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マーカス・バッキンガムとドナルド・O・クリフトンの共著になる『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 ちなみにクリフトンってのは、アレですね、『心のなかの幸福のバケツ』書いた人ですね。たしか調査会社のギャラップのお偉いさんですよ。マーカス・バッキンガムってのも、ギャラップに長く勤めた後、フリーになった人。つまり、二人はギャラップ社つながりの自己啓発ライターなんですな。 で、本書もギャラップ社の調査を元にして書いてある本なんですけど、ある時、63ヶ国の101企業に勤める1700万人の従業員を対象に、「あなたは自分の会社の中で、自分の強みを活かせているなと思いますか?」ってな聞き取り調査をしてみたと。 そしたら、あーた、「Yes」と答えた人が20%くらいしかいなかったと。つまり、自分の強み、自分の長所を、勤務先では活かせてない、と感じている人が大半だったと。 じゃ、なんでそういうことになるかと言いますと、人も、会社も、押し並べて「自分の強みのある部分を伸ばすより、弱みを補強した方が優れた業績を挙げることができる」と信じているから。苦手分野の克服こそが、自分の出世のためには役に立つと、思っているからなんですな。「自分は数字に強い。だけど、対人関係の構築は苦手だ。だから対人関係のスキルアップをすれば、鬼に金棒じゃ!」って思って対人関係系のセミナーとかに行ってしまう。 だけど、この世で成功する人ってのは、そうじゃない。もちろん、自分は何が苦手か、というのを認識すること自体は悪いことじゃないけど、その苦手を克服することに力を費やすのではなく、自分の得意なことで勝負しようとする人が、実際には成功しているのだと。 それにも拘らず、一般に企業は、社員に「苦手の克服」ばっかり課すからいつまで経ってもうだつが上がらないのであって、逆に適材適所で、営業の方に人当りのいい奴を、事務方の方に数字に強い奴を振っておけば、その企業はたちまち上昇気流に乗っちゃうよ! っていうね。 だけど、それをやるには、まず「自分の強み」って何? というのを、企業人の一人一人がよくよく認識することが重要になって参ります。 じゃあ、そもそも「強み」ってのは何か? 実は、ここが本書の一番面白いところかも知れませんが、本書によれば「強み」というのは、必ずしも「得意」と同じではないと。そうではなくて、「強み」というのは、その人その人の考え方や行動の癖みたいなものなんですな。 たとえば「キレイ好き」という癖がある。こういう癖のある人は、部屋の隅にちょっと埃がたまっていたりすると、どうにも気になって気になって、すぐにその埃をキレイにしないと気が済まないというような感じになるわけですよ。それは、埃をとることが「得意」というのではないですよね? 得意か得意でないか、ということではなく、気になるから気になると。 それよ、それ。本書でいう「強み」というのは、そういうこと。「そうしないと気が済まない」とか、「どうしても、そういう行動をとってしまう」ということね。だから、「強み」自体に良い・悪いはないの。例えば「頑固」というのは、その人の生来の気質であって、ひょっとすると悪いものかも知れないけれど、それを「強み」として職業に活かすことは出来る。イギリスのチャーチル首相だって、「わしは絶対にヒットラーの前に膝を屈したりせん」という頑固さがあったから、ドイツに勝ったわけだし。 で、ギャラップ社では、こういう種類の「強み」の例を山ほど採取し、分類したのね。そしたら、人間の「強み」は、34種類あることが分かりました。じゃ、その34種類の「強み」ってどういうのかというと、例えば「学習欲」「競争性」「規律性」「公平性」「社交性」「指令性」「慎重さ」「責任感」「戦略性」「達成欲「調和性」「適応性」「分析思考」「未来志向」・・・・とか、そういう感じ。こういうのが34種類ある。 で、この34種類の「強み」の中で、「自分に当てはまるなあ」と思うものを5つ、選びましょう。その5つの組合せが、つまりは「あなたの強み」でーす! ちなみに、34種類の中から5つをピックアップするだけだったら、同じ5つを選ぶ人が沢山居そうじゃん? そしたら、その人と自分は同じタイプの人間ということになってしまうけど、それでいいの? と思った人。あなたのその考えは間違いです。 だってさ、34種類の「強み」から5つをピックアップするとなると、その組み合わせたるや34×33×32×31×30通りでしょ。3千3百万通り以上だよ。同じ5つを選んだ人に出会う確率なんてほとんどないわけさ。 ちなみに私だったらどうかな? 私の強みは・・・「学習欲」「着想」「責任感」「分析思考」「ポジティヴ」かなあ、などと言ってみたりして。 ま、その辺りは人それぞれで、それぞれ自分の5つの強みを決定すればいいんですが、とにかくそれが決まったら、その5つの強みを活かせるような職種は何かなと考える。そうすると、自ずと自分の道が見えてくる。 もっともね、5つの強み全部を活かそうとしなくてもいいのね。何だったらそのうちの3つとか、2つとかを活かせるものでもいい。でも、とにかく、自分の強みが十分に活かせそうだなという職種こそが、その人の進むべき道なわけ。 で、もう一つ注意すべきことは、「強み」の活かし方にも色々ある、ということ。 例えばですね、自分は「責任感」があって「規律性」もあるから、警察官にぴったりだな、と考える人がいる一方、自分は「公平性」があって「コミュニケーション」力もあるから、警察官にぴったりだな、と考える人がいるかも知れないわけですよ。そのどちらも、それぞれのやり方で、いい警察官になる可能性がある。だから、自分の強みがこうだから、選ぶべき職業はこれに決まる、というのではなく、どんな職業につくのであれ、それぞれの強みを活かせば、その職を全うし、充実した人生を生きることができる、ということなわけですな。 いずれにせよ、本書によれば、人の強みというのは一生のものであって、途中で変わるというものではないし、学習や訓練によって身に着けるものでもない。まさに生まれつきの才能なわけね。だから、その生まれつきの才能に気付き、それを活かす方向で人生を歩んでゆけば、成功する確率はぐんと高まると。 で、本書は、そういう風にするといいよ、とアドバイスしているのですが、同時に、企業の側にも、社員がこういう風に動けるように、企業内風土を変えないとだめ、という風に主張しております。 例えば、クラス運営のうまい先生がいる。その先生の強みは生徒指導にこそある。だけど、その先生が段々年齢を重ねていくと、教頭先生とか校長先生とか、そういう立場にならざるを得ず、その結果、生徒指導という、本来その先生に一番適した仕事が出来ない立場になってしまう、なんてことはよくある。 そういうのは、いかん、と本書は主張するわけね。もしその先生が、「自分は教頭にならなくてもいい、校長になんかなりたくない、その代り一生、生徒指導やりたい。それが自分の強みを活かすことだから」と言うのだったら、その先生のやりたいようにやらせてやって、しかも、その先生の仕事がそれほど卓越したものであるのなら、校長先生の給料と同じくらい高い給料を支払ってやれと。 そういう制度を作ってこそ、社員それぞれの強みを活かし、会社のパワーを最大限に引き出すことになるんだよと。 なるほどね、って感じでしょ? 私自身は、すっかり納得よ。 とまあ、本書はそういうことを述べている本なのでありまーす。 で、思うのだけど、この本って結局・・・「成功している人っていうのは、こういう風にしているんだよ」ということを述べているのであって、その意味ではナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』系の自己啓発本ということになるかなと。しかも、「強み」は34種類ありまーす、とか、その中から5つ選んだものが、要するにあなたの強みでーす、とか、すごいプラグマティック。やっぱりアメリカだねえ、って感じですな。 でも、いい本ですよ。少なくともこの本読んで、自分の強みって何かな? と考えたり、果たして自分はその強みを活かした生き方をしているかしら? なんて考えるのも、無駄ではないんじゃないかな。【中古】 さあ、才能(じぶん)に目覚めよう あなたの5つの強みを見出し、活かす /マーカスバッキンガム(著者),ドナルド・O.クリフトン(著者),田口俊樹(訳者) 【中古】afb
October 30, 2018
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ポートランドに行っていた時、アパートの近所にベトナム料理の店がありまして、ある時そこで「バインミー」を買って食べたらめちゃくちゃ旨かった。私はその時初めてバインミーなるものを食べたのですが、いっぺんに大ファンになりまして。 バインミーってご存知? まあ、ベトナム風サンドイッチのことなんですが、フランスパンで作るんです。ベトナムはフランスに統治されていた時代があるわけで、その辺から発生した折衷料理なんでしょうな。 しかし、由来はともあれ、これがまさに東西文化の合流が作り上げた一つの傑作というべきシロモノでありましてね。 で、日本に帰ってから、「あれは旨かったなあ・・・」と思い、名古屋でバインミーを食わせてくれるところがあるのかと調べたら、まあ、10店舗くらいはある。だけど、そのどこも我が家からは遠いので、おいそれとは行けないなと。 そこで、もう他人には頼るまい、バインミーくらい自宅で作っちゃろうということになった次第。ま、作るのは家内なんですけどね。 まず、フランスパンを用意いたします。で、これをちょいとトーストして、刻み目を入れ、そこに具を突っ込むと。 で、突っ込む具材ですけれど、それには明確な規定がない。要するに何を入れてもいいのよ。 ということで、昨夜は生ハムと市販のサラダチキンをチョイス。そして野菜の方は、ニンジンと玉ねぎの千切りにしました。 で、ここで一つだけ欠かせないのは、これらに加えて「パクチー」を入れるということ。これだけはバインミーには欠かせません。これが入ることによって、ベトナムっぽさが醸し出されるので、これがなかったらタダのフランスパンのサンドイッチだよ! そして味付けですけれども、これも重要でありまして、ちょっとだけ魚醬を入れるのね。ナンプラー的な。そしてそれプラス、ライム果汁(生があれば生がいいけど、小瓶入りの果汁も売っている)をちょこっと。そしてさらにそれにプラスして、お醤油をちょこっと。 以上。 で、そんな感じで自宅で作ったバインミーを食べてみたのだけど、これが馬鹿ウマ。かなりいいところまで、再現できておりました。いやあ、あまり旨かったので、一発で我が家の定番メニュー入りですわ。 ちなみに本場のバインミーですと、フランスパンが純粋なフランスパンではなく、ちょっと米粉の入ったベトナム風フランスパンを使うらしい。そのためなのか、焼くとサクサクして、割と噛み切り易いのよ。その点、フランスパンらしいフランスパン、あの歯ごたえ・噛み応えのある感じのフランスパンよりも、そうじゃない「フランスパンもどき」の方が、バインミーには合うかもです。バインミーって、こんな感じ ↓バインミー この歳になっても、まだまだ「未知の旨いもの」って、あるんですなあ・・・。
October 29, 2018
