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小さな差異ばかり気にしてきた僕らはいつのまにか時代の暴走に取り残されかけていないか? 時代はさらに狂っていく、と予感してるのに、手が届かないこととあきらめてはいないか? すべてが面倒になった時、『私たちは圧倒的に間違っている』とつぶやいてみたらすっとした。(中略)逆転大ホームランは『やや間違っている』とか『もしかしたら間違っている』って程度の悲しい位置からではなく、『圧倒的に間違っている』という途方もなく悲しいところから生まれるのに違いない、と。小さな優勝劣敗にこだわる必要のないその悲しい状態は、『そもそもなにがしたいの?』という自問自答からの出発を許してくれるこの一節からは、鈴江俊郎による愚直なまでに「演劇」の必要性とそれを成立させるための「劇団」に拘ることの真っ直ぐな視線を感じる。かつての新劇とアングラとの鬼気迫る戦いの軌跡は失効し、今や両者の線引きが曖昧になった。それどころか今や、演劇はかつての文学的な舞台、エンターテイメント志向、それにコンテンポラリーと冠されたトータルパフォーマンスとが仲良く共存し、自足する状態にあって、鈴江はあえて「圧倒的に間違っている」と全否定してみせた。舞台には繊細で内向的・心情をストレートに表現する俳優と洗練された台詞という鈴江が演劇することに対して拠り所としてきた作風・方法論を余すところなく表現しつつも、それを最後に舞台上でぶっ壊した。はるか遠くに目指す目標を抱え込みながら、切実な現実に疲弊しきってもがき苦しむ登場人物は、まさに鈴江自身の疲れの表出である。しかし、今一度踏ん張ろうとする思想も強く逆証されてもいるのである。