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山田洋次二・阿部勉共同監督で制作された松竹作品です。 仙台では、長町南のMOVIXで19日までの予定で上映されていましたが、期間を延長され、26日まで観られることになりました。 ただし12時半から一日一回のみです! 監督の阿部君は、私の高校3年のときの同級生。 今同窓会を中心に応援活動が展開しており、その流れで私も観に行ったというわけです。映画HPより///////////////////////////京都太秦、大映通り商店街。 東出京子(海老瀬はな)はクリーニング店の娘で、立命館大学の図書館に勤めている。仲の良い幼なじみの梁瀬康太(USA)は豆腐店の息子で、アルバイトをしながらお笑い芸人を目指してオーディションを受け続ける日々。 ある日のこと、京子は図書館で白川静文字学を研究する榎大地(田中壮太郎)と出会った。学問一筋の大地は、京子に一目ぼれしてしまい、研究への一途な態度と同じ情熱を、京子への求愛に注ぎはじめる。一方、康太は自分の将来について悩みはじめて、京子との関係もうまくいかない。晴れ舞台だったはずの学園祭でも康太の芸は受けず、二人はとうとう喧嘩してしまう。京子は言った。康太は自分の生まれ育った太秦の、自分の父の仕事の素晴らしさを知らないのだ、と。 偶然、別れる二人の様子を見ていた大地が、鴨川をいきなり渡って京子のもとにやってくる。明日、一緒に京都を出て留学する北京で暮らそうと、一方的にプロポーズし、新幹線のチケットを無理やり手渡した。 翌朝、京都駅に向かう京子がとった決断とは・・・・。/////////////////////////// はじめは商店街の人たちのインタビューなどが挿入されるので、なんか下町商店街振興番組みたいだなアと戸惑ったりもしましたが、途中からはぐいぐい引っ張られる感じになり、エンディングなどは固唾を呑んで見入ってしまいました。さらりと後味がいい終わり方です。 ただなんというかこの映画、すべての主題がヒロインの清らかな人間性に凝縮していく感じが実に日本的・優等生的ではありますね。 70歳くらいのおばさん二人組みが満足げに出てきましたが、たぶんこのあと自分の家の嫁さんの悪口をいうんでしょう。あんないい娘だったら、どんなにねえ・・。なんて(笑)。 私も京子ちゃん、感心しました(笑)。 あんな子と結婚する・・・は幸せです(ネタバレになるので、言いませんが)。 それを演じた海老瀬はなさんも清潔感があってとてもチャーミングでした。 それからエグザイルのUSAさん、はまり役でした。ウケようとしすぎてカラ回りする三流芸人を実にうまく演じ切れたと思います。アルバイトの途中で彼が見せるダンスシーンはとても見事で、効果的でした。 この映画の応援団の会報では、京子の榎に惹かれるプロセスがほとんどなく唐突という議論もあり、それに対しては、京子はそもそもこの地域にこのまま居続けることへの葛藤が内在していて、「内側」としての梁瀬と「外側」としての榎の間で揺れたのだ、と解釈されていました。この同級生の指摘は正鵠を得ているなと思いました。 難点は、映画全体の「色」の悪さです。昭和の雰囲気を出すためにそうしているのかもしれませんが、どうも映像のクオリティがいまいちのような気がしました。 また、「幸せ家族計画」でも感じたことですが、ストーリーがずっと単線なのが物足りないように思うときがあります。なにか重要性の軽い、もうひとつのストーリーが併走しているとさらに深みが増したか、なんて素人考えかもしれません。 とにかく全体としては私はなかなか満足できました。
Nov 20, 2010
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2005年からアメリカでテレビ放映され、絶大な人気を誇っているアクションホラーです。wp01_800 posted by (C)オフミストーリーのあらましはこちらこの作品は人間ドラマが非常によく描かれており、私のようなホラー嫌いでもすんなりと入っていけました。なんといってもこの兄弟愛がいいです。些細なことですぐケンカが始まりますが、二人は強い絆で結ばれています。会話がいろいろとヒネていて面白い。弟がガキなんだなあまったく・・。二人ともかなりのイケメンです。弟のほうは誰かに似てるなあ・・と思いつつ観ていましたが、そうでした。アメリカの名ロック・バンドの「THE BAND」のベーシスト、故リック・ダンコの若い頃にアゴのあたりが良く似ています。ロックといえば、BGMに流れる70年代ロックがイカしています。フリーやバッドカンパニーなど渋~い選曲です。またバドカンのファーストアルバムなどを聴き直したくなりました。また、当時のオールドカーが随所に出てくるのも泣かせる。ちなみに兄の愛車は67年シヴォレー・インパラ。アメリカ車の一番いい時代でした・・。スーパナチュラルのシボレーインパラ posted by (C)オフミこういう様々な小道具の選択が、いちいち私のツボにはまります。この事件の経過を通じ、善人そのものに見える人々の、意外な過去の悪行が明らかになったりするところが興味深い。これまでシーズン1の10話まで観ましたが、中でもっとも印象に残ったのは第3話のDeath in the Waterでした。過去の事件のトラウマから自閉症になった男の子が登場。///////////////////////////SUPERNATURAL スーパーナチュラル <ファースト・シーズン> DVDコレクターズ・ボックス1価格:7,056円(税込、送料別)
Sep 25, 2010
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織田裕二がリメイクし、興行面で大コケした映画。「黒澤・三船オリジナル版」をあらためて鑑賞しました。見直してよかった、この二人は圧倒的な天才ですわ・・。殺陣の動き、キレがまず根本的に違います。三船の運動神経でしょうか、一秒が何分割にもされて使われているかのようです。それに比べ織田君のはたしかにチャンバラごっこ・・ですな。それから、9人の侍がリメイクではあまりにもオーバーアクションで、これじゃ学芸会にしか見えないのであります。でも私は織田版・三十郎も嫌いじゃありません。彼のもつ独自の茶目っ気が愛らしいではありませんか。それしても、室戸半兵衛の三十郎に対する友情は涙ぐましい位でした。私なら、室戸の心情に打たれてともに行動したかもしれません。だってイイ奴すぎますよ半兵衛・・。最後の30秒間無動で向き合うシーンの緊張感もたまりません。ここは、リメイクで踏襲してほしかった。衆目の一致するように、すべてが自由闊達にしておのずと規に嵌る、これこそ日本映画の金字塔ですね。★★★★★///////////////////////////黒澤明DVDコレクション::椿三十郎価格:3,591円(税込、送料別)
Sep 19, 2010