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稲垣伸一さんの書かれた『スピリチュアル国家アメリカ』という本を読了しましたので、心覚えをつけておきましょう。 日本でも、例えば江原啓之さんの本などスピリチュアル系の本は人気がありますし、パワースポットがどうだとかこうだとか、この10年ほどちょっとしたブームになっておりますが、これがアメリカとなると、単なるブームどころか、もっと国家の本質と関わるところでスピリチュアルが根付いている。その辺りの事情を繙いたのが本書でございます。 で、本書の冒頭、稲垣さんは二つの映画の話題を出す。その二つの映画とは1990年代初頭の『ゴースト』と、1990年代末の『シックスセンス』。ま、ご覧になった方はご存じの通り、両方とも「あの世の存在」が重要な役割を果すわけですな。その意味では、両方ともスピリチュアルな映画と言うことができる。 だけど、良く考えてみると、この二つの映画は、単にあの世の人が登場するだけの映画じゃない。あの世の人が登場することによって、現世の悪が糺される、というところがミソなんですな。『ゴースト』の方では、コンピュータ時代の犯罪であるマネーロンダリングの問題が取り上げられ、『シックスセンス』の方では児童虐待の問題が取り上げられて、それぞれ、あの世からの使者がこれら現世の悪を糺している。 つまり、スピリチュアルが、個人の問題というよりは、社会的な問題に関連しているわけ。ここが日本と違うところでありまして、江原さん的な個人のお悩み相談ではなく、社会の悪を糺す原動力になっていると。 で、この傾向というのは、実はアメリカでは19世紀から続いているのであって、その意味でアメリカは「スピリチュアル国家」と言ってもいい、というのが、本書全体を通じての稲垣さんの主張ということになる。 で、じゃあ、アメリカにおいてスピリチュアルなるものがクローズアップされてくるのはいつ頃の話かと申しますと、これは明確に定まるのでありまして、「1848年」ということになる。この年、ニューヨーク州西部の都市ロチェスター近くの町ハイズヴィルに住むフォックスさんの二人の娘マーガレットとキャサリンが、得体の知れないラップ音を聞く、という事件が起こる。で、このラップ音は単なる騒音ではなく、例えばこちらから「10数えて」と頼むと、10回ラップ音が鳴る、といったように、双方向の会話が出来るような種類のラップ音だったと。 つまり、あの世と交信が出来るらしい、という話になってくるわけね。もちろん、フォックス姉妹とラップ音の話はすぐにアメリカ中に知れ渡り、大騒動になる。あの世があることを証拠づける史上初の出来事であったわけですから、そりゃーそうなるでしょう。 しかし、それだけではない。19世紀半ばのアメリカ人の平均寿命は50歳くらいで、何でそんなに低いかというと、赤ん坊がやたらに死んだからなんですな。親からすれば、死んだ子供があの世でどう暮しているか、知りたくて仕方がない。だから、あの世との交信、という話題は、アメリカ人にとってかなり切実に興味深いものだったわけ。 加えて19世紀半ばのアメリカでは、カタログでのモノの売買が盛んになってきて、人々はカタログに掲載された商品を見ることによって購買欲を掻き立てられていた。つまり、見世物、視覚の楽しみというものがクローズアップされた時代なわけですよ。そこへ持ってきて、スピリチュアル・ブームから生じた「降霊会」のような一種の見世物が出てくると、この新種のスペクタクルにアメリカ人は夢中になった。 さらにさらに、この時代のアメリカは「メスメリズム」(催眠によって憑代のような状態になる)の流布とか、電信技術の発達(遠くの人と交信できる)とか、そういう(疑似)科学の流行もあって、これらが、スピリチュアルなるものを、科学的な見地からバックアップしてしまうことにもなったわけね。つまり、科学があの世のものを否定するのではなく、逆に肯定しちゃったと。 とまあ、そういう背景もあって、19世紀半ばという時代、アメリカでスピリチュアルが大流行するわけですな。 ところが、19世紀半ばと言えば、もう二つ、アメリカでは大問題があった。奴隷制の問題と女性の権利の問題であります。片や人種的差別、片や性別による差別の問題。要するに、現世のおける不公平の問題でございます。 で、ここにスピリチュアルが関わってくるわけ。 というのは、スピリチュアルってのは、あの世(天国と言ってもいいけど)の世界を人々に幻視させる役割を果しますからね。もちろん、あの世では、すべての不公平は解消されている。で、その調和した世界を幻視した後で、この世を見れば、あーら、人種差別と性差別に満ちているじゃあーりませんか、ということになるわけですよ。つまりこの世の不公平は、それがないあの世の世界を見てしまった後では、許しがたいものに感じられてきたと。 というわけで、実は19世紀においてスピリチュアルというのは、奴隷解放運動や第一波フェミニズムを蔭ながら援護射撃するようなものとなっていくんですな。 一つ例を挙げれば、フェミニズム運動では、当然、女性が先頭に立って女性の権利を主張しなければならないわけですけれども、何せそれまで女性は人前に立って演説する、なんてことをやったことがない。だから、どうしても臆してしまうところがあるわけね。 しかし、スピリチュアル・ブームの中で、霊媒として活躍したのはほとんどが女性であった。つまり、あの世からの声を現世の人々に伝える媒体(メディア)として、女性の霊媒は人前に立ってお告げを語ることが多かった。で、この女性霊媒が、ある意味、「主張する女」のロール・モデルになったと。 その他、この時代のフリー・ラヴ思想とか、それに基づく各種コミュニティ(オナイダ・コミュニティなど)運動など、女性解放に資する様々なムーブメントを見ていくと、その主導者の多くがスピリチュアリストであったことが判明するらしいのですが、やはり「あの世の絶対的公平」を見てしまった連中の高い理想主義ってのは、強力なわけですよ。で、もともとカルヴァン主義的な気質のあるアメリカ人には、そういう理想主義が根付きがちなんでしょうな。 とまあ、そんな感じで、19世紀以降のアメリカにおいて、様々な社会更生運動に影の力として影響を及ぼし続けているスピリチュアリズムについて、色々示唆的なことを教えてくれるこの本、なかなか面白かったです。スピリチュアル国家アメリカ 「見えざるもの」に依存する超大国の行方 [ 稲垣 伸一 ]
October 28, 2018
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クルマ好きなら知らぬ者のない自動車評論家、徳大寺有恒さんの書かれた文章の中から選りすぐりのものを一冊にまとめた本書。先日、某ブックオフで100円でゲットしたのですけど、それを読了しましたので、ちょっと心覚えをつけておきましょうかね。 徳大寺さんと言えばベストセラー『間違いだらけのクルマ選び』の著者として名高く、かくいう私もクルマ好きとしてこの本(とその一連の続編)には随分お世話になったわけですが、徳大寺さんの自動車評論が他の多くの自動車評論家と異なっていたのは、クルマを語るのに、クルマ自体の性能を云々するだけでなく、自分自身のライフスタイルにそのクルマは合っているのか? という視点からクルマを語った、という点でしょうかね。 ツイードのジャケットを愛用し、ジャズを楽しみ、パイプやシガーを嗜むといった徳大寺さんのライフスタイル。そのライフスタイルに合うクルマは、イギリスのクルマ、とりわけジャガー(徳大寺さんに言い方で言えば「ジャグァ―」)であると。たとえそれが日本車のように壊れないクルマではなかったとしても。 だからクルマを買うという行為は、徳大寺さんにとって、まず自分はどういう人間であるかということの確認であるわけね。そしてその自分のライフスタイルの一部として馴染み、その生活をより楽しいものにしてくれるクルマこそが、選ぶべきクルマなんですな。 なのに、日本車はそういう意味でのクルマ選びに耐えない白物家電みたいなのばっかりじゃないか! ってのが徳大寺さんの自動車業界に対する批判であり、またそういう自動車業界の在り方を放置してしまっている日本人全般の不甲斐なさもまた、徳大寺さんの批判の矛先にあった。 ま、そういうところが徳大寺さんの自動車評論の面白さであって、ファンはそういうことを特異な文体で語る徳大寺さんの本に惹かれたわけですが。 で、本書は2014年に亡くなられた徳大寺さんの数多いエッセイの中から、特に面白いものを選んであるわけですから、面白くないわけがないと。 で、そんな本書を読みながら、「徳大寺節」を改めて堪能していたわけですけれども、その中でも幾つか、印象に残る文章がありました。 例えば徳大寺さんが事業に失敗して、貧乏生活を送っていた頃のことを綴ったものとか。 徳大寺さんは、トヨタの専属ドライバーを経て、自動車のパーツを作って売る会社を作り、一時期は相当儲けていたのですが、その後、経営が思わしくなくなって倒産。で、パーツを作ってもらっていた工場などにお金を払うことが出来なくなり、踏み倒すようなことになってしまったんですな。で、1年くらいの間、踏み倒した工場などに出向いて謝って回る、そういう「お詫び行脚」をする羽目になったと。 でも、そんな風に長いこと謝って回っていると、謝ること自体に慣れてしまうというのか、一種の仕事みたいになって、申し訳ないとか恥ずかしいとか、そういう意識が薄れてしまう。 そんなある日、例によってある工場に詫びに行ったのですが、たまたま社長が留守で、その社長の母親である老婆が応対に出た。 で、徳大寺さんがその老婆に平謝りに謝るのですが、丁度時分どきだったもので、その老婆が店屋物をとってくれた。で、徳大寺さんはその天丼だか何だかを夢中で食った。なにせ、しばらくまともなものを食べていなかったので、お腹が空いていたんですな。 そしたらその夢中で食っている徳大寺さんに、その老婆がこう言った:「あんた、よくモノが食えるね。本当なら、首くくってなきゃいけないのにね」と。背筋に冷水を浴びせるような老婆の一言に徳大寺さんは思わず箸を投げ出し、自分の愚かさを痛感したと言います。 想像するだに、すごいシーンですな・・・。 で、その後、徳大寺さんは草思社から頼まれて『間違いだらけのクルマ選び』を書き、これがベストセラーになって、8年程続いた貧乏生活にピリオドを打つことになる。 で、この本を書いた時の思い出も面白いのですが、それによると徳大寺さん本人もそれほどのものとも思わずに出版社に原稿を渡し、そのままニューヨークに2カ月の取材旅行に出かけてしまった。 ところがニューヨーク滞在中に出版社の社長から「ベストセラー ノ キザシアリ」という電報が届く。そしてその後驚くような印税が次々と降り込まれるようになり、その額を怪しんだ奥様に、「別に悪いことをしたんじゃないんだ」と言い訳しなければならないほどだったと。 だけど、この本が出たお陰で、徳大寺さんは日本自動車ジャーナリスト協会から除名されるんですな。 つまり徳大寺さんの『間違いだらけのクルマ選び』が、歯に衣着せずに自動車業界を批判したものだから、そういう目にあったわけね。逆に言えば、当時の自動車ジャーナリズムというのは、自動車業界のイエスマンじゃないといけなかったということになる。とにかく新車を褒める、というスタンスじゃないと、業界人として生き残れなかったんでしょうな。その暗黙のルールを徳大寺さんが破ったと。 いやあ、まさかあの本が、それほどまでに革命的な本だったとは知らなかった・・・。 そんなこともこの本を読んで初めて知りました。 その他、徳大寺さんが実は大の長嶋茂雄ファンだったとか、カメラには一家言のある人だったとか、へえーと思うこともしばしば。特にモノクロームの写真を論じた箇所で、「人間はモノクロームカメラによって、はじめて色のない世界を体験したのだ」という趣旨のことを書いておられるのですが、なるほど、確かにその通りだなあと、目からウロコでしたね。 というわけで、100円ではもったいないほど本書を堪能してしまったワタクシだったのであります。クルマ好き、徳大寺さんファンの方は是非。教授のおすすめ!です。文庫 徳大寺有恒ベストエッセイ (草思社文庫) [ 徳大寺 有恒 ]
October 27, 2018
