プラス君の日記

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【訃報-娘が亡くなりました。(6)】



5月9日(火)に娘が亡くなりました。

まだ実感が沸いてきません。

娘のことを書こうか、書くまいか、どうしようかと考えましたが、自分の気持ちを整理するためにも、娘のことを忘れないようにするためにも、思ったこと感じたことを書いていこうと思います。

【訃報-娘が亡くなりました】
【訃報-娘が亡くなりました。(2)】
【訃報-娘が亡くなりました。(3)】
【訃報-娘が亡くなりました。(4)】
【訃報-娘が亡くなりました。(5)】


5月12日(金)のお通夜は、本当にたくさんのお友だちが来てくれて、お焼香をしてくれました。
本人にとって本当に良かったと思います。

葬儀会場が一番狭い場所だったので、たくさんの方に来ていただくと葬儀会場内が混乱するのではないかと結構心配していました。
でも、さすがはプロの葬儀屋さん。
焼香客を順々に案内して、お焼香が終わった方は入り口に戻るのではなく、左側の扉から横の通路に抜けるように案内して、人がスムーズに流れるようにしてくれました。
(ただ、予想していたよりも遙かに多くの方が来てくれたため、お清め会場での食事の量が足りなかったようです。-それもやむを得ないですよね。)

お経が終わり、会葬者のお焼香も終わり、私たちも親戚と一緒にお清め会場で食事をとりました。

受付を手伝ってくれた会社関係の人たちや、はるばる千葉から来てくれた支店の同僚とも少し話しをしました。

本当にありがたいことです。


その日は葬儀会場には泊まらず、私たちはマンションに戻ってきました。
「一人寂しくさせてしまってゴメンね。でも、Iちゃんは大丈夫だよね。また明日会えるからね。」
と言って戻ってきました。




思い出したことが一つ。
娘が亡くなった日の翌日の午前中、必要な買い物をするために、近くのホームセンターに行きました。
そこで、近所の犬の散歩仲間の一人に会いました。その人は私と同じ年の人で、ファイヤーマンです。何度も火事現場で死体をみたこともある人なのです。
娘のこともよく知っていて、娘がとにかく犬を可愛がり大好きなことも知っていました。
いつだったか、人魂の話しや霊の話しなどもその人から聞いたことがあります。

その人が、娘が亡くなった夜に(その時はまだ娘の死を知らなかったのですが)夢の中に娘が出てきたと言ってました。
もしかしたら、少し霊感があって、娘の魂がこのあたりでいたのかも知れません。
不思議なことですね。





5月13日(土)の午前10時から告別式でした。
この日も娘の友だちがたくさんお焼香に来てくれました。
妻のご近所の友だちや、娘を通じて知り合った知人もたくさん来てくれました。
私の会社関係の人もたくさん来てくれました。



告別式が終わる時、喪主による会葬者に対する挨拶があります。
まさか自分が子どもの葬儀で喪主の挨拶をすることになるとは・・・・・・。

挨拶の時に、うまく話しをすることができないのではないか?と思いましたし、そもそも喪主の挨拶など考えたくもないことでした。
でも、わざわざ娘のためにたくさんの方たちがお悔やみに来てくれたことを思えば、そういってもいられません。

葬儀屋さんと葬儀の打ち合わせをした際に、喪主挨拶文例集の小冊子をもらいました。
でも、その文例集には、親が亡くなったときの子どもの挨拶や、妻が亡くなった時の夫の挨拶、町内会の代表者の挨拶などはありましたが、子どもの亡くした親の挨拶の例などは、当然載っていません。当たり前ですよね。

嫌であろうが、挨拶をしない訳にもいきません。
文例集をもらった時から、ずっと考えていました。
挨拶をするときには、絶対に涙を流さないようと。涙が出てきたら、おそらく挨拶が出来なくなってしまうと思っていました。

色々と考えてみましたが、何をどう表しても、自分の気持ちを正直に表現することができないような気がしました。
言葉では言い表せない。
言葉では言い尽くせない。
何万語を使っても絶対に自分の気持ちを全て出すことはできない。
娘への思いをそんな簡単な挨拶の中に込めることはできない。

でも、未練ばかりの言葉を並べても仕方ないですから、とにかく、たくさんの会葬の方々に来てただいたお礼と、娘の好きだったこと(犬と本)、残された家族が力を合わせていくこと、そんな内容の挨拶をしました。


当日は小雨が降りとても寒い日でしたが、葬儀屋さんの1階の玄関先には、本当にたくさんの方々が集まってくださっていて、多くの方々に見送られて火葬場へと出発しました。




さいたま市には大宮と浦和に火葬場があります。
その浦和の斎場にいきました。

亡くなってから火葬されるまでは、本人の肉体が存在し、顔を見ることもできるし、触れることもできます。顔を見ていると、本当に眠っているようです。
そのまま永久に肉体が残ってくれればいいのですが、そんなことはできませんから。

5月9日に亡くなり、その夜中に自宅に戻り、お通夜の5月12日まで自宅に寝かせていました。その間は葬儀屋さんが毎日ドライアイスを交換に来てくれていました。この時期だったのでまだ数日自宅に寝かせておくことができました。真夏の暑い時ではそれもできなかったと思います。

火葬されてしまうとあとは骨になってしまうんですよね。



一昨年の2月に妻のお父さんが亡くなった時のことを思い出しました。
斎場で棺が火葬され、出てきたときはほんの少しの骨になっていました。
その姿を見たとき、本当にショックでした。( 残してくれたもの!♪

だから、娘が火葬され別の姿になった時に、それを見てショックを受けないように、心の準備をしておりました。

斎場の待合室で約1時間待ち、別の姿になってしまった娘を見たときも、本当に信じられませんでした。とても現実とは思えない。理屈ではわかっていても感情・心では理解できません。

お骨を身内で骨壺に入れました。


斎場からまた葬儀会場へ戻り、娘と一緒に身内だけでの昼食を食べました。


一通り、お通夜も告別式も終わり、自宅に戻ってきました。

自宅には祭壇を作ってもらい、そこにお骨、位牌、慰霊を飾りロウソクとお線香を炊きました。

祭壇の写真を見ても、お骨を見ても、位牌を見ても、まだ信じられません。

祭壇の周りには、お悔やみに来てくださった方々が持ってきてくれた、お花がたくさん飾ってあります。
祭壇前の台には、くだものや娘が好きだったお菓子が置いてあります。


家に戻ってきてからは、お線香を絶やさないようにしています。


《次へ》【訃報-娘が亡くなりました。(7)】



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