全5件 (5件中 1-5件目)
1
文明は消えてゆく。どの文明も。が、最近、パリから人口が減っているのはいい兆候だ。と、ユーチューブのインタビュー番組で微生物学者のディディエ・ラウルト氏が語っていた。どの文明も消えてゆく、そりゃ大変だ、とつい思い、なぜ、そうなるんだろうかと考えてみた。いろんな遺跡が世の中にあり、そこにかつて町や道路があったのに、何故、それが続かなかったのか。なああんて。まあ、自然災害で消滅してしまう場合もあるだろうし。都会にだけ生きていると多くの人の中にいるから、しかも都会にはほんとうにいろんな人がいろんなことをしているので、いろんな世界とつながっていると錯覚しかねない。とはいえ、錯覚は人間は与えられた環境でそれぞれの錯覚を抱いている気がする。なんというか、大自然と隔離されて生きていくといずれ数世紀の間に消えてゆく、ということもあるんだろうか。例えばの話し。野菜や果物がどんなふうに育つのかを知らずに野菜や果物を買う。カフェに入り、遠い国で栽培されたコーヒー豆のコーヒーを飲む。どの国で採れた綿でどの国で裁縫されたかあまり知らずに衣服を買う。フランスや日本の田舎でほぼ完璧に自給自足で生活をする家族がいるユーチューブ番組を観ると憧れてしまう。その一方で、自分には無理そうだと思ってしまう。まともな日常生活に辿り着くまでに苦戦したこともあるんだろうなあ、と思ってしまう。意外にその苦戦過程を楽しんでいた可能性はあるかもしれない。フランスのパトリック・バロネという人は奥さんと二人で、いや家族で電気もお湯も知恵で太陽光パネルや薪ストーブでまかなう。なので、電気代と水道代は30年間払ったことはないそうだ。知恵というか知識がなければできない。彼の家族は冷蔵庫も冷凍庫もなし。飲み水も自給自足。ミネラルウオーターの国フランスで。さて、先の自給自足フランス人家庭の話しに戻る。もしかして掃除機もないんだろうか。掃除機がないのはつらい。一応、自給自足の電気はあるみたいなので、ひょっとすると掃除機はあるかもしれない。蓄電できるコードレスの掃除機なんか使えそう。自動アシスト自転車も動かせる可能性はある。何しろ、インターネットができる環境はすでにあるみたい。トイレはおそらく乾式で、肥料に還元。と、いうことは最近、フランスでもボチボチと流行りだしたウオッシュレット式トイレはないだろう。ウオッシュレットはどうも日本での体験が忘れられない人たちが使い始めてるみたい。自給自足のフランス人の人の家は古い石造りの家をリノベしたもの。屋根を家族で直したみたい。あと、参加して体験するという仕組みで藁を摘んで壁にする家もいろんな人と作ったり。自給自足の著書も書いていらした。なんだかんだ言っても、固定資産税は支払わなくてはいけないわけだし、鍋とか服とかも購入もするだろうし。その点はちゃんと自分の知恵と知識を宿泊体験として分かち合うことでも収入を得てらしたみたい。話しはちょっと飛んでしまうけれど、我が家では、中古で夫が購入した薪ストーヴがあったのだけれど、別の場所に移動されてしまったので、煮込み料理に使用できなくなった。ならば、せめて、このフランスで日本製の火鉢がほしい、と思い、ネット検索するけれど、あの日本の懐かしい火鉢が見つからない。かまど という名称の高額な金属製のかまどがフランスでは売られている。7月初旬に古い暖炉のリノベ工事をしてもらい、以前より暖まるんだけど、室内で、薪でお湯がわかせなくなっちゃって。フランスにはキュイジヌエール cuisinière と呼ばれる薪ストーヴがある。これで煮込み、炒め料理、なんならオーヴンもついているので、薪さえあれば、電気代を使わなくても料理ができる。ニュージーランドのユーチューブ番組で紹介されていた薪ストーヴが愛らしくて憧れる。Homewood stoves というサイト。薪はあるからなあ、と。体力さえ許せば。そちらには限りがあるものの。その辺の森に落ちているのをえっちらおっちらと運んだり。結構、木が倒れている。嵐の時に根っこごと倒れたものが結構ある。晩秋に台風顔負けの嵐がやってくることがあったので、その時とか、あとは岩の上に根っこを下ろした木々が倒れていく。川から岸辺に辿り着く流木を拾う手もあるので、薪に困ることはなさそう。
