンがガタガタ言ったら、俺の用事があるからって言っといて。じゃね」
『ちょっとお待ちください』
『いなぁ』
「…ちっ…ジャンスさんったらなんでテジュンに代わるんだよ」
『あのねぇ僕さぁ、ギリギリまで仕事するからぁ、今夜先輩んちに泊まるんだ。だから…明日しか会えない…』
「ああ解った明日な!」
『あん。寂しくないか?』
「まだ準備できてねぇから寂しがってる暇ねぇの!じゃな!」パン☆
ちょっと邪険にしすぎたかな?たまにはいいか…
キツネの真似して耳切りしてやったぜ…
ごさいじは じゅんびばんたん ぴかろん
パンを焼き終えて、昼飯はヨンナムさんと食う
明日の飛行機の時間を伝えると、早いなぁと言われた
本とはもっと早かったんだぞ、俺が頑張ってその時間にしたんだぞ、と言うとクフフと笑ってハイハイ、ごさいじは頑張りましたよ、なんて返された
「テジュン、先輩さんちに泊まるんだな?じゃあお前、また僕んち泊まるか?その方が明日、出やすいだろ?」
「うん」
「今日はソクさんたちと雑魚寝だな」
「…別に…ヨンナムさんと二人でもいいけろ…」
「…襲ってほしいのか!」
「…いや…」
口ごもってチラリとヨンナムさんを見た
ヨンナムさんはわざとらしく眉を顰めてペロリと上唇を舐めた
二人同時に吹き出した
昼飯を食った後、明日の準備のためにRRHに帰ることにした
「ヨンナムさん、配達行くの?」
「今日は夕方までないけど」
「んじゃ入ってよ」
「え?」
「マンションの中、入ったことないだろ?」
「…え…うん…」
少し照れくさそうにヨンナムさんは俺の後をついてきた
トンプソンさんはニコっと笑い、いらっしゃいませと言った
し…失礼いたしますと最敬礼したヨンナムさんを引っ張ってエレベーターに乗せた
「ふえ…テジュン、こんなとこに自由に出入りしてんのか?」
「まぁね…。これからはヨンナムさんもご自由にどうぞ」
「何言ってんだよっ!なんで僕が自由にここに…」
「友達だからいいじゃん」
「…」
「なんで黙るの?」
「…。このエレベーター直行か?途中の階では開かないのか?」
「ああ。なんかそういう仕組みになってるらしい。俺、よくわかんないけど…」
「…まだ着かないか?」
「うん。結構長いかな…」
「…。あいつ…するよな…」
「は?」
「きす」
「…」
「手持ち無沙汰だもんな…」
「げほん…」
「ちょっと…したくなるな…。な。イナ…」
「なんだよっ寄るなよ!」
「いいじゃん」
「もう着くからっ!」
ヨンナムさんが俺を箱の端に追い詰めた
「んちゅ」
「あ゛」
「けひひひ。あー面白かった」
デコにちゅーされた
怖かった…
「しかし…いかんなぁこの箱は…。ぜーったいみんなチューしまくりだろう?」
ほぼ図星だ…
俺は咳払いしながら扉のまん前に貼りついた
そうすれば唇は奪われないから…
40階に着いて、ヨンナムさんはまた、ふわぁほえぇぇと声をあげている
俺は荷物詰めるから、そことあそこの部屋以外はどこ見てもいいよと言って部屋に行った
「そことあそこ」ってのは、ミンチョルたちの部屋と、バカギョンジンの部屋だ
多分鍵がかかってるだろうけど一応ね…
あらかたの準備を整え、荷物をかばんに入れようとして気づいた
「ヨンナムさんちにあるんだった…」
「すげぇな、ホテルみたいだ!」
ちょうどヨンナムさんがフロアを一周して俺の部屋の前に来た
「俺のかばん、ヨンナムさんちにある…」
「ん?」
「荷物、詰められない…」
「んじゃ、持ってくものとりあえず他の袋にでも入れて、僕んちで詰め替えればいいじゃん」
「…そうだな…探してくる」
キッチンやらランドリーやらを探し回って大きな紙袋を見つけた
