3-05【真実】


初稿:2011.06.29
編集:2023.07.14
※光ノ章の本編です

3-05【真実】




「(神々の集いし大地―――天の島タルタロス……小さい頃、絵本で見た世界……)」

 シャルロットが幼き日の感慨に浸る。
 海面にそびえ立つ巨大な断崖の中腹から表出した伏流水が、海岸瀑となって簾状に流れ落ちる様は、超自然の驚異と称して差し障りのないものだった。

「こいつは近づくことも容易ではなさそうだな」

 エドゥアルトの言葉通り、目に見えて船足が衰えている。
 海面直下した水流が白波を引き起こし、船の接近を阻害しているようだ。

「どうする?」

 一同の背後から船長であるエルグの声が響く。 この航海中、身振り手振りで指示こそだすが、一度も口を開かなかった彼が言葉を発したことに、皆驚きを禁じ得ないが、それだけに事態は急を要しているのであろう。

「構わぬ。 このまま突っ込むのじゃ」

 首人の淀みない指示にエルグが頷くと、周辺の水夫たちが一斉に動き出す。 明らかに向こう見ずな命令だが、船長のエルグに対する信頼の証か、その動きに淀みはない。
 瞬く間に帆船は縦帆を展開して、前方から吹き付ける滝風を間切って突き進んでいく。

「おいおい、本気か」

 瀑布の水飛沫が降り注ぐなか、エドゥアルトが天を仰いで首を振った。
 次第に船の揺れが激しくなり、

「シャルロットさま、掴まってください」

 ミルフィーナはシャルロットを抱き寄せると、帆柱の先端の滑車から垂れる荒縄を手繰り寄せて身体を固定する。 他の者も同様に船縁や船楼の外壁に手を掛けて、落下する水流から身を守る態勢になった。

「きゃあ……」

 シャルロットの悲鳴とほぼ同時に、凄まじい水量がノーディン号を襲い、押し潰された帆柱のひとつが地響きのような音を立てて捩じ折れる。
 次第に船速が弱まり、少女の視界が黒く塗りつぶされ―――次の瞬間、周囲はおぼろげな幽光に包まれていた。

「ここは……」

 シャルロットは小さく身震いすると、不安そうに視線を巡らす 。 海岸瀑を抜けた先は、広大な洞穴となっていた。

「海岸瀑の内側に海蝕洞が隠されていたようですね。 それにこの燐光は海光苔が群生しているようです」

 ミルフィーナはシャルロットの無事を確かめつつ、主人の疑問に答える。 その言葉通り、岸壁一面が小型のコケ植物で覆われていた。 海光苔は天上から降り注ぐ僅かな陽光を利用して、金緑色の反射光を生み出しているようだ。

「あれは!?」

 水路を進む内、最初にそれに気づいたのはエドゥアルトだった。
 断崖に挟まれた高台の先に、白亜の神殿が浮かび上がっていた。 引き寄せられるようにノーディン号は神殿の鎮座する孤島の桟橋に接舷する。

「必要ないだろうが、武運を祈っておこう」

 エルグが首人に声を掛ける。

「うむ、そうありたいものじゃな。 それと、船の修繕にはあのデカブツを叩き起こして扱使ってくれて結構じゃ」

 意味深に言い残すと、首人はノーラを急き立てて、陸の人となる。 後を追うように、ミルフィーナがシャルロットの手を取って桟橋を渡り、シーラとエドゥアルトがそれに続いた。
 一同は注意深く神殿へと続く急斜面を登る。 西大陸では見慣れない植物が群生した獣道のような参道は、這うように木立の間を見え隠れしていた。 行く手を塞ぐネジくれた木々を、先頭を歩くノーラが長剣で斬り払い、足場を踏み固めていく。 極めて地道な作業が暫く続いた後、一行は目的地に辿り着く。

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 目近にすると、神殿の外壁は所々剥落しているが、その美しさは損なわれていなかった。
 今度はエドゥアルトが先頭に立ち、続くシャルロットを守る様にミルフィーナとノーラが脇を固め、殿はシーラが務めた。 一行が古き殿堂に足を踏み入れると、そこは高い吹き抜けの円天井の広間になっていた。