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いまさら紹介するのが恥ずかしい作品について好き放題語っています。さてこの「2」はオリジナルのベストキッド3部作では最低の出来、という評価については、ほとんど議論のないところではないでしょうか。ミヤギ、意味不明の沖縄への里帰り。ここにはサトウという地域ボスにしてかつての恋敵が住んでいます。そのひとりの女性がまだプラプラの状態でいるものだから、たちが悪い。恋の炎とライバル関係は還暦すぎた今も解消されるはずもなく、まったく純情すぎるじいさん達のバトルが繰り広げられます。これこそ超・高齢化社会に対応した中高年の恋愛のあり方を示した映画の嚆矢というべきか?まあともかく、ミヤギさんはこのサトウとその一味にあらゆる場面で嫌がらせを受けますが、なぜかサトウとの対決を避けるミヤギ。「腰抜けめ!」というサトウ一派の罵声を浴びても相手にしないミヤギ。全米トーナメントで優勝したにしては相変わらずまるで頼りない弟子ダニエルに対しても、一味の迫害が続きます。沖縄のチンピラ相手に、まったく歯がたちません。これはどうしたことでしょうか。優勝はまぐれだったとすると、シリーズ1の感動も嘘になります。日本や沖縄に対する理解不足から、ツッコミどころが多いのが見所といえば見所ではありますが、ご都合主義の嵐、未熟です。あまりにも未熟すぎますっ。その集大成の大笑い大会がクライマックスシーンです。これは、もう見ていただくほかはありません。今思い出しても、笑いがこみ上げてきます。しかし、わきまえていただきたいのは、これが映画上は正真正銘の感動(していただくための)シーンだということです。ぜひ泣きましょう。ここで(笑)。★///////////////////////////ベスト・キッド2 【DVD】価格:1,332円(税込、送料別)
Sep 16, 2010
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息子に「三船の椿」とレンタルをお遣いさせたら、織田のリメイク盤のほうを持ってきました(泣)・・。ちゃんとオーダー表に「三船の」と書いたのに・・。ちなみに息子、26歳(笑)。でも私はそういう場合でも、一応きちんと見ますね(笑)。悪評高いリメイクですが、なんのなんの、なかなかきちんとした良質娯楽大作になっていました。Wikiより///////////////////////////1962年公開の映画『椿三十郎』の脚本(黒澤明、菊島隆三、小国英雄による)の再映画化。『用心棒』、『椿三十郎』2作品のリメイク権を獲得していた角川春樹が2006年7月12日に製作を発表。同年秋から撮影を開始し、2006年12月1日にクランクアップした。本作は、前作の脚本をそのまま使用(一切加筆訂正はされていない)、モノクロとカラーの画面の差も含めて、各シーンを現代感覚を取り入れて再構築した。黒澤明演出での有名なクライマックスの決闘シーンは、本作では細かいカット割とスローモーションを使った新たな演出がされている。椿三十郎を演じたのは時代劇初主演で、2007年にデビュー20周年を迎えた織田裕二。時代劇の出演自体、そのキャリアの初期における『将軍家光の乱心 激突』や『風雲!江戸の夜明け』以来、久々となった。若侍は全員オーディションでキャスティングされた。睦田夫人を演じる中村玉緒は、本作が14年ぶりの本格的な映画出演。後半の演出がコメディ調になるところで伊藤克信を登場させ、オリジナルとの違いを表現した。完成披露会見で、製作総指揮の角川春樹が「40億円は最低ライン。そこからどれだけ伸ばせるかが勝負。60億円が一つの目安になる」と、前年の松竹配給の木村拓哉主演の時代劇『武士の一分』の興行収入40億円超えを宣言し話題となった。 最終的な興行収入は11.4億円。///////////////////////////この後、三船のオリジナル版も見比べましたが、そもそもタッチが違うので比べて批評するのも大人げないかと思います。リメイク版は、はじめから重厚感を狙っていませんね。織田の演技は申し分ないと思います。ただ9人の侍がオーバーアクションでいかにも白痴的です。あまりにもくどいです。こんなに顔に出さなくてもわかるって・・と思いつつ、はっとしたのですが、もしかして、観衆の受信レベルが、こんな演技を要求するほどに落ちている?あるいは、テレビの娯楽番組のノリで作っている?特にいいのは、佐々木蔵之助演じる、人質侍木村。ときおり押入れから出てきては、巧妙なアドバイスをするのですが、その現れ方、戻り方が実にツボにはまっています。悪玉の家来トップの室戸半兵衛役であるトヨエツは、演技そのものは悪くないのですが、声がカン高く、凄みがないのが残念。オリジナルでもそうですが、室戸が、三十郎のありえない演技に、何度も騙されるところが、なんともはがゆいです。007のスペクターか、お前は。50人からの悪玉側の家来が惨殺されているのに、一人だけ無傷で縛られて転がっているなんてありえない。そのあともひとつ、致命的なリアリティのない主人公命拾いの場面がありました。リメイクの際には、あの時代だからこそ許容された脚本上のミスを修正しておいてほしかったですね。まあ、それでも十分テンポよく楽しめましたよ。個人的には松山ケンイチくんがあと10年ぐらいして、渋みのある三十郎を見せてくれたらな、と思っています。★★★☆/////////////////////////// 【送料無料】 DVD/邦画/椿三十郎 (通常版)/AVBF-26684価格:3,990円(税込、送料込)
Sep 13, 2010
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ロジャー・ムーア出演作の中ではかなりの良作ですね。ムーアがそろそろ爺さん顔になってきているのが気にはなります。スタントマンを使わない場面での格闘シーンなどはだいぶ緩慢です。その分、インド・ウダイブルでの豪勢な舞台を生かした気合いの入ったロケをしております。雑踏の中のオート三輪車での逃走シーンは見応えがありました。こういう何気ない場でのスリルのほうがカメラマンの腕前が出るものです。今回の女主人公オクトパシーの住居は湖に浮かぶレイク・パレスを、悪玉カマル・カーンの基地はモンスーン・パレスを利用。どちらも昔の王侯の絢爛たる生活文化を髣髴させる舞台設定です。女傑・オクトパシーは宝石の密輸という悪に手を染めていますが、一方で放浪の身の女性を引き取って生き甲斐を与える事業も運営しており、根っからの悪人ではありません。一方のカマル・カーンはオクトパシーの従順な手下を装いながら、ソビエトの狂った愛国軍人に手を貸しアメリカ基地での核爆弾テロを企てるなど酌量の余地のなき悪人です。最後は自分の操縦するヘリとともに爆死しますが、彼にはもう少し悲惨な死をあたえてもよかったかもしれません。007はツカミから大きな山場があることが多いですが、ここではミニジェットの活躍が見事です。古びた馬車から際新鋭の兵器が飛び出してきて追っ手の度肝を抜くところが痛快です。この作品の欠点は、冗長なアクション場面が多すぎて、ストーリーに深みが感じられないことです。オクトパシーはボンドが口論したのち、すぐにボンドの誘いにのってベッドインしますが、一定の時間をおいて心理的な変化を誘うドラマがあるべきでしょう。「私を愛したスパイ」ではヒロインは恋人を殺された復習心をずっと持ち続けますが、危険を省みず自分を救出にきたボンドをみてその憎しみの氷が溶けます。そのあたりのプロセスがまったくないところがつまらない。カマラの宮殿を脱出したあとの密林での追跡シーンや列車屋根でのアクションなどもやたらと長いです。ボンドガールは2人、オクトパシー役のモード・アダムスとその部下で背中に小さいタコの入れ墨を掘ったクリスティナ・ウェイボーンですが、チョイ役の後者のほうが美人だと思います(好みの問題ですが)。この作品はインドのロケ地の風光と文化を楽しむことに徹してみるべきでしょうね。★★★☆【DVD】007/オクトパシー デジタルリマスター・バージョン/ロジャー・ムーア ロジヤー・ムーア価格:1,490円(税込、送料別)
