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昨年の11月、小庭の柿の木がすっかり落葉したところで強剪定をした。二階の廂の高さを有に超えるほどになったので、主幹を1.5メートルばかりばっさり切詰めた。他の伸び過ぎた枝も伐った。それでだいぶさっぱりしたのだが、はたして今年は実がつくのかどうか、じつのところ私はこころもとなかった。 春に小さな花がたくさん咲いた。しかし咲いたさきから散り、毎日その掃除にうんざりした。これは例年のことで、花は受粉して子房をつくってから落花するのか、そのへんのことは私は解らないでいる。 落花がすみ、今日この頃、枝を見ると手の爪ほどの大きさの実がなっている。が、折角生った青い実が、花が落ちたほどの数ではないのだが、やはり毎日のように幾つか落ちるのだ。26日の午後から27日の午前中いっぱいまで激しく降った雨があがると、落ちた実の数は相当数になった。 実がごく小さいうちに落ちてしまうのは、何か原因があるのだろうか(*後註)。・・・尤も、私が無精なので、世話もしないで放ったらかしだ。秋に柿が色づいたときだけ、その朱色をめでる、勝手さ。そんな私のいいかげんさを、柿の木はちゃんとお見通しなのかもしれない。 強剪定後の木は、じつは一層エネルギーの噴出がはげしくなる。死んでなるものかと、生命力が充実するのであろう。小庭の柿の木も、切詰めた幹や枝の脇からあたらしい枝をたくさん出し、いまや鬱蒼としているのである。そっちに栄養がまわすために、実が落ちてしまうのかもしれない。自然界の摂理であろう。 ・・・人間の身勝手ではあるが、そろそろ夏の弱い剪定をしなければなるまい。小粒ながら甘い柿の実を秋に収穫するために。(庭に落ちた小さな柿の実)【*後註】 柿の実の生育途中での落果は、柿栽培専門家によると、三つの原因があるそうだ。 第一は「生理落果」。実の付き過ぎのため、6月頃までに柿みずからが実を落としてエネルギーをセイヴする。いわば自然落果で、落ちるままにしてよい。 第二は、窒素肥料過多。 そして第三は、虫害で、カメムシと蛾の幼虫ヘタムシによる。カメムシの場合は吸汁行為であるが、じつは果汁を吸っているのではなく中の種(たね)を吸っている。したがって他所に樫などがある場合は、その種に取り付いているので、柿の被害は少ないか、もしくは樫等の後続として被害が発生する場合があり、早い時期の薬剤散布で被害をくいとめることができる。 我家の場合は第一の原因であることがわかった。私にとってはたいへん興味深い原因である。
May 31, 2022
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堀田善衛氏の長編小説『ラ・ロシュフーコー公爵伝説』は、第6世ラ・ロシュフーコー自身の一人称で由緒ある公爵家(実在した)をめぐりながら、700年間のフランスの歴史が物語られる。 私が今日ここに書き留めておこうと思うのは、この小説の次ぎの一節を思い出したからだ。それは第6世ラ・ロシュフーコーが自らの家系そもそもの初めを語る、フランスのみならずヨーロッパ全体の10世紀前後の状況だ。堀田氏には申しわけないが、私がその一節に、何を重ね合わせて、いまここに書き留めるかは、私のこのブログ日記を読んでくださるかたには、即座におわかりになろう。 《十世紀の世紀末のフランスは、実に容易ならぬ暗雲につつまれていたのだ。黒死病(ペスト)が方々で猖獗(しょうけつ)をきわめ、悪しき支配者は村を焼き、村人を殺して自領を拡げるのが常套手段であり。旱魃(かんばつ)、飢饉もが交互に繰り返して人々に襲いかかり、黒死病以外の疫病もまた絶えることがなかったのだ。(略)言うまでもなく情報伝達の手段はほとんど皆無であったから、すべて暗澹たる噂、流言として、村から村へと拡がって行ったものであった。》(1998年、集英社刊、p.7)
May 30, 2022
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東京は気温30℃の真夏日。そして市内一斉清掃の日。午前9時からほぼ1時間、午前10時までには我が自治担当地区の清掃はすべて終了した。新型コロナウィルス感染予防のため、各自マスクをして。 隣近所同士の住人が、互いに「しばらくでした」と挨拶を交わす光景は、パンデミックのピークは過ぎたと言われるが、住人がいかに逼塞していたかを物語っているだろう。 新型コロナウィルス・ワクチンの4回目接種に関する公報が出た。公報には「ワクチン接種は強制ではない」と記載されている。私は、もちろん、接種する。これまで3回接種して、その後の私の体調にさしたる異常は発生しなかった。接種を注意しなければならない基礎疾患が無いからでもあろうが。 私は、秋口まで作品制作をつづけなければならない。体調管理に油断はできない。 Tokyo is a midsummer day with a temperature of 30degrees Celsius. and the day of simultaneous cleaningin the city. Almost an hour from 9 am, and by 10 am,all the cleaning of our autonomous district was com-pleted. Wear a mask to prevent infection with the newcoronavirus. It is said that the peak of the pandemic has passed,but the sight of the residents of the neighboring greet-ings with each other saying "it's been a while" probablyshows how the residents were blocked by self. A publication regarding the fourth inoculation of COVID-19 vaccine was issued. The gazette states that"vaccination is not compulsory." I will, of course, inoc-ulate. I have been inoculated three times so far, andI haven't had any abnormalities in my physical condi-tion since then. Perhaps because there are noderly-ing illnesses for which vaccination should be takencare of. I have to continue producing works until the begin-ning of autumn. I cannot be alert to physical condi-tion management.Tadami Yamada
May 29, 2022
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画廊から秋の国際展のための契約書等の諸書類が届いた。テーマについて私は二通りの考えがある。まだどちらにするか決めかねている。しかし、どちらをシリーズにしようとも、この夏は私にとって暑い夏になりそうだ。 Documents such as contracts for the autumn inter-national exhobition arrived from the gallery. I have twoideas about the theme. I haven't decided which one touse yet. But no mater which one in the series, thissummer is going to be a hot summer for me.Tadami Yamada
May 28, 2022
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昨夜来の豪雨。滝のようにという形容はありきたりだが、庭の紫陽花を倒す勢いだ。午後から民生委員としての担当地区集会がある。これは弱ったなと思いながら、出掛ける準備。玄関ドアを開けるまさに寸前に,雨はやんだ。(日頃のおこないが良いからなー!)それでも、念のために傘を携えた。・・・しかし、どんどん天候は回復し、気温は上昇し、・・・こんなときに持っている傘ほど厄介物はない。 さて、午後3時に集会が果て、私は厄介物の傘を杖にし、本屋に立ち寄った。各種の分野の棚をつぎつぎ見てゆき、これもこれもと、3冊購入。 近年、近眼だか老眼だかもはや我が目の状態の名称などいちいち詮索しないが、とにかく以前より一層見えなくなっている。そんなわけだから、読書のペースが格段に遅くなっている。眼鏡をはずし、本に顔を近づけて裸眼で読んでいるしまつだ。(私は読書する故湯浅泰雄博士の姿を思い出す。) あせって読むことはないのだが、しかしながらこころのどこかに、あれも読まなければならない、これも読んでおかなければ、という気持がある。死ぬ前に、一本の綱に撚り合わせて納得しておきたいことがある。いや、納得の着地点をみつけたい気持だ。つまり「死」という肉の消滅の前に、私の精神を私の肉で確信したいということである。・・・たぶん、私は、そういう気持なのだろう。たぶん。