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まずはこちらを https://youtu.be/Y0hgIgCizKg?t=47何処とも、パート分けのあとは多少ともそのカラーに染まっていく。ともに戦う仲間というところで、パートのコンパもよくやったものだ。私は混声合唱がベースなのだが、男声ではトップテノールを歌う。混声でもパートの性格なんて話をしたが、おおむねソプラノ=気取り屋 アルト=よく食べる テノールー=スケベ バス=のんべと言うところに落ち着くようだ。低音部は胃腸が丈夫?不思議に、どの学年でもこれが通用するというからかなり真実に近いのではなかろうか。男声・混声どっちにしても私は「女好きのスケベ」ということになる。決してモテなかったが、まあ人並みに結婚したと思う。あと4年ばかりで金婚式。よく続いてるなあとも思うが、同時に声の衰えも感じるようになった。まあ私よりはるかに上の人も歌っておられるので、まだ暫くは大丈夫かな。譜読みに頭も身体も使う。譜面から音を考え、口に出すことで脳はかなり働いているはず。認知症予防になればいいのだが、「歌わない自分は存在しない」ので、有意かどうかは分からない。
2024年09月14日
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コーラスの仕事は音取りから始まる。年ごとに物覚えが悪くなり、(年の所為にするな、修業が足りぬ、と若い指揮者には叱られるが)若い時には楽譜を買いに行って歌ってみるようなこともしていたが、何らかの楽器がいるようになってきた。ところがピアノは部屋にあるものの、ちゃんと習っていないので調号が増えてくると何処で黒鍵を引いたら良いのか迷う。そうなると電子楽器をコンピュータにつないで弾かせちゃえ、となるのだが、音符は1音ずつ入れていくしかない。ピアノを弾くようにリアルタイム入力というのもあるが、それが出来るようなら苦労はない。最近、スキャナで楽譜を読んでくれる「スコアメーカー」と言うアプリを買った。期間限定で半額販売、にひかれた。見事に読んではくれるが、修正方法が何処に書いてあるのかが分からない。ヘルプもついてはいるが、どうやって調べるかが分からず。思うようには行かないものだ。結局自分で歌ってみて、音階が大きく跳ぶところだけピアノで確かめて覚えるのがどうも一番早そうだ。しかし、覚えたものは一晩寝たらかなり忘れている。付け焼き刃で練習に行く、また叱られるの悪循環だ。そんな思いをしながら、「露風賞作詩コンクール」の余興合同合唱に駆り出されるのだが、私以上に練習不足の人もいる。子供たちのリードに従うのが一番楽だが、ハーモニーをつけるパートはやはり楽譜を離せない。昔は「音取りもしない人は私の練習に出ないでください」などという人もいたが、近ごろは地方の実情を理解してくださっているようで、楽しくやってくださる指導者が多い。「今日は50点。次の練習で100点にしましょうね」ほとんど小学校レベルではないかと思うが、まあそういう歳かも知れぬ。同じ団から参加している人に修正が出来なかったと話したら、「俺んとこに送ってくれたら良いのに」彼は読み取り機能を持たないが、編集はできるバージョンの持ち主だった。一人で悩んではいけない。
2024年09月08日
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楽天市場で見つけた楽譜が届いた。学生時代に少なからずのめり込んだ小山章三氏の混声合唱曲を掲載した楽譜だが、一度買ったにもかかわらず行方不明になったので買うことにした。信州の山をテーマにした曲に、大いに魅力を感じたのである。奥付を見ると第1刷が1976年となっている。ちなみに買ったのは第9刷となっていた。しかも今年5月の印刷だという。その間48年!わたしがこの中の曲を歌った頃にはまだピースの譜面が相当あり、ガリ刷りの楽譜が配られた。確か昭和47年だと思う。青春時代を懐かしく思い出す。青刷りの楽譜は保存性が悪く、現有しているものも相当傷んでいるので、ここらでちゃんとした譜面を起こしておいた方が世のためかも。しかし世の中も編曲者もすっかり変わった。公開したら「また古い歌を・・と顰蹙をびるかのうせいもある。
2024年09月07日
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突然メールが入ってきて、Finale(楽譜作成ソフト)が開発終了、すなわち廃業するという。音楽業界以外ではほとんど無名と言っていいと思うが、まあ譜面を書くものにとってはエクセルがなくなるようなものだ。Finaleはこのたぐいの老舗で、40年前にはもう存在していた。初めてMacを買った時に、デモ版がくっついていて、「世の中にこんなソフトがあるなんて!」と思ったものである。楽譜と言うのは手書きが基本で、これを写譜屋が清書し、更に印刷屋が版を起こして校正を繰り返し、量産すると言うのが普通だった時代にいきなり作曲者が版下を作ると言うのである。写譜屋は大量失業したに違いない。そして、更に模範演奏をコンピュータがやると言うのである。一アマチュアでコーラスしか知らない私が着目したのはその演奏機能だった。当時の電子楽器は音階と長さ、強さの情報を受け取って演奏するので、五線の譜面をコンピュータの情報にするのは人間だった。作業は単調そのもの。しかも間違える。コーラスを作るのに時間が一番かかるのは「音取り」である。譜面を覚えるのだが、アマチュアがアマチュア相手に音をそろえるのは個人の素質と、繰り返し回数に依存する。誰もがピアノを持ち、弾ける訳ではない。コンピュータの出力を録音し、個人に繰り返し聞いてもらえるようにするのに最適のツールだった。他のパートも混ぜて録音すればハーモニーのイメージ作りも出来る。こうしてコーラス作りに使っていたが、横着になるのは世の常、「楽譜をスキャナで読めないか?」と言う要求が出てくる。Finaleはこの要求に熱心でなかった。そこにつけ込んできた?のがkawaiだった。非常に精度の高い読み取り精度で、「スコアメーカー」と言うのを作った。カワイは楽譜屋としても歴史を持つ。読み取り能力だけが効いたかどうかはともかく、Finaleは販売代理店が変わったり、身売りが何度かあって結局ここ5年くらいはマイナーバージョンアップにとどまっていたが、ついに廃業になったようだ。何か日本の家電製品を思ってしまう。しかしFinaleの資源は膨大なはず。20年も独占が続けば相当の楽譜が書かれているはずだ。このデータを読み取って使えるようにつなぎの仕事を含む楽譜ソフトを、なんとヤマハの子会社がやるらしい。何ともすさまじい業界の競争である。
2024年08月29日
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来年2月の音楽祭に、子供たちを交えた「おとなとこどものための合唱曲『ゆずり葉の木の下で』」の再演を誘ったところ、子供たちが「歌いたい!」と賛成してくれた。非常に嬉しい事である。昨年7月にコンサートのメインに据えて好評を博し、たまたまその時の出演者が会するので提案をしたものだが、曲を気に入ってもらい、再演を希望してもらうのは自民党総裁選挙ではないが推薦人多数を得たようなものだ。この曲は信長貴富氏の作曲で10年以上前に大阪で初演された。この時の指揮者が直接関係しないグループでは我々が最初に追随した。ゆずり葉はかなり大きくなる木だが、若い芽が育ってくると古い葉は自分で落ちていく。若い子供たちがいつか大人になって、この時に歌った歌をまた子供たちと歌って欲しい。少なくともその取っ掛かりが出来た事が嬉しい。私も運営メンバーの一人だが、「大人も子供も一緒に歌ったら楽しいよ」とするメンバーが多く、それに反対するものではないが、コーラスは続けてもらわねばいずれ消えゆくもの。上下関係のようなものでないつながりが「文化」を生んでいく、脈々と続く、と言う事はあまり興味がないようである。続けようと思えば関係者が仲よくつながる事も大切だ。人が足りない時の加勢、集客のための情報共有など「よっしゃ」(どこぞの大臣経験者ではないが)と言いあえる人脈は貴重である。来年の楽しみが1つ増えた。
2024年08月20日
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この暑い中、(今日はたまたま雲に太陽が隠れてはいたが、やはり暑い)神戸まで練習に行ってきた。私は混声合唱を学生時代からやっているが、1度だけやった男声合唱が好きになってしまった。2つの混声合唱団の男性だけが集まって「仮に」作ったのである。次の年に。相手方の部室が火事で焼けてしまったものだから、「じゃあ一緒にやろう」と合体したのである。ところが私は専門課程に進み、キャンパスが変わったもので、運営にはあまり関われなくなり、男性合唱もそれ以上進展しなくなってしまった。そして卒業後、社会人のグループを作って40年、そろそろ定年の時に、姫路工業大学グリークラブのOBが混声に入ってきた。その人に姫工大OBグループに誘われて、出入りするようになった。一方、姫路工業大学は神戸商科大学、兵庫県立看護大学と合併して兵庫県立大学となった。それが縁で神戸商科大学のOBにも呼びかけ、ちょっとしたスケールになってしまった。人が増えるのは合唱の推進力になる。あちこちから声がかかるようになり、出演機会が増える。今日はその練習をしたのだが、全力で歌うとバテるのはテナーである。バスは主に響きをつけてくれればいいので、あまりパワーを要求されない。ところがテナーは旋律を取ることが多く、声帯を狭めて高音を歌うのが仕事になる。これは結構しんどい仕事で、歌い終わったらヘロヘロである。曲の中に全休符があればこれはまさにエネルギーの回復時間に充てられる。4小節もあればもう天国とも言える。商大のOBが言った。「ベースは長距離、テナーはスプリンターですよ」言い得て妙である。歌うものにしか分かるまいが。
2024年07月25日
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1年前の30周年コンサートで、「おとなとこどものための合唱曲集 ゆずり葉の木の下で」を歌ったが、子供もそのパワーに対応するだけの大人パワー補充のため、少年少女合唱団と、趣味の合う?他の混声合唱団に協力してもらって歌い上げた。普段は10人そこそこの合唱が見違えるような声量、子供とのコラボも高評価をもらった。その時に依頼した混声合唱団が「童謡の祭典」で、単独でこの曲の1つを歌ってくれたのは、賛同者を得た思いで嬉しかった。作詞者は河井醉茗、作曲は信長貴富、曲は「ゆずり葉によせるバラード」最後の部分で膨らませていく、歌う者にとっては苦しい歌で、ブレスを交代にとって大きくしてゆく。それにしても、誘った合唱団がその歌を自分たちのものとして歌ってくれるのはあありがたく、また嬉しいことだ。この歌は他の合唱団にも歌ってほしいなと思っていたが、それを叶えてくれたわけで、蒔いた種が芽を出したわけで、やはりやって良かったなと指揮者と喜びあった次第。意図が理解されると言うことは多分子供達にも伝わったはず。「もう一回どっかで歌おうよ」指揮者は炎上している?
