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先日高倉健の好んだ庭園の事を書きましたが、そもそも高倉健に拘りを持つようになったのは映画『幸福の黄色いハンカチ』であった事は先に何度も書いたと思います。 映画もビデオで何回も観たり、ご当地の夕張へは確か3回は行き、撮影現場のひとつ新得町を通っただけでウキウキしたものでした。 これは2015.7.11に訪ねた時の入場券とパンフレットです。 ずっと昔から仲間が集まる時にこの黄色いハンカチを『歓迎の黄色いハンカチ』として掲げたい気持ち満々だったものですから、前にも書いた事ですが、現役をリタイヤする時餞別に何が欲しいと訊かれた時「黄色いハンカチが欲しい」と言ったのですが、冗談と受け取られ実現はしなかったのです。 そんなことをブログにも書き、話題にする事長きにわたっていたのですが、作ってあげると言う人が出て来たのです。 私は1~2枚のハンカチを作ってもらえると言う頭で、軽い気持ちで頼んだのです。 ところが、作っている、まだ作っていると言われ長くかかるものだなあと思っていたのですが・・・・ いざ、貰う段になってびっくり、まるで映画とそっくり、沢山のハンカチが繋がっているものだったのです。 これは凄いと、早速試運転に掲揚(??)してみると・・・植木が邪魔しているのは仕方ないとして・・・ 絵画調で撮ると、まるでこのパンフレットの写真の様に・・・・ 青空をバックに映える写真が撮れました。(雲が多いですが) さて、これからは『幸福の・・・・』ではなく仲間が来宅の時に『歓迎の黄色いハンカチ』として言葉無しでも『歓迎』の意を表せると思っているのですが・・・。 夕張の黄色いハンカチ訪問記事はここと・・・ここに。
2018.11.07
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7/30のブログに書きましたこと実現出来ました。それは高倉健が好んで、京都に撮影に来た時いつも枯山水の庭などで1~2時間ゆっくり過ごしたり、実現はしなかったが自分のお墓を建てようと思った大徳寺塔頭「芳春院」の庭に行くことでした。そのブログはここ。このお寺、特別公開の時以外は非公開なので、このお寺の檀家で寺内にお墓がある高校の友達のお墓参りにくっ付いて行こうと頼んでいたことが実現したのです。我々はお墓参り等用の裏の入口から入ったのですが、一応正面入口へ回り・・・門をくぐり・・・くぐった門を振り返ると・・・・更に進んでもう一つも門をくぐり・・・(写真はくぐった後内から撮ったものです)石畳を写真の手前の方に進むと・・・高倉健が好んだという枯山水の庭が・・・・(本当はここに進む前に先にお墓参りをしたのですが)この方丈の縁側で高倉健が長い時間を過ごしたのかと思いながら車の音も聞こえない静寂の中で暫しの時間を過ごしました。絵画調撮影では・・・順序が逆になりましたが、お墓からの景色は・・・向きを変えると比叡山がくっきりと、しかも市内南の方からみる比叡山は双耳峰の様で余り恰好よく見えませんが、市内もここまで北に来ますとなかなか恰好良く見えます。お墓参りのあとはお墓から見えていた吞湖閣のある庭に戻へ・・・吞湖閣へは橋(打月橋)を渡って行くようです。この呑湖閣(どんこかく)は鹿苑寺の金閣、慈照寺の銀閣などと併せ京の四閣の一つに数えられるとか。京の四閣について詳しくはここを。大きな池には大きな錦鯉が沢山泳いでいました。こちらは茶室とか。さすが名刹大徳寺の塔頭、規模も大きく、凄いお寺で、高倉健が惚れるのも至極当然と思いました。この芳春院・高倉健に関連したブログネタがあるのですが、まだ写真が無いので写真撮ってから書かして頂きます。
2018.11.04
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この度の『平成30年7月豪雨』と名付けられた豪雨は西日本を主に大きな爪痕を残しました。 被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。 かく言う当方も自宅町内の番地の違う地区で避難指示が出ました。 自分は土砂崩れでの避難指示が出たことを知らなかったのですが、複数の方からテレビの報道を見てお見舞い電話を頂き初めて知るという危機意識の無さを露呈しました。 幸いにも自宅は問題ありませんでした。 