・・・ Heavy rain since last night. It's usually described as awaterfall, but it's the momentum to defeat the hydran-gea in the garden. From the afternoon, there will be adistrict meeting in charge as a civil welfare officer. Preparing to go out, thinkin to be annoyed. Just beforeopening the front door, the rain stopped. (Because mydaily activities are good! Hahaha.) Still, I brought anumbrella just in case. ... But the weather is recovering,the temerature is rising, and ... there is nothing moretroublesome than the umbrella I have at such times. Well, at 3:00 pm, the meeting was over, and I useda nasty umbrella as a cane and stopped by the book-store. I went through the shelves in various fieldsone after another, and purchased 3 books. In recent years, although I no longer snoop on thename of my eye condition, whether it is myopia orpresbyopia, but anyway, it is even less visible thanbefore. That's why the pace of reading is much slower.It hard to manage that because I am reading with the naked eye, taking off my glasses and bringing myface close to the book. (I remember the form of the late Dr.Yasuo Yuasa reading.) I don't read it ina hurry, but somewhere in myheart, I have to read that too, and I have the feeling that I have to read this too. Before I die, I want toconvince myself by twisting it into a single rope.No, I want to find a convincing landing point. Inother words, before the disappearance of the flesh,"death," I want to be convinced of my spirit with myflesh. ... Maybe I feel that way. perhaps. ...Tadami Yamada
May 27, 2022
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2日前の24日、古典文学上の驚きのニュースが各メディアで一斉に報じられた。京都市の福田美術館が、およそ半世紀のあいだ所在不明だった、松尾芭蕉の挿画入り自筆稿『野ざらし紀行』巻子を、大坂の美術商から購入したという。鑑定した関西大学の藤田真一名誉教授(国文学)は、筆跡の特徴から松尾芭蕉の自筆稿にまちがいないとのべた。この挿画入り自筆稿『野ざらし紀行』巻子は、所在不明になる以前の写真が残ってい、新発見というわけではない。しかし行方がわからなくなってから半世紀、無傷ででてきたことは、やはり驚嘆にあたいしよう。 このたびの報道写真(および映像)を見て、・・・遠目ながら私は芭蕉の絵をはじめて見たのだが・・・「上手い」なー、と感じた。 私は俳聖といわれる芭蕉の俳句よりも、芭蕉の後塵を拝す与謝蕪村の句が好きで、蕪村は画家でも名を成した人物だ。私は蕪村の句に画家の感性を感じながら読んでいた。いまこの日記を書いているコンピューターの前に、『蕪村俳句集』がある。別の部屋には全句集もある。 もちろん芭蕉の全句集も芭蕉七部集も所持はしている。しかし、それら芭蕉著作の所蔵本に絵は載っていない。私はいまになって、「芭蕉も絵を描いたのかぁ」と、私の不明にあきれたのだ。そして、つくづく江戸時代の俳人文人のすべからく教養人たることに驚く。 再発見の芭蕉自筆稿『野ざらし紀行』巻子は、10月から福田美術館で公開されるという。 Two days ago, on the 24th, surprising news in classi-cal literture was reported all at once in each media. It issaid that the Fukuda Art Museum in Kyoto City pur-chased a self-written manuscript "Nozarashi Kikou" withiluustrations by Matsuo Basho, which whereabouts wereunknown for about half a century, from an art dealer inOsaka. Professor Emeritus Shinichi Fujita (Japanese literature)of Kansai University, who made the appraisal, said thatit must be Matsuo Basho's autograph because of thecharacteristics of his handwriting. This self-written manuscript with illustrations, "Nozarashi Kikou" scroll,is not a new discovery, as there are still photographsbefore the whereabouts became unknown. But it's amazing how unscathed it has been for half a centurysince it went missing. Looking at the news photo (and video) this time, I sawBasho's picture for the first time from a distance, but Ifelt that it was "good". I like the haiku of Yosa Buson, who worshiped the dust behind Basho, rather than the haiku of Basho,who is said to be Haisei, and Buson is well-known painter. I was reading Buson's haiku while feelingthe painter's sensibility. In front of the computer thatis writing this diary, there is "Buson Haiku Collection".There is also his complete haiku collection book inanother room. Of course, I have both Basho's completehaiku collection and Basho's seven-volumes collection.However, there are no pictures in those Basho's booksthat I own. I was now amazed at my uncertaities, "DidBasho also draw pictures?" And I am surprised that allthe poets and writers of the Edo period are educated. The rediscovery Basho's autograph "Nozarashi Kikou"scroll will be released at the Fukuda Art Museum fromOctober.Tadami Yamada
May 26, 2022