2024年07月24日
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兵庫県たつの市は姫路市に隣接する田舎町だが、童謡「赤蜻蛉」の詩を書いた三木露風の生まれたところで、40年前(正確には41年、コロナ騒ぎで1年中止になった)から童謡普及に力を入れている。私も第1回からなんらかの形で関わっている。関わっているということは歌っているという事だ。思えば長い事。「遠くに来たもんだ〜」的な気分。初めは地域の小学校や中学校も参加する街をあげてのイベントだったが、少子化とともに音楽グループだけになってしまった。今や主役はジジババ。今日は昔の定番曲である「我は海の子」と「夏は来ぬ」を歌ったが、今やこう言った童謡・唱歌を歌うのは少数派だそうだ。曰く「貴重な機会」だったそうである。「我は海の子」は海軍の奨励みたいな曲で、最後は「いで軍艦に乗り組みて 我は守らん海の国」だが、よほどの物好きでないとここまでは知らないだろう。童謡・唱歌と一括りになっていることもあるが、唱歌は元々文部省が刷り込み教育?のために強制したような側面があるが、童謡は民間発のパブリックドメインみたいなものだ。大正デモクラシー頃から始まった文化である。今童謡と言ったら、ジブリものをはじめとするアニメソングが歌われることが多い。まあメディアの存在が大きく関わり、また変遷してきているから一言で片付けるのも気が引けるが、商業ベースに乗ることが前提みたいになっているようだ。子供のための歌か、子供商売のための歌か。まあ、音楽が貨幣価値を持って預けられないと、創作活動はあがったりだ。作者にも生活がある。それはいいとして、毎回童謡の神様みたいな人に会えていた。中田喜直氏、大中恩氏、阪田寛夫氏など当時の合唱曲のスターたちだった。今になってはほとんどの先生が鬼籍に入られた。40年の間には色々と変わったものである。作詞コンクールの賞金、最優秀は50万円の副賞がつくが、40年前なら軽自動車の1台くらいは買えたかもしれないが、今ははるかに及ばないな。これが変わらないもの。あ、もう一つ「歌うものの意地」があった。
2024年07月21日
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トライアンドエラーでなんとか電子楽譜らしきモノができた。まあ10インチのタブレットなので普段はA4縦標準で紙を見ているから、少し小さいが違和感というほどのものは感じない。楽譜をスキャナーで取るが、自分のものだから著作権侵害にはあたるまい。で、ページ数だけスキャンするのだが、ビューワーで見られるのは1ページだけ。次々にめくらなければいけないので、まずは整列する必要がある。Powerpointをまず考えてみたが、縦にするとどうも収まりが良くない。wordでは縦イメージに問題はないが、pdfを貼り込んでページ替えをすると楽譜の拡大率によっては2ページ飛んでしまい、どうもうまくない。何かないかとネットを探したらpdfをまとめたpdfを作るサイトがあった。順番も入れ替えられる。これを使って書き戻し、なんとかそれらしいものになったが、データをタブレット(Android)とPCでやりとりするのは意外と面倒だった。私の場合はネット上にサーバまがいのものがあるのでそれを使ってタブレットに持っていったが、MacとiPhoneほど楽ではなかった。iPadならば同じようにできるはずだが、いかんせん、非常に高価だ。まだ問題がある。この方法ではページめくりが縦に動く。通常、楽譜は左から右に読んでいくので、横送りの方が自然である。楽譜を忘れるよりは遥かに辛抱がしよいけれど、最後の難関になりそうだ。
2024年06月29日
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音楽と楽譜は切っても切れないものだが、よく切ってしまう。整理、管理が悪いのだ。「どこにやったかな」がすべてを語る。また紙と言うのも結構重く、バインダーに綴じていくとどんどん重量が増える。合唱譜の場合、ものすごく効率が悪い。合唱譜が4段、ピアノパートが2段、合計6段がだいたい2セット各ページに振ってある。いっぺんに2つの声は出せない。だから1ページ当たり実際に使うのは2段、まあ10小節あれば多い方だ。かといって他のパートの譜面がなければ、全体の動き、例えば旋律の切り替えのタイミングが分からなくなる。ステージに立つ時にはステージの数だけバインダーに分けて置かねば重くて仕方ない。そんな楽譜の代表格が「メサイア」(ヘンデル)だ。1kgはゆうにある。こんな大曲は滅多に歌わないが、タブレットのような電子記録ならデータが増えても重さは同じ。しかし、手持ちの8インチでは画面が小さいので見にくい。電池もかなりへばってきたのでちょっと思いきって10.5インチのを買う事にした。届いたけれども、通信関係の設定は結構面倒である。便利になればなるほど設定が面倒になる。まあそれが標準になってくると仕方ないのだが・・明日から本格始動かな。値引きのクーポンの勢いで買ってしまったが、やはり古いのよりも格段に早くてきれい。これで中級らしい。AAUWのT-90。
2024年06月26日
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アマチュアコーラスにとって、歌を覚えるのは一つの関門である。混声四部の場合、女声、男声とも2つに分かれる。4つの声部のうち、旋律を歌えるのは多くの場合1つであり、残りはハーモニーをつける役に回る。知っている歌であるほど、初めて聴く音を歌わされるわけだ。で、学生時代はある程度叩き込まれる部分はあるもののなんとか自分で歌えるようになるが、一般合唱団はそうはいかない。練度の差が大きく、初見で歌える人もいれば何度もピアノを聞かされて、隣で歌ってもらってやっと覚えたと思ったら、次の週にはすっかり忘れている・・これが歳を重ねるとひどくなる。このレベルの人を引き上げないといつまで経ってもコーラスにならない。そのために自分の歌うパートの音を耳から覚えてもらうことになるが、楽譜ソフトを使ってつくるのは実際大変な作業だ。音符を一つ一つ書いていくのだから、楽譜を丸写しするのに手書きよりも厄介だ。そこでもっと横着ができないかということになる。kawaiが提供している「スコアメーカー」というのが有名で、かなり正確にスキャナで読み取ってくれるが、サブスク商法で結構高いものにつき、少人数アマチュアでの導入は正直しんどいものがある。何かないかと探していたら、スマホ対応の「楽譜スキャナ」というのが見つかった。スマホのカメラで撮影したのをスキャンする。ところが、フラットベッドのスキャナと違い、楽譜を開いたまま撮影すると楽譜がとじてあるところで盛り上がるため、五線は曲がってしまう。これをどう読むかと心配だったが、少し楽譜を小さめに撮ればなかなかの精度で読み取ってくれた。タイやスラーは少し曖昧、休符もちょっと甘いところはあるが、無料で使えるものとしてはかなり優秀だと思った。このデータをXMLと言う形式でパソコンに読み込めば八割以上の確率で譜面に入力できた。スマホのデータだけでも音が出せるが、パートごとの音にするにはやはり楽譜ソフトが必要だ。しかしこれは使えそう。明るい話題と言える。
2024年06月11日
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2ヶ月に1度、神戸まで歌いに行く。初めは姫路工業大学グリークラブのOBのみだったが、人数が少なくなってきてそれ以外からも参加を募るようになり、私も仲間に入れてもらった。工大OBに紹介してもらった口だ。兵庫県にはもともと県立大学が3つあった。神戸商大、姫路工大、県立看護大だが、現在は兵庫県立大学として統合され、キャンパスは5つになっている。そこで神戸商大のグリーOBにも参加を求め、10人そこそこで歌っていたのが20人近くに増えた。お互いに団員の減少は共通の悩みなので、単独でやったり、補完し合ったりして仲良くやっている。こう言う趣味は「友達の友達は皆友達」の精神でどんどん輪が広がり、ボケ防止にもなるだろう。20人になると、相当パワーが違ってくる。例えば古いモデルだが、ダークダックスの4人とフォレストの歌ではマイクを使うものの、やはり厚みも強弱も違ってくる。倍音も出やすく、重厚さ、気持ちよさにつながる。まさに「数は力」だ。およそ5時間に及ぶ練習で、高齢化もあり少々体力的に厳しいものがあるが、心の洗濯にはなる。家事からも解放され(その分女房に負担がいくわけだが)指揮者に叱られるのを除けば快適な1日だ。8月にコンサートの参加も決まり、熱が入る。
2024年05月30日