Sep 4, 2010
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1960年代における、欧米からみた日本への先入観、偏見、ステレオタイプをお楽しみください。○ニッポンでは、なんと言っても男がエライ!男が風呂に入れば女が背中を流してくれる!○ニッポンでは大きな岩風呂のオンセンに入るものだ!○ニッポンではニンジャが技を磨いている!(ただの剣道もニンジャの技なのだ!)といった具合で、天下のショーン・コネリーがこんなパロディみたいなことに大まじめにつき合っていることが見物であります。せっかくだから、ご当地の景色を紹介し、おいしい料理などにも舌鼓を打ってほしかった・・って、「湯けむり殺人事件」と一緒にしちゃいけませんね(笑)。。ボンド・ガールの浜美枝はこんなに可憐で綺麗だったとは、当時(子供)気がつきませんでした。役者としてのボンドは彼女をどう評価したことでしょう。でもなぜ危険・重要な任務をビキニで・・(笑)本当は浜美枝は海女の役ではなくボンドを補佐する公安職員の役だったそうですが、語学力が不足していたためより目立つこちらにチェンジされたというから、人生わからんものです。はじめのボンドガール、アキ(若林映子)はボンドと添い寝をしている最中、忍者に糸で口に毒を流し込まれ、死亡します。なのに、それをみたボンドもタイガーも顔色ひとつ変えません。ボンドからしたら一夜をともにした相手、タイガーにはかわいい部下ではありませんか。なんという不人情・・。さてお楽しみボンド・カーのトヨタ2000GTコンバーチブルがイカしています。これが当時、ニッポンの製品だったことに鼻が高いです。ギャングの運転する二代目クラウンも大活躍。当時のクラウンのあのプアな操縦性を考えると、スタントマンは本当にうまく運転しているもんです。日本人の公安調査庁の長官、タイガー(丹波哲郎)は公務員なのにこの贅沢三昧はどうしたことでしょう。丸ノ内線の車両をまるごと移動オフィスにしていることもさることながら、御殿のような別荘に美女を何人もはべらせて・・。許せません(笑)。私、にわかオンブズマン的心情になります。でも火山口の奥にあるスペクターの基地の攻略では自分も命がけで突入しますから、まあよしとしますか(笑)。しかしですよ、どうせこのくらい敵味方死屍累々になるような突撃をするのなら、はじめから火口がちょっとだけ開いたときを見計らって爆弾の2、3個も投げ落とせばよかったのにね。まあ、それでは映画になりませんが・・。一方、スペクターの大ボス、ブロフェルトも間抜けです。宇宙飛行士になりすましたボンドを見咎め補足したのはいいのですが、なぜそこでただちに殺してしまわずに長々と今の仕事の説明などしているのでしょう。いつもこうやってとどめを刺す機会を失しては逃げられたり、反撃されたりしているのに、ずいぶん学習能力のとぼしいブロフェルドです。~いつまでたってもだめな私ね~という敏いとうとハッピー&ブルーの歌声が頭に響きわたります。もしかして、ブロフェルドいい人?(爆)そういう質面倒くさいことを四の五のいわず、この作品ではこの倒錯したニッポン観を楽しめばいのですね。荒唐無稽といえばそれまでですが、日本人からみたらこんなに楽しめる洋画はありませんからね。★★★★007は二度死ぬ価格:2,691円(税込、送料別)敏いとうとハッピー&ブルー「わたし祈ってます」C/W「よせばいいのに」C/W「星降る街角」C/W「...価格:1,600円(税込、送料別)
Aug 14, 2010
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今度、ジャッキーチェンによるカンフー版でリメイク作品が発表されました。それを見る前に、本家・ベストキッドはいかがでしょう(まだならぜひ)。転校生でいじめられっ子の少年が、日系人のカラテの大家・ミヤギに弟子入りし、「イジメカラテ」の連中をけちらすという胸のすく勧善懲悪ドラマ、と今更紹介するのは、実に気恥ずかしい心地であります。映画を見た人だれもが、このカラテおやじを大好きになると思う。強く、遠慮がちで、慈悲深い理想の日本人です。このミヤギさんを演じたパット・モリタ氏は2005年11月、物故されていたのですね。長生きしそうなタイプとお見受けしていたのですが、残念なことです。この映画に出演した当時、50台前半!とても、そうは見えません・・。さてこのアクション映画は本格的にカラテをやった人にはどう映るのか聞いてみたい気もします。かなり突っ込みどころがあるかもしれません。最後の「鶴の構え」で宿敵ジョニーを破るシーンは本来感涙にうるむべき決定的シーンのはずなのですが、私は笑いころげてしまいました。しかし、その荒唐無稽さも、次作キッド2の「でんでん太鼓逆転劇」に比べればまだしも十分にリアルです。ちなみに、このミヤギさんの家の「日本庭園」と50年代のアメリカントラックを含む「カー・コレクション」が実に見ものです。一番印象に残るシーンはやはり一見無意味に思えたワックス掛け修行が実は実践カラテに結びついていたことを知ったときのダニエルの表情でしょうか。これをリメイク作品のクリップで観ると、服を着る・脱ぐの動作で会得させているようです。こうしたシーンは、いかにも東洋哲学的であります。このときひ弱だが素直で意志の強い少年ダニエルを演じていたラルフ・マッチオは、今どんな役者になっているものか。3までの変化を見てその30年という延長をえがくと、まさか小錦みたいになっているのでは・・という気もします。アグリー・ベティ3にちょっと出演しているとのことですので、今度レンタルで見てみようと思います。★★★★☆ベスト・キッド コレクターズ・エディション 【DVD】価格:1,170円(税込、送料別)
Aug 3, 2010
