丸ゴリ婦人の新婚劇場

丸ゴリ婦人の新婚劇場

裕が泣いた日



少しだけ空いたタンスの引き出しや、閉じたままのカーテン。
ポーチから出したまま、机の上にころがる化粧品。

出かける前のままの姿の自分の部屋は、現実に戻ったような倦怠感と
ため息がでそうな生活感で満ちていた。


ほぼ毎週のように週末を裕と過ごしていたので、
私の部屋は満足に掃除機もかけていなかった。
気になったときにササーっとクイックルワイパーをかける程度だった。

カーテンを開けて、小雨の降る窓を開ける。アスファルトの湿っぽいにおい。

久しぶりにガーガーと掃除機をかけ、部屋も片付けた。
何の気なしに手にとったマンガを読み始めたらとまらなくなってしまい、
座り込んで夕ご飯まで読み続けてしまった。(おそるべしスラムダンク)


夕食や入浴を終えて、日課のように裕にメールを送ろうかと思いつく。
ケータイをポケットから出したとき、待ってたように電話が掛かってきた。

裕だった。

「もしもし?」

「もしもしー、おれ。」

「うん、ちょうどケータイ出したら掛かってきたから、びっくりしたよ。笑」

他愛もないやりとりをしながらも、つい数時間前まで一緒にいたことが
もう思い出という記憶に変わってることが愛しくもあり、切なくも感じた。


「そかぁ!笑 さっき、用事終わって帰ってきてん。」

「うん、お疲れさま~」


「うん。・・・あのさ、手紙、ありがとう。読んだよ。」

掃除とマンガに没頭して、私は早くも手紙のことを忘れていた。
裕に言われて思い出して、クサイこと書いたなぁと急に恥ずかしくなってきた。

「え、ああ・・うん。」

「ゴリと別れて、車に戻ってから、スグ読んだんけどな、」

受話器のむこうの裕の声は、どこか静かで優しく聞こえた。

「そんなにスグ読んだの!?笑」


「うん。駐車料金もとられなかったし。でな、、、すげー泣いた。」


泣いた・・・?


「泣いた?なんで?」


「わからへん。なんか・・手紙読んで感動したんかな。
 ひっさびさに泣いてもたわ。涙で運転しにくかったで・・笑」

裕が手紙を読んで泣いた。私は言葉に詰った。
受話器のむこうで裕がありがとう、と言うのが聞こえる。私も泣いていた。

「ありがとうって、言いたかってん。だから電話した。」


言葉に詰る。ありがとうって言いたいのはこっちだよ。
泣かせたなら、ごめんって言うのかな。ごめんね。ありがとう。わかんないや。


「・・も~!・・意味わかんないよ。こっちまで泣けてきたじゃんか!」
怒ってるのか泣いてるのか笑ってるのか、自分がわからない。


「なんでゴリも泣くんよ!?笑」


「わかんないよ・・・なんか、感動して・・笑」
私は鼻をすすりながら答えた。

「感動て。真似すんなや~!笑」

悲しいときの涙。嬉しいときの涙。どっちも感動で流す涙。
涙が自然とこぼれるときはいつも、何かで心が溢れかえっている。


「あれから、もう3回読み返したで!これから寝る前に4回目読む。笑」


私は自分で手紙の内容を覚えている分恥ずかしかったし、嬉しかった。

電話を切った後も裕の声と言葉の余韻に浸っていた。
私の手紙。なんとなく、で書いた手紙。
その文章から、裕は何を受け取って泣いてくれたんだろう。

胸が詰まる、とはこういうことなのでしょうか。

幸せに似てる気持ち、でも息苦しい気持ち。
嬉しいに近いのに、どこか苦しい。
走り出したくなるような。敢えて、全部を投げ出したくなるような。

恋は疲れる。好きな人の言葉や行動ひとつひとつに
自分の感情がめまぐるしいほどに、いちいち反応する。




「来週はさ、オレそっちまで行くよ。ゴリの出生地を見せてやぁ。」


裕は少し前に、自分の家の近所まで私を連れて行ってくれた。
よく来るという定職屋さんに立ち寄って、2人でお昼を食べたのを覚えている。

その店で飼われているのか、住み着いたのか、駐車場に猫が1匹。
窓際の席に座った私たちを眺めるみたいに、ボンネットにちょこんと座っていた。

「この店なぁ、全国の美味いラーメンだかなんだか言う雑誌に載ったんよ」
裕は自慢げにそう教えてくれた。
トイレに入ると、壁にその記事らしきもののコピーが貼ってあったのを覚えている。

