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クラシックコンサートは堅苦しいというイメージがあるかもしれませんが、実際はそれほどめんどうなことはありません。不安を感じている初心者のために簡単なマナーを紹介しておきましょう。 みなさん御存知の通り、いったんコンサートホールにはいったらおしゃべりは厳禁です。演奏への期待を胸にいだいて、静かな環境で集中力を高めなければなりません。舞台の袖でチューニングしている音さえ煩わしいとおっしゃる方がいますが、相手は演奏者なのですから、それくらいはおおめにみましょう。 終わったら近くで一杯飲みましょうか、もちろんいいわよ、なんて会話しているカップルを見かけることもあります。こういう音楽への冒涜は最低のマナー違反です。終わるのをのぞんでいるのならコンサートになんか来ないで、初めから飲みに行き、そのあとラブホにでもなんでも行けばよろしい。くそっ。 し、し、失礼しました。 入り口で渡されたパンフレットは、ホールに入る前にトイレのごみ箱に捨てるかクロークにあずけましょう。そんな紙があるから、落としてバサッと音をたてたりカサカサとページをめくる音をたてたりすることになるわけで、誰も紙を持っていなければ、少なくとも紙の音は防げます。 次回以降のチラシは今夜の演奏には不必要ですし、曲紹介などはその場で読むものではなく事前に予習しておくのが最低限のエチケットです。 座るときには足を組んではいけません。足を組むと、どうしても途中で組み替えたくなるでしょう?組み替えるときの衣擦れの音によって、微妙なクラリネットの音がだいなしになるんです。 鼻の穴が狭いひとは呼吸音をたててしまいがちです。自分では気がつかなくても、隣の人はとても不愉快な思いをしているかもしれません。 近頃は突然キレるお客様もいますから、周囲への気配りを忘れずに。演奏開始前に鼻孔拡張テープの使用をおすすめします。いちいちテープを装着するのはめんどうだという人は、私のように鼻孔拡張手術を受けておくと楽ですよ。 演奏中にのどがいがいがして咳が出ちゃう、などと訴える人がいますが、これは問題外です。そのような人間はコンサートに来るべきではない。どうしてもという時には、楽章間に窒息しなさい。びくびくと痙攣する恐れがあるので、隣りの人がやさしく抑えてあげましょう。 のど飴など持ちこむ必要はありません。必要ないものは持ちこむべからず、これが鉄則です。 演奏にあわせてこっそりエア指揮をされている方がいますが、それはまわりのお客様を不快にさせてしまう最も恥ずべき行為です。 先日、膝の上でエアピアノを弾いている女性をみかけて、眉をひそめたことがあります。その動きは視覚的にもいらいらするし、その空気振動がビオラの繊細な音色を妨害してしまうからです。帰りの夜道で、その女を拉致し指を3,4本切断したら、泣きながら許しを乞うていました。泣くほどのことではないのにねえ。そのけなげさがいとおしかったので、つい情けを施してあげました。グヒヒ。 さて、いまさら言うまでもありませんが、演奏中は微動だにしてはいけません。とはいえ、呼吸によっても体は多少動くもの、堅苦しく考える必要はありません。許されていい範囲は、緩徐楽章で3mm/秒以内、1楽章で最大30mm以下です。これはマナーというよりも、演奏に集中していれば自然にそれくらいにとどまるものだということです。 休憩のときには、こわばったからだをストレッチで解きほぐしましょう。 ロビーに出てお酒やサンドイッチを眺めるのもいいですね。前半の演奏でエクスタシーに達しかけた人は、休憩を利用して処理しておきましょう。 知り合いとあいさつするのはかまいませんが、今回の演奏についての会話は控えた方が無難です。音楽の嗜好は人によって様々ですので、うかつに自分の意見を主張すると乱闘へと発展しかねません。クラシックコンサートはそれぞれが自由な気持ちで楽しんでいいものなんですから、ホール内では他の人たちの楽しみ方を尊重してあげるのが紳士的な態度だと思います。復讐はホールを出てからのお楽しみです。 演奏中にトイレに立つのは禁物。当然、始まる前や休憩中に済ませておくべきですが、どうしても尿意や便意を我慢できない場合にはその場でお漏らししてしまいましょう。まわりの方も、ガタガタ音を立てられるくらいなら臭いが立ち込めたり足元や荷物が汚れたりすることのほうがまだましだと思うはず。