山田維史の遊卵画廊

山田維史の遊卵画廊

■Yamada's Article(1)卵形の象徴と図像


Tadami Yamada's essaies and thesises on the art.



禁無断転載
Copyright 1993-2007 Tadami Yamada. All rights reserved.


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     卵形の象徴と図像について

          山田維史

“About the Symbol and the Icon of the Egg Shape” by Tadami Yamada



 1969年のある深夜に、幻影とも想念ともいえる状態で眼前に垂下した卵が、一体何であったのか、それを改めて探究するかのように、当時、緒に就いたばかりの私の画業は、以後、卵狩りの様相を呈する。イギリスでは復活祭に子供達が、庭の草木の繁みに、あるいは花の間に、色とりどりに染められた卵を探すという。たくさん卵を狩り集めた子供が、御褒美をもらうのである。私の画業もまるでその子供達のようだ。
 ユングによれば、「卵のイメージが描きだすのは、もっとも外にあるものともっとも内にあるもの、最大のものと最小のもの、ちょうどインドのアートマン(我)が世界を包みこみながら親指小僧として人間の心のなかに住んでいる、という観念と同じである」ということだ。
 私の関心はもっぱら卵とそれが出現する「場所」との関わりである。私ヲ内包する世界と、私ガ内包する世界とを唯一同一物として孵化する場所を探っていることになるのだろうか。

 〈卵狩り〉

 ユングは集合的無意識論において、インドのプラジャーパティ(図1)など幾つかの例をあげて、卵のシンボルについて言及している。卵のシンボルは、おそらく人間の最も古いシンボルの一つだろう。ここではそれがどんなものであるかを見て行こうと思う。
 大別すると次ぎの三つのタイプがある。ただし、それらは往々にして複合している。


 (1) 宇宙創造に係るもの

 これは即ち、卵から天地が開闢したという、宇宙卵の神話である。
 『日本書紀』は、「いにしえ天地(アメツチ)いまだ剖(ワカ)れず陰陽(メオ)分れざりしとき、渾沌(マロカ)れること鷄子(トリノコ)の如く、クモリテ、牙(キザシ)を含めり」と書き起す。この文章が『三五歴記』等からの引用であることは定説と言ってよいだろう。
 『三五歴記』『五運暦年記』に残る、卵から生まれて天と地とを剖判する巨大盤古は、漢民族の神話と言ってよいだろう。
 ほかにビルマのカレン族とカチン族の神話。スマトラのレジャグ族の神話。ボルネオのガジュ・ダヤク族、西スーダンのドゴン族、そして美しいフィンランド叙事詩『カレワラ』。
 また足利惇氏は、「古代イラーン人の観念によれば、物質的世界の形態は、鳥卵の如き構造を有するものである」(『ペルシア宗教思想』)と述べている。
 ロザリー・デイヴィッド著『古代エジプト人』によれば、古王国時代のヘルモポリスの幾つかの天地創造神話の一つに、「生命の起源として、原初の大洋の概念に代り、宇宙の卵が登場する」。この卵はガチョウ、あるいは偉大なるトト神を表わすトキによって産み落とされ、卵の中には大気、あるいは世界を創造するために出現した鳥の姿をとるラー神が入っていた。更に新王国時代のテーベでは、「全ての初期の創造神の姿を自らの中に取り込んだアメン神は、原初の丘の卵から秘密裏に誕生したもので、その中から他の全ての神々と全宇宙が発生した」(近藤二郎訳)と言う。
 また、初期キリスト教時代に隆盛を極めたオルフェウス教の伝えによると、偉大なる母神と蛇の姿をとる神オフィオンが交わって卵を生み、その中から太陽神アポロンが生まれたのである。