September 26, 2024
コメント(0)
久しぶりに日本に住む姉と電話で話をした。姉はよく気晴らしにカフェに行くという話を聞く。衛生パスとかそういうものなしで行けるんだね、と。いいなあ、日本は、とつい思ってしまう。フランスで衛生パスなしで最後にレストランで食事したのは、今年2021年の7月くらいだったかなあ。南仏エックス市内で大木のそばに噴水のある場所にお洒落にテーブルが出されて。何故か、日本的な献立で、「たたき」というメニューを注文すると、三角おにぎりが上品に皿に出たりして。そんなことが嬉しかったりして。晩秋のノルマンディから戻り、南仏エックスの街からそう遠くはない町 Pourcieux に Le Hinata とアルファベットで書かれたお寿司のお店の看板を見かけたけれど、南仏エックスは特に日本料理店がブームになっているんだろうか。そのエックスから車でおそらく一時間半ほど離れているコティニャック Cotignac と言う魅力的な小さな町がある。その町にある不動産屋さんのガラス窓には、あの東北大震災の際、日本を応援する言葉を載せた紙が貼られていて、感動したものだった。また同じ町には日本で仕入れた日本的な服やアクセサリーを売るお店もあったり。この Cotignac には「オー・シャンゼリゼ」の歌で有名なジョー・ダッサンが晩年住んだこともあるそうだ。地元の蜂蜜屋さんもあって、おいしいラベンダーハチミツも売っている。お洒落なレストランも並んでいる。はあ、レストラン。フランスでは、2021年8月9日からカフェやレストランのテラスに至るまで、衛生パスを提出しないと入店禁止という方策が出されている。なので、エックス市内をふらっと歩く時、衛生パスのない私は、お腹がすくと、ちょっとお洒落で清潔感のある寿司ショップに行って、お持ち帰りを買う。この寿司ショップの店員さんたちも感じがいい。自分の好きなケーキとお茶を出すお店には行けなくなってしまったけれど。お持ち帰りで購入はできるのが救い。フランスでは最近、夫は同僚たちとレストランで食事会。25ユーロを若干超える検査費用、日本円で2600円前後として、そういう金額を払って、24時間有効の陰性証明書を衛生パスとして持ってレストランに行ったそうだ。フランスの衛生パスは2022年の夏まで続くと聞いている。南仏エックスオンプロヴォンス市内のミラボー通り Le cours Mirabeau SUSHISHOP 寿司ショップはこの近くの通りにある。
December 12, 2021
コメント(0)
昔パリに通算11年ほど住み、それからパリを少し北上した町ヴェルノン、あのモネのアトリエで知られる村の近くに住んだ時、フランス語そのものが自分にはまったく違和感がなかったが、ちょっぴりパリのフランス語とは違うそうである。イントネーションがやや違うとか。面白かったのは、語学学校で知り合ったシカゴ出身の友人がパリ市内の中華店に誘ってくれた時。彼女は、この店、見た目汚いけど、味が抜群なのよ、と。友人はアメリカ人にしては珍しく英語訛りのないフランス語を話していた。ご先祖様にギリシャ人と言った彼女、そう言えば、端正な顔立ちがギリシャ彫刻そのもの。おばあちゃんは、泣く職業の人だったのよ、と。え?と聞き返すと、ギリシャで人が亡くなると泣く職業の人がいてね、と説明してくれた。そんなふうにいろんな話をしていたら、すぐ隣にいたフランス人の男性が友人に、「あなた、ブルターニュに住んでいる?」「ええ、そうですよ」と友人。彼は嬉しそうな顔をして「ブルターニュの訛りが少し入っていたので、やはり、そうですか。僕はブルターニュの人間だから、そうかなあ、と思いまして」自分には全くその差がわからなかった。ただ、一つ一つきちんと言葉を発する彼女のフランス語はとてもわかりやすいなあ、と思うばかり。