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猥褻目的では一切ないのでお断りを。7月に大阪と島根のグループがジョイントコンサートを行うにあたり、今回の合宿を計画されていたが、適当な宿舎を探すのに協力したご縁で、その練習を見学させて頂いた。何せ指導陣が全日本合唱コンクールで金賞を取り続ける大阪のA先生、島根のI先生、それにピアノ担当のH先生が車で15分ばかりのところに来て生の練習をするのだから、見に行かない手は無い。メンバーの一人によれば「発声練習だけでいい加減疲れますよ」朝はいわゆる「モーニングボイス」で、なかなかまともに出ないものだが、I先生はそれを出させる。「一緒にどうぞ」と促されて男声ながら練習に加えて頂いた。久しぶりに学生時代の特訓並みに引き摺り込まれたが、普段出ない音階が出るのである。テナーなので高音の商売になるのだが、いわゆる五線の上は極端に言えばデスゾーンだ。ここを出せるかどうかで価値が決まるのだが、朝の悪条件で出すためには背筋を伸ばし、胸腔を広げて共鳴を確保し、しかも肩の力を抜いて・・という芸を要求される。普段農業をやっていたら、どうしても前に屈むような姿勢が多くなり、背筋を使うことがない。勢い背中が丸くなってくるが、その反対の動作をすることになるので体にはいいはずだ。それを一発でやらせるのだからやはりただものではない。H先生のピアノといえばこれまた「歌うピアノ」というのに相応しい。噂には聞いていたが、完全にコーラスを引っ張り、支え、時に主役。その上で「歌が遅れてるから弾きにくいよ!」だとか、指揮のA先生のタイムキーパーもこなす。A先生は合唱指揮者で喰っている訳だが、流石に「式とはこういう仕事だ」を動き、顔、表情で曲を作り、歌い手に的確な注意を与える千手観音のような存在だ。今頃になって指揮者の仕事は、と考えると、楽譜という下絵に従って色を塗っていく、譜面にないものを表現し、伝え、修正をしていく画家のようなもの、そしてそれに流れを作ってにメーションを拵える監督みたいなものではないかと改めて思う次第だ。歌い手は正確でピュアな声を提供する。2つのグループとも、この辺がしっかり作ってある。すげ〜な〜〜 というのが正直なところ。こうでないグループを率いるうちの指揮者は大変だ。リスペクト!
2024年05月19日
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市内の合唱グループ10グループ余りで合唱連盟を作り、音楽祭の合同演奏を企画しているが、事務局担当で決済口座にゆうちょ銀行の振替口座を使っている。もう10年ばかりになるが、開始当時、誰にでも担当の交代ができるように振替口座にしたのだが、これは良かったと思っている。老人会を運営した時は手元資金と銀行預金を別々に管理した上、交代するたびにハンコの変更、代表者の変更をして通帳の表紙が真っ黒になる始末だった。振替貯金は1円単位の入出金記録ができる上、連盟のハンコで通せるし、担当が変わっても取引局の変更をその時の担当が便利なように変更できる。送金も簡単で、一定数までは無料だ。そのゆうちょ銀行から調査書が送られてきた。「人格なき社団」の実態調査だ。資産20万円ほどだから雀の涙にも満たないスケールだが、規約を作っているかとか、出納の記録をきちんとしているかの調査、要はマネーロンダリングに使われていないかみたいな実態調査なのだろう。直近の資料を出せ、ということなのでちょっと早い気はするが(例年5月末の総会だ)資料を作る羽目になってしまった。どうせ作るのだからいいが、自分が言い出さないと総会を忘れそうな幹部ばかりだ。それこそ10年ぐらいで交代したいものだ。メリットを活かして。
2024年04月11日
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2月17・18日に行われた「たつの市音楽祭」は延べ600人を超える観客で盛況下に終えることができた。合唱の部・器楽の部に分かれ、もう10年以上の付き合いになる実行委員が運営し、私もその末席を汚している次第。16回を迎えたが、ここ4年ばかりはコロナに叩きのめされ、昨年やっと「歌うときだけマスクを外して良いが、間隔を1,5m以上空ける」こととして再開したが、ステージはこの基準を守ると30人程度が上限となる。合唱連盟所属団体による100人のステージと観客が一緒になった「赤とんぼ」の合唱はできず、やっと今年実現できた。歌うことの欲求は老若男女問わずにあり、観客評価も高かったのが嬉しいことだった。コロナ禍ではともかく呼吸を使っての演奏が何より嫌われ、確かに唾に混じってウイルスを拡散させうる声楽などはもってのほかであった。その代わりに弦楽器、打楽器による演奏、例えばカリンバという指で弾くような弦楽器が現れた。初めて見る楽器だ。音楽を楽しむということは状況に応じて使うものも変わるようだ。ギターアンサンブルとかも増えたように思う。吹奏楽系でも鍵盤ハーモニカを使うグループも出てきた。なんとなくリードがフィルターのようになっている気がしないでもない。変遷を感じた音楽祭だったが、何よりも変わったのが2月とは思えない暑さ!コートはもちろん、セーターでも汗をかくほどだった。その上、ステージの照明となれば、歌い終わって「ふぅ〜」だった。今回の我が団の曲は「秋桜」(さだまさし)「愛の花」(あいみょん)だったが、これが奇しくも紅白の曲順だった。しんどく、楽しい2日間だった。
2024年02月18日
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市の主催の音楽祭が明日から始まる。17日が合唱の部、18日は器楽の部で2日間に渡り、運営・出演で忙しい日になる。そんな中、実行委員の一人から電話がかかってきた。隣市で音楽活動をやっているグループから、「チラシを入れさせてくれないか」と打診があったと言う。集客に力をいれる気持ちはわかるが、今日の明日というのはいくらなんでも失礼だろう。すでにスケジュールはいっぱいで、明日は実行委員は8時の集合となっているのに、これ以上仕事を増やされてたまるものか。「いざとなったら私が矢面に立ちますから、断ってください」私も自分のコンサートとなったらいくらでも努力はするが、本番前日に自分が言われたら、と考えればそんなことはできない。まあ1ヶ月前にはそういう広報活動は終了しておくと思う。非常識にも程があるだろう。少々腹立たしいものが飛び込んできたが、2日間楽しみます。
2024年02月16日
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二月に行われる市民音楽祭で、合唱連盟の加盟団体で1ステージを持つことになっている。その練習を行う案内は夏に出したが、参加人数を知らせてくれと言ってもなかなか動いてくれない。結局80人ばかりが集まった。子供30人、女性40人、男性10人と言ったところで、数としてはまずまずなのだが、男がもう少し居ないとハーモニーは弱い。一般団員は代表者から聞かされてその通りに動くが、悲しいかな情報が正確に伝わっておらず、1時間も早くきた人もいた。遅いよりはマシだが、家事もあっただろうに。曲は「blieve」と「うたのわ」コロナで四年ぶりの演奏だ。練習は1回だけで、次は本番。練習はこないが本番は出るという猛者もいる。正しく歌ってくれればいいが、そうでない人の一定数いる。寄り合い世帯の難しいところだ。数だけは結局90人前後の出演者に落ち着きそうだ。まあ、まだ3週間あるので、まともなところは修正してくれるだろうが、好きにやってるグループもあり、期待のしづらい出演者である。
2024年01月27日
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コーラスには「音とり」という歌い手にとって、また指揮者にとっても大きな関門がある。若い時から歌っている人は比較的?楽々と?とっているように見えるが、要はリズムと音階と歌詞を正確に覚える作業で、面倒でしんどい段階である。歳をとると楽譜が離せなくなる。多かれ少なかれ聞き覚えにはなる。自分でピアノが弾けたり、階名どりで歌える人はいいが、臨時記号が出てきたり、取りにくい音というのはあるものだ。私の場合、ファからシをとるのが苦手。逆もしかり。歌謡曲なんて楽譜を持っている人の方が少ないだろう。耳で聞いて覚えるからだ。一人一人にピアノをつけられるわけでもないので、パソコンで作った音源を渡す。大体はCDをパソコンで作るのだが、近頃これがやりにくくなってきた。パソコンで作ったものをCDプレーヤーで聞けないということが起きてきた。多分著作権絡みのことではないかと思うが、パソコンで聞けてもプレイヤーで聞けないことがある。苦情を聞いて自宅でもやってみたが、確かに音が出ない。CDは古くからAIFFというファイル形式で作られているので、この形式なら聞けるはずだが、それができないのは書き込みのレベルの問題だろうか。最近はMP3も再生できるものがあるので、試してみたら自分のカーステレオも対応していた。しかし皆が皆同じ機械で再生するわけではないので、再生できない人にはなんらかの救済措置が必要だ。使っていないiPodがあるので、機械ごと提供することを考えた。ところが最新のOSではこんな古い機械は対応していないらしい。接続してもマウントされないのだ。10年前のMacなら、と試してみるとこちらは大丈夫だったので、録音して渡してみることにした。意外とよく録音できていて、左右の分離もイヤホンのほうがいいかもしれないと感じている。
