のんびり生きる。

のんびり生きる。

その事実はあいまいに、





 彼は、大人になってからずっと持っている、使い込んで慣れ親しんだミサ典書を手にとり、聖務日課を読もうとした。ひどい場合は、夜遅くまで読まないままだった。月日がたつうちに変わっていったお気入りの言葉、彼が好きになっていった言葉、同時にそれは彼の職務でもあった。好きなことが務めでも有るからしなければならない、というのは、間違いなく、人生の大いなる恵み、大いなる自由に違いない。今夜は、昔から慣れ親しんだ言葉を長時間読むことができなかった。彼とミサ典書のページの間に、彼と毎日繰り返さなければならない英語のミサとの間に、困惑した気持ちが割って入ってきた。


母親は、最初の一年は彼が行くと、息子だと分かった。しかし、もう息子が遠い存在であるみたいに、興奮はしなかった。そして、もう息子が分からなくなった、と認めざるをえない日がやってきた。母親が犬小屋に長く閉じ込められた犬のようになったと認めざるをえない日がやってきた。母親が死んだとき、彼は横にいた。母親は彼の方を向いた。死ぬ前に、消える前のマッチの輝きのように、目の中に息子を認識した光がさした。そして息をひきとった。
 彼にはもう自分の人生しか残っていなかった。ずっと一人だったのだが、その事実はあいまいに、心地よくあいまいにされてきた。


 ジョン・マクガハン「男の事情 女の事情」

 「ワインの息」217頁ー230頁
 The Wine Breath by John McGahern





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