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言わずと知れた、2006年「カジノ・ロワイヤル」の続編です。いまさらなにを・・という方はなにとぞこの先は読まないでくださいませ。映画は新型アストンDBS待望のカーチェイスで幕を開けます。http://www.youtube.com/watch?v=BsBd9tPK4uE敵方のアルファ159の2台を向こうに回して、さすが王者の風格を見せます。特に凄いのは、大型トラックから突き出た鉄柱がドアに刺さったアストンを意図的にスピンさせ、ドアごともぎ取る荒技。これは息を飲みました。一体どうやって撮影したのでしょう?猛禽類を思わせるアルファ159で、実はキライなクルマだったのですが、このシーンを見て惚れてしまいました。このカーチェイスだけでも映画代を払ったモトがとれると思ったくらいです。このシーンで事故があり、アルファを運転していたスタンントマンが重傷を追ったとのこと。根性を入れて観なければなりません。ただ、ときどき挿入される海上から陸地側をみたシーンは実に邪魔です。この監督の癖なのでしょうか、このほかのアクションシーンでも、競馬だのオペラだのの映像が交錯しますが、ただでさえ誰が何をしているのかわかりにくい画面なので、不快な混乱を招くだけだと思います。シュールな感覚はこのテの映画では無用でしょう。また今回、Mが前線に出過ぎなのが気になります。本来ヘッドは作戦本部でどっしりとしていなければ指揮系統が混乱する、危機管理のイロハではありませんか・・。案の定、敵の銃弾に倒れることに・・。軽症ではありましたが、部下の足を引っ張ってはなりませんね。最後のシーンでも、色仕掛けの工作員の逮捕にMまでがロシアくんだりまで出むく必然性は全くない。どうもこのへんにリアリティの欠如を感じます。ボンドガールはどうでしょうか?私はこのカミーユにはぜんぜん魅力を感じません。野生的な魅力を打ち出したかったのでしょうが、ボンドガールとしての「格」を感じさせるものがありません。冒頭述べましたように、カーアクションの凄まじさは特筆ものですが、それ以外のアクションは前作を越えていないと思われます。とくに裏切り者ミッッチェルの追撃シーンにおける、鐘楼でのロープを使った格闘はいかにも作りこんだという感じであざとく、感心しません。ヤング007だからでしょうか、敵も今のところ小物ですね。今回のエセ環境NPOのボス、グリーンなど、まるで水産物卸の若旦那ではありませんか。なんだか文句ばかり言ってしまいましたが、それでも最後まで一気に見せてしまうクオリティの高さはあります。特にタッチパネルを多様した新しい指令室とそこでのレクのシーンは見事でした。ダニエル・クレイグは新しいボンド像としては魅力的であり、今後様々なシリーズを楽しませてくれることを希望します。★★★007/慰めの報酬 2枚組特別編価格:3,591円(税込、送料別)
Aug 1, 2010
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とても今更ながらですが、007シリーズを見直しています。アストンマーチンをいろいろ調べているうちに動画をじっくり見たくなってDVDを買い始めたのが運のつき。カジノ・ロワイヤル、こんなに傑作だったとは不覚、知りませんでした。旬のときにそっぽを向く悪い癖で、損ばかりしています。このカジノーは、ジェームス・ボンドがまだ00コードに昇格したころという設定なんですね。ヤング島耕作ならぬヤング・ボンドであります。それにしてはダニエル・クレイグ、老け顔です。このまま45歳くらいまでのボンドをいちどきにリメイクしてしまえるかも。ただ、このリメイクは、若いボンドを描いてはいますが、舞台はあくまで現代なのです。ご丁寧に、ボンドの上司「M」に”Christ,I miss the Cold War.”とまで言わせています。実に通俗的ですが、007といえば楽しみなのが車と美女ですね。この型のアストンマーチンDBS、発表したての頃はえーっ何コレ?と思いましたが、今見ると非常にセクシーです。欲しいです。ムリです。生活が破綻します。しかしこの映画では、まだ最新鋭DBSの魅力を十分伝えているとはとうていいいがたい。なにしろ敵を追いかけた矢庭に、路上にころがされたボンドガールをよけようとして路肩で横転ですから・・。もうすこし見せ場がほしかった。欲求不満です。もっともその不満は、次回の「慰めの報酬」で存分に解消されますが。一方のボンドガールはいかがでしょう。今回の作戦に際し予算の制約をすべく英国財務省からのキャリアガールというシーチュエーションですが、ちょっとお話にムリがないわけではないですね。スパイの訓練を受けたことがない、しかも中枢の職員をこんな危険な場に出すはずがないのです。彼女、素材は品があって美しいですが、アイシャドーが強すぎでちょっとラウドであります。年増ごのみの私は上司の「M」(ジュディ・ディンチ)をが好きだったりします(爆)。圧巻のアクションシーンは3回。付録のメイキングビデオを見ましたが、どれも気の遠くなるほどの準備検討と時間、コストがかけられているもので、私はとても批判めいたことを言う気にはなりませんね。ツカミの追跡・格闘シーンはやや長すぎという批判もあるでしょう。しかし、セバスチャン・フォーカンのパルクール(障害物を乗り越えながら進む芸術)は実に素晴らしい見物でした。印象に残るシーンは、やはりボンドに自宅に侵入されたMがボンドを諭すシーン。"Bond,this may be too much for a blunt instrument to underatand,but arrogance and self-awareness seldom go hand in hand."(感受性の鈍い人間にはわからないかもしれないけど、傲慢さと気づきは違うのよ)う~ん、上司の慈愛を感じますねえ。全体として、これは掛けた労力、コストにアウトカムが見合った快作だと思います。007の旧来のファンで違和感を唱える方もいらっしゃるでしょうが、ロックでいえばかつて「In Rock」や「Machine Head」で一世を風靡したディープ・パープル第2期のコアなファンが、ブルースを取り入れた第3期の音楽を「パープルじゃない」と否定したようなことかもしれません。長い例えでした。その気持ちはわかるのですね。私もかつてはそうでした(笑)。これからこの映画、英語の字幕にして何度も見直そうと思っています。★★★★☆【ポイント10倍】007 カジノ・ロワイヤル デラックス・コレクターズ・エディションダニエル・ク...価格:1,980円(税込、送料別)
Jul 29, 2010
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新潮文庫「新編 銀河鉄道の夜」に収録されている賢治の童話作品。未完の作品であり、また賢治作品の中ではマイナーな部類に属するが、私にとってはとても感慨深い、大切な物語だ。(以下、ネタバレありです)「私」の町にある博物館のガラス戸棚には、蜂雀の剥製が陳列されている。そのなかの一匹をたいそう気にいっていたのだが、ある日、その蜂雀が「私」に語りかけてくる。/////////////////(ここから引用)「お早う。ペムペルという子はほんとうにいい子だったのにかあいそうなことをした。」・・・ 蜂雀がガラスの向うで又云いました。「ええお早うよ。妹のネリという子もほんとうにかあいらしいいい子だったのにかあいそうだなあ。」「どうしたていうの話しておくれ。」「話してあげるからおまえは鞄を床におろしてその上にお座り。」(ここまで引用)////////////////こうして剥製の蜂雀は、可愛いペムペルとネリの話しを始めた。しかし、何がどうかわいそうだったかを語る前に、蜂雀はぴたりと話しを止めてしまう。「私」が泣きじゃくって頼んだり、番人のおじいさんが嗜めたりした末にようやく話を続けるくだりが非常に印象的であり、その情景がありありと浮かんでくる。////////////////(ここから引用)・・とうとう私は居たたまらなくなりました。