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「卒論中間発表会」というのが催されまして、卒論執筆中の4年生が、その途中経過を報告するというアレなんですけど、自分の指導学生だけではなく、他の先生方の指導学生がどんなテーマで卒論を書いているのかが分かるという点で、結構面白い行事なんですな。 で、そんな中、他の先生のゼミ生が「実存主義」についての卒論を書いていることがわかったと。 で、その内容は、要するに実存主義っていうのはどういうものかを概論的に辿るというものらしいんですな。つまり、実存主義といっても、もちろん、いきなりサルトルがそういう新しい概念を提唱したわけではなく、その前段階となるような思想的潮流はあった。例えばハイデッガーやヘーゲル、キルケゴールらの思想にもその萌芽はあるし、もっと遡ればアリストテレスの思想にまで辿り着く、みたいな。 で、この卒論では、そういう「実存主義の系譜」みたいなものを明らかにしたい、というようなことをその学生は言っていたわけ。 つまらないねえ!! つまらない! そんなこと調べてもつまらないよね~!! そんなの、単なるお勉強で終っちゃうじゃん。つまらないわ~。 だってさ、今、実存主義のことを少しでも知っている若い人なんて存在しないわけじゃん? サルトルの名前すら知らないという連中なんだから。 だけど、日本でも団塊の世代に属する人達、1968年に学生だった人達、つまり今70代半ばくらいの人たちにとっては、生きるか死ぬかの思想だったわけですよ。 サルトルの『嘔吐』の主人公は、自分が存在していること自体には何の意味もないということを悟り、愕然として吐くわけでしょ。じゃあ、その意味のない生に意味を付与するにはどうすればいいかって考えた時に、「アンガージュマン」という発想が出てくる。英語で言えば「エンゲージメント」、つまり社会に身を投じるってことですな。で、1968年に学生だった皆さんは、『嘔吐』読んで触発されて、自分の生に意味を与えるために学生運動やったわけさ。それやらなかったら、生きる意味がなかったんだから。 だから実存主義ってのは、その世代の人たちにとって、すごい影響力があったわけね。 だけど、今はそうじゃない。今、自分の生そのものには意味がないと悟って吐気を催す学生って、一人も居ないでしょ。 つまり、1968年から50年経った今、実存主義って完全に廃れたわけですな。かつて日本においてもあれほど影響力があった思想なのに。 じゃあ、この50年の間に、一体どういう変化があったのか。どうして実存主義は生き残れなかったのか。それとも、廃れた実存主義っていうのは偽物で、本当の実存主義は今日なお意味を持ち得るのか。 世界の学生運動の原点である1968年からちょうど50周年に当たる今年、実存主義の再検討をするんだったら、そこを考えないと意味ないでしょ。そんな、アリストテレス以来の系譜、なんて、抽象的なことじゃなくてさ。 で、さらに思うんだけど、実存主義にかぶれた日本人って、今、70代半ば。あと10年したら、もうどれだけ残っているか分からない。だったら、今、まだそういう人達が健在なうちに、インタビューするしかないじゃん。 老人ホームとか行ってさ、「はーい、この中で、若い頃に実存主義にかぶれた人、学生運動に身を投じた人、手を挙げて~!」とか言って探し出し、そういう人たちにインタビューして、50年前の学生がどういうつもりでサルトルを読み、何を感じ、どう行動したのかを明らかにする、なんて、すごく意味のあることだと思うし、その位だったら学部学生にも出来ると思うんだよね。 で、中間発表会でもそういうコメントを言ったのだけど、当の学生はぜんぜんピンと来てなかったようで・・・。2018年の卒論には、ピッタリだと思うんだけどなあ。 まあ、それは仕方がないとして、それにしても実存主義か、なつかしいな。 私が学生の時って、まだ「仏文」の勢いって若干残っていて、私も英文に行くか仏文に行くかでちょっとだけ迷ったことがあったんですわ。 だもので、サルトルの日本における紹介者であった白井浩司先生の授業とかも取ったりして。もうこの時の白井先生は、定年を過ぎてからの非常勤でしたけどね。 その時白井先生から何を学んだのかなんてもうすっかり忘れちまったけど、「この人、サルトルに会ったことあるんだ」っていうだけで、感動ものだったりして。自分も若かったねえ。 「間に6人挟むと、世界中の誰とでもつながる」っていうけれど、私の場合、白井先生を挟んでサルトルとつながるわけだ。で、白井先生とサルトルを介せば、ボーボワールともカミュともつながる。そこからさらに色々な歴史的人物とつながるわけで。 卒論中間発表会を聴きながら、そんな昔の自分のことにまで思いを馳せていたワタクシなのでありました、とさ。
October 26, 2018
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私の古本道の師匠の一人、岡崎武志さんのブログを見ていてビックリしたんですが、池袋の古書店、夏目書房が閉店したとのこと。 え゛ーーーーーー! マジか・・・。 ホントかよ・・・。 二年ほど前まで、某学会の幹事をしておりまして、当時、池袋にある立教大学で会議があることが年に2回ほどあったんですな。で、その用事で上京し、池袋を訪れる度に夏目書房に立ち寄るのを楽しみにしておったわけですよ。 でまた、この夏目書房というのが、店は決して大きくないのですが、品ぞろえが素晴らしくて、私が欲しいと思うような本をよく置いてあったんですわ。 例えば中公文庫版、岡野弘彦の『海のまほろば』とかね。長いこと探していたこの本を、夏目書房の入口を入った正面の文庫棚の、それも私の目の高さの棚にあるのを見つけた時の嬉しさとか。今でも思い出しますなあ。 私は知らなかったのですが、夏目書房は大正時代から今日まで80年もここで店を開いていたそうで、老舗も老舗。そんな素敵な古書店が閉店だなんて、何とも寂しい限り。 ただ、ここの支店が神保町にあって、「ボヘミアンギルド」という名前の店なのですが、ここもまた私のお気に入りの古書店なのよ。で、そのボヘミアンギルドの方はそのまま営業を続けるそうなので、そこは一つホッとしたところ。 ボヘミアンギルドは、2階に有名画家のリトグラフやら有名作家の原稿、あるいは色紙や短冊なども売っていて、これはまたこれで楽しいんだなぁ。 それはともかく、ある時代、私の池袋詣でをより楽しいものにしてくれた夏目書房の閉店を、この店のファンだった愛書家の皆さんと共に惜しむことにしましょうかね。
October 25, 2018
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実業団駅伝、はいずり問題、賛否両論みたいですな。 しかし、このケース、合理的な判断って難しいよね! まあ、脱水で意識朦朧だった選手の場合、これはもう選手の側に正常な判断が出来ない状態だから、この場合は即刻棄権させるのが合理的だと思う。 だけどゴール前200メートルで足を骨折し、それでも這ってタスキを渡そうとしている場合、止めるのがいいのか、続行させるべきか。これは難しい。 例えばゴール手前1キロの段階でこうなったら、それはさすがに棄権させて正解でしょう。あるいはまた、ゴール手前20メートルだったら、これは続行でしょう。 だけど、200メートルってところが微妙なんだよなあ。200メートルだったら、タスキを受けるチームメイトの姿も見えるんじゃないの? しかもこの場合、選手の側に「何としてもタスキを渡す」っていう強い意志があるわけでしょ。それに「自分の負傷のせいでタスキが渡らなくなった」となった場合の、当該の選手が受けるであろう精神的なダメージということもある。一生残るトラウマ、一生残る後悔になるかもしれないわけだし。 もし私自身がその選手の立場だったら、200メートル這ってでもタスキを渡したいと思うだろうね。そしてそうするだろうな。制止されても振り切ると思う。 それを考えると、一概に「棄権させるべきだった」と片づけられないような気もするんだよね・・・。 判断が難しい状況だったんじゃないかな。そういう難しい状況に直面した関係者には同情しますね。
October 24, 2018
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今日の夕方、同僚たちとコーヒーブレイクしていた時、たまたま話題がインドのことに及びまして。 同僚の中で60代のN先生と40代のI先生のお二人が、それぞれ若い時にバックパッカーとしてインドを経巡られたと。まあ、「自分探し」ですかね。 で、彼らが異口同音に言うには、「インドほど衝撃を受けた外国はない」と。そして「滞在中はこんなひどい国はないと思うのだけど、後から振り返ると、あれほど面白い国はなかった」とも。 で、そこからは二人の掛け合いで、「こんなことがあった、あんなことがあった」のパレードになっちゃったのですが、それを傍で聴いていると、まあそら恐ろしいわけよ。 たとえばN先生は、夜にカルカッタに到着したのだそうで、空港で夜を過ごしても良かったのだけど、とりあえずどこか泊るところを探そうと思い、タクシーに乗ってホテル街まで連れていってもらったと。 そうしたらとある街角で「この辺だよ」とか言って下ろされてしまった。 で、クルマを降りてふと顔を挙げると、真っ暗な闇夜の中に無数の人の顔が浮かび上がり、数百人は居るかと思われるその人垣が自分目がけて押し寄せてきたんですと。 要するに、「ホテルを紹介するからチップをよこせ」という人が数百人居たと。タクシーの運ちゃんとグルなわけね。 片やI先生、小汚いホテルでインド最初の夜を明かした翌朝、とりあえず市内を見て廻ろうとしたら、道端のそこらじゅうにハエのたかった人間の死体があると。で、人々は別にそれに気を取られることもなく、普通に歩いていたと。 またN先生曰く、先生がインドに行かれた時、丁度インドにマクドナルドが初めて上陸した頃で、メニューはすべて「ラム肉バーガー」なんだけど、当時インドではマクドナルドは高級レストランということになっていて、外国人観光客はまあ普通に入れてもらえるけれど、現地人は入れる人と入れない人に明確に分かれるというのですな。要するに貧しい人、カーストの低い人は入れない。で、マクドナルドの入口に棍棒を持った警備員が二人居て、店に入る資格がない人が入ろうとすると、その棍棒でめった打ちにして追い払うと。 あるいはI先生、「悲惨な話と言えば、赤ん坊の乞食を見ましたよ」と。まだハイハイしている赤ん坊に空き缶を持たせて、お金をめぐんでもらうのだと。 ひゃー。すごいですな。 で、そんな話で盛り上がって、N先生もI先生も「それ言ったら、僕はこういう光景を見ました」、「僕はもっとすごいのを見たよ」と、競うようにインドの凄まじい日常の光景を説明してくれるわけ。実に思い出深そうに。 一方、それを聴いているK教授と私はもうゲッソリ・・・。 アレだね、人間って、「インドに行く人」と「行かない人」に分かれますな。 ・・・私は、もちろん、後者ですが。
October 23, 2018
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録画していた映画を立て続けに見ていて、昨夜は『007 スカイフォール』を観たのですけれども、その中のエピソードとして自国のスパイのリストを奪われるというような話が出てくる。 最近、このパターン、多すぎない? たしか『ミッション・インポッシブル』でもそんな話がありましたよね? で、思うのだけど、そもそも何でスパイのリストを作るんだ、っていうね。 よござんすか、よござんすか。今日日、その辺の小学校だって、生徒の住所録なんて作らないでしょ? 個人情報を守るという観点から。 そんなご時世に、何でスパイの住所録作るのよ? そんなの作って、どうするの? 小雨の時に運動会強行するか順延するか、緊急連絡網で回すとか?? で、わざわざそんなもん作ってさ、それを敵国なりテロリストに盗まれてどうするんだって。 もし私がCIAとかMI6のえらいさんだったら、「とりあえず、今、敵国に潜入中のスパイのリスト作れ」とか、絶対に指示しないと思うんだよね。 不思議だよね・・・。なんでリスト作るの?
