そのさきにあるもの。

そのさきにあるもの。

Lost in Translation



前作、ヴァージン・スーサイズは、ガーリッシュな映像、
姉妹の不安定な美しさ、それを見守る男の子たち
がとっても大好きだった。

さて、本作。
よかった。

ビル・マーレィとスカーレット・ヨハンソンの二人の目線。

異国での疎外感、そして傍にいるはずの人との微妙な距離感。
空虚ではないけれど、二人が抱える寂しさ。

自ら異質な世界に飛びこんでいかない、言葉を覚えようとしない、
そんなソフィアの描き方に、抵抗を覚える人もいるだろう。

わたしが日常感じる疎外感。
人ごみの中(だいたい新宿の地下街)で、だれも知り合いがいない。
そして、誰も私をしらない。

そんな感情を、ボブとシャーロットの思いに重ねる。
頭で理解するのではなく、皮膚から感じる映画だと思う。

ヴァージン・スーサイズをビデオで見てたとき、
何故か途中から父が一緒に見始めた。
終わって一言「訳がわからない映画だなぁ」

自殺した少女が、なぜ自殺するのと問うたカウンセラーに言った言葉
「あなたは、この年頃の女の子になったことがないでしょ?」

誰にでも理解できるいわゆるハリウッド映画ではない。
きっと、父を初めとして、「Lost in Translation」を理解できない人も多いだろう。
できれば、想像力を働かせて、感じて欲しいのだけれど。

新宿の映画館で見た。
映画が終わってから、少し時間をつぶして日が暮れるのを待ち、歌舞伎町へ。
ビルが見たネオンサイン。
見上げれば、パークハイアットの尖がり屋根。
さっき、映像の中で見た景色が、すぐそこにあって。
映画を見た、世界中のだれよりも、贅沢な気持ちになる。

今まで日本を描いた外国映画にはもちろん無いし、
連続ドラマの描く東京像でも感じたことのない、
私にとって親密な、いつもの新宿。

それが、映画というかたちで切り取られていた。



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