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在外邦人が国民審査の投票ができない現行の「国民審査法」は、憲法第79条に違反するとした、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)の判決が、本日5月25日にあった。裁判官全員の一致した意見だった。 最高裁裁判官国民審査権は日本国民が憲法で保証された重要な権利である。しかしながら現行法は「国民審査の在外投票不可」を設けて来た。長らく問題視されていたその条項を、立法府(国会)は糾そうとはしないできた。それに対し、きょうの最高裁判決は、「立法不作為」と断じ、賠償を命じた。 法令が憲法に違反していると判決が下された例は、大東亜戦争終結後11件あった(*)。そのうち、立法不作為による賠償を命じたのは2件あった。したがってこのたびの、在外邦人国民審査を制限した「国民審査法」に対する違憲判決は、まさに画期的判決である。さらに判決は、この審査権は過去にもどって回復できないものなので、現行法は早急に改正されなければならない、とした。 なぜこのように強く命じたかというと、じつはこれまで立法不作為の理由として、広く海外に在住する有権者に投票用紙を過たず送達するのが困難だという意見があったからだ。このような愚劣ともいえる考えを、判決は、いくらでも工夫できるだろう,頭を使えよ、と封じたというわけである。 いまや、世界中あらゆるところに日本人が在住し、それぞれの立場、それぞれのやりかたで「活躍」している。日本人は昔のような「井の中の蛙」ではないのである。その人たちから,日本国民としての重大な権限を奪ってはならない。【*後註】 戦後立法の違憲法令の11件を、多いとみるか比較的少ないとみるか、意見がわかれるかもしれない。私は、多い、と考える。というよりも、立法府(国会)が、憲法を熟知していない、あるいは憲法違反を承知しながら法令を制作している疑いがある、と思うのだ。そのような国会議員が国政を担っているのだという、恐ろしさを感じる。「呆れる」という感情をこえて、「恐ろしさ」である。
May 25, 2022
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山田維史『ウクライナは故国を守る 永遠に』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.63)
May 24, 2022
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YouTube でオペラ「蝶々夫人」を観た。これはスペインのヴァレンシアで昨年12月19日に上演された舞台のポストプロダクションヴァージョンである。このプロダクション(作品)は6カ国語の字幕がつけられてインターネットで来る6月19日まで観ることができる。 Madama Butterfly of Valencia's iconic Palau de les Arts エミリオ・ロペス演出の「蝶々夫人」の大きな特徴は第2幕にある。第1幕でアメリカ海軍将校ピンカートンと結ばれた蝶々夫人であった。ピンカートンがアメリカに去ったのち、その帰りをまちわびる第2幕が、長崎に原爆が投下されて始まるのである。舞台に原爆投下の実映像が映し出される。舞台は廃墟と化す。 私はこのステージングにおどろいた。しかしまた、これこそ作曲者プッチーニの意図をただしく実現したものだと、すぐに納得した。 プッチーニはオペラ「蝶々夫人」で異国情緒を描いたのではない。彼は、当時世界に波及しつつあった帝国植民地主義に抗議していたのである。 私はこれまで「蝶々夫人」のいくつかの異なる作品を映像によって観て来た。日本人歌手が蝶々夫人を演じたステージも観た。 なにより私が忘れられないのは八千草薫さんが主演した映画、カルミネ・ガローネ監督の「蝶々夫人」(1954年、日伊合作東宝映画)である。私は初公開年より1年遅れで、1955年に観た。10歳だった。可憐な八千草薫さんにうっとりし,終映後に映写室に行き、上映途中で切れたフィルムの紫がかった切れ端をもらった。・・・そんな思い出がある映画「蝶々夫人」であるが、それさへもロマンチックな悲恋だった。もちろん10歳の私が植民地主義に思いをいたすことはできなかったのだが、しかし「国際結婚」の悲恋というこただけは理解したのだった。(ついでながら、私はその後すぐに今井正監督の映画「キクとイサム」(1959)において、「蝶々夫人」と同一線上にあるテーマを認識した。) 現在、ロシアによる身勝手で野蛮きわまりないウクライナ侵略(ロシアは法によって、侵略戦争という言葉を禁じている)の、まさに最中である。スペインの音楽家諸氏がそのロシア侵攻を予言するかのように、しかもCOVID-19のパンデミックの最中にオーケストラや合唱団はマスクをつけて、オペラ「蝶々夫人」を上演した意識の鋭さに、私は感じ入った。しかも自国内の上演に終わらせず、6ヵ国語の字幕を付けて無料配信しているのである。 I wahed the opera "madame Butterfly" on YouTube.This is a post-production version of the stage per-formed on December 19th last year in valencia, Spain. This production will be available on the inter-net until Jun 19th with subtitles in 6 languages. The major feature of "Madame Butterfly" directedby Emilio Lopez is in Act 2. She was Madame Butter-fly, who was marriaged to US Navy officer Pinkertonin Acr 1. After Pinkerton left for the United Syates,the second act, in which she and her born child,wandered around his return, began with the atomicbomb dropped on Nagasaki. The actual image of theatomic bombing is projected on the stage. The stageturns into a ruin. I was surprised at this staging. But again, i wasimmediately convinced that this was exactly what thecomposer Puccini intended. Puccini did not portray exoticism in the opera"Madame Butterfly". He was protesting the imperialcolonialism that was spreding to the world at thattime. I have seen several different works of "MadameButterfly" by video. I also watched the stage wherea Japanese singer played Madam Butterfly. Above all, I will never forget the movie "MadameButterfly" (1954, Toho movie by Japan-Italy) directedby armine Gallone, starring Kaoru Yachigusa. I sawit in 1955, one year later than the year it was firstreleased. I was 10 years old. Enchanted by pretty Kaoru Yachigusa, I went to the projection room afterthe screening and received a purple-tinted piece offilm that was cut during the screening. The movie "Madame Butterfly" has such memories, but it wasalso a romantic tragic love. Of course, at the age of10, I couldn't think of colonialism, but I understoodthe tragic love of "international marriage." (By theway, I immediately revognized the theme that wason the same line as "Madame Butterfly" in themovie "Kiku to Isamu" (1959) directed by TadashiImai.) Currently, Russia is in the midst of a selfish andbarbariv invasion to Ukraine. (Russia prohibits the word war of aggression by law.) As if Spanish musicians predicted the invasion of Russia, andduring the COVID-19 pandemic, orchestras and choirs wore masks, I was impressed by the sharp-ness of the consciousness of performing the opera "Madame Butterfly". Moreover, it does notend with the performance in its own country, butit is distributed free of charge with subtitles in 6languages.Tadami Yamada
May 23, 2022