October 22, 2018
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夕方、近くのスーパーまで買い物に出かけるので外に出たら、大分丸くなってきた月が見え、加えてふわりとキンモクセイの香りがしました。今年初めてかな。 季節感がなくなったとはいえ、キンモクセイの香りをかぐと、いよいよ本格的な秋だなあという気分になります。今後、このブログでも、毎年「初めてキンモクセイの香りに気付いた日」を記録していこうかな。その他、「今年初めて虫の音を聴いた日」とかね。「今年初めて『コートが欲しいな』と思った日」とか。 昨日今日とずっと家で雑用をしていたので、あまりニュースもないのですが、昨夜はね、夜、「かつや」というチェーン店でカツ丼を食べてきましたよ。 家内がちょっと忙しくて夕食を作る時間が無かったもので、じゃあ外食するか、となったのですが、といって別に特別な日でもなし、ぜいたくにステキなレストランに行かなくてもいいだろうということになり、結果、そういうことになったわけ。 で、初めて「かつや」を訪れたのですが、家内が食べた小さいカツ丼が400円台、私が食べたのでも600円台くらいだったかしら。それにトン汁をつけても二人で1500円程度。安いねえ。牛丼における吉野家みたいな感じなのかな。で、味の方も決して悪くない。 なるほど、こういう感じなのね。まあ、覚えておいて、時々使ってみようかな。 で、今日の夕食はね、お鍋なの。今日はキムチ鍋。いよいよ今年もお鍋のシーズン到来ですなあ。 キンモクセイにせよ、お鍋にせよ、日本の短い秋を楽しむことにしましょうかね。
October 21, 2018
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ついに読んでしまいましたよ、長谷部誠さんの『心を整える。』。うたい文句が「プロサッカー選手初の自己啓発書」だからね。そりゃ、読むでしょうよ。こっちも自己啓発本のプロなんだから。 ちなみにワタクシが買ったこの本、2011年3月20日初版で、その3か月後、6月25日には「16刷」だからね。3カ月で16刷・・・。今は一体、何刷になっていることやら。いいなあ・・・。もっともそれだけ世に出回った分、ブックオフなどにも大量に出回っているようで、今の相場は新品同様の美本が186円也。186円でも、長谷部様の爽やか過ぎるイケメン顔写真がドーンと表紙に載っておりますので、それだけで186円じゃもったいなさ過ぎる! いっそ1860円位出したっていい! っていう気になるというね。 さて、本書の内容ですが、冒頭、長谷部さんご自身が「心を整える」とはどういうことかを説明されております。それによると、長谷部さんにとって「心を整える」とは、「メンタルを強くする」という意味ではなく、例えばエンジンの調子を見て整備するとか、ピアノを調律するとか、そういう感じだと。 つまり、鍛えるということではなく、常に注意深く様子を見て、調子はずれになりそうだったら微修正する、という感じかな? なるほど。 なるほど、なんだけど、そうは言っても、「じゃあ、心を微調整するってどういうこと?」というところはある。 でも、そこは本書を読み進めていけば、自ずと分かるようになっているのよ。 私が私なりに理解したところを端折って言いますと、「心」って、結局、見えないし、触れない。だから、それを整えるためには、とりあえずある種の「型」をね、心にあてがって、その型の中に心を入れてみるということじゃないかと。 じゃあ、その「型」って何かと言いますと、自分で選び、自分で決めた行動様式のこと。 たとえば「人の悪口は言わない」とかね。サッカーなんか、チームプレーだから、色々な人がそこに関わってくる。チーム・メイトはもちろん、監督、コーチ、マスコミ、ファン等々。で、そういうのがうまく行っていればいいけれど、うまく行っていない時、ついつい、その咎を誰かに押しつけて、悪口を言いたくなる。 だけど、親しい仲間内で誰かの悪口を言って、その場ではせいせいしたところで、何もプラスになるようなことはそこから生れないと。むしろマイナス面しか生じない。 かくして、悪口を言うという行動様式と、悪口を言わない行動様式を両方試したら、後者の方が自分の心にとって心地よいことが分かった、ということになるわけですよ。だから、そこから先は、「悪口を言わない」という行動様式を自分に課す。そうして自分のこころを心地よいままに保つ。 私が思うに、長谷部さんの言う「心を整える」というのは、そういうことなんじゃないかと。 で、そうやって「心が心地よい」状況を作り出す行動様式を一つずつ実験しながら身に着けていくことによって、長谷部さんにとっての一つの生き方が形成されていくわけですよ。 いわば、長谷部誠のダンディズムが形成されていく。 だから、この本は、「長谷部誠のダンディズム」とは何か、を論じた本なのではないかと。私はそう見ましたね。 で、その上で、「長谷部誠って賢いな」と感銘を受けるのは、彼が自分自身の経験をよく反芻してその中から教訓を引き出していること。またそのことに加え、自分の周辺に居る人たちのことをよく観察して、彼らから学べることを適切に引き出していること。 例えば長谷部さんがキング・カズと食事するとするでしょ。すると、カズさんは炭水化物をとらず、野菜中心に食事をし、デザートは決して食べない。そして自分であらかじめ決めた時間が来ると、「明日の練習があるから」と言ってさっと帰ってしまうんですって。 そこに長谷部さんはプロの厳しさを見て取るわけよ。 で、そんな風に、先輩であれ誰であれ、「この人すごいな」と思ったことは肝に銘じ、そのエッセンスを自分なりに消化した上で、自分の行動に活かす。例えば長谷部さんはプロとして活躍するために「良質な睡眠」がいかに大切かを知り、試行錯誤の上、よく眠るための一連の行動様式を確立する。あるいは、重要な試合の前後にいかにリラックスをするかを追究した結果、ひとりで温泉に行くことが一番いいことを発見し、以後、それを続けていたりする。そういう一つ一つの試行錯誤によって、ある意味、カズさんのダンディズムに近づいていっているわけですな。 同じように、チーム内で気の合わない人が居た場合、どうすればいいか。監督の指示に納得がいかない時はどうすればいいか、キャプテンとして後輩に注意する時、どうするのが一番いいか・・・といった様々なことについて、一つ一つ、先輩や第三者の意見や例も参考にしながら、自分なりにベストと思えるやり方というものを確立していく。そして一旦確立したとしても常に見張っていて、やり方を変えるべき時がきたら、いさぎよく変える勇気を持つ。 自分自身と他人の両方から学び、それをすぐに自分の改善に役立てて、自分をステップアップし続けているのだから、加速度的に人格が練れていくわけですわなあ。この本を読むと、彼が二十代にして日本代表のキャプテンとしてチームを引っ張って行ったことも当然と思えます。 でまた、長谷部さんのキャリアがドラマチックですからね。浦和レッズで活躍した後、ドイツのチームに移籍し、日本代表としてワールドカップに何度も出て・・・という具合。そういうステップアップを幾度も経験しながら、その都度、色々な状況に抛り込まれ、苦しいこと悔しいこと辛いことにもまれながら、必死に自分の行くべき道を模索してきたダイナミックな経験がある。で、その経験の中で学んできたことが本書の中で披瀝されていくのだから、本書は、単に自己啓発書というだけでなく、長谷部さんの波乱万丈の自伝としても、またある時代の日本サッカー界の発展史としても面白く読める。そこが、この本の魅力かな。 というわけで、ワタクシ思うに、この本は「買い」かなと。少なくとも、一読の価値はある。ベストセラーとなったのも頷けます。 っていうか、この好青年を養子にしたい(爆!)。 というわけで、私も長谷部さんを大いに見習って、心を整えたいと思うのであります。【新品】【本】心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣 長谷部誠/〔著〕 ところで、ここから先は業務連絡なんだけど、自己啓発本は常に過去の自己啓発本を参照する、のことわざ通り、本書でも長谷部さんは過去の自己啓発本にしばしば言及します。 例えばデール・カーネギーの『人を動かす』とかね。この本も含め、松下幸之助とか稲盛和夫、本田宗一郎など、経営者系の自己啓発本への言及が多いのは、彼がキャプテンとして、そして将来的には監督として、サッカーに携わろうという心の顕れかと。
October 20, 2018
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ポートランドではやたらに公共交通機関を使ったと言いましたが、これがね、相当などんぶり勘定で運営されておりまして。 バスに関しては乗る時に運転手さんに定期券を見せるか、切符を買うことになるので日本と同じなんですけど、路面電車とか市内電車の運営がすごい。どうすごいかというと、まったくノーチェックだということ。 つまり、乗客が乗り降りするのを、誰もチェックしないのね。もちろん改札とかもないし。だから、やろうと思えば、タダ乗りし放題。 もちろん、もしタダ乗りしていたことがバレたら、罰金250ドルね。だけど、とりあえず誰もチェックしにこない。そこは、もう信用でやっているわけ。乗客は定期券を所持しているか、チケットを購入しているか、どっちかだろうと信用して運用しているわけ。 だけど、そういう運営の仕方だから、すごくシンプルに、かつ、コストも安く運営出来ているんです。 もし「タダ乗り絶対許さじ」の構えで運営するとなると、まず改札を作らなきゃ、ってなことになるでしょ。となると、各駅に駅員を配置しなきゃいかん、というようなことにもなる。あるいは乗り降りする乗客がちゃんと定期券か切符を持っているかどうかをチェックする人員が必要となる。どんどんコストが上って行くわけですよ。 だけど、ポートランドはそういう愚は犯さないわけね。多少、タダ乗りをする奴がいたとしても、今みたいなユルユルな運営の方が結局はコストパフォーマンスがいい、と踏んでいるんだな。 どんぶり勘定の方が、うまくいくってこともあるわけですよ。賢いねえ。 一方、最近の日本の大学運営の在り方はどうよ。 昔はね、大学も相当どんぶり勘定でした。 例えばアメリカに出張するとなると、その時点で一日幾らの日当がつく。だから、大学から支払われるお金は、その日当×日数で簡単に出ちゃう。仮にその日当よりも余計に費用がかかろうが、あるいは安くかかろうが、いちいち拘泥しなかったの。 ところが今はどうよ。宿泊費から渡航費から、1円単位でいくらかかったか証明しないと、一銭も出してくれない。 それでも、昔は渡航費なら渡航費で、旅行会社に幾ら支払ったか、その領収書があれば良かったのよ。 ところが、今回、その領収書だけじゃだめだっていうんですな。総額いくらかかったか、ではなくて、飛行機代がいくらで、空港使用料がいくらで、燃料サーチャージがいくらかかったのか、全部、個別で出せと。 驚くわ・・・。そこまでする? そんな細かいところまで報告しなきゃいかんの? それ、事務方だって、自分の首を自分で絞めているようなもんじゃん・・・。 大学事務って、一方ではどんどん人員が減らされているというのに、その一方で、事務処理の方はどんどん複雑化し、仕事量が増えている。もちろん、教員の方だっていちいち報告するのに、すごい時間をとられてしまう。いいことなんて、ひとつもない。 だったら、どんぶり勘定で、いいんじゃないの? ポートランドをご覧よ。それでうまく行っているんだから。 ほんとに、今の日本のやり方って、馬鹿だよね・・・。