部屋に戻ると、ヨンナムさんが俺の机の上のクマたちに微笑みかけていた
「こっちのクマのが可愛らしいな。こっちのはなんだかスケベそうだ」
「…。そうだろうな…やっぱり…」
「ん?」
「ねぇ、二泊できそう?」
「…うーん…一泊じゃダメか?」
「…」
「お前はテジュンと二泊すればいいじゃないか。やっぱ何日もソクさんに仕事頼むのは申し訳ないよ。遊びなんだしさぁ」
「…わかったよ…」
まぁいいや、一泊だろうとなんだろうと、スヨンとヨンナムさんが出会えばいいわけだし…
俺が頷くとヨンナムさんはニコッと笑って俺の部屋を見回した
「おおっと!このベッドには近づいちゃいけない!…っていうか、僕この部屋に入ってもよかったの?」
「…いいよべつに…」
「僕ぅ~ちょっと恥ずかしいんだけどぉひひん」
「…ばか」
「ねぇイナ、カラオケルームがあったけど歌ってもいい?」
「…」
「お前の準備ができるまで歌っててもいい?」
ヨンナムさんがあんまり嬉しそうに言うので、俺はどうぞと答えた
俺の準備は荷物をこの紙袋に押し込むだけなんだけどなぁ…
机の上のクマがコトリと倒れた
テジュンのクマだ
「お前…スケベそうだってさ。…。ほんとに…なぁんか…ヤらしそうな顔に見えるぞ…」
こけたクマの鼻をツンツンしてやると、なんとなくだけど睨まれたような気がした
「なぁ…大丈夫だよな?合うよな?ヨンナムさんとスヨン…」
スケベそうなクマは、さあどうかな?という顔をしている
「…ナマイキだぞお前!」
『ふっ。ごさいじにナマイキなんて言われたくないぞ。ちゅっ』
「あ゛」
クマの鼻先が俺の唇に触れた
『あっ!ご主人様に何を!』
『だってこいつ隙だらけだもーん』
『エグチ!』
『…へーい…』
気のせいだろうか…どこかで「えぐち」という声が聞こえたような気がした
カラオケルームに入っていくと、ヨンナムさんがステージに立ち、マイクを握り締めて目を瞑り、恍惚の表情でよく解らない演歌らしき歌を唸っていた…
俺はへなへなとソファに倒れこんで歌が終わるのを待っていた
「え?!うそ」
「うそじゃないの」
「んな急に」
「仕方ないよ、大変な仕事らしいし」
夕方、店に行って驚いた
ギョンジンが重要な仕事でどっかに行っちまったらしい
あの『T-1000のピーちゃん』とやらの『本業分野での依頼』なんだそうだ
イヌ先生は強張った微笑みを顔面に貼り付け、目玉を小さく泳がせている
…溺れそうになってるっちった方がいいかもしれない…
「…あのバカギョンジン…。んじゃ…明日は…」
「…。大丈夫。なんとかするから…『明日』は」
「…」
「チーフと元チーフ、明日はいるから」
「…。あさっては?」
「…んと…大丈夫…だと思うけど…げへ…んと…『撮影の状況による』ってジホさんが…」
「…ギョンジンはいつ帰って来るの?」
「んと…あさってらしいけど…何時かはっきりしないし…」
「スハは?テジンは?」
「…んと…よくわかんないんだけどぉ…大丈夫…だと思うけどぉ…」
先生の瞳が溺れきっている
顔面の微笑みにヒビが入りそうだ
「先生、はっきりしてよ!ムリならムリって」
「でも新人達も着実に育ってるしぃ」
「全員ジュンホ君にくっついてるのに?!」
「ビョンウとジョンドゥは、二人一組でなんとか」
「なるのか?」
「…ウシクにくっつければぁ…」
「ジュノは無理だよなぁ」
「ジュンホ君にくっつけとくから…」
「ソグは?」
「あの子はわりとしっかりしてるから一人でもぉ」
「…。あいつ、ギョンジンにくっつきまくってるじゃねぇか!どうするんだよ!バカはいないんだぞ!」
「ギョンジン関係でラブとなんとか」
「できるわけないだろう?!ラブがキーキー怒って苛めたくるだけだ!」