恍惚状態での失禁はよくあることですしね。もちろん嘔吐も同様です。 堅いと思われがちなクラシックファンも、実は意外に寛容なんですよ。 演奏中に感極まってオーガズムに達してしまうことはよくあることです。そんな時は必死で声を押し殺してください。私もよくパンツを濡らしてしまいます。替えの下着は必須アイテムです。 拍手のタイミングが難しいとおっしゃる方もいますが、あまり神経質になる必要はありません。指揮者が手を下ろした0.98秒から2.32秒までの間に開始すればいいんです。ルールはそれだけ、簡単でしょ? 先日、0.53秒で立ち上がってブラボーと叫んでいる中年男性がおりました。あれは演奏者への賛辞というより単なる自己顕示欲の発露にしか見えず、見苦しかったですねー。ホール出口で、やんわりと釘を刺してやりました。私が刺す前にすでに20本ほど刺さっていましたがね。 マナーの悪い人に対しても冷静に諭してあげれば、ほとんどのケースで大きなトラブルにはいたりません。次回からは彼もルールを気遣う正しいクラシックファンになって戻ってきてくれることでしょう。 このような基本的なマナーさえ身につければ、クラシックコンサートは誰もが気軽に楽めるものなんです。さあみなさん、クラシックコンサートへレッツラゴーッ!
2010年11月30日
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今朝こそ走ろうと思ってたのに、起きられませんでした。眠くて眠くて、気づいたら7時過ぎてた。たっぷり寝たおかげで、昨日の倦怠感はすっかり消えて、多少の筋肉痛が残っている程度です。 夢枕獏の「神々の山嶺(いただき)」を始めに読んだのはマンガでした。その後、原作を読んでみようと思って、5,6年くらい前に読んで、激しく魂を揺さぶられたのでした。 キャンプに行くにあたって、テントの中でもう一度読もうと思って持っていき、少しずつ読んで、ようやく読み終えました。 イイネ。 もういっぺん繰り返して読み始めてます。
2010年10月13日
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そういえば、シャガール展ではシャガールだけじゃなくて、同時代のロシアの画家たちの作品も展示されてたんですよ。 キュビズムとかスプレマティズムとか。 キュビズムとは、すべての物体を立方体とか円柱とかのシンプルな積み木に分解したのちに組み立てなおすというバカバカしい遊びです。昔は面白いと思った時期もあったんですけど、久しぶりに見たら芸術家たちのキュービックチューブブームみたいなもんで、子供っぽい熱狂に過ぎねーな、と思いました。20世紀少年のトモダチと一緒。 スプレマティズムなんて、ひど過ぎます。 単なる黒い四角とか、○と■とか、複雑になってもせいぜい十字架とか。具象をどんどん排して抽象を突き詰めていった結果たどりついた境地らしいですよ。もちろんそういう方向性も理解できないわけではないんですけど、幼稚じゃね? 3歳児だってもっといい絵を描きますよ。 オタクもここまで来ると優れた芸術家として一流の美術学校の教授なんてできるほど高尚なものとなるんですな。いかにエキセントリックになれるかを競っていた時代なんでしょうか。 カンディンスキーの若いころの絵なんて絶頂期と同等にステキでしたよ。 絵には具象も抽象もない。抽象を目指すってのは変です。 クレーは抽象ですが、あの色彩感覚は切なくなったりいじらしくなったりするほど胸キュンしちゃうじゃないですかあ。あれは抽象なんだけど、具象なんです。ああいう色の配置を工夫するのがホントに好きなんだろうなあって思う。 モディリアーニの首の長さは具象じゃないかもしれないけれど、彼はその感じが好きで彼にとってはそれがリアルなんでしょう。 キュビズムの爛熟期やスプレマンティズムは、禍々しいというか意地汚いというかイヤラシイというか、世界で最も美しい音は大腿骨を第二指の中指骨で叩いた音だみたいなボーンコレクター的な気持ち悪さがある。 キュビズムなんて、同じキュビスト達の中で誰がもっともキュビレるかのゲームに過ぎないんじゃね? オレはもっと現実に生きないとだめだ、惑わされないぞ、こんなもやつらに・・・と志を新たにしました。別に志があって描いてるわけじゃねーけど。 その点ではあの女々しいシャガールでさえ100倍も良かった。 夏休みに実家に帰った時に3歳の姪っことコラボした絵を載せておきますね。 右は彼女の絵の模写なんですけど。左の絵は嘘っぽくて、彼女も、ナニこれーっ、お化けーっ、って言ってました。左の僕が描いた彼女の肖像よりも、彼女が僕を描いてくれた右の方がずーっとずーっと具象なんですよ、彼女にとっては。