「こいつはスゴイな……」

 先導役のエドゥアルトが感嘆の息を洩らす。
 高みに配置されたステンドグラスから差し込む金緑光が、薄暗い神殿内を霊妙に浮かび上がらせていた。 古代神アアル=セナートルは勿論のこと、【法】や【混沌】の末神に到るまで様々な神像が立ち並び、数多の礼拝堂や祭壇が、絢爛豪華な装飾によって覆いつくされている。 それは宗教施設というよりも宗教芸術と称した方が的確な表現かもしれない。

「これは女神メナディエルさま。 でも他の三つは……」

 シャルロットの視線が前方に並べ置かれた四体の神像に留まる。
 内ふたつは無残に崩れ去り判別はできない。 残った二像のひとつはベルムーテスでは最もよく知られる女神メナディエル。 神剣アンネ・シュティフを携え、壮麗な全身鎧に身を包んだ乙女の像。 そして、その隣には、四本の腕を上下左右に振り広げ、三匹の大蛇を胴体に巻きつけた多臂神像があった。 呑み込まれるような圧迫感に少女の鼓動が早まる。

「それはグラトリエル。 冥府の支配者たる“死せざる王”だよ、人族の娘」

 鋭く、それでいて透き通るような声音がシャルロットの耳朶を打つ。
 いつからそこに居たのか、主祭壇の前に初老の男が佇んでいた。 白髪紅眼、黒光りする円筒形の帽子に同色の燕尾服、片手で蝙蝠傘をついた場違いな出で立ちである。

「シャルロットさま、お下がりください」

 ミルフィーナがシャルロットを庇うように背後に下がらせる。 薄闇のなか、燐光を放つ男の紅色眼から、特定の古種族の特徴を感じ取ったからである。

「珍しく客人が訪れたかと思えば、とんだ厄介者が混じっているようだな」

 一同を見回した燕尾服の男の表情が、ノーラの腕のなかの首座に気づいて、不機嫌そうに歪む。

「ふん、こんな偏狭で隠居暮らしを続けてきた瘋癲屍族には云われたくないわ」

 対する首人の方も、負けず劣らず不満げに返した。

「やはり屍族なのか!? だが、なぜ教会の聖地に屍族が紛れ込んでいる?」

 ミルフィーナが腰元の長剣の柄に手を添えて問い質す。 どうにか抜刀を堪えたのは、先のやり取りから首人と面識があると察したからであろう。

「心配は要らぬ。 こ奴、性根は捻じ曲がっておるが、好んで他者を害するような奸物ではない」

 首人が微妙な言い回しで殺気立つミルフィーナに自制を促す。 加えて、目の前の屍族が聖剣戦争以前から、この天の島で墓守を担っていることを告げた。

「久しいなアルフォンヌよ。 それに暫く見ない内に随分と珍妙な姿になったものだな」

「余計なお世話じゃ」

 名も無き屍族の皮肉に、首人―――アルフォンヌが眉根を逆立てる。

「ふむ、やはり首人殿はウィズイッドの大屍族さまであったか」

 と、会話に割り込んだエドゥアルトが笑顔で首座の正面に回り込む。
 首人自身がシャルロットに明かした過去から、一同も薄々とその素性を察してはいた。 更に当該の人物名と合致したことで、確証を得たようである。

「表立っては名を明かせぬ理由があったからの」

 首人アルフォンヌは居心地が悪そうにエドゥアルトから視線を逸らす。
 ヤガ=カルプフェルト王国に於いて、大屍族アルフォンヌ・ウィズイッドは、反逆罪で処刑されたと公布されている。 その件となんらかの関係があるのだろう。