私は立ってガラスの前に歩いて行って両手をガラスにかけて中の蜂雀に云いました。「ね、蜂雀、そのペムペルとネリちゃんとがそれから一体どうなったの、どうしたって云うの、ね、蜂雀、話してお呉れ。」 けれども蜂雀はやっぱりじっとその細いくちばしを尖らしたまま向うの四十雀の方を見たっきり二度と私に答えようともしませんでした。「ね、蜂雀、談してお呉れ。だめだい半分ぐらい云っておいていけないったら蜂雀 ね。談してお呉れ。そら、さっきの続きをさ。どうして話して呉れないの。」 ・・・私はとうとう泣きだしました。(ここまで引用)///////////////////// 「だめだい半分ぐらい云っておいていけないったら」という、「私」のセリフが実に健気で美しい。ペムペリとネリは土と共に生きる純朴な生活を、サーカスは計算と享楽に満ちた世間を表しているのだろうか。この子供たちの悲劇は、貨幣経済の論理によって疎外されていく一切の大人の悲劇でもあるのだなあ・・などと月並みなことも思ったのだが、この物語の全体を包む深い、静かな悲しさの主役は、二人の幼子ではなく、「ペムペルとネリはかあいそうだなあ」と繰り返す蜂雀であるようにも感じられてくる。すでに生命を喪失し、亡骸だけをガラスケースに「陳列」され「管理」されながら、なおも悲しい追憶の語り手であろうとする蜂雀。活きた鳥は死の可能性を内包しているが、この蜂雀は死と生の同時並存のなかに活動している。時間、空間、因果率を超越した世界の中にも、悲しみや慈しみ、あるいはそれらを包摂した一種の意思が存在しているのだろう。蜂雀をいったん黙らせ、死の世界へ戻したことがこの作品の決定的なポイントであり、いっそう重層的な味わいを加えた。でも、ベムペルとネリはほんとうにかわいそうだなあ。フジポット文庫で、奥寺健アナウンサーの朗読をじっくりとご鑑賞ください。http://fujitv.cocolog-nifty.com/bunko/2009/07/post-8a8d.htmlhttp://fujitv.cocolog-nifty.com/bunko/2009/08/post-baae.html
Aug 18, 2009
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このマンガ・・とにかく面白いっ!ただ少々ハナにつくのは、どんな強い相手とやるときでも、常にハンディを負うようにムリに持っていくこと。「絶対、負けて当たり前」の中で、周りの心配を押しのけて勝つ・・それだけ陸奥は強いんだっ!というパターンは、確かにヒーローものの常道ではあるが、ちょっと、付き合いきれなくなるときもあるんだなあ。例えば、宿敵・片山右京と対戦したとき、飛田戦でボロボロにダメージを受けてしまい(なんとアバラを骨折!)、ドクターストップがかかってもおかしくない状態であった。これは、右京のためにもベスト・コンディションで臨んで欲しかった。もっともこれを深読みすると、ベストの状態で片山に勝つと、片山と海棠晃との差が開きすぎてしまい、海棠を永遠のライバルとして引っ張ることが不自然になってしまうということもあるのかもしれない。しかし第二部のアリオス・キルレイン戦は、このマンガのハイライト中のハイライト。それが対戦直前に龍造寺巌と対戦し、アバラと左手の拳にヒビを入れてしまいました、はお粗末だろう。アリオス、そんなに弱いのか。それにだ。TPOもわきまえず真剣勝負をいどんだ龍造寺は中年キャラにしては分別なさすぎではないか。私はこの一件で彼に対する好感度が50下がった。さて、片山右京、いかにも典型的なクールでナルシスティックな二枚目キャラである。■片山右京・・まずはウィキペディアより・・「全日本鬼道杯大会一位。"氷の貴公子"の異名を取る天才。抜群のセンスと驚異的な見切りを持ち、見ただけでその技を使いこなしてしまう 天才ぶりで、九十九との戦いでは牙斬を模倣し、龍破でさえも迎撃することに成功するが必殺技の菩薩掌を破られたその時、生まれて初めての恐怖を味わうこと となった。」「菩薩掌」というのがすごい技である。相手の頭を両手掌に挟みこみ、瞬間的に何千回と往復で衝撃を与える。相手の脳はそのたびに頭蓋にたたきつけられボロボロになるという。陸奥はこの技に対し、自分から両手で菩薩掌を挟みこみ、振動を抑えることに成功。そこから「虎咆」で片山を一度は倒すが、・・・その後の展開に私はわが目を疑ってしまった。あのクールな二枚目だった片山が、神の境地に入ったとかいうことで、なんと「笑い仮面」(注1)のような面相になってしまったのだ。もうイメージぶち壊しである。この戦いで破れた片山は、その後フツーの青年の風貌になって現われる。乗っているクルマが「スズキ・エスクード」というからその落差に驚く。陸奥と対戦する前の片山はポルシェかフェラーリしか似合わないオトコだった。それがなんとエスクードときた。片山、「自分さがし」に走ったかあっ!その後、片山が対戦する場面は見れずじまいになったが、彼は次の戦いではどんな顔をするのだろうか。私はそれが何としても見たい。・・続く注1「笑い仮面」・・楳図かずおの比較的初期の作品、恐ろしく深みのあるホラー・コミック。小学生の頃、このマンガがとても怖かった。笑った顔がこんなに怖いなんて・・と思ったものだ。楳図かずおホームページ参照。
Feb 25, 2007
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この漫画は私の行きつけの三本木温泉「花おりの湯」に置いてあって、湯上りに寝転びながらフフフン♪と読んでいるうちに深く嵌りこんでしまい、全巻をブックオフで買ってしまったという・・名づけて「貧乏大人買い」!? なぜかこのマンガを読んでいると人生半ばを過ぎた私も気力がモリモリと湧き上がってくるのだ(長持ちこそ、しないまでも)。 もし興味がお有りであれば、ハナシのあらましは「しゅらしゅしゅしゅ」という素晴らしいHPでご覧ください。 ヒーロー物の常で、ハナシのところどころに「なにすや?」と言いたくなるような不自然さが付きまとうが、面白いものは仕方がない。 この面白さは、主人公の「陸奥九十九」に対する周りの理解度の違いが、そのままそれを話す者の能力の度合いの反映になっているところではないかと思ったりもする。 試合で一見陸奥が押されている場面など、まわりはすぐに悲観論に傾く。 力が拮抗している者ほど「見た目より陸奥は不利になっていない」ことを見抜くのだが、そうでない者達はとにかくハラハラしたり的外れにアドバイスしたりでお恥ずかしいのだ。 「陸奥をどう見るか」が、その人間の度量と技量を露呈するバロメーターになっているのだ。「眼力のヒエラルキー」とでも名づけようか・・。 今日は第一部の中の好きな登場人物のオハナシ。 興味のない方はパスしてくだされ。■木村この人だけ、なぜかセカンドネームが出てこない。神武館No.5、本部で指導員をしている。物語の中で最も早く陸奥と対決した武道家だが、いいところなく破れた上に腕を折られる。しかしその後陸奥の天才にほれ込み、ほとんど追っかけ状態になる。実にいいヒトなのだが、この人のアドバイスはことごとく的を外れていて、失笑を買う。というか、武道家として・・木村指導員評論家として・・五十嵐利和恋人として・・龍造寺舞子 この三人が愛すべき「的外れ三羽烏」として常にストーリーに随伴し、主人公のミラクルを手を変え品を変え引き立ててくれる構造になっているのだ。(もっとも、舞子はアリオス・キルレイン戦では彼の底知れない力を信じられるだけの成長をとげている) それにしても彼の外し具合は、見ていて気持ちいいくらいだ。 いい人なんだけどね~。例1:鬼道館の道場破りをし、片山右京をひっぱりだそうとした場面木村のアドバイス:「闇討ちにされるのがいいところだ・・悪いことはいわん しばらく外へでるな」結果:陸奥、マスコミの前で鬼道館のNo.2までを総なめにし、鬼道館に公式に挑戦するきっかけを作った例2:キックボクサー竹海直人戦木村のアドバイス:(相手の肘技に対し)「組め・・組んで間接技にもっていけ」結果:陸奥、同じ肘技の「蛇破山」で勝機を決定づけた・・続く