 さて、わが日本は、冒頭に書いたように、卵によって説明される天地創造神話を持っている。『古事記』下1巻、仁徳天皇の条りに、倭の国には生まれないはずの雁の卵を産むのを見て、祥瑞とする伝えが出ている。しかし造形的に探ってみると、卵は、日本人の集合的無意識のシンボルに昇華していないのではないかと思われるのである。
 折口信夫は、「霊魂のたまが形をとると種々な形態となって現れるのであるが、其中で最優れた形態をとって現れて来たものが即、玉であると考へられたのである。抽象的なたま(霊魂)のしむぼる(シンボル;山田註)が、具体的なたま(玉)に他ならなかった」(『剣と玉』)と言う。
 玉はいわば霊魂の容器であって、丸太の切断した一片(樵夫はこれをタマと言う)にも、石や貝殻や繭にも卵にも、心霊は宿るのであるらしい。
 球体と卵形の差異はないということになる。
 木内石亭の『雲根志』巻之三、像形類の項に「石卵」と称す珍石についての記述がある。外見上は変哲もない石だが、割ってみると、中に鶏卵大の赤味をおびた卵形の石を孕んでいると言うのだ。それが石卵である。色あいから判断すると鉄気だろう、と石亭は書いている。このような珍石が、信仰の対象になったであろうことは想像に難くない。
 山梨県の玉石道祖神や、埼玉県と栃木県の一部にみられる庚申様は、球体の自然石が御神体である。
 長野県南佐久郡野沢町の三塚のお子安様の御神体は、やはり丸い小石で、妊婦はこの小石を蒲団の下に敷いて安産を祈願する。
 山梨県甲西町の丸石神は、まことに美しい完全球体である。
 山梨一帯の丸石神については、中沢厚の積年の調査研究がある。それによれば、丸石神はほぼ真円に近い自然石ではあるが、いびつなのもあり、卵形もみられるようだ。しかし、あえて卵形という観念は、見当たらないのである。
 この点、韓半島南端、金海の亀旨峰に、金首露王降臨の神話に因んで祭られている石卵神とは、全く異なるのである。
 球体ないし円については、狩野芳崖の『悲母観音』(1888年作)に描かれている球体から禅の円相まで、例示にことかかない。折口説にもかかわらず、ここには何か、日本人の美意識の問題が係っているとしか思えないほどである。

 私はここで、意志をもって成された歴史学的にも興味ある卵の造形として、私の知るかぎりわが国唯一の例を示す。
 法隆寺五重塔の心礎納置品である金と銀との、二重忍冬唐草文透かし彫り卵形容器である。
 この卵形容器は舎利容器であるが、おそらく異例の造形である(図2)。
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     (図1)          (図2)

 日本に伝わる舎利容器の造形としては、宝塔宝珠形、入れ子箱形、壷形、鋺形などがある。
 3世紀から7世紀にかけてのガンダーラ出土品に見るストゥーパ形が、舎利容器としては祖形であろう。仏陀涅槃後、火葬にふされた遺骨は八分され、八国の王が仏塔を建立して安置した。マウリヤ朝第3代のアショーカ王は、それらの仏塔7基から舎利を取り出し、八万四千のストゥーパを造って納めた。八万四千という数は、たくさんという意味であろうが、アショーカ王の造ったストゥーパは、土饅頭に木柵、門檣を備えたものと言われる。王の死後、仏教は庇護者を失って衰微し、その気運の中でストゥーパは、逆に石造に作り直されて行った。ガンダーラ出土品にしろ、日本に伝わるものにしろ、小さな舎利容器も遡れば祖形は大ストゥーパにあるのである。
 卵形舎利容器は、造形的に異例であるが、卵をシンボルとする観念は、原始仏教とは係りないとは言え、その後の経緯の中で、仏教を荘厳するものとなっているのである。
 密教系の寺院では普通に見られるが、卵塔と呼ばれるものがある。正方形もしくは八角形の台座の上に、竿と呼ばれる石柱を据え、さらに中台と蓮弁を象った請花と呼ばれる座を置き、立卵形の塔身を置いたものである。蘭塔という文字を当てることもある。江戸文芸や歌舞伎などではしばしばこの文字を目にし、蘭塔場といえばもっぱら墓場の意味である。だが本来的には卵塔であろう。と言うのは、この立卵形の塔身を梵語で「アンダ」と言い、卵の意味であるからだ。
 卵塔もおそらくストゥーパの発展的造形である。原始仏教は実践宗教(信仰者は自ら修行に励み、また教義にもとずく行為を社会のなかで日常的に実践することを本旨とする宗教)であって、偶像崇拝的な要素は全くないが、普及の過程でヒンドゥーのブラフマンダ(宇宙卵)の観念が入り、ガンダーラを経てチベットのボン教と習合し、陰陽五行とも結びつき、造形的には曼荼羅へと結実したのではあるまいか。
 ユングは「ラマ教の曼荼羅には大抵正方形のストゥーパ平面図形が見られる」と指摘している。
 ストゥーパの基壇はガンダーラに始まると考えられている。卵塔の請花、すなわち蓮華座も、ガンダーラ仏において初めて現れる。卵塔は立体曼荼羅の一種ではないかと、私は考えている。卵は内部に仏舎利を納め、世界の中心に鎮まるのである。
 卵塔は、いわば見え隠れする卵のシンボル。そして法隆寺五重塔の卵形舎利容器は、まさに僥倖のようにわれわれの前に顕現したのである。