October 19, 2018
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今週、月・火・水と連続出張で、総計600キロを走破したんですけど、この過酷なドライブを、ワタクシがただ淡々とこなしていたと思ったら大間違いだぜっ! 転んでもタダでは起きないワタクシ、この600キロのドライブの最中、ずっと一つのことを集中して行なっていたのであります。 それは何かと申しますと・・・ ビーチボーイズのアルバム『ペット・サウンズ』を聴き込んでいたのでありまーす、ガーン! 若い頃と違って、一枚のアルバムを徹底的に聴き込むというようなことが最近ではなかなかできなくなりましたが、今回は、若干必要に迫られて、ではありますが、『ペット・サウンズ』を600キロ分、聴き込んでみたわけですよ。 ちょっとカッコよくない? 「○○時間、聴き込んだ」じゃなくて、「600キロ、聴き込んだ」だからね。なんか、CMのコピーとかに使って欲しい気がする。無理か。 じゃ何でビーチボーイズか、何で『ペット・サウンズ』なのか、ってことですけど、前にも言いましたように、後期の授業で「アメリカ・ロック史」というのを開講するのね。ロックの歴史を講義すると。 で、60年代のことを語るとなると、どうしてもビーチボーイズのことに触れざるを得ない。で、ビーチボーイズに触れるとなると、世上、彼らの一大傑作と言われている『ペット・サウンズ』に触れざるを得ない。 で、前にこのアルバムを買ってですね、とりあえず聴いてみたのですが、これがね、その良さが全然分からないのよ、ワタクシには。 で、「ん? このアルバムって、ビートルズの『サージャント・ペパーズ』に匹敵する傑作コンセプト・アルバムなんじゃないの?」と、自分の耳を疑ったのですが、やっぱり、何度聴いてもあんまりピンと来ない。 以来、そのままになっていたのですが、後期の授業開始も間近に迫った今、「このままじゃ、このアルバムについてちゃんとした説明ができないよ~」と思い、今回、600キロに亘る長距離ドライブをすることになったのを機に、この際、このアルバムを本格的に聴き込んでみよう、と思ったわけよ。 真面目か! そうだよ、真面目だよ! こう見えて意外にワタクシは真面目なんだよ! で、600キロ分、聴いてみた。 突破口は8曲目の『God Only Knows』でした。これこれ! ↓God Only Knows これは・・・すごいじゃないの。こんな楽曲、他にない。上昇諧調のメロディーが美し過ぎる・・・。 なんで最初に二、三度聴いた時に、この曲に気付かなかったかなあ・・・。 で、この曲を、いわばピボットの支点にして他の曲を聴いて行くと、段々その良さが分かってくるんだなあ。1曲目の『Wouln't It Be Nice』とかタイトル曲の『Pet Sounds』、あるいは最後を飾る『Caroline, No』の良さなんかがね。 で、600キロの苛酷なロードの中で段々良さが分かってきたところで、ジム・フジーリという人の書いたその名も『ペット・サウンズ』という本を読んでみた。村上春樹が訳している奴ね。これこれ! ↓ペット・サウンズ/ジム・フジーリ/村上春樹【3000円以上送料無料】 ま、いかにもアメリカのライターっぽい書き方で、さらに言えば、いかにも村上春樹っぽい翻訳調で、鼻につくっちゃ鼻につくんだけど、短い分量の中で、このアルバムを作っていた当時のブライアン・ウィルソンのことが分かるという。ちょいと情報を仕込むにはうってつけの本。 で、この本読んで、ああ、と思ったのだけど、ワタクシが感銘を受けた『God Only Knows』、実はビートルズのポール・マッカートニーがこれを聴いて大絶賛した、という話があるらしい。これは偉大な曲であると。 まあね、つまり、ワタクシとポールには通じるものがあるってことかな。前からうすうすそう思ってたけどね。 あ、あとね、フジーリはあんまり評価してないみたいだけど、このアルバムの唯一のインストルメンタル曲『Pet Sounds』ですが、これってオリジナルのタイトルが『Run, James, Run』で、ジェームズ・ボンドに捧げた曲らしい、なんてこともこの本を読んで知りました。でまた、それを知ってからこの曲を聴くと、確かに『007』っぽいなと。 あと面白かったのは、ブライアン・ウィルソンの編曲能力ね。 ブライアンの指示通りに各パートを楽器演奏すると、どうも変な具合になる。そこでスタジオ・ミュージシャンの一人が、「ブライアン、あのね、ここんとこ、ちょっと変じゃね?」って尋ねたらしいんですな。そしたらブライアン曰く、「いや、各パート全部合わせると丁度良くなるから、完成形を聴いてから言って」と。 で、実際に全パートを合わせた完成形の楽曲を聞いたら、パートごとの変なところが見事にはまって、素晴らしい音になっていたと。 つまり、ブライアン・ウィルソンの頭の中では、最初からその完成形が鳴っていて、それを各パートに振り分ける能力があった、というわけね。こういうエピソードの一つ一つから、ブライアン・ウィルソンという人がどれだけ才能があったか、つーことがよく分かる。 というわけで、まだ完全に理解したわけではないとは言え、少なくとも『Pet Sounds』というアルバムを少しは語れる程度には成長したワタクシ。 600キロの超疲れる出張も、少しは私自身のために役に立ったのであります。PET SOUNDS【輸入盤】▼/THE BEACH BOYS[CD]【返品種別A】
October 18, 2018
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ポートランドで借りていたアパートに、暖炉がありまして。 いや、暖炉といっても実はインチキで、見た目、暖炉に見える電気温風ヒーターなのね。 アメリカ人ってのは暖炉が好きで、西部開拓時代からアメリカ人のDNAに染み込んだものなのか、「家には暖炉が必要」っていうアレがあるんだろうね。 で、その暖炉型温風ヒーターというのが実に凝っていまして。 ちゃんと暖炉型に煉瓦でつくられたくぼみみたいなところに置かれていて、見かけはマジで薪が積まれているみたいになっているの。で、スイッチオンにすると、メラメラと燃える炎が周辺の壁に映し出され、さらに積み上がった薪状のものも、ファジーな感じでふわ~っと赤くなったり、その赤みが消えたりする。 でまた、暖炉上のくぼみにも、いかにも炭が付いたように黒く変色していて、見た目はすっごくリアルに暖炉が赤々と燃え盛っているように見えるわけ。しかも、火掻き棒とかそういう暖炉グッズが暖炉の脇に置かれているので、いかにも本物っぽい。 だけど実際には、その薪状のものの下から電気で作られた温風が吹き出しているというね。 で、それを朝晩つけていると、インチキ暖炉ながら、なかなかいいな、コレ、と思えてくる。 で、こんなインチキ暖炉だったら日本のマンションにも置けるから、そういうの、日本でも売ればいいのに、なんて思いながら帰国した。 と! なんとなんと、日本に戻ったら、いきなりニトリでインチキ薪ストーブを売り出したという宣伝を見てしまったという・・・。ひゃー、グッドタイミング!これこれ! ↓繊細な炎の演出に心まであたたまるワイド暖炉型ファンヒーター(BK17) ニトリ 【送料無料・玄関先迄納品】 【1年保証】暖炉型ファンヒーター(BK18) ニトリ 【送料無料・玄関先迄納品】 【1年保証】 ひゃー。 買っちゃおうかな・・・。
October 18, 2018
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面白いことを教えてあげよう。 愛知県田原市に、 ブックオフは、 一軒もない・・・。 ま、しゃあないな。 それはともかく、今日参観してきたのは6年生の国語の授業でありまして、使われたのは立松和平の『海の命』という作品。 この話、御存知? 私はもちろん、聞いたこともない話でありまして。 で、例によって日本の小学校では、とにかくまず小学生に考えさせ、解釈させるというのが最優先されますので、教習生もしきりに生徒たちにこの作品を解釈させようとするのですが、なかなかいい意見が出なくて、苦労しておりました。 で、授業後の指導の時に、教習生君に尋ねてみたわけ、「で、この話って、結局、どういうの?」って。 で、彼から粗筋を聞いてびっくりしたのですが、これがまた馬鹿みたいな話でして。 どっかの海辺の村で漁師をしている男がおりまして、村一番の腕とたたえられた人らしいのですが、これがある時、でっかいクエを見つけて銛を打ち込んだら、海の底に逃げちゃった。で、銛に付けられていた綱が巻き付いてしまって、この漁師も海に引きずり込まれて死んじゃったと(『白鯨』か!)。 で、その漁師の息子ってのが太一って奴で、これがなんとかいうじじいの弟子になってやっぱり漁師になる。で、親父さん並の腕利きの漁師になると。 そしたらある日、太一はでかいクエに遭遇する。親の仇ですな。 まあ、このシチュエーションから言ったら、普通は仇討でしょうよ。ところが。 この太一とかいう奴は、急に「やあ、ここにおられたのですか」とかなんとかクエにつぶやいて、それで敵討ちもしないで海から上がってきましたとさ(『ハムレット』か!)。 おしまい。 っていう話なの。 このアホみたいな話を、小学校6年生に解釈させるって、無理じゃね? 私だって答えに窮するわ。 大体さ、相手が「クエ」っていうスケール感がせこいよね。白く巨大な肉食のマッコウクジラとかさ、ホオジロザメとか、せめて大王イカとか、そういうのが相手ならまだアレだけど、クエだよ、クエ。鍋物の具じゃん。そんなのにやられる親父も親父だ。 で、太一も太一だ。お前、親の仇をとるんで漁師になったんじゃないのか? 「やるんかと思ったら、やらんのかい、やるんかと思ったら、やらんのかい!」って吉本新喜劇のギャグじゃないか。 でまた、そのクエがさあ、やさしい穏やかな目をしていたそうなんですけど・・・、魚じゃん。魚の表情とか、分かるの? 水族館とかで回遊している魚見てさ、「おお、この魚は笑っておるな、この魚は怒っておるな、この魚は優しい顔しておるな」なんて分かる? 私には分からないよ。全部同じ無表情にしか見えん。だから「やさしい目をしていた」とか書く立松和平は大嘘つきだと思うな。リアリティがない。 で、教科書サイドの思惑からすると、どうやら、太一は、親の仇討ちとか、そういう個人レベルの怨みを越えて、地球レベルの、というか、大自然としての海というレベルに到達し、その海の象徴としてのクエを殺さないという選択をすることによって、人間的な成長を遂げた、的なことを解釈させようとしているみたいですけど、いやあ、それも薄っぺらい話だねえ。この話自体が、本物の風景じゃなくて、書割の風景みたいじゃない。 人間の感情ってのは、そんなきれいごとみたいな動きはしませんよ。作りモノ、作りモノ。 要するにね、立松和平のこの話がダメダメなのよ。ダメダメな話を元に、何かステキな解釈を引き出そうったって、無理、無理。 教科書会社もさあ、こんな下らん話を採用しちゃ、ダメよ~、ダメ、ダメ! 教習生泣かせだわ。 教科書なんて、子供の教育には大切なものじゃないの。もっとちゃんとした作品を載せて、社会責任を果しなさい。
