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July 19, 2015
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July 18, 2015
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July 17, 2015
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July 16, 2015
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July 15, 2015
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July 14, 2015
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July 13, 2015
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July 12, 2015
ブログを更新しました。お手数ですが、下記をクリック願いますm(__)m北欧旅行 ノルウェー・オスロ編・・・1 前回の日記の更新のお知らせをするのを忘れていました(^^ゞ今、こちらで同時に2回分更新しましたけれど、念のため、前回の分は下記をクリック願いますm(__)m北欧旅行 フィンランド・ヘルシンキ編・・・3新しいブログのホームはこちらですGarden 東の谷 FC2ブログ
July 11, 2015
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July 11, 2015
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July 9, 2015
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July 7, 2015
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June 26, 2015
ブログを更新しました。お手数ですが、下記をクリック願いますm(__)m「赤毛のアン」のプリンスエドワード島への旅 (Saturday 6/28)新しいブログのホームはこちらですGarden 東の谷 FC2ブログお帰り際に1クリックをお願いします何時もありがとうございます
July 12, 2014
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July 11, 2014
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July 10, 2014
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July 8, 2014
ブログを更新しました。お手数ですが、下記をクリック願いますm(__)m「赤毛のアン」のプリンスエドワード島への旅 (Tuesday 6/24)その1「赤毛のアン」のプリンスエドワード島への旅 (Tuesday 6/24)その2新しいブログのホームはこちらですGarden 東の谷 FC2ブログお帰り際に1クリックをお願いします何時もありがとうございます
July 7, 2014
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July 5, 2014
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July 4, 2014
ご無沙汰してしまいました。久しぶりにブログを更新しましたので、お手数ですが、下記をクリック願いますm(__)m「赤毛のアン」のプリンスエドワード島への旅 (プロローグ)新しいブログのホームはこちらですGarden 東の谷 FC2ブログお帰り際に1クリックをお願いします何時もありがとうございます
July 2, 2014
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March 26, 2014
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March 24, 2014
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March 22, 2014
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March 18, 2014
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March 11, 2014
トルコの歌、今回はこれです。♪ Mustapha (ムスターファ) ♪ 1960 Ya Mustapha, Ya Mustapha Che`ri je t'aime,che`ri je t'adore Como la salsa del pomodore Che`ri je t'aime,che`ri je t'adore Como la salsa del pomodore ※ Ya Mustapha,Ya Mustapha Ana ba habak,Ya Mustapha Ya Mustapha,Ya Mustapha Ana ba habak,Ya Mustapha Thala Ya Mustapha Ya ebn Sarhane Guib taamira agami, we` lef aal guirane Wamma yigui ke`fo,ke`fo Yeshrab aala ke`fo,ke`fo Wamma yigui ke`fo,ke`fo Yeshrab aala ke`fo,ke`fo ※Repeat Tu m'allumai avec une allumette Et tu m'as fait perdre la te^te Puis quand ta me`re, elle est partie Un bon cafe`,tu m'a servi ※Repeat Ya Mustapha, Ya Mustapha Ya Mustapha, Ya Mustapha Ana ba habak, Ya Mustapha Sabaa se`nine fel Attarine Del wa'ti guina "Chez Maxim's" 歌を聴きながら歌詞をなぞっていくと、少し違った箇所がありますが、ご容赦くださいね。トプカプ宮殿観光の後には、エジプシャン・バザールに行きました。入口から中を眺めた所。人・人・人・・・まるで、神戸のルミナリエ見物の様な人の列(滝汗)その昔、この市場がエジプトからの貢物を集め、設営されたことにちなんで、エジプシャン・バザールと呼ばれているそうです。先に行ったグランド・バザールと比べると、食料品や家庭用品などが豊富。イスタンブール庶民の台所で、生鮮食料品や香辛料が、ところ狭しと並んでいます。通称スパイス・バザールとも呼ばれているそうですが、私は、人ごみの他、このスパイスの匂いも苦手。マタマタ早々に退散しました(^^ゞボスボラス海峡クルーズアジアとヨーロッパを分ける南北約31kmの海峡を、景色を眺めながら楽しむクルーズの旅。ガラタ橋ヨーロッパサイドの旧市街と新市街を結ぶ橋。橋の上では、沢山の人たちが魚釣りを楽しんでいます。金角湾から出航してガラタ橋を潜り抜け、ボスボラス海峡へ小さな船出♪最初は、左舷のヨーロッパサイドの眺めを楽しみます。(船は、陸と違って左側通行のようです)丘の上には、左から、ブルー・モスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿巨大な客船が停泊しています。船の名前は、COSTA DELIZIOSAイタリア船でしょうか・・・午前中は、もう一艘泊まっていました。この船で、地中海クルーズが楽しめるのでしょうね。ドルマ・バフチェ・ジャーミー「ジャーミー」とは、モスクの事のようです。ドルマ・バフチェ宮殿かってのスルタンの居城私たちは内部を見学しませんでしたが、バロック様式とオスマン様式を折衷させた、壮麗な宮殿だそうです。私たちの船を追い抜いて行ったのは、海上ポリスかな???チュラーン宮殿19世紀に建設されたオスマン帝国の宮殿小ぶりながらも、オスマン帝国後期の豪華絢爛ぶりを垣間見られる瀟洒な宮殿現地ガイドさんが通われたという中学校。可愛いですよね♪海峡に浮かんだ水上レストラン有名人もお忍びで来る高級レストランなのだとか。ここでも、魚釣りの人々が…ボスボラス海峡沿岸では、至る所で魚釣りを楽しんでいました。ルメリ・ヒサール1452年、メフメット2世が、コンスタンチノーブル攻略の為に築いた要塞。アジア側のアナドル・ヒサールと向かい合うように建てられ、海上封鎖でビザンチン帝国への武器や食料の運搬を阻止したとか。第2ボスボラス大橋この橋を潜ってUターン。今度は、左手にアジア側を見物アナドル ヒサールちょっと分かりにくいのですが、右側の白い建物の後ろに見える要塞。また、海峡沿いの建物は、海に面して玄関を作る伝統的な別荘・ヤルキュチュクス宮殿先ほどの大型客船が出航したようです。次の寄港地は何処なのかしら・・・ベイレルベイ宮殿右手に少し見えるのは、第1ボスボラス大橋乙女の塔(クズ塔)かって刑務所や灯台として使用され、現在は人気レストランになっているそうです。この塔には、今回は省略しますが、名前の由来となった悲しい伝説があります。前日まで続いた晴天は終わって、この日は薄曇り。紺碧の空をバックにした写真は撮れませんでしたけれど、甲板の上で心地よい風に吹かれて、西洋と東洋の両方の風を感じるクルーズを楽しみました。最終日は、バス移動はありませんでしたが、その分、徒歩での観光が多くて、歩行数は17500歩でした。トルコ旅行記は、これでお終いです。長い間お付き合いありがとうございました。上のYouTubeのムスターファは、坂本九ちゃんが、悲しき60歳の題名でカバーしています。これ、歌の内容から、ずっとトルコの歌だと思っていたのだけど、ブログに載せるにあたって調べてみましたら、なんとエジプトの歌でした(滝汗)どうしてトルコって歌詞なんでしょう???青島幸男氏が適当に作ったの…(苦笑)今でこそ、トルコ旅行をする人が沢山いますが、まだ海外旅行が個人的に出来なかった1960年代に、イスタンブール、ウスクダラ、ムスターファ等のトルコの歌が、日本で流行っていたのです。私たちにとっては、その頃のトルコは、決して行く事のない、遠い遠い異国の国でした。でも、そのトルコの国では、明治の中頃、和歌山沖でエルトゥールル号が遭難した時、日本人が助けてくれた話を、学校の教科書に、以来ずっと載せていたそうです。このエルトゥールル号遭難事件は、日本人よりもトルコ人の方がよく知っているそうです。トルコ人はとても親切で、助けてあげても恩返しは期待しませんが、親切に されたら必ず恩返しをするという国民性だそうです。何だか嬉しいですよね^^
June 17, 2013