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弟がめずらしい植物をもらったと言ってもってきた。「むさしあぶみ (Arisaema ringens Schott)」である。『牧野新日本植物圖鑑』によれば、関西から西の海に近い地方の林のなかにはえる「さといも科」の多年生草本。「しょうぶ」や「みずばしょう」「さといも」「こんにゃく」のなかま。私は初めて見る。 なかなか特異な植物学的な形状をしている。 扁形球茎に1〜2個の子芋を伴っている。そこに淡緑色の短く太い偽茎が1本直立し、上部に対生しているかのように接近した2葉が出ている。その葉柄は斜に伸び、葉面はクローバーのように3小葉にわかれ、幅広卵状楕円形で、先端は急にとがって尾のようなっている。葉の長さは15cmほどもあり、大きいものだと30cmにもなるようだ。鮮やかな緑色をして光沢があり、質はやわらかい。しかし葉裏は淡い白色で霜を置いたようである。 弟がもらってきたものは未だながら,5月頃には2葉の間に短い柄を直立させて、1肉穂花序を出す。仏焔包葉は袋状になって前方に突出して彎曲し、あたかも兜か鐙(あぶみ)のようである。外面は緑白の筋が交互し、内面は黒と紫が互いに縦縞をつくっている。 日本名は、「武蔵鐙」の意味で、仏焔包葉の形がむかし武蔵国で製産したアブミにたとえたもの。(以上、『牧野新日本植物圖鑑』を参照) さて、この我家に到来した「むさしあぶみ」を、うまく育てられるだろうか。なんだか責任を感じちゃうなー。
May 22, 2022
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私は昨日、現在の帝国ホテルのエントランス、およびエントランスホールの醜悪さを嘆いた。昔は、ロビーで人と待ち合わせていると、その到着を、コンシェルジュが英国風に鈴の付いた長い杖で軽く床を叩きながら、ロビーを廻って知らせてくれたものだ。私は面識のない人と待ち合わせるときは,しばしば帝国ホテルを利用した。 三島由紀夫が、小説にホテルを書かなければならいときに、日本のホテルについてはその名称を書かない、と言っていた。いずれのホテルも名称で世界的にイメージを喚起できる伝統的格式がないからだ、という意味である。無個性だということだろう。 たしかにそのとおりかもしれない。たとえば、ロンドンのサヴォイ、パリのリッツ、ニューヨークのプラザと書けば、即座にイメージが浮かび、そのたたずまいや、ホテルマンの洗練されたサーヴィスや、客層も推測できる。そこにホテルの歴史にはぐくまれた格式がある。 三島由紀夫が言っていたことは、まったくただしい。ホテルを見れば、その国の文化の深浅がある程度わかると言っても過言ではないかもしれない。 ホテルとその国の文化との関係性については、先日の電話で、画廊のMさんが、某国のホテル内の美術品がすばらしいと言っていた。 そんなわけで,私は、帝国ホテルよ、その手で安っぽくしてしまい、残念なことでござんした、と言うのである。 そうそう、ニューヨークのクーパー・ヒューイット美術館のコレクションのなかに、フランク・ロイド・ライトが初代帝国ホテルのためにデザインしたテーブルウェアや家具があった。他国の美術館が大切に保存していましたよ。 ついでながら、私が読書しながら使用している栞は、フランク・ロイド・ライトのデザイン。K夫妻からの贈り物である。 I lamented the ugliness of the entrance and entrancehall of the current Imperial Hotel, Tokyo, yesterday. Inthe olden days, when I was meeting people in the lobby,the concielerge would inform me of rheir arrival by tap-ping the floor with a long cane with a bell in an Englishstyle. When I met strangers, I often used the ImperialHotel. Yukio Mishima said that when he had to write a hotel in a novel, he wouldn't write the name of a Japanes hotel. This means that none of the hotels has a tradi-tional style that can evoke a global image by its name. It's non-individuality. It may be true. For example, if you write Savoy inLondon, Ritz in Paris, and Plaza in New York, you canimmediately imagine the image, its appearance, thesophisticated service of the hotel man/woman, andthe customer base. There is a formal style in thehistory of the hotel. What Yukio Mishima was saying is quite correct.It may be no exaggeration to say that if you look ata hotel, you can understand the depth of the cultureof the country to some extent. It was. Regarding the relationship between the hotel andthe culture of the country, Ms., M of the gallery saidon the phone the other day that the works of art inthe hotel in a certain country are wounderful. That's why I say Imperial Hotel, you made yourselfcheap with your hand, and unfortunately I'm sorry. Oh yeah, in the collection of the Cooper HewittMuseum in New York, there was tableware and furniture designed by Frank Lloyd Wright for thefirst Imperial Hotel. It was carefully preserved bythe museum in other country, not in Japan. Incidentally, the bookmark I use while readingis designed by F. L. Wright. It is a gift from Mr. andMrs. K.Tadami Yamada
May 21, 2022
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私はこの日記の5月1日に、「緑の日に」と題して、現在東京都内で「再開発」の名のもとに進行している計画について、特に都民に歴史的に親しまれてきた樹木の大伐採に注目して書いた。「バカなことだ」と私は言った。 神宮外苑の1000本の銀杏並木を含む一帯の再開発は、スポーツ施設と高層ビルディングを新設し、また、北側をショッピングモール化するものだ。事業者は三井不動産、明治神宮、日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事の4者。 明治神宮が事業者になっているのが、なんともいじましく私は感じる。近年特に、神社本庁のふるまいがひどく怪しげだが、大東亜戦争時代の夢よもう一度、の魂胆は透け透けで、神もへったくれもなさそうだ。明治神宮も、金儲けになりそうなら神域も何もないのであろうか。どこかの宗教の伝えに、神殿の前で商売することに怒り、露店を破壊したとある。生活者の日常を一顧だにしないで店舗を破壊してしまったのだ。それもどうかと、私は疑問に思う。しかし、今、神職がみずから神域を汚す計画に手を染めるとは。明治から150年経てば、本当の信仰心など化けの皮なのだろうか。私自身は神信心などないが、神域とされる場を汚そうとは思いもしないので、神宮外苑「開発」に明治神宮が事業者であることに、まあ、いやはや、という感じはする。神宮外苑の神域をとりまく歴史的景観と自然を守ろうと声をあげている都民は、足許を掬われる思いだろう。 さて、その再開発構想のイメージ(レンダリング)が公開されている。このようなレンダリングを事業者が公表するのは、初めてのことだ(朝日新聞5月20日朝刊による)。どうやら、銀杏並木伐採の話が漏洩し、反対運動が起り、各種報道媒体もとりあげはじめたことに対するイクスキューズ(弁解)のようだ。 三井不動産三井不動産神宮外苑地区におけるまちづくりについて このプロジェクト・サイトには3点のイメージ画が掲載されている。ただし、すべてのイメージ画ではないことに私は注意する。上に述べた「ショッピングモール」計画図が、掲載されていないのだ。そのイメージ画は存在するのである。しかし、このサイトでは公表していない。 なぜだろう? ・・・私は疑問を提出しておくだけにする。 ところで、私はこれらのイメージ画を見ながら、つまらない構想だなー、と慨嘆した。思い合わせたのは日比谷公園の再開発の結果である。