Feb 12, 2007
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ゲーテはシュトラスブルク大学で法律を学び、故郷フランクフルト・アム・マインに帰り、弁護士を開業。1972年5月、ウェッツェラールの高等法院に3ヶ月の法務研修に行った。ここでゲーテはヨーハン・クリスティアン・ケストナーというブレーメン使節の秘書官と知り合いになり、親密になった。ゲーテは1772年6月に聖霊降臨祭りの前の晩にフォルベルツハウゼンの舞踏会でこの物語のヒロインであるシャルロッテ・ブッフと出会う。シャルロッテはドイツ騎士団本部の管理者を父に持ち、母亡き後12人の幼い弟妹を世話していた。ゲーテははじめシャルロッテがすでに婚約をしていたこと、その相手が友人ケストナーであることを知らなかった。その後の経過は、この物語とほぼ同様だったようだ。ゲーテもまた報われない愛情に苦しみ、短剣で自分の胸を刺そうと試みたこともあったが、思いとどまり、9月11日にこの地を去り、フランクフルトに戻っている。そしてシャルロッテへの断ち切れない思いがゲーテを駆り立て、この名作が出来上がった。ゲーテはそのあとも数え切れないほどの恋をし、1832年3月22日、82歳で永眠。私も2002年7月、STEINBERGER FRANKFURTER HOFに3泊もしたのに、すぐ近くのゲーテハウスを見学せず、「三越」になんか行ってしまったことは全く悔やまれる。
Oct 27, 2006
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「若きウェルテルの悩み」読書ノート1の続きである。誰も読まないであろうが、自分のための書き留めである。たはは・・。<○が引用>○ぼくは今は絵が描けないだろう。一筆だって描けないだろう。それでいていまのこの時ほど偉大な画家だったことはかつてないのだ。ぼくのまわりの愛らしい谷からもやが立ちのぼり、空高い太陽の光線はぼくの森の厚い、つらぬきがたい暗がりの表面にたゆたって、森の奥の神聖な場所までしのびこんでくる光線はほんの幾すじかにすぎない。そんなときぼくは音たてて流れ落ちる小川のほとりのたけ高い草の中に身を横たえ、大地に近々と顔をよせて、数限りないさまざまな小さな草を珍しげに眺める。草の茎のあいだに営まれる小さな世界のうごめき、小虫や羽虫などのきわめつくせぬ無数の姿、それをぼくはこれまでになく心に近く感じる。そして自分の姿にかたどってぼくたちを創造された全能者の現にいますことを感じ、ぼくたちを永遠の歓喜の中にただよわせ支え続けている慈愛の神の息吹を感じるのだ。◇◆◆◇私はこの部分の描写が好きだ。(ちょっと漱石の「草枕」を思い出すけれど)ウェッツラールに若き法務官として赴任したてのウェルテル(ゲーテ自身)の、安定し気合のみなぎった心境が自然描写に生き生きと投影されている。ここでの彼は、自然、そして神との完全合一の状態を謳歌していた。しかし、その満ち足りた一体感は、やがてロッテとの履行不能の愛情によって引きちぎられる。◇◆◆◇○人間を幸福にするものが、また人間の不幸の源になるということは、どういうことなのだろうか。いきいきとした自然にたいするぼくの胸の中のあの豊かな、あたたかな感情は、以前には、じつに多くの歓喜にぼくを満ち溢れさせ、周囲の世界を楽園につくり変えてくれたのに、今ではそれが耐え難い迫害者、苦しめ悩ます悪霊となって、どこまでもぼくにつきまとってくる。○無限の生命の舞台が、ぼくの目の前で、永遠に口を開いている底なしの墓穴に変わってしまったのだ。いっさいが過ぎていく。万物が電光の速さでころがり去り、そのつかのまの存在のもつ全ての力をまっとうすることもめったになく、変転の奔流の中に巻き込まれ、水底に沈められたり、岩につきあたってくだけてしまうのに、どうしてきみは、「これが存在する」といえるだろうか?◇◆◆◇このあたりの煩悶と自問自答は、まるで仏教の説話を読むようだ。しかしこうした心境の直接的原因となっているロッテとの関係に関しては、本質的な解決などはありえない。これは人間として生きる以上不可避の体験なのだ。だから人生はダイナミックなのではないか?こうした自然(神)との歓喜に満ちた合一と離断の繰り返しの波こそが「人生のテーマそのもの」という気がしてくる。こうした煩悶から、ゲーテは人間に対する洞察を絶え間なく生みだしていく。◇◆◆◇○人間というものは、どこでも同じようなものだ。たいていの人間は、ただ生きるだけのために大部分の時間をついやして、自由になる時間がほんの少しでも残っていると、かえって落ち着かなくなって、その自由な時間を振り捨てようとして、あらゆる手段を尽くすのだ。ああこれが人間の宿命というものなのだろう。○人間の一生は夢にすぎないことは、もう昔から多くの人の心に浮かんだことだが、この思いはぼくにもいつもつきまとっている。人間の行動力や探求力にはある制限があって、その限界の中に閉じ込められている。またあらゆるものの活動の目的とするところは種々の欲望を満足させることで、しかもその欲望たるやぼくたちの哀れな生存を引き伸ばそうとする以外の目的は持っていない。そして探求がある点まで達すると満足してしずまってしまうのは、自分が捕らわれている牢獄の四周の壁に、色とりどりの姿かたちや明るい希望を描いて見せることで、夢を見ながらあきらめてしまうにすぎないのだ。◆◇◇◆この愛情の桎梏に対しウェルテルは究極ともいえる最終結論を提出する。まさに圧巻。◆◇◇◆○ぼくは先に行きます。ぼくの父のところへ、つまりあなたの父のところへ行きます。そして父なる神に訴えるつもりです。父は、あなたがくるまで、ぼくを慰めてくれるでしょう。そしてあなたが来るときには、迎えに飛んでいって、あなたを抱いて、そばを離れずに無限の神のみ前で、永遠の抱擁を続けるでしょう。◆◇◇◆ここには、当時今よりずっと支配的であったと思われるキリスト教会の教えのステレオタイプが微塵も感じられない。もちろん、この世の生命という限界性を超えたところに成就させようとする愛のかたちは、それまでの文学にも表現されてきたことだが、理知性の権化でもあるウェルテルがこうした結論に到達したことに、ことさら主体的でそれゆえ普遍的な宗教性を感じ、思わず共鳴してしまうのである。◆◇◇◆次回はゲーテの実生活とこの物語を重ねあわせてみよう。いや、次回はラーメンの「たいらん」を紹介しよう。(仙台牛が当たるお得なキャンペーンはこちら。仙台の公的サイトですので安心です。)せんだい旅日和