食事を終えて、席で少し喋っていると
お店のおじいさんらしき人が湯飲みを2つ持って近寄ってきた。

「これ、飲んでなぁ。サービス。」

おじいさんはニコニコおだやかに笑いながら、
桜の花びらを入れた湯飲み椀に、お湯をとぷとぷ注いだ。


「あ、さくら茶ですね~」そう声を掛けると、
おじいさんはしわの深い顔をいっそうくしゃっとさせて笑った。


湯のみ椀の中でゆらゆら回る桃色の花びらを見ながら、
私は実はさくら茶や昆布茶が苦手なんだよな・・と内心思っていた。(塩気が苦手)


おじいさんが去った後で、こっそり「実は、さくら茶苦手・・」とこぼした。
「そうなんや?」と、裕は平気な顔でお茶をすすっていた。

「あのじーさんな、いつもああしてお茶くれるんよ。
 この前来たときは、そば茶だしてくれた。なんなんやろなぁ・・?趣味?」


店を後にするとき、おじいさんは別のテーブルにお茶をだしていた。

住宅は多いけど田んぼや畑もそれなりに広がっていて。
裕の地元はどこかのんびりしたようなところだった。

途中、立ち寄ったコンビニで会社の人と出くわしたらしく、少し仕事の話をしていた。


車に戻ってきた裕は、
「先輩がいたわー。“女連れてたの、黙っててやろうか”言われたから
 あ、じゃあ黙っとって下さいって言うてきた。笑」


「なんで黙っとくのー!笑」

ついでに週明けの仕事のことも少し話をしてきたようで、
月曜日はどこの現場だとか、どんな人と組むとか、色んな話を聞かせてくれた。

移動する途中、現場の近くを通ったことがあって
「ここな、ちょっと前まで工事に来てた。」と裕は車を降りた。

私も車を降りて、歩いてみる。踏み切りの近くの、狭い道路。

「線路の工事?」

「いや、線路は関係ない。こっちの道路とか路肩。」

「そうかぁ、じゃあこの道は裕が作ったのか!」
ちょうどその時、カンカンカン・・と踏切が鳴リ出して、電車が通り過ぎた。

目の前をすごい速さで走りぬける電車。
ごうごうという音と、錆びた線路のキィキィという悲鳴に近い音で
私たちの声は全部かき消された。

電車が遠く小さくなって、踏切が重そうに鈍く上る。あたりに静けさが戻る。


「・・おれ仕事中な、いつもあっちの方向いて仕事してんねん。」

日の傾き始めた空を見ながら、裕が言った。
私は意味がわからなかったので

「あっち?・・東とか西とか、いまだに私わかんないからなぁ・・」
と笑ってごまかそうとした。

「あっちは、西。いつも夕日見えるから。」

裕はあいかわらず空を見たまま答えていた。

「・・西なんだ。あっちに何かあるの?アメリカ?」



「何かあるって・・・。おるからに決まってるやん。ゴリが。」
裕は少し照れくさそうに言うと、くるりと向きを変えて
「戻るで!」と元来た道を引き返した。


私は裕の地元で、自分の町がどっちの方角かなんてわからなかった。
現に、さっき走り去った電車が、上りか下りかもわからない。

だけど
裕がこの場所で、私を思い出してくれていた日があった。
姿の見えない場所でも、私の方を見ていてくれた日があった。


私はと言えば、空を見上げることなどなく
ただただ携帯から交信を図ろうとしてばかりだった。液晶画面ばかりみていた。

月や星がキレイでも、それは裕に連絡するためのネタでしかなかった。
「離れていても、同じものを見ている」っていうことに純粋にときめいていない。
それを単純な言葉にしてほしかっただけだ。

純粋に、裕を想っていないのだろうか。

私は裕の後ろを歩きながら、勝手に萎縮していたのを覚えている。


その日から、私は1日1回
東の空を眺めては裕を想い出だすことを決めた。

「いつも、日が暮れる頃にむこうの空を見るんだ。
 裕はもう仕事終わったかなーって」

それを、またあの踏み切りの場所で
今度は私が空を見ながら言う日が、そう遠くないうちに叶うと思い込んでいた。




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