「それでこのような場所に何用かね?」

 名も無き屍族の言葉が一同を現実に引き戻す。

「なに、大した用件ではない。 この地に眠る神剣アンネシュティフを頂戴しに参った」

 首人アルフォンヌが平然と言い放つと、名も無き屍族の紅眼が如実に見開かれた。

「それが何を意味するか、理解できぬわけではあるまい」

「無論じゃ。 そこの娘はアルジャベータの血脈に連なりし者じゃ。 彼女に逢う資格としては十分であろうよ」

 首人アルフォンヌの意味深な視線が傍らのシャルロットに向かう。

「……神殺しの血統の片割れか。 ……そうか、ならば我に止めることはできぬな」

 名も無き屍族は深い息を吐いて、シャルロットを見やる。 その紅眼は少女を通して別のナニかに注がれているようだった。

「神殺し? それはどういう意味ですか!?」

 成り行きを見守っていたシャルロットが口を開く。 到底無視できぬ発言があったのだから当然だ。

「この地には緑眼の聖母の魂が封印されている」

「緑眼の聖母?」

 一見、まるで答えになっていない名も無き屍族の言葉に、シャルロットが反応する。 聞き慣れない単語から、何かしらの意図を感じとったのだろう。

「リュズレイ家の祖先、聖女アルジャベータがその身に宿した威霊―――其方たち人族には女神メナディエルといった方が分かりやすいかな?」

「女神さまが……ここに……」

 シャルロットの顔に当惑の色が滲み出る。
 途方もない展望を見せる会話の行方に、ふたりの屍族を除く全員が息を呑んでいた。

「もっとも、封印されているのはメナディエルの霊体のみで、肉体の方は遥か以前に滅んでいる」

「それが事実だとして、なぜリュズレイの血脈が“神殺し”と徒名されるのですか?」

 シャルロットは内心の動揺を抑えて言葉を選ぶ。 相手の婉曲な言い回しに、苛立ちよりも不安を掻き立てられているようだった。

「アルフォンヌから何も聞いていないようだな。 全く厄介なことだ。 まぁ、よかろう、其方には全てを知る権利がある」

 名も無き屍族は一瞬だけ首座を睨んだ後、燕尾服の襟元を両手で正しながら口を開いた。

「其方たち人族も知っての通り、聖女アルジャベータは女神をその身に降臨させて、永きに亘る屍族との抗争に終止符を打った」

「聖剣戦争ですね」

 シャルロットの言葉に、名も無き屍族が肯首する。
 アルジャベータの存在なくして、人族の勝利はあり得なかっただろう。 それほどまでに屍族と人族の個体能力には歴然たる隔たりがあった。 少なくとも聖伝承ではそう伝えられている。

「だが、アルジャベータ―――いや人族にとって本当の戦いは対屍族の戦役後に訪れたといっても過言ではない」

「それはどのような意味で仰られるのですか?」

 この神殿に入って以降、シャルロットは暗澹たる思いに囚われ続けていた。 それは幼い頃より抱き続けてきた得体のしれない不安が、次第に可視化されていくような感覚だった。
 名も無き屍族の婉曲な言い回しも、多大なる犠牲を払った戦後の復興と考えれば理屈は通るが、その口振りから、そうでないことは明白だった。

「其方たちはあの一連の戦いがなぜ聖剣戦争と呼ばれているのか知っているか?」

「それは……女神さまが齎した三神具を纏った聖女アルジャベータが大屍族ベルムード三世を討ち取ったからだと……」

 シャルロットがアダマストル王家に伝わる口伝を語る。

「へー、アダマストルにはそんな言い伝えがあるのか。 俺も三神具の存在は知っているが、教会に納本された屍族との戦乱に関する如何なる蔵書にも聖剣なんてモノは登場していない。 なぜアノ戦いが聖剣戦争なんて呼称されているのか以前から疑問だったな」

 エドゥアルトが顎先に指を添えて、思索するような素振りを見せる。

「女神メナディエルと聖女さまの関連性を考慮すれば、そう考えるのが自然では?」

 我慢できなくなったのか、ノーラがシャルロットの意見を補足した。 それから助けを求めるように手にもった首座に視線を落とす。
 首人アルフォンヌはノーラの訴えるような調子に、重たい口を開く。

「当初、アノ戦いに人族たちの勝機はなかった。 だが、屍族側にとって、妾……いや、ウィズイッド家の裏切りと、オルカーザード家の離反は大きく、戦いの趨勢は五分と五分になった。 その膠着した戦況を打開したのが、巫女アルジャベータじゃ。 お主たちの知る通り、己の肉体に女神メナディエルを降臨させて、人族側の勝利に大きな貢献をした。 しかしの、この戦いは100年あまり続いたとされておるが、実際のところは70年ほどで終結しておる」

「じゃあ残りの30年は何と戦っていたんだ?」

 エドゥアルトがその場に居る全ての人間の内心を代弁する。

「その身に宿した女神の魂との戦いだよ。 メナディエルは必ずしも善なるものではなかったのだ。 いや、その真逆―――女神は人族を疎み憎悪していたといった方が正確かもしれない」