魅惑のイスタンブールは、見どころがいっぱい!とても2回では載せきれないので、この後、もう一回載せたいと思っています。前回のリンダさんのコメントに、「トルコの歌なら、ウスクダラでしょうか」とあって、そう言えば、ウスクダラなら、私も1番くらいは歌詞を覚えていました。懐かしく思い、YouTubeで探してみました。 Üsküdara gider iken, aldýda bir yagmur. Üsküdara gider iken, aldýda bir yagmur. Kâtibimin setresi uzun etegi çamur. Kâtibimin setresi uzun etegi çamur. Kâtip uykudan uyanmis gözleri mahmur. Kâtip uykudan uyanmis gözleri mahmur. Kâtip benim ben kâtibin el ne karýsýr. Kâtibime kolali da gömlek ne güzel yarasir Üsküdara gider iken, bir mendil buldum. Üsküdara gider iken, bir mendil buldum. Mendilimin içine de lokum doldurdum. Mendilimin içine de lokum doldurdum. Kâtibimi arar iken, yanýmda buldum. Kâtibimi arar iken, yanýmda buldum. Kâtip benim ben kâtibin el ne karýsýr. Kâtibime kolalý da gömlek ne güzel yarasýr.ブルーモスク見学の後は、アヤソフィアでした。ビザンチン帝国の最盛期を統治していた皇帝ユスティニアヌス1世によって、537年に完成したキリスト教の大聖堂です。キリスト教のモザイク画。イエス・キリストと聖母マリアにコンスタンティノープルを献上するコンスタンティヌス1世(右)アヤソフィアを献上するユスティニアヌス1世(左)ちなみに、前回のYouTubeの歌にあったように、コンスタンティノープルは、イスタンブールの前の名前です。アヤソフィアは、反乱の放火での焼失や、度重なる地震による倒壊から再建を繰り返したそうですが、オスマン帝国時代にメフメト2世がモスクへと改修。モザイク画はモスクになった際に漆喰で塗りつぶされてしまいました。でも、壊さないで塗りつぶしたお陰で、キリスト教とイスラムが教が共存するという珍しい場所となりました。ふたつの宗教が混ざり合っているといえば、昨年行ったスペインのアルファンブラ宮殿や、コルドバのメスキータを思い出しました。2階に上がって全体を見下ろしました。建物が大きいので、観光客が蟻のように見えます。洗礼者ヨハネと聖母マリアに囲まれたイエス・キリストのモザイク画。キリスト像だけをアップイエス様は、どの位置に立っていても、ジッとこちらを見て下さっていてくれます。2階は回廊になっていて、下を見ながらグルッと回る事が出来ます。バスの車窓から6匹ならんだ子ヤギ(?)の彫刻が可愛かったので思わずパチリ!次は、トプカプ宮殿です。中庭に入ると、可愛い王子さまがいました^^何かイベントでもあるのかしら???15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設約400年にわたって、スルタン(オスマン帝国の皇帝)の居城だった所です。つまり、1472年に宮殿の運営がはじまり、1856年に宮殿を他へ移すまでの間。日本では、室町時代から江戸時代の終わり頃迄でしょうか。敷地面積が70万平方メートルという途方もなく広大な宮殿。今回は、ガイドがなく、自由行動で見学した為、詳しい説明は出来ませんが、かっての帝国の繁栄と、スルタンの豪華な生活ぶりが想像できる素晴らしい装飾の数々に、ため息の連続でした。上の3枚の画像は、暖炉だと思いますが、これは、蛇口が付いているので、礼拝前に身を清めた所でしょうか???タイルの間美しいイズニックタイルにおおわれています。黄色はサフラン、青はコバルト、赤はサンゴを原料にしています。以後の画像は説明がありませんが(出来ない)、みなさんも、その時の私の気持ちになって、この素晴らしい装飾の数々をお楽しみくださいね。ここからの4枚の画像は、美しいトルコ絨毯です。ここからは、繊細な模様のタイルの数々イスタンブールの観光は、まだまだ続きます♪ウスクダラは、江利チエミさんの歌で覚えたような気がします。
June 15, 2013
さて、いよいよ最後の観光地・イスタンブールになりました。私たちが帰国した日に、イスタンブールで始まった反政府デモ、終結するどころか、全国的に拡大しているようです。イスタンブールには、沢山の観光客が来ていましたけれど、今は、観光どころではないでしょうね。イスタンブールに関する歌と言えば、大抵の人は、庄野真代の「飛んでイスタンブール」が思い浮かぶ事でしょう。でも、私の世代ではこれです。バックミュージックを楽しみながら、旅行記を読んでいただけたらと思っています。Istanbul was Constantinople Now it's Istanbul, not Constantinople Been a long time gone, Constantinople Now it's Turkish delight on a moonlit night Every gal in Constantinople lives in Istanbul, not Constantinople so if you've got a date in Constantinople she'll be waiting in Istanbul Even old New York was once New Amsterdam Why they changed it I can't say People just liked it better that way So take me back to Constantinople No, you can't go back to Constantinople Been a long time gone, Constantinople Why did Constantinople get the works? That's nobody's business but the Turks Istanbul イスタンブールは、オリンピック誘致に向けて、至る所で工事をしていました。まるで、東京オリンピック前の東京の様に…でも、道の両側の法面や、中央にあるグリーンベルトなんかは、綺麗に管理されていて、雑草が生い茂っている我が町の国道筋なんかは、是非見習って欲しいと思ったものでした。バスで移動していると向うの方に、スペインで見た水道橋のようなものが見えてきました。ヴァレンス水道橋ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝の時代に建設が始まり、378年に完成したもの。現在は使用されていません。過去と現在を対比するように、交通量の多い道路を跨いで建っています。バスを降りて、スレイマニエ・モスクへ行く道中の風景お鍋の修理屋さんです。お店の構えも、文字が読めないのだけれど、何だか素敵!イヤホンガイドに安心して、私たちの事なんかお構いなしにズンズン進んでいくガイドさんに置いて行かれないように気を付けながら、歩きながら急いでシャッターをきりました(滝汗)ガイドさんの話では、カフェテラスの奥の建物は、由緒あるものだそうですが、何だったのかは、ちょっと思い出せません(-_-;)スレイマニエ・モスクへ着きましたが、沢山の人たちが入場するのに並んでいます。毎日のように大型客船が着岸するので、船からの観光客が、ワンサと押し寄せてくるのです。礼拝の前に、身を清める所です。オスマン帝国が最も繁栄した時代の君主、スレイマニエ大帝が造らせた寺院で1557年完成。入り口の上にある素晴らしいカリグラフィ入るのに、女性は髪の毛が見えないように、スカーフを被りました。クリック!<拡大画像>ドーム装飾とシャンデリアの灯りが美しい内部正面にあるのが、ミフラープ。床にズラッとあるオレンジ色の部分に各人が座り、ミフラープの遥か向うにあるメッカに向かってお祈りするのです。ガイドさんに教えて頂きながら、私たちも、ここで礼拝の真似事をしました。又、街並みの風景を楽しみながら歩いて・・・イスタンブールの巨大市場・グランドバザールへ出入り口も沢山あって、迷子になりやすいので、集合場所は、この1番ゲートゲートの装飾が美しいのでアップでもう一度。中はこんな感じ。4000もの店が、迷路のように立ち並んでいます。面白い品がいろいろあって、見るだけでも楽しいのですが、兎に角、買い物客というよりは、観光客がもの凄く多い!!!田舎に住んでいる私は、人ごみに酔って、早々に退散しました(^^ゞローマの大競技場跡・ヒッポドロームには、3本の柱が建っていて、これは、テオドシウス1世のオベリスク遥かエジブとのカルナック神殿からローマ皇帝によって運ばれたものです。ブルーモスク正式名は、スルタンアフメット・ジャミイアスマン朝14代スルタンアフメット1世の命により、1616年に完成した巨大モスク。大きなドームと鉛筆型のミナレットを持つトルコを代表するイスラム寺院です。ミナレットは、全部で6本あって、これは、世界でも珍しいそうです。ブルーモスクの愛称の由来は、内壁を飾る青を主体とした美しいイズニック・タイルから。現在、殆どのタイルは剥れ落ちてしまいましたが、大ドームを支える柱の一部に、今でもオリジナルのタイルを見る事が出来ます。沢山ある素晴らしいステンドグラス上手く撮れませんでしたが、ズームで写してみました。私たちはイスラム教徒ではないので、大ドームの下までは入れませんでしたけれど、施された修飾は、どれもこれも美しく、首が痛くなるほど見入ってしまいました。ブルーモスクからアヤソフィアに行く途中、シューシャイン・オジサンを見かけました(*^。^*)この日は、長い移動がなかった分、観光が目白押し。1回では載せきれないので、続きは次回に…ちなみに、最初のYOUTUBUの歌・イスタンブールは、江利チエミさんも歌っています。
June 13, 2013
カッパドキアと言えば熱気球。雄大な景色を鳥になった気分で上から眺めるのをとても楽しみにしていたのですが・・・残念ながら、私たちが参加していた旅行会社は、当分の間、安全を取ってバルーンツアーの催行を中止したそうです(涙)せめて、下からでも気球を見たいと思って、早朝部屋から出てみました。午前5時30分頃、お日さまが顔を出しました。振り返って、反対方向を見ると・・・クリック!<拡大画像>気球が次から次へと大空に舞い上がっていました。命知らずの人たちが、いっぱいいるんですね~遠くからズームで写したので、あまりハッキリとは写っていません。近くから見ると、もっとカラフルで壮観なのですが…観光5日目も、カッパドキアです。カッパドオキアって、想像以上に広大な所でした。先ずは、ギョレメ野外博物館へカッパドキアでは、4世紀頃から多くのキリスト教徒が住むようになっていましたが、9世紀頃からイスラム勢力が強くなり、それから逃れる為に、岩を掘って洞窟に教会や修道院を造りました。その中心となった場所がギョレメでした。修道僧の修道院があった所尼僧の修道院があった所ギョレメ谷には30以上の教会があって、各教会の天井や壁には、素晴らしいフレスコ画が残っています。以前は、内部の撮影が出来たそうですが、残念ながら、今は撮影禁止。ノーフラッシュと書かれていてもフラッシュを使う人が多い為、壁画予防する為の措置だとか…これは、外側の壁に描かれていたので、撮影はOKでした。上の画像とこれは、暗闇の教会の入口の壁画暗闇の教会内部に入るには、別料金(8リラ)が必要な為、なんとなく入らなかったのですが、帰って調べてみると、名前の通りに太陽に照らされていなかった為、キリスト像や受胎告知、ベツレヘムへの旅、最後の晩餐などのフレスコ画がとても綺麗に残されているそうです。8リラをケチるんじゃなかったわ(-_-;)素敵なカップルに出会ったので、写真を撮らせて頂きました。この穴の中で鳩を飼って、その糞を肥料として使っていたそうです。暑い日でしたけれど、黄色い花を見ると、ちょっと元気になります♪こちらの花は、涼を誘ってくれます^^野外博物館を出た所にも壁画があったので、バスの中からパチリ!外の壁画は風雨に晒されているので傷んでいますが、洞窟内部の壁画は、みんなとっても綺麗に残っているんですよ。今回、内部の写真は撮れませんでしたが、一部の不心得な人たちの為に、他の人たちが不便を感じている事は、最近よくありますよね。昼食会場に向かっていると、何と富士山が見えるではありませんか!!!エルジェス山(3916m)独立峰で、富士山そっくりの形をしていますが、富士山よりも140m高いんですよ。昼食会場からは、ギョレメの谷の大パノラマが見渡せます。クリック!<拡大画像>左手の方には、ウチヒサルが見えます。ウチヒサルへお土産やさんが、ズラッと並んでいます。観光場所に行くと、どこもこんな感じ。「3つの要塞」という意味を持つウチヒサルは、カッパドキア一帯で、最も高い所にある村。中心にある岩山は、敵の侵入を防ぐ城砦として利用されていました。朝ホテルを出る時、3人のイケメンさんがお見送りしてくれました^^陶器工場見学の時の、足蹴りロクロの実演です。一品物の素晴らしい陶器が沢山陳列されていましたが、買いませんでした(^^)vトルコ絨毯店へ織り子さんたちです。気が遠くなるような、細かい作業をしていました。そして・・・絨毯の展示即売が始まりました。もう…素晴らしい絨毯が目白押し♪でも、幸か不幸か我が家には敷く場所がありません。写真だけを撮らせて頂きました^^カイセリ空港から17:40発のトルコ航空で再びイスタンブールへ翌日は最終日、イスタンブール観光です♪バスの走行距離:70km歩行数:9500歩***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 11, 2013