あの、こせこせと詰め込んだ貧乏臭い公園に変わってしまったことを、私はあきれているのだ。昔のゆったりした空間は、どこへ行った! あの、周囲のビルの谷間にひろがっていた、何もないようでいて、しかし晴れ晴れとするような空間をなぜ破壊してしまったのだ! できあがったのは、何度も言うが、物欲しげな貧乏臭い愚劣な「公園らしさ」。 現代日本の公園設計者は、広く世界に見聞を求めて勉強しないのかね。 私は庭園が宇宙模型としてや、時代の理想像の雛形と見ているので、庭園史にはすくなからず関心をもってきた。イギリス庭園、フランス庭園、イタリア庭園、中国庭園、そしてもちろん我が日本の名園の数々。王侯貴族の庭園のみならず、教会附属庭園も。・・・私の青春時代の町、会津若松市には藩主松平家別荘の庭園「御薬園」が現存する。あるいは、ニューヨークで私が好きな中世美術館、ザ・クロイスターズの小さなハーブガーデン。この美術館の庭園の植物は、ヨーロッパ中世の教会等にあった植物をあつめ、中世教会を再現した徹底ぶりだ。そして日本は、西芳寺、鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣、桂離宮、大仙院、龍安寺、一乗谷朝倉氏遺跡庭園、兼六園、三渓園などなど数多の名園がある。 イギリスはウォーウィックシャーのアップトンハウスの庭園は、自然のままのように見えるが、すべての植物の配置がみごとに計算しつくされている。 ニューヨークのセントラルパークは大都会のど真ん中に構想され,実現され、周囲がどんどん変わって行くなかで、変わらぬ姿を大事に維持しようと努力している。そう、あの広大なニューヨークのオアシスは、努力して維持しているのである。 同じくニューヨークのグラマシーパークを見ておこう。この公園は鍵がかかったプライベート公園である。周辺の住民の鍵をもっている人だけが利用できる。植物が豊かに美しく整えられているので、利用権を持った住民がどのような話し合いをしながら、一種の歴史的景観としてこの公園を維持しているのか、私は関心をもって眺めたのである。 また、たしか今年が施設30周年のブライアントパークは、5番街と6番街(アヴェニュー・オブ・アメリカズ)との間、ストリート40と42との間にある。ニュヨーク公共図書館が管理する緑豊かな公園だ。植物群に溶け込むように緑色に塗られた柱に透明ガラス壁の小さなブースも点在する。軽食店であったり花屋さん。クリスマスシーズンにはツリー用のデコレーションを売るブースになり、アイス・スケートリンクがつくられる。しかし、私がみごとだと関心するのは、まったくこせこせしていない空間構成なのだ。あくまでも木々の緑が大切にされている。ブライアントパークが、”lush park in middle of Manhattan (マンハッタンのまんなかの青々とした公園)"と云われるのは、由無くはないのである。 都市計画というのは、概ね経済効率の問題が基礎になっている。しかしながら、神宮外苑をふくめて公園という施設は、本質的にはそのような経済活動から離れて、経済活動の息抜きの場として考えなければならないのではあるまいか。 私は昔の物事を懐かしんでいるわけではない。「昭和が懐かしい」などと言う風潮があるようだが、私にはそんな感情はまったくない。私が上述した樹木伐採や再開発の名のもとに提案されているイメージが、「愚劣」だと言っているのだ。懐旧の念ではまったくない。 ついでだから感想を述べるが、日比谷公園の向いの帝国ホテルの建替えられた建築は最低だ。それこそ「貧乏臭い」。何だい、あのエントランスの安っぽさ。エントランスホールの醜悪さは。この点に関しては、昔の帝国ホテルのほうがずっと格式があった。 だめだねー、なにもかにもが安っぽくなって。日本の文化が幼稚になっているのだろうな。 On may 1st of this diary, entitled "Green Day", I wroteabout the plans currently underway in Tokyo under thename of "redevelopment." I paid particular attention tothe large logging of trees that has historically beenfamiliar to the citizens of Tokyo. "It's stupid," I said. The redevelopment of the area including 1,000ginkgo trees in Jingu Gaien will be a new constructionof sports facilities and high-rise buildings, and ashopping mall on the north side. There are four businesses: Mitsui Fudosan, Meiji jingu, Japan SportsPromotion Center (JSC), and ITOCHU orporation. Meiji Jingu is a business operator. I feel Jingu'snastyness about it. specially in recent years, the behavior of theAssociation of Shinto Shrines is terribly suspicious.The dream of the Greater East Asia War era, thespirit of coming again can be seen through. Thereseems to be no god or humiliation. I wonder if MeijiJingu has no sanctuary if it seems to make money.According to some religion, he was angry at doingbusiness in front of the temple and destroyed thestall. I'm wonering about the destruction thatdidn't care about the people's dayly lives, but whatis it that the priesthood now has a plan to pollutethe sanctuary itself? 150 years after the Meiji era,is it a gohst skin of true faith? I don't have anydevotion, but I don't rhink I'm going to pollute theplace that is considered to be a sanctuary, so I feelthat Meiji Jingu is a business operation in JinguGaien's "development". ... The citizens of Tokyo, who are calling out toprotect the historical landscape and naturesurrounding the shrine area of Jingu Gaien, will bescolded by their feet. By the way, the image 'rendering) of the redevel-opment concept has been released. This is thefirst time that a business operator has publishedsuch a rendering (by the Asahi Shimbun; May 20thmorning edition(. Apparently, the story of logginga row of ginkgo trees was leaked, and variousmedia outlets began to take up the issue, so thebusiness operator has published as an excuse. This project site has 3 images posted. However,I note that not all images. The "Shopping mall" plan mentioned above is not posted. The image picture exists. However, it is not announced on this site. Why? ... I just submit a question. By the way, while looking at these images, Imourned that it was a boring idea. I came up with the result of the redevelopment of Hibiya Park. I'm amazed at the fact that it has turned into a poor-smelling park packed with fassy things. Where did the old spacious space go! That, why did you destroy the space that seemed to be nothing but sunny in the valley