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会社で使っているパソコンを移動しているのですが、結構面倒くさい。ネットワークが繋がっているので、まぁ新規に設定して、なにかにかにかにする程ではないんですが、通常の仕事に使っているパソコンなので、移す内容が日々、少しずつ増えていくんです。合間にだーっと移せばいいんだけど、段取り悪くってですね…。今日に至りました。ほぼ、今までどおり、新しいパソコンで作業が出来そうです。なんだかんだで1週間以上かかったような気がします。もっとかな…。新しいパソコンは液晶画面なので、とっても画像がきれいに見えます。キーボードも打ちやすいっ!あー一度知っちゃうと、以前のには戻れそうも無いですね…。また落ち着いて日記を書いていこうと思っております。よろしくです。
2005.01.31
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週末、ろくを連れて車で移動していた時の話し。いつもは後部座席に乗せて移動してるんですが、その時は助手席に乗せておりました。ちょっと気になって、信号で止まる度にのぞき込んでたんだけど、段々ふるえ始めたんです。うわぁ、もうちょっとだからねと思って前見て車ちょっと進めてまた見たら、今度は足を痙攣させてたんです!もー、頭の中真っ白で、取りあえず左の車線に入って車止めなきゃ、ってウインカーぱかぱか鳴らしてハンドル切ったら、ぱーーーーってクラクションが。後ろ全然確認してませんでした。すぐにハンドル戻して走ってたんだけど、行けども行けども車止められそうな場所になりません。もう少しで家に着く場所だったので、とにかく家まで走って、いつものケージに戻してやったら、けろっとしてました。ふんふーん、ってなもんです。その後も全く変化無し。この話を連れあいにしたところ、あいつはびくびくする振りをしてるが、本当の所、全然気にしていないぞと。あいつの行動に、騙されちゃいけないぞと。単に気を引こうとしているだけだ、とも。ろくは思春期の子どもなのかぁ?ま、変な事にならなくてよかったんだけど、車の乗せ方、考えなくっちゃいけないですな。
2005.01.25
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昨日の話し、父からメールが来まして。印刷屋さんは原画をパソコンで加工して使う、というのはやりたくない、原画をよく見ると黄緑色なので、きちんと製版すれば黄色にはならないように思うとの事で、原画はそのままで、再度印刷してもらうと言う事になりそう。原画を勝手に加工したくない、という印刷屋さんの気持ち、うれしいし、でも、もっともだとも思ったんだけど、今回の件以降、顔を合わせる度に、父に『ほんとに、ごめんね』と言われ、正直私が悪い事をしているような気分になってきちゃって、なんかですねぇ~。メールでのやり取りだけでは、色についての話はできないんだなぁと、しみじみ思いました。ま、顔を合わせて話したとしても、色については難しいと思うけどね。父ちゃん、ごめんよ。仲直りしましょう。これから返事のメールを書きまする。
2005.01.21
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父に頼まれて、去年までに何枚か絵を書いています。本を自費出版するんだそう。表紙は、10年以上前に水彩で書いたのものを使うんだそう。原稿含めて、もう印刷屋に渡してあるので、とにかく、忘れていました。それを急に、それもその10年以上前に書いた絵を修正してほしいと言うんです。ちょっと待ってくれと。印刷するにあたって、送られてきた表紙の色が黄色っぽかったのが発端。印刷屋は、修正できないと言っているそう。だから、もともとの絵を修正すればええんでないの、と父の発想。上から色つければ澄むんでないの、とお考えのよう。水彩の絵です。色の塗りなおしなんて、考えられない。それもかなり時間が経っているもので。というか、その絵はその時にしか描けない絵で、私もそれなりに気に入っていたもの。それを簡単に、修正してくれと。ちょっと勘弁して欲しい。だったらもう一度新しく絵を描きなおす、と言いたい所なんだけど、時間的にちょっと無理。本当に無理。一度出来上がったものに、その時間にしかできないものに、手を加える事への抵抗感。でも、結局、やることになってしまいました。ああああ・・・
2005.01.20
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ろくのこと。去年の年末、ろくにかまくらを買ってやったんです。前の冬にお店で見つけて、でもいざ買おうとしたら売り切れで、それ以降ずっと欲しくて、でもばかばかしい大きさなので迷って迷って、季節が過ぎて、やっとめぐりあったかなり思い入れが強いかまくらです。本当にばかばかしい大きさです。ケージの床面積、7割近くを占めてます。最初、あんまり中でゆっくりしてませんでした。たまに入る程度。大体は外で寝てたり、結構トイレの上でぼーっとしてたりしてまして。やっぱし、どかした方がいいのかなぁと思ってたんですが。年明け、すこし家を空けていたあいだに、かまくら、自分で貫通させてました。よっぽど気に入らなかったのかなぁと思ったんだけど、それ以降、かなり中にいる事が多くなりました。ってことは、奴にしてみれば、完全に閉じられた空間は安心出来なかった、という事のよう。あーそう言う事だったんだーと思ったです。考えてもみなかったです。そういや、うさぎにしてみたら安心できないもんね。隠れられる場所って、すぐに逃げ出せる場所である必要もあったわけです。ふむふむ。