 その問いに答えたのは名も無き屍族だった。

「そんな……」

 シャルロットが絶句する。 思うように言葉が続かなかった。

「そうなると納得できないことがある。 屍族との戦いでメナディエルの助力があったことは確かなんだろ? なぜ憎んでいる人間にチカラを貸したのか疑問が残る」

 エドゥアルトは狼狽するシャルロットの肩にそっと手の平を置く。 それから、当時を知る首人アルフォンヌに説明を促すように視線を預けた。

「どうじゃろうな。 最初は人族の味方をしていたが、途中から心変わりをした可能性もある。 若しくは、女神は人族と同様に他の古種族も憎んでおったのやもしれぬ。 女神の御心など知る由もない故、どれも憶測の域を出ぬがな。 どちらにせよ、精神を蝕む孤独な戦いに、アルジャベータの心身は日に日に衰弱していった。 もし、女神の不滅の魂を封じ込めていた器が崩壊すれば、彼の邪悪なる霊魂が、この世界に解き放たれることになる。 そうなれば、人族の死滅は避けられなかったじゃろう」

「聖女一人に咎を背負わせて、恩恵を被った他の人族共は何もしなかったのかい?」

 呆れたようにエドゥアルトが口を挟む。 それはこの場に集う人族全ての疑問を代弁したものだった。

「無論、当時扱える魔法薬や錬金術から屍霊術に至るまで、様々な方法が試された」

「なるほど、やる気はあったが役立たずだっただけか」

 エドゥアルトの身も蓋もない物言いに、首人アルフォンヌが自嘲的な笑みを浮かべる。
 戦後間も無く、乱れた人心を治める為には女神の名を貶めるわけにはいかなかった。 計画の全てが、教会がひた隠しにする真実の一部として、秘密裏に処理された。 首人アルフォンヌはそう締め括ると固く口を閉ざす。

「そして、聖女アルジャベータは死の淵で最後の手段を講じることになる」

 沈黙した首人アルフォンヌに代わり、名も無き屍族が言葉を綴ると、水を打ったような沈黙がその場を支配した。
 暫しの静寂が続き―――

「最後の……手段ですか?」

 耐え切れなくなったシャルロットが擦れた声で尋ね返す。

「もっとも近しい存在に命じて、己の肉体共々、女神を封印したのだよ。 その役割を担ったのが初代教皇アグリウスタ。 アルジャベータをもっともよく理解し、互いに想い合っていた男だ」

「っ………」

「そんなことが可能なのですか?」

 ミルフィーナが背筋を流れる冷たい汗を意識しつつ、疑問を口にする。 人の手で神を封印するなど、到底信じられる話ではなかったのだろう。

「自分たちのチカラではどうにもならぬ状況で、当時の人族の賢人たちは古種族のチカラを借りることにした。 当時、人族に友好的だった一部の屍族や妖精族、生き残った巨人族の末裔を頼り、女神を封印する為の呪具を精錬・鋳造した。 女神を封じ込める為に封鎧を、封印を維持する為に命剣を、女神を隠世に還す為に霊環を―――」

 名も無き屍族はそこで一旦言葉を切ると、一同が事実を嚥下するのを待った。

「それが三神具……」

 シャルロットの憔悴ぶりは特にひどいものだった。 アダマストル王家に伝わる霊環アシュタリータが、反魂のチカラを秘めていることは知っていたが、女神を召喚するものではなく、隠世に還すために造られた神具という事実は、容易に受け止められる話ではなかった。 歴代の聖女が早死にすることにも、何らかの因果を感じずにはいられない。

「その女神メナディエルがここに“居る”ってことは、荒魂を還すことは未だにできていないってことか。 ま、俺たちが安穏と聖座争いをできてるってことは、封印とやらは続いているようだが、数百年もの間、維持できる封印なんてあるものなのかい?」

 言葉を失くしている皆に代わり、エドゥアルトが皮肉交じりに質問する。 こんな時でも教会への批判を忘れない辺り、教会上層部への不信感はかなり強いようだ。

「神剣アンネシュティフを用いれば可能だよ。 彼の剣は別名“生命の剣”と謂われる業物で、斬りつけた相手を殺傷するのではなく、再生する能力を秘めている。 アルジャベータは己の心臓に神剣を打ち込み、半永久的な神の器となったのだ」

「待ってください。 それではアルジャベータは……」

 シャルロットの虹彩に恐怖とも不安ともつかぬ感情が滲む。 どうやら、ひとつの結論に思い至ってしまったようだ。

「生きておるよ。 愛するアグリウスタの亡骸と共に―――この大神殿の冷たい地の底で、数百年もの間、女神の穢れし魂に蝕まれながらな」

 名も無き屍族の言葉は、長い余韻を残して静謐な空気に溶けて消えた。





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