 (2) 卵生族始祖神話

 このパターンは、民族の始祖、王や英雄、あるいは特殊な能力を備えた人物の卵生を伝えるものである。

 新羅の始祖、赫居世(ヒヨクコセ)王の出自をめぐる伝えは、卵生族始祖神話の典型と言える。
 『三国史記』によれば、「高墟(コホ)村長蘇伐(ソボル)公、楊山(ヤンサン)の麓を望むに、蘿井(ナジョン)の傍なる林間に馬の跪して嘶けるあり、すなわち往きて之を観るに、忽ちにして馬を見ず。只大卵の在るのみ、之を剖
くに、嬰児ありて出づ、(略)その生まれの神異なるを以てこれを推尊し、ここに至って立てて君となす」と伝える。赫居世は、明るい世、という意味である(図3)。
 朝鮮及び南方系の始祖卵生神話に関しては、三品彰英の貴重な研究があり、35例を採集し、その全てを紹介している。
 三品は挙げていないが、『捜神記』に、晋の懐帝年間、巨大な卵から生まれたケツ児が、4歳になったばかりの頃、劉淵の築城を完成に導いたという話が出ている。
 また、中国の苗(ミャオ)族も卵生神話を持っている。祖先であり万物の祖であるフウデイエマーマ(メイパンメイリュウとも)は、天地開闢ののち楓の巨木から生まれたが、やがて水の泡と結ばれて12個の卵を生み、その中の一個から人類が生まれたと伝える。
 ペルーのインカ族の英雄パリアカカも、山頂に突然出現した5つの卵のひとつから生まれた。
 ペルーにはもうひとつ卵の神話がある。太陽が、金銀銅の3つの卵をクスコの人々に降ろした。やがてその卵からそれぞれ人間が生まれた。金の卵からは雄々しい人が、銀の卵からは気高い人が、銅の卵からは賤しい人が。その人達は、王になり、僧侶になり、奴隷となって、ペルー人の間に階級ができたという。
 メキシコのマヤ族の伝説に登場する小人の酋長は、どうやら、地下の河の岸辺にたつ大樹の下に坐っている老女と、彼女がそばに置いている、人間の赤ん坊を餌にする蛇との結婚によって生まれた卵から孵ったらしい。小人は泣き虫で弱々しいが、年とった母に励まされると強大な力を発揮し、ついにはコゴヨルという堅い樹木の束で、王の頭を叩きくだいて酋長になってしまうのである。多くの民族が、頭には霊が宿ると考え、神聖視する。そして王の交替が、王の弑殺によって成立すると考える民族もある。
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     (図3)
      新羅の天馬塚古墳から出土した副葬品の卵の化石。
      国立慶州博物館蔵



 (3) 教義や思想の図像化

 【レダと白鳥】
 レダと白鳥(ゼウス)のギリシア神話は、宇宙創造に係るタイプと見てもよいが、人間の運命や感情の二元論的対立の発生という要素をここでは強調しておく。
 この神話はよほど画家の想像力を掻き立てるのか、多くの作品が残されている。例示した図版で分るように、それぞれの作品で、描かれた卵の数が違っている。これはレダの子供達の父親について諸説があることによる。いずれにしろ、卵から生まれたレダの子供達、カストールとポリュデウケースは「和」を、ヘレネーとクリュタイメーストラーは「不和」を具現している。図像学的には、卵は二つの半球に割れて、双子はそれぞれ半分の殻を付けていなければならない。
 このような原初の一元的状態から、二元論の対立へ向かうという世界観は、プラトンの両性具有的なデミウルゴスの観念に反映している。すなわち、人間の形は完全なものとしては球状で、その本性が真二つに切られて以来、それぞれ半分は自分の半分に憧れて一緒になろうとする。われわれはそれぞれ人間の割符である。従ってそれぞれは常に自分の割符を探すのである、と(『饗宴』)と。
 この観念がルネッサンス期にはプラトン主義の哲学の中に引き継がれ、レオナルド・ダ・ヴィンチに筆を執らせることになる。
 彼の真筆とされる「レダと白鳥」は数点のみだが(図4)、ダ・ヴィンチ派と目される作品によって原画が推察される(図5)。
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     (図4)          (図5)