October 17, 2018
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アメリカから戻ったばかりだっつってんのに、今週は月・火・水と出張3連チャン。県内の小中学校に行って、うちの学生の教育実習の研究授業を参観しに行くのですが、これがまた遠い所ばっかりでね。 今日は家から片道75キロ、明日と明後日は片道100キロのところに行くの。だから、3日間で550キロも走るという・・・。おかしくない? 片道100キロって、往復5時間だよ。飛行機に乗って5時間かけたら、ほとんどハワイに到着だよ。そんなのを3連チャンって・・・。 で、今日は担当の学生が2人居て、2限と5限だったものだから、お昼を挟んで結構時間を持て余すわけよ。 ということで、途中、中抜けしてブックオフ2軒はしごしちゃった。 で、今日の収穫はこんな感じ:○長谷部 誠 著 『心を整える。』(幻冬舎) 186円○ウェイン・ダイアー 著 『最高の人生を手に入れる人がやっていること』(三笠書房)108円○玉村豊男 著 『東欧・旅の雑学ノート』(中公文庫) 108円○徳大寺有恒 著 『徳大寺有恒ベストエッセイ』(草思社文庫) 108円 最初の2冊は仕事がらみね。特に長谷部さんのは、日本の自己啓発本の一例として。日本ではなぜかサッカー選手が自己啓発を語るというのが多くて、そういうのってあんまり世界に例がないのね。だから。 後半は趣味の本だけど、特に徳さんの本はめっけもんかな。稀代の自動車ジャーナリストのクルマについてのエッセイ集ですからね。 さてさて、明日もまた死のロードなんだけど、明日は田原方面なので、そちらの方のブックオフをあらかじめチェックしておこうかな。【中古】文庫 ≪エッセイ・随筆≫ 徳大寺有恒ベストエッセイ / 徳大寺有恒【タイムセール】【中古】afb
October 15, 2018
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今回、ポートランドを訪れて、感銘を受けたことの一つが、消費税のこと。 そう、ポートランドって、消費税がないんですよね。ま、ポートランドだけじゃなくて、オレゴン州全体に消費税がないんですが。 だから、どこでモノを買うにしても、値札通りに支払いをすることになる。これがね、結構、新鮮な体験となるわけ。 だって、消費税のある世界に何十年も暮しているわけじゃん? だから、値札を見ても、それが支払うべき金額だとは思わないわけよ。それプラス8%の消費税だから・・・はっきりは分からないけど、とにかく、その値札プラス何がしかの値段だよな、って瞬間的に思ってしまう。 だから今回、ポートランドでモノを買って、それが12ドル75セントのものだとしたら、12ドル75セント払えばいいんだ、っていうのが新鮮に感じるんですな。ああ、それでいいのか・・・っていうね。 まあ、その分、オレゴン州の住民は所得税とかが高いわけで、それで帳尻があってしまうわけですけれども、旅行者からしたらメリットしかない。 アメリカの場合、各州の独立性が高いので、税率もそれぞれの州で勝手に決められるわけですが、そういうのも面白いよね。 日本でも、各県で独自に税率を決められたら面白いのにね。 あともう一つ、今回アメリカを訪れてふーんと思ったのは、トランプ大統領のこと。 日本では、トランプ大統領ってとんでもない奴だから、どうせ次の選挙では負けるだろうなと思っている人が多いでしょ? だけどね、現地の様子を伺うと、そうでもないのかなと。 アメリカの友人で、トランプを極度に嫌っている男がいて、私が「お前さんのところの大統領が・・・」とか言うと、「あんな奴、我々の大統領なんかじゃない!」と訂正するほど、彼を毛嫌いしているのですが、そんな友人ですら、「次の選挙も危ない・・・」という危機感を抱いているんですわ。つまり、トランプがもう一期、計8年に亘って大統領職に居座るんじゃないかと。 それほどブルーカラーの人々の間でのトランプ人気はすごいと。 しかも、民主党にトランプに対抗できるカリスマ性のある政治家はいないし、共和党の中にもトランプに対抗できる穏健派の政治家がいない。となると・・・ トランプ氏はアメリカのマスコミを「フェイク」と決めつけるけれど、確かにマスコミはなんだかんだ言ってハイブラウなわけよ。その観点からしかモノを言わない。だけど、ハイブラウの人間ってのは、少数派だからね。大多数の人間の声を反映していない可能性がある。その意味では、トランプ氏の言う通り、フェイクなのかも知れない。 トランプ大統領の支持者の声、そして彼らの投票パワーを過小評価しちゃいかんなと。 っていうか、トランプ大統領の言動だけを見て、あれは完全なアホだと思うのは簡単なんだけど、それはアメリカという国をちゃんと見てないことにもなっているんじゃないかと。 ま、そんなことをつらつら考えさせられた2週間だったのでした。
October 14, 2018
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ひゃ~、昨晩、ポートランドより無事帰国いたしました~! この夏休み中、8月に某雑誌に出す原稿1本、9月に大学紀要に出す論文1本書いたせいか結構消耗しておりまして、プラス、来年以降の科研費の申請書類なんかも書いていたことも祟って、出発直前に体調を崩してしまいまして。まさに昨年秋の学会で大ポカやらかした時の再現で、熱はあるし、吐気も少しあって、こんな状態で飛行機での長旅出来るんだろうかと、かなり気がかりなところがあったんですわ。 しかし、天の助けか、まあ何とか向こうに着き、着いてみたら劇的に体調回復して、初日から動けたし、2週間ばっちり、やりたかったことは全部やったと言う感じ。充実の2週間でございました。 で、晩秋の感すら漂うポートランドから日本に戻ってきてみれば、まだまだ蒸し暑いほど。大分季節が戻りましたね。 それにしても、ポートランドではずっと公共交通機関に頼っていて、自分でクルマを運転してなかったので、昨晩、空港から自宅まで久々に愛車を運転したら、超楽しい。ああ、クルマ運転するのって楽しいなと。 そして店じまい直前の「丸亀製麺」に飛び込んで食べたうどんの旨かったこと! 出汁の味! しかし、日本の味は別として、ポートランドは飯は旨かったですなあ・・・。もう、ロスとは段違い。コーヒーも美味しかったし。さらにビールが好きな人にとっては、ポートランドは夢の町なんですけどね。 ま、とりあえず、今は2週間分の浦島状態でありまして、今日は一日、旅荷をほどきながら、ポートランドの思い出に浸りつつ、日本での生活リズムの回復に努めようと思います。
October 13, 2018
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今日でポートランド滞在も最終日。ということで今日はお仕事をお休みしてバラ園とピトック邸にハイキングに行って参りました。 ポートランドは別名「バラの街」でありまして、バラ園が有名なんですな。で、そのバラ園というのが、私が今借りているアパートから徒歩で行けるところにあるというのですから、そりゃ行くでしょう。 というわけで、アパートの近くのベトナム料理屋でベトナム風サンドイッチ「バインミー」を調達して、それを持っててくてくバラ園へ。 そもそも何でポートランドにバラ園があるかと申しますと、これがまた第1次世界大戦と関係があるってんですから面白い。第1次世界大戦はヨーロッパの多くの国を巻き込んだ大戦争でありまして、ヨーロッパの多くの都市が打撃を受けた。で、ヨーロッパで開発されてきたハイブリッド種のバラも戦争の影響で絶えて果てそうになっていたんですな。 で、このままじゃヨーロッパのバラが危ない! というわけで、アメリカの某篤志家が貴重なヨーロッパのバラの種をアメリカに持ち帰り、ポートランドにバラ園を作って種の絶滅を防いだと。まあ、そういう事情らしい。 戦争だ、となった時に、「このままじゃバラが危ない!」っていう発想がすごいよね。普通はそんなところまで気が回らないでしょ。 まあ、とにかくそういう事情で始まったバラ園なので、単に人に見せるためだけではなくて、種の保存ということに主眼が置かれているわけ。 でまた、日本だとバラといえば6月のものかと思いますが、ポートランドでは10月まで見られるのね。だから、今日もしっかり咲き誇るバラを見ることができました。めでたし、めでたし。 で、バラ園を堪能した後、バスで2停留所分ほど乗って、今度は「ピトック邸」というところを見学に。 ピトックさんというのは、イギリスの人ですけれども、アメリカに渡って来て、ポートランドの新聞社に勤めたと。 で、一生懸命働いてお金を貯めて、共同経営者になり、さらには新聞社を買い取って社長になったと。 で、19世紀後半と言えば、新聞は一大産業ですから、ピトックさんも頑張って週刊だった新聞を日刊にし、購読者を増やすことに専念して、『オレゴニアン』紙をこの地方の主要新聞に押し上げたと。 で、大金持ちになったピトックさんは、ポートランドの街を見下ろす高台に豪勢な大邸宅を建設する。それが今なお残る歴史的建造物「ピトック邸」なんですな。もっとも、この大邸宅も20世紀半ばには廃れて、崩壊寸前だったようですが、それじゃああまりにも惜しいというので、地元の人々がお金を出して補修し、今日は一種のミュージアムとして公開していると、そういうわけ。 で、実際見てみると、これがすごい邸宅でね。もちろん、カリフォルニアの新聞王の邸宅「ハーストキャッスル」と比べたら比ではないですが、個人の邸宅としてみたら贅沢の極み。20世紀初頭に手に入る最高レベルの文明の利器が全部備わっていたという点でも見所いっぱい。シャワーなんて、上からも横からも吹き出すようになっているんですから、すごいですよ。 これを移民一世の人が一代で築いたんですから、ピトックさんも立志伝中の人ですな。 とにかく建築マニアの私としては、もう、よだれだらだらもんで見学しちゃった。 というわけで、ポートランド最終日、存分に堪能したワタクシなのであります。 さてさて、明日はもう朝から日本に向けて帰国の旅。次の更新はまた名古屋からということになります。どうか道中の無事を祈っていてくださいね〜!