2024年01月17日
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秋から冬はコーラスの発表会が多い。今年を例にとれば11月3日、12月3日、来年の2月17日と予定がある。7月の自前のコンサートでそれまでの蓄積を吐き出し、新曲に取り組むが、だんだん高齢化する合唱団にとって新曲を増やすのはなかなか困難になってくる。コーラスの発表会は、とにかく時間の縛りがきつい。7分などという時間では1曲では余り、2曲だと少し短い。今年の曲にはNHK前期朝ドラの「愛の花」(あいみょん)を選んだ。放送の冒頭に歌われるのは時間制限で短いが、実は3分半ばかりかかる歌なのである。よくしたもので、どこで切って繋げても自然に聞こえるようにできている。そこで超短縮版(放送と同じ)、短縮版、フルサイズの3つの楽譜を用意した。時間オーバーをした場合、罰金を取られる時、すこしゆるい主催の時、かなり鷹揚な主催、と分けて長さを変えたわけだ。これで3回を乗り切ろう、という所だが、旋律は似ているものの微妙に変わるところもあり、気が抜けない。一つの曲で3つも楽譜を発行したのは30年やってきて初めてのこと。この楽譜はネットからダウンロードできる。もちろん有料だが。早いタイミングで手に入れられるのがいい。今まで曲の使い回しはあまりしなかったが、脳の刺激にはいいかもしれない。もう一つの曲は山口百恵さんの「秋桜」だ。これから忘年会を挟んでの練習になる。
2023年12月06日
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兵庫県南西部は「播磨国」と言い、古く「播磨風土記」というものが残っているが、「播州赤穂・忠臣蔵」の方がよほど有名だろう。姫路市以西を対象にした兵庫県の「生きがい創出」のような形で、毎年12月の第一日曜に開催される音楽祭(合唱祭)の実行委員をもう30年近く続けている。実行委員は8人いるが、合唱団の指揮者がほとんどで、私だけが運営サイドの出身である。兵庫県というところの合唱は見事に東高西低で、全国レベルのグループは神戸・西宮に集中している。レベルに関してははっきりと低い。それでも昭和30年代から何とか続けているわけだが、コロナ禍は合唱にとっても「練習に参加するのが怖い」という人を生み出し、それが3年も続いたわけだからもうガタガタ、瀕死の状態になっている。加えて高齢化と若手の加入減で、どこも喘いでいる状態だ。加えて、文化活動に対する予算の削減があり、いいホールが使えなくなった。先ごろ、科学博物館で予算不足を補うためのクラウドファンディングで9億円が集まったという話題があったが、募金ができたことはいいが、そういう方法が常態化するのはよくないと思っている。知的財産を守ることは国の責務と考える。スポーツは見栄えも良く、勝負の世界でわかりやすいからオリンピックも世界選手権も人気だ。文化活動は「仲良く生きるために」ある。もちろん合唱も上手下手はあり、コンクールがあるのだが、基本は「個人の力の結集に競争は必要か?」に行き着く。世界一仲がいいことは誇るべきことだろう。争いは滅亡を生むが、共存にそれはない。もっと文化活動にも金を分配するべきだ。ところが、来年からこの事業を外注するという動きがある。建物の管理は外注するしかないだろうが、事業の丸投げはやっていいものか?どんどん自治体が無責任化している気がしてならない。
2023年12月03日
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今日は2ヶ月に1回の男声合唱の練習日。神戸で行われる。兵庫県立大学の前身、神戸商科大学と姫路工業大学のグリークラブOBが中心になっている。どこも高齢化で、大学では縁のない私も誘われて参加している。コーラスは「数が力」でもある。このグループでは階名唱が必ずある。ピアノの聞き覚えでは「だいたい音感」と揶揄われる、というかシンガーと認めてもらえない。リズムもきっちり合わせる。この時の脳はフル稼働。音符を見てふさわしい音階とリズムをとらえ、その上全員の調和を覚えていくのだから大変!だが、これがコーラスの醍醐味だ。若い女の子の集団のセンターが誰だとか、マイクを持っているのが誰だとかではない。ここを生かすことに最も力を注ぐ楽しい時間だ。練習後、三宮駅から電車に乗るが、「運転見合わせ」の放送と、最近できたホームのロープゲートの案内がかちあって何をアナウンスしているのかさっぱりわからない。運転見合わせは新快速だけに適用され、複々線区なので普通や快速電車に乗り換えろ、と言うことだが、理解するのに時間がかかった。隣の駅との間で線路から煙があがってと言うことで新快速は運転見合わせ。放送によれば消火器などで対応し、火災というほどにはならなかったため、比較的早くに復旧したが、私の自宅到着は40分ばかり遅くなった。
2023年12月01日
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今日は姫路市周辺の合唱団が一堂に集う「播州合唱祭。参加を始めて25年くらいになるだろうか。今年も40団体ばかりの参加があった。我がグループは大概真ん中あたりだったのだが、今回はトリ前という遅い出演になった。リハーサル室から舞台袖待ち、本番と進むが、袖待ちの時にトリの指揮者が入って来た。この人は長老級のお年なので無理もないのだが、若い時から(実質若くはないが)傍若無人の振る舞い、演奏中にドア係の静止も聞かずに反抗までして会場に入るような人だ。袖にある椅子に腰を下ろし、伴奏者と何か相談を始める様子。マナーの悪いのは相変わらず。昔から複数のグループを指揮してきた実績があるが、見るたびに「老い」がひどくなっているようだ。年に一度の顔を見る機会だけれども、そろそろ引退してほしい。こちらの気分が削がれる。
2023年11月03日
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やや遅きに失するが、合唱曲の中でも何度か取り上げた作品がある。「いい日旅立ち」「昴」そして逝去が発表された前々日に歌った「チャンピオン」は(男声)期せず追悼演奏になった。「昴」はカラオケで当番がまわってきた時に重宝した歌だ。もともと、「機械に合わせて歌えるか!」という傲慢ぶりで、移調のできる機械の時は必ず調整してピッチをあげた。山口百恵さんの歌なんかは原調のオクターブ上で歌っていた。彼女は基本、低音だったから。さらに低かったのは倍賞千恵子さん。この人とはバックコーラスで歌ったことがあるので、生の声を知って驚いた。「下町の太陽」は彼女の大ヒット曲だが、あの伸びやかな声はなんだったのか、と思ったが、そこには30年くらいの時の流れがあった。実際、自分も最盛期の頃に比べれば上が出なくなっている。はっきり老化だ。それはさておき、谷村氏の曲はちょうど自分に合う声域だったのと、楽譜を読み込んでいるから、画面を見なくても歌えたのだった。先がた、アリスの名場面をTVで流していたが、氏の若い時のテノールの声は本当にいい声だ。休止宣言の時もちゃんと通る声で発表しておられる。谷村氏の亡くなった後、もんたよしのり氏の訃報も発表された。一つの時代が終わろうとしている気がする。この頃は若い女の子がずらりと並ぶのが流行っているが、同じ顔ばかりに見えて、幼稚園児の顔が区別できないのに似ている気がする。歌手というのは激務なのだろうと思う。肉体労働そのもの。自作となればストレスも溜まるだろう。我々が完成した曲を見て云々するのとはレベルが相当違うはずだ。その中であれだけの作品を作り、歌ってきたのはただものじゃない。命を削る思いだっただろう。ご冥福を祈る。
2023年10月24日
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毎年11月3日には姫路市で播州合唱祭が行われる。毎年参加団体が増え、1団体の演奏時間は7分以内になっている。超過するとペナルティが与えられ、罰金が課される。我が団ももう20年前くらいになるが、一度くらった事がある。今年はNHK由来の2曲「日々」(吉田山田)と「愛の花」(あいみょん)を予定していたが、全部歌うと8分に及ぶ。「愛の花」は今の朝ドラ「らんまん」の主題歌だが、原曲は実は長く、4分近く必要だ。「どうしようか」と言う指揮者にピアニストは「TVと一緒にしようよ」で、1分40秒ほどになった。「じゃあ練習番号A-C-Lでいきます」Bを抜き、D-Kを飛ばす訳で、ほとんど黒塗りの楽譜になる。もちろんいつでも戻せるようにカラーマーカーになるだろうが。合唱楽譜と言うのはこんな具合に演奏者の都合でどうにでもなる。12月の出演は8分あるのでフルサイズで歌う予定である。