さて7/3~7/6恒例の北海道登山に行ったのですが、この度の豪雨は北海道まで巻き込んだ規模でしたので、紆余曲折はありはしたのですが、結論は一つの山も登らずの観光旅行で帰って来ました。 今回登る予定だった夕張岳、南暑寒別、樽前山の3座は前に登った事がある山なので諦めるのもあっさりしたものでした。 ・・・ということで登山紀行ではなく観光紀行として書かして頂きます。 登山録を遡りますと・・・夕張岳、樽前山は2008年に、南暑寒別は2010年登っていました。当時はまだブログを書いていませんでしたので記録を紹介出来ないのが残念です。 初日は移動日だけで宿泊は夕張岳登山に備えて、夕張のこのホステルでした。7/3のブログに載せましたデザートに大きなメロンが出たところで・・・ 2008年に泊ったホステルでしたが・・・安い宿泊料にもかかわらず、大きなメロンは勿論、夕食もボリュームがあり、朝食は手作りの美味しいパンが出て満足でした。 しかも広い牧場の中にポツンと立つ一軒家で家族経営・・・ 2階からの眺めも・・・こんな風でした。 他の宿泊は2組、一組は70才余の元の会社の先輩後輩とかでゆっくりと連泊、もう一人は見て所50才 前位の女性の1人旅でした。 元々ホステルは若者が安く泊まれる施設だった筈ですが、北海道では何処へ行っても老人が多く。丁度、青春18きっぷの利用者が圧倒的に老人が多いのとよく似た現象です。 さて、翌4日の天気予報は芳しくなく、観光に切り替えてまず行ったのが何回も訪れているJR夕張駅です。 何故かと言うと新夕張~夕張の夕張線が来年の4/1に廃線なると聞いたからです。 この駅舎がどうなるのか知りませんが駅としては見納めて来ました。 確かに、1日5本ではねぇ~! ! この駅、数回訪ねていますが、列車も人も見た記憶がありません。 ここまで来たならば・・・と2015年にも訪ねたことがある『幸福の黄色いハンカチ』の名シーンの撮影現場に寄ってもらうことにしたのですが・・・・ 入場券売り場に行くと、受付のおばちゃんが9時からですと言うのです。 時計を見ると8時50分でした。 そうか、仕方ないなあと、折から降り出した雨の中傘をさして待つこと暫し、8時56分になったので入れてくれと言うと、まだ9時なっていません、準備が有りますのでと頑な態度でダメというのです。 雨も降っているからと言っても聞く耳もたず、こちらは前にも来ているのに、財政再建団体への細やかな支援でもと言う気も有ったのですが・・・もう良いと言い入らずに帰りました。 少なくても何千円の減収です。勿論他に客はいませんでした。そんな観光地なのです。 こんな何もない野原の中にある施設に何の準備があるのか?? この先の光景は2015.7.11のブログを見て下さい。ここです。 それに引き換え・・・・次に行った富良野の民間経営?の、このファーム富田では・・・大満足でした。 明日に続けます。
2018.07.11
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昨日の続きです。「男はつらいよ」全48作の内、元の会社の寅さんファンクラブ??(と言っても3人だけでしたが)でもペスト3にランクしていたのが32作目の備中高梁編でした。(8作目も備中高梁ですが)当時の寅さん撮影隊が泊まったこの旅館が・・・今回のテレビ番組「世界不思議発見」で紹介されたのですが、我々3人のフアンクラブも又、20数年前に泊まったことがあるのです。当時は古びた旅館でしたがこんなに綺麗に改装されていたのです。今回の番組で紹介されていた名シーンのこの場所は・・・今は電化されていますが・・・これは第8作で撮影当時(1971年)はSLが走っていました。後ろ姿は寅さんと志村喬です。 そして、上の写真の手前の、この家もロケ地跡で今回のテレビ番組で紹介されてしました。名画面のこのお寺の階段も・・・紹介されていましたが・・・みんなみんな寅さんフアンの聖地のようなもので、今回のテレビでも取り上げていましたが、私も昨年10/20~21の当地旅行でフアンクラブとは別の仲間二人を案内したのでした。その時、奇しくも、寅さんのそっくりさんに会ったのも上のSLと武家屋敷の場所なのです。そのことについては10/24のブログに書いていますので是非見て頂いて対比して下さい。 ここです。
2016.09.14