観光4日目は、コンヤを出発し、カッパドキアに向かいます♪カッパドキアは、アナトリア高原の中央部に広がる大奇岩地帯。数億年前のエルジェス山の噴火によって造られたもの。火山灰と溶岩が数百mずつ積み重なった末、風雨に打たれて浸食されていき、固い部分だけが残って、不思議な形の岩が残ったのだそうです。到着後の最初の観光は、カイマルク地下都市キリスト教徒が、アラブ人の迫害から逃れるために造ったと言われています。地下都市は、カッパドキアに300以上あると言われていますが、その中でもここは、多い時には5000人以上暮らしたという巨大なものです。※上の画像と後の画像の色合いが違うのは、上の1枚はノーフラッシュで、後はフラッシュを使った為です。内部は、地下8階まであって、私たちは、地下5階まで見学しました。大きな石の上にある穴は、香料を潰すためのすり鉢の様な役目をしたものです。ワイナリーもあります。壁が凹んだ所にワインを入れた瓶を保存したのだとか。昼食は、洞窟レストランで。ハーブの効いたヨーグルト風味のスープ<よく出てきました>インゲン豆の煮込み料理<インゲン豆の料理も多かったな~>テーブルの手前に沢山のカメラが置かれているでしょう?添乗員さんが、順番に記念写真を撮ってくれています^^カッパドキアは、ワインの産地。金賞を取ったという特選赤ワインをオーダー<グラスワインで15リラ>お酒が苦手な私でも飲みやすくて、美味しく全部いただいたので、夫がびっくりしていました(苦笑)ニジマスの塩焼き今まで、ニジマスは、あまり好きではなかったのだけど、不思議なくらい美味しく頂きました。そろそろトルコ料理に慣れてきたのかも知れませんね^^デザートは、タピオカ入りゼリーいよいよ奇岩観光の始まりです♪デヴレント渓谷ここのラクダ岩とも呼ばれている岩が有名。 ラクダ岩 デヴレント渓谷の岩の上部に開いている穴は、キリスト教徒の隠れ家跡。パシャバーの谷不思議な地形です。パシャバーは、キノコ岩が林立する奇岩観光のハイライトです♪カッパドキアといえば、大抵の人は、この風景が目に浮かぶと思うのですが…煙突に似たこれらの岩は、その中に妖精が住んでいたという伝説から、「妖精の煙突」とも呼ばれています。教会だった所ここは、中に入ることができました。旧教会の窓から見た風景です。ギョレメ・パノラマという絶景ポイント。遠くには、ローズバレーが見えます。名前通り、雄大な素晴らしい眺めでした。トルコ名物の伸びるアイスクリーム「ドンドゥルマ」実演付きです^^<於 ギョレメ・パノラマ>なんて可愛い荷車!お店の前にチョコンと置かれていたのだけど、売り物かしら???スリー・シスターズ(三姉妹)ユルギュップ入口の高台にある展望スポットにあります。「親子岩」とも呼ばれているそうです。クリック!<拡大画像>ウチヒサルカッパドキア一帯で、1番高い所にある小さな村。この写真は、遠くから望遠で写しましたけれど、翌日は、もっと近くまで行きました。バスの走行距離:230km歩行数:9100歩翌日も、カッパドキア観光です。カッパドキアは、想像以上に広い所でした。*****つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 9, 2013
2009年に中国の黄龍で素晴らしい石灰華段を見て感激したのですが、トルコにも同じようなのがあると聞いて、以来、ずっとトルコに行ってみたいと思っていました。クリック!<拡大画像>それは、パムッカレの石灰棚です。長い年月を経て凝結した温泉の石灰分が、不思議な風景を作り出しています。国内有数の温泉保養地で、珍しい石灰棚は、世界遺産に登録されているのです。クリック!<拡大画像>パムッカレは、トルコ語で「綿の城」という意味。将にお城のような景観です。向うに見えるのは、パムッカレの村夾竹桃が真っ青な空に映えています。実際、毎日ずっと晴天続きで、最近の日本では見かけられないような紺碧の空。トルコには、薔薇の他、夾竹桃もよく見かけました。遠く上の方に、沢山の人がいます。行ってみると・・・ここは、石灰棚の上を、裸足なら、歩いてもOKな所でした。殆どの所は、立ち入り禁止になっているのですが…ちょっと温めの温泉水が溜まっていて、それぞれに感触を楽しんでいます。前日のレッド・スプリングの足湯は入りませんでしたが、ここには、ちょっとだけ入ってみました。何だか、子供に返ったような楽しい気分♪クリック!<拡大画像>こちら側は、立ち入り禁止の所ですが、現在温泉が枯れつつあるので、温泉水は流れていませんでした。石灰棚と隣接して古代遺跡・ヒエラポリスがあります。そこのアンティーク・プールで楽しんでいる人々。プールの底にはギリシャ・ローマ時代の遺跡がごろごろしていて、その上で遊べるなんて、なんという贅沢!ヒエラポリスは、紀元前190年に始まった都市の遺跡。「ヒエラポリス」とは「聖なる都市」という意味だそうです。途中のトイレ休憩の場所で、珍しいスィーツ(5リラ?)を頂きました。ちょっと変わったヨーグルトの様なものに、はちみつとケシ粒がかかっています。あまりお味を期待していなかったからでしょうか、結構美味しく頂きました(^^)v昼食は、トルコの湖水地方にあるエイルディル湖の湖畔で、トルコ風ピザの昼食です。食事の画像はありませんが…(^^ゞガイドさんが、「今日の湖の色が綺麗でよかった!」って言われていましたが、お天気が好かったからでしょうね^^エイルディル湖は、吸い込まれそうな綺麗な色をしていました(^^)v延々と続く小麦畑。トルコの食糧需給率は100%なのだとか。やっとコンヤに到着。イスラム神秘主義・メヴラーナ教の総本山です。カラタイ神学校13世紀中ごろに、カラタイ宰相によって造られた神学校。現在は、陶器博物館になっていて、内部は、美しい陶器モザイクで飾られています。<中は撮影禁止>美しい浮き彫りスタラクタイト(鍾乳石飾り)で飾られていて、芸術的価値の高い門。メヴラーナ博物館一般公開されているにも関わらず、まだまだ宗教的色彩が残っているのでしょうか、女性はスカーフで髪の毛を隠さなければ入れません。<ここの中も撮影禁止>メヴラーナ博物館(違った角度から)施舞教団として知られるメヴラーナ教広大な敷地内には、霊廟の他、僧院、修行場などもありましたが、現在は博物館として一般公開されています。施舞の人形右掌を上(アラーの神)に向け、左掌は下(死者)に向けて、クルクルと旋回しながら、無我の境地になって踊ります。 踊りの様子をyoutubeで見つけました。コンヤでの今夜のホテルはデラックスホテル(^^)vユッタリ伸び伸びと身体を休めました。バスの走行距離:423km歩行数:12500歩次回の観光は、カッパドキアです♪お楽しみに…***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 6, 2013
最近のトルコは、ちょっと騒がしいようですね。反政府デモは、私たちが出国した翌日から始まったみたいです。滞在中は全然そういう事が感じませんでしたけれど、そう言えば、ガイドさんが、今の首相はイスラム色の濃い政治をしていると言われていました。でも、国民の95%がイスラム教徒だそうなので、反対はないと思っていたのですが…二日目は、エフェソス遺跡の観光です。私がトルコへ行くと行った時、福良学教室でお世話になっている歴史好きのOさんが、「トルコで1番感動したのは、エフェソスの遺跡だった」と言われたので、歴史が苦手な私ですが、楽しみにしていました。実際、広大な敷地に、見どころいっぱいの遺跡が点在していました。現地ガイドさんの話では、シュリーマンは、爆薬を使った為、彼の発掘した遺跡は、損傷が激しいのですが、ここは、丁寧に掘られたので、綺麗な状態で保存されているのだとか。シュリーマンという人は…( ̄Д ̄;) ガーンエフェソス遺跡の事を書こうと思って気が付きました。いっぱい写真を撮ったのですが、殆どの物は、一体何の写真なのか分からないのです(滝汗)以前、スペインへ行った時は、建物などの写真を撮った後に、それらの名前を小さなメモ用紙に書いて、一緒に写真を撮っていたのです。でも、エフェソスは、観光客が半端じゃなく多く、それも、東洋人が殆どだったので、日本人グループは目立たないのです。写真を撮っているだけでも、ガイドさんを見失いそうで、とてもメモる暇なんてありませんでした。急きょ、図書館でるるぶと地球の歩き方を借りてきました(^^ゞ本の写真と照らし合わせて名前を探し、本に載っていないものは、ネット検索で調べました。最後まで分からなかったものもありましたが、もし、間違った名前を書いていたらごめんなさいね(汗)エフェソスは紀元前12世紀に、ギリシャからやって来たイオニア人によって建設されました。この町の黄金期は、ローマ帝国支配下の紀元前130年頃で、約10万人が暮らしていたと推定されています。又、キリストの死後、使徒ヨハネが、聖母マリアを伴って移り住んだ所でもあります。ヴァリウスの浴場紀元前2世紀に作られたハマム(トルコ風呂)奥に見えるのがオデオン(音楽堂)手前の列柱はクレテス通り塀の上にヒツジの像が並んでいます。バジリカ(礼拝所)プリタネイオンの柱1世紀の頃のギリシャ語とラテン語が書かれています。プリタネイオンとは、紀元前3世紀に建てられた市議会場です。メミウスの碑メミウスとは、ポントスからポンペイを奪還したローマの独裁者スッラの孫のこと。紀元前1世紀に建てられたものです。ドミティアヌス神殿1世紀、ローマ帝国のドミティアヌス帝にささげられた神殿。勝利の女神ニケのレリーフザクロの花ニケのレリーフの横には大きなザクロの木があって、オレンジ色の花を付けていました。ヘラクレスの門沢山の観光客…私が迷子になりそうになったのが理解できるでしょう?(苦笑)大理石で舗装されたクレスト通りヘラクレスの門からセルス図書館まで続く通り。クリック!<拡大画像>柱の土台には、ギリシャ語が彫られています。トラヤヌスの泉トラヤヌス帝に献上された泉。手前は水道、奥の池は鏡としても使われていたそうです。モザイクのテラスクレテス通りの片側には、美しいモザイクのテラスがあります。この辺りは豊かなローマ人の豪邸が並んでいた所です。ハドリアヌス神殿裕福な市民クインティリウスが、皇帝ハドリアヌスに献上した神殿大理石の公衆トイレ前の細い水路の水で、お○リを洗っていたそうです。ガイドさんの話では、当時裾の長いフワッとした服を着ていたので、お○リを見せることなく用が足せたそうです。そうそう、現代のトルコ式トイレも面白かったですよ^^セルスス図書館エフェソスのシンボル的存在。2世紀に、この地を統治していたセルススを偲んで彼の息子が建立。娼館への案内図大劇場約24000人収容できたトルコ最大級の円形劇場。紀元前3世紀に完成後、ローマ時代に増築されたのだとか。港へ向かうハーバー(アルカディアン)大通りハーバー(アルカディアン)大通りの逆方面から大劇場を望むポンペイに行った時にも思いましたが、2000年かそれ以上も前に、こんな高度な文明があったのですね。それに比べて私たちの国は、まだ生まれたばっかりの赤ん坊だったのではないのでしょうか???観光後、カラハユットのレッド・スプリングへ。温泉のお湯に鉄分が多く含まれていて、赤い色をしているのが名前の由来。市営温泉・クルムズ・スの源泉温泉の池が段々状になっていて、まるでパムッカレ石灰棚の小型版の様です。沢山の人たちが、足湯を楽しんでいました♪パムッカレのホテルへ夕食後、外のプールサイドでベリーダンスショーがありました。その後、屋内の温泉プールに入り、観光で疲れた身体を癒しました。バスの走行距離:435km歩行数:11800歩翌日は、石灰棚で有名なパムッカレ観光です。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 3, 2013