of the surround-ing buildings! As I say many times, the result is a greedy, poor-smelling, stupid "park-likeness". Isn't modern Japanese park designers studyingfor a wide range of insights from around the world? I see the garden as a model of theuniverse and asa model of the ideal image of the times, so I havebeen interested in the history of the garden. Englsh gardens, French gardens, Italian gardens, Chinese gardens, and of course, many of ourfamous gardens. Not only the gardens of royalty and aristocrats, but also the gardens attached tothe church or the monastery/convent. ...In myyouth town, Aizuwakamatsu City, the garden"Oyakuen" of the Matsudaira fudal lord's villa stillxists. Or a small harb garden at The Cloisters, myfavorite medieval museum in New York. The plantsin the garden of this museum are the first to repro-duce the medieval church by collecting the plantsthat were in the churches of the Middle Ages inEurope. And in Japan, there are many famous gardenssuch as Saihoji, Rokuonji Kinkaku, Jishoji Ginkaku, Katsura Imperial Villa, Daisen'in, Ryoanji, IchijodaniAsakura Ruin's Garden, Kenrokuen,and Sankeien. In England, the gardens of the Upton House inWarwikshire look pristine, but the arrangement of all the plants is well calculated. Central Park in New York was conceived and realized in the middle of the big city, and whilethe surroundings are changing steadily, NewYorkers are trying to maintain the same appear-ance. Yes, that vast New York oasis is strivingto maintin. Ler's take a look at Grama¥ercy Park in New Yorkagain. This park is a loked private park. Only avail-able to those who have the keys of the local resi-dents. Since the plants are rich and beautifullyarranged, I was interested in seeming what kind of discussions the residents with the right touse maintained the park as a kind of historicallandscape. Bryant Park, whih celebrates its 30th anniver-sary this year, is located between Fifth Avenueand 6th Avenue ( Aveue of Americas), andbetween Steers 40 and 42. It is a green parkmanaged by the New York Publi Library. Thereare also small booths with pillars painted green to blend in with the flora and the tree with transparent glass walls. It's a light meal shop ora flower shop. During the hristmas season, they will be the booths selling decorations for the reesand an ice skating rink will be built. But what I'mreally interested in is the composition of the space,which isn't sloppy at all. The greenery of the treesis valued to the last. It's no wonder that Bryant Parkis called the "the lush park in middle of Manhattan." City planning is generally based on the issueof economic efficiency. However, the facilitessuch as the park, including Jingu Gaien, shouldbe considered as a place to take a break fromsuch economic activities, essentially away fromsuch economic activities. I don't miss old things. There seems to be atendency to say, "I miss the Showa Era," but Ihave no suh feelings. The logging trees men-tioned above, and the image proposed in thename of redevelopment is what I call "stupidity."It's not a nostalgia at all. As a side note, the rebuilt architecture of theImperial Hotel opposite Hibiya Park is the worst.That is the "poor smell". What is the heapness of that entrance. How ugly is the entrance hall?In this regard, the old Imperial Hotel was muchmore prestigious. Ah, it's no good, everything is cheap. I thinkJapanese culture is becoming childish.Tadami Yamada
May 20, 2022
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ほぼ一日中、展覧会のための作品について、あれやこれやと想念をめぐらしていた。といっても、傍から見れば、ぽかんとだらしなく過ごしていると思うにちがいない。事実、そのとおりである。無才の者が美神の降臨を徒にまっているのだから。・・・ イメージは次から次と湧いてくる。しかし頭のなかに浮かぶのは、何と言ったらよいか、つまり、その・・・4次元的・・・n次元的なのだ。それを2次平面に移す物理的な問題に悩むのである。絵画制作は、イメージのアイデアからそれを実現するための物理的、・・・物質統御の問題になってくる。 まあ、そんなことを考えて時間を浪費するより、実際にやってみろ、と私は自分自身に言い聞かせているのだけれど。失敗から学ぶことは多い。失敗からしか技術は向上しない、と。・・・。 Almost all day, I was thinking about the works for the exhibition. However, from the side, you mustthink that I am spending a lot of time. In fact, that'sright. Because an incompetent person (it's me) isobsessed with the advent of the goddess of art. ... The image springs up one after another. But whatcomes to mind is what to say, that ... four-dimen-sional ... n-dimentional. I suffer from the physicalproblem of moving it to a quadric. Painting produc-tion becomes a matter of physical control, from theidea of the image to the realization of it. Well, rather than wasting time thinking about that,I'm telling myself to actually do it. There is much tolearn from mistakes. The technology can only beimproved from falure. ...Tadami Yamada