2023年09月01日
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先に自団のコンサートの情宣(チラシ配布)に協力を依頼したらその見返りでもないが、プログラムへの挟み込みを依頼されて、招待券を2枚頂いたので猛暑の日曜の午後、「お礼参り」で出掛けてきた。50人の陣容はやはり圧倒される。自団の弱い女声が圧倒的に強いし、他のパートも強力。ただ、人数が増えると方向性も多様化する。分裂の危機も何度も乗り越えてこられたのだろうと思う。招待演奏は姫路市民合唱団。ここも同程度の陣容だが、演奏の運びには一日の長がある印象を受けた。まあ、合唱団のカラーもあるので、そちらの問題と好みの方が大きいかも知れない。姫路の指揮者は公募合唱団でお世話になっているので、この人の力が大きいと思う。客演指揮曲は 立原道造作詞 小林秀雄作曲 「優しき歌」 指揮 山口英樹 アカペラである。さすがに十分な練習がなされたようだ。フィナーレで姫路を交えて再演されたが、明らかに姫路が足を引っ張った。こういう事は自団でもやるべきじゃないなと思った次第。同じ曲をメンバーを変えてやるのはどうしても比較の対象になってしまう。こういう結果を見せるのは相手に失礼だろうと思う。または恥をかくかも知れない。団長のM氏にお礼を言い、暑い車で帰った。35度近くでは外気も涼しく感じない。昔はとにかく室内の空気さえ追い出せば、と思っていたが、窓は閉め切ったままでエアコンを入れた方が効率がいいかもと思った。いつまで続く、この暑さ。
2023年08月20日
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ずっと昔に「母の歌」として歌詞を覚えている限り書いたら、それが引用された記事を見つけ、謎も解けた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下引用 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000179933次の当館所蔵資料に当該曲の題名・歌詞・楽譜が掲載されています。曲名 母(二部合唱)作詞 村山 寿子作曲 松島 彜当館請求記号 Z7-173雑誌名 教育音楽. 小学版出版者等 東京 : 日本教育音楽協会(現・音楽之友社), 1957-巻号・年月日 13(6). 1958.6ページ pp.144~145当資料はデジタル化し、国立国会図書館デジタルコレクションで提供しています。教育音楽. 13(6) (当館請求記号Z7-173) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/6035282 (国立国会図書館内限定公開/図書館送信対象外)※当該曲は87コマ目に掲載されています。なお、調査の経緯は以下の通りです。小学校音楽 教科書題材データベース http://kjd.edu-ctr.pref.kanagawa.jp/daizai_music/default.aspx 上記のデータベースで「母」をキーワードに検索したところ、刊行年が昭和26年のもので14件のタイトルがありました。(最終アクセス日:2015年7月3日)この中から、以下の教科書に掲載された曲をリサーチ・ナビ( http://rnavi.ndl.go.jp/rnavi/ )で検索したところ、検索結果にある「本の情報からさがす」の部分で、デジタルコレクションにある上記の雑誌がみつかり、お尋ねの歌詞と一致していることがわかりました。出版者:二葉 教科書名:改訂版音楽の本 学年:6年 題材名:母 作詞者:村山寿子作曲者:松島つね調査資料:①「日本教科書大系 近代編 第25巻 唱歌」「なつかしの音楽教科書」「童謡・唱歌でたどる音楽教科書のあゆみ」「日本のうた第1~3集」「なつかしい歌童謡唱歌のほん」「心にしみる教科書の歌」などいずれも記載なし。②リサーチナビより歌詞をいれて検索。「国立音楽大学附属図書館童謡唱歌索引」「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡」いずれもなし。③富山県立図書館へレファレンス依頼。回答あり。インターネット楽天ブログ「老父のつぶやき」に母の歌(2005.7.18分)として歌詞が載っているが、「題名」などはない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上引用国会図書館の回答らしい。自分の書き込みが引用されているのに驚き、国会図書館に楽譜もあるらしいが、東京や大阪分室に行くほどとは思えないので、ピアノででも記憶を再現して見るのが関の山かなと思う。この歌を覚えたのは小学校の5年生で合唱クラブに入った時だった。作られたのが生まれる前だったのにも驚きだったが、今でも良い歌だと思っている。2部合唱だったが、低音部のハーモニーも覚えている。ちょっと心につかえていたものがとれた気がしている。
2023年08月18日
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2週間前から練習に参加してくれている80歳の新人さんから電話が入った。何かと思えば「一昨日からちょっと様子がおかしいので医者に言ってみたらコロナと診断されたので今日は休みます」お年の割には声も良いし、今日から本格的に新曲の音取りに入るところだった。好事魔多し、というところか。ともかくも安全に回復していただきたいもの。盆前で、場合によれば長期休みになってしまう。コーラス人生(だけではないが)山あり谷あり、もっとも谷の方が多いような気が・・・
2023年08月02日
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毎年この時期に「童謡の祭典」が行われ、市内の合唱グループが演奏をする。もう40年近く前になるが、当初はほとんどの小中学校、幼稚園も参加していたが、次第になくなって行った。週休2日になるなどで学校行事が忙しくなり、市の行事がこなせなくなったのかも知れない。どうも音楽関係は運動会よりも簡単に削られるような気がする。国民体育大会と国民文化祭なんて天と地ほどの差があると思う。そもそも国民文化祭なんて言葉自体が知られていない。ちなみに今年は石川県で開催される。で、毎年出る方に回るものだから、客席から見た事がない。幸か不幸か、今年は30周年を終えて気抜けしたのと指揮者が東京国際合唱コンクールに出かけたので不参加となった。しかし裏方の役回りが回ってきたので私が出る事にした。ドア係で、そう観客があふれている訳でもないので鑑賞しに入った。ソデで聞いてたらアラがよく分かるが、客席だとそうでもない。少人数のグループにとっては大きすぎるホールなので、舞台床のマイクで音を拾っている。あまり不自然に聞こえないような工夫もしてあるのだろう。ほほ笑ましかったのは2-3歳児と思われる子育て中のお母さんのグループ。子供がステージから脱走しようとしてそれを捕まえに行ったり、客席の助っ人に預けたらまた登壇したり、とこの時期のママの苦労が如実に表れた。好評の先生も「この時期大変ですが、歌い続けてください」と言う。来年は出られるはずだ。
2023年07月23日
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新聞に載った記事を見て「歌いたい!」と連絡をくれた女性が、今日来てくれた。現在の最高齢者は確か70くらいで合唱を始めた男性だが、それを上回る初心者でちょっと感心する。声を聞かせてもらうと(みんなで歌いましょう、と孤独感を薄めて歌ってもらう)なかなか素直な発声で、音感も悪くない。ソプラノとして育てられるかなと思った。うぬぼれる訳ではないが、先日のコンサートを聞いてもらい、ひょっとしたら少し怖じ気づくのではないかと思っていたのだが、行ってみようと気になったようだ。「いつまで続くか分かりませんけど・・・」まあみんなそうだ。明日の事は分からない。同志が増えて、ありがたい。
2023年07月19日
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コンサート当日は来場者や普段からの歌う仲間、昔の縁で来てくれる人なんかでごった返し、こっちはこっちで進行と出演の両輪を回し、しかも約束の時間には消えていなきゃいけないので、もう何が何やら分からなくなる。近ごろのスマホの性能向上で、早速にSNSに投稿した人、それを見た人からのメッセージなど、処理案件がケタ違いに増えた気がする。もともと入場料なんかもらっていないからJASRACくそくらえなんだけれども、機器が小型化しているから「録音・録画・撮影はご遠慮下さい」なんてむなしく響くだけだ。身体検査するなんて出来る訳ないし、言わばやり放題。息子がカメラ5台を一人で操作する(撮りっぱなしらしいが)ことで記録を作ってくれたが、これもアマチュアで仕上げには1ヶ月くらいはかかるだろう。クオリティーが落ちてもスピードは1つの力。もらい物を自分のもののように使っている。https://youtu.be/5KksjEkrSfc童謡をお楽しみください。