私がトルコを旅行中、日本では10日も早く梅雨入りしたとの情報が入りましたが、本当に梅雨???今日もカンカン照りの好天気です。長期間留守にしていた庭は、目も当てられない酷い状態。毎日、花柄摘みをしたり、水仙などの枯れた葉の除去。それに草抜きやら散った薔薇の花びらの除去等々…やらなければならない事が山積しています(滝汗)今日も、先ほど(午後3時頃)まで作業をしていたのだけど、目がクラクラしてきたので、諦めて家に入りました。旅行は楽しいのだけど、今の時期は止めた方がいいみたいですね。来月初旬には、国内旅行を計画しているのですが、帰ってきたら、庭がどうなっていることやら。今から気が重いです。それでは今回からトルコ旅行記を始めます。5月24日(金) 22:30発のトルコ直行便で、13時間のフライト後イスタンブールへ。着いた時は、翌日の朝5時35分でした。観光バスに乗り、マルマラ海沿いを西へ走り、トロイ戦争で有名なトロイに向かいました。最初のトイレ休憩の場所。アメリカもそうでしたが、高速沿いのガソリンスタンドの奥に、カフェ、売店、トイレがあります。初日の空の色は、真っ青!雲一つなく、幸先の良さを予言しているかのようです(^^)v途中、昼食になりました。世界3大料理のひとつといわれるトルコ料理初体験です♪テーブルに置かれていたのは、不思議にも、食後に食べるであろうデザート。お皿にチョコンと乗っているのは、マロングラッセとオレンジの切れ端。海外旅行をしていて何時も困るのは、食事の時に飲み物をオーダーしなければ、お茶もお水も出てこない事。アルコール類はあまり好きではないので、飲み物選びが大変です(汗)今回は、フレッシュ桃ジュース(10トルコリラ)を注文。美味しかったです(^^)vちなみに、1トルコリラ=60円でした。ハーブの効いたヨーグルト風味のスープ串に刺したものは、鶏肉のケバブ鯖のオリーブオイル焼きお味の方は?う~~~ん。少し慣れる必要がありますね^^ショッピングセンター内(?)でお食事をしたので、その後の自由時間の買い物後には、チャイ(トルコ風紅茶)この時は、1.5リラでしたけれど、ある所では1リラである所では3リラ。値段があってないような感じでした。ちょっと不思議に思ったのだけど、考えてみると、日本で飲むコーヒーだって、料金は千差万別なんですよね~バスごとフェリーに乗り、ダーダネルス海峡を渡ります。(約1時間)フェリーが出た港を振り返ってパチリ!やっとトロイ遺跡に着きました。これまでの走行距離は345kmバスを降りて、最初に目に飛び込んでくるのは、トロイの木馬トロイ戦争(紀元前1200年頃)の時に使われたものが1975年に実物大に復元されました。階段を上がって、内部に入る事が出来ます。ホメロスの詩「イリアス」に出てくる伝説の都市と信じられていたトロイ。ところがこれを、実在の都市と信じ続けて資材を投げ打って発掘を続けたのが、ドイツの考古学者シュリーマンでした。そして、1970年、ついに遺跡を発見したのです。ごめんなさい。1870年の入力ミスでした(^^ゞ教えて下さったelmoさん、ありがとうございますm(__)mこの地に初めて集落が出来たのは紀元前3000年頃。その後、紀元400年までの3400年間、繁栄と没落が繰り返されてきたトロイは、古代エーゲ海交易の中心地でした。クリック!<拡大画像>その軌跡を今に伝える遺跡は、古い都市の上に新しい都市が建設されていて、9層にもなっている珍しいものです。クリック!<拡大画像>ところが、シュリーマンが発見して、ドイツに持ち帰った財宝は、すべて消息不明のまま。クリック!<拡大画像>現地ガイドさんの話では、彼は、財宝を見つけた途端、雇っていた人達を全部家に帰らせて、財宝を独り占めして、急に姿を消したそうです。彼女は、彼の批評はしないで、淡々と事実だけを話していましたが、トルコ人は、彼の事を何て思っているのでしょうね。私は、今までシュリーマンて、偉大な人だと思っていたのですが、この話を聞いてイメージダウン。ストロベリーキャンドルに似た花遺跡からは、牛さんたちが草を食べている長閑な風景が望めます。トイレ休憩をしている間、お店の前では、度々こういう光景が見られます。これは有料?それとも、お客様を連れてきてくれたお礼なのかしら???観光後、150km走って、エーゲ海沿いのリゾート・アイワルクへ。大きな満月が見えました。お部屋のベランダから見たエーゲ海。まだ海開きをしていない様で、閑散としていました。この日の、バスの走行距離:495km(東京・大阪間の距離?)歩行数:9500歩次は、エフェソス遺跡観光後、石灰棚のパムッカレへ行きます。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
June 3, 2013
12月初めにしては珍しく、大寒波がやって来て、日本列島が冷蔵庫になったみたいです。私も、庭仕事が気になるのですが、こう寒いと、外に出る気にもならないので、ブログにかける時間が増えました。先日から続けていた旅行記も、今回で、やっと終わりになりました。もう少し年老いて、何処へも出かけられなくなっ時に、旅行記を見て思い出に浸れたらいいな、と思っています。あ、PCが使えなくなっていたら、どうしよう…(滝汗)と、上は昨日書いたコメント。今朝は久しぶりに風がなく、お日さまも出ていたので、気になっていた庭のお掃除をしていたら、気が付くと1時を大幅に過ぎていました。今、テーブルマーク(カトキチ)の冷凍きつねうどんで昼食を済ませ、PCに向かったところです。昨日仕上げておいた旅行記の最終回をUPすると、又庭に出るつもりです。ラス・ベンタス闘牛場スペインを代表する闘牛場。夕方、トレドからマドリッドに到着した時に、車窓から写したものです。ムセオ・デル・ハモン(ハムの博物館)夕食は、このバルでタパス(小皿料理)を頂きました。入口を入ると、大量のハムがぶら下がっています。ここは、地元で人気のお店の様です。この奥の方にレストラン・エリアがあります。私たちが入ったのは、午後7時頃。地元の人たちの夕食は、大体午後9時位なので、夕食をする為にではなくて、空いた小腹を満たすために、ここに来ているみたいです。沢山のお客様で、私たち以外は、あまり日本人がいません。こんなに流行っているので、さぞや美味しいんだろうな~~~ やっぱり、私の口には合いませんでした(苦笑)日本は、食べ物に恵まれているって、つくづく実感したものでした。…というか、単にスペインの味に馴染めなかったのかも。王宮フランスとイタリアの建築様式を融合した建物です。前回は、中に入って見学しましたけれど、今回は、車窓から見ただけ(涙)その奥に見える丸い塔は、王宮の向かいに立つカテドラルスペイン広場1930年に、セルバンティスを記念して造られた広場中央には、彼の像が、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像を見下ろすように立っています。この後、プラド美術館に行きましたけれど、内部は撮影禁止になっていたので、残念ながら画像はありません。16年前に行った時は撮影OKだったのですが、フラッシュ禁止を守らない人が多かったので、絵を守るために、やむなく禁止になったとの事でした。ロス・ヘロニモス・レアーレス教会プラド美術館から出た所にありました。荘厳な感じの素敵な教会です。昼食後は、OPでセゴビアへ行きました。切り立った崖の上に建つアルカサルディズニー映画「白雪姫」のお城のモデルだといわれています。ここは、標高1000m。黄葉が綺麗でした。カテドラルスペイン最後のゴシック建築で、「大聖堂の貴婦人」と呼ばれているそうです。画像の右下に興味深い像がありますよね。セゴビアの名物料理は、子豚の丸焼きなんですって。お皿を持つ右手を振り上げています。お時間があったら、ユーチューブで、その様子を見てくださいね。お皿でも切る事が出来るほど柔らかいという事ですが、正真正銘のお皿だという証拠に、最後に割るそうです。ちょっとした、子豚残酷物語です。いよいよ白雪姫のお城のモデル・アルカサルの内部へ…天井が、逆さまにした船底に形が似ているので、「ガレーの間」と名づけられたそうです。 「松の実の間」天井の松かさに似た装飾が、部屋の名前の由来だそうです。諸王の間(Sala de Reyes)最上部にはスペイン・ハプスブルク王家、カスティーリャ王国及びレオン王国の歴代の王たちの彫像が並んでいます。アルハンブラ宮殿を思わせるタイル窓から見えるとても長閑な景色。間近に見るカテドラル着工は16世紀ですが、完成までに200年以上掛かったそうです。塔の上には、鳥が沢山飛んでいます。何ていう鳥なのかしら???私たちのガイドさん(日本人)が、案内の途中に、クリスマス宝くじを買っています。「仕事をサボっている証拠写真を撮った」って言ったら、「もし当選したら、みんなを招待します」ですって…(苦笑)街全体が世界遺産だという路地を歩いていたら、急に視界が開け、見上げるほど大きな水道橋が見えてきました。紀元前1世紀に、古代ローマ人によって建設されました。接着剤を一切使わないで、石を積み上げただけで造られた、高い技術に驚かされます。2000年以上も前の建設物が、半世紀前まで使われていたという保存状態の良さにも感心します。これで、観光はすべて終わりました。後は、ホテルにかえって宿泊。翌朝の飛行機で、長い帰国の旅に出ます。今回は、雨が降ったのは、バスで移動中か夜だけで、観光中は、傘を使った事は一度もなくて、添乗員さんが、私たちの強運にビックリする程でした。ガウディの作品群、バルセロナのカタルーニア音楽堂、タラゴナの遺跡群、バレンシアのラ・ロンハ、グラナダのアルハンブラとヘネラリーフェ、コルドバ歴史地区(含メスキータ)、古都・トレド、セゴビア旧市街と水道橋と、沢山の世界遺産に触れる事も出来ました。地図と歴史が苦手な私も、少しはお勉強が出来たように思いました。***** お*し*ま*い*****追記ふーちろさんから、こんなコメントがありました。>カタルニアは今独立したいとかっていってるけど、>そういう雰囲気のものとかこととかってありましたか?はい、ありましたよ。バルセロナ市内を観光バスで走っていると、あちこちのアパートのベランダに、カタルーニア独立旗が掲げられていました。 左がカタルーニア州旗で、右が独立旗です。
December 11, 2012
コルドバのホテルを出て、観光6日目の最初は、ゼネストの為に観光出来なかった、ドン・キホーテの舞台・ラ・マンチャ地方です。「ラ・マンチャ」とはアラビア語「乾いた大地」の意味なんですって。プエルト・ラピセにあるレストラン、ヴェンタ・デル・キホーテ(キホーテの旅籠)で昼食白い壁に青いアクセントがすてきな建物です。ヴェンタ・デル・キホーテタイルの看板がお洒落です♪門を入ると正面に、ドン・キホーテゆかりのレストランがあります。ドン・キホ-テが風車を巨人と間違えて、闘いを挑む準備をしたという旅籠。井戸の前の水槽で、ヤセ馬ロシナンテに水を与えたといわれています。ラ・マンチャの花(揚げ菓子)デザートはこんな可愛いお菓子が出ました。シナモンが利いて、パリッとした皮とアイスクリームの組み合わせが絶妙です。メイン料理は骨付きチキンとつくね(?)の煮込み料理でしたが、あまり美味しそうな写真ではないので省略。(実際、口に合わなかった)ドン・キホーテにちなんだ郷土料理だそうですが… レストランの前の教会画像の右側には、レストランの目印のドン・キホーテの像がたっています。道の反対側にも、可愛い家々が並んでいました。調布のSさんへのお土産のサフランは、ここでGET!コンスエグラの風車丘の上にたつ白い素朴な風車。昔は風力で小麦を挽いていたそうですが、今は観光用で、使われていません。丘の稜線に沿って風車小屋がいくつも並んでいます。一番奥には城塞らしきものも見えます。ここからの眺めは、360℃延々と続く赤い大地で、本当に素晴らしいものでした。私は、セルバンティスのドン・キホーテの小説は、はっきりとは知りませんでした。「頭のおかしい男性が、風車を巨人と間違って、戦いを挑む話」という位しか。でも、こちらに来て、ガイドさんの説明を聞いている内、どうしてこんなに人気があるのか、ちょっとだけ理解できたような気がしました。これは、旧態依然としたスペインへの批判精神に富んだ作品で、風車に突進する有名なシーンは、スペインを象徴する騎士姿のドン・キホーテが、オランダを象徴する風車に負けるというお話なんだそうです。ユーチューブでバックミュージックを探していましたら、こんな素晴らしい動画が見つかりました。<画面右下をクリックすると、フルスクリーンになります>ラ・マンチャの男 は、セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』をもとにしたミュージカル作品ピーター・オトゥールとソフィア・ローレンが出ています。簡潔に纏められているので、あらすじが、何となく分かります。機会があれば、幸四郎のラマンチャの男を見てみたいな~って思ったものです。 古都・トレド三方をタホ川に囲まれ、「16世紀で歩みを止めた街」といわれる所。 アルカサル元はローマ帝国の宮殿があった場所に、イスラム支配からトレドを奪還したアルフォンソ6世が建てた要塞。今は、軍事博物館になっています。ローマ浴場の跡地ローマ帝国の影響も残っています。カテドラル世界のローマ・カトリック教会中、4番目の大きさを誇る大聖堂。以前行った時は中に入り、その豪華さに圧倒されましたが、今回は入場しませんでした。市庁舎ヨーロッパでは、殆どの街の中心に広場があって、そこに教会と市庁舎が向かい合っています。サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会ユダヤ教会だった所。サンタ・マリアの名が示すように、この教会は15世紀初めキリスト教会となり、名前もキリスト教会風に改められました。トレドは、剣の産地です。ショーウインドーの中を写しました。そして、金細工の産地でもあるのです。シスターの服を着たキューピーさん、可愛いですよね♪マジパンも美味しそうでした。お土産屋さんも気になります。でも、ガイドさんの後に付いて歩いているので、中を覗く時間はありません。トレドの街は、迷路のようになっていて、何度も来ている添乗員さんでも迷うそうです。自由散策は無理みたいです(涙)ここは、街全体が世界遺産。歩いていると、中世にタイムスリップをした感じでした。サン・ファン・デ・ロス・レイェス修道院この修道院はレコンキスタが成就したことを記念して建立されたものです。壁にはズラリと鎖が飾られているのですが、これは、それまで奴隷となっていたキリスト教徒が繋がれていたもので、解放された記念に、ここに飾ったものと言われています。サン・マルティン橋橋を渡った所で、私たちの観光バスを待っていると、対岸の建物の庭に人が集まっています。どうやら結婚式のようです。なんだか、私たちまで、幸せのお裾分けを頂いた気がしました。クリック!<拡大画像>エル・グレコのオルガス伯爵の埋葬トレドで1番有名なのは、サント・トメ教会の、この絵です。写真撮影禁止なので、以前買っていた絵葉書をスキャンしました。拡大図を見ると、見ている私たちと、視線の合う人物がエル・グレコで、左下の男の子が彼の子息だという事です。この後、一路マドリッドへ。観光最終日を迎えます。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