2005.01.14
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新年とっくにあけまして、おめでとうございます。今年は年明けから濃厚な日々を過ごしてまして、こちらに書くのも滞っておりました。いやー、まだ今年に入ってから11日しか経ってないんだよねぇ。もう半年ぐらい経ってる気分ですわ。こないだの週末のが決定的でした。以下、結構長いです。時間がある時にでもお読みください。友だちのお誘いで、かなり本格的なお茶会に参加してきました。私とその友だち以外は、皆さんお着物の面々。いろいろあったんですが、ここからがメインで。えー、お茶会終了後、私は倒れてしまいました。あの、よく小学校とかの朝礼でなるみたいな感じで。写真撮影の最中だったんだけど、取りあえず、朦朧としながら写真にだけは写ってました。その後、友だちが介抱してくれて、ガスストーブの前に横になって休んでいたら、奧の方でどすんという音が。今度は友だちも倒れてしまったんです。痙攣していたとかしていないとか。後ろでは救急車を呼ぶ声が。彼女、ずっと吐いているんです。彼女の背中をさすりながら、私もけっこう朦朧としてて、横で寝てました。救急車が到着してから、病院に着くまでが長い事長い事。そこはちょっとした山奥にある山荘だったので、交通の便が悪いというのと、患者が1人の予定が私も運ばれると言う事で、2人になったりなんだりで搬送先を探すのにも時間が掛かりでなんだりで。車中、付き添いで来てくれた人も吐き出す始末でした。原因は一酸化炭素中毒だったそうです。私はその日の夜に戻れましたが、友だちはそのまま入院。はははは…。なんかすんごいお茶会です。で、ここからがえーっと書いてしまっていいのでしょうか、って書いてしまうんだけど、あの、人間性ってものをしみじみと実感しました。とってもきれいに着物を着こなした方々は、その事件の最中、倒れている私達をそのままに、帰ってしまったんです。残ったのは私と友だちと、先生とその先生の妹さん。妹さんは救急車に同乗して、そして車中で吐いていた方です。とにかく私たちを気遣ってくれていました。先生はと言うと…どうも私たちが初釜(年初めのお茶会をそう言うんだそう)を台無しにしてしまったので、あんまりご機嫌がよろしくありませんでした。別に怒ってたとかそういうんじゃ無いんだけど、何か、初釜台無しにしてくれちゃって、という雰囲気。で、その日はそのまま山荘に泊まったんですが、次の日のお昼に、その山荘の持ち主が来たんです。その人医者でした。本来はお茶会に来るべき立場だったそうなのですが、ご都合で来られなかったと。で、先生様は私のテリトリーでなんて事をしてくれたんだと。そう言わんばかりの態度で接してくれまして。私は一刻も早く片づけて病院に向かいたいのに、裏の畑の野菜を持って行けと。収穫してこいと。電車で来た人に向かってそう言うわけです。横ではお茶の先生が、もらって行きなさい、そうしなさいと。入院してる友達の立場を考えると、従わざるを得なくて、野菜を収穫してきました。どうもその医者にしてみたら、単に畑の整理がしたかったようで。その畑の野菜、ほとんどを収穫するはめになりました。それ全部持って帰れと言われた量、はんぱじゃありません。あんまりな対応に頭に血が登って、何にも考えられなくなった所に、先生の妹さんが、もって帰れる分だけ、もらいましょうねと言ってくれて、はっとわれに返り、ろくの分だけ野菜を取り分けて、後はそのまま残しておきました。山荘から病院まではかなり離れていて、タクシーと電車を乗りついで行くのですが、お車でいらした医者先生、どうも自分の車で私たちを送って行く様子は無いんです。タクシーを呼んで、病院に向かうことにしました。山荘を出る際、医者様は2階から顔を出して、見送って下さいまして。お茶の先生も1階の部屋の奧から顔を出して、見送って下さいました。この怒りをどうしたものかと思って、妹さんに、先生(医者)とはいつからのお付き合いなのか聞いたら、かなり昔からの付き合いだ、とのこと。何も言わない事にしました。病院に着いて、無事退院できた友だちと帰りの車中、ふたりだけになってから、また、先生(医者)とはいつからのお付き合いなのか聞いたら、かなり昔からの付き合いだ、とのこと。何も言わない事にしました。でも、すぐその後に、何で先生達は来なかったのかと彼女が話し始めたものだから、これまでの思いを全部話して話して話しまくりました。いったいあのお茶会とは何だったのだと。別に中毒事件を起こした事がどうと言う訳じゃなくって、どう考えても、その後の対応があんまりにもひどすぎました。お茶の精神なんて、こんなものなのでしょうか。ただ、形だけきれいにしていただけです。彼らにとってみれば、私たちは着物も来ていかなかったし、作法はなっていないし、おまけに大事な初釜を台無しにしてしまった無作法・無知な素人です。でも、大事な事ってそんな事なんでしょうか。こんな人もいるんだと、それもこんな人がほとんどなのかもしれないと感じさせられたお茶会でした。もっとその他いろいろ書きたいのですが、こんな感じでありました。今は元気に仕事しています。入院していた友達も、元気にやっております。ものすごい、教訓みたいなものを得た気がしたお茶会でした。
2005.01.11
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