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いつも当ブログにコメントをくれる「いつもの後輩」さんと女婿から相前後して9/10のテレビ「世界ふしぎ発見」で寅さん特集をやると教えて貰い、ゆっくり見る為にビデオに収録して観ました。寅さんの没後早や20年の特集だったのですが寅さんの映画で何が「世界ふしぎ発見」? ? と思いつつ観たのです。観られた方もあると思いますが観て、なる程と納得しました。取り上げていた中に第41作のウイーン編があったのです。内容は、葛飾柴又の葛飾区とウイーンの何とか言う区が友好都市提携をしているのが・・・寅さん映画が縁だと言うのです。 、その縁でウイーンロケが行われたと言うのです。飛行機嫌いの寅さんなのに、なぜ取って付けたようにウイーンなの?? と元々思っていたのですがそれで謎が解けたのでした。面白かったのは何故寅さん映画がウイーンとの友好都市提携の「縁」になったかと言うと・・・こう言うことだったのです。もうひとつ面白いのは・・・長い私と寅さん映画の縁も、昔々、私がアメリカへ行った時、飛行機の中で寅さん映画を観たのがきっかけだったのです。 私のことはさて置き、こんなことでロケが行われたとは目からウロコでした。そしてもっと凄いのがウイーンにこんな名前の公園があり、寅さんの写真付きモニュメントがあり・・・ こんな名前の通りがあるということでした。 また、逆にこのウイーンにあるモーツアルトの銅像のレプリカが・・・・この様に葛飾区にあるというのです。そうそう、葛飾柴又には江戸川が流れ、ウイーンには良く似たドナウ川が流れているのも提携の一因とか。 寅さんは、日本全国にロケ地跡という沢山の観光地を作りましたが、こんな素晴らしい提携にも寄与していたとは・・・。そのロケ地跡を探し、巡るのが私の『仕事??』のひとつなのですが、ウイーンまでは???・・・と言う事で国内の行けるロケ地跡のことについて、もう一回明日書かして頂きます。
2016.09.13
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温泉津は昔は温泉津町と言う町だったのですが今は大田市(おおだし)に編入されています。 戦国時代から盛んだった銀山は江戸時代には幕府の天領として最盛期には20万人もの人がいたらしく、北前船の寄港地でもあったので昔は大いに栄えた町だった様です。そして今は「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として世界遺産に登録されています。 そもそも今回の登山計画は当初2泊3日で三瓶山と大山に登る計画だったのですが、私の寅さんゆかりの温泉津に泊まりたいと言う希望を酌んで貰って3泊4日として石見銀山観光が加わることになったのでした。初日(5/10)は中国道、米子道をただひたすら温泉津へ向かい最初についたのがここです。 昔は栄えたとは言え今はなかなか鄙びた情緒のある町の駅前広場なのですが寅さんのロケ地であったこの駅にまず行かねばならなかったのです。たこ社長とさくらが柴又へ向かって帰るこの駅のシーンですが・・・上は1974年と言いますから42年前の姿なのですが今も殆ど変わっていません。天気が悪く向こうの山が写っていない以外はわざとそのまま残しているように思える位です。そして駅舎の事務所を覗くと・・・・全国どこのロケ地と同様ロケ地であることを示す写真が飾られていました。 (駅舎としては無人で農協(?)の事務所として使われているようでした) さて温泉津の町をポスターの写真で見ますと・・・左側が温泉街で赤矢印の辺りに私達は泊まったことになるのですが・・・上の写真の黒矢印の辺りが・・・印象深いこのシーンのロケ地で・・・ ここも今も全く変わり無い景色のままでした。逆方向から見ますと、丁度左のガードレール辺りです。そしてマドンナの高田敏江が登場する登り窯のシーンですが・・・この登り窯です。向かいの記念館にもまたロケの写真が沢山飾ってあったのは分かり易くて良いのですが・・・折角の写真なので、もう少し色の褪せていないものに換えて欲しいものです。この辺りは日本の三大瓦のひとつ石州瓦の産地ですが、ここ温泉津は壺類の産地だったようです。因みに石州瓦は上の航空写真やこの写真の様に独特の赤褐色です。 さて、温泉街は・・・この42年前以上に鄙びているのですが・・・私達が泊まった旅館がここなのですが・・・ 赤矢印が寅さん達がロケで泊まった旅館「後楽」です。 今回この後楽の予約が取れなかったので前まで行って窺って見ると、電気も点いておらず休業の様な様子でした。旅館の窓から左を見るとこんな風景で左が前述の「後楽」、右が元湯の薬師湯です。そして右を見るとこんな町並みでした。以上13作目のマドンナのひとり・高田敏江が登場する温泉津(ゆのつ)は堪能出来たのですが、もうひとりのマドンナ吉永小百合の登場するこの津和野の町には私はまだ訪れたことが無いのです。 いつかは行ってみたいのですが・・・・。そして翌日は名峰三瓶山登山なのですが明日に続けます。
