ぴく♪ぴく♪けせらせら          ~歳の差姉妹のママの徒然~

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不妊治療


   ~ 不妊治療 ~


はーちゃんが幼稚園に入園した年の夏、私は不妊治療をはじめた。
きっかけは、近所の奥さんの「漢方薬を処方してくれる産婦人科があるよ。
私はそこで漢方薬を飲んだらすぐできたよ。」との一言だった。
我ながら、単純だ。
単純だけど、多分、きっかけが欲しかったのかもしれない。

はーちゃんの友達はどんどんきょうだいが増えていく。
私も友達に笑顔で「おめでとう。」と言っている。
だけど、心のほんとうのところは、笑ってない。
顔で笑って、心で泣いて・・・を地で行っていたのだ。

はーちゃんが2歳前後の頃、義母は何の気なしに「二人目はまだですか。」
と何回か聞いてきたことがあり、そのたびに私は逆上していた。
私が不妊治療を始めたことをいうと、それ以来何も言わなくなった。
「できるときは、できるわよ。」と言ってくれた。
ありがたかった。
実家は、二人目の「ふ」の字も言ってこなかったけど、どうやら父は
やはりはーちゃん一人じゃ可哀想だし、できれば男の子を、と思っていたと
後から聞いた。
言わなかっただけで、双方の実家ともやっぱり二人目を待ち望んでいた。


身体的にきつい、といわれる卵管造影をなんとかこなしたが、医者は何の問題もない、という。
やはり、一人できているのだから、ご主人の方は大丈夫でしょう、という。
とりあえず、漢方薬を処方してもらい、排卵日の前後に排卵誘発剤の薬を飲み、
注射を一回打つ、という治療を数ヶ月続けることになった。

ちょうどそのころ、旦那は転勤になり、同じ県内だけど単身赴任することになった。
排卵日前に病院に行き、「この日」という日に夜遅く高速を飛ばして帰ってきてもらう。
そんな日々が何ヶ月か続いた。

半年後、何の成果も出ない私は、医者に「もう少し踏み込んだ治療を。」と願い出る。
排卵日の前後一週間、毎日筋肉注射することになる。
治療費も、それまでは月に1万円もかからなかったのが、この治療になって2~3万に跳ね上がる。
体にも、経済的にも、つらい治療になって、一度でギブアップする。

「不妊治療にも段階がありますから、どこまでの段階まで進んでいくかはご夫婦でよく相談なさってください。
この先できなかったら人工授精とかも考えますか?でも一人いらっしゃいますしね。」

旦那も、「この日に帰ってきて。」というのが、どうしても義務感にかられているようで、嫌だったらしい。
私も、治療をすればできるかも、という願いが、だんだんプレッシャーになりはじめていた。
だめだったときの落胆が、以前にもましてひどくなっていたのだ。

治療を始めて1年近く、とりあえず治療を中断することにする。
治療自体がストレスになっていて、かえって精神衛生上よくない気がしたのだ。
はーちゃんは年中さんになっていた。


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