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釈迦楽

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January 13, 2010
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カテゴリ: 教授の映画談義



 この映画を最初に観たのは、もう正確には覚えていないほど昔のことで、多分私が小学生の高学年とか、せいぜい中学生とか、そのくらいの時だったのではないかと。で、その時、面白かった、という印象が強かったので、もう一度見ちゃおう、という気になったわけですな。

 ところが・・・。

 やっぱり、子供時代の目線というのは我ながら幼いというか、つたないというか。最初に観た時の印象は、とにかくポール・ニューマン演じるルークという名の囚人が、それこそ不屈の精神で何度失敗しても脱獄を繰り返す、そのガッツに感動! というもので、まあ、そこしか観てなかったと。

 しかし、今回改めて見直してみたら、あんまり実のない映画だなと。私の個人的な評価は大下降でございます。

 要するに、こう、あざとい感じがするんですよね。1967年っつーと、『卒業』とか『俺たちに明日はない』などが上映された年、そしてもう2年もすると『イージー・ライダー』でしょう? アメリカ文学的にいえば、ケン・キージーが『カッコーの巣の上で』を書いたのが1962年。つまり1960年代ってのは、文学界・映画界では反抗もの/反体制ものがどどっと出てくる時代なわけですよ。だからまあ、「抑圧的な実社会」を「規則の厳しい刑務所」に移し替え、その規則に反抗して何度でも脱獄を試みる一人の囚人をヒーローとして描くなんていうのは、いわば時代の常套句だったところがあるわけですよ。その意味で、テーマ的に新味はない、と。

 で、テーマに新味がないのは、私としては別に構わないんです。でも、それなら細部に凝って欲しい。しかし、この映画の場合、そこがいまいちなんだなあ。

 という意味はですね、雑に作ってある、ということではなく、逆に作り手の意図がちょっと見えすぎだ、ということなんですけどね。例えば抑圧的な刑務所を象徴する人物として「サングラスの男」を用意し、彼が最終的にルークを射殺するところとか。その上で、彼のサングラスが最後に壊されるところを映して、体制に対するささやかな反撃を演出するところとか。なんか、こう、あまりにも陳腐過ぎる。

 それからルークという男の造形が実に曖昧。戦争のヒーローであった彼がなぜ「酔っぱらってパーキング・メーターを破壊した」などというつまらない罪で刑務所に入らなければならないのか。また刑務所に面会に来た母親との会話で、彼が母親から贔屓されて育った母親っ子であったことは分るとして、その母の死(および、それに対する刑務所側の仕打ち)に反応して最初の脱獄を図るくらいなら、どうして娑婆にいるときからもっとまともな生き方をしなかったのか。その辺の事情がまったく描かれてない。

 要するに、ただ「大した罪でもないのに不当に刑務所に入れられ、しかもそこで不当にひどい仕打ちを受ける人物」という設定だけが欲しかったんだな、ということがバレバレなんだなあ。

 しかも、ますますルークの人物像を分らなくするのは、映画中に繰り返されるキリスト教的ニュアンスです。「ルーク」という名前からしても「ルカ伝」を偲ばせますが、有名な「卵食い」のシーンで、50個の卵を食べて伸びちゃったルークの姿を、キリストの磔刑図そっくりに演出するところとか、「雷のシーン」や「最後の脱獄のシーン」で彼が神に「old man」と呼びかけるところなど、ルークを「人々に神の子と期待されつつ、その期待を一度裏切り、死んだ後に人々(の心)に蘇って希望の光となる」キリストになぞらえていることが見え過ぎ。その割に、ルークと神の関係についてはまったく描かれていないという・・・。

 つまり、ここでも「ルークをキリストのように描く」という意図だけで作られた映画、ということが見え見えなんですよね。

 でね、ワタクシ、こういう感じで「製作意図」だけの映画ってまったく評価しないんだなあ。製作意図があるのはいいんですけど、それならそれを裏付けるだけのリアルな設定が欲しい。もしこういう映画を作るのであれば、例えば「ルークはもともとすごく宗教的な男だったのだけど、何か彼の信仰をゆるがせるようなことがあって、それで自暴自棄になって刑務所に入った」とか、そういう事情をちゃんと描いて欲しいわけ。観客を納得させるような筋書きで。

 だから、もしこの映画が最初からルークを完全な「愛すべき反社会的人物」として描き、とにかく子供の頃から反抗、反抗。結果、刑務所に入れられても反抗、反抗。で、どんなひどい目にあってもとにかく脱獄を試みる、というような徹底的な反抗的人物として描いてくれたなら、ワタクシはそれで満足したと思うのですが。多分、子供の頃の私は、この映画をそういう映画だと思って見ていたので、「すごく面白い」と思ったのでしょう。しかし、大人になってから見直すと、この映画の製作者たちがこの映画に妙な意味づけをしよう、しようとしているところが見えるようになってしまって、それがどうにも鼻についてしまった、というところなんでしょうな。

 で、それだったら、同じタフな脱獄囚を描いた『パピヨン』(1973)の方がいいかな、なんて思ったりして。でも、私が『パピヨン』を見たのも子供の頃だったしなあ。今見たら、ガッカリするかも・・・。見直してみたいような、子供の頃の「面白かった」という印象を壊したくないような。

 ま、それはともかく『暴力脱獄』、見直したことによって、逆に私の中では評価を下げてしまったのでした。残念!

 ちなみに、一応この映画の筋書きを確認しようと思って、「goo映画」を見たんですが、どうもここに書かれている筋書き、随分、実際と違うのではないかと。あれはどなたが編集しているのか、知りませんが、書き直した方がいいのではないかと言っておきましょう。 





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Last updated  January 14, 2010 01:37:39 AM
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