「…そ…そんな事ないと思うけろ…」
「ソクも元気そうだけど時々塞ぎこむし…ドンジュンとギョンビンだって、ありゃあカラ元気だぞ!」
「…」
「テプンとシチュンとチョンマン、ドンヒとホンピョ、ソヌさんはいいとしても…ジホさんだって映画の状況によっちゃあどうなるかわかんないじゃないのさ!」
「…。どうしよぉ…」
先生はひとまわり小さくしぼんで顔を曇らせた
「わかったよ!俺、一泊で帰るから」
「…でも…」
「いいんだ。一泊ありゃあ用事は済む」
「…でも…せっかくの旅行…」
「ゆっくりするのはまた今度にする。とりあえず、どうしてもの用事は一泊でオッケーだから。あさって俺、店、出るわ」
「ほんとぉ?!」
曇っていた顔が輝き、先生は嬉しそうな声をあげた
「うん」
「いなぁぁぁ」
ちっと目に涙を浮かべて、先生は俺に抱きついた
「ちょ…ちょっと…。ウシクが来るって…」
「いなぁぁよかったぁぁ僕どうしようかと思ってぇぇぐすん」
う…可愛い…
「…先生、ウシクが来たら誤解される」
「えっえっいなぁぁありがとぉぉ」
俺の肩に顔を埋めて泣いている
まずい…非常にまずい…
遠くから『どどどどど』という足音が聞こえてくる
「せんせっ離れないとっ」
「いなぁぁ」
バッタンコー「せんせいっ(@_@;)」
「ああ…もうダメだ…」
「離れてっ(@_@;)」どおおん
「いたっ」
「あっ先生っ大丈夫?(@_@;)」
「痛いよウシク」
「イナさんと何してたの(@_@;)」
「…イナがね、あさって店に出てくれるって」
「(@_@;)?なんで?済州島に行くんじゃないの?」
「人手不足なんだろ?一泊で帰って来るわ」
「何で?(@_@;)」
「…なんでって…先生困ってるし」
「(@_@;)…」
「お前、その目はやめろよ」
「…店のためだよね?センセのためじゃないよね(@_@;)」
「それは…」
店のためであり先生のためでもあるが、そう答えると話がややこしくなりそうだったので、うんうんと頷いて誤魔化した
ウシクは(@_@;)な目のまま、突き倒した先生の体を擦ってやっていた
えーっとぉ…この二人はぁ…仲がいいって事だよな?…ふぅ…
すぐさまジャンスさんに電話して、ヨンナムさんと俺は仕事の都合で一泊しかできない事を告げた
ジャンスさんはああそうはいはい了解いたしましたもうどうとでもどうぞはい…と、抑揚なく言った
とにもかくにも、俺は明日、済州島に行って、チス叔父貴やチョンエに会い、夕食時にスヨンとヨンナムさんを見合いさせ、雑魚寝して翌日少し観光した後、午後の便でソウルに戻ってくるってことにした
ああ…忙しいったらありゃしない…くそったれギョンジンめ…
電話をロッカーに仕舞おうとした時、メール音が鳴った
ピピピ『やぁごさいじぃ。ぼくピーちゃんだよ。明日、僕、春川ってとこに行くんだけど、ごさいじもこない?ふゆそなツアー強行日帰りコースだよ。ラブちゃんも行くよ。どう?』
なんだこりゃ?!
ピーちゃんって…あの野郎!!
『せっかくですけど、明日、俺は「おーるいんつあー済州島の旅」に行きますので、ふゆそなツアーは無理です。楽しんできてください』
返信メールを打ち込みながらしながら、俺は画面に罵った
ま、いいけど…ヨンナムさんさえ幸せになれれば…へひん…
その夜、俺はヨンナムさんちに帰り、かばんに荷物を詰めなおした
テスから預かったパウンドケーキとチョンエへのモビールは別の袋に入れた
それから居間で、ソクとスヒョクも交えてちょっとだけ送別宴会をして雑魚寝を決行した
明日がしゅっごく楽しみら…けひっ…
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