が、そんな私でも、一度ラジオから流れたジャック・ブレルを歌う人の発音があまりにすさまじかったので、当時恋人の夫に、「これ、ひどいね。ブレルのパロディでしょ」と話したら、「いや、どこか地方の人が歌っているんだろう」と。南仏のフランス語は独特だということは映画でもやや理解はしていた。マルセル・パニョルの白黒映画 Marius だったか、息子がビストロの親父さんにセリフをバカにされるようなシーンがある。とても微妙だが、夫が言うには、あれは南仏に生まれた青年を演じる役者が実はパリジャンで、うまく南仏語が話せないから、生粋の南仏親父がどうしても南仏訛りで単語が言えない息子役に頭にきているハプニングシーンだなあ、と。南仏の生粋の南仏フランス語は発音が独特で、多少違う。イントネーションも若干違う。ちょっぴりイタリア語のような音楽的な抑揚があるのと、単語の発音も独特。世界史の工業地帯で知られたリールなどの北フランスに行くと、シュティというまた独特の言語がある。この言語で書かれたマンガは、まったく理解できなかった。2008 映画にもでてきた。爆笑映画 Bienvenue chez les ch'tis 「シュティにようこそ」はダニー・ブーンというお笑い芸人が見事な北フランスの言語を話しているが、当然、誇張もあるだろうとは思う。
April 9, 2020
コメント(0)
ゴーン氏の話しを動画で聞きました。全部ではありませんが。動画で、もう日本語の同時通訳でも聞けますね。動画ライブで、発言が始まった時に出てきたコメントの「マフィア」の書き込みが続き、カルロスは、日本で忍術を習ったんだよ、とフランス語で書いているコメントもあり、不謹慎ながら笑ってしまいました。ゴーン氏は、これまで溜めていたものをすべて出し切るような勢いでした。告発をしろ、とばかり言われ続けた話をしています。「私は17年も日産に貢献したのに、日本も日本人も大好きで、子供たちも日本で育ち、(保釈中に)レストランや映画に行くと、人々は親切にしてくれました。私は日本人が好きです。私は日本が大好きなのに、メディアは何故私を冷酷で貪欲で独裁者のイメージばかり貼り付けるのですか。何故、私はまるで誰かを傷つけようとするテロリストのように扱かわれなくてはいけないのですか」と熱く語った時は、彼が映画の孤島のキングコングにすら見えてきました。あの映画はすごく悲しいのです。誰にも理解されないキングコング。ゴーン氏は、日本の独房で、自分は命を落とした人間のようだった、と。「裁判はいつ始まるのか、と弁護士に聞けば、下手すると5年かかることもある、と言われました。その間、自分はこうして家族からも離れて独房でずっと孤立し、毎日、自白をしろ、と言われ続けるのか、これは私をそうして徐々に抜け殻にしていくためか、と」ほんとうに裁判まで5年も待たされる可能性はあったのでしょうか。ゴーン氏はおそらく日本語は話さないのでしょうか。言葉のわからない国、法律的な文書の読み書きができない国にいると、独房に入れられなくても、不安に駆られる孤独な瞬間はあります。それは結構奥深い不安感です。ま、人にもよると思いますが。「私は日産ルノーの社長を辞任したとメディアは言ったが、私は自ら辞任をしたことはない、私は独房に入れられたので、辞職し、退職をすることになりました。ルノー日産に対して、日産に対して、訴訟をする予定です。それは誰かを攻撃したりするためではなく、自分の尊厳を守るためです」日本の報道陣にも質問をさせ、できるだけ様々な国の報道陣にマイクを向けるようにしていました。「私が日本を抜け出したのは、日本では発言の機会を与えてもらえず、9ヵ月かかっても裁判が行われず、容疑者と言う立場でまだ犯罪者というわけではないのに、なぜ家族や友人にも会えないのか、まるで自分は拘置所の中で孤立した人として魂のないモノのように扱われた気がしました」「私も一人の人間です」と一番伝えたかったのではないか、と思います。フランスの報道者は彼の劇的な発表にワンクッションを置いて割に冷静な印象です。フランスもやや懐疑的にゴーン氏の報酬額に疑問を投げかけてきたからでしょう。