October 11, 2018
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私のポートランド滞在も残り少なになってきた今日、ちょいと足を伸ばして Reed College というところに行って参りました。リード・カレッジっていうのは、あのスティーブ・ジョブズが短期間在籍していた大学ね。在籍ったって、正規の学生だったのは数ヶ月のことですぐに中退しちゃったんですけど、それでもカリグラフィー(西洋風習字)のクラスだけはその後1年半に亘って取り続けたという。そしてそれがマックのフォントのアイディアに活かされたというね。 ポートランドのダウンタウンからバスで30分ほど南東の方角に行ったところにリード大学はありました。なにせ学生数が1400人くらいしかいない小さい大学ですが、敷地は緑豊か、校舎は赤レンガの瀟洒なもので、ちょっと東部の名門大学みたい。大学のレベルは高いのですが、専門大学ではなく、教養大学ですな。アマーストとかウィリアムズとかウェルズリーとか、アメリカにはこの手の小規模なリベラルアーツ系の名門大学がありますが、リード大学もそんな大学の一つ。ちなみにリード大学は学費が高いことでも有名で、ジョブズがすぐに大学を中退したのも、養父母に金銭的な負担をかけたくなかったから、ということもあったようです。 で、キャンパスに足を踏み入れてみた印象ですけど、学生が少ない。で、その学生もアメリカの学生っぽくないというか、あまりキャピキャピしてなくて、群れない一匹狼が多い感じ。特に男子学生は気難しそうだったり、すごくシャイっぽかったり、きっと高校時代は成績はそこそこいいけどクラスの中で全然目立たない、みたいな子だったんだろうな、ってな感じの学生ばっかり。そういう子には、向いている大学なんじゃないでしょうか。 で、図書館を使わせてもらった感じから言うと、すごくいい。もうポートランド州立大学なんかよりよほどきめ細かいサービスが受けられるし、そもそも図書館の設備が全然違う。設備がいいというのは、よりモダンという意味ではなく、より重厚、より落ち着いていて、よりアットホームという意味。とにかく居心地がいい。司書の人の親切度も全然違う。リードの司書は素晴らしい。ちなみに図書館の検索用のパソコンは、他の多くの図書館と違ってマックなんですよね。そこはやっぱりジョブズの在籍した大学ということで。 やっぱりお金持ちの大学ですな。 ところでリード大学と言えば、どうしたってスティーブ・ジョブズのことが連想されるのですが、ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式に招かれて行った有名なスピーチがあるじゃないですか。 で、その中で例の『ホール・アース・カタログ』に触れた一節があって、そこが私にとっては重要なところなんですが、今回、リード大学を訪れたのを機に改めてそのスピーチを聴いてみた。で、思うのですが、とてもいいスピーチですな,何度聴いても。 ということで、日本語訳付きのスピーチ映像をアップしておきましょう。これこれ! ↓伝説のスタンフォード・スピーチ Stay hungry, stay foolish. これもまた、私の座右の銘としましょうかね。
October 10, 2018
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ボブ・ロスってご存知? 絵の先生ですね。昔、アメリカのテレビ番組で、『The Joy of Painting』という絵の描き方を教える番組があって、そこで絵の指導をしていたのがボブ・ロスさん。 で、その教え方というのがすごくて、「はーい、じゃあ、空描いちゃいます。刷毛に空色の絵の具付けて、ほーらこうやって右・左・右・左って塗るでしょ。はい、空が描けました。じゃあ、次、木を描きます。はい、刷毛に緑色の絵の具付けて、ほーらこうやってさっさっさって。ほら木が描けました。じゃ、次、人を描きます。小さな黒丸描いて。はい、頭が描けました。じゃ、その下にニンジンみたいなのを描いて。ほら胴体が描けました。簡単でしょ?」みたいな感じで、実に穏やかに、実に軽やかに、教えてくれるの。ほんと、目からうろこが落ちるような教え方なのよ。 で、私が初めて渡米し、シカゴに2ヶ月ほど滞在していた時、たまたまこの番組をテレビで見て、えらく感動して、すごいなこの人、と思って、以後、よくこの番組を見ていたんですな。 でも、その時はこの人がどんな人かも知らないで見ていたんです。 ところがね、実はこの人、もうとっくに亡くなっていますけれども、今でもすごく人気があって、彼の番組はDVD化されて売られているし、アメリカの本屋さんに行くと、必ずと言っていいほど、この人のグッズが置いてある。ぬいぐるみとかもあるし。 で、それらのグッズには、ボブ・ロスさんの有名な言葉が書いてあるんです。で、その言葉というのはどういうのかと言いますと・・・ We don't make mistakes. We have happy accidents. (私たちは間違いを犯すのではない。ただ楽しいアクシデントに見舞われるだけだ) っていうの。 絵を描いていれば、そりゃ筆の誤りってのがあるわけで、「あ、しまった、失敗した」ということは頻繁にある。だけどボブさんに言わせれば、それは「失敗」じゃないと。アクシデントだと。しかもそのアクシデントは悪いものじゃなくて,ハッピーなものだと。 これ、絵を描く時だけじゃなくて、人生全般にも当てはまる・・・っていうか、当てはめるべきだよね。人生に失敗なんてない、我々が失敗だと思っているものは、実はハッピーなアクシデントだったんだと。そう思えば、随分、人生の見方が変わってくるんじゃないかな。 すてきな言葉だなあ。 というわけで、私もパウエル書店で、ボブ・ロスさんのグッズ買っちゃった! ボブ・ロスさんのこの言葉を私も座右の銘として、頑張ろうっと。【中古】その他DVD ボブ・ロス ザ・ジョイ・オブ・ペインティングBOX(1)
October 9, 2018
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ポートランドもシアトル同様、雨が多い街でありまして、夏が終わると雨ばっかり。今、ちょうどその境目にあたる時期なので、昨日も今日も雨模様。 そのことは事前に知っていたので、当然のことながら我々は折り畳み傘を持参しており、雨が降れば傘をさすという、あまりにも当然な行動を取っているわけでございます。 が! こっちで雨降りの日に傘をさして歩いていると、めちゃくちゃ浮くんですよね・・・。 なぜなら、アメリカ人は傘をささないから! もうね、こっちの人はマジで傘をささない。雨が降ってもそのまま歩く。たまに傘をさして歩いている人を見ると、大概はアジア系の人。それ以外の人はほとんど傘をささない。 なんでだよ! 傘ってものは、こういうときの為にあるんじゃないのかっ?! ただ、傘の代わりにフードはかぶるんですよね。トレーナーとかコートとかでフード付きのがあるじゃん? 日本であのフードをマジで活用している人を見たことがないけど、こちらでは雨降りの日にみんなあのフードをかぶって、あとは雨に濡れながら歩く。 まあね、ロスみたいに、一年365日のうち360日は晴れ、という場所に住んでいる人が傘を持ってないのは分かるよ。ほぼ必要ないんだから。でも、ここはポートランドじゃん。雨期には毎日雨が降るんじゃん。なのになぜ傘をささないのか。 分からないなあ・・・。
October 8, 2018
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今日はイラン人の友達夫婦がロスからわざわざ我々に会いにポートランドまで来てくれることになっていたので、とある街角で待ち合わせをしていたのですが、その際、ちょっと面白い経験をしまして。 我々が路上で友達を待っていると、地元の50代くらいのおばさまが一人、つかつかと我々の方にやってきたんです。 で、ん? 何か我々に用でもあるのかしら? と思っていると、そのおばさま、私の家内に向かって「あなたはすごく美しいわ。ただそれだけ言いたかったの」と言って、去って行ったのでした。 いやはや、びっくり。 まあ、私の家内が飛び切りの美人なのは私もよく知るところですが、通りがかりの、まったく見ず知らずの人が、わざわざそれを言いに来るっていうのがすごいなと。日本ではこういうことはまず起こらないでしょう。 私自身は見知らぬ人から「あなたはとんでもないハンサムね、ただそれが言いたかったの」などと言われたことがないのが残念なところですが、まあ、家内を褒めてもらっただけで満足するとしましょうか。
October 7, 2018
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なかなかいい英語の格言を見つけまして。どういうのかと言いますと・・・ 「You are not a drop in the ocean. You are the ocean in a drop.」っていうの。 巧い言い方だよね・・・。ま、トイレの落書きなんですけどね。 さて、それはさておきですよ。今日は思わぬ収穫がありまして。 このブログでも前に紹介しましたが、『ホール・アース・カタログ』っていう大判の雑誌がありまして、まあ、サバイバルのための道具を紹介した雑誌なんですが、これが1960年代末、ヒッピーの間でバイブルみたいに読まれた。そしてこの雑誌がきっかけとなって、より人間らしい生き方って何だ? というようなことが問われたわけですよ。つまり「文明の利器に囲まれた暮らしにどっぷり漬かって、のうのうと暮らしていてそれでいいのか?」っていう疑問をアメリカ人に突きつけたわけ。今とは違う生き方があるんじゃないか、ということを問うたわけですな。その意味で、この雑誌は、ある種、自己啓発本と言っていい。 ま、そんなことをいずれ論文にまとめようかなと思っていたところ、今日、その『ホール・アース・カタログ』の実物を,ポートランドのとある古本屋(パウエルではない)で見つけちゃったというね。 そりゃ、買うでしょ。高かったけど。 いやあ、実物を持っているってのは、やっぱり違うからね。はるばるアメリカまで資料収集にやってきた甲斐があったというもの。 というわけで、今日はいい買い物をした一日となったのでした。
October 6, 2018
