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この時間になると必ず外からバイクの暖気音が聞こえる。どれくらいだろうか。5-10分暖気した後、2回程回転数を上げ、走り去る。昔、バイクに乗っていた頃、冬だろうが、雨だろうが、台風だろうが、とにかくバイクに乗るのが好きだった。夜が明ける前に、出発して、一人で峠に行ったり。楽しかったな。知らない人達と絡みながら走って、バイクは黒にゴールドの線が入ったGPZ-400R。黒のブーツに黒の革パン、黒のプロテクター入りのジャンパーに白のメット。白のメットの後ろには、KERKERの文字。髪はメットに隠していたから、メット取ったら、休憩で一緒になった人が「女かよ!?」ってよくびっくりされた。でもバイク乗りってみんな気さくで優しい人が多かったなあ。好きな音楽を口ずさみながら、バイクとの一体感が心地よかった。今どき流行の中型スクーター等は音楽を流しながら走ったりしている。そこまでは・・・と思うから、メットの内側ににスピーカーでも付けてくれないかなぁ。安全面を考えたら有り得ない事だけどね。永ちゃんを聴きながらバイクでツーリングに出かけたい。RUN&RUNとか、背中ごしのI Love You(これは私が言うのはなんか変?かな)とか。まだまだ、バイクへの情熱は続く・・・。
2010.01.27
10日程前からmixiを始めた。そしてそれに続くように、携帯でGREEを始めた。mixiも、GREEもゲームがメイン。今まで、ぜ~んぜん興味なかったのに、なぜか急に「はまった」でも、ヤバそうだから、早く抜けたい。生活のリズムが狂ってきたし。mixiもGREEもそれぞれ楽天ブログのようなコミュもあって、特にmixiのコミュの多さには驚いた。GREEは、無料というだけあって、ゲームを通じてあらゆる世代の人々とかかわりあう。そういう仕組みになっている。なんだかな~、と最近の世の中はこんな風に人とのコミュニケーションを図るのか、とさびしい気持ちになっている。私はたまに息抜きにゲームができればいいだけだ。
2010.01.26
正月に実家に戻ったら、いつの間にやらSkypeが流行していた。弟が親戚中に設定しまくっていた。要するに、「両親が孫に会いたいときにはいつでも会話が出来るように・・・」という親孝行の思いからだろう。その弟は、その下の弟の家にまでご丁寧に設置していた。姉の私は仲間外れかい?!ということで、仲間はずれにならぬように、Webカメラを購入し自宅に設置した。しかーし、それでテレビ電話を楽しんだのも最初の2回程。なかなか、PCの前に張り付き、兄弟同士、親子で面と向かって話などそんなにできるものではない。想像したら笑えないかい?実家に戻って会っても、面と向かってお互いの顔をジーっと見ながら会話するなど、「皆無」。そんなことをしようものなら、そっこうで喧嘩に発展すること間違いなしだ。甥や姪の意味不明の会話(今の彼らは下ネタが流行らしい)と、カメラに向かって延々と可笑しな顔している彼らに付き合うだけの無用の長物になりそうなこのごろである。甥や姪は可愛いが、毎日そんなことはしていられない。とはいっても、彼らは夜7時8時には寝てしまうので、平日に「ベロベロバー!」とか、顔の筋肉運動をする必要はないと信じている。
2010.01.20
冬真っ只中にもかかわらず、最近バイクに乗りたくてうずうず。やっぱり、何と言われようと私はKAWASAKI派なんだな。750RS カッコいい。高値にもかかわらず未だに圧倒的な人気。ドライブしてても、Zが抜いてくと見ちゃうし。みんなZ乗りはカッコよく改造してるんだよね。でも昔のバイクだから重いし。それでも乗るっていうのがいいんだろうけど。バイクは乗りたいバイクがないと興味無くなっちゃう。乗りたいバイクが決まったら、あとは突き進むのみ。誰にも止められない。バイクってそういう魅力がある。うずうず感がいつまで続くか見物だなあ。
2010.01.19
香山リカの しがみつかない生き方 ふつうの幸せ、という本があるらしい。まだ、読んでいない。ふつう・・・という言葉は、みな、どのような意味合いで使っているのだろう。ふつう以上、ふつう と ふつう以下 というレベルがあるのだろうか。もしそうであるならば、それは何と比べてふつうなのだろう。他の誰かと比べて・・・・なのか。人は、それぞれ ものさしを持っていて、ふつうの定義は、それぞれだと思う。そんな中、「生きているから幸せ」「歩けるから幸せ」「自分のことを自分でできるから幸せ」「働けて幸せ」なんて、自分の中で完結する幸せ感がひとつでもあれば、最高なんじゃないかって。人はきっとそれぞれ、他人様にはわからない悩みが少なくとも一つや二つはあるもので、全部満たされていると思える人は、それこそ最高なんじゃないかと思うのだけど。人生など、所詮他人様と比較するものではないと私は信じている。比較した途端に、全ては崩れてしまうのではないだろうか。私は、正直他人様にはあまり興味がない。それはそれで結構悲しいことなのかもしれないけど。永ちゃんの人間的魅力に対する気持ちは全く別の話だが。よって、私は幸せなのだ。私は私で、他の誰でもないのである。なんだか、いつの間にか自己完結したようだ。
2010.01.18
毎年の事だが、実家から戻ると留守の間の郵便物が自宅のポストにたまっている。除夜の鐘を聞きながらポストに投函した今年の年賀状は3日には出した相手に届いていた。少し前なら、もっと遅かっただろう。本題に戻る。年賀状、ありきたりの年始の挨拶。それで全然構わない。勿論相手の嬉しい出来事など書いてあれば、こちらまで嬉しくなる。そうなんだけど、その中で、「なんだよ、これっ」と思ったものがある。それは説教じみた年賀状。例えると、「・・・・・は大切です」とか、「・・・・なので初心を忘れないでください」等。「年始早々、やめてほしい」というのが本音。そういうのは、別の機会にしてほしい。若かりし頃、ひとまわり年上の先輩から「相田みつを全集」なるものをもらったことがある。その時は、「ふ~ん」と素直に思ったものだが、今思うと、そういうものは自分で購入したいものだ。そんなことを他人に話そうものなら、「言ってくれるうちが花」などと言われそうだが。私はそういうことは年下だろうとなんだろうと他人様にはしたくない。あーいやだ。
2010.01.06
年賀状を除夜の鐘とともに、ポストに投函。意味はない。そしてその足で、地元の神社に初詣。帰宅後、「こたつ」で寝てしまった。「こたつ」の響きがなんともいえない。なんだか高校時代を思い出す。起きたら朝の6時。「やっちゃったよ・・・(爆)」甥、姪達にお年玉を用意し、裏には、しっかり 「パパのお姉さんより」と記載。母には、「おばさん」は「おばさん」だときつく言われるが、弟たちの嫁さんたちが私を「お姉さん」と呼ぶ限り、甥、姪達は、一生「お姉さん」と私を呼ぶだろう。どうでもいいことだが、どうでもよくないことでもある。なんてことない元旦だが、なんてことない一日がとても大切なのである。
2010.01.01
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