2016.05.14
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明日5/10から山仲間5人で島根、鳥取へ登山と観光に出かけます。いつもの通り全てお任せなのですが、一つだけ私の希望を言い、叶えて貰いました。 それは温泉津(ゆのつ)温泉に泊まることです。何故かと言いますと、この地が1974年公開の「男はつらいよ」第13作「寅次郎恋やつれ」のロケ地だったからです。ネットで調べると『後楽』と言う旅館が寅さんゆかりの旅館と分かったのでここで泊まることを希望したのですが予約が取れず他の旅館に泊まることになったのですが・・・。・・・と言うことで登る山の下調べもそこそこに・・・我がビデオライブラリィで「寅さんの」温泉津の旅の予習をしました。何分にもアナログテレビでVHSですから今では考えられない粗悪な画像です。今でもこの様な鄙びた港町でしょうか?? この編のマドンナは2人で吉永小百合と高田敏江です。 吉永小百合の登場ロケ地は津和野で、高田敏江の登場ロケ地が温泉津です。 高田敏江は今81才とか。吉永小百合の上の写真からしても映画の古さが分かります。さて、現地でどれだけ寅さんムードに浸れますやら?? それから、映画の復習はと言いますと・・・先日観た映画のこの小説を読むことです。 最寄りの図書館にはなかったので取り寄せてもらい、伊豆の踊子同様、2度目の挑戦です。 初版が昭和40年、平成3年発行の65版の新潮文庫です。 今は余り見向きもされない小説ですが、版数からして過去にはやはり人気があったことが分かります。
2016.05.09
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昨日の続きです。吹屋から山を下ってかなり走りますと備中高梁(びっちゅうたかはし)の町です。 備中高梁は寅さんの映画の32作と8作に2度登場します。 両作品ではやはりマドンナが竹下景子の32作が秀作です。(8作のマドンナは池内淳子は当地には行っていません)その32作『口笛を吹く寅次郎』のロケ地がここ薬師院です。以前に訪れた時なかった石碑が立っていました。 まるでお城のような石垣と階段のある立派なお寺です。 この門をくぐり・・・階段を上がりますと・・・高梁の町が一望です。先日載せましたこの写真と同じアングルで撮りますと・・・こうなります。そして、少し離れたこのお寺は・・・・8作のこの画面のロケに使わたところです。 石碑はありませんでした。市内を流れるこの川の景色も32作でロケが行われた場所です。そしてこの武家屋敷町の・・・この家が寅さんの妹、さくらの亭主・博の父(志村喬)の家の設定でした。ここで写真など撮っているとなんとなんと、仮想現実の様に茨城ナンバーのワゴン車で寅さんが現れたのです。背広の色、模様から帽子、腹巻、雪駄に御守りから皮のトランクまで完全に寅さんです。ご夫婦で寅さんゆかりの土地を回っておられるとか。顔が似ているのに加え、物まねのコロッケの様に歩き方から仕草まで寅さんそのものになり切ってているのです。 背広の襟の立て方、帽子のかぶり方、斜めに持つトランクの持ち方などなど・・・間違いなく寅さんでした。 また、寅さん検定では無いですが、寅さんに因んだ問題を投げかけられたのですが、自慢では無いですが、殆どの問いを答えることが出来ました。例えば・・・寅さんが妹さくらの為に貯金していた名義は?? 答: 諏訪さくら 寅さんの財布にいつも入っているお金は?? 答: 500円、しかも札そしてこんな形で筆ペンで書いてくれた、まるで寅さんの字の言葉が・・・これです。 『〇〇ちゃんは人生に懸命にあるく』と書かれていて伏字は私の名前です。 寅の印は指輪で、朱肉もちゃんと持参でした。ブログに写真を載せることの了解を貰い別れたのですが、かれこれ小一時間の大変面白い時間でした。 それとこの門を背景に4人で記念写真を撮ったのですが・・・・割愛させてもらいます。 因みに貰った名刺によると、この方なかなかの有名人で色々活動されている様です。こことここを見て下さい。この中に出てくる『ひとりの人の心に届く人生応援歌名前でお作りします』が上の寅さんの字を模した言葉がこれです。字は下から上への筆順で書かれています。 ・・・と言うことで思わぬハプニングで思い出に残る備中高梁旅行になったのですが、あと備中松山城が残っていますので、明日もう一回だけお付き合い下さい。
