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Complètement cramé! と言うタイトルの表紙の猫に引かれて何も考えず買ってしまった本。期待の猫物語りとはあまり関係なかったけれども軽く痛快なタッチの小説で充分に楽しめた本だった。タイトルを日本語にそのまま訳すなら「真っ黒焦げ」。物語の中では「頭が完璧にいかれてる、狂ってる、尋常じゃない」の意味で使われている。Complètementは「完璧に、全くもって」の意味があり、 cramé は「焼け焦げた」ケーキや炒め物などが焼け焦げてしまった時に cramé を使う。Lassé de tout, Andrew Blake quitte l'Angleterre et se fait embaucher comme majordome en France, au Domaine de Beauvillier.主人公は人生に疲れた富裕なイギリス人アンドリュー・ブレイクが友人に勧められるまま、と、あるフランスの古い貴族の邸宅 Domaine de Beauvillier の執事として働いてみることになる。頑固者たちの可笑しな物語。この表紙の猫を見ると大真面目な顔で面白おかしく語るフランス人の知人をつい思い出してしまう。
2015.12.14
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さて、あるウエブサイトで読んでしまった和訳には椅子からころげ落ちそうになった。それはこのフランス語。l’Orient m’est indifférent,普通に意味を読み取れば、「私は東洋に関心はない」「無関心である」「気にならない」それを「オリエント(東洋)は私に対して冷淡(無関心)である」と訳した人がいた。これが正しいとしたら、今まで私が理解していたフランス語は何だったのお、とドキドキしたくらいの衝撃的な解釈。Je ne regarde pas amoureusement vers une essence orientale, l’Orient m’est indifférent,il me fournit simplement une réserve de traits dont la mise en batterie, le jeu inventé, me permettent de « flatter » l’idée d’un système symbolique inouï, entièrement dépris du nôtre.Je ne regarde pas amoureusement vers une essence orientale,「東洋の本質に迫ろうと熱狂的に見つめているわけではなく」彼の意図は別のところにある。「私は東洋に関心を示しているわけではない」と続く方が自然だと思う。日本を訪れてフランスとは異質の文化に触れるフランス人の新鮮な驚きはそのまま「記号」あるいは「象徴」という視点で語られる。ここでは「私は特に東洋に関心を持っているわけではないが」というくらいの感覚で、東洋と西洋がどうのこうのを論じるつもりはないくらいの感覚ではないかと思う。この文章はウエブサイト翻訳論その他(http://d.hatena.ne.jp/nakaii/20111106/1320561275)で紹介されている。で、紹介した人も「え?」と書いているが、この淡白な「え?」にどれだけ救われたかはわからない。この「え?」で救ってくれた人はフランス語翻訳者、中井秀明氏である。興味のある人は(http://d.hatena.ne.jp/nakaii/20111106/1320561275)で中井氏の説明をじっくり読んでみることをお勧めします。私が何故心臓をドキドキさせたかというと、たとえば、日常生活の中のフランス語でCela m'est indifférent の同義語でça m'est égal があり、これも「どちらでも同じです、どちらでもいいです、気にしません」という意味で使う。夜行バスと夜行列車、どれで行きたい、と聞かれて ça m'est égalと返事をもらったら、あ、どっちでもいいんだ、場合によっては、どうでもいいんだね、ということにもなる。ça m'est égal は場合によっては「もう、どうでもいいわ、どっちでも」みたいな投げやりなしらけているイメージを与えるリスクもあるので、このセリフを一個だけポツンと使わないほうはいいような気はする。ま、イントネーションにもよるとは思う。それで、極、自然にl’Orient m’est indifférent は「東洋は私に無関心だ」とは決してならないのでは、と。「東洋は私に無関心だ」と言いたいなら、次のようになると思うのだ。l'Orient ne s'intéresse pas à moi.l'Orient est indifférent avec moi.次の例文を見て欲しい。Mon copain est indifférent avec moi. 「彼は私のことは何とも思ってないの」Mon copain est indifférent à moi. 「彼は私のことは何とも思っていないの」Mon copain est indifférent à ma souffrance. 「彼は私が苦しんでも気にもとめてくれない」Mon copain m'est indifférent. 「私は彼のことは何とも思ってないの」(私にとって彼は気にならない存在)(ちなみに Mon copain モンコパン は「友達」の意味で使うことが多い。 相手が女の子で「私の友達」なら、ma copine マ・コピン)à moi と m’ (=me) を同じ意味で使える場合もあるが、上の文例のように反対の意味になる場合もある。この違いはどうして?と聞かれても、うまく説明する自信はない。違いの感覚を把握できるように、日常生活で結構出てくる 文例にいくつか慣れてくると感覚は掴めるんじゃないかと思う。動詞にもよるだろうし。Il m’est impossible de lui dire cela. 彼にそんなことを言うなんて私にはできません。Il est impossible pour moi de lui dire cela 彼にそんなことを言うなんて私にはできません。Je te parle, je parle à toi. 君に話しているんだ。Ça n'arrive qu'à moi ! それは自分にしか起こらない。 → いつも私ばかりこんな目に。Cela m’arrive d’oublier qui je suis. 自分が誰だか忘れることがある。me 1人称の間接目的語「~に」(le pronom personnel COD ou COI)moi 人称代名詞間接目的語 (le pronom personnel en forme tonique)l’Orient m’est indifférent はフランスの哲学者ロラン・バルトRoland Barthes (1915-1980) が日本を訪れた後で書いた著書 L’Empire des signes の抜粋文章だった。