December 10, 2012
観光5日目です。この日は、五つ星ホテル(GRAN HOTEL ELBA ESTEPONA)で、ゆっくりと滞在を楽しむという事なんでしょうね。出発は、遅めの11時でした。実は、長女が少し体調を崩していたので、ゆっくり休めて、これは助かりました。コルドバへの途中、13:30頃に昼食サングリア赤ワインを甘いソーダやオレンジジュースなどで割って、一口大に切った果物(レモン、リンゴ、バナナ、オレンジなど)とシナモンを少々加えた飲み物。ワインもビールも、あまり好きではない私は、これが気に入って、よく頼みました。海外旅行では、日本のように、お茶やお水が出ないので、お食事の前にはウェイターが、大抵飲み物の注文に来るのですが…アルコール類があまり好きではないものにとっては、これが困るんですぅ(-_-;)朝食には、生野菜が出ないので、たっぷりのサラダは、嬉しかった!こちらでは、サラダはテーブルにあるオリーブオイルとビネガー、それに塩コショウで、自分で味付けするのが殆どです。ドレッシングなんか、かかっていません。魚のフリッターもう、食べ物には期待しないで、空腹を満たすために食べたのですが、これは、結構いけました(^^)v但し、相変わらず量が多すぎて、残してしまいましたが。デザートの写真は、取り忘れたみたいです(^^ゞ何だったのかしら???紀元前2世紀、ローマ帝国の植民地から発展し、8世紀半ばから11世紀初めまでは、イスラム王朝・後ウマイヤ朝時代の都として栄華を極めた古都・コルドバ。ローマ橋右手前の建物はカラオラの塔ローマ橋は、一世紀にローマ帝国によって本格的なコルドバの都市建設が始まった時に架けられました。ローマ橋を渡りきった川の岸辺にあるメスキータ。メスキータとは、スペイン語でイスラム教寺院のこと。後ウマイヤ王朝によって、8世紀に建てられました。4回拡張されて、数万人を収容できる、巨大なモスクになっていたのですが…13世紀、キリスト教統治時代に、内部にドカ~ンと、カテドラルが作られ、イスラム教とキリスト教が共存する、世界でも珍しい建物になりました。メスキータのファザード前の、オレンジの中庭から見たアルミナールの塔 コルドバのシンボルです。モスクのミナレット(尖塔)として建てられた塔は、キリスト教徒により鐘がつけられ、鐘楼になりました。円柱の森一歩中に足を踏み入れると、薄暗い中に浮かび上がる、幾十にも重なる赤と白の馬蹄形のアーチが、幻想的で美しく、思わず息を飲みます。ここは、礼拝の間でした。馬蹄形のアーチは、白い化粧漆喰と赤いレンガで作られています。柱は大理石。いろんな所から集めてきたので、色や模様が違います。「円柱の森」の柱の現存は854本、最大時では1000本以上あったとされています。それを百本以上切り取って、中央にキリスト教のカテドラルを建てたのです。礼拝の間の正面最奥には、神殿の方向を指し示す壁があり、目印となるミフラーブ と呼ばれる窪みが設けられています。ミフラーブイスラム教徒が祈りを捧げるメッカの方向を示すくぼみ。金色のモザイクで飾られていて、コーランの一部が刻まれています。ミフラーブ前のドーム天井金銀に輝く幾何学模様の素晴らしさにも、目を見張ります。下の画像は、内部に建てられてカテドラルの中です。クリック!<拡大画像>聖堂内陣三方をぐるっと囲んだ聖歌隊席のマホガニー材に彫られた椅子が重厚で素晴らしいです。マヨール礼拝堂(キリスト教礼拝堂)メスキータの中央にあり、キリスト教王が1766年に建てた礼拝堂。立派なメスキータの真ん中にキリスト教のカテドラルを作るなんて、とんでもない事をしてくれたものだと思いましたが、これが、世界唯一の珍しい建物になり、世界遺産に登録されています。この後、メスキータの近くにある8世紀ごろユダヤ人によって造られたユダヤ人街へ。アンダルシアの暑い夏を快適に過ごすための、パティオ(中庭)が設けられています。花の小路中央奥にメスキータの塔が見える、ガイドブックや葉書でお馴染みのポイントです。お土産屋さんが並んでいましたが、これといって、魅力的なものは見当たりませんでした。ミハスに、もうちょっといたかったな~この日の宿泊は、コルドバのホテル。5つ星の後の3つ星なので、期待はしていなかったのだけど、お部屋には、ダブルベッドが2つで、床にスーツケースを2つ広げて置いてもまだ余裕があります。それに、夕食も、今までの中で1番美味しかったように思います。ただ期待していなかったので、写真は写していませんでした。場所もメスキータの近くでした。長女の体調がイマイチだったので、私たちは、お部屋でゆっくりしていましたが、みんなは、夜のライトアップを見に行ったそうです。翌日は、ラ・マンチャ地方とトレドを観光後、最後の宿泊地・マドリッドに行きます。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
December 9, 2012
アルハンブラ宮殿の観光後、アンダルシアの小さな村・ミハスへ行きました。先ずは、レストランで昼食追加料理で、イベリコ豚の生ハムが食べられるというので注文。良くきれそうなナイフで、1枚ずつ丁寧にそぎ切りしています。これが私の分ちょっと脂身が多過ぎだわ(-_-;)それに、もう少し美味しそうな盛り付け方があるのでは?・・・なんて思いながら食べてみたけれど、ちょっと生臭かったかな。私には、日本のスーパーで売られている生ハムの方が、口に合うように思えました(苦笑)生ハムには、いろんなランクがあるって、ガイドさんが言われていましたが、私が食べたのは、あまりいいランクのではなかったのでしょうね。その後、自由散策です。ミハス山麓に広がり、地中海を見渡す白い村。アンダルシアのエッセンスとも言われ、白壁の美しい家々が続く可愛い街です。この白壁は、夏の暑さを防ぐために、毎年塗り直しているのですって。どの家もどの家も、みんな真っ白です。お土産屋さんが、ズラッと並んでいて、可愛い品物がいっぱい売られています♪街の中心・コンスティトゥシオン広場サン・セバスティアン通り絵葉書などでも見られる美しい通りです。下を見ると、プール付きの邸宅群が。ここは、別荘地でもあるのです。遥か向うには、地中海が広がっています。ミハスの闘牛場世界最小といわれる、楕円形の闘牛場です。ミハスのもう一つの名物はロバタクシー沢山のロバがお客さんを待っていました。観光後、コスタデルソルのホテルに着いたのが午後4時頃この日一泊だけ五つ星ホテルということで、早めの到着だったのですが…ロビーの天井ミハスでの自由時間が、後1時間欲しかったと、グループのみんなからブーイングが出ていました。ホテルの寝室実際、約1時間の散策では、さっと観光するだけで、ゆっくりと買い物をする時間がありませんでした。かろうじて、オリーブ石鹸を買えただけ。この画像の手前にも、大きなソファーセットがありました。ソファでゆったりとTVを楽しむ?出来ませ~ん(-_-;)スペイン語放送しかないんですもの。でもねぇ、ちょっとビックリしてのは、名探偵コナンやクレヨンしんちゃん、ピカチュゥなどがスペイン語の吹き替えで、放映されていたんですよ。洗面所もゆったりしています。コルドバのホテルでも、これ位の広さがありましたが、こちらの方が内装が上等(^^)vこのシャワー室にはビックリ!お湯が出るか確かめようと蛇口をひねると、穴からお水が飛び出してきて、全身お水をかぶりました。浴槽もジャグジーです。そういえば、グラナダでのジュニアスイートも、浴槽にはジャグジーが付いていたのだけど、浴槽の幅が普通の倍あったので、肩まで浸かると、私でも溺れそうになり、ゆっくりとジャグジーを楽しむ事が出来ませんでした(苦笑)夕食のテーブルセッティング流石五つ星!と、お料理を楽しみにしていたのですが・・・トマトとモッツァレラチーズのサラダ分厚いチーズがいっぱい入っていて、これだけでお腹がいっぱいになりました。上にキノコが乗った大量のパスタ色彩のない、何とも味気ない盛り付けです(苦笑)お味もイマイチ。量も多かったので、殆どの人が、半分くらい残していました。みんな、あまりにも沢山残していたので、ウエイターさんたちは、お皿を片づけていいかどうか迷っているよう。気の毒なので、「フィニッシュ」っていうと、直ぐにお皿を片付けにきました(苦笑)デザートは、ミルフィーユって聞いたのだけど、私が知っているのとは、ちょっと違う。お味の方は???半分残しました(苦笑)今回の旅行の食べ物は、あまり美味しくなかったんです。前に行った時は、どうだったのかしら…覚えていないという事は、美味しくも不味くもなかったのでしょうね。ホテルの目の前は地中海。ここは、コスタ・デル・ソル(太陽海岸)年間を通じて温暖な気候です。でも、この日は海岸に出ると風がきつく、ゆっくりと散歩なんかしてられない…仕方がないので、又近くのスーパーへ行って、時間を潰しました。こういう事なら、水着を持ってきて、ホテルのプールに入ればよかったなって、ちょっぴり後悔。ロビーにPCの部屋があったので、フロントで使ってもいいかどうか聞いた所、「勿論、あれはあなたたちの為のものよ」って言われたので、電源を入れて、先ず最初に私のブログを見てみました。ところが…日本語は全部文字化けして読めないんです。アメリカやスイス、オランダ、ベルギーなどでは、ちゃんと読めたのに…残念でした(涙)日本人って、ホテル滞在の楽しみ方って、下手ですよね(苦笑)翌日の日の出天気予報では、この日は雨・・・って言われていたのですが、主な観光は、コルドバのメスキータ屋内だから、ま、いいか・・・なんて思いながら、出発の支度をしました。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
December 7, 2012
観光4日目の最初は、今回の旅行のハイライト、アルハンブラ宮殿の見学です。バックミュージックに、名曲・アルハンブラの思い出 をどうぞ。トレモロ・ギターといえばこの曲。 禁じられた遊びと並ぶぐらいの有名なギター曲です。イスラム芸術の最高傑作といわれるアルハンブラ宮殿スペイン最後のイスラム王朝ナルス朝の王宮です。糸杉と言えば、ゴッホの絵などにある、細長く天に聳える杉を思い浮かべますが、この糸杉の垣根は、城壁カットという刈り込みで、綺麗に整えられています。これは16年前の写真。多分同じ場所だと思うのですが、糸杉はトリミングされていませんよね。ちなみに、写っている人物は私ではありません。念のため…^^この城壁の上の凹凸の形。糸杉の垣根の上は、こんな風にカットされているんです。カルロス5世宮殿王宮の隣に建つルネッサンス様式の建物。アルハンブラ宮殿のなかでは異質な存在です。以下はナルス朝宮殿クリック!<拡大画像>王宮の中心にあるアラヤヌスの中庭水鏡に姿を写しているのは、コマレスの塔メスアールの間の天井細工が美しい~~~☆彡こちらも天井です。寄せ木細工が素晴らしいですよね。箱根の寄せ木細工は、ここが発祥の地だそうです。壁の下の方に貼られたタイルの幾何学模様も素敵です♪ メスアールの祈祷室アルバイシンの眺めが素晴らしい♪壁の一部の写真見れば見るほど、繊細で素晴らしい細工です。これは、何の一部だったのかしら???組み木が素晴らしいでしょう^^クリック!<拡大画像> 大使の間宮殿最大の部屋。諸外国の大使による王への謁見や、レセプション等の公式行事が行われた所。高い天井や、クリック!<拡大画像> 壁面いっぱいに刻まれた装飾の素晴らしさに圧倒されます。壁の1部の写真よく見ると、細部まで細かな装飾が施されています。クリック!<拡大画像> ライオンの中庭楽園を再現した中庭には水路が配され、124本の白大理石の柱が取り囲んでいます。当時は、花や木が植えられた美しい庭だったそうです。中央にあるライオンの噴水は、ずと修理中で見られなかったのですが、11月初めから戻ってきたんですって!(^^)vアベンセラヘレスの間当時、力のあったアベンセラヘレス家の陰謀に怒った王は、この部屋で一族の男達を皆殺しにしたそうです。天井の装飾は、ムカルナスと呼ばれるイスラム建築独特のもの。諸王の間鍾乳石づくりのアーチによって美しい空間つくり出している王の居住スペース王女たちの塔と城壁手前の城壁が二層になっているのが分かりますか?アルハンブラからの展望丘の上に城壁が見えます。丘の麓(中央辺り)がアルバイシンと呼ばれるグラナダで最も古い地区です。クリック!<拡大画像>アルハンブラから望むサクラモンテの丘城壁の傍に、ジプシーの貧しい住居があります。フラメンコは、ここが発祥の地だそうです。王女たちの塔の向うの方に、王族の夏の別荘・ヘネラリフェが見えてきました。この後、パルタル庭園を通って、そちらに向かいます。パルタル庭園から見たサンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会貴婦人の塔パルタル庭園は、イスラム時代には、貴族の宮殿や住宅、モスクなどが立ち並ぶ住宅地でした。今は、この建物だけが残っています。グラナダを意味するザクロの実がお庭で弾けていました。14世紀に建設されたナスル朝の夏の別荘ヘネラリフェアルハンブラ郊外(徒歩15分位)、チノス坂を挟んだ太陽の丘にあります。至る所にシエダ・ネバダ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水が設けられていて、水の宮殿と呼ばれていました。フェネラリフェから見たアルハンブラ宮殿の全景クリック!<拡大画像>アセキアの中庭中央に約50mのアセキア(掘割)があり、その両端から水が噴き出してアーチを作っています。スペインでのイスラム様式を代表する庭園。かって、太陽の丘には、幾つもの庭園がありましたが、唯一残っているのが、最も美しいヘナラリフェでした。ため息の出るような素晴らしい建築と、山の上に水を引いた高技術に感動の余韻を残しながら宮殿を後にしました。入場者が少ない朝1番の観光だったので、午前中に終わり、その後、白い可愛い街、ミハスに行きました。***** つづく *****
