宇宙の調べ THE COSMIC WAVE

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ブログって?



意味的には、web +log = blog と言うものだそうで、「公」を意識しているのは間違いないようです。従って、自分の心のメモという存在の所謂従来の記帳タイプの日記とは違います。




しかしながら、ブログをあくまでも自分の世界と限定したい向きもあるようです。

コメントの遣り取りも、あって当然の世界、でもそれを拒みつつ、公表はしたいというのも、ブログの世界の住人には多いものです。

コメントの窓を開いていながら、書き込み拒否となっているところも有ります。この場合は、人に話したいけれど、付き合いは煩わしく、ご免こうむると言う意思の表れと受け止めて、仕方なく我慢すると言うことになりそうです。

出来ることなら、初めからブログそのものを開かない方がいいのでは?と思われます。

書き込んでみないと、コメント拒否の設定は分からず、来訪して書き込もうと言う人には、無用な手間を取らせます。でも、そんなことがあたかも「当たり前」とでも言わんばかりに、おおくそんざいしています。




また、ブログは、不特定多数の来訪者を意識しておくべき世界です、そして現実としても不特定多数の来訪があるのです。またそう言う現実を意識するのも、当たり前の考えだと思います。「個人の思惑の世界=日記」と言うのは、あくまでも、人目に触れない従来の記帳タイプの日記の世界です。

その場合は公表しなければいいわけで、公表して人目に触れさせたいけれど、個人の思惑に手心を加えないのなら、コメントの窓は閉ざすのが好いと考えるのが「当然」ではないでしょうか?

不特定多数の相手との繋がりの窓を開けているのなら、相手を意識し、当然ながら、表現も対人向けを考慮すべきところですね。

例えば:
●連れ合いの事を「奥さん・旦那さん」と表現すること
●その他の身内に敬称をつけること
などです。

これだと、人と会話中に「家のお母さんが・家のお父さんが」といういい歳をした芸能人他テレビに出演している面々と同じですよね。本来、恥かしい言葉遣いに該当するものなのです。相手にも失礼であるわけです。

これまで誰も聞きとがめなかったのか?取り巻き・マネージャー・放送関係者、全部落第です。先ずそう言うことへの自己修正が出来なかった経過は、誠に未成熟な人間だと言わざるを得ません。




人目に触れさせたい、でも他の意見は取り込まない、聞かないと言うのは、いかにも勝手過ぎます。そう言う向きは、例えば楽天のブログの場合、自分だけのメモ機能があるのですから、それに書き込むべきでしょう。




最近は、余り言われなくなりましたが、ネット上のマナー⇒ネチケットと言うもの、これも本当は大切ですが、無視する向きも多いようです。要するに我侭で自分勝手という人間の心の世界が、ここでも展開されます。

コメントの窓を開いて記事をアップしている以上、書き込みは当然あるのですから、それに返信するのが基本的マナーです。しかし、自分は滅多に返信はしないと、豪語するブロガーもあるのです。そんな人はコメントの窓を開くのをを止めなさい!と思います。

せめて、殆ど返信は出来ないけれど、それでも良かったら、書き込んでください!と断っておくのがマナーでしょう。書き込みさせておいて、返信なんかしないよ!と嘯かれて葉、書き込んだ来訪者は、気分を悪くするだけです。




自分の世界だからと、言い通すことは多分無理だと思います。それでもまだ言い通すとするなら、一方的な発信に留め、コメントを受ける態様に設定はしておかない、と言うのが「当然」の考えではないか、と思っています。




とは言いましたが、「そんな考えを押し付けるなよ!」と言わないで下さい、決して押し付けているのではないのですから。

言うならば、斯あって欲しい!と言う理想を述べているのです。確かにその理想とは程遠い現実を踏まえて、と言うことですが・・・。




公発言と言う事に関して更に申せば、読み易さと言う事に、配慮が不十分なところがとても多いんです。

そう言うミヒャエルの所はどうか?一応、いつも反省を加えながら見直しもしています。でもまだ不十分ではないかと、いつも疑心暗鬼です。

先ず、ミヒャエルの所は、このところ長文が続いていますから、ご来訪者には迷惑をかけていることでしょう。段落や文字サイズ等に配慮し、寄り読み易くとは考えながら遣ってはいます。

ミヒャエルのパソコンモニターの性能が落ちていて、クリアー度に問題があるから余計なのですが、判読できないブログもあり、コピーして戻り、メモに貼り付けて判読しないと、どうにも分からないことが有ります。そのようにして判読しないと、お付き合いが成り立たないので、これに該当するブログでは、持ち帰って読んでまた戻ってと、黙々と遣っています。




読み難さの多くは、次のようなものです:

●文字が小さい
●文字色が薄い
●文章がだらだらとして区切りが少なく、改行しないで延々と行が続くこと
●絵文字の乱用・多用

このような事柄は、改善されると、来訪者にはとても有り難いでしょう、と思われます。

文字の変換ミスに関しては、ミヒャエルは相当なミスメーカーなので、言えた義理でもなさそうで、とても気をつけていますが、どうもわがパソコンの変化機能殿は、妙な変換が多くて、油断できません。




内容としても、考えが必要ですね。

自分の趣味・趣向に傾くのは、それは仕方が無いことで、それがあるからまた独自性や個別性が発揮されるわけです。ただ、傾きすぎであったり、そればかりだと、食傷気味になりますね。

時に話題変換を図って、一幅の爽やかな絵画としての効果を与え、息をする暇を与え、参加してコメントを入れたい気持ちにさせるのも、ブログの公性から見た配慮でしょう。

自分の世界だけだと、ついて行けなくなり、息苦しくなり、煩わしくなるのも、人の性と言う面での常です。

趣味を違えたり、違う世界に居たり(殆どの人はそうだと思われます)、でもそう言う来訪者が、口出しする隙間を作るのも、ブロガーのネチケットであり、そしてまた思い遣りです。




過去に、口出ししていやな目に会った経験上、「自ら変わらない限り人は変わらない・人は我侭な存在だ」ということを戴し、滅多におせっかいは焼かないミヒャエルですが、時には、この相手は長くつながりを続けたいと思えるほどの好感を持った相手には、身を呈して忠言申し上げることがあります。

有り難い事に、当方の気持ちを汲み取っていただき、つながりが壊れないこともあります、この場合には、申し上げてよかったなあと思える状況です。

何も、嫌味で申すわけではなくて、ブログの世界で、誰が見ても「この開設者は素敵だなあ!」という存在で居て欲しい、自分の繋がり相手には、そうであって欲しい、そう言う思いから申すわけです。

ほぼ間違いなく嫌われる言動を、あえて取ると言うのは、それを承知の思い切った行動なのです。それを押し付けと感じる向きが殆どでしょう、でも、それを乗り越えて、何とか聞いてもらえたら、希少価値は最高で、本当に嬉しいのです。


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