2010年09月15日
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遅ればせながら、4月の東フィルの感想を書いておきます。 指揮者は広上淳一、ピアノはなんとか三勇士っていう若者。 モーツァルトの短いシンフォニー ショパンのピアノコンチェルトN0.1 シューマンのシンフォニーN0.4「ライン」 指揮者のダンスに目を見張りました。踊るは、踊るは、踊るポンポコリン。演歌の握りこぶしかと思うとフォークダンスであったり、能や歌舞伎であったり、ビオラのシャーマン須田ッチの存在がかすむほどの踊りっぷりでした。 変です、彼は。 定期会員の年間シートを、2階席から1階S席に替えたので、ソリストの様子がよく見えるようになったのはうれしかったです。若者のピアノはなーんか、落ち着いて聞けないというか、僕のショパンのコンチェルトのイメージと何かが違うというか、つまらないというか・・・、個人的には物足りなさを感じました。 値段相応ってことでしょうかね。値段を越えた感動っ!!ってものを求めてしまうと、相応のときに不満を感じてしまうのかもしれません。 僕もずいぶん贅沢野郎になったものです。 コストパフォーマンスでは、最近買ったモルトがけっこう良かったです。 シグナトリーヴィンテージのモートラック18年とボウモア19年。2本合わせてで一万円しません。味わいは、その年数ほどの熟成感はないのですが、香り重視でドライで自分好みです。 加水して46%に調整しているようです。 モートラックは華やかでちょっと人工的な癖のある甘い香りがしてバービー人形的です。 ボウモアは過激なピート。でも、ニシンとかハタハタとかの燻製やちょっと炒り過ぎたマメの香ばしさがツボにはまります。 その絵は描いてないので、代りにJazz Bar Lewisにあるシグナトリービンテージのラフロイグを載せておきます。これも同じような手ごろなシリーズだと思われるのですが、ドライというかフィニッシュ短めの爽やかさがステキです。 そういえば、この間ジャズライブに行った時、ジャズってスケッチと同じだ、と思いました。同じ曲を演奏していても、ミュージシャンによって、同じミュージシャンでもその日その夜によって様々な音色や曲想となるように、もちろん絵(素描)だって同じものを描くことはできない。 なるほどなあ、酒の神と芸術の神が一緒なわけだ。
2010年05月05日
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世界は3次元の立体でできている。人間がそれを見るとき、入力された3次元情報は網膜というスクリーンでいったん2次元情報に変換され、そのあと脳内で経験や予測という不可思議な回路を利用して再び3次元へ変換されるのだそうだ。 その2次元から3次元への変換過程で、錯覚という現象が生ずるのだという。 僕が酒瓶を見るとき、一瞬にして円筒という形やなんとガラスの質感までも認識することができる。 絵を描くというのは、3次元を網膜で2次元にし、それを脳が3次元に戻し、それをさらに2次元に変換するという作業なのである。 さらに、2次元の絵を見るときにも脳は3次元的に見たがるので、3次元像にマッチしないとそれを敏感に察知し、違和感を感じるのであろう。 違和感は、下手くそっという感覚になるかもしれないし、味わいという感覚になるかもしれない。一種の錯覚である。 3D映画って、2次元のくせに、さらに脳の3次元変換にある係数をかけて増幅したようなものなのであろうか。 そういえば、LSDをやると、カウンターの木の節から小人が湧いてきたりするらしい。これも脳が2次元に飽き足らないせいなのかもしれない。 絵を描くにあたって、それが何かのヒントになりそうなならなさそうな・・・思考が形になりそうなならなそうな・・・. 2次元の水面から「ダマ」みたいのができる古事記の最初の気分。 上の絵は、Third Railというラムベースのおとなしいカクテルです。
2009年12月21日
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