2023年07月11日
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音楽の中で合唱の人気は最低ではないかと常々思う。吹奏楽はとても人気。写真になっても格好が良い。楽器に指や口を添えているだけでも絵になる。片や合唱はどんな写真でもぽかんと(そんなつもりは毛頭ないが)口が開いているだけ。高齢者グループはさらなり。何もしなくても身体が衰えてゆき、リタイヤせざるを得ない。存続して行くという事は新しい血を常に入れなければならないという事だ。血液交換という訳には行かないから、若いメンバーを入れる事が出来ないと、やがてそのグループは消滅する。ところが地方にはとんでもなく高い壁が待っている。受験、進学、就職だ。今回、中学高校生を主体にした児童合唱団との合同演奏は指導者からは(外交辞令もあろうが)「良い経験をさせてもらった」といわれたが、変声期を迎えた少年の受け皿になれるかというとそうでもあるまい。何よりも出来るだけ偏差値の高い高校に進む事を親は期待する。高校生は有名大学を目指す。そして都市部にでてゆき、帰ってくる者はまれ。私はそのまれな労働者の一人だったが、「たかが」歌のために戻ってこいとは言えない。そして、ここが壁になって断絶が起きる。仮に戻るとすれば親の介護か家の相続だろう。それも職があっての事だ。地方は高齢者ばかりになる。合唱団のメンバーも年齢分布は同じだ。が、手をこまねいている訳にも行かない。出演者の懇親会として30分ばかりの会合を行ったが、子供たちは「先生が言うから」という受動的姿勢「だけども楽しかった」若者との接触はやはり老化防止にもなろう。これが実を結んで「いつも受け皿がある」状態に持って行きたい。さあ、その頃に生きているかどうか。孫も聞きに来てくれたが、感じるものはあっただろうか。
2023年07月09日
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梅雨末期、例年(というのもどうかと思うが)九州や中国地方は大雨に見舞われる事が多い。梅雨前線に南の暖気や北の寒気が影響して、とんでもない雨になったりする。山が崩れ、住宅地を襲い、土石流が町を壊す。30年の記念コンサートを明日に控え、今日は島根県で線状降水帯が発生したらしい。今日は主に裏日本が大きく影響を受けたようだが、明日は我が身かと思うような雲の塊が移動してくる。天気マークには雷雲もついているので心配だ。そもそもなんでこの時期?田植えが終わるからだ。発足当時の田舎の論理。
2023年07月08日
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30周年コンサートまで1週間になった。30℃超えの今日はゲネプロ。スタインウェイがセットされるまでは大道具の搬入庫が練習場。そこにピアノ庫もあるので結局ピアノ庫で涼しく発声練習。ステージ監督と打ち合わせをしながらの練習で、途切れながらだがまずまずのコンディションといったところか。ステージ監督とは15年のつきあいになる。だいたい手の内も読めるようになってきたが、気の毒なのは田舎のホールでなかなか値上げが出来ないことだそうな。コロナ禍では本当に厳しかったに違いない。自治体の事業さえなくなり、定番の農協総会もこぢんまり、ではどうしようもない。しかも3年!我々利用者もきつかったが、今年も1週間ホールの申し込みがないんだそうだ。おかげで今日のステージのセットは1週間放置で、人件費の節約になったが、「そんなに不景気ですか」と思わず聞いてしまった。市の職員は利用が為されようが為されまいが給料は出るだろうけど、舞台はそうは行かない。子供たちの合わせも順調。気の毒なのは大人の加勢団体。悪いが、楽譜にかじりつき過ぎ。指揮者が見えてない。我々もやりがちだが、これはもう練習しかなかろう。人数が少ない為に我がグループは「一人でも歌える」人ばかりだが、これは翻れば「いつでもどこでも練習でき、またどこから壊れるか分からない」ということだ。あと1週間、うまい酒が飲めるようにがんばろう。時間的にはほぼ想定通り。
2023年07月02日
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合唱団で所有している電子ピアノが、突然一部のキイで音が出なくなったので、しまりのない練習になったが、ヤマハの相談センターに連絡をとったら「地元の会社に問い合わせてみてください」と言う。地元では最大手の販売店、B社に問い合わせて事情を話すと、「キイの接触不良でしょうから、出張修理します」ということになった。もう10年から使っているものだが、とにかく重い。12kgある。修理に来てくれて、開口一番「これはネジの数がものすごく多いんです」ひっくり返してみると確かに!30本ぐらいありそうだが、すべて同じネジで、近ごろよくあるタッピングビスではなく、雌ねじも金属らしい。良心的な構造とは言える。ばらして行くと、底板にはスピーカーとコントロールボード、外部との接続ボードとがくっついている。鍵盤のところには、1オクターブ分の接点が2つあるラバースイッチがシート状で取り付けてあり、これの交換になる。なぜ接点が2つもあるのか?これが接触を検知する時間差を検出して、キーが押された速度=キーの圧を検知して、音の大きさを制御すると言うことだ。新しいものだと3点のスイッチになるらしい。更に高精度でキーの圧を検出するのだろう。交換したスイッチを見てみると、音が出ないキーのスイッチは確かに摩耗している。0.1mmくらいではないかと思うが、確実に短くなっていた。かといって、今回はC#とGの、ともに高い方から2オクターブのところだったがこのキーばかりをたたいた訳でもないので、あまり出来のよくない部分だったのだろう。と言うことは今後もこういう現象が出てくると言うことだ。「全部交換したらどのくらいかかりますか?」と聞くと、「部品代と工賃の組み合わせになるのではっきりは言えませんが、3万円くらいではないですかね」と言う答え。新品に買い替えるのよりは安そうだが、まあ音を出す機構(CPU・ペリフェラル)が完動したとしての話だ。「ついでにハンダを少し盛っておきます」何のことかと思ったら、熱に弱い半導体を扱う為に融点の低いハンダを使うようになり、これが通電の度に少しずつ融けて痩せて行くのだと言う。そして、電子楽器を扱える技術者がいなくなっているのだそうだ。「B社でも私一人なんです。後継者がいないんです」「調律はもうかるから10人以上いますがね」いやはや、どこの業界も大変なようだ。昔は音叉で音を聞き、それに合わせてピアノの弦を調整していたが、今はクロマチックチューナー。キーをたたけばどの音か判断して表示してくれる。ユニゾンの調整も鳴らない弦を作って、合わせて行けばいい訳で、「腕の見せ所」場面は減っているに違いない。(実際はそんなもんじゃねえぞ!かもしれないが)ハンダの件は昔ディスクリートで回路を作っていたものとしては「じゃあスイッチのとこは高融点のを使えば良いんでは?と思うのだが、多分工数の増加でコストアップがあるんだろう。「商売は儲けてナンボ」なのだから。
2023年06月22日
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指揮者に「実は同窓会と合同練習が重なって・・」と話すと「休むんかい!!」の気迫。アルコールの方がはるかに楽なのだが、指揮者の方が怖い・・・で同窓会は断って、ビラ撒きを親しい友人に頼んだ。久しぶりに子供たちの歌声で、カーンと来る声に聞きほれていると「テナー、ボーッと歌ってんじゃねえよ」とチコちゃんばりの注意が飛んでくる。プロモーション用にと動画を撮りながら聞いていると、テナーがかなりぶら下がってる。〔ハーモニーの周波数から少し下がっているとこういう言い方をする)自分が入ったらマシになるかな?は自意識過剰か。今日はテナーがフルメンバーなので抜けたが、最後まで気は抜けない。元音楽教師さんも明らかに低かった。これからは高齢者用の選曲が必要なのかも。でも五線の中はだして欲しいな。これから編集開始。久しぶりなので覚えているかが心配だ。
2023年05月28日
