星の輝き月のきらめき 2

星の輝き月のきらめき 2

娘生育歴。その2


娘。幼稚園年少時代。


娘は、早生まれ。
その為入園したのは3歳3ヶ月のことでした。
当初は帽子もかぶりたがらない、エプロンもつけたがらない、何でバスに乗るの?といった感じでうやむやに園バスに乗せて送り出していました。

担任の先生は新卒でぴちぴちとした若い先生。
私は正直言葉は遅いし、イマイチ落ち着かない娘の担任としては新任の先生で、大丈夫なのかしらと不安を抱いていました。

給食も、センターからお弁当が届けられていて、娘はおかずはほとんど食べずに、パンやご飯ばかり食べていたようです。

夏くらいまでは、先生と娘という関わりが多かったです。入園当初は、カバンをおくと、すぐに靴も履かずにウサギ小屋に行ってウサギと一緒にいたり、園庭を走っていたりしていました。6月に水疱瘡をしてから登園した時に、水疱瘡は服を着ているとどうもカサカサしてうっとおしかったらしくて、服を全部脱いでしまって先生達を驚かせてしまっていました。

夏過ぎくらいから、お友達がやっているのを見て自分もやりたくなってもなかなかそれを伝えることが出来なかった娘ですが、先生に「ちいちゃんも」と言えるようになりお友達とのやりとりも、色々な感情を言葉にして言えるようになり、楽しめるようになってきました。

運動会の時は、お面の色を先生が途中で変えてしまってちょっとパニックになってしまうこともありましたが、娘にしては待ったり座ったり出来るようになっていました。

トイレも入園当時は、部屋でズボンとパンツを全部脱いでからでないと行けなかったのが先生の言葉がけによって、座ってから膝までズボンとパンツをおろして出来るようになりました。和式はかなり時間がかかりました。年少の終わりくらいになってようやくしゃがむことが出来るようになりました。




そして、私が児相で発達の検査を受けようと思ったのは、私のネット友達がお子さんの発達検査をするということをうち明けられて、初めて検査が出来るんだと知ったことからでした。児相って虐待とか措置とか怖いイメージしかなかったのでびっくりしたのを覚えています。

娘も、幼稚園に入ってきてから伸びたとは言え、会話はかみ合わないし、やっぱりおかしいと思っていましたし、思い切って受けることにしました。旦那は4歳過ぎないと遅れも障害も分からないよと笑っていましたが、私もこの不安な気持ちが、杞憂で終わればなぁって、思っていました。

そして2001年の12月のクリスマスの日。
運命の日はやってきました。

その発達検査を受けるために、息子がいては大変かと思い、妹に来てもらっていました。午後2時からもあり娘も、車の中でお昼寝してしまい機嫌は最悪でした。
それでも何とかテストが始まりました。
初めての場所でのテストは、娘にとってびっくりすることばかりだったと思います。
はじめは個室でしていましたが、ちょっと出来そうもなかったので、プレイルームで行う事になりました。おもちゃで遊びながらでしたが一応最後まで受けることが出来ました。
「結果は厳しく見積もりました。軽度の発達の遅れがあります」
うすうす分かっていたとは言えその言葉はとても衝撃的でした。
「自閉症的な感じは受けません。遅れは、将来追いつくのは厳しいと思います」
今でもその日のことを思い出すと涙が出ます。


このまま幼稚園で年中に上がっても、加配も何もつかなければ、娘にとって園での生活は大変な物になるのではないかと心理の先生からも指摘があり、友達もたくさんいて楽しんでいた園生活でしたが、その幼稚園では加配制度がなく悩みに悩んで加配付きの保育園にはいることになりました。分からないまま流されて園生活を送らせるより、加配の先生についてもらう方が、娘にとってもいいのではないかと判断したからです。今これから伸びる時期に、より丁寧に保育してもらった方が娘のためになると信じて。。。



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