のんびり生きる。

のんびり生きる。

むかしの話をしたいのではありません


著者名:長田 弘
出版社:講談社



語る言葉と、喋る言葉とは、ちがいます。 語る言葉は、じぶんを集約してゆく言葉。 喋る言葉は、じぶんを拡散してゆく言葉。いま切に思い起こしたいのは、喋る言葉ばかりがとびちる日々の光景のなかに忘れらている、この国の語る言葉のゆたかさの伝統です。                    (語る言葉のゆたかさ 2 明治人の心意気)

むかしの話をしたいのではありません。そうではなく、訝しく思うからです。それから、たった百年あまりしか経っていないのに、 この国の社会にいつかすっかり欠けてきてしまったのは、よく練り上げられた語る言葉が人びとのうちにかつて育んだような、言葉にちゃんとむきあって「耳かたむける」という態度だったのではないか、と。
(語る言葉のゆたかさ 3 耳かたむけるべし)

人間を人間たらしめるものはつねに生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧みにその過剰を大いなる花束に仕上げなければならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。
 僕は、丸の内の焼け跡を通った。けれども僕の眼に触れたのは猛火も亦焼き難い何ものかだった。               (二つの大震災 2 1923年の芥川龍之介)


僕は今日は幸福だつた
天気が好かつた故だらう
僕は戸外で楽しく過ごした
僕は神を讃へ自然の手に抱かれて
不平も不満も不足もなかつた
僕は賞賛の中に生きてゐた
(街のおおきな樹 2 散歩)

文章もまた、はたきのかけ方とちがわない。書きとめられた父に叱りとばされたせりふからは、文章に対するそのような覚悟がまざまざと伝わってきます。目は、どこを見ている。対象をちゃんと見ろ。ばたばた音を立てる文章を綴るな。いやな音を無くせ。敵討みたいな文章を綴るな。文章は広告じゃない。いつの間にこの仕事ができたかというように際立たないのがいい。それが文章の手際だ、というふうに。
(なべぶたに猫のひげ)



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