 レオナルドの素描で興味を引かれるのは、二つの卵の背後に蒲(ガマ)が描かれていることだ。蒲はキリスト教では、聖書解釈として判然としないものの、美術的には「再生」と「救済」のシンボルである。他の画家は異種交合のエロティシズム、あるいは美としての肉体のレアリティに興味の重点を置(図6)、卵は添えもの程度の意味しかないのだが、レオナルドは明らかにレダの子供達の存在に目を向けているのが、この蒲の存在によって、よく分かる。
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     (図6) (図7)


 【処女懷胎】
 ビュッフェのレダが異様なのは、白鳥ではなく駝鳥が描かれ、しかもレダの子供達の卵生譚のいかなる説にも合致しない、三つの卵が描かれていることだ(図7)。
 駝鳥の卵は、中世キリスト教の教義では、処女懐胎のシンボルである。また砂漠の熱い砂の中でも、孵化することから、再生の象徴ともなっている。そのことを考え合わせると、ビュッフェは、レダ神話の外見を持ったマリアの神聖受胎を表現したのかもしれない。

 15世紀に描かれたピエロ・デラ・フランチェスカの「モンテフェルトロ家の祭壇画」は、幼児キリストを膝に乗せて合掌する聖母の頭上に、貝殻状の天蓋から一本の糸につるされた駝鳥の卵が垂れ下がっている(図8)。
 ここでは貝殻も霊的再生のシンボルである。キリスト教はこのシンボルを、エジプトやローマから継承した。女陰の象徴であることは言うまでもない(ボッチチェリの「ヴィーナスの誕生」を見よ)。
 ダリはこの祭壇画を引用して「ポルト・リガトの聖母」を描いた(図9)。
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     (図8)          (図9)

 聖母懐胎図を歴史的に見れば、胎内図としての素朴な直接的表現は、そう多くはないかもしれない。
 オーバーライン地方の画家による「処女マリアノ胎内のキリスト」(1400年頃)は、ユングも例示している(図10)。
 しかし胎内図ではないが、卵形の受胎図となると、まるで隔世遺伝のごとく、レオノール・フィニー(図11)、ヴァンダーリッヒ(図12)、ダリ(図13)の諸作品に登場する。
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     (図10)          (図11)
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     (図12)          (図13)


 【復活と再生】
 復活祭の風習として卵に彩色することはよく知られている。
 ウクライナの伝説では、処女マリアはイエスが磔刑になったとき、卵を捧げて命請いをした、悲しみの涙が卵の上にこぼれ落ちた。復活祭の卵を水玉模様で飾るのは、そのときのマリアの涙を表わしているという。
 たくさんの伝説を携えて広く西欧世界に行われる習慣であるが、古くは中国、エジプト、ペルシア、あるいはギリシアにも見られるのである。
 ケルトのドルゥイド教の春迎えの祭りには、太陽を崇拝して卵は赤く染められる。冬は死に、暖かな太陽の恩恵によって、新しい芽吹きの季節がやって来るのだ。
 『荊楚歳時記』には、正月一日の飲食物の中に、「おのおの一鶏卵を進む」とある。この習慣について、李献璋は『屠蘇習俗考』において、「卵から発生し始めたばかりの幼生物、即ち胚を『行』と言うように、それぞれは胚が形成されるにあやかって、順調に発育して堅実質に成長することを祈願ぢたものである」と解釈している。卵は復活再生豊穣の重要なシンボルとして神に捧げられ、宴の食物の中に登場するのである。