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ステージ台本、司会台本などを作る作業が本格化してくると「近づいてきたなあ」と実感が湧く。アナウンサー原稿、部隊監督の打ち合わせと続き、ゲネプロでまずは「準備完了」と言うところか。それに見合う練習が出来ているかどうか、本当はそれが肝心なのだが、こっちの方はもはや「尻に火がついた」と言う方がふさわしい気がする。それでも「出だしをそろえる」とか「リズムを合わせる」のはだんだん出来るようになったようだ。この2つができていれば、音程がずれても「そんな編曲か」とすっとぼける?ことが出来る。逆にこれが出来ないと「バレバレ」なのだ。その為にはひたすら歌い込むことだが、同じようなフレーズで微妙に音が変わる曲がある。なかなか覚えきれない。理想的には暗譜することだが、言うは易く行うは難し。高齢には辛いものがある。
2023年05月21日
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昨日の本番から明けて昨年8月から始まった練習の集大成(というほどでもないか)。このホールにはパイプオルガンがあるのでそれを生かした演奏会がよく行われる。我々の出番は1部と3部。前日に千原氏の指揮による練習があったが、「ボクが作った曲だからボクが思うように曲作りをしたい」「他の人がやったら、もっと楽譜に忠実に歌え、と怒りますが」ということでスタカートのマークは消せとか、ピアニシモのところをフォルテで歌えとか、今までの練習は何だったのかと思わせるような指示が飛んできた。歌う方は笑うしかない。また、テンポが無茶苦茶に変わる。楽譜なんか見ていたらとんでもないことになる。喜寿過ぎには苦しい。加えて当日になって「昨日こう言いましたが、考えが変わりました。元に戻しましょう」いやはやこれを「無茶ぶり」と言うのだろう。300人くらいの聴衆で、よく響くホール、ひな壇で久々に腰を伸ばしてたっていたからか、今朝起きた時には腰が痛かった。年はとりたくない。気分良くは歌えた。出演者は18歳から81歳まで。若い人と交流できるのも合唱ならではのことだ。
2023年03月26日
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この合唱団に歌いに行っているが、当然ながら団員の出自はさまざまで、一貫して同じ指導を受けている訳ではない。年齢も十代から七十代までいる訳で、指導の先生の苦労も絶えない。半年あまりでまとめなくてはいけないのだが、とんでもなく他のパートに引っ張られる人もいて、それもハーモニーがあっていれば辛抱できるがその範囲を超えるととんでもないことになる。H先生がついに言う。「寄せ集め合唱団ですから、穴はいっぱいあります。千原先生が思っておられる曲想を100%満足は出来ませんが、1ヶ所でも「おっ!」と思ってもらえるところがあればそれがこの合唱団のカラーになります。光るところはまず1つでいい。その数を増やして行きましょう」なかなか含蓄のある言葉で、パートがまとまりを見せてきた気がする。あと1回の前日練習で本番。若いのが言った。「前列は歌のうまい人、中列は声の大きい人、後列は音程のいい人が並んでください」「私はどれにも当たらないが」「じゃあ中列にどうぞ」居場所は確保してくれた。
2023年03月19日
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のどを痛めた時の特効薬と「個人的に思っている」商品がこれ別にメーカーから報酬をもらっている訳ではない。実感であり、コーラス仲間からも同意見を聞いている。Amazonで前回〔1年前くらいか〕買った時には800円ばかりだったのが今や1500円にもなっていた。ウクライナ戦争と関係があるかどうか知らないが、まあ派手に値上がりしたものだ。これでも安い部類で、もっと高い値段の販社もある。うっかりのどを痛めないよう気をつけることかな。
2023年02月11日
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7月に開くコーラスグループ30周年記念コンサートのチラシを作らねばならない。昔ならゲラ刷りを皆で囲み、ああだこうだと一席設けたものだが、今はリモートで同じ資料を共有し、掲示板に好きなように書き込んで完成させる。まさに隔世の感がある。素人が「フォント」なんて言葉を普通に使うご時世だ。一応版下が仕上がり、いよいよ注文になるが、印刷費は劇的に安くなった。30年前はチラシ、ポスター、プログラムを作ってもらって校正をいれ、訂正してもらって仕上げ、数十万円と言う事があったが、パソコンが一般化して版下をユーザーが作れるようになったら印刷機を動かすだけが印刷屋の仕事になり、気の毒なほどの価格になっている。しかもwebで入稿。ところが、過去にも使い、安いことで有名なP社に発注を入れると最後にネットワークエラーと表示され、何度やってもかわらなくなった。納期の目標もあるので別のR社に発注した。ネットは見切りも早い。あとは届くのを待つだけだ。一息ついたが、まだまだ練習が続く。次はプログラムだ。
2023年02月06日
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3月25日本番予定の「千原英喜の世界」に一般募集で参加しているが、練習への参加がどうもよくない。特に女声の集まりが悪い。コーラスの練習と言うのはムカデ競走みたいなもので、いくら音を覚えてもパートとしての声、全体としての声の調子が合わなければ話にならない。「とにかく健康に気をつけて」なのだけれども、仮に陰性でも「濃厚接触者」に該当すれば謹慎〔出勤停止〕である。症状がなくても、保菌者の可能性があれば、人にうつす可能性は否定できない。ここをどこまで厳しく管理するかで扱いが変わるのだが、行政としてはまあ抑制する方向で動かねばなるまい。で、いつまでたっても全人員がそろわない。団体競技の宿命だ。逆に本番で勝負で得きればいいんだろうと言う暴論も常に出てくる訳だ。自分はと言えば本態性震顫のおかげで息は長く続かないし、声が震えないよう気をつけるが、それが怖くて思い切り声を出せない不完全燃焼で、どうもパートに迷惑をかけているんじゃないかと思っている。フォルテのところの力にはなるだろうが、最も厳しいのが弱音でのロングトーン。ほとんど声にならなくなってしまう。少し多めに薬を飲んでみようかな。あと、練習は8回。
2023年01月10日
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合唱祭が終わったタイミングでテノールの相棒がけがをした。何でも、段ボールを持って知人の家に行こうとした際にくぼみに足を取られて転倒し、大腿骨が折れたと言う。足下がよく見えなくて、手も付けなかったと言うことのようだ。息子さんが連絡をくれた。まるで絵に描いたような高齢者の骨折だ、とは本人の弁。これが聞けるのも通信の発達した時代のおかげだが、同じパートがいなくなると言うのも困る。更に、彼はこの2ヶ月の間に所属しているグループで出演が決まっているステージが2つもある。お気の毒と言うしかないし、場合によってはキャンセルもあるかもしれない。人数の少ないグループにとっては欠場は致命的な問題。私自身の練習にも彼に頼っているところがあり、ちょっと気合いを入れなきゃならない。自分自身も彼とは1つ違いなだけだ。ちょうど庭木の剪定の時期、高所作業もある。落ちて肋骨を折ったことがある。同じ轍を踏まないよう、気をつけなければ。
2022年11月07日
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文化の日は姫路市で行われる播州合唱祭。姫路市とその周辺で活動するアマチュア合唱団の祭典である。普段の練習の成果を遺憾なく発揮して・・・と言うはずなのだが、コロナのおかげで高齢化する一方の合唱団は団員が減り、練習にも制約を受けて満身創痍が実情だ。それでも昨年から再開し、多くの行事が「3年ぶり」と言う中、昨年の「2年ぶり」で再開した。しかしいったん声を出すことをやめると、元のレベルまで戻すには相当の練習を要する。これはスポーツでも同じだろう。我が団も例外ではないし、私の場合「本態性震顫」と言う病気が加わって声が揺れることが多い。今日は発声練習も出来なくて余計にひどかった。これからは本番の時にはあらかじめ薬を飲んでおくほうがよいかもしれない。医者からは服用2回のところ、3回までは頓服的に飲んでいいと言われている。さて、今日の曲は「夕焼け小焼け」と「燦燦」。7分間のリハーサルで、ピアニストが「少し遅すぎだよ」とクレーム。指揮者とは高校の同級生で当時からコンビを組んでおり、指揮者にも遠慮なく意見する。うちの場合、これが結構プラスに働いている気がする。本番、「夕焼け小焼け」は無難に済んだが、「燦燦」は「散々」になってしまった。出だしが合わない、動揺して指揮者が指示を間違える、と団史に残りそうな迷演奏になってしまった。時刻は1時。皆食事も済んでおらず、みんなで食べに行こう、と言うことになり、近所の星野珈琲へ。ピアニストが「歌い込み不足だよ!」と指揮者の練習スケジュール管理にかみついた。まさに「ちむどん反省会」である。しばらく談義が続いたが、料理が出てきたところで反省会は終了、「うわ、マフィン小さくなった」「誇大広告じゃない?」「高くなったね」と続き、「あかん、私今日文句ばっかり言ってるわ」とピアニスト自身が反省した。腹もくちくなったところで解散、帰宅は3時になった。さあ、またがんばらなくちゃ。