May 19, 2022
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昼前、画材店に出掛けた。商売道具なので補充しないわけにいかない。 ついでに書店に寄った。しょうこりもなくまた1冊買った。買っておかなければと思う本に出会うと、ついつい。A5判8p49字詰20行332頁。 脚立に乗って最上段の棚の本を丁寧に検索している大学生らしい青年がいた。また、私の隣にやってきて、或る分野の学術書の棚で、「あった、あった!」と独り言をつぶやいた、やはり大学生らしい青年。・・・私はこういう青年に出会うと、なんだか愉快な気持になる。・・・ああ、思い出した、もう随分昔のこと。池袋の書店だった。中学生が、5cmもある分厚い「フランソワ・ラブレー研究」を熱心に立ち読みしていた。私はこんな少年をみかけたことが嬉しくもあり、中学生がフランソワ・ラブレーの本格的な研究書を読んでいることに驚きもした。おそらく彼のお小遣い銭では買えないであろう。いくら立ち読みしても読了できる本ではない。読み切るまで通うつもりだろうか。・・・私は余計な心配しながら、少年の「読書」の邪魔をしないように、その場を離れた。・・・50年以上昔のことだ。あの中学生も今では60歳を過ぎているはずだ。どこかの大学でフランス文学を教えているだろうか? 帰宅して一休みしていると、私を担当してくれている画廊のMさんから電話が入った。しばらくぶりだ。お互いに元気なことを確認しながら、忙しいらしいのを引き止めて30分ばかり話していた。秋の国際展についてである。気を引き締めなければ。ちょうど良いタイミングの電話。さすが、Mさんだ。 Before noon, I went to an art supply store. It's a my professional tool, so I have to replenish it all the time. Incidentally, I stopped by a bookstore. I bought a book without any trouble. When I find a book that I think I should buy, I just messed up. A5 size 8point49 characters packed 20lines 332 pages. There was a young man who seemed to be a collegestudent standing on a stepladder and carefully search-ing for books on the top shelf. Also, a young man whocame next to me and muttered to himself on the shelfof academic books in a certain field, saying, "There was, there was!" ...When I meet such a young man, itmakes me feel happy. ... Oh, I remembered it a longtime ago. It was a bookstore in Ikebukuro. A juniorhigh school student was enthusiastically browsing thethick "The Study about François Rablais", which is 5 cm thick. I was happy to see such a boy, and I was suprised that a junior high school student was reading a full-scale research book about François Rablais.Probably not with his pocket money because of soexpensive. No matter how much he browse, it is not a book that he can read. Does he intend to go until he read it completely? ... I left the place with extra anxiety so as not to disturb the boy's "reading". ... more than 50 years ago. That junior high school student should be over 60 years old now. Does he teach French literture at some university? When I got home and had a rest, I got a call fromMs., M of the gallery who was in charge of me. It'sbeen a while. While confirming that we were doing well, and although she is seemingly busy, we talkedfor about 30 minutes. About the autumn internationalexhibition. I have to be careful. Just the right time tocall. As expected, it is Ms., M.Tadami Yamada
May 18, 2022
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注文しておいた本が届いた。購入しながら未読の本がたまるいっぽうだ。 現在、場所を変えながら5冊同時に読んでいる。そのうち3冊はA5判400頁を超える学術書。テーマに関連性があり、新しい論文を収めている。私の職業に関係なくもない。 他の2冊は歴史書であるが、これまで私が知らなかった分野のいわば組織論である。国際状勢の現状に照らしながら、少し勉強しておこうと読み始めた。歴史的組織論としては,私には著者の立脚地点ないし視線が新鮮ではあるものの、しかし私自身の未来思考に組み込もうとすれば、著者自身にとって真実である情動を私は感じ、断ち切らなければならない事は断ち切らなければならないのではないかという私の思いに引っかかって来る。資料としての各種データがしっかりしてい、私は学生時代からこの著者を信用してきたので、いま、数頁読んでは立ち止まり、目をつむって考え込んでいる。
May 16, 2022
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山田維史『ウクライナの勇気が世界を感動させる*』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.62)【*註】5月15日イタリアで開催されたヨーロッパ最大の国別対抗音楽祭において、ウクライナ代表のラップグループ「カルシュ・オーケストラ」が優勝した。拙作ポスターのタイトルは、ゼレンスキー大統領の祝辞「我々の勇気が世界を感動させる」に拠る。CNNニュース
May 15, 2022
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昨夜は一晩中、起床するまで夢を見つづけていた。その夢はつながっているようであり、ばらばらのようであり、目覚るとたちまち忘れてしまった。 ・・・コンピューターに接続された巨大なプリンターから、私のモノクロームのペン画が排出して,私は空中に浮かんでそれを見ていた。それから亡母とともに夜道を歩きながら、私はその絵について母に説明した。母はだらりとさげた右手に、白い水瓶を摘むように持っていた。観音菩薩像の持物の徳利のような形をした水瓶だ。それが暗闇のなかでいやに白かった。・・・バスがやってきた。乗客がいないガランとした車内に私の姿が見えた。私を乗せて走り去るバスを、もう一人の私が無言で見送っていた。(二人の私を、夢見る私は見ているのである。)そして夢を語ることは難しい、と思っている。言語から抜け落ちてしまう光景ないし事象があり、夢を語ったとしてもそれは言語の論理に無理矢理まとめているのであって、けっして夢の論理ではない・・・などと,夢を見ながら考えていた。 昔日のおもかげ逝きぬ若楓 青穹(山田維史) 昔日は逝きておもかげ若楓 竹刀打つおたけび激し若楓 道場に竹刀相打つ若楓 築山に登り見つけし若楓
May 14, 2022