 【エトルリアの葬祭】
 1990年から91年にかけて日本4都市を巡回した「エトルリアの文明展」は、イタリア国外では初めての本格的なエトルリア文明を紹介する展覧会だった。
 この展覧会に出陳された、チェルヴェテリのパンディタッチャ墓地出土の、3個の壊れた卵が入っている陶製火鉢は、御記憶の方も多かろうと思う(図14)。この卵の殻が、宴会の食物だったことは間違いないだろう。しかし、なぜ卵なのだろう。
 私はエトルリアの葬祭が、オルフェウス教の影響を受けたものであり、卵は、復活再性のシンボルとして主神パーネス(テーバイのディオニューソス)に奉奠されたと考える。
 エトルリア文明が如何なるものであったかは、膨大な発掘資料や外部の歴史的資料があるにもかかわらず、エトルリア人によるエトルリア文字が全て失われてしまったことにより、実像を知ることを困難にしているようだ。
 エトルリアの宗教は複雑で厳密な規範をもっていたらしいが、ピュタゴラス派のオルフェウス(オルペウス)教の影響を強く受け、ディオニューソス崇拝に関する密儀も取り入れたようだ。オルフェウスはギリシア神話の最高の詩神であるが、ディオニューソス神の信奉者とも言われたいる。ユングはオルフェウス教のパーネスについて、「プリアポスの意味もあり、両性具有でテーバイのデフィオニューソス・リュシオスと同一視されている」と述べている。

 さて、ディオニューソスは、エウリピデスによれば、「この御子は、そのかみ母の身籠りて、稲妻のはためくさなか、ときならず産みたまえる子、みずからは、雷に撃たれて世を去りぬ。クロノスの御子ゼウスはすぐに、己が腿を切り割きてみどり子を、その新たなる母体に収め、ヘラの御目を忍ぶとて、黄金の留金をもて縫い隠す。月満ちて、生いたる神の生まれまして、父神は花輪にかえし舵を彼が頭にめぐらしぬ」(『バッカスの神女』松平千秋訳)と。
 また、呉茂一は、「本質的には植物の精霊に違いない。それは大地にひそむ種子であって、慈雨によって生を得てやがて生長し繁茂し結実する。そして時が来れば、やがてまた枯死しなければならないのである。彼の死と再生の祈願とが、ディオニューソスの祭儀の眼目である」と言っている。
 ディオニューソスの信者達は、霊杖を手に、若鹿の皮衣を纏い、頭には常春藤(キズタ)あるいは葡萄の葉を挿した。ディオニューソスは別名バッカス、葡萄しぼりの神である。

 ディオニューソス崇拝と卵との緊密な関係の証左は、ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵の卵の供物にも見られる。私が撮影した写真をご覧いただこう(図15)。壷には大きなテラコッタ製の卵を入れてある。頭に紐状のものを挿した赤い顔の不思議な画が、壷の正面を飾っている。赤い顔の主は、ディオニューソスと同定してもよいのではあるまいか。捩れ合わさった常春藤の把手も、それを示している。
 そして、エトルリアのヴェイオの遺跡などから、ディオニューソスに従う男性(シレノス)と女性(マイナス)の像が、神殿の屋根飾りとして出土しているのである。
 また、前記の展覧会に出陳された青銅の「女性奉納者」像は、右手に卵を、左手に柘榴を捧げ持っている(図16)。この像は、豊穣と再生を司る地下の女神たちウニ(ユノ)とウェイ(デメテル)に捧げられた神域から出土している。卵はここでも豊穣と再生のシンボルである。一方、柘榴は冥界と結びつき、また多産のシンボルである。この神域にディオニューソスの名前は見当たらないようだ。しかし、柘榴はディオニューソスと関係があるのである。
 ギリシア神話によると、占い師から「あなたは冠をかぶるようになるだろう」と言われた妖精が、バッカスによって柘榴に変えられ、バッカスはその果実の頂きに冠をのせたことになっている。バッカスがディオニューソスの別名であることは前に言った。また、別の説では、柘榴はディオニューソスが流した血から生まれたと言う。
 ユングも参考図版として採用している、イタリアのモデナ博物館所蔵の、オルフェウス教の祭儀用の像「卵のなかのパネース」(図17)は、その名の通り、卵のなかから生まれ出ようとしている。
 エウリピデスは、ディオニューソスの所業として、「鳥の卦を見て占ったり、臓物を調べたりする」と、『バッカスの信女』の中でペンテウスに言わせている。これはディオニューソスのことを言っているのであって、エトルリアの祭儀についての言葉ではない。しかしエトルリアの墳墓遺跡に満ちているのが、そのような所業の証拠なのである。
 勿論、ギリシア世界とエトルリアとを直結することは、エトルリア文明に対する歴史的偏見を受け継ぐものでしかない。とは言え、そこではオルフェウス教の影響のもと、卵が再生復活のシンボルとして奉奠され、祈願のために葬祭用食品として食べられていたのである。
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     (図14)          (図16)
     (図15)          (図17)