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ポートランドは週毎のイベントとか、月一のイベントとか、そういう類いが沢山あって楽しいのですが、今日、第1木曜日は「パール・ディストリクト」というギャラリーの密集している地域で催しがある日でありまして、我々もそれに参加して参りました。 普通、ギャラリーは夕方には閉まってしまうわけですけれども、毎月この日ばかりは夜9時までオープンしているんです。しかも、それぞれのギャラリーがワインやビール、つまみなどを提供するので、そういうのをタダでつまみながら、あちこちのギャラリーをゆっくり見て回れると。 美術館と違ってギャラリーは絵を買う場所ですから、普段はちょっと敷居が高いところがありますけど、今日ばかりは沢山の人が繰り出していますし、そういう人の波に混じってあちこちのギャラリーにドンドン気軽に入って行ける。 で、その催しが夜、開催されるところがまた良くて、外の暗さに対して、ギャラリーの中は煌煌と明かりがともっていますから、そのコントラストがとてもいい。なんか特別な夜、っていう感じがするんですわ。 さらにさらに、やはり絵画や彫刻など、芸術作品を見て回る催しですから、そういうところに集まってくる人たちもオシャレな人が多くて、着ている服や髪など、実に面白い。ギャラリーに集まる人たちを見ているだけで面白いんですなあ。 こういう街を挙げての催しがあって、しかもタダで楽しめるわけですから、いいですよ。まさに「街を楽しんでいる」という感覚がある。 というわけで、今日は夜にギャラリー巡りをするという面白い体験をして、ますますポートランドという街が気に入ってしまったワタクシなのであります。
October 5, 2018
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今回の滞在ではポートランド州立大学(略称PSU)を使わせてもらっているのですが、慣れ親しんだUCLAとは大分趣が異なる感じがいたします。 まずキャンパスの感じが違う。UCLAは広大な専用の敷地があって、その中に無数の建物が立っている感じですけど、PSUは特定のキャンパスがない。大学の建物は密集していますから、この辺一帯が大学だな、というのは分かるんですけれども、建物と建物の間を通る道路は公道ですからね。 で、UCLAには「アッカーマン・ユニオン」というどデカい建物があって、ここにレストランからショップから本屋からゲームセンターまで入っていて、学生生活をサポートしてくれるのですけれども、PSUの場合、それに相当するものがあるにはあるものの、小さい,小さい。今日、初めて入ってみて、ちょっと驚いちゃった。え、こんなに小さいの?と。 で、UCLAのアッカーマン・ユニオンには大学の紋章などが入った服がごまんと売っていて、色もデザインも豊富。ゆえにこれが恰好のお土産品になるのですけれども、PSUの場合、スクール・カラーが緑色なもので、緑色の地に「PSU」とロゴが入ったシンプルな服がちょこっとあるばかり。 で、あまりに緑緑しているものですから、そんな服を着たら「グリンチ」みたいになって目立って仕方がないと思うのですが、実際、そんなスクール・カラーの服を着ている学生の姿がほとんど見当たらない。UCLAの場合、UCLAのロゴの入った服を着ている学生をやたらに見かけるんですけど、ここではそういうこともないですなあ。 もちろん、だからどう、ということもないんですけれども、「UCLA感」の強いUCLAと、「PSU感」のやたらに薄いPSUという違いはありますね。 逆に,ハーバードとかスタンフォードみたいに、在籍学生の母校愛が強過ぎて,外部の人間は退く、というところもある。それもどうかと思うのだけど、そういう意味で言うと、やっぱりUCLAの適度な母校愛が私にはちょうどいいかな。 まあ、色々な大学があって、それぞれの大学に特有の温度がある。それは、面白いですね。
October 4, 2018
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多分、最近のことだと思うのですが、ポートランドでは(っていうか、アメリカでは、かも知れないけど)電動キックボードが大流行りですわ。 キックボードは昔からありますが、最近のは電動なので、かなり急な坂でもぴや〜って上って行ってしまう。ポートランドは自転車の街だとよく言われるようですが、自転車よりもはるかに電動キックボードに乗っている人を見かけます。これこれ! ↓これが電動キックボードだ! 見ていると、これがまた実に気持ち良さそうなんですよね〜。これは乗ってみたい。 ちなみに、アメリカでは電動キックボードは個人で所有するものというよりは、借りるもののようで、専用アプリがあって、それで今使われていないキックボードがどこにあるか、分かるらしいんですな。それで、その場所に行ってキックボードをゲットしたら、同じくアプリで「これ、借りるよ」って知らせると、使った時間に応じて課金されると。そういう仕組みらしい。「バード」とか「ライム」ってのが、レンタル・キックボード会社らしく、それらのステッカーが貼られたキックボードを街のあちこちで見かけます。基本、乗り捨てなのね。 アメリカではタクシーではなく「ウーバー」に乗る人ばっかりになってしまいましたが、最近では「ウーバー」ですらなく、キックボードに乗る、ってのが流行しているってんですから、日本なんか大分、遅れをとっておりますぞ。 日本でも電動キックボード自体は買えるようですけど、公道は走れないらしい。否、走れることは走れるけど、ナンバーを取らなければならないとか、結構、面倒な手続きがいるようで。 まあ、しかし、分からないでもないかな。アメリカの場合、クルマを運転する人の、歩行者に対する配慮ってすごいからね。必ず止まるもん。だけど、日本では我がもの顔でクルマが走るから、電動キックボードが公道を走るとすると、接触事故とは増えそう。だから、警察としては、やっかいなことを増やしたくない。だから、面倒臭い手続きなしには公道を走れないようにしてやろうと。そういう論理でしょう。 というわけで、日本でこの面白そうな乗り物に乗るのは、ちょっと無理そうですが、例えば大学のキャンパス内ならいいんですよね? ううむ、日本に帰ったら一つ買って、これで研究室から講義教室まで移動しようかな。学生も目を丸くするだろうな!キックボード 電動 大人用 大人 グリップ キックスクーター ペダル キックスケーター 折りたたみ 8インチ フット ブレーキ スタンド キッズ 通勤 人気 おすすめ キックボード人気メーカー おしゃれ 電動キックボード JD RAZOR CITY BUG 2
October 3, 2018
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ポートランドはビールとワインの醸造、サード・ウェーブ・コーヒーなどが有名なんですけど、もう一つ、ドーナツでも有名でありまして。 ポートランドのドーナツと言いますと「ブルースター・ドーナツ」と「ヴードゥー・ドーナツ」っていうのが特に名高いんですけど、ブルースターの方は、まあ、まともなドーナツなんですな。ただ、地元の素材にこだわっているので、チェーン店ではありながら、当日の在庫が無くなったらもうその時点で店じまいというところがすごい。 で、もう一方の「ヴードゥー・ドーナツ」なんですが、これはまともじゃない。 なにがまともじゃないかって、まあ、実物を見ていただければ。これこれ! ↓これが世にも奇妙なヴードゥー・ドーナツじゃ! ね。変でしょ? 特に一番有名な「ヴードゥー・ドール」というドーナツは、可愛いお化けにぐさっと杙が刺さっていて、さらに中から血潮と見まごうイチゴジャムがどろっと出てくるという趣向。 さらに「メイプル・ベーコン」というのも有名で、これはメイプル味のグレーズがかかった上に、カリッと焼いたベーコンが乗っていると言う。これ、食べましたけど、焼いたベーコンの塩味がドーナツの甘みを中和して、とてもいい感じ。地元の人は、これを酒を飲んだ後の〆に食べるそうで。 でまた、ヴードゥー・ドーナツはすべて大きなピンク色の箱に入れられて供されるんですが、このピンクの箱には魔法使いがドーナツを焼き上げる全過程がイラスト的に描いてあって、これをじっくり読み解くだけでもとっても楽しい。 今、ポートランドの「名物」と言われているものは、実は決して大昔からあるものではなく、「ヴードゥー・ドーナツ」にしてもたかだか15年くらいの歴史しかない。しかし、今では相当大きなビジネスになっているようで、ちょっとしたサクセス・ストーリーでございます。 ポートランドみたいな,人口たかだか60万程度の小さな街で始まった小さなドーナツ屋が、そのアイディアと味であっという間に成長して行く。そしてそれはヴードゥーだけじゃなくて、他にもそういうのがいっぱいあるっていうのが、なんだかステキ。ポートランドという街が、今、アメリカで一番面白いっていうのも、分かる気がしますな。 ちなみに、ポートランドの街中には、大きなキッチンを開放しているところがあって、腕に自慢の人はここに材料を持ち込んで調理し、それをふるまって、もしそれが美味しくて人々の支持を得られれば、そこからビジネスが始まる、なんていう場所もあるみたい。無一文から、ビッグビジネスのオーナーへ。そんなアメリカン・ドリーム・オブ・サクセスが、今もなお、手の届くところにある。それがポートランドなのであります。
October 2, 2018
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ポートランドの地理が少しずつ判明するにつれ、なかなかよく出来た街であるなあとの思いを強くするようになりました。 ポートランドの街は、ちょうどロンドンのテムズ河みたいに「ウィラメット河」というかなりでかい川が街の真ん中を流れておりまして、これがいわば街を東西に二分しているんですな。で、川の東と西の地域をさらに人為的に南北に分類している。つまり、街全体が「北西(NW)」「北東(NE)」「南西(SW)」「南東(SE)」に4分されているわけ。 で、私は今、NW地区に逗留しておりますので、川の西側のことだけ言いますが、川に近い方から西に向かって1番街、2番街、3番街・・・という感じで南北に走る道が並んでいる。 一方、東西に走る道もずらっと並んでおりますから、先ほどの南北を走る道と東西を走る道と合わせて街は碁盤の目のようになるわけ。これはアメリカでよくあるパターンの街並でございます。 ところで、東西に走る道にはそれぞれ名前がついているのですが、これがですね、アルファベット・ストリートだったんです。道の名前がabc順になっているのよ。 例えば、私の今いる北西部(NW)について言いますと、南の方から「Ankeny」「Burnside」「Couch」「Davis」「Everett」「Flanders」「Glisan」・・・という風にabc順に名前がついているわけね。 これの何が賢いかと言いますと、例えば今Everett通りに居たとして、そこから行きたい場所が「Quimby」にあるとすると、「ううむ、EからQまでだから、結構遠いな」と見当がつく。実に賢いじゃありませんか。 だから住所でも絶対迷わないわけよ。例えば「2236 NW Everett Street」という住所だったとするでしょ。これは「街の北西部の、エヴァレットストリートと22番街の交差点から、西の方角に向かって36軒目の家」という意味ですからね。間違いようがない。 こういうのが「いい行政」ってもんだよねえ。 とまあ、知れば知るほど、面白い街だなあと思います。
October 1, 2018
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