フランス24 の報道者がレバノンで数週間に及びレバノンの国の腐敗に反対し、デモを行ってきた二人の男性にインタビューをしていました。レバノン人の男性は、ゴーン氏はマフィアがやるように日本を逃亡した、と語り、ゴーン氏がここにいることはレバノン人にとって侮辱であり、ゴーン氏は日本の権限下で、日本で裁かれるべきです、と答えていました。もう一人の男性は、我々はレバノンの腐敗と闘ってきた。泥棒行為をした者は全員裁きを受けなくてはいけない。もし、彼(ゴーン氏)が罪を犯したのなら、裁かれなくてはいけない。もしかすると、彼はすべての人間から見放されてしまうこともあるかも知れない。しかし、無実とわかったなら、彼は受け入れられるだろう。 さて、すべてはまたこれからなのでしょう。
January 9, 2020
コメント(0)
五木寛之という小説家が言ったらしい言葉に何故かハッとさせられることがある。年をとって歯が欠けても長生きしている人はいるんじゃないの、とか断捨離と言うけれど、手紙や本を大事にとっておいて年をとってから眺めるのも楽しいことではないか、とか。私は日本からフランスに一緒に持ってきたかった本がたくさんあった。日仏間を引っ越しするたびに一緒に旅行した日仏大辞書もある。また、いつか日本に戻って暮らすこともあるかも知れない、だから、本の数を抑えておこうと思ったりもした。高校生の時に読んだ源氏物語、歴史の文庫本や萩原朔太郎など高校の教科書に載っていそうな日本人の詩人の本などもほんとうは持ってきたかった。梅原猛の本も持ってきたかった。渡部昇一の「知的生活のすすめ」も大好きだった。ほかには、クセジュから出ていた「印象派主義」の本。今は絶版なのだろう。実はパリ大でその本の著者である教授にサインをいただいたことがある。その方の講義のあとで、「実は日本語に訳された本を読みました、せひサインをください」とお願いしたら、先生は嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑ってくださったそんな良い思い出がある。でもサインの入ったその貴重な本は4度目に渡仏した時、日本に置いてきてしまった。フランスに持ってきた本はやはり高階秀爾の「名画を見る眼」。絵の構造がどうである、というような絵画技術について書かれた本ではない。 ファン・アイクやダ・ヴィンチのような画家がなぜこのような題材を選んだのかあるいはどのような状況で描かれたのか、という視点で書かれている。高階秀爾と言う人は1950年代中期にパリ大やルーブル美術館で美術史を5年間学んでいる。当時、フランスに行って学ぶ人は決して多くはなかっただろう。一枚一枚の絵画を一般的な教養知識として得るための本ではなく、 一枚一枚の絵画に潜む謎を通して著者の読みの深さに触れることができる点が感動的な著書である。自分はたぶん中学生か高校生の時にこの本に出遭った、と思う。この本は素晴らしいから絶版になったりしませんように。日本の財産だと思う。なんというか、コロンボ刑事か探偵コナンが執拗な観察眼で一枚の絵に宿る秘密を紐解いて見せてくれるような感じなのである。だから、一見難解な文章もつい夢中になって読んでしまうのである。 いや、というか、文章は美しく読みやすい。高階秀爾名誉教授を世界の人気者になってはいるが、探偵コナンに例えてもいいのか..と、ふと思いつつ.フランスでもこれらの絵画をこれほどの洞察力で書ける人はもしかしたらいないんじゃないか、とすら思えてしまう。はあ、断捨離に挑戦しても本はねえ、捨てられない...もうずいぶん昔、日本にいた時、ある本好きのおじさんが、「僕は輸出入で使用するようなタンカーを何個か購入して、そこに本を入れてるよ、家にはいりきらなくなっちゃてさ」なんて言っていたのを思い出す。あの人には負ける。たぶん一度しか話をしていないから、もう顔も覚えていないけど、タンカーの話が強烈だったので覚えている。
June 29, 2018
コメント(2)
全5件 (5件中 1-5件目)
1