ペガサスノート

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ノルウェイの森

32

ノルウェイの森(ノーウェジアン・ウッド)

1965年12月発表

ジョンの作品
アルバム「ラバーソウル」の2曲目に収録されている。
ポールも作詞を手伝ったと言われている。
このラバーソウルというアルバムは、ビートルズにとってひとつの区切りと位置づけられている。
彼らの活動期の中では中期の最初と考えられ、それまで、コンサート活動に限界を感じていた彼らは、それまでのポップな曲の集合体であったアルバムよりも、明確に創りたい音楽の主張をはっきりさせている。
この以降、彼らはアルバム創りを中心として活動に重きをおいていくのである。
このラバーソウルが発表されてから8ヵ月後の、翌年の1966年8月29日のアメリカ・サンフランシスコのステージを最後として、ビートルズは一切のコンサート活動を中止した。
つまり彼ら4人が揃って舞台に立つ事は、これ以降は二度と訪れないのである。

この「ノルウェイの森」は、初めてインドの弦楽器「シタール」の音色を取り入れた曲で、先駆的な試みと幻想的な曲想はその詩とともに、評論家のなかでは、ポップ界最初のサイケデリックソングだと評するものもいた。

小説「ノルウェイの森」ではタイトルである。
また、冒頭のボーイング747が着陸して禁煙サインが消えたとの同時に、この曲のBGMが流れる・・・
そこでワタナベは18年前の様々な記憶を蘇らせる事から、この小説は始まる。

次に上巻P198の、ワタナベが初めて阿美寮に直子を訪ねて行った時、最初の夜のレイコと三人でC7の部屋でくつろぐシーンに登場する。
この曲をレイコがギターで演奏するたびに、直子はリクエスト代金100円を貯金箱に入れる。

次は、下巻P112の、ワタナベと永沢さんとハツミさんの三人で、高級レストランで食事をするシーンに登場する。
永沢さんの合格祝いはとんでもない展開に・・・
そのなかでワタナベは、まるで現実逃避するかのように、直子とレイコの事を思う。
一種ある意味、まともなせ界のトラブルに対して、ワタナベは真に受け止め考えることが出来ない状態になっているのか。

次は、下巻P250の、ワタナベとレイコが二人で直子のお葬式をするシーンにもこの曲は登場する。
この日レイコがギターを弾いた51曲のうち、2曲目と50曲目にこの曲は登場する。


色々考えてみたが、この小説ってやはりタイトルもノルウェイの森でなければならなかったと思う。
阿美寮の雰囲気、生きるうえで抜け出さなければならない場所、野井戸の存在・・・
全ては、インドのシタールが奏でる幻想的な音が、ボクの頭の中に流れてしまう。哀しいメロディに聴こえる。
けれどそれは、過去の「記憶」積み上げた「経験」。
その二つを複雑に絡まりあわせて、たとえそれが哀しいものであったとしても、これからを生きていく糧とするには、それの受け入れを拒否するべきではないと思う。

過去は過去・・・だと思う。
それより今をどうするか?・・・だと思う。
しかし思考は進化し増幅もしていく・・・そして現実化もする。

積み上げられた思考は、必ずや人生の厚い壁にぶつかったとしても、その突破口を必ず見出してくれる。
「記憶」から逃げるべきではないのだ・・・
そんな事を考えてしまったこの小説であり、ビートルズの「ノルウェイの森」
ボクは、この小説が「ノルウェイの森」ではなく「ストロベリーフィールズフォーエバー」っていうタイトルだったらどうか?
なんてことも考えてみた。阿美寮周辺がイチゴ畑だったらいいかも知れない・・・
でも、死と生の呼吸する場所としての「森」の位置づけは、キョーレツな印象である。
人の心の奥にあるものは「イチゴ畑」ではなく「森」なのだろう・・・

このビートルズの「ノルウェイの森」は、発表当初にアメリカの評論家たちは、「レズビアンを歌った曲」と一部評しているのも面白い事実だと思う。



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