2022年11月03日
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コーラスに楽譜は不可欠。finaleという楽譜作成ソフトがある。オリジナルの編曲をしてくれる人があり、彼に頼んで譜面を書いてもらったが、A4でしか出力ができないらしい。普通の人は大きなプリンタなど持っていないから仕方ないのだが、これをコピー配布しようとするとA3の方が具合がいい。2枚並べてコピーすれば枚数が半分になるので管理しやすいからだ。私のところにはA3紙のかかるプリンタがある。進物用ののし紙印刷が必要だからだ。それを知っているメンバーが「やってみてよ」と言ってきたのだが、finaleのマニュアルのどこにも印刷の説明がない。えい、ままよ、とオプション設定のところを探したら紙の設定、1枚に印刷するページ数を指定する画面が出てきた。これはこれは、と1枚に2ページを指定し、1ページだけの印刷を指定したら、確かに1ページ目だけを印刷してきた。1-2ページと指定するべきだった。また余白の大きさも指定する部分もあった。これがまた、印刷ごとにデフォルト値になる。トライアンドエラーで覚えるしかないが、何とかなる時にはなるものだ。
2022年09月27日
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祇園祭やら花火大会やら、今年のキーワードは「3年ぶり」ではないか。そして私の属する寄せ集め合唱団がコンサート中止に追い込まれたのも「3年ぶり」に練習を再開した。「動機」は今や忘却の彼方だが、千原英喜作品集をやろう、と団員を募集し、1回目の練習で西宮市に住まわれている千原先生がちょうど西宮でコロナがはやっているがこれるのかねえ、といった話をしていたときに先生が現れ、「それじゃ来週から」と帰られたのだが、次の練習は中止となり、そのままコンサートも中止になってしまった。兵庫県は東西にも南北にも広いが、合唱に関しては完全に東高西低だ。まあ人口も東に偏っているので、やむを得ないところかもしれないが、武庫川女子中高やら関学グリーに比べるとまさに雲泥の差だ。それでも中学生を関西大会に連れて行く教諭・元教諭を中心にプロジェクト合唱団を立ち上げ、練習にこぎ着けた。千原氏の曲は難しい。3年の間に3つ年齢が上がり、体は老化した。それでもついていこう。通常の練習にはない新鮮さがある。
2022年08月28日
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来年のコンサートを目指して「子供と大人のための合唱曲 ゆずり葉の木の下で」本日キックオフだったが、折柄の子供の感染が蔓延り、ワクチンを接種していない子供がほとんど。少年少女合唱団がキャンセルを申し出てきた。児童は保護される権利があるし、児童を保護する責任が大人にはある。1か月後に合流できるといいが。もう一つ、思いを同じくしてくれる混声合唱団。本日は花火大会で集まりが悪い。しかし、大人はワクチンも打っているしどうせ物覚えも悪い。大人だけの練習だけでも、と考えている矢先に指揮者が発熱を訴えてきた。万事休す、、、念の為にと検査を受けてもらったら幸い陰性だった、というのでドタバタだがキックオフはできた。割とよく練習していてくれて、初回にしてはまずまずと言ったところか。花火大会のおかげで練習中はノイズ満々だった。コロナも早く終息してほしいものだ。人出が多いので車は諦め、自転車で走り、正解だった。ブレーキが少し調子が悪い。
2022年08月06日
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昨日の練習のこと。今日はとにかく歌いましょう、と童謡から始めた。「夕焼け小焼け」である。男声のユニゾンから始まるが、私としてはやや低い音域になるので(Gから始まり、最低はC)あまり指揮者からも期待されていないのだが、息が通っているのに声にならないと言う変な事態になった。声が揺れることはあったけれど、スカスカになったことは風邪引き以外にはない。 そのうち上の方の音が出てきてどうやら声になりだしたが、発声練習がないとこんなざまかと思い知らされた。「老化」「歌う機会の不足」としか言いようがあるまい。自分が一番出しやすい音域から始めるのがよさそうだ。どうせカギ当番なので真っ先に行かなきゃいけないから自分のための発声練習を自分でやらなければ。次代のことを考えなきゃいけない歳になってしまったかな。
2022年06月09日
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4ー5月は総会シーズン。企業とは違うので株価がどうなったとか、利益が前期比どうこうだと言うことはないが、事務処理とは言え書類を作るのは面倒なものである。事務局を担当すると事業報告、会計報告は必須である。事業報告はコロナのおかげ?でほとんど何も出来ていないから報告することがない。事実上コンサート禁止令みたいなものだったから。また練習に使う公共施設でも時短要請で練習も十分には出来ていないから突然に出演する予定も立たない。当然ながら経費の執行も少なくなる。いつもに比べれば楽な筈なのだが、会場手配なども付随してくるし、なかなか手が進まないのが実情だ。組織で役員をするなら副会長あたりが一番楽そうだ。それでも自団の分は何とか仕上げた。何より本番が明後日だから。合唱連盟のはこれから、と言うよりも自団の分が済んでからになる。行って文句を垂れてくるだけの総会が気楽でいいな。主催と言うのは何によらず大変である。今日は愚痴モード。
2022年05月23日
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息子からlineが入り、ビデオで孫娘が写っている。「おはよう、何して遊んでる?」「今おじいちゃんと話してるから遊んでない」なるほど、そりゃそうだ。「フラットが3つの時ドはどこになるんやった?」が息子の質問である。五線の一番下であるが、聞けば小学校の父兄会でクラブ活動をやるらしい。なんの因果かコーラスになり、唯一の男性部員となったらしい。小学校のコーラスなんてほとんど女性ばかりだから、よくある話ではある。私に似たか、高音の方がよく出るのでソプラノを歌うように言われたのだそうだ。実音で言えば女声よりも1オクターブ低いが、きれいに合わせればハーモニーの深みが増すし、強度もあがる。指導者から「ずいぶんクラシックな発声ですね。歌(魔女の宅急便メドレー)の性格からもう少し喉に引っかけてもらった方が良い」と言われたそうだ。彼の中学校の担任が音楽の先生でコーラスばかりやらされたらしい。私もどちらかと言えばハーモニー重視でやってきたからそんな発声になっている。それを聞いて育ってきたら、似てくるのだろう。楽譜を読むのも、「移動ド」「固定ド」に分かれる。ピアノをやっている人は「移動ド」で読めるのが不思議でならないらしい。たぶん彼らは、鍵盤の音の関係を全て覚えているからだろう。私などのようなアマチュアは子供の時に「シャープ1つならソをドと読み替えなさい」と教わり、それで覚えたから、ドの位置だけ分かれば相対音感で読んでいく。この年になってみると、譜面を見て音階を変換し、声に出すと言うのはかなり脳に負荷をかけていることなんだなと思う。ボケ防止には良かろうと思うが、だんだんそれがおっくうになるのも事実。少し心を入れ替えねば。
2022年04月24日
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「大声を出す」迷惑なものとして合唱やカラオケに入場規制が掛けられている。人数、マスク、距離・・・しかし合唱をやっているものとしてはいささか異議がある。カラオケファンに「そんなことない!」と叱られるかも知れないが。コーラスにもアカペラとかゴスペルとかがあり、色々な歌い方があるのだと思うが、クラシカルなコーラスは基本的に息を大事に使い、身体を使って響かせる効率の良い発声をたたき込まれる。そして声のミクスチャーと言うべきハーモニーを楽しむ訳で、大きな声になっても唾が飛ぶ訳ではない。演歌のように喉を酷使する発声ではハーモニーが作れないから。基本、マイクは使わない。マイクにかぶりつく?歌い方をカラオケで見ることがあるが、まあ気分が乗ってきたらそうもなるのだろう。ただ、合唱に比べれば同時に発声する人数は圧倒的に少ないだろう。人数が多い合唱は浮遊ミストの総量で上回るかも知れない。観客が騒ぐのはまれ、と言うかほとんどない。拍手以外のことをするとむしろ煙たがられる。
2021年11月03日
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