2015.10.24
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北海道登山、まず最初に行ったのが夕張でした。 初日は新千歳空港から、レンタカーで糠平温泉までの移動だけでしたのでリクエストして寄り道をしたのでした。 夕張は2度目の訪問です。 この粋なJR夕張駅には1時間1本、1日9本の列車しか走っていません。 後ろに見える大きな建物は私の記憶では確か破たんした民間ホテルを夕張市が買い取ったものだったと思います。財政破たんの一因なのでしょう。ど夕張まで足を延ばした目的はここです。 この映画を見ておられない方にはちんぷんかんぷんの写真であり、文章ですがお許し下さい。 何分にも『男はつらいよ』同様に、私はこの映画を、ビデオを何回も見ているフアンですから・・・ 前回行った町興しのための、昔の映画の大きな宣伝看板がアチコチにあるのを見たのですが、今回は時間的にカットでこのひろばだけに寄りました。かなりの傾斜地を登って行くと、昔は(と言っても映画でしか知りませんが) 沢山の炭住が並んでいた傾斜地も今は完全に緑の山に戻っているのです。その中にある駐車場と入場券売り場で、上の入場券を買い、進みますと・・・緑の木々の中に、炭住と・・・見えるでしょうか黄色いハンカチが??この辺りも沢山あった炭住はこの5軒を残し、影も形も無くなっていて、山の中にポツンとある形になっているのです。このスチール写真では向こうに山が見えるのですが、この山はどうなったのでしょう? 炭住だけでなく山まで姿を消していました。倍賞千恵子が網走刑務所から帰って来た高倉健を迎えるシーンが蘇る光景です。この時の高倉健はもちろんですが倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおりの演技は本当に素晴らしいものでした。余談ですが、退職する時、餞別に何が良いかと訊かれた時、隠れ家にみんなが集まる時張ろうと思い『黄色いハンカチが欲しい』と希望したのでした。 その希望は叶えられませんでしたが、この光景を見てまた欲しくなりました。 そして、残った長屋の中は記念館に改造されていて・・・高倉健と武田鉄矢と桃井かおりが釧路から夕張まで走ったあの一世風靡の赤いファミリが展示されており・・・、壁も天井もこの様に無数の黄色い紙が貼ってあるのです。何かと言いますと十数年にわたりここを訪れた来場者がこの様に準備された黄色い紙、鉛筆で書き、押しピンで貼られたメッセージカードなのです。沢山のスチール写真も張られており・・・こんな散髪屋の建物は残っていましたが・・・映画では、高倉健が自宅へ向かっている車の中で目を閉じ外を見ないで、『風呂屋の煙突が見えて来る・・・』と案内するセリフの風呂屋も・・・係りの人に訊いたのですが当然無くなっていました。このあと日高山脈を越え一路糠平に向かったのですが、明日に続けます。
2015.07.11
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今年3度目、播磨の小京都・たつの市へ行って来ました。3/14のブログで2回目の竜野行きのことを書きましたが、当日17年振りあった友人から『男はつらいよ』の寅さんのロケ地巡りのウオーキングがあると言う情報を貰ったのです。そもそもその友人とは私の寅さん好きがきっかけで親しくなったものですから私が寅さん好きを良く知っているので連絡してくれたのです。今までも竜野を訪れた時ロケ地を探して分かった場所もあったのですが、分からなかったロケ地を是非知りたいと思い参加しました。この時間に竜野に、しかも本竜野駅からの集合場所に行くには・・・5:14am の京阪電車始発に乗らねばなりません。そして京阪京橋駅から~JR環状線~東海道・山陽線~姫新線と乗継がねばならずしかも駅から約2kmの集合場所には時間的に徒歩では無理と言うことで折り畳み自転車を持って出発しました。駅から自転車に乗っても現地についたのが8:10頃でした。