December 5, 2012
観光3日目の11月14日は、ゼネラス・ストライキが実施される日。国中の殆どすべてのサービスが停止されるというのです。情報は、日本を出発する何日か前に知らされ、もし、行きたくなければ、キャンセル料は要らないと書かれていました。でも、長女にとっては、やっと取れた長期休暇。今止めたら、次はいつ取れるか、わからないという。普通の旅行では経験出来ない事が出来るのもいいかもね。…な~んて、ちょっとした興味もあって、そのまま参加しました。ホテルの部屋から見た日の出。前日とは打って変わって、雲一つない快晴です。朝食時の添乗員さんの話では、ドライバーさんはポルトガル人なので、運転してもいいと言ってくれている。バスを運行してもよいか、今バス会社に聞いているとの事でした。連絡を待っている間、ホテルの周辺を散策。風車の付いた可愛い建物を発見!レストランかしら???そうこうしている間に、バス会社から、バスが傷つけられては困るのでダメだとの連絡が入り、旅行会社の手配で、市内までタクシーで往復する事になりました。ミニマムサービスといって、鉄道などの交通機関は30%の稼働率、医療機関については救急病棟のみの受付なんだそうですが、私たちには、そのミニマムサービスを利用して、タクシーで行けるようにしてくれたみたいです。なんとか市内観光が始まりました。ヘニル通り道路の真ん中に広い遊歩道のある大きな通りです。イルミネーションの飾りが、あちこちに見られます。暗くなって、点灯されたら綺麗でしょうね♪この建物、何だったのか忘れてしまいました(^^ゞ旅行記を早く仕上げないと、次々と忘れてしまいそうです(滝汗)グラナダ市庁舎スペインの国旗とアンダルシアの州旗、そして、グラナダの県旗が掲げられています。サン・ファン・デ・ディオス博物館15世紀末に貴族ピサが建てた邸宅。サン・ファン・デ・ディオスがここで息を引き取った事から、彼の功績を称える博物館になりました。サン・ファン・デ・ディオスが貧しく身寄りのない人たちの為の病院を創設し、これを助けたのがピサ家でした。中庭を囲む2階建ての建物に、数々の彫刻や置物、絵画等が展示されているそうです。イサベル・ラ・カトリカ広場にはイサベル女王とコロンブスの像があります。女王がコロンブスを支援する契約をしている場面です。グラン・ビア・デ・コロン通りここにも、イルミネーションの飾りが並んでいます。ゴメレス坂アルハンブラ宮殿へ続く道ですが、他に広い道が出来たので、ここは寂れてきたそうです。大聖堂(カテドラル)画像は、南側のファサード1523年から180年の歳月をかけて完成。グラナダは、アラビア語で「ざくろ」を意味します。8世始めにアフリカ大陸から渡ってきたイスラム教徒に占領され、イスラム教徒の元で繁栄しましたが、やがて、キリスト教徒はレコンキスタ(国土回復運動)と呼ばれる反撃を開始します。キリスト教徒とイスラム教徒の戦いは800年に渡りました。キリスト教徒は勢いを増し、イスラム教徒は徐々に領土を失っていきましたが、イベリア半島における最後の拠点がグラナダ王国だったそうです。コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年、イサベル女王が率いるキリスト教徒の軍勢はアルハンブラ宮殿を降伏開城させ、レコンキスタが完了しました。アンダルシア地方を観光して気が付くのは、イスラム建築とキリスト建築の混在した建物が多い事です。アラブ様式は美しいし、技術も素晴らしかったので、キリスト教文化に接ぎ木されたのです。市内観光の後、レストランに昼食を取りに行きましたが、私たちが行くと、お店のシャッターがさっと上がり、入ると閉まりました。シャッターとカーテンの閉まった部屋で電気を付けて、外部の人たちに分からないように食事をしました。外に出ると、警官やデモに参加する人たちが街に溢れています。写真を撮りたいな~って一瞬思いましたけれど、ちょっと怖いので諦め、待っていたタクシーに乗って、無事ホテルに帰る事が出来ました。 ホテルの部屋からの眺めお昼からは、ホテルに滞在。「ホテルでこんなにゆっくりするなんて、何だか西洋人になったみたいね」なんて言いながら過ごしましたが、時間を持て余して、近くのスーパに3回も行きました。ホテルは郊外にあったので、幸い、ストの影響がなかったんです。上の画像を拡大すると、先日初冠雪があったという雪山が見えます。翌日は、有名なアルハンブラ宮殿と白い壁のミハスです。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
December 3, 2012
バルセロナで2連泊後、地中海を左に眺めながら海岸線に沿って南下。タラゴナに着きました。地中海のバルコニーと呼ばれる小さな広場からの眺め曇り空なのが、ちょっと残念だけど…紀元前3世紀にローマ人によって築かれたタラゴナ中央に円形球戯場が見えます。左下の木の向うにも、遺跡が大きく広がっています。ガイドさんが、今日は時間がないというので、近くまで行くのを諦めましたが、何人かの人が下まで行ったので、結局待つ羽目に・・・私も近くまで行って、写真を撮れば良かったな~更に南下バレンシアへ…途中、強い雨が降り出しましたが、バレンシアに着くと、奇跡的に雨が止みました(^^)v市民の台所・中央市場スペインと言えば、生ハム。沢山のもも肉がぶら下がっています。日本では見られない光景ですよね。郷土色が溢れているので、旅行者も見て楽しめます♪ここは、未だ開店準備中でした。スペイン人は、ホントに生ハムが好きなんですね。現地で食べる分だけでもちょっと買ってみたかったのですが、残念ながらガイドさんの後に着いていっただけ。市場の天井だって素敵~~~☆彡ゴシック様式の世界遺産・ラ・ロンハイスラムの王宮跡に、15世紀末、商品取引所として建てられたもの。現在は、展覧会やコンサートの会場として利用されています。内部は、透かし彫りで飾られた窓や、らせん状の柱が、とても優美です。サントス・ファネス教会バレンシアの3大重要建築物と言われる、世界遺産のラ・ロンハと、1000年の歴史を持つ中央市場、そして、このサントス・ファネス教会は、商人たちが往来したバレンシアの昔が偲ばれるメルカ-ド広場に向かい合って建っています。この教会は14世紀、イスラム時代のモスクがあった場所に建てられたもので、当時のバロック様式で18世紀に全面改修されたもの。思い思いに、いろいろな壁の色をした建物ですが、不思議にシックリと落ち着いていて素敵♪ベランダの植物と、壁の陶板がお洒落です~☆レイナ広場を歩いていると、向うに、カテドラルが見えてきました。左に高く聳えているのはミレゲの塔右側の植樹はミカンの木。但し、苦くて食べられないそうですが。カテドラル《 Catedral de Santa Mara de Valencia 》13世紀~14世紀にかけて建造され、17~18世紀に増改築されたため、ロマネスク様式のほかゴシック、新古典様式などが混在する建物司教さまの住居司教様の住居と教会は、渡り廊下で繋がっています。周りをぐるっと歩いていくと、ミレゲの塔が正面に見えてきました。ビルヘン広場カテドラルを挟んで、レイナ広場の反対側にあります。カテドラルの付属の美術館には、イエス・キリストが最後の晩餐で使ったという聖杯が飾られているそうです。旧市街を歩いていると、向うの方に何か見えてきました。セラノスの塔中世時代、バレンシアの町は防壁に囲まれていました。このセラノスの門は14世紀後半に建てられたゴシック様式の要塞門です。有名なバレンシアの火祭りの開幕宣言はここを舞台に行われます。本当なら、バレンシアの観光後は、バレンシアのホテルに行って、ゆっくり疲れをとる筈だったのですが、なんと、翌日にゼネラル・ストライキがあるとの事。国中の、あらゆるものがストップするらしいので、観光バスだって動きません。それで、一挙に次の宿泊地・グラナダ迄バスで移動しました。観光中は、ありがたく雨が止んでいたのに、その後は風雨が激しくなって、大型バスが、風で揺れるし、天井の1部からは雨漏りが!!!私たちが乗っているバスは、新しいベンツなんですよ。こういうのがスペインなのかな~って思いました(苦笑)このバスです。窓からの景色が見えやすいようにと、周りぐるっと大きな窓が付いています。その為、非常口は天井にあるのです。今回の雨漏りは、その非常口の開閉部の接触不良だったようです。ホテルに着いたのは、午後9時過ぎ。それから遅い夕食(現地では普通)を取りました。AHグラナダパレスイスラムっぽい感じの外観です。お部屋は、ジュニアスイートで、広すぎてガランとしていました(ここでも2連泊)翌朝のお部屋からの眺め。この時点では、この日の観光はどうなるのか、添乗員さんだって分かりませんでした。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
December 2, 2012
長女が以前TVの旅番組で見て以来、ずっとモンセラットに行きたいって言っていました。でも、仕事を持っているので、中々長期休暇が取れませんでした。今回、やっと休暇のお許しが出たというので、モンセラット観光の入っているツアーを探したのですが、中々なくて、やっとOPで組み込まれているのを見つけ、申し込んだんです。所が、当日関空の団体受付カウンターに行くと、催行人数が集まらなかったので中止になったとの事。 えぇ~! うそ~~~! 長女のガッカリした顔…それなら他にもっといいツアーがあったのに…今更キャンセルする訳にもいかなくて搭乗手続きをしました。添乗員さんも可哀相に思われたのでしょうか、現地発のツアーがあるので申し込まないかと言ってくださいました。 勿論行きたい~~~☆彡 という事で、モンセラット観光になりました♪小型バスを降りて、モンセラット観光の始まりです。目の前に沢山の大きな岩がそびえ立っています。モンセラットとはノコギリ山という意味。奇岩が連なる不思議な風景は、サグラダ・ファミリアのモデルとも言われています。古くからキリスト教の聖地とされ、カタルーニャ地方の信仰の中心的役割をしていたそうです。奇岩に抱かれるように建っているベネディクト会の修道院サグラダ・ファミリアの受難のファサードの彫刻家ジョセップ・スピラックスの作この像は土地の偉人だと聞いたような気がしますが、ハッキリとは覚えていません(滝汗) 修道院入り口にある4本の木が意味するもの向かって左から棕櫚(シュロ) 誕生糸杉 死オリーブ 平和月桂樹 勝利(自己への勝利・繁栄)黒いマリア像への通路の聖母たちの階段右手には聖女たち、左手には聖母たちが並んでいます。マリアの母性と処女性に敬意を表しているそうです。カタルーニャ州の守護聖人として参拝者が後を絶たない黒いマリア像右手の玉に触れてお祈りします。勿論私も触ってきました。何をお祈りしたのかって???ナ・イ・ショマリア像の所から外に出ると、沢山のロウソクが・・・日本のお寺でも見かける風景ですが、こちらの方がカラフルですね。壁のタイルも素敵です♪書かれている文字の意味は分かりませんでしたが。黒いマリア像が祀られている大聖堂大聖堂の内部威厳と落ち着きのある空間です。大聖堂に飾られている絵画主のお告げで、ヨセフがマリアとイエスを連れてエジプトに逃げる様子これも、サグラダ・ファミリアの受難のファサードの彫刻家ジョセップ・スピラックスの作顔と手足、傷痕だけのキリストの磔刑図十字架から降ろされたキリストを抱く聖母の像を表現した『ピエタ』は、サン・ピエトロ大聖堂 ミケランジェロのが有名ですが、この絵のマリアさまは、顔が日焼けして、まるで農婦のようです。世界一急勾配だというケーブルカーの上は、展望台になっていて、奇岩の山並みや、ピレーネ山脈から地中海まで素晴らしい景色がひろがります。黒いマリア像が発見された洞窟へは、徒歩20分くらいだそうです。同じグループで最初に親しくなったご夫婦と、4人で、この現地ツアーに参加したのですが、バスを降りたのがカタルーニャ広場百貨店・エル・コルテの地下にあるスーパーで買い物後、タクシーに乗ってホテルまで帰ったのですが、ドライバーさんには英語が通じなくて、ちょっとした珍道中がありました。話すと長くなるので省略しますが、ちょっとした旅の笑い話です(苦笑)バルセロナで2連泊後、次の観光地まで、ある理由で、長時間バスに揺られていきました。その事は次回に… いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