Mona Chollet という人がこの著者と本について言及している。http://www.peripheries.net/article234.htmlこれを読むと、ロラン・バルトは日本のことをとりわけ研究したとか、よく知っているわけでもない。特別に東洋の本質とか何か、と追求しようとしているのではない。日本を体験し、「東洋とは」と論理的に解釈し、その謎めいた様をわかりやすく解釈してみせようとしているわけではない。それがこの著書の意図するところではない、ということを単に伝えている文ではないかと思う。彼の意図は「記号論」などの別の視点にあるだろうし、それだけのお断りとしての文だと思う。 Je ne regarde pas amoureusement vers une essence orientale, l'Orient m'est indifférent,この文章はそういう意味合いを含む文章ではないかと思う。とはいえ、ロラン・バルトは日本の文化に魅了された人ではあったようだ。日本にきても聞こえてくる日本語はわからない、彼はそういう状況をもまた楽しんでいたようである。日本で見たパチンコ、料理、俳句という短い詩、劇場などなど1960年代後半の日本が描写されている彼の本は日本に行ってみようかなというフランス人におススメの著書にもなっているらしい。勿論、ガイドブックとしてではないだろう。Je ne regarde pas amoureusement vers une essence orientale, l’Orient m’est indifférent,il me fournit simplement une réserve de traits dont la mise en batterie, le jeu inventé, me permettent de « flatter » l’idée d’un système symbolique inouï, entièrement dépris du nôtre.le jeu inventé もあまり難しく考えることはなくて、日本に固有の、少なくともフランスでは見られないパチンコなんかもゲームのことを指していただけかも知れないとは思うものの、これも「意味論」「記号論」の何かを仄めかす言葉かも知れない。la mise en batterie もまた同じように特に哲学の専門家でもないのでよくわからない。それとも、単に日本で見た全学連とか何かのエネルギーの充満をほのめかしているのか。ロラン・バルトも日本語がわからないから、勘違いの描写があるかもしれないし。日本でマスクをしているのは日本の空気が汚染されているからだと物知り顔で語るフランス人が短期旅行から戻って語っていたみたいに。さてロラン・バルトの「記号の国」がどういう内容の本であるかは「横丁カフェ」で幸恵子さんが書いている。http://www.webdoku.jp/cafe/yuki/20130425114225.htmlさて、それにしても、正々堂々とロラン・バルトはむしろこういいたかった、と言い切った翻訳のお陰でこうして見直すことができた。面白い、と見てそれが勉強になればいい。それにしても、フランス語が原作なのに、一度英語に訳された文章から日本語に訳される書物が出ているという。これはやっぱり翻訳ミス、解釈ミスのリスクが倍増するのではないか。英訳文を参考にするのはいいとしても。できれば、原文で読んでわかるのがいい。
2015.12.11
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「趣味は壁に張り付くこと」?一瞬、意味を読み取ろうと頭の中で考える。猫が壁に頭をくっつけて眠る姿をユーチューブで見て和んだことがある。あれかしら。それは和訳翻訳だった。Her hobby is to stick things to the wall.なあんだ、壁に物を貼るのが趣味って。昔は、「最近、自分の日本語がやばい」と言う人に奇妙な憧れがあった。ところが最近、自分で訳した日本語の文章を読んでから、そんな憧れなどは消えた。この間、練習で訳した自分の和訳を一息入れてから読み直したところ、あまりのすごさについ爆笑。笑いながら落ち込んだ。とっても日本人の書いた文章とは思えず。そういう時に上記の翻訳に出会って、つい気を取り戻した。翻訳は楽しい。
2015.12.10
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フランス語は難しい。文法は勉強しても、どこかで小さなミスが入りやすい。潔癖症に自ずとなるので、自分はひょっとしたら「だらしない」のでは、と思う人には性格改善にもなります。いやあ、頑張れ。美しく細かい柄の着物を創る日本だ。いつかは何とかなる。さて、そんなわけで明けても暮れてもフランス語を勉強しているあなた、たまにはフランス映画でも観て息抜きでもしましょう。息抜きをしよう、か。これを英語だとlet's take a breather, let's take a restフランス語なら on va faire une pause(une petite pause,un break) on va se reposer un peuという感じ。仕事の合間にコーヒー一杯の息抜きはポーズ・カフェだもんね。pause café昔、あるフランス人の同僚が、一日の職場での時間割を書いた。ユーモアたっぷり、pause café の多い時間割で、自動販売機のある部屋に張った。上司に見つかって当然の如くはがされてしまった。面白かったのにね。残念。最近、プチ・二コラの映画を観た。Les Vacances du petit Nicolas もう何年か前の映画。二コラを演じる少年がとってもハンサムくん。親を演じる役者たちもフランス映画にはなくてはならない俳優たち。母親を演じる女優はもともと喜劇路線の王女。彼女をみるだけで若い時のビートたけしを見るようについ笑いがこみあげてくる。プチ・ニコラはもともとさっぱり味のイラスト付の物語で小学生が読むような本だけれど、たぶん、フランス語学習の初級者にはまだ難しいのではないだろうか。自分はさっぱりわからなかった。パリのメトロで、大人が真剣に読み取ろうと苦戦していたら、横に座っていたハンサムなフランス人の青年が笑いをこえらながら私の顔を覗き込んだことがあった。珍人よね、もう。もう何十年も前のことなのに、恥ずかしかったのでよく覚えている。それでも学習を進める内、と言っても、超真面目で美人のオーストリア人の友人と怒ると怖いフランス人の先生のお陰で、なんとか続けた勉強だったが、その内、プチ・二コラの物語がわかるようになっていた。その時、笑わせてくれた物語は「プチ・二コラの夏休み」最高に笑った。内容はだから、ここではばらしたくない。日本語でも訳されていると思うから興味があったら、読んでほしい。今、日本は冬で、季節からずれてはいるけれど。野菜じゃないし。大学のフランス語科に置いてないかなあ。日本語版は安いけれど、フランス語原作版は結構してる。
2015.12.10
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