姫路駅から乗り換える姫新線は30分に一本ですのでこれで精いっぱいでした。参加者は70~80名位だったでしょうか、集合場所で受付を済ませ・・・こんな地図と・・・ロケ現場のこんな説明書を貰い・・・ 沢山のボランティアガイドの方の案内で歩きだとしました。映画の中の名シーンで一番見たかったというより、竜野へ行くたびに探していた岡田嘉子演じる宇野重吉の昔の恋人の古い佇まいの家が・・・見つからなかったはずです。とっくの昔に潰されてこんな駐車場になっていたのはショックでした。39年前の映画ですからそれも仕方ないとは言いながら、良い家だったのに・・・京町屋がつぶされてマンションに変わっていく姿とダブりました。竜野は本当に風情のある町です。 ここは寅さんが映画の中で宴会をした旅館です。この旅館は以前に訪れて旅館の主人から撮影時のスチール写真を見せて貰い説明やエピソードも聞いたことがありました。竜野と言うのは本当に水の豊かなところで町中にこんな水路が沢山あるのですが・・・ この溝のような貧弱な水路が今まで探しても分からなかった場所だったのです。 映画の中で大地喜和子演じる芸者ぼたんが洗い物をしていて、寅さんと再開する場所なんです。もっと綺麗なところかと思っていましたが・・・。 まあ40年近く経っているのでそれも仕方ないかも知れません。 ここも・・・タクシーで通る撮影現場でした。現存するレンガ煙突は確か3本と言うことでした。 映画とは関係ないですが、童謡あかとんぼの作者三木露風の実家と・・・歌の碑です。明日に続けます。
2015.06.28
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3/14の竜野行きブログの続きです。本竜野駅に降り立つと昔の鄙びた駅舎からこんなに立派な駅舎に変身していてまずびっくりでした。上り下り各1時間に2本です。駅舎の窓サッシにはさすが、赤とんぼのまち・・・歌詞が3番まで貼ってありました。そもそも私の竜野への思い入れは・・・『男はつらいよ』全48巻のうち・・・寅さんファンの仲間で、名作はどれかの投票をしたことがあるのですが、確か1位か2位に輝いた第17巻の舞台だったのです。マドンナは今は亡き大地喜和子さんで芸者役でした。今回同行した一人は同じく寅さんフアンの元の会社の仲間、迎えて案内してもらったのが当時の得意先の方でその方とは20年ぶりの再会でした。そもそも地元のその方に会うのが主目的だったのですが、マイカーで市内のこの明治34年に建てられまだ現役のこの本屋や・・・ (立っておられるのは案内して見送ってくれたこの店の方です)こんなに立派な建物になつた揖保乃糸資料館など案内してもらい・・・この資料館の中でも、にゅう麺など食べることが出来たのですが・・・迷わず引き返し・・・2/26のブログに書きました霞亭のこのにゅう麺をまたまた食べたのでした。そして前回買えなかった井戸糀店の・・・金山寺糀を買うことが出来ました。(前々日に電話で予約しておきました)普通の糀は多分米だけだと思うのですが、この糀は大豆、麦などが混ざっています。普通の糀は500円でしたが、こちらは800円でした。 そんなことで旧交を温め、買いたいものを買い、次は京都で再開を約束して帰路につきました。帰ってから早速加工です。醤油に味醂、酒、はちみつと、生姜のみじん切りを加えて・・・1~2ケ月熟成で、正式には何と言うのか知りませんが、我が家で言う『もろみ』が出来上がります。
2015.03.17
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どなた様かの推察通り、青春18きっぷの利用、1回目はまたまたの竜野行きでした。今回はリタイヤ後会っていなかった姫路在住の元の会社の社員と一緒に竜野へ行って、竜野の元の取引先の方と 20年ぶりに会う段取りをして青春18きっぷで出かけました。姫路と言えば世界遺産の姫路城が平成の修理と言うことで、新幹線からみても長らく覆っている囲いに描かれたお城の絵しか見られなかったのですが・・・最近、確か改修が終わったと聞いた気がしていましたので、写真を撮って、遠くからでもちよっと見て行こうと姫路駅での待ち合わせ時間よりかなり早く姫路に入りました。駅に着くと構内にはやたらこんな幟が立っていて、公開はまだだと言うことが分かりましたが・・・せめて写真だけでも撮ろうと駅を出ました。私が仕事でよく利用していた時の姫路駅からは見違える程綺麗になり、しかも高架になっていて昔の面影は全くない駅に変身していました。