 【世界の堕落】
 卵の図像を探って行くと、新鮮な卵というCM風な常套句は、必ずしも当てはまらないことに気づく。世界の堕落をアピールするために、いわば「負」のイメージを盛り込んだ卵も多い。
 ボッシュの作品に登場する卵がそれだ(図18)。
 卵の中で演奏するのは、偽善家、軽薄な改革論者、権柄ずくの神学者、不当な異端審問官。‥‥この世は腐りきっていると言うわけだ。
 ボッシュは「自由な精神の教団」であるアダム派に属していたと伝えられる。確実な証拠はないようだが、彼の絵はその教えの絵解きなのかもしれない。

 20世紀のエッシャーは、卵を混乱のイメージとして扱う(図19)。
 中央の幾何学的形態は秩序を、散乱する物体が無秩序を示している。彼の心の中には、神話的な卵形のイメージは全くないことが分る。彼の卵は割れて、空っぽの殻だけが、何も生み出さない塵芥として、世界の中に存在しているのだ。

 「教会の卵」(The Egg of the Church)と題されたアンドレ・ブルトンのフォト・モンタージュは、画面のどこにも卵の形象が見えない(図20)。
 中央奥に司祭帽をかぶった顔、その前に女がひとり、挑発的な姿態を誇示して、あたかも捧げ物のごとく、半ばよこたわっている。女がよりかかっているのは司祭の儀杖である。
 この題名の由来は何であろう。
 「純潔な魂を持った処女は、キリストの婚約者となることができる」と言ったのは、4世紀の聖メトディクスだが、この言葉を支えているのは、女性は色欲の誘惑によって悪徳を具現し、信仰否認の手先として悪魔に近い存在である、という信念だ。公会議では女性を「サソリの毒」「悪意ある性」等々と呼ばわり、残虐な拷問を科した。つまり教会にとって女性は「魔女の卵」だったのだ。
 ブルトンは、副題にLE SERPENT(蛇)と書き入れている。蛇はエデンの園の誘惑者であるが、この仏語(英語も同じスペリング)は、悪魔と同義でもある。彼はこの作品で、エロティシズムとは、禁止と侵犯との親密な関係により保証されていることを示しているのである。
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     (図18)
     (図19)          (図20)


 【錬金術・子宮・家】
 中世から16世紀にかけて、ヨーロッパの芸術は文学であれ美術であれ、錬金術思想の影響を抜きにして語ることはできない。錬金術の哲学では、宇宙はそれ自身のうちに男性的なものと女性的なものが和合しているとし、両性具有(ヘルマフロディトウス)を究極の理想像とした。この観念は、より一般的な象徴として、またそれだけに隠秘的な象徴として、卵のイメージに結晶するのである(図21)。
 「錬金術においては卵は、錬金術師が感得した渾沌(カオス)、その中に鎖で縛られて宇宙の魂が閉じ込められている『第一資料(プリマ・マテリア)』である。卵はまるい形をした調理鍋によって象徴されたが、この卵の中から鷲ないし不死鳥(フェニックス)が立ち現れる。この鷲ないし不死鳥(フェニックス)は、いまや解き放たれた魂であって、結局のよころこれはまたもや、かつて自然の中に閉じ込められていたところの、あのアントロポスと一致するのである」と、『心理学と錬金術』の中でユングは言っている。
 図版は「哲学者の卵」と称するレトルトの中で、「化学の結婚」により生まれた、水銀の象徴である人造小人が成育すていることを表わしている(図22)。
 ユングは、「容器(レトルトないし溶解炉;山田註)は一種のマトリックスないしウテルスであって(ともに「子宮」の意)で、そこから「哲学の息子」、すなわち奇蹟の石(ラビス)が生まれる。それゆえ容器は、ただ球形をしているというだけでなく卵形をしていなくてはならないとも言われる」と説明している。