November 27, 2012
バルセロナ観光でのグエル公園の後はサグラダ・ファミリア(聖家族教会)でした。バルセロナというと、最初に思い浮かべるのは、ガウディのサグラダ・ファミリアだと思うのですが、同じツアーグループの男性は、「いや、それはFCバルセロナだ」って言っていました。サッカーファンにとっては、そうなんでしょうね。私には分かりませんが…(苦笑)バスで、ホームスタジアムの前は通りましたよ(^^)v生誕のファサードガウディ自らが指揮をとって最初に完成させた部分。4本の塔と3つの玄関からなるイエス様の幼少期が表現された彫刻で飾られています。内戦で、かなりの損傷を受けていましたが、日本人の彫刻家・外尾悦郎氏によって修復されました。キリストの誕生彼は、昔ながらの手仕事と作風を重視し、日本人でありながら、ガウディそのものと言われる彫刻群を今も彫り続けているそうです。受難のファサードキリストの受刑、死、復活がテーマ。彫刻と扉は、地元の彫刻家・ジョセップ・スピラックスが手がけています。生誕のファサードの入口の床には、イエスさまがロバに跨り、エルサレムに入城するシーンが描かれています。その横には、救い主の到来だといって、棗椰子(なつめやし)の枝を手に持って歓迎している群衆の姿が描かれています。この後、キリストの受難のが始まります。受難のファサードには、16の数字が書かれた不思議なパネルがあります。縦横斜めの4つの数字を足すと、いずれもキリストが死亡した年齢の33になるんです。前回のブログに、前に行ったのは、10年位前だと書きましたが、その時の写真をよく見ると、1996年でした。行ったのは16年前だったのですが、その時は、まだガランとしていた内部に、屋根と天井が出来ていました。2010年に聖堂の内部が完成。ローマ法王が訪れて、正式にカトリックの教会として認定されたそうです。聖堂の内部は、森をイメージて作られています。聖堂内部を囲むように沢山のステンドグラスの窓があります。日の光がステンドグラスを通り、中の柱に柔らかな色彩を落としています。「なんて素敵なの!」これも計算されているのでしょうね。前回の写真今回は、予約なしでは無理ということで、鐘塔には登れませんでしたが、前に、上から写したものです。市内の眺望だけではなく、生誕のファサードの2本の塔も見えます。前回の写真受難のファサードの横の塔は、目の当たりに大きく見えます。エレベーターで塔に登りたい人が多くて、長蛇の列を作っていたのですが、正式に教会になった後、それでは騒々しいということで、予約なしには昇れなくなったそうです。この後は市内観光ガウディ初期の傑作・カサ・ミラ(ミラ邸)徹底的に直線を排除して曲線を主調とするこの建物は、山の尾根から突き出た峰々を表しているそうです。最上テラスやアパートの1部が見学出来ますが、残念ながら時間的に無理でした(涙)カサ・バトリョガウディがリフォームを担当した、おとぎ話の家のような建築物。ここの中に入れますが、入場料が17.80ユーロとちょっと高め。カタルーニャ音楽堂20世紀初頭のバルセロナで、ガウディ以上に名声を博した天才建築家の、モンタネールの最高傑作。カタルーニャ音楽堂建物の角にある彫刻家ミケル・ブライによって作成された、華やかな彫刻が印象的です。現在もコンサートホールとして使用されているんですよ。カタルーニャ音楽堂柱の拡大写真。昼食はパエリアこの他にサラダとデザートが付きます(画像なし)スペインの食事時間は遅めで、昼食は、午後1時半から2時頃に始まり、夕食は、7時半から8時頃に始まります。これは、観光客用で、現地の人の夕食は、9時位からだそうです。それで、朝食と昼食の間に、バルでちょこっと摘み、昼食と夕食の間にも又バルでちょこっと摘むので、スペイン人の食事は、日に5回だそうです^^遅めの昼食の後は、モンセラット観光に行きました。***** つづく ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
November 26, 2012
スペインの旅行記を早く書きたかったのだけど、私の帰国を待っていたかのように、雑用が目白押しにやって来て、中々ブログにまで手が回りませんでした。旅行でご一緒した方々に、「ブログを見てね」って言っていたのに、遅くなってしまってごめんなさいm(__)m又、前回お約束したプレゼントも、未だご送付出来ていません(汗)品物の準備は出来ているのですが、気まぐれに作ったグリーティングカード、写真用紙に印刷したのですが、裏側に印刷した文字が、中々乾かないのです。21日の印刷なのですが…まさか永遠に乾かないという事はないでしょうね(滝汗)もう少しお待ちくださいね。観光第1日目は、バルセロナです。先ずは、グエル公園へ。ガウディのパトロンである実業家グエルの依頼で、田園住宅街として建設されたのですが、60戸の内2戸しか売れませんでした。現在は、世界遺産に指定され、公園として親しまれています。公園のシンボル・ドラゴンとして知られていますが、トカゲやサンショウウオとの説もあるそうです。この建物の下は、ホールになっていて、市場になる予定でした。上には、ギリシャ劇場になる予定だった、広大なテラスがあります。ホールの天井の太陽の形をした装飾は、ガウディの弟子ジュジョルによるもの。テラス破砕タイルやガラスで飾られた、110mもある、うねったベンチで縁どられています。砕いたタイルやガラスの装飾は、どこを切り取って見ても美しくて楽しい♪みんな違った柄をしています。素晴らしいお天気で、青い空が最高に美しい♪名前の知らない白い建物も一緒にパチリ!太陽がまぶしくて、ハッキリとは撮れませんでしたが、住宅管理事務所になる予定だった建物。隣の守衛小屋は、修復中でした。この守衛小屋は、10年位前に行った時に写したものです。ディズニーが影響を受けたというのも納得出来るとても可愛い建物です♪住宅管理事務所の裏側に廻って写してみました。口を大きく開けたお顔にも見えますよね^^カバのように見える壁から突き出たものは、雨樋でしょうか?教会などにもよく見かけますが…ドラゴンの両サイドにある壁も、小憎らしいほど素敵です♪柱廊公園内には、建築様式の異なる3つの柱廊があります。瓦礫のような茶色い石をつんで固めて作ったような柱廊は、まるで土の中から出てきたような風合いで、周りの自然に溶け込んでいます。10年位前にも1度行った事のあるスペイン。その中でも、もう一度是非行ってみたかったのが、このグエル公園でした。次回は、有名なサグラダ・ファミリアです。 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
November 24, 2012
グリンデルワルトでの5日間は、瞬く間に過ぎて、7月8日の最終日となりました。午前8時前に、ホテルの送迎バスで駅へ。チューリッヒ・エアポート迄の切符を購入後、ファストラゲージサービス(荷物別送サービス)を利用。スーツケースを預けました。夕方には、荷物はチューリッヒ・エアポート駅に届いています。インターラーケンOST駅とベルン駅、2回乗り換えて、チューリッヒHBで途中下車。市内観光を楽しみました。チューリッヒでは、サマーバーゲンの最中。楽しみにしていたのですが、残念なことに、みんな定休日で閉まっています。ショーウインドーに書かれた、30% 50%の大きな文字が、むなしく目に入ってきただけ。買い物は諦めて、急きょ、市内観光をすることにしました。チューリッヒ発祥の地・リンデンホフの丘から見た風景菩提樹が茂り、心地よい風が吹く丘から、先ずは、街を一望します。何処へ行こうかな~これも、リンデンホフの丘から見た風景リトマ川の向こうには、チューリッヒで1番高い塔を持つプレティカー教会が見えます。川の両岸には、沢山の教会があるみたいです。順に教会を訪ねていくのも、いいかも知れませんね。丘から下の方へ降りていくと、ヴァイン広場に到着。この広場で、軽い昼食を取りました。ハムとチーズが挟まれたホットサンド&コーヒーで。ま、美味しかった(^^)v2本の塔を持つ建物は、大聖堂手前には、トラム(市電)が走っています。船着き場ここから遊覧船に乗る事が出来ます。お菓子やさんの屋台。左横のアイスクリーム屋さんで買ったアイスクリームが、とっても美味しかった~~~☆彡この遊技機が動くのを見ながら立ったまま食べました^^この日は、学生たちの楽団演奏会(?)があって、いろんなグループの学生たちが、様々なユニフォームで出入りしていました。出番を待つ彼らの緊張感が、こちらまで伝わってきました。聖ペター教会チューリッヒで最も古い教会です。この教会を有名にしたのが時計塔時計の文字盤は直径8.7mもあり、短針3m、長針4mとヨーロッパ最大聖母聖堂シャガールが描いたステンドグラスがあります。素晴らしかったですよ^^大聖堂の裏へ回って、チューリッヒ美術館へと行きましたが・・・なんと、ここも休館日。ついてないわ(;一_一)ちなみに、美術館への道が分からなくて、すれ違った日本人らしき若者に道を聞きましたら、日本語があまり分からないと言いながら、スマートフォンのナビで検索。親切に教えてくださいました^^彼は、名古屋大学に少しの間留学していたそうです。ガッカリしながら、「世界ふれあい街歩き」の気分で、あてどもなく散策・・・川沿いを歩いていくと・・・旧市庁舎川の上に建っています。チューリッヒ駅チューリッヒは、スイス最大の都市。最初、駅を出た時、間違って裏通りに出てしまったのですが、道にはゴミやたばこの吸い殻がいっぱい!空の玄関でもあって、多くの旅行者が、この町に第一歩を印すと思うのですが、それにしては、ちょっと道が汚い感じがしました。あてどもなく、あまりウロウロしても疲れるだけなので、少し早い目にホテルに行こうという事になり、チューリッヒ・エアポート駅へ行き、荷物を受け取って、送迎バス乗り場へ・・・で、ここからが大変だったのよ(;一_一)何台か停まっている送迎バスの一つのドライバーさんに、「ホテル・エアポートへは、どのバスが行きますか?」って、聞きましたら、「ホテル・エアポートは、百以上もある。何ていう名前のエアポートホテルなんだ?」って言うんです。今回の宿泊は、全部、グリンデルワルト日本語観光案内所を通して予約したのですが、送られてきたホテルバウチャー(予約確認券)には、単に、「ホテル・エアポート」としか書かれてないのです。どうしよう・・・観光案内所か、ホテルに電話して確認した方がいいのかしら・・・途方にくれながら、3人目のドライバーさんに聞いたら、乗りなさいと言って、ホテルまで連れて行ってくれました。フ~~~ッ順調に行っていた旅行、最後の最後に、大ハプニングでした(@_@;)ホテル・エアポート入口には、「Best Western Airport」と書かれていました。そう言わなければならなかったんですね(苦笑)見かけは、なんともない感じのホテルでしたが、室内は、手入れやお掃除が行き届いていて、とても快適!ホテル内レストランで軽い夕食をして、最後の夜を、ゆっくりと過ごしました。翌朝、前日に予約していた送迎バスで空港へ。帰国の途に付きました。7月9日チューリッヒ10:55発↓ ヘルシンキ14:40着 ヘルシンキ17:20発↓7月10日関空08:55着ご存じだとは思いますが、各国には時差があるので、飛行時間は、単純計算は出来ません。ヘルシンキ・チューリッヒ間は、行き帰りとも約3時間でしたが、関空・ヘルシンキ間は、偏西風の影響で、行きが約11時間で、帰りは約9時間。やっぱりヨーロッパは遠いです。今回の旅行でお世話になった所航空券は、HISで購入。ホテルは、グリンデルワルト日本語観光案内所を通じて予約。利用する電車の時刻やルートは、スイス国鉄で。出国前に、持って行く服の種類を決めたり、現地での行動を決める時に役立ったのは、スイスの天気全然気を使わなくていい、気持ちのいい性格をしたメンバーに恵まれて、思い出深い楽しいスイス旅行になりました。****** お*し*ま*い ***** いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
July 30, 2012