ちょっと下の写真右の駅名の上の枠のようなものを記憶に留めて置いて下さい。駅前の横断歩道で立ち止まり、信号を気にしながら慌てて撮ったのが下の2枚なのですが・・・駅に戻り高架のホームに上がりますと・・・上に書きました枠が目の前に現れ・・・まるで額縁の様に、正面にお城が見える仕組みになって居るのです。こんなことなら、危ない横断歩道で撮らなくても良かったのですが・・・姫路城のグランドオープンについては自衛隊のブルーインパルスも来るとか、詳しくはここを見て下さい。・・・・と言うことで写真を撮り終え、仲間の一人と合流し、この赤とんぼが描かれている姫新線の電車で竜野へ向かいました。竜野について続きます。
2015.03.14
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昨日の続きです。喫茶店は少し離れていたので車で行きましたが、また戻った竜野の旧市内は狭い町なので徒歩で回るのですが案内役は私です。竜野城(跡)は別名霞城と言われたことで、このほん近くにある目指すにゅう麺屋さんは『霞亭』と言います。 前は小さい、どちらか言えばみすぼらしい店だったのにこんなに立派になっていました。そもそも今回の竜野行きは、テレビの『人生の楽園』でこの店が紹介されたことからてでした。昨日書いた井戸糀店も代替わりがしていましたが、ここもお母さんが亡くなって長らく閉めておられた店を娘さんご夫妻が再開されたのです。詳しくはテレビで紹介されたここを見て下さい。 さて、目的のにゅう麺ですが、昔のままの再現でたくさんので、一緒に食べたにゅう麺が次から次へ味が変わるのです。 ご夫妻と昔話をしながら懐かしい味を堪能して、次の赤穂へ向かいました。まず行ったのが牡蠣で有名な坂越(さこし)です。ちょっと見難いですが、左向こうに沢山並んでいる白い建物は牡蠣の処理場です。船から牡蠣を揚げるコンベアが沢山並んででいます。赤穂出身のいつもの後輩さんの知り合いのこの店で買ったのが・・・(帰って家で撮った写真ですが)・・・これです。我が家の近くで売っている牡蠣はビニール袋の中に水と一緒に入れているので中身の牡蠣は少ないのですが、この写真のビニール袋は水なしで牡蠣だけがぎゅうぎゅう詰めで、粒が大きいものばかりでした。生で3日は持つというのでお裾分けを含め二袋買って帰ったのですが・・・一袋で鍋と・・・・・・酢牡蠣と・・・翌日にはカキフライで美味しい大きな牡蠣を堪能できました。 観光に関係なくまたいつもの後輩さんに頼んで牡蠣を買いに行きたいとつくづく思うお土産でした。続いて行ったのが赤穂温泉のかんぽの宿の日帰り温泉でした。写真はロビーですが・・・温泉もこの眺めと同様、180度瀬戸内海の海が見渡せる絶景でした。この後、赤穂市内に向かったのですが・・・明日に続けます。
2015.02.26
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更新やコメント、訪問を休んでいましたが今日から復帰させて頂きます。月曜日(1/19)に体の調子がおかしくなり始め、風邪の症状が日増しに強くなり、風邪なら3日もすれば回復するものと思っていたのですが・・・・齢をとりますと、物持ちが良くなりましてほゞ回復まで6日もかかりました。・・・・と言うことで月曜日~金曜日まで一歩も外に出ず、というよりほゞベッドを離れずに過ごし、今日(1/24)やっと歩いて来ました。・・・と申しましても駅前の整骨院までなのですが・・・ さて本論の戻りまして、今回の風邪(?)は熱はなかったのですが、喉痛(と鼻水)で食欲がありませんでしたので、食事は殆どがお粥でした。我が家で お粥を食べる時は・・・金山寺糀で作ったもろみとカツオをまぶした梅干し(真ん中)が定番なのですがもろみがない為、柚子みそ(写真右)とカツオ梅ばかりでお粥を食べていました。そしてお茶はほうじ茶にカツオ梅とワサビと醤油を入れて飲むのですが・・・こんな生活をしていたのですが、偶々風邪に罹り、お粥生活になる前から1/30に兵庫県のたつの市に行きもろみの材料の金山寺糀を買う予定をしていたのです。それは昨年7月にテレビの『人生の楽園』で、たつの市のにゅう麺の霞亭が店を再開されたと取り上げられていたのを見たからなのです。詳しくはここ神戸の震災を挟んで前後9年間神戸勤務をしていことは何度も書いていますが、その時、仕事にかこつけて、たつの市(当時は竜野市)へ行き、おばあさんがこじんまり営んでいたこの霞亭で色々美味しい具の入った、にゅう麺を食べ、井戸麹店で金山寺糀を買ってもろみを作っていたのです。 