 この卵のレトルトは、ほとんどそっくりのイメージで、1920年代のSFイラストレーションに登場する(図23)。
 この作品において錬金術思想との差異を求めるなら、機械信仰の愉悦と不安が、画家の胸をよぎっていることだ。錬金術に見れれる宇宙的自己完結に向って上昇する意志は、もはや20世紀の思想にはないのかもしれない。
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     (図21)          (図22)
     (図23)

 ヘルマフロディトウス的な自己完結への意志は、世界認識のアンテナをほんの少しずらすだけで、たちまちナルシシズムに移行する。近代美術、まかんずく20世紀美術の作者の自己告白的な潮流のなかで、それは一層容易であった。卵はナルシシズムの容器になる。
 ダリの卵。
 1938年、彼は前年に完成した「ナルシスの変貌」(図24)を携えて、フロイトを訪問した。彼は博士に、この作品は「死と化石化」を描いた、と解説したらしい。
 また、プラスチックの卵のなかに裸でもぐりこんで、胎児のような姿体をして撮影した写真もある(図25)。ダりのような胎内回帰願望を日常生活のレヴェルで実現しようとすれば、卵を住居にするしかないだろう。事実、ダリはフィゲラスの住居を巨大な卵で飾りたて、卵形の部屋を愛好していたらしい。
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     (図24)          (図25)

 建築家A.ブリイェールは1978年、『卵』という本を出版し、卵形摩天楼の計画を提示した(図26)。しかし、実現はしていない。
 この最も安らかで幸福なはずの卵の家が、なぜ建築史上に、いや歴史以前の伝説にすら、登場しなかったのだろう。卵形のイメージの多様さからすると不思議な気がする。純粋に技術的な問題が、イメージを素早く差し止めたのだろうか。一方で、球体建築のプランは、幻想図としても多く残っているし、ダイマキシオン理論のバックミンスター・フラーは1967年に、直径1.5マイルより大きい「浮かぶ測地線球体」を発表してさえいるのである。
 ミルチァ・エリアーデは、聖都(世界の中心)のシンボリズム、都市の基底を支配する占土説、都市建設に伴う儀式を正当化する観念に、二つの重要な命題がsるとして、次ぎのように言う。
 「1、いずれの建造も、すぐれた宇宙開闢のわざ、世界創造を反復すること。
  2、したがって建立されたものは何ものでも、その基礎を世界の中心に持つ(われわれも知る如く、天地創造はそれ自体中心から起ったゆえに)。」(『永遠回帰の神話』)
 それにもかかわらず、卵のイメージは、神話的原型を保った聖所としても、子宮的な安息の場所としても、地上の建築物として立ち現れることはなかったようだ。卵の家の不在は、まさに不思議としか言いようがない。
 世界のあらゆる文明は、なぜか建築に官能性を与えることを拒んだ。わらわれの住居は、床も壁も、子宮のように柔軟に肉体を包み込みはしない。
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     (図26)

 私は最後に、バーナード・ルドルフスキーが紹介している、ケルン近郊リーデンタールの新石器時代人の家を、もっとも卵の家らしい住居として挙げておこう。いや、卵の形をしているというのではない。官能的で、まるで子宮の内側はかくもあろうかという住居である。世界各地の何処にも類例がない、全く驚くべき住居である。
 それはどんな基準からしても型破りな「曲線状の複雑な構造体」であり、決して偶発的ではない不規則な平面をもち、波打つようにうねる壁、その内部一面に散在する貝殻型の窪みは、自由奔放な形態の歓びが表現されている。
 「この窪みは、そこにぐったりともたれかかり、土の中へ、それも高度に洗練された形状をもつ土の中へ、言わば忍びこむように入れと、人々を招く」のであったらしい。
 これこそ、子宮を夢想させる、見えない卵形をした家と言えるのであるまいか。



 (『AZ』1993年春号、新人物往来社刊初出。初出時のタイトル「癒しの卵」を改題。参考図版を増やした。)

禁無断転載。著作権は山田維史に属します。




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