今回の旅行は短かったけれど、一応、滞在型。グリンデルワルトで6泊しました。宿泊したホテルシュピーネでの部屋は、南東の角部屋。窓から外を見ると、南側にはアイガーアイガーの左手にはヴェッターホルンその間に氷河が見えます。これは、南南東の風景です。東側には、駅へと続くメインロード夕食は、初めの3日間だけお願いしました。3日目の夕食です。前菜ヴィヨンスープ浮いているのは、お豆腐のように見えますが、食べると、ちょっと不思議な食感でした。メインディッシュは、お魚を選びました。デザートこうやって写真で見てみると、美味しそうに見えますが、実際は、あまり私たちの口には合いませんでした。6泊分予約しなくて、よかったと思いました。レストランは、結構流行っていたのですが…3日目の夜には、お祭りがありました。ホテルの前では、スイス名物ラクレレット用のチーズを焼いています。みなさん、出店で飲み物や食べ物を買って、楽しんでいます♪この時期は、とても日が長いので、夜遅くまで賑やかでした。窓辺が花で飾られた家々これも、スイスらしい風景です。約30年前に、初めてスイスに行った時は、窓辺の花は、普通のゼラニュームそれから、暫らく経った時には、ペチュニアが多かったのだけど、今は、殆どがアイビージェラニュームでした。昔、アイビージェラニュームを育てたことがあるのですが、枝が伸びすぎて、格好良く育ちませんでした。でもここのは、みんな綺麗に纏まっています。種類が違うのかも知れませんね。窓辺にはパープルのペチュニア。ベンチと柵の色もパープルで、雨戸がグリーン。ちょっとお洒落な家でした。屋根が植物で覆われています。窓辺にはお花はなかったのだけど、ちょっと面白かったのでパチリ! いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
July 27, 2012
グリンデルワルト滞在中のハイキングで、大空を気持ちよく飛んでいるハングライダーをよく見かけました。下のユーチューブの曲を聴きながらお楽しみくださいね♪クリック!<拡大画像>いま私の願いごとがかなうならば翼がほしいクリック!<拡大画像>この背中に鳥のように白い翼つけてくださいクリック!<拡大画像>この大空に翼をひろげ飛んで行きたいよクリック!<拡大画像>悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたいこの人たちは、その夢が叶っていますよね。クリック!<拡大画像>素晴らしい雄大な自然を空から眺め、クリック!<拡大画像>いろんな悩みなんかは、チッポケな事に思われるでしょうね。 クリック!<拡大画像>見ているだけで、私たちも一緒になって大空を飛んでいるような、とても気持ちのいい光景でした。 いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)ROUGEさんのご質問にお答えしますね。グリンデルワルトやマイリンゲンには、勿論、バラが植えられていました。多分、今の時期が1番花のシーズンだったのでしょうね。みんな、いっぱい綺麗な花を付けていました。ただ、今回は、もっと興味のあるのが多過ぎて、残念ながら、バラの写真は1枚も撮っていませんでした(^^ゞブルーミントさんへスイスでも、窓辺に花が飾られた可愛い家がたくさんありましたよ。次回にUPしますね^^お帰り際に1クリックをお願いします
July 26, 2012
グリンデルワルト滞在最終日は、遠出をしないで、のんびり村の周辺を歩こうという事になりました。先ずは、ホテルから東方面へ行き、フィルスト行きのロープウェイ乗り場前を通り、村はずれの教会を通り過ぎ、左折して北側へ、つづら折りの登り坂を行くとテラッセンヴェークという平坦な道に出ます。 クリック!<拡大画像>視界が開け、目の前に、アイガーがそびえています。 クリック!<拡大画像>フィルスト行きのロープウェイが見えます。前から面白い形の車がやって来たので、思わずカメラを向けましたが、何をする車でしょうね?ポストバスがやって来ました。チェックインしたら、ホテルからバスの無料券が貰えて、村の中をあちこち行く事が出来ます。先日のグロッセ・シャイデックやマイリンゲンに行った時は、追加料金を払って乗りました。クリック!<拡大画像>私たちが滞在したホテルは、あまりにもアイガーに近いところにあるので、窓から覗くか、ベランダに出なければ、アイガーの頂上は見られません。その分、迫力はありますが…その点、ここからは目の高さに望めます。街道沿いに、お花に飾られた可愛いホテルやシャレーが幾つかあったので、次回は、こちらで泊まりたいな~って、思ったものでした。多分、もうスイスへは行けないと思うのだけど…クリック!<拡大画像>緑豊かな、スイスらしい風景です♪ブロ友のリンダさんが、「自然がいっぱいなスイス。でも住んだら退屈しそう。」って、おっしゃっていましたが、そうかもしれませんね。昼食は、お料理が美味しいというホテル・アルピナ内にあるレストラン・エーデルワイスで。庭でアイガーの素晴らしい雄姿を眺めながらの食事でした。日替わりランチの量の少ない分を申し込んだのですが、評判通り、とっても美味しかったです♪写真は・・・ありません(^^ゞ追加で頼んだデザートのSサイズ。なんとか写真に撮るのを思い出しました(苦笑)クリック!<拡大画像>お昼からは、村を南の方に下って行きました。クリック!<拡大画像>リュチーネ川に出ました。この日も水の量が多くて、流れも激しかったのですが、前日のアーレ渓谷の事を考えると、大したことはありません。クリック!<拡大画像>川沿いの道を流れの音を聞きながら、木漏れ日の中を歩きました。こんな所にも、ケルンがありました。クリック!<拡大画像>グリンデルワルトは、南斜面に開けた村。4000mに近い山々に囲まれているのだけれど、谷が東西に延びていて日照時間は長いのです。菩提樹の花至る所で見られました。橋を渡って、少し坂を上っていくと、クリック!<拡大画像>教会が見えてきました。最初に通り過ぎた教会です。それからメインストリートに出て、少し買い物をして帰りました。「この日は、少ししか歩かないようにしようね。」って、行っていたにも拘らず、午前中は3時間、午後2時間50分、計19500歩も歩いてしまいました。綺麗な景色を眺めながらだと、知らず知らずの間に、結構歩いてしまうんだな~って、再発見したものでした(苦笑) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
July 24, 2012
グリンデルワルトの観光4日目の朝は、小雨が降っていました。前から、雨の時には行こうと言っていた場所があります。マイリンゲンのアーレシュルフト(アーレ渓谷)です。2003年に、夫と個人旅行した時に行って、その迫力に圧倒された所です。今回は、是非アッチャンとエッチャンにもその凄さを見せてやりたいと思っていました。往きは、峠越えのバスでマイリンゲンまで行きました。第1日目に乗ったポストバスで、グロッセ・シャイデック迄行き、そこで、マイリンゲン行きのバスに乗り換えです。マイリンゲン駅の傍の広場には、トレードマークの鹿狩り帽をかぶり、パイプをくわえたホームズ像があります。その奥に見える建物は、シャーロック・ホームズ博物館アーレシュルフト迄ミニトレインで行くつもりでしたが、1時間に1本しかなく、大分待たないといけないので、歩いて行く事にしました。途中、ラバを連れた母子と遭遇。お願いしてパチリ!こんな可愛い手作りの表札がありましたよ♪アーレシュルフトへの入口入ると、可愛いラバが2頭でお出迎えしてくれました。全長1400mもあります。もの凄い勢いで流れる川の上、岩に架かった橋を歩いていきます。高所恐怖症の人は、足がすくんで前に進めないかもしれませんね(苦笑)川の両側に迫る断崖の深さは約180m。その幅は、狭い所でわずか1mしかなくて、正午前後のごく短時間しか日光が届かない場所も多いのだとか。少し開けてきたところに滝が現れてきました。足元を轟々と流れる水を、ずっと見ていると、何だか酔ったような感じ。渓谷が広くなってきて、お日さまが現れた所で引き返しました。長い年月をかけて岩を浸食して出来た、自然の驚異を目の当たりにし、エッチャン、アッチャンも大満足してくれました^^マイリンゲン駅までの帰り道、通りがかった可愛い飾りの家です。荷車の車輪の、こういう使い方も可愛いですよね♪ホームズ像の横にあるレストラン。ここで日替わり定食を頂きましたが、とっても美味しかったですよ(^^)v但し、画像はありません(^^ゞ何時もの事だけど、食べるのに夢中で、撮るのを忘れていました(苦笑)帰りは、インターラーケン行の電車に乗り、ブリエンツ駅で下車。そこから遊覧船で、インターラーケンまで行きました。船から見る湖岸の景色もいいものです。グランドホテル・ギースバッハお城のように見えますが、ホテルだそうです。滝も見えてきました。先ほどのホテルへの船着き場とケーブルカー。 クリック!<拡大画像>前日、シーニゲ・プラッテから見た時もそうでしたが、水の色が、とっても綺麗です♪蒸気機関車が走っています♪これは、ロートホルン鉄道ではないし、一体、どういう汽車なんでしょうね???クリック!<拡大画像>ブリエンツ湖をジグザグに運航して、何ヶ所かの寄港地に寄り、終点のインターラーケンOSTに到着。そこからグリンデルワルトに帰りました。私たちが乗った遊覧船。大き過ぎて、カメラに入りきれませんでした(汗) いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)お帰り際に1クリックをお願いします
July 22, 2012
時差ボケのせいでしょうね。毎日、真夜中に目が覚めて、その後、朝まで熟睡する事が出来ません。グリンデルワルト3泊目の朝も、そんな感じでした。お部屋は上の方だったので、誰からも覗かれる心配はありません。カーテンを開けたまま、ベッドの上で、アイガーを眺めていました。その日の明け方、何か、とても明るいものが光っています。ガウンを羽織って、ベランダに出てみると・・・綺麗な満月です♪v(*'-^*)ゞ^;*・'゚☆ブイ☆目を下にやると、家々が目を覚まし始めています。クリック!<拡大画像>明るくなって、ホテルのベランダから見た、アイガーと家々の風景。いいお天気の予感がしました^^グリンデルワルトで宿泊したホテル・シュピーネでは、毎日朝食から部屋に帰ると、ドアに、「お知らせ」のようなものが貼られています。ドイツ語と英語で、その日の天気、夕食のコースメニュー、それに、その日のお薦めの過ごし方が載っています。クリック!<拡大画像>4日めの朝は、こんな感じでした。シーニゲプラッテに行く事を薦めています。実は、一昨年に同じメンバーでスイスに行った時、お弁当持参でシーニゲプラッテへ行って、一日ゆっくりと過ごしたいね~って、話し合ったものでした。今回は、それを実現する為に企画した個人旅行。偶々、この日に行こう!って話し合っていたので、ちょっとした偶然でした。前日と前々日のハイキングには、一緒に行ったアッチャンが、山用のお店でアルファー米を買って持って来てくれていたので、お湯をかけてオニギリを作って持って行きましたが、この日は、日本から持参したカップラーメンを持って行きました。グリンデルワルトからインターラーケンOST行に乗って、ヴィルダーズビルで下り、そこから登山列車に乗り換えてシーニゲプラッテへ。車窓から遠くに、アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山が見えてきました。上に着いて、ハイキング開始!下の方に、今乗ってきた登山列車が見えています。クリック!<拡大画像>とても綺麗な水の色をしたブリエンツ湖インターラーケンという名前はは、ブリエンツ湖とツーン湖のふたつの湖に挟まれた所という意味だそうです。最初に坂道が続くので、一昨年には、行かなかった方面にも挑戦。この可愛いキノコがある所は、BBQエリア。前の時は、ふたつのグループがBBQを楽しんでいました。誰もいなかったので、ここで、カップラーメンと、お部屋のウエルカム・フルーツを持ってきたのとで昼食。素晴らしい自然の中でのお食事は、空気と景色が何よりのご馳走。今回も、美味しくいただきました(^^)vクリック!<拡大画像>残念!!!アイガーとユングフラウの間にあるメンヒに雲が掛かってきました(涙)クリック!<拡大画像>左から、ヴェッターホルン、シルトホルン、アイガー。絶景かな、絶景かな・・・右手に見えるのが、シーニゲプラッテの駅。その駅を、もう少し右の方へ行くと、高山植物園があります。六甲高山植物園とは、姉妹提携をしています。クリック!<拡大画像>行けども行けども、可愛いお花がいっぱいです♪ クリック!<拡大画像>お花の前にしゃがみ込んで、中々前に進まないので、用心棒として付いてきてくれた夫は、何時もこんな風に待っていました(苦笑)3人の夢が叶った、楽しい楽しいハイキングでした♪ いつも温かいコメントほんとうにありがとうございます。みなさまのコメントを励みに、ブログ更新を頑張っています(*^_^*)ブロ友さんには、この場でのお返事は控え、訪問させて頂いた時に お返事とコメントを書き入れさせて頂く事を、どうか、ご了承くださいませ。とても失礼なことだとは思いますが、ブログを長続きさせる為にも、そうさせて頂きたいと思っています。勝手なお願いですが、今後ともどうかよろしくお願いいたします。お帰り際に1クリックをお願いします
July 20, 2012
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