その後転勤で行くこともなくなり、金山寺糀はネットで買うようになり、霞亭も間もなく店が閉じられたと言うことを聞いて残念に思っていたのです。その店を娘さんが再開されたなら是非にゅう麺を食べに行き、金山寺糀を買ってこなければと言うことで神戸支店勤務経験者と3人で行くことにしていたのです。風邪をひいて食べたお粥から取り留めもないことを書きましたが今度たつの市(と赤穂市)へ行ったとき にゅう麺と金山寺糀につてい写真入りで報告させて頂きます。 金山寺糀は、麦と大豆(と米も?) をミックスした糀で色々用途があると思いますが、我が家では醤油、みりん等を加えてもろみとして食べます。食べられるまで1~2ケ月かかりますが現役の時たつの市まで行って買って作っていたのです。そして井戸糀店詳しくはこの方のブログで・・・。安倍首相夫人も行かれた様で写真入りで載っています。そしてブログの写真を見ると私が行っていた時からここも代が代わっているようです因みにたつの市は素麺の揖保乃糸とうすくち醤油の産地です。
2015.01.24
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今日新聞のテレビ欄を見ていて、NHKの『鶴瓶の家族に乾杯』の舞台が夕張で有ることを知りました。この番組は見たり見なかったりなのですが、私の『世界』では今日は見なければ行けないのです。見られた方も有ると思いますが、期待通りの景色が映し出されました。 ただ高倉健と倍賞千恵子ではなく、鶴瓶と薬師丸ひろ子でしたが・・・テレビの画面を映画通りに繋ぎ合わせますとこうなります。 この映画は映画館で、ビデオで、さて何回観ましたやら・・・。 夕張まで行きながら、この撮影現場は残念ながら行けなかったのですが、撮影当時の姿が保存されているので、また行けるか?? なんて改めて思ったのですが・・・。
2013.08.26
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先日渥美清さんの17回忌の事を書きました時、鳥羽街道のプータローさんから『南座で山田洋次の軌跡(監督生活50周年)というイベントがあります』との書き込みを貰いましたので早速下見に行って来ました。 パンフレットに依りますと・・・・ 寅さんの映画48本を始め山田洋次監督作品を80本を8/18~10/24まで1日2回日替わり上映し入館料500円とのこと。 アップしますと・・・・ 寅さん映画は全て何回も見ていますし、他の山田監督作品も殆ど見ているのですが、寅さん映画でビデオの持っていない映画数本と48本の内の名作(と思っている)映画をピックアップして観に行こうと(ビデオを持っていても大きな画面で観たいのです)パンフレットを貰いウズウズしながら帰って来ました。
2012.08.15
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昨日テレビで『男はつらいよ』が放映されました。 番組欄によりますと、『渥美清17回忌&大原麗子追悼企画』と書かれていました。寅さんの映画は各巻の筋書きもマドンナもロケ地もみんな憶えているほど、映画館、ビデオで何回も見ているのですが・・・・、勿論昨日も見ました。このお二人も亡くなり・・・・・・この画面に映っている中でも倍賞千恵子さん以外は既にみんな亡くなっており、『寅さん映画も』も遠い昔となってしまいました。 撮ったタイミングが悪いのですが、後ろ姿の帝釈天の御前様(笠智衆)も・・・・。いつも出て来る江戸川の堤防も・・・懐かしいです。 現役の時、東京出張で足を伸ばし大好きな寅さんを追っかけて、葛飾柴又には京成電車で行ったり、常磐線金町から行ったりしたのでこの辺りの地図と風景は未だに鮮明に憶えていて懐かしい光景です。 矢切りの渡しにも乗りたかったのですが、(今はどうか知りませんが)渡しは休日しか動いておらず、平日の出張の身としてはとうとう江戸川を渡ることは出来ませんでした。ところで我が家にはこのアナグロのテレビデオがまだあるのです。 寅さんのVHSビデオライブラリーを見る為にどうしても置いておかねばならないのです。
2012.08.06
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