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五月雨にゃ早しと思うこの日ごろ 青穹(山田維史) 五月雨にゃ早いと思う雨つづき 柿花の豆撒くように散り敷きぬ 細道や若葉繁りて関所かな 細道や若葉繁りて通せんぼう 店先に旗がはためく新茶かな 走り茶が静かに招く店の前 コロナ禍や三社祭も工夫かな
May 13, 2022
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山田維史『自由のためにウクライナの勇気』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.61)
May 10, 2022
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韓国民主化運動のために発言してこられた偉大な詩人・金芝河(キム・ジハ、김지하)氏が5月8日に亡くなられた。享年81。 私は衷心よりその死を悼みます。
May 10, 2022
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山田維史『平和と民主主義のために勝利の日までウクライナの魂にかけて』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.60)
May 9, 2022
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柿若葉すでに日陰をつくりけり 青穹(山田維史) 夏場所や知らぬ四股名の多かりき 蟻たかる虫の骸や薄暑かな
May 8, 2022
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と或るビル裏口のシェイド(日除け)の陰に、しきりに燕が出入りしていた。子燕のために餌を運んでいるのだ。どうやら新しい巣のようだ。私は、見知らぬ人と二人して、しばらく見ていた。 じつはこのビルの大通りを挟んでちょうど向いの家の廂の下に、十数年前まで随分長年にわたって大きな燕の巣があった。しかしその家は建替えられ、その工事の際に、燕の巣は無惨にも壊されてしまった。同じような例で、スーパーマーケットの入口のシェイドの陰にあった巣が、やはり建替えのときに壊された。それまでは店側が「燕の巣があります」と張り紙で、大事に見守ってくれるように客に呼びかけていたのだったけれど・・・。 燕が巣を掛ける家は繁栄する、と昔は言われたものだ。燕は渡り鳥である。春の彼岸頃にやってきて初夏に子を生み育て、秋に南国へ帰ってゆく。しかし翌年にはまた同じ巣へやってくる。世代交替しながら古巣を受け継いでゆくのである。それでおそらく、家系繁栄のシンボルになったのではないだろうか。 子燕の世話いそがしく十文字 青穹(山田維史) 相寄りて指差す先に葱坊主 雛芥子や咲いて明日なく揺れており* (*自註) ヒナゲシは花を開くとともに落ちてしまう。
May 7, 2022
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山田維史『笑顔を取り戻す』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.59)
May 7, 2022
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休みあけ土木聞こゆる五月晴(さつきばれ) 青穹(山田維史) 小庭にも木々それぞれの青葉かな 今日ありと思えば深き目に青葉 橙のちさき白花散り敷きぬ 寂(せき)としてわずかばかりの皐月雨
May 6, 2022
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おやつに柏餅は少々食傷気味。そこで今日は、私が「胡桃ゆべし」を作った。ただいま冷蔵庫で冷し固めている。 実を言うと、会津若松市大町一丁目の伊勢屋さんの椿餅が食べたくなったのだ。胡桃柚餅子なのだが、「椿餅」という。伊勢屋さんの椿餅は亡父母も弟たちも好物だった。 江戸時代からの老舗で、代々受け継がれてきた製法と味を今に伝えていられる。「椿餅」という名称は、鶴ヶ城(若松城)内の椿坂に由来するそうだ。「伊勢屋」という店名は、蒲生氏郷が伊勢から会津に移封になったとき、町民たちも従い移り住んだことからきているらしい。江戸時代の店舗は城の南、南町の大橋のたもとにあったのだとか。この大橋は、私の母校会津高等学校の近くにあり、私の通学路だった。また藩校日新館にも近い。このブログ日記で何度か述べているが、私が住んでいたのはそのかつての日新館の敷地内であった。 城中の椿坂は、16年前、中学生時代の恩師の77歳の喜寿を御祝いするために、40年ぶりに会津若松市を訪ねたときに見に行った。そして、昔の椿坂に手が加えられていることに気付き、驚いた。本丸に入る坂としての威厳と防御の意義を備えた結構を、たんなる坂にしてしまっていた。・・・歴史的遺構が観光の目玉のはずなのに、何もかも現代感覚で偽物に変えてしまうのだなー、いやはや・・・と思ったのだった。 このときの帰京土産に、私は伊勢屋さんに立ち寄って椿餅を買った。父はすでに亡くなっていたが、母は存命だった。椿餅の味は昔とちっとも変わっていなかった。そしていまや私が喜寿である。 そんなことを思い出しながら、糯粉のかわりに白玉粉を練り上げては少し蒸し、また練っては蒸し、砂糖や醤油を加え、煎った胡桃をどっさり加え、また蒸し上げ、最後にバットにクッキングシートを敷き、きな粉を敷いたところに蒸し上げた餅を敷いて均し、・・・冷し固めているのである。
May 5, 2022
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5月4日。「緑の日」と云うのだそうだ。誰がどこから思いついて発案したものやら。自然に親しみ、自然に感謝する主旨らしい。国民の祝日として制定するに至った経緯は、ははは、大方、従来からのいわゆる飛石連休をどうせなら繫げてしまおうという意図だっただろう。一層,5月2日も何か屁理屈をつけて休日にしたなら、皆おおよろこびだっただろうに。そこを空けたところが、なんともイジマシイ。 と、そんな憎まれ口をきくのも、東京都では都民に長年にわたって親しまれてきた都心の樹林や並木が、再開発の名のもとに伐採されそうである。千代田区神田警察署通り銀杏並木の32本、および神宮外苑の1,000本の樹木である。 千代田区葉すでに4月27日未明に伐採反対住民を抑え込んで2本を切り倒した。 また都知事も伐採のゴーサインを出した。都知事よりずっと長生きをしてきた樹木。さらに彼女よりずっと長命を保つはずの千数百本におよぶ貴重な都心の樹木を、「殺戮」しようとしているのだ。回復できないバカなことをする。「緑の日」が聞いて呆れる。 樹木の緑の環境が、特に女性の生命を延ばすという研究結果が、かつてアメリカの大学で発表された。女性都知事としては、一度その研究論文を取り寄せて読んでみてはいかがか。 また、横浜市では、2027年開催予定の国際園芸博覧会(花博)のために、瀬谷の海軍道路の100本の桜並木を伐採する計画が進行している。園芸博覧会のために桜並木を切り倒すという唖然とする本末転倒ぶり。バカを超越している。裏に何か良からぬ欲の手がからんでいるのかもしれない。そう勘ぐりたくなる。 ニューヨークのマンハッタンは、あの狭いところで、ここ20年ばかりの間に少なからぬ緑の公園をつくっている。人が親しみを持てる環境をつくることこそ、都市計画の最も大切なヴィジョンではあるまいか。 我家の小庭は多種類の樹木の緑が、いまやさまざまな色合いで光り輝いている。柿の葉の若い緑。卯木の緑。楮の緑。南天の少し赤みがかった緑。千両の緑。椿の緑。木瓜の緑。楓の緑。茶ノ木の緑。紫陽花の緑。柏葉紫陽花の緑。橙の緑。そして草花の緑。ドクダミ等の野草の緑。・・・みなそれぞれ個性がある特有の緑色である。 それらの緑を見ながら、ふと目をやった窓枠に蜂の巣をみつけた。古い巣で、もう蜂の子はいなかった。何の蜂だろう。「あしながばち」の仲間かもしれない。「すずめばち科」に属する「あしながばち」は、日本には6種いる。体長はそれぞれ13ミリから、おおきいもので23ミリほど。小型の蜂である。 蜂が来てくれると、果樹の受粉がうまくいく。私は、子どものころジスガリの大軍に襲われて瀕死の目にあった。以来65年余を経るが、小庭に蜂が来るのは大歓迎である。
May 4, 2022
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山田維史『ウクライナは立ち上がる』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.58)
May 4, 2022
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山田維史故清水和彦氏作『九条りんご』「私は若者たちが死ぬ戦争を夢見る年寄連中の話を聞くのはうんざりだ」 ジョージ・マックガヴァーン (ポスターはWebサイトより)
May 3, 2022
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山田維史『子どもたちを救え』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.57)ウクライナ連帯ポスターNo.49~No.57)山田維史Tadami Yamada
May 2, 2022
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山田維史『子どもたちに平和を』Tadami Yamada(ウクライナ連帯ポスターNo.56)
May 1, 2022
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