Oct 22, 2006
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ナポレオンはこの物語を7回も読み返し、エジプト遠征のときにもピラミッドの下まで携行したといわれている。その例に倣って私も蔵王温泉堀久旅館の部屋にこの本を持ち込んだという訳だ。ツッコミどころその1か。ウェッツラールに赴任した気鋭の法務官ウェルテルは、フォルベルツハウゼンの狩猟館の舞踏会でシャルロッテと知り合い、「その魅力の糸に包み込まれ」てしまう。しかしロッテには、宮廷づとめの高官でウェルテルの友人でもあるケストナーという許婚者がいた(私はこの名前をみてドラマーのジム・ケルトナーを想起した、関係ないが)。ケストナーは、ウェルテルがロッテを度々訪問するのを疎ましく感じながら、彼への紳士的な態度を崩さない。またロッテは、ウェルテルの奔流のような愛情と才能に心から共鳴しつつも、生涯の伴侶として分別ある大人、ケストナーへの尊敬と愛情を、強い意志で保持し続ける。ウェルテルは、自らの恋慕の情のから回りに憔悴し、法務官の職を自ら投げ打つばかりか、ある日ロッテへの愛にも絶望し、ついには決定的な破滅を迎える。(ウェルテルの書簡より)「僕たち三人のうちひとりが去らなくてはならないのです。僕がそのひとりになろうというのです。」多くの人は、青年期に、溢れ返るような衝動に絶え間なく突き動かされたり、ひとつの考えのとりこになって、回りを見失うという経験をしているだろう。私も振り返ると、まったくそら恐ろしくなるようなことばかりしていた。今でも高校の同窓会に出ると、クラスメイトによく「おまえはあの頃、危なっかしかったなあ~」などと言われる。この高校はまた、ケストナーのような奴ばかり集まっていたのだが。当時、タガの外れていた私を滅ぼさなかったものは何だったのだろうと考えることがある。たぶん、核心をつく答えはこれだろう。才能のなさに助けられたのだ。ウェルテルは、おのれのありあまる能力と、それゆえの誇り、驕り、そしてそれゆえの精神の鋭利さ、それが彼の肉体を切り刻んだ。私には幸いなことに、そうした身を苛む能力がなかった・・・。そうに違いないのだ。さて話は急展開するが、あの「お口の恋人LOTTE」は、この物語のヒロイン、シャルロッテにちなむものである。知っておられましたね。いかん、書き方が書簡調に・・。次回は、この作品から、特に印象深いフレーズを紹介させていただく。次々回は、この作品を、ゲーテの実生活と重ねあわせてみよう。
Oct 10, 2006
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ポニーキャニオン 13デイズ~コレクターズエディション(2枚組)~核戦争が発生し人類が滅亡する時までの時間を比喩的に表現する「核時計」、それが最も「午前零時」に近づいたのが1962年10月14日から始まる「13DAYS」であったといわれる。 キューバを偵察中のアメリカU2機(ロックバンドではない)がソ連製の核弾頭ミサイルを発見したとの報告が大統領公邸に入った。発射されればワシントンD.C.を北限とするアメリカ南東部一円が、5分以内に壊滅する脅威が生まれたのだ。まさにいきなり咽元に突きつけられた匕首であった。それがオペレーショナル(制御可能)な状態に整備されるまで、あとわずか・・。こうした状況下におかれた時の大統領は、JOHN F KENEDY(BRUCE GREENWOOD)。 この映画は、ギリギリまで「国民の安全にとって最良の判断は何か」を見出そうと苦闘する大統領と、弟のRBERT KENEDY(STEVEN CULP)、そして親友にして特別補佐官のKENNY O'DONNEL(KEVIN COSTNER)のドラマである。 各省トップを召集しての会議では、軍部がこのときとばかりに、空爆についでのキューバ侵攻こそベスト・オプションであると力説する。 しかし事態はそうシンプルではない。東西間にはもうひとつの火薬庫が存在した。ベルリンである。 アメリカがキューバを叩けば、ベルリンで東西陣営が直接衝突し、核戦争へと進まざるを得なくなる。 ソ連の書記長、フルシショフも、決して戦争開始を望んでいるわけではなかった。 彼の目的はあくまで攻撃、侵攻に対する報復措置の確保。 キューバへの侵攻を阻止したという名目さえ立てば、国内政治的に問題がなければ、ミサイル撤去というカードは当然準備されていたのだった。 しかしアメリカの軍部は大統領からの委任の範囲で、ソ連への挑発を繰り返すのであった。 こういうときに最も重要なのは、「お互いの思惑に対する推測の正確さ」なのだ。 ひとつ間違えば、核戦争、人類滅亡。この局面では、むしろそちらに転がる可能性のほうがはるかに高かった。お互いに、相手の政治的立場や思考回路のクセまでをも読みながらの緻密なネゴシエーションが展開される・・。 ケネディだろうがオドネルだろうがマクナマラだろうが自分がもしこういう立場に立たされたら、絶対ダメ。倒れるかキレるか・・(笑)。 この映画のテーマは、「平和維持ということはきれいごとではない」ということ、「権力の座のハードさ」あたりだろうか。アメリカ人のメンタリティにも少し切り込んでいる感じもある。ところどころに出てくる「weak(弱い)」という言葉。これが一番言われたくない言葉のようだ。 脚本も、画面の迫力も演技も映画トーシロの私には申し分なく写ったのだが、マニアの方からみるとまた違うのだろうか。私はDVDをレンタルした後、コレクターズエディションを買ってしまった。 このエディションにはメイキングのみならず当事の政治・軍事情勢がわかるよう貴重なインタビューが紹介されている。 今、こうしてフツーに生活していることが奇跡のようなことなのかもしれない、と誰もが実感するだろう。<要チェックのセリフ>□ケネディ、空爆を肉薄する軍部と・・空軍エアフォース・チーフがケネディに詰め寄る。 You're in a pretty bad fix. あなたは窮地に立っているのですケネディはゆっくりと微笑みながら切り返す。 Maybe you haven't noticed you're in it with me. きみも一緒だが気がつかないようだね 私はこの場面ぞくっとした。こういう究極の場面でゆったりこう切り返せる大統領の頭脳と胆力に。□緊急事態を全米国民に訴えかける数分前。ケネディ: When I woke up,I just somehow I'd forgotten that all this had happened,you know? then of course I remembered,and,I just wished for a second somebody else was President. 目が覚めたとき、このことを忘れていた。もちろんすぐ思い出したが、そのときほんの一瞬、大統領が私でなかったら、と思ってしまったよ・・。 大事な場面を前に恐ろしくテンパっている大統領をみてオドネル補佐官はこりゃいかん!と察知したのだろう。別室にムリに引き入れ、大統領が自らを奮いたたせるようリードしていくのだ。 そこはDVDでチェックしましょう。□海上封鎖のニラメッコ局面で米海軍が挑発を始めた局面で、マクナマラのキレ様が凄い。おそらくこの映画でのハイライト。余談だがマクナマラ役のDYlan Bakerが終始、アメリカのトップエリートのスマート(頭がキレること)を体現していて、魅力たっぷりだ。 さてここでの名言。This isn't a block kade!This is a language-a new vocabulary which the world has never seen.This is President Kennedy communicating-with Secretary Khurushchev!何も分かってないなこれは「封鎖」ではない!「言語」なんだ!世界がこれまでに知らない語彙なんだ!これは大統領がフルシショフと会話しているんだよ!・・ああ痺れますね。□これもハイライトのひとつ。ロバート・ケネディが対戦開始前夜、一縷の望みをかけて中米大使に最後の交渉に挑む。ここでもロバート、かなりテンパっている。オドネル、またもや彼を元気づける言葉を。ロバート:I hate being called the brilliant one. the ruthuless one.The guy everybody's afraid of.I'm not so smart,you know? I'm not so ruthless.みんな僕のことを「頭のいいヤツ」と呼ぶ。「非情」ともね。みんな僕を恐れている。オドネル:Well,you're right about the smart part.There's nobody else I'd rather have going in the there than you.Nobody else I'd trust Hellen and the kids lives to.確かに頭はよくないな。しかし俺の家族の命を預けられるのはお前しかいないんだよ。この殺し文句・・。オドネル特別補佐官は、カウンセリングの名手でもあったに違いない。
Mar 12, 2006
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RIMOWAリモワSALSA・サルサ【85763:ブルー・66cm】一年に2~3回は海外出張する私にとって、このスーツケースは最高の相棒だ。容量が63リットルもあるのに重さはたったの3.3キロ。一週間もののケースに荷物を限界まで詰め込むと、ほとんどのスーツケースは「手が抜ける」くらい重くなり、空港内で移動など難儀するものだが、これは自重がうそっ!というくらい軽いので、実に楽チン。ポリカーボネイトという新素材でできているという。荷重をかけるとべこべこにへこむのだが、決して壊れず、もとの形にしゃんと戻るのだ。デザインもよく、私は空港の荷物受け取りのときに2回も女性に聞かれた。「これ、どこのメーカーのものですか?すごくオシャレなんですけど・・」と。いや~いい買い物したなあ。
Feb 18, 2006
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アルカージイ・・形式上の主人公。親友パザーロフに心酔する純真な若者。パザーロフ・・この小説の中心人物。ニヒリストの医学生。ニコライ・・アルカージイの父。パーヴェル・・ニコライのアルカージイの伯父。退役軍人。 ニコライ・ペトローヴィッチは二千町歩の領地を持つ富裕な地主。自慢の息子アルカージイが大学を卒業して里帰りするのを今か今かと待ちわびていました。 しかし息子に同行し逗留することになった親友パザーロフは「招かざる客」でした。 パザーロフは、全てを批評的に見る、ニヒリストの立場をとる医学生であり、農奴に土地を分け進歩的地主を自負していた父ニコライは、自分達がいかに時代遅れな田舎者であるかを彼からあからさまに指摘され、愕然とします。 また、純真な少年だった息子がパザーロフに心酔し、その思想的影響を受けていることにも失望を禁じ得ませんでした。 一方パザーロフもこの逗留で苦しみの種子を抱えました。 寡婦(古い言い方ですが・笑)オジンツーヴァへの愛情です。 一切の宗教、哲学、芸術を一笑に付し、全ての精神的自由を勝ち得ていた彼は思いがけない情動の出現に戸惑い、自己撞着に激しく苦悩します。 その姿は傍目には滑稽であるとも言えますが、ツルゲーネフは死の間際まで英雄的な戦いを続けた彼に、限りない共感の目を注ぎます。 「ニヒリスト」という言葉は、彼の創作によるもので、小説発表後、たちまちロシア全土に広まったといわれます。 彼が愛着を持って描いたパザーロフの存在は、しかし当時の青年インテリ層から非常に大きな反発を受けたといいます。 それは彼の類稀な精神力が社会の進歩改善への理想に向かうことがなく、そうした努力をも冷笑するのにとどまったからだといわれます。 この小説の素晴らしさは、最愛の息子が自分たちの世代の考え方を全否定する友人を連れてきて時代に取り残された悲哀を味わわされる、というプロットの中に、19世紀後半の新しい社会運動の中心となった新しい知識階級の青年達の先進性と危うさとを、極めて生き生きと描ききっていることでしょう。 私はこのパザーロフが嫌いではありません。 進学校だった高校の同級生に、こういうのがはいて捨てるほどいました。 私はどちらかというと彼に似ていたとおもいます。 今は・・ニコライ父さんになっていますが(笑)。 ここで印象に残ったフレーズをいくつか抜き出しておきましょう。 ○ニコライ・ペトローヴィッチは何か言いたそうにしながら、身を起こして 両手を開こうとした・・と、アルカージイがいきなりその首筋に飛びついた。 「いったいどうしたんだね?また抱き合っているのかね?」 こういうパーヴェル・ペトローヴィッチの声が二人の後から聞こえた。 この時この人が現れたのを、親子は同じ様に喜んだ。どんなに感動すべき場合でも、少しも早くそれを切り抜けたいような時が、ままあるものである。○(パーヴェル)「我々は旧時代の人間だから、プリンシープルなしには、お前のようにプリンシープルを信じることなしには、一足だって歩くこともできなければ、息をすることもできやしない。お前達はすっかり変わってしまったね」○十年の歳月はこうして花も実もなく、急にー恐ろしいほど急にたってしまった。ロシアほど早く時のたつところは、他にまたとないのだ。人の話によると、牢の中ではもっと早いそうである。○「まあ、わたしに恋ができないんですって?」と彼女は口を切った。「おぼつかないですね!しかし、僕がそれを不幸といったのは間違っていました。 それどころか、むしろそんな目にあったものこそ、憐れんでしかるべきなんですよ」「どんな目にあうんですの?」「恋することです」「それがあなたどうしておわかりになって?」「人の噂でね」とパザーロフは腹立しげに答えた。「お前さんは人をおもちゃにしてるんだ」と彼は考えた。「お前さんは退屈なものだから、 暇つぶしに人をからかってるんだ。ところがおれは・・」 実際、彼の心臓ははりさけそうであった。○「おい、アルカージイ・ニコラエヴィッチ」とパザーロフが叫んだ。 「たった一つだけお願いがある、